春休み中に読んだ『ケアの倫理』

 春休み中に読んだ『ケアの倫理』、とても難しい本だったが、面白かった。理解できているとは言えないが、他人に支えられること/支えること、それらを所与としてを無視してきた様々な社会科学に対する問題提起としてケアという概念を丁寧に扱っていた。ケアを認識することが大事である、ケアの視点を欠かさない。家族関係では不可欠のことなので、実感としてわかる。

 今の実生活では、他人のことを考えずに過ごすことはできない。仕事をしている時間、あるいはこれを書いている瞬間は他人を気にしないですむ。ただ決められた時間の範囲内である。その意味で、ケアを気にせず、思う存分、自分のやりたいことをやっている同業の人たちに対するうらやましさを感じる。

 自分ではない他人と一緒に生活し、かつ他人だからと言って放っておくことができないけれど、自分とは違う他人なので、自分の思い通りにはなるはずもない。毎日毎日この問題に向き合って、答えも出ず、どうなるのかもわからない。もちろん、問題を正面から受け止めず、逃げる方法もかなりある。当事者のみ、自分だけですべてを決められる、もちろん、いろいろな制約があったうえでだけれど、自分がやろうと思えば決断できる。そのような状況がいまのリアル世界にはほとんどないので、別の世界のように感じた。

 

 

柳澤健『1984年のUWF』文藝春秋社(文春文庫)、2020年

 本書では、元タイガーマスク新日本プロレスをやめ、ユニバーサルレスリングを立ち上げた佐山聡、佐山と一緒にユニバーサルに移籍し、格闘技色を強めた前田日明新日本プロレスを保守的とみなし、前田を支持した週刊プロレス山本隆司などが登場する。地味な関節技を理解できる観客は少ない。派手なバックドロップもブレーンバスターも、場外乱闘もない格闘技に観客動員力がない。このジレンマを打ち破ったのが初期ユニバーサルである。佐山は、ロープに飛んでも返ってこない、チキンウィングフェイスロックによる試合終了など絶妙な格闘技色を出した。

 ユニバーサル崩壊後のUWFで活躍したのは前田だった。前田の挑発的な態度は、既存のルールを破っているように観客には見えた。それが革新的な中身を支持する若者の心をつかんだ。同時に、週刊プロレスターザン山本編集長は、テレビ放送なしのUWFを取材し、活字プロレスという新しい領域を作った。UWFはニュースで扱われブームを迎える。大阪でも満員の観客を集めたが、招待券の配布で、収益は厳しかった。観客が多いのにレスラーの処遇は改善しない。それはフロントが搾取しているからだ。こう考えた前田は、UWFのレスラーを引き連れ、新しい団体を立ち上げようとする。

 前田は、宮戸優光など反発するレスラーの真意をくみ取れず、分裂する。カール・ゴッチに回帰する藤原組、猪木に回帰するUインター、そして前田が一人で立ち上げるリングスである。本書によれば、リングスは前田の試合だけが結果の決まっているフィックストマッチで、正道会館シュートボクシング等は、結果の決まっていないリアルファイトだった。正道会館もファンの多いリングスでの戦いを望んだ。リングスは純粋格闘技色を強めたが、依然として既存のプロレスという枠組みからは脱皮できなかった。こうして、1990年代に、グレイシー柔術という新たな黒船が登場する。

 全盛期の前田の試合をリアルタイムで見た経験がないため、前田が格闘家として優れていたというイメージはない。ただし、前田を信奉するコアなファンがいたことは知っている。本書を読んで、格闘技通信などの雑誌が、プロレスであるUWFを報道し続けたこと、ターザン山本率いる週刊プロレスが当初の前田を支持したこと、このあたりの事実を初めて知った。本書の核心は、ショーとしてのプロレス、あるいは観客を呼べるプロレスと、リアルファイトとしての格闘技、そのバランスをめぐる当事者の葛藤だったと思う。佐山の新日本プロレスからの離脱、新団体立ち上げなど、この時代は金銭問題が多く絡む。離合集散と新たな団体立ち上げが続くが、当時の状況を噂レベルではなく、また断片的にではなく、時系列に理解できるという点で有益な本だった。

※佐山のジレンマを表す秀逸な文章→「ダイナマイト・キッドとの約10分間の試合は、佐山聡を一夜にしてスーパースターに変えた。しかし、タイガー・マスクの大成功は、佐山聡が目指す新たな格闘技への道を、さらに遠く困難なものにしてしまった」(『1984年のUWF』)。

 

 

柳澤健『2000年の桜庭和志』文藝春秋社(文春文庫)、2023年

 刺激的に読んだ。高田延彦をトップとするUWFインターナショナルが団体として陰りを迎える2000年前後の、桜庭和志の足取りを描いている。中央大学レスリング部出身の桜庭は寝技を得意とする地味なレスラー。Uインターは、パンクラスやリングスなどUWFから派生したそれ以外の団体に観客をとられ苦戦していた。新日本プロレスとの団体対抗戦にシフトし、高田延彦武藤敬司に4の地固めで敗れ、興行的にも新日本プロセスに飲み込まれていく。

 海外ではアルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ(UFC)という総合格闘技がブームを迎えていた。大会で優勝したのはグレイシー柔術を操るホイス・グレイシー。強烈なインパクトを残したホイスは、「自分の兄は10倍強い」として、400戦無敗というヒクソン・グレイシーが注目される。新しい柔術ファイターが出てくるなかで、行き詰まるUインターグレイシー柔術と戦うことで、団体の存続を模索した。安生洋二が米国のグレイシー道場やぶりを試みるも何もできず負ける。プロレス最強神話が崩壊する中で、地道に寝技を磨く桜庭は、総合格闘技で力を発揮していく。

 本書では総合格闘技イベントPRIDEに途中から猪木が参戦することで、異種格闘技戦のお墨付きが得られ、プロレスファンが応援するようになったことが語られている。桜庭和志は自分がそう明言するかどうかは別として、猪木の「プロレスは最強である」との考えを引き継いだといえる。

 個人的な経験を振り返れば、90年代後半の衰退するUインターの印象は強く残る。新日本VS Uインターの爆発的な人気も、Uインターが新日本に事実上、飲み込まれたことを示唆する。他方で、2000年代以降、世界的なヒーローになっていく桜庭の活躍はあまり記憶にない。もちろん、桜庭が活躍していた事実はしっているが、世界的なレジェンドとなっていることまでは理解していなかった。その後、桜庭が新日本プロレス中邑真輔とプロレスをしたことも知らなかった。桜庭の格闘技路線は、いまの新日本プロレスの再生とどうかかわっているのであろうか。本書を読んで、そのことを知りたくなった。

 本書では、高田延彦が、グレイシーとの試合にむけてほとんど準備しない、桜庭を引き抜いて、その後関係を悪化させる、リアルファイトをしない、などネガティブに描かれている部分が多い。プロレスにヒール役は必要だとはいえ、全盛期の高田の戦いぶりを支持していた人間としては、やや残念である。それだけ影響力が大きかったということか。