なんてことない

もっと日記を更新しなければ、と思う。
先週はほとんど外に出ていた、用事があったのでバタバタしていた。
だいぶ体重が増えたような気がする、花粉症の影響もあるけどブサイクな自分が怖くてマスクが手離せない。
貯めていたアニメを見た。今期は面白いアニメが多くて、脳がついていかない。
おばあちゃんもうつ病になってしまった。なんだか悲しい。
私に何ができるんだろうと考えたけどうまくまとまらなかった。
なるべくおばあちゃんの家に遊びに行くことを多くしようと思った。人はいつか死んでしまう、なるべく楽しい思い出を作りたい。
春になると死んだ父の事を思い出す。すぐ泣いてしまう。部屋で泣いてばかりだ。
あんなに恨んでいた父だったが、死に間際に「死んでほしくない」と強く思った。
でも死んじゃった、お墓参りにもいけてない。
今年は行けるといいな…と思う

春と修羅

ずっと寝込んでいた。
春は普通でも調子が悪い。友達は「春だと桜が咲いてわくわくする」と言っていた、素敵な考えだと思って私もそう思おう、と思ったけど無理だった。
桜は散るし、散る時は辛いから最初から咲いてほしくない。
「春だとみんなが浮かれていて、私だけよりいっそうみんなに取り残される気がして寂しいんです、よくわからないけど体調も崩すし。」と言っても全然人は「?そうなのか〜」とわかってくれない。
頑張ってもなんだか意味がないんじゃないかとすら思える。
こういう時は何を考えてもダメだ、何をしてもダメだ、ただナーバスになるだけ。
楽しいことは?と考えても一向に浮かばない。

この間病院に言った時に減薬をした。自らの申し出ではなく、先生から「減薬しましょう」という事だったので、した。
実に6〜7年ぶりの減薬だ。これはすごく大きい事なのだが、やはり周りに言ってもわかってもらえない事が多い。
薬は最初は慣れるのが大変だった。当時中学生だったこともあり、薬の負担が大きく、薬の副作用でどうしても学校がいけない日ばかり続いてしまった。
でもそれも親も周りの人もきっとわかってくれないのだと思った、やはりわかってもらえなかった。がんばって学校に行っていたら先生には「もう学校に来ないでくれ」と言われてしまった。
「頑張る」ことってなんだろうって思う。もう意味がないんじゃないかと思う。

今読み返すと「わかってもらえない他人のせいだ」という文章になってしまった。普段はそう書かないし、そうは思いたくないと思っているけどどうしてもまいってしまっていて、うまく人にこういう事を言えないのでここに書いている。

なんだかすごく疲れてしまった。「がんばろう」と思うし、その分焦る。

3巻から面白くなる漫画と1巻から面白くなる漫画

漫画を読むのが好きだ。活字は最近読めなくなった、精神と体調による。
アニメが1話で切られず、「まず新しいアニメは3話まで見て」と言われる最近で、それを漫画にあてはめるとどうなのかな?と思った。
「この漫画は3巻から面白くなるから、3巻まで買って読んで」と言われたら、それは3巻まで買って読むだろう。
だけどそういう道先案内人としての人がいないと1巻を読んで「なんだこれつまんねーじゃん」と思われた漫画は切り捨てられてしまう。
3巻からヒットする漫画などが売れるのは「この漫画はこの先面白くなる傾向がちょっとでもあるかも・・・」とぼんやり思った人や、その作品の作者などが元々好きな人だけじゃないのか、と考えた。
そうして考えてみると、漫画はアニメより土俵が高いのだろうか。でもおんなじフィールドで考える事自体が間違いなのかもしれない。
1巻から面白いマンガというのは多分世の中に腐るあるのだろうけど、私はなかなかそれに辿りつけない。パッと見て買って「うおおお!これ面白い」とテンションが上がった作品は最近だと聲の形(あれも発売前に読み切りあったけどな〜)と、惑星のさみだれだった。惑星のさみだれの1巻の衝撃はすごかった。ビリビリと中2神経を刺激され、次の巻が読みたたすぎて本屋に走った。
3話まで見てヒットしたアニメといえば、まどマギだなと思った。なんとなく1話を視聴して、まどかや魔法少女描写が好きなので見ていた。(あと虚淵ファンだったりした)
1話を見て「これはヒットする!」と言えた人はすごいと思う。見ていた人は多いのだろうけど、実際話題に出始めたのはマミさんがマミられたあたりからだった。
京アニ氷菓はその点優秀だったと思う。万人受けする作品ではないけど、「これは、くるな」とツボに来た人は手をグッと握ったはず。

話を戻す。
例えば最近おもしろくなってきたよ!と言われた漫画が出てきて、16巻くらいで、それを読もうと思う人は・・・いるなぁ〜。私は読んじゃうなあ。
でもそういうのって、「へー、面白くなってきたんだな〜読みたいな」と思ってるうちにアニメ化され、アニメで消化してしまう場合が最近は多い。
ニセコイの原作は面白いなぁと思った。シャフト大好きなのでアニメも好きだなぁと思う。
文をかいてて思ったけど、アニメのスパンと漫画のスパンは違うので、1巻がつまらなくてもいいのかもしれないなと思った。
最初からずっと面白い作品もあれば、ずっとつまらないでもツボは掴んでいるという作品もある。
うーん。難しい。
話を変えて、最近一番最終巻が面白くて、スッキリし、気持ちがよく、伏線を回収出来たのは鋼の錬金術師だと思う。
胸が震えた。いろんな人に読んでほしいと思ったし、この作品を好きでよかったと思った。
自分がすきな漫画の中ではヨルムンガンド百舌谷さん逆上する、があげられる。
逆に放浪息子は残念だった。風呂敷を広げすぎちゃったのかなあとか、いろいろ考えた。でも志村貴子さんは大好きだ。
3巻から面白くなる漫画と1巻から面白い漫画、違うがうまく考えられなかった。だたどっちも有ってもいいし、どっちも好きだという事だ。ドリフターズの新刊、早く出ないかな。

もう消費すら快楽じゃない私へ。

春が近づいている。低気圧のせいやいろいろなショッキングなコトが重なり、寝込んでいた。元気になったと思ったらまたショッキングな出来事があり、立ち上がり、その繰り返しだ。タフになる事はないのだろうかと思う。
この前ショックだった事は相手が私を選んでくれたという幸福感というか使命感に燃えてしまって、いつもなら散々周りに反対されたらそれに応じないのに、それを受ける選択をしてしまった。結果、ダメになってしまい、自分で初めて選択した事もあってダメージがでかかった。
だけど私の周りには幸いなことに良い大人がたくさん居てくれて、自分が厳しい状況下にいても叱ってくれる人や褒めてくれる人がいる、それは他人から妬ましく思われるくらいに多くの良い人達が私の周りには居てくれる。それを失望させないためには私はどうしたらいいんだろう、と考える。


そういえば柏の通り魔の事件はショックだった。秋葉原の通り魔の事件の時とは違うショックさだった。いや、同じなのかもしれない。
「あいつはヤバい」といわれる人が親からも周りからも見放され、どんどん孤立していき、自分だけの世界にいると自分がすごく思えてしまう。自分の意見が全てになってしまう、そういう状況はあると思う。
「ヤバい」からそいつには周りは近づけず、結果犯罪を起こしてしまう。だけど何かワンアクション、彼に家族や知人が一生懸命に説教をしたりしたら何かが違ってたのかもしれないのかなと思う。「if」の事を考えても仕方がないがそう思った。
この前ストーカーの心理についてなんとなく気になった(三鷹の事件で)ので調べていたらストーカー被害にあった人の遺族側が「結局、犯人側の更生を待つしかない」と言っていてなんだか悲しかった。自分の努力ではどうする事もできない他人の事柄を「待つしかない」というのはなかなか難しい話だなと思った。
世の中には「仕方がない事」というのがあるのだと最近身にしみてわかった、自分では解決できない「どうしようもない事」があるんだと。
それを知った上で「仕方がない」と諦めるのか、それもなんだか違う気がする。

2.18日は私の好きなバンド、きのこ帝国のワンマンライブだった。
とても素敵だった。私は好きなバンドの話は絶対人の前では言わない、言って「そのバンドってさ〜」と難癖つけられるのが嫌なんだ、それくらい好き。
なのでオススメなバンドは?と聞かれても「本当に好き」より一歩前の「好きな音楽」を人に勧める。
きのこ帝国のワンマンも一人でいった。物販でTシャツなどを買い、最前で彼女たちのライブを見た。
ぼんやりと音楽を聞いて「好きだなぁ」と思った。

ヒビが入ってるグラスにいくら水を注いでもどこからか漏れてしまう、今の私はそんな感じなのかなと思った。多分生きているみんなそうなのだろうけど。
漫画を買ったりするがスッキリしないし、面白いと思えない。感動するがすぐ忘れてしまう。
もう消費すら私には快楽ではないんだな、とぼんやり思った春の雨の日でした。

「人はいつか死ぬ」 ふみふみこさんのめめんと森を読んで。

冒頭部分が「人間はいつか死にます」という始まりなので、暗い話なのかな?と思った。それでもなぜかワクワクが止まらなかった。
主人公は過去に傷を持っている女の子で葬儀屋で働いている、「殺すぞ」が口癖の先輩に恋をする。
主人公が恋に落ちる先輩は黒川さんという。
黒川さんと主人公、共に「歪んでいる」
それは生きてきた家庭環境などから影響している、主人公「目野」の方はそれが性癖に出ている。
「目野」は首絞められるのが好きだ。
「歪み」が二人を引き寄せたのか、それはよくわからないけど別に悪いことじゃない。

ふみふみこさんの漫画は好きで新刊が出るという話を聞いて楽しみにしていた。
キャッチーな絵でどこか癖のある話をかく人だといつも思っている、凄い好みだ。
「めめんと森」は「今年読んでよかったランキング」の上位に入ると思った、だからブログに感想を書いている。

「人はいつか死ぬ」という現実は残酷なもののように思える、だけど、ふさぎこんでいた時に知った「人はいつか死ぬんだ」という真実は残酷なものでありながら私に安心感を与えた。いつか死ぬ、いつかこの苦しみは止む、そう思えた。
憎い人や好きな人、偉い人、みんないつかは死ぬ。そう思うと「生きよう」と思えた。
この作品に漂う決して明るくはないけれど、薄くらい希望のようなものが明確に好きだと思えた。

私は本当に好きなモノを言葉にしていくのは苦手だ、丁度いいくらいな物がいつだって言葉にしやすい。
だけど「めめんと森」は本当に好きで、どういう所が好きかだれかに話したくなってしまった。

だから、文章を読んでくれた人が1ページでも本を読んでくれると嬉しい。

変わっていく事も変わっていく物を見ていくのは嫌いじゃない。
はみだしそうな日常に、せかせかと生きる毎日に立ちすくむ暇もなく、悲しみは突然やってきて、すぐ終わる。
希望はある。希望というのはすごく楽ちんな物だ、そしてすぐなくなってしまう。「ああ、これで生きていける」なんて瞬間、人生何回もある。その度にその希望は薄くなって、また日常の繰り返し。

絶望に浸っていたほうが私は楽なんだ。だけどそういうのも、もう面倒だし。
人にやさしくするのはきっと優しくしてほしいからだし、
人を好きになるのは好きになってほしいからだし、
こんなにわかりやすいのに、人間って。

「まだ20じゃん、何にでもなれるよ」と言われた時、風立ちぬを思い出した。
私はどういう10年を過ごすのだろう。
別に何者にもなれなくたっていい、そう思うけど
心に何かつっかかる。
別に私は普通の人間だけど
周りにたくさんすごい人がいるから、勘違いしちゃうんですよ。

何になろうかな。
何になれるかなー