Neil and Rush and Me

Neil PeartのドラムとRushの音楽をこよなく愛する大学教員の日記(雑記)帳です。

初心に立ち返らないと

祝日ではあるが授業日。月曜日に担当授業はないものの、娘と息子の友だちが大挙してわが家へ遊びに来ることになったため、自宅を追い出され、行き場所がなくなり、大学へ。

研究代表者として採択された科研費・基盤研究C(2018-23年度)の実績報告書の下書きをすませる。研究期間の6年間で英語論文7点、日本語論文7点、書評(日本語)4点、共編著1点、学会・研究会での口頭発表22回(うち5回は英語[国際会議等])の研究成果を残しても、科研費の新規申請で不採択となったのだから、報告書の作成中は恨み節しか出てこない。これだけ成果を出しても研究遂行能力にケチがつく。でも、まぁ、これも人生である。理不尽を噛みしめて生きるしかない。別の見方をすれば。過去の業績で決まってしまうなら、同じ人が勝ち続けてしまうわけで、それは別の意味で理不尽であろう。スタートラインに立った時点で過去のことはすっかり消去せねばならない。申請書類の書き方が下手で、審査員を説得できなかっただけだ。

院生の時は研究用の本も出張旅費も自腹が当たり前だったのに、研究費に恵まれた期間が長かったせいか、自腹を切ってでも読みたい本・聞きたい研究報告という感覚が希薄になっている。やけに貧乏臭い。こりゃ、いかんな。研究者としての初心に立ち返らないと。

城田俊『現代ロシア語文法』を125ページまで(全667ページ)。

【8718】

昼寝

今朝は10時くらいまで惰眠を貪っていたのに、さらに13時過ぎから17時過ぎまで昼寝に興じてしまった。睡眠欲求が半端ないな。

城田俊『現代ロシア語文法』を119ページまで(全667ページ)。「しあわせ気分のドイツ語」の第17回放送分(2月7日)を視聴。

【1708】

ロシア思想史研究会(オンライン開催)

昨年9月にロシア思想史研究会に入会したものの、過去2回の例会(2023年11月・12月)には参加できなかった。開催日が他の学会と重なってしまったりしたためである。そんなわけで今日の例会(オンライン開催)が遅まきながらの初参加となった。難聴の問題もあって、集中できる環境を求めて大学の研究室へ。

参加者14名。まったくの新参者なので、Zoomに接続する時はさすがに緊張した。報告内容が言語・宗教哲学で、自分の専門家から遠かったため、きちんと理解できたとは言い難い。当然質問もできなかった。だが、会の雰囲気がすこぶる良かったので、例会の日程が他の仕事とバッティングさえしなければ今後も参加し続けようと思った。

右耳の聴力は回復基調にあるように思える。これまで聞こえづらかった高音域が少しずつ聞こえ始めている。これは確かだ。ただ、聞こえる/聞こえないの境界の音域ではハウリングのような聞こえ方になり、不快感この上ない。今の聞こえ方で学会・研究会に参加するのは依然としてかなりつらい。

日本18世紀学会第46回大会(6/22-23, 於大阪大学豊中キャンパス)のプログラムが本日発表された。

jsecs.smoosy.atlas.jp

僕は第1日(6月22日)の藤原いお(京都大学大学院) 報告「エドマンド・バークの劇場−社会論―青年バークの演劇論を中心として」の司会を務める。2日間ともたいへん充実したプログラムで、今から楽しみである。2日間ともフル参加する予定なので、体力温存のため、6/22-23に新大阪のビジネスホテルを私費でおさえた。

【6870】

「灯台下暗し」

3限、ディベート。4限、22期(4回生)ゼミ。今週も何とか乗り切った。今年度は学部だけ(大学院なし)なのに、それでも毎週金曜の夕方にはヘトヘトになってしまっている。4限の4回生ゼミで久々にグループディスカッションをさせたが、その最中の右耳の聞こえ方がとんでもなかった。本当に一刻もはやく治って欲しいものだ。

難聴に伴う三半規管の不調のため、電車での移動の際の読書もかなり難しくなっている。ここ2か月、自由な読書は実質的にゼロである。症状が幾分ましな時に語学のテキストを読む程度にとどまっている。かなりつらい。

22期生に仙台出身者がいるので、今日のゼミで先週の被災地エクスカーションのことを話した。驚いたことに、女川には高校時代に復興のためのボランティアで何度も訪れており、女川がどのようにして復興を遂げたかについても、かなり詳しく知っていた。絶品の「まぐろ三色丼」を供してくれた「まぐろ屋 明神丸」のことも知っていた。「灯台下暗し」とはまさにこのこと。関大に奉職して今年で27年目だが、東北出身のゼミ生はこれまで彼一人だけ。実に貴重である。

【7856】

23期生のビブリオバトルはハイレベル

授業3コマ。2限、経済学説史。3限、23期(3回生)ゼミ。5限、ワークショップ。体力の問題もあり、今日はこれ以外まったく何もできず。

23期ゼミはビブリオバトル(Part 2)。UEDさんがプレゼンした『ひと目でわかる、すぐに身につく [イラスト図解]5日間で言葉が「思いつかない」「まとまらない」「伝わらない」がなくなる本』とSRSKさんがプレゼンした『「交渉」が最強の武器である』が同点となり、2冊がチャンプ本として選出された。先週と合わせて、3冊のチャンプ本が23期生のゼミテキストに決まった。

2週にわたり実施した23期生のビブリオバトルだが、これまでにない高いレベルの戦いで、とても見ごたえがあった。彼らが真剣にゼミ活動に関わろうとしているのがわかって、たいへんうれしかった。さらにレベルアップした姿を6月の関龍戦でぜひ見せてもらいたい。

【9356】

1年ぶりの扇町プール

大学へ。授業準備、翻訳作業、マルサス学会事務局の仕事。仙台では比較的ましだった耳鳴りがまた酷くなってげんなり。

帰路、2023年4月18日*1以来、約1年ぶりに扇町プールに立ち寄る。仙台出張の際に体の硬直を痛感させらる場面が何度もあったので、さすがにほぐす必要を感じた。水中ウォーキングを中心に。

【8774】

「酔麵」と「富士屋」

昨夜は爆睡&安眠。9時半過ぎに地下鉄広瀬通駅前のビジネスホテルをチェックアウトする。妻子へのお土産をゆっくり物色するために、帰りの新幹線を仙台駅13時31分発にしたので、それまでかなり時間がある。11時過ぎまでカフェ・ヴェローチェで翻訳作業を進める。

さて、昼食をどうするか?

実は地下鉄広瀬通駅周辺は飲食店がたいへん充実している。昨日の夜に訪れた「酔麵」のまぜそばと餃子が素晴らしかったので、再訪することも一瞬考えたが、結局「酔麵」から至近距離の「富士屋」(ミシュランガイド掲載店)の中華そばを試してみることに。

11時半から営業開始で、僕が店の前に到着したのは11時15分前後だったが、すでに5名が並んでいた。結局開店までに僕を含めて17名もの行列ができていた。さすが人気店である。メニューはラーメン類のみ。サイドメニューはいっさいなし。店内写真撮影禁止。

いやぁ、参った。激ウマ! こんなにうまいラーメン、数年に一度食べられるかどうかのレベルだ。ほのかな甘味すら覚える醤油ベースのスープが素晴らしい! 麺も大きな釜で泳がせて茹でるタイプで、調理技術も高い。接客も含め、パーフェクトだったと言ってよい。月~土の昼間のみの営業なので、ハードルは高いが、万障繰りあわせて来店する価値あり。

妻子へのお土産はこんな感じ。先月の仙台土産のうち、萩の月は不評で脱落。一口ずんだもちと黒糖まんじゅうは残留。そして、今回は牛タンをなしにして、その代わりに女川町の魚介類を(昨日発送済み)。

18時に京都の自宅へ戻る。

【6640】

東北部会エクスカーション(東日本大震災関連施設視察)

経済学史学会東北部会は、昨日の例会だけでも十分に参加意義のあるものだったが、2日目の今日、さらに特別なプログラムが用意されていた。東日本大震災関連施設を視察するエクスカーションである。東北部会や東北を拠点とする研究会は同様の企画をこれまで何度か実施しており、僕自身も大震災の翌年の2012年2月6日にその企画に混ぜてもらって、石巻市の被災状況を視察したことがある。

nakcazawa.hatenablog.com

昨日の出席者14名のうち6名がエクスカーションに参加した。今回は石巻市と女川町を訪れ、震災関連施設を視察した。具体的には、石巻南浜津波復興記念公園(写真1・2枚目)、石巻市立門脇小学校遺構(3・4枚目)、石巻市立大川小学校遺構(5・6枚目)、女川交番遺構(7枚目)である。

大川小学校(当時、全校児童108人)は、大津波が襲った時間に学校にいた児童78人・教員11名のうち児童74人・教員10名が死亡・行方不明になるという、近隣の小学校と比べて突出して大きな犠牲を出した。この際の学校の対応に過失があったとして、児童遺族による裁判も起こされた。

もしあの時、自分がこの小学校の先生だったら、児童たちを適切に指揮・誘導できたのか、まったく自信がない。教師のはしくれとして、背負っている責任の(普段あまり強く意識することのない)とんでもない大きさ・重さを思い知らされ、打ち震えるばかりだった。

他方、大震災で壊滅的な被害を受けた女川町は、今や「復興まちづくりの成功例」と呼ばれる。そのシンボルである商店街は活気にあふれ、多くの観光客で賑わっていたのを、この目で実際に確かめることができた。昼食は商店街内の「まぐろ屋 明神丸」で「まぐろ三色丼(特上)」(1800円)を味わった。激うまであった。

女川町が誇る海産物を僕だけが味わうわけにはいかないので、妻子の分をお土産として買って、クール宅急便で送った。

この日のうちに帰洛することも物理的には可能であった(と言ってもほぼ終電に乗ることになり、しかも京都駅から自宅まではタクシー以外の交通手段がない)が、体力温存その他の理由のために、私費でもう1泊する。

【13239】

経済学史学会東北部会@東北学院大

7時前起床。8時前に家を出て、京都駅へ。東海道と東北新幹線を乗り継いで、13時前に仙台駅に到着。途中、蔵王がとてもよく見えた。

仙台駅到着後、時間があまりなかったため、「そばの神田」で昼食をとる。驚くほど繁盛している。立ち食いなのに、若い女性の一人客がけっこう多い。

14時から経済学史学会東北部会に参加する。会場の東北学院大はコンパクトながらもたいへん美しいキャンパス。それにしてもこの自撮り写真、はめこみ写真みたいやな。首まわりについている余分なものも減らさないとなぁ・・・。

3本の研究報告を聴く。お目当てはIWMT先生(福島大)のジェームズ・ステュアートだったが、残り2本(ウェーバー、北海道の経済学)ともたいへん興味深い内容で、京都からはるばる参加した甲斐があった。仙台駅近くで懇親会(1次会・2次会)。元代表幹事のHTR先生(立教大)、『マルサス理論の歴史的形成』でご一緒したKKC先生(福島大)と久々に歓談できた。23時前に解散。

なぜかこの日の夜、仙台のビジネスホテルは超激混み。最終的には何とかなったが、手ごろな価格帯の部屋がなかなかゲットできず苦労した。東京から乗車した「はやぶさ」も満席だった。

【8577】