今日は8月7日。カラッと晴れた夏空でした。またもや一年ぶりの更新となってしまった。この1年間なにをしていたのか、と思い返ってみると、自分自身は何をやっていたわけでは無いけども、生活はだいぶ変わった。なぜなら、この夏に、なんと第一子を授かったのだ。7月9日に元気に産まれてきたのですよ。
ちゃんとご報告できてなかったり、お祝いのお言葉を頂いた方々にもちゃんと御礼もできておらず大変失礼しているのだけども、今日も我が子はお陰様でダバダバと元気でやっています。そして、何より、色々と今も頑張ってくれている伴侶に感謝しなくては、と思う毎日なのだ。

そんな中、今日は会社を休んで新宿へ行って来た。まぁ、大した用事ではなかったのだけど、久しぶりに新宿へ行ったのだ。新宿駅南口の工事ははどうなったかと気になって見に行ったけど、相変わらず工事中だった。もう10年以上も工事をしているようだけど、大聖堂でも建ててるのかね。用事をすませて新宿でお土産に宝クジを買って電車で帰宅中..。

..と、今駅に着いたので自転車に乗って家に帰るのだ。何にせよ、この先も温かく豊かな日々が訪れるといいな。では!

また更新が滞ってしまった。引っぱった挙句、特別なオチは無いけども。ひとまず、つづきを書こうと思う。シクロに乗って15分ほど、子供たちが居るというアパートが見えてきた。下の写真のアパートだ。
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ホントにそこに子供たちがいるか、半信半疑だったけども・・ホントにいた。ちょうどアパートの入口の前で子供たちが遊んでいたのですぐに分かった。子供たちは14,5人くらいはいたと思う。シクロがアパートの敷地に入った瞬間、「珍しい人たちが来た」と思われたらしく、子供たちは向こうからこちらへ駆け寄ってきた。なので、私は写真を見せて「むかし撮った写真だよ。この写真の子はいるかい?」と写真を子供たちに見せたのだけど、14枚の写真は子供たちが、見せて見せてと、すぐに全部持っていってしまった。下の写真のような様子だった。
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とにかく子供たちはおおはしゃぎで、ちょこまかと動きが早くて、どの子がこの前に写真を撮った子か、もう分からなかった。子供たちのテンションがどんどん上がってきた横目で、ここに安宿があると言っていたシクロのおっさんは一人でアパートの裏のほうへ歩いて行った。そしたら、おっさんが居なくなったことをいいことに子供たちはシクロをおもちゃにしはじめて、もうシクロは破壊されそうになっていた。そこに「おっさん」が戻ってきてさすがに「あわわっ・・」と。一帯はちょっとした騒ぎになってきてしまったので、「安宿はもういいから帰ろう。」と提案したらおっさんも納得して帰ることにした。シクロに群がっていた子供たちを引き離してなんとか、シクロでアパートから抜け出してきた。
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アパートから離れるにつれてだんだんと冷静になったけども、一体なんだったんだろうか。妙な体験だった・・。とにかく気付いたことは、以前来たときと状況はがらりと変わっていたということ。そして思ったことは、昔のまま時間が止まっている場所なんか無いんだと・・。全部その瞬間だけのできごとだから、自分は写真を撮ったんだった・・と。
(おわり)

しまった。また更新が滞ってしまった。
・・そうだ。フエの王宮のほとり。そこには痩せた「おじさん」がいたんだった。おじさんは英語がほとんど喋れなかったので、身振り手振りで、ここにいた子供たちは知らないかと聞いてみた。やりとりは概ねこんな感じだった。

私:「この子たちを知っていますか?」(写真を見せながら)
おじさん:「うん? あー、知っているよ。」
「この子達のうち二人を知っているよ。(写真を指差しながら)」
「今はココにはいないよ。あんたも見たろ。ここにはもうだれもいないんだ。」
「あっちのほうへ引っ越したんだ。」
「ワシはシクロ(自転車タクシー)をやっている。」
「あんたらをその子らがいるところへ連れて行くことができるよ。」
私:「やっぱり引越してたんですか?」
「じゃぁ、そこへ連れて行ってもらえますか?シクロ代いくらでしょうか。」
おじさん:「そうだな・・10万ドン(500円くらい)でどうだい?」
私:「OK。お願いします。」
おじさん:「ところで、あんたカメラもってるなら、ワシの写真も撮ってくれないか。
私:「あ、いいですよ。」(パチリっとおじさん:「では行こうか・・と、あんたら日本人だろ。宿は決まっているの?」
「ワシ、安い宿(cheap hotel)知ってるよ。」
私:「ああ、宿は決まってるから、この子たちがいる所まで送ってくれればいいよ。」
おじさん:「まぁ、まぁ。OK、OK。安宿(cheap hotel)!」
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こんな感じで、シクロに乗って出かけたんだった。面倒なことになりそうなので「安宿」は要らないと何度も言ったのだけど、おじさんは、その度、「cheap hotel!」といって親指を立ててにっこり笑うのだ。
・・大丈夫かね?と思いながら、シクロに乗ること約15分。ついにそこへたどり着いたのだった。
(つづく)

2年前に訪れたフエという都市。ここには昔、阮朝という王朝があり、今でもこの街の中心地には朽ち果てた王宮が残っているのだ。・・で、この王宮を囲む外堀の一角には小さな住居が並んでいて、そこで元気のいい子供たちと会ったんだった。私がカメラをとり出したのを見ると、子供たちは、はしゃいで喜んだので、写真を数枚撮ってあげたのだ。でも、あれだけ喜んでいて、撮ってもらった自分の写真がもらえないのは、さびしいんじゃないかという思いもあって、ついにプリントした写真を持って行ったのだ。子供は7人いて、写真は2カット、なので計14枚をプリントして持って行った。下の地図の場所だ。
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大きな地図で見る
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外堀に沿って、その場所まで行ってみたのだが・・以前訪れたその場所には・・もう誰もいなかったのだ。


上の写真は2011年(2年前)の写真で・・

下段の写真が今年訪れたまったく同じ場所だ。何があったのか・・「誰もいない」というか「何もない」状態となっていてびっくりした。当然、子供たちもいなかった。そして、その住居があった一角の手前には唯一、小屋のような住居が残っていて、そこにぽつんと痩せた「おじさん」がいたのだが、なんと・・。
(つづく)

ベトナムから帰ってきた。長かったような‥、短かったような‥と思い返していたけども、あっという間に全部過ぎ去ってしまったんだな‥。しかし、旅行中は、見たもの全部を記録しておきたい瞬間がいくつもあった。写真を撮っても、動画を撮っても足りないのだけど、そんな瞬間があってこそ「良い旅」と思うのだ。‥ところで、ベトナム中部のフエでは、子供たちに写真を渡しに行った。訪れたのは3軒。そのうち2軒では喜んでもらえたと思うのだが、1軒は予想もしていない展開となった。また記事に書こうと思う。
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写真は帰国前に寄ったホテルのバーから見えた夜景。ここに戻ってくることは多分もう無いんだろうねぇ。と言いながら、伴侶とおいしいお酒を飲んだ。

今日はベトナムで子供たちに渡す写真をプリントした。人に渡すとなると、プリント作業はいつもより慎重になる。印画紙はフジの光沢紙を選んだ。ベトナム人はマットよりも光沢の方が好きだろうと思い込んで、光沢にした。「フジ Pro-G」という印画紙だ。マット紙よりも自然な発色となり、プリントしやすかった。思ったよりもコントラストは低めで落ち着いた色が出るので今後も使おうかと思う。
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プリントには自分のサインも密かに入れておいた。きっと数億円の価値が出ることでしょう。

密かに禁煙しているのだ。もう一ヶ月近くなるかな。
別にまた吸いたいとは思わないので、一応禁煙成功だろうと思う。
写真は藤が丘に住んでいた頃に友人にもらった灰皿だ。
何年も使っていた灰皿なのだ。
ひひひ。
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