チェコを代表する映像作家カレル・ゼマンの遺作となった切り絵アニメーション。
 美しい妖精マジェンカの元へ行くための翼を得ようと我が身を悪魔に売り渡す少年ホンジークと、ホンジークのために妖精の身を捨て人間となったマジェンカの愛を綴ったファンタジー
 チェコ映画と言うと、ヤン・シュヴァンクマイエルに代表されるような、とかく黒い作品を連想される方が多いかもしれないが、ゼマン作品はどれも毒が比較的薄く(と言ってもまだ4作しか見ておりませんが)、その中でも本作は最も毒気が少なく、詩情に満ちた美しい御伽噺の世界を心地良く感じさせてくれる。そんな作品の美しさをより際立たせているのが、全編を通して流れる牧歌的な音楽の数々で、特にマジェンカがホンジークへの思いを吐露する歌は、歌声の美しさと純粋極まる歌詞にうっとりとそして物悲しい気持ちにさせられる。
 毒気が少ないと書いたが全く皆無という訳ではなく、ホンジークを悪魔に変えてしまうのは生まれた時から連れ添っている3人の小人の内の1人で、ホンジークが決断を迫られる様々な場面で悪を象徴する小人が善行を奨励する小人と争ったり、最後には悪の小人も人間に戻ったホンジークの元に戻っている辺り、単純明快な勧善懲悪物語の範疇に当て嵌めていないのも良い所。
 前作の『クラバート』と一緒に是非とも御覧頂きたい。

幻想の魔術師 カレル・ゼマン 「クラバート」 短編 「クリスマスの夢」 [DVD]

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お久しぶり


 放置するにも程がありますね。放置理由は主にmixiに移ったとか、ミンサガでバーバラと海賊シルバーの技コンプリートに勤しんでいたからという訳ではないですよ。多分。ところで全主人公コンプリートしたのに一度もファイナルレターを閃いたことがないのですが仕様ですか?そういやロマサガ3でも全く閃かなかったような…

 前にも言ったような気がするが、昨年公開されたリメイク版『ドーン・オブ・ザ・デッド』が嫌いだ。ゾンビ発生により大パニックに陥る街を最後には俯瞰で捉えるオープニングには大興奮だったが、40分ほど経過した頃にはキーキー騒ぐだけの登場人物に辟易し、「出しとけば喜ぶんだろ」的な扱いのショッピングモールを醒めた目で眺め、終盤の装甲車に群がるゾンビの映像を「MTVやりたいのなら別のとこでやれよ」と思いながら見ていた。色々な方向にアプローチをかけることが出来るゾンビという題材をただのパニック映画に堕しているようで腹立たしかったのだ。
 その点、今回は長く待ち望まれていた本家の新作である。またアイロニーに満ちたグロくもユーモラスな映画が展開されるのだろう。「ゾンビの存在が日常となった世界で要塞都市を築き、富める者は超高層ビルの中で贅沢を享受し、貧しいものはスラム街で貧困に喘いでいる」という設定を聞いただけで「9.11」やら格差社会といった言葉が浮かび上がりニヤニヤしながら公開を待った。
 そんな大きすぎる期待の中で見に行った本作。正義漢とは言えないどこか外れたヒーロー達、捕獲したゾンビを射撃の的や見世物に使う人間の悪趣味な一面など従来のロメロらしさは健在なのだが、同時に今までとは少し違った要素も見受けられた。
 首が外れていて安心と思ったら皮一枚で繋がっていて噛み付くゾンビさんや皆で仲良く川を渡るゾンビ様ご一行。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でマクフライ君が行っていた「おい!アレは何だ!」作戦を実践して一人逃亡を試みるホッパーさん。ゾンビの注意を逸らす為に使われるのは打ち上げ花火。「これはひょっとしてギャグなのか」と思うこと多数。ゾンビの恐怖という観点から映画を見ると失敗作と思われるかもしれない。
 だが私にはこれらの試みは、ロメロ自身による「脱ロメロ的ゾンビ映画」への挑戦だと感じられた。同時に30年以上も自作のエピゴーネン的作品が作られ続けたことに対する遠回しな怒りも感じた。「お前ら、いい加減に俺の真似やめろ。バカ!」みたいなね。その一方でリメイク『ドーン〜』を思い出させる装甲車*1が出ていたり、ダリオ・アルジェント娘のアーシア・アルジェントの格好が映画版『バイオハザード』みたいだったり、前述した川を渡るゾンビはルチオ・フルチだし、ゾンビと戯れる人達は『ショーン・オブ・ザ・デッド』…という風に随所でパクリ返しのようなことを行っているのがまたロメロの遠回しなメッセージなのではと穿った勘繰りをせずにはいられない。
 最後に、物語のラストで主人公達は、道具を扱うまでに進化するも行く当てなく彷徨い続けるゾンビ集団を、「俺達と同じだ」と言い残して立ち去るのだが、ここに社会派監督としてのロメロの顔が強く現れていると感じた。明確な敵意を持ってる以上、共生は不可能だが本質的には同じである。アメリカ人とテロリスト間の解決できない矛盾に対する苦悩が見えてくる。ロメロ自身の考えは、そんな誰でも思い至る陳腐なものではなく、もっと大きいものかもしれないが。

*1:実は本作のプロダクションデザイナーは『ドーン〜』でアートディレクターを務めている

何の因果か


 これからハガレン映画を見に行くことになった。漫画は7巻くらいまでしか読んでいないうえに、記憶もほとんど残っていない。アニメの方は一度も観たことがない。そしてアニメは途中から漫画とは全く別の話になっており、しかも映画はTVシリーズの完結編となっているらしい。きっと理解できないで終わるだろうね。しかしそれはそれでロマンシングな経験になる…といいな。本当は『ヒトラー〜最期の12日間』を見たかったのだけど、体力と時間の都合で難しく、「ナチの影をちらつかせているらしいから似たようなものと捉えていいか」と妥協した訳では決してない。ホントだよ。読売新聞アニオタ夕刊に掲載されていた「アニメで訴える非戦」という記事が実に興味深かったからというのがホントのところ。今度は嘘じゃないっす。

地球は危険だ!火星に帰れ!


 『ヒトラー〜最期の12日間』を上映している新宿武蔵野館に着いた時は既に満席だった。そうだ忘れていた。この映画館は狭い上に見づらいんだった。しかも映画の日で夏休み。ちょっと考えればわかることだ。反省。せっかく来たのに帰るのも癪だし、かと言ってわざわざ別の場所まで移動しては交通費で映画1000円のメリットがなくなるので、新宿でやっているもので適当なものを見ることに。最初に目に入ったのは『バットマン・ビギンズ』の映画館。時間はちょうど始まろうかというところ。しかしそこには苦い思い出が。以前『東京ゴッドファーザーズ』を見た客席が100あるか疑わしい箱詰め劇場ではないか。しかも混んでるらしいと聞いて退散。うだるような暑さの中、伊勢丹のほうへ歩いていくとまた新しい映画館発見。上映スケジュールを見ると『フライ・ダディ・フライ』が10分ほど前に始まったとあるではないか。「どうせ最初の10分くらいは予告だろうから大丈夫だろ」と高を括って尋ねてみると、既に本編が始まってるとのこと。ガッデム。そろそろ歩くのも嫌になってきたので、最大限に妥協してちょうど始まろうとしている『宇宙戦争』の券を買った。冒頭は『2001年宇宙の旅』のオマージュっぽい映像。少し期待。しかしストーリーは「ビグザムが量産の暁には地球などあっという間に蹴散らしてくれるわ」にトム様ダディの親子関係修復を絡めたもの。目新しいところはありません。別にそれはいい。映画は物語で語られるべきものじゃないと思っているからね。だけどだけど、それにしたってオリジナルとまったく同じオチはないんじゃない?地球人が文明を築く前から侵略を計画していたのに環境への適応性を全く考えていないんですか。大した知的生命体であらっしゃいますことで。21世紀初頭の人類は予想もしなかっただろう。こんなオチの脚本が許されると思っている脚本家が未だ存在するなんて。笑えない『フォーガットン』或いは『インディペンデンス・デイ』。バイバイ、スピルバーグ。もう帰ってこないでいいよ。
 新宿でなく渋谷であれば、他にもいろいろ選択肢があったからこのような対戦車地雷を踏まずに済んだのに。いや渋谷まで行かずとも、あと30メートルほど歩けば大怪獣ヤギラの『星になった少年』をやっていたのだ。教訓。多少手間をかけてでも映画はじっくり吟味して選びましょう。

7月映画まとめ


 全く感想を書いていないが数だけは結構見ているのでとりあえず列挙してみようという生産性のない記述。

 以上。…ってあれ?大して見ていないぞ。DVDで多く見てた訳でもないのに、この勘違いは一体?一本一本が実に深い印象を残す映画だったからだからだろうか(オープンウォーターは除く)。どれももう一回、『埋もれ木』に至っては3回目を見ようかと思える映画だったからなぁ(エピソード3はさすがに1回で十分。オープンは論外)。それとも映画以外にもバレエや花火見に行ったりとイベント盛りだくさんだったため、普段映画くらいしか見る用事がない我が脳と体は錯覚を起こしてしまったのだろうか。真相がどうあれ、この程度の量なら「数が溜まってる」と思い躊躇していた感想も書けそうな気がしま…しま…し…文章を書くモチベーションがないorz 全然知らなかったけど、2週間以上も前にコミックバトンを頂いてたらしいので、そちらと合わせて書きたいところだけど、きょ、今日は『ヒトラー〜最期の12日間』を見ようと思っているので、その内にね…(ダメパターン)

パーランマウム


 2時間ほど前からずっと流していたのだが、何度も聞いていると映画の中で披露したカヴァー曲よりも、このCDでしか聞けないオリジナル*1の方が良く思えてきた。特にTrack4「蒼い心」とTrack5の「ビーズ細工」。音の迫力が増しているような。どうしたことだろうと歌詞カードをよく見てみるとTrack4-6には香椎由宇前田亜季関根史織の3人の名前がなくプロの人が*2演奏してるではないか。もしかしてそのせいなのだろうか。楽器が全く弾けないので演奏が段違いに上手くなってるのか、ただの気のせいなのか判断がつかない。生演奏ならまだしもCDだし。どちらにしろ、パーランマウム名義で出しておきながら、あの4人そのままの編成でやってくれなかったのは残念。拙くても良いから映画の4人でのパーランマウムを聞きたいのだ。唯一残っているヴォーカルのぺ・ドゥナはどうしたことか日本語が上手くなっているように感じる。これは喜ばしいことのような気がするが、あのたどたどしさがやっぱり良いような複雑な気持ち。

*1:サントラには収録されていません

*2:関根史織は音楽が本業だが