更新状況

blogなのに更新したものを下に表示させたいので、日付をめちゃくちゃにつけています。blogのシステムじゃない方がいい気がしますが、もうコレで書いてしまっているので、コレで行きます。

07/6/18 「NHA CHANG [ニャチャン]」
07/7/16 「ニャチャンのクソ暑い午後と足の不自由な絵描きの青年」

をものすごく久しぶりにアップいたしました。

はじめに

kickboardってなんだっけ?なんて方もいらっしゃるかもしれません。およそ6年ほど前、社会現象にまでなった自転車とスケボーを足して2で割ったような乗り物です。私自身はその頃大学院で建築と都市計画を研究しており、これは都市生活者の移動の定義を変えるかもしれない、と即購入いたしました。当時価格は2万円程度。今では4000円ぐらいで買えるでしょうか。折りたたみ可能なムーバブルモビリティーの最も軽量・かつ手軽なものでした。この特徴は今でも当てはまって、これよりコンパクトで軽量な移動手段は未だ存在しないのではないでしょうか。
これをベトナムに持っていこう、と思いました。
私自身、ベトナムは初めての旅で、(というか一人で外国に旅に出たことすらありませんでした)入ってくる情報は「スリが多い」とか「ぼられるらしい」とか、かなりネガティブなモノばかりで、ものすごく警戒していました。だから、なるべくぼられる心配のないよう、タクシーにもバイクタクシーにも乗らないで自由に移動が出来て、盗難の危険がないように折りたたんで建物内に持ち込める「kickboard」はまさにピッタリだ、と思ったのです。そして、やっぱり、ピッタリだったのです。
これがkickboardです

HCMC(ホーチミンシティー)もしくはサイゴンに

2005/11/4

ベトナムは二つの大きな都市があって、南に商業の中心「ホーチミン」、北に首都である「ハノイ」から成り立っています。日本でいえばホーチミンは大阪、ハノイは東京、といったところでしょうか。その商業の中心ホーチミンから旅は始まります。どちらからスタートしても良かったのですが、日本でのリサーチの時にどうもハノイの方が穏やかで居心地がよさそうだったので、遅れはあまり許されない日程ゆえ、早めにホーチミンを出て、何事もなければハノイでゆっくりしようか、という魂胆がありました。
10:00成田発のベトナムエアーに乗り込み正味4時間のフライト。時差の関係で16:00着となりますが、以外に近くてびっくりです。ぼくはガイドブックに友人から薦められた「ロンリープラネット(日本語版)」を持っていったのですが、そこには飛行機内で記入する入国審査用の書類の書きかたなんていう初歩的なモノなど載っておらず、これはどういう意味だろうか、とおろおろしちゃいましたよ。みなさん注意してくださいね。(笑)
特に問題もなくホーチミンティーに到着。空港自体はホントかよと思ってしまうほどシンプルで簡素。Kickboardは預け荷物の方につっ込んでいますが、特に問題はありませんでした。両替を済ませてコンパクトな空港を出るとたくさんの人たちが待ち受けています。そしてねっとりとしたあの空気。あー、コレがベトナムか、と。そしてそのたくさんの人の中でぼくの名前のカードを持った人を発見。そうです、びびって日本から初日のホテルと空港からのピックアップをお願いしていました。大警戒です。ヨワッチイです。でも初日からぼられたり変なところに連れて行かれたりしたら旅の始まりとして最悪じゃないですか、だから無理はしませんでした。
泊まるホテルは KIM HOTEL というファングラオ地域にある安ホテルです。日本からも直接予約も可能で、VIETNAM GO というベトナム旅行者には欠かせない掲示板でも評判が良かったのでそこに決定しました。
KIM HOTEL http://www.kimhotel.com
Vietnam GO http://www.vietnam-go.com
そのKIMHOTELの送迎タクシーは韓国製のKIAというメーカーのかなり古い車でした。異常に大きなボリュームで最新ヒットを(知りませんが)流しながら、クラクションを鳴らしまくりながら中心市街地へ向かって行っているようです。
ラクションには常に手を
こんなところを通るのかよ、何てこともありましたが、騙されずに無事ホテルに到着。
KimHotelの室内
とりあえず荷物を置いてkickboardを組み立て、辺りを流してみる事に。最初は「ここに行ってみよう」と思ってガイドブック片手にやっていたんですけど、すると「モータバイッ?」ってバイクタクシー屋が声をかけてくるので、面倒くさくて止めちゃいました。方角と遠くに見える目標になる建物だけを確認しながら一日目は適当に走ることに決めました。そしたらふっと楽になって、別に「ココに行かなくっちゃ!」なんてものはそういやなかったんだねぇ、と。すると俄然楽しい。街を人をバイクを見るようになって、あっという間に馴染んでいくような感覚でした。それもkickboardのおかげ。
カブの集団に信号で混じる
ホーチミンではkickboardっていう乗り物を見たことがないらしく、抜いていくバイクはほぼ全員ぼくを見ていきます。なかなかきもちいい。女の子に携帯のカメラで写真を撮られたりも。はは。なんか人気者になった感覚でした。この時にはもう大分力も抜けてきて、店先で座ってるおじさんが指差してニコリと笑うと手を振る余裕も出てきました。この日は本屋さんで地図を買ったのと、ベトナムエアーのオフィスで帰りのチケットのリコンファームをしたぐらい。後はひたすら走りながら街と人を眺めていました。

HCMC2日目 その1

2005/11/5
前日は身体の中心から出る今までにない興奮からか、ホテルに戻ってビールを一本[8000d=64円]飲むと泥のように眠りました。ほんとうに泥のように。そのためか朝は7時に目覚ましをセットするも、6時に起床。駆け足のベトナム縦断なので、ホーチミンもこの日で最後。道端で地図なんて見ようものなら、怒涛の客引きに合うことが予想されたので、ホテルで地図をギュッと読み込みます。今日のメインはベンダイン市場・ドンコイ・グエンフエ通り周辺を中心に、恐怖のお土産も考慮しつつ回ってみる作戦に。まずは初日から屋台というチャレンジをしてしまって、「うまい」と噂されていたベトナム料理が不発に終わったので、ガイドブックにも載っているPho2000(フォー2000)という比較的キレイめなフォー屋さんに行くことにします。
確かに清潔なファーストフード店のような店構え。メニューもしっかりあるし、英語表記もちゃんとあります。そこでフォーボー(牛肉のフォー)[18000d=140円]と小豆の入った飲み物[8000d=64円](チェかと思ったら本当の小豆ジュースでした、甘くて失敗)を注文。ライムを搾ってさっぱりいただきます。店員もしっかり働いている感があってよかったのですが、あまりにも店員が多い。賃金が安く設定されているからなのか、店のイメージを上げる為にしていることなのか、他店舗への無言の意地の張り合いなのかはよくわかりませんでしたが、ホテルやショップ、その他いろんなところで思ったことでした。その後はベンタイン市場なんかにも寄ってみましたが、まだほとんどの店が陳列しているところ。またあてもなくぐるぐると街を走り回ることにします。
そこで見かけた建設現場。建築の設計を生業としているものとして、やっぱり気になります。今まさに旬な「姉歯」じゃないですけど、こちらの建築にはかなり恐怖を感じます。元々が地震の少ない土地柄なのか、はっきりいって柱が細すぎます。びっくりするぐらい。梁もかなり少ないし、スラブも薄い。ぼくが泊まっているホテルなんかもっとチャチいんだろうな、と思ったら恐怖で眠れなくなりそうです。(ばっちり寝ていましたが)
木造のようなRCのビル
しばらく何枚か写真を撮っていたら、現場の兄ちゃんがチラチラとkickboardを見るので、乗るか?と話しかけると、恥ずかしそうに頷いて、初レンタル。ココからぼくのベトナムの旅がゴトリと動き始めるのです。
初レンタルkickboard

HCMC2日目 その2

2005/11/5
危険な建築現場を離れ、また街の中に。お土産のことも考えなければならないので、いくつかのいかにもお土産屋さんというお店に入ります。そこで改めて思ったことがあります。それはベトナムという国は「果てしなく安っぽいものが、バカみたいな安い値段で売買されている」という事実。ちょっとでもまともなものを手軽(くまなく探せばいいものも絶対にあります、旅の後半で漸く見つかりましたが)に見つけようとするならば、るるぶやらのガイドブックに載っている、日本人が押し寄せる「お土産屋さん」に行くのが手っ取り早い。ただ、そこで売っているものは、まともなものもいくつかありますが、これなら日本で買ってもいいかな、というものばかり。更に値段も相当に高い。(ベトナムの物価からすると、ということですが)これからハノイまでの長旅を考えるとどうしても購入に踏み切れませんでした。これは、結果的に正解だったわけですが。
お土産探しにも疲れてしまって、ハノイがある!と問題を先送りにして、ホーチミンから大体5kmぐらい離れた「チョロン」という中国系の人が多く住むエリアにある市場に足を伸ばすことにしました。もちろん足はkickboard。道はわかりやすく、この道をまーっすぐ行けば、近くに市場がある、その辺はまあ行けばわかるだろう、と思っていました。比較的広いどこまでも真っ直ぐな道を、カブに混じりながら、数多くの視線を浴びながら、進みます。
東京の街というのは、たとえば新宿のような高層ビルが立ち並ぶ中心地があって、その周りは徐々に建物の高さも低くなり、住宅街も増えてくる、というような、とてもわかりやすいスプロールがあると思います。しかし、ベトナムはいくら進んでも道沿いには相変わらず商店が延々と続き、人口密度もカブの量もほとんど変わらず、ということがKickしながらわかってきます。しかし、街の看板が漢字で書かれたモノが増えてくることで、徐々にチョロンに近づいていることだけは地図を見なくともわかりました。そして、それと同時に何かわからないのですが、身体の内部から「ココハ ナントナク キケンデス」という信号が発せられていることに気づきます。まーっすぐの道がT字路になり、そこを左に曲がったとあるベンチに座って、タバコを一本吸ったとき、「ああ、一人だなぁ」と初めて思いました。空港を出た時ではなくって、チョロンのどこだかわからないこの場所で。空港やホーチミンでは観光客として僕を見る目がありましたし、日本人もたまに見かけることもありました。そういうことはなんだか少し煩わしい事だ、なんていう生意気な思いがあったのに、いざそういう場所に立ってみると、怒涛の孤独感。そして何よりも僕が今立っているこの場所がどこかわからない、というクラクラする緊張感。道はほとんど一本道で、どれぐらい走ってきたかということもわかります。帰ろうと思えば、なんの苦労もなく帰れることはわかっているし、目的の市場にはもうすぐだとは思ったのですが、来た道を引き返すことにしました。こんなところで夜になったらたまったもんじゃない。 怒涛の孤独とクラクラする緊張感
ただ、街の大きさ、雰囲気を感じられたのは非常によかったです。疲れてはいましたが、帰り道のかなりスピードは出ていたと思います。チョロンのエリアを抜けると、キケンシグナルは徐々に小さくなっていきました。後で知ったのですが、「チョロン」というエリアは地元の在住の人でも少し緊張するエリアだったようです。第六感ともいうべき感覚が僕にもあるんだなぁと後から少し感動したのと、無事でよかったなぁ、と。
行きに来た道を戻っているので、徐々に落ち着きを取り戻してきました。その時ちょうどその時に道端から「おーい」と呼ぶ声がありました。道の角でコーヒーを飲んでいる子供連れの夫婦が僕を呼びとめ「コーヒーでも飲んで行け」と。(このことがわかるまで指差し会話帳での長いやり取りがもちろんあった訳ですが)僕が席に座ると、周りからぞろぞろと人が集まりだし、子供達はkickboardを仲良く乗り回し、指差し会話帳に載っている発音の悪いベトナム語を僕がしゃべると、みんなどっと笑い、少し甘いコーヒーが疲れた僕の身体と心に染み渡りました。
ふぅと一息
小一時間ほど話していると(話すというのには少し語弊があるかもしれませんが)雨が降り出してきました。そうすると、目の前を通るバスを指差し、「アレに乗って行け」と。確かにバスにはホーチミンと書いてありました。「よし、次はバスに乗ってみよう」ということでkickboardを折りたたみ、バスに乗り込みました。
バスの中から
カブに混じりながら、雨の中あっという間にベンタイン市場の前にあるバスターミナルに到着。[4000d=32円] そうそうこれがやりたかったんだなぁと気分を良くしながら、ホテルの近くの目星をつけておいた貝が山積みになった屋台でサイゴンビールをのみます。[6000d=48円] 右隣に座る静かに本を読みながら飲む兄ちゃんからパパイヤを貰い、左隣に座った30過ぎのお姉ちゃんからアヒルの孵化する前の食べかけのゆで卵を貰い。
食べかけのアヒルの卵
そうやって最後のホーチミンの一日が終わっていきました。

ムイネーという街について

オンボロバスは何とか、お昼過ぎにムイネーの安リゾートホテルに到着します。ホテルの従業員らしき人たちが、「ここは$5だ」としきりに客引きをしていました。バスの欧米人はほぼ、そこに泊まるようでした。ここでも事前に日本で調べておいたおすすめホテル[hau ai]へkickboardを組み立て出発。ハンドルに荷物をかけることで、重い荷物もへっちゃらです。ブッキングオフィスからはkickでものの3分ぐらい。道から見えるホテルの雰囲気はどうもしっくりきませんでしたが、中に入ると掃除もよく手が行き届いていて、真ん中にはプール。それを囲むようにかわいい小さなコテージが並んでいました。

僕のコテージ
奥にはプライベートビーチ。交渉の末、エアコンなし、朝ごはん込みで$15ということに。僕なりの精一杯のリッチでした。ただ、宿泊客は僕一人でした。これが何よりの贅沢でした。
まずは荷物をおいて、ホテルから3kmほど離れたムイネー湾にkickで向かうことにします。ムイネーという街は、元々漁港として栄えた街のようで、そこから少し離れた海沿いにいわゆる高級リゾートが建設され、そのスキマに僕が泊まったような少しランクの下がるリゾートがある、というような構成になっていました。僕の泊まったhau ai hotelはリゾートエリアの漁港よりの端に位置していて、ムイネー湾・漁港に出るにはもってこいのところにありました。整備された海沿いの一本道を進むと、奥に色とりどりの船と、大きなザルのようなお碗形の舟がびっしりと湾内に留まっていて、キラキラと輝く海に青い空とあいまって息をのむ様な景色が広がっていました。
ムイネーの街へ続く一本道
ムイネー湾
しばらく進むと商店が連なる街が現れ、そこがムイネーの中心市街地。更に進むとムイネー湾の港に出ました。港といっても別に岸壁があるわけでもなくただの海岸なのですが、そこではイカが水揚げされていて、その海岸で売買が行われているようでした。海からは思いのほかカラリとした風が吹いているし、HCMCに比べてとてもゆったりとした時間の流れの中で、ギラギラの太陽でしたが、とても気持ちがいい。
港に出た
水揚げしています
その港を一通り見た後、細い道を入って中心市街地のほうに向かってみます。細い路地をくにゃくにゃと歩き回るうち、道端にチェの屋台を見つけました。明らかに観光客なんて来ない場所だったし、ニコニコと人なつっこく笑う顔につい立ち寄りました。すると子供達が僕のkickboard目当てに集まりだし、おばちゃんはアヒル卵(もちろん孵化寸前のやつ)食え、と騒ぎ出すし、笑いに包まれながら何故か温かいチェ[1000d=8円]を飲みながらアヒルの卵[1000d=8円]を食べていました。このままずっといるとずっといることになりそう(笑)だったので出発。更に街中を目指します。
道端のチェ屋さん
次はおれだ、と
さっきの温かいチェが口の中でどうにもたまらなくなり、うどんみたいな食べ物を食べさせる屋台に。ちょっぴりピリッとしたちょっとのびたうどん[2000d=16円]を食べながら、また周りの人に囲まれて、kickをお調子者のおっちゃんが乗り回して転んでみんなで大笑いしたり、デジカメで写真を撮ってあげると、恥ずかしそうに笑ったり、ああ、ムイネー来てよかったなぁと心から思った瞬間でした。しかし、物価がこうも違うものか、と思うぐらい安く、また、観光客目当てのある種ギラギラとした視線ではなく、変な乗り物に乗った変なやつ、という視線が、心地よかった。
うどんみたいな食べ物、16円
集まってきた子供達
Kickに乗る人を見る人たち
多分、ムイネーにくる観光客というのは、基本的に欧米人であくまでリゾートを楽しみに来ている訳で、僕がうどんを食べている横を欧米人が運転するすごいスピードのジープが走り去って行ったことがあったけど、端的に表すと、そういうことなんだろうな、と納得してしまいました。別にベトナムじゃなくっても良かったんです、きっと彼らには。
「ハワイもオーストラリアもフロリダももう全部行っちゃったから、じゃあベトナムにでも。」
ホテルに戻って、洗濯をして一息つくと、誰もいないプールに入ってみることにしました。僕しか泊まってないから、どこを泳いでもいいし、どこに座ってもいいし。1時間ほど泳いでは休んでを繰り返し、シャワーを浴びてビーチへ。基本的に海は砂が多く混じっているのか、水自体はにごっていてきれいではないのですが、椅子に寝そべって、ビールを一本開けながら海を眺めると、もう何にもいらない。本も読もうと思って持ってきたのですが、わざわざこんなところに来て、「経済学入門」なんて読む気にならない(笑)ゆっくりと時間は流れ、夕食を食べることにしました。ホテルの中の海際に建つレストランは、客僕1人に対して、店員は15人ぐらいいたでしょうか、ビール[8000d=64円]とえびのフリッター[40000d=320円]を注文し、ゆっくり食べました。3日目にしてベトナムの空気にドロリと混じっていくような感覚がありました。
海沿いのレストラン
コテージに戻って寝る準備。さすがにエアコンなしは暑い。そして、窓を開けるとものすごい蚊が。コレには参りました。ベッドに蚊帳が張ってあった意味が漸くわかりました。ただ、少しのスキマもなく、ベッドにもぐりこむのは至難の業。どこからか絶対に蚊が侵入してきます。かといって窓を閉めたら大変なことになります。やむを得ずシーツにすっぽり包まって暑い!と思いながら、でも、いつの間にか結構疲れていたのでしょう、あっという間に眠りにつきました。

ムイネーにオープンバスで。

2005/11/6

前日に手配したホーチミン>フエのオープンバス[AnPhu Tourist $15]で、ついにホーチミンを朝、出発します。目的地は海沿いのリゾート、ムイネー。別にリゾートに興味はなかったのですが、沢木耕太郎の「一号線を北上せよ」の中に出てくる「ムイネー」という土地に、どこか惹かれるところがあった、ただそれだけでした。
ヒュンダイ製のぼろいバス(そんなに古くはないのだけれど、ガタがきている感じ)はゆっくりとツアーのブッキングオフィスを出発します。ただ、出発といってもファングラオの安宿を順繰りに止まっては乗り込みを繰り返し、結局本格的に出発したのがそれから一時間後。しかし、さすがにバスは速くて、kickboardではどこまでもフラットだと思っていたホーチミンもあっという間に郊外な雰囲気に変わり、所々で工事中の巨大マンションとその宣伝看板が立つ、日本のそれと通じるところがあるような風景が広がっていました。ただ、道にはカブ。そしてそのすぐ横には未舗装の赤茶けた道があり、それに寄り添うようにトタンで出来た粗末な家があったりします。同乗している白人の人たちは、iPodで音楽を聴きながら、眠りこけていますが、ぼくは飽きることなくひたすら外を眺め続けていました。
建設中のマンション