歌舞伎座『白鸚二十七回忌追善 二月大歌舞伎 夜の部』

今日は歌舞伎座に『白鸚二十七回忌追善 二月大歌舞伎 夜の部』を観に行きました。松緑の口跡のよさに感心しました。親譲りですね。先代辰之助の舞台は一回しか見ていないのですが口跡のよさが深く印象に残っています。肝心の幸四郎の声はちょっとかすれていた。染五郎の鏡獅子は前半の踊りは素晴らしく美しかったが、後半の獅子の精は今ひとつ。1,2年前に見た勘三郎と比べてしまう。胡蝶二人はとても可愛く美しかった。

メール事件で得をした者

事態を収拾するためには辞任も止むを得ないのだろうが、そのために、武部幹事長への資金提供を支持する偽造メールの「仲介者」の証人喚問が立ち消えになってしまったのは実に残念である。誰が何のためにこのような稚拙な偽造メールによる陰謀をたくらんだのか。

得をしたのは誰かを考えてみる。
いわゆる4点セット、「ライブドア」、「耐震偽装」、「米国産牛肉輸入」、「官製談合」の追究が立ち消えになってしまった。それによって誰が得をしたか。
得をしたのは、小泉首相武部幹事長ヒューザーおよび建築業界と所轄の国土交通省、そして官製談合に関係した業界、役所、政治家。

この中で、武部本人の可能性は低いように思う。武部は何らかの形で堀江側から資金提供(合法非合法は別として)受けていたことは間違いないはずで、メールが最初に出てきたときにいかにも自信無げなそぶりを見せていたし、これがきっかけになって本当に何かが出てくる可能性も考えると、そんな危ない橋を渡るとは考えにくい。

 一方、マンション建設業界と関連政治家は、偽造がばれてもばれなくても関心をそらせられるという意味で、どちらに転んでも得。

 小泉も、自分の陣営にいた人物(田中真紀子鈴木宗男など)をスキャンダルによる失脚に追い込んで自分の政治的危機をしのぐという手をたびたびとってきており、武部の失脚も平然と利用するであろうと考えられるので、資格十分。

 官製談合は、巨額の利権が隠れており、表にまったく出てきていない利害関係者がプロットを作った可能性がある。

 これに比べると牛肉問題は、偶発的トラブルで特に深い利権は関わっていないと思われる。
この偽造メールの真相を明らかにすることは、現在の政治の闇を明らかにする上で重要だし、これで甚大な打撃を受けた民主党が先頭に立って解明を進めるべきである。

物乞い

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50026176.html:なぜ日本のホームレスは乞食にならないのか?

ホームレスに限らず、日本には乞食が本当に少ない。最後に乞食に出逢ったのはいつのことだろう。

私は、これを必ずしも日本の美点とばかりは見ていない。裏を返すと人の助けを乞うのが下手だということだからだ。

 問題を共有するのが下手という表現には頷かされます。「問題」は誰かの落ち度ということになり、問題の解決ではなく責任の追及(あるいはもみ消し)に向かうのが、われわれの性向のように思います。

私も、昭和40年ごろまでは上野や浅草で傷痍軍人の身なりをした物乞いがいたことを幼心にはっきり覚えておりますが、1970年代以降は物乞いを見かけた記憶はありません。また、80年代ごろまでは盛り場周辺でしか見られなかったルンペン(ホームレス)が90年代になって、普通の住宅地の公園や商店街(たとえば、この杉並区)に拡散してきて目立つようになってきましたが、確かに物乞いはしないですね。これが、施さない「文化」のためなのか、それとも取締りのためかは存じませんが。

 それにしても物乞いにスマートに施すのは難しいものです。シチリア島で案内をしてくれたイタリア人が、教会周辺にたむろするジプシーに小銭を手早く渡すさりげなさに感心したものです。しかし、私が一人で歩いているときに一人の物乞いにあって立ち止まった一瞬後に集団にとりかこまれて体中のポケットに手を突っ込まれるという目に会ってからは、どんなにかわいそうに見えても乞食に施す気にはなれません。弾さんは乞食に施しますか?

握りこぶしマーク

石原伸晃が使っているシンボルマークが気になっている。
昨年の衆院選で使っていたが、またこのマークを使った新たなポスターを、そこここに貼っている。
振り上げた握りこぶしのマーク。
これは、アメリカでは、伝統的に労働組合の団結のシンボルだ。スタローンが主演した映画 F.I.S.T. がまさにそのテーマ。日本でも労働組合のシュプレッヒコールは握りこぶしを振りかざすのが定まりの型だ。ためしに、fist をキーワードに、Googleのイメージ検索をかければ、いくつも労働組合関連のページが引っかかってくる。
 石原はそのような歴史的背景や意味を知らずに使っているのだったら、無知を恥じるべき。知っていて使っているなら政治的鈍感というべきだろう。