徳を積む

 近頃の私は善い行いを多く行っている。もし私の全てを知る人がいたら私のことを「良い人」と称してくれるだろう。自分で言うのも変な話だが。

 もし神様がいて私のことを見ていたとしたら必ず褒めてくれるだろうし、死後の天国行きを約束してくれるに違いない。ここ数カ月の私はそれほどの善行をいくつも行ってきた。ただしかし、私の善行を全て知っている者はいない。他人に話すといっても今この場でブログに書いている程度だ。私の全ての善行を知っている者は一人もいない。

 なんだか空しくなることもあるのだが、私はこう思うことにしている。私は徳を積んでいるのだと。決して見返りはない。誰も褒めてくれないし何の報酬もない。これはそういうものだと。

 そもそもが、何がしかの報酬があったとしたら、それは仕事だ。労働や行為の対価として利益を得ていることになる。そうだ、私は徳を積んでいるのだ。そう思って納得することにしよう。。

別の道

 老後が間近に迫ってくると「もし違う道を選んでたらどうだったんだろう?」というようなことをよく考える。これはもともと私がつまらないことをあれこれ考える性質で、またいつもの如く考えてもどうにもならない事を考えているのだろうと思っていた。 しかし学生時代の友人に会って話してみるとどうやらそれは私だけではなく、私程度の年齢の男は(もしかしたら女も)誰もが考えることのようだ。

 友人の職業は小児科医なのであるが「もし違う科を・・・」「もし違う職業を・・・」「もし受験の時、文系を選んでいたら・・・」 等、延々と詮なきことを言い始め思わず苦笑いしてしまった。

 どうやらこれは、この年代特有の病のようだ。。

大嫌いで愛してやまない作家

 私が大嫌いで心底軽蔑していて見るも汚らわしいと思うほど嫌悪しながらも愛してやまなかった作家が逝ってしまった。氏とは共通点が多いし生まれ年も同じなので氏が書いた物の時代背景やその匂いを上手く感じ取ることが出来たという点も大きい。

 Yoyubeで氏の動画を検索していると、同じく大嫌いで忌避感すら感じている ホリエモン も氏の愛読者であることを知った。もちろん2人とも私とは比べ物にならない大人物であるが人間としての下劣な面においては共通点が多い。

 また 西村賢太氏 の本を読み返してみよう。氏が好んで飲んだ甲類焼酎を飲みながら。甲類焼酎、これもまた酔う為だけに飲む最も低俗なサケだ。味は最低だが手っ取り早く、そしてなにより安く酔わせてくれる。

 

 

 

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