笑ってる?

創作サイト【神々】の日記

射手座

人気のあるなし関係なく、好きな作品ってのはあるわけで。

古くは機甲界ガリアンとか、最近ならKnight`s & Magicとか。

まあ、ロボットアニメの話なんで、興味ない人はさよなら。

 

それでね。

 

上記二つは世間から異常に評価が低いんです。

え? あんなにカッコいいのにバカなの?

ひとっつも意味わかんねーんだけど。

 

しばらくして冷静になり。

 

ああ、そうか。

 

俺がただ「人馬系を好き」なだけだわ(´・ω・`)

 

 

 

できるかな?(長生きを)

32歳で坂本龍馬の享年を越えた時。
「俺は何も成してない」
と、己の小ささにガッカリしました。

48歳で織田信長より長く生きた時は。
「小物なりに頑張ろう」
と、ある意味では達観しました。

そして今年。


54歳になり武田信玄を抜かしました。
「健康で笑えてるなら上等だ」
と思ってます。

ええ、健康ですよ。
少なくとも昨日の血液検査(献血)の結果がわかるまではね( ・∀・)

あと龍馬より信長より信玄より。


42歳でバカボンパパを越えた


が一番ショックでしたね(・ω・)

 

そんな雰囲気で。
 
 

ハンドメイドミラー

ちょっとした手鏡が欲しいなと思いまして。

100均で買ってこようかと思ってた矢先、目についたのが。

昔ノリで買ったミラーステッカー。

 

「おお、これで自作すりゃいいんじゃね?」

 

つわけで基盤となるモノを物色しますってーと。

20年前くらいに買って放置してた写真用プリンタ用紙を発見しました。

ボール紙にこれを張り付ければ、強度的にも大丈夫そう。

 

んじゃま、作ってみましょうか。

ハンドメイドミラー

塗装がめんどくてマジックで塗ったから、塗りムラがハンパないwww

なんならムラが逆に「俺のモノっぽいヤレ具合」を醸してる(・∀・)

鏡もステッカーだから歪んでるけど、実用的には問題ないかな。

 

とまあ、そんな感じで。

 

神値

今は週二回、一回につき(スロトング系9%×350㏄×2)を呑んでる。

んで、呑めない分を「呑んでる奴の動画」で埋めようと思い、アル中系の動画を見始めた。俺と同じダメ人間が泥酔してる姿を見つつ、ノンアルビールとか炭酸水で呑めない心を慰める的な感じで。

 

つわけで最近、YouTubeのアル兄ぃ(アルコール兄)にハマってる。

 

その中で、γ-GTP値の話があって。

俺のγ-GTP値が400で騒いでたら(100以上は要警戒、200超えたら即入院)なんだけど、アル兄ぃのγ-GTP値は595。「うっわやべぇなアル兄ぃ」と思ってたら本人が。

 

「やばいと思って俺たちの神の値を調べたら、むしろ恥ずかしくなった」

 

そう、俺たち酒呑みの神「中島らも」のγ-GTPだ。

 

その神値は……驚異の1300!

 

すげぇな中島らも! いや真似はしないけどwww

 

 

 

 

 

柔道がくれたもの

 

中学2年のころ。

バスケット部に所属していた俺は、三年が引退した後、副部長になった。

おせっかいで仕切り屋の性格が、向いていると判断されたのだと思う。ところが四月になって顧問は女子バスケット部に移り、男子には新しい顧問がやってきた。監督が変わって部の方針も変わり、機動性重視の戦略から高さを重視した戦略に移り変わる。

背の低い俺はヒトの倍も練習したけれど、ついにレギュラーからはずされた。いま思えばほかにも原因があったのかもしれないが、そのときは背が低いからだと思いこんだ。 当然の経緯で、 腐って部活に行かなくなた。副部長がサボっていれば、当然、周りは気に喰わない。

ついにある日の放課後、俺はメンバーに呼び出しを食らう。

そこで20人に袋叩き。何もできないでボコボコにされる。

動けなかった理由のひとつに、もちろん恐怖があった。 俺は恐怖で反撃できなかった。

心が折れたのだ。

悔しくてハラワタがぶっちぎれそうだった。

屈辱だった。

 

屈辱を晴らすにはどうすればいい?

暴力で折れた心は、暴力で取り戻す。

当たり前のことだと思った。 言いたいことを誰はばからず言えるだけの、力がほしかった。 今なら必要なのは心の強さだとわかるが、当時はもう、暴力で解決する以外の選択肢など見えなくなっていたのだ。 そんな時、目についたのが弟の柔道着。

数日後の夕方、俺は弟と共に、近所の中学校にいた。

正確には、その中学校の体育館に隣接する柔道場に。

そこが、町の柔道会の練習場だった。

 

その柔道会で、俺は白帯を締め、小学生と一緒に練習することになる。

受身や基本動作を覚えて、俺は小学生の男の子と初めての乱取りを行った。が、小学生に手も足も出ない。 屈辱というより、ただただ感心した。 柔道とは、格闘技とは、なんと奥の深いものなのだろう。 このころはまだ、柔道の本当の怖さやキツさを知らなかったから、純粋にすげえすげえと大喜びしていた。

やればやっただけ、自分が強くなっていくとこを実感できる。 これほど楽しかったことはない。 いつの間にか復讐は忘れ、俺はただ強くなることに夢中になった。 家に帰っても、部屋の中でトレーニングをした。冬の夜、トレーニングで上がった体温が、暖房もない窓ガラスを曇らせる。

その曇った窓ガラスに、指で書いた文字は。

世界最強。

いや、ガキなりに本気だったのだ。

 

町道場の集まる大会に、参加することになった。

俺は中学生の部。 俺のほかに三人しかいないので、これなら優勝できるんじゃないかと高をくくっていた。なぜなら何でもわりと小器用にこなす俺は、その時点ですでに道場でもそこそこの評価をもらっていたのだ。

ところが、俺はその三人にこてんぱんにのされる。 あたりまえだ。中学の柔道部でがんばってきた者に、町道場で数ヶ月やった程度の俺がかなうわけがない。俺は失意のまま会場を後にする。 その三人のうち二人は、のちに高校の県大会でも顔をあわせる、ある意味ライバルとなるのだが、それはまだ先の話。

負け犬は、悔しさに涙さえ流しながら家路に着つく。

今度の悔しさは、袋叩きの比じゃない。

一対一だったのだから。

 

悔しくて残りの中学生活は、全部柔道にくれてやった。

結果、まあ、そこそこの強さになれた俺は、意気揚々と高校へ乗り込む。ヤロウの巣窟、男子高校だ。 男子校にいた人間ならわかると思うが、教室中にひしめくガクラン一色の中で最初に行われるのは、暴力のヒエラルキー。順位付けだ。

みな鋭い目つきでお互いをけん制する。もちろん俺もハリネズミのような状態だった。来るなら来い。教室中にそんな空気が漂っていた。少なくとも俺はそう感じた。 そして最初のトラブルが起きる。トッポいふたりが、ついに喧嘩を始めたのだ。 それも俺の席のすぐそばで。

まさにチャンス到来。

今にもつかみかからんばかりに怒鳴りあっている二人に、つかつかと近寄った俺は、いきなり問答無用で一人のハラに蹴りをぶちこむ。 驚いているもう一人にも蹴り。 さすがにこれは受けられたので、そのまま飛びついて大外刈。 相手は素人だから、面白いように綺麗に決まった。

普通、人間が一回転する光景を見ることはなかなかないから、これは強烈なデモンストレーションになった。 いきなりのことにあっけに取られている他の連中の目を充分に意識しながら、俺はわざとぶっきらぼうに言った。

「うるせえ。眠れねえ。むこうでやれ」

まあ、満足のいくデヴューと言っていいだろう。

「普段はお調子もんで底抜けに明るいが、寝起きのかみはキレている。怒ると人間を一回転させる。とにかくバカ強ぇ」

暴力と言う神の、敬虔な徒である人間にとっては、非常に喜ばしいうわさが立った。まったくバカばかしい話だが、当時の俺にはとても大切なことだったのだ。

二週間もすると、クラスの順位付けが終了する。 勉強は××。運動は○○。そして、男子校では女の話と同じくらい大事なケンカは、俺が首位を手に入れた。そんなトロフィーを引っさげ、俺は意気揚々と柔道部に入部した。

悲劇の始まりである。

 

新設校で先輩が少ないのもあって、俺は比較的早く柔道部最強になる。

まあ、性格的にも格闘技向きだったのだろう。

そうなれば当然天狗になるわけで、顧問の教師も「このままじゃいけない」と思ったらしい。 自分の出身校である、高校時代の後輩を連れてくる。当然、元は東京の強豪で、しかも現役バリバリの大学生そのほか。 夏合宿に現れた彼らは、まさに悪魔の申し子だった。

「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」

こんな時代劇的形容詞を、そのまま体験できるとは。

俺は人生で初めて動けなくなるまで戦っい、コテンパンにのされた。 ぶっ倒れたまま、腕一本持ち上げられないなんてマンガみたいな状況が本当にあるんだってことを実感しながら、道場の天井を眺めていたことを覚えている。

 

そうしていじめられていれば、人間、放っておいても強くなるもんである。

まして、テングの鼻を折られ、自分なんてぜんぜん弱いってことを自覚し、強くなりたいって思いを性欲と同じくらい(この当時の性欲だ)持ってしまったガキだ。 一年たつうちに、顧問の連れてくる例の悪魔達を振り回すまでになった。レギュラーとして団体戦の先鋒か大将を勤めるようになり、いろんな学校のヤツラと顔をあわせるようになる。

そこにはとてつもないバケモノどもがゴロゴロしていた。

とても同じ高校生とは思えない、女房子供がいて、家庭を持っててもおかしくないような、貫禄のある男達。その一角に、とくにガラの悪いオーラが満ちている。

新○北高校。

人生 最初の敵(ライバル)の出現である。

新○北高校の柔道部には、各階級で有名な、いわゆる三強が居た。 当時の階級分けで軽量級(-60KG)、中量級(-71KG)、軽重量級(-86KG)の三階級だ。 俺は中量級だったので、三強のうちの一人とヤルはめになる。

強かった。

とにかく、立ってられない。

あっという間にぶん投げられ、キレイに押さえ込まれて、初めての対決は終わった。向こうは俺のことなど、カケラも覚えていないだろう。 それが、とにかく悔しかった。 俺以外のやつらも散々にやられた。 大会会場の片隅で、顧問が半泣きになりながら叫んだ。

「おまえら、そこまで弱くない。それなのに、なんでこれほど好き勝手にやられたかわかるか? 気持ちで負けてるんだ」

俺たちも泣いた。

スポ根にありがちな場面だと笑わば笑え。 俺たちは、悔しくて泣いた。泣きながら思った。

強くなりたい。

そして、俺たちは動き出した。

 

新一年生のヒデは、ものすごいセンスの持ち主だった。

とにかく、文句のつけようがない。

気持ちで押されたりとか、ダーティな試合運びに振り回されたりする弱さはあるが、天性の二枚腰と、細身に見える体にあふれるパワー。しかし、 先輩の俺が負けるわけには行かない。とりあず中学を出たばかりのヒデが意表を突かれる技ばかり使って、なんとか面目だけは保ったが、内心では彼の強さに舌を巻いてもいた。

ならば、どうする?

考えた末、俺の方針は決まった。

パワー、スピード、スタミナ。

天分、センスは諦めるしかないのだから、その代わりに、とにかく努力で手に入れられるもの、すべてを手にしてやろう。センスがない分を、それでカヴァーするしかないだろう。 俺は体重の1.5倍、100㌔をベンチプレスで持ち上げ、100メータを12秒フラットで走り、試合中ひたすら攻め続けられるだけのスタミナをつけた。

そして、地区予選が始まる。

リベンジの時は来た。

 

俺は先鋒。 秀が次鋒。 中堅、副、大将の後ろは三つは、でかいのが三人。

で、まずは団体戦だ。 先鋒こけたら、みなこけたなんてのが冗談じゃなくあったりするんで、まずは俺が勝って勢いをつけなくちゃならない。 だが、目標を高みに設定した努力は、いつの間にか俺達の実力を、地区の上位まで押し上げていた。

ほとんど苦戦することなく勝ち進み、決勝で新○北高校と対戦になる。

敵の先鋒は、三強の一人。

前回はまるっきり歯が立たなかった、例の男だ。 ハラの底から震えが来る。「 怖いのか?」と自問してみるが違う。 いや、怖いことは怖いのだが、それ以上に「やってやる」と言う気持ちがわき出てくるのだ。 武者震いと言うヤツ……だろう。

戦う前のビリビリする緊張感。

恐怖を押さえ込むのじゃなく、上手く飼いならして、やる気に変える。

「はじめ」

俺は審判の声と同時に飛び出した。

 

中量級(現在は軽中量級)、-71㌔級と言うのは、スピードとパワーの両方を要求され、なおかつ競技人口が多い。相手も俺も中量級だから、団体戦のほかに、個人戦でも当たる可能性があるわけだ。 つまり、ここでなめられたら、個人戦にも影響が出る。

「 なめてくれたほうが油断していいのでは?」

などと思うかもしれないが、それは違う。

本来、戦うときはやはり、相手のペースでは戦いたくないものだから、普通はお互いに手の内を探りあい、隙を探して戦う。ところが、なめられてのびのびと戦われたら、勝てる相手にも取り落とす可能性がある。 実力の伯仲している相手の場合、その傾向は強まる。

俺は初めてのときのように、相手にいいところを持たせたりはぜず、厳しく組み手争いをし、一瞬たりとも止まらず、技を出し続ける。そのうち向こうがやけにやりづらそうにし、息もあがってきていることに気づいた。 俺の作戦が当たったのだ。

俺の作戦とは、こうだ。

相手とただ組むのではなく、持ったエリとソデを下に引き、ぶら下がるようにして体重をかけながら戦う。 そうすると相手は、技をかける前に身体を引き起こし、さらに俺も引き上げて技をかけなくてはならない。まっすぐ立とうとするだけでも、常に俺を引っ張りあげなくてはならないので、消耗も激しくなる。

大学や社会人の中量級以下の、背の低い選手では当たり前の戦術なのだが、高校生ではなかなかできている奴はいなかった。俺のいた地区のレヴェルが、低かったのかもしれないが。 さらに向こうの方が背が高いので、ずっと俺を引きずりながら戦う羽目になる。イライラしているのが手に取るようにわかり、だんだん棒立ちになってきた。

何度かかけているので、俺の背負いにそこそこパワーがあることを判っているのか、背負いに来たところをつぶそうとしているのがよくわかる。

俺は、一か八かの賭けに出た。

いや、自然に身体が動いた、と言うのが本当だろうか。 棒立ちの相手の懐に、すばやく飛び込んで軽めの大内刈。ぐらりと揺れた敵は重心を前にかける。しかし、上体は背負いを警戒して、強く突っ張っている。 俺は腰の引けた瞬間を狙って、今まで出していない技をかけた。

内股。

一般的には背の低いやつが、高い相手にかける技ではない。しかし俺のかけた内股は、山下選手などに代表される小内股ではなく、むしろ跳腰に近い高内股と言うワザだ。 意表を突かれた相手は、それでも何とか空中で体勢をひねる。

勢いよくたたみに転がった俺達は、同時に審判を見た。 本当はそんな暇に、とっとと寝技に行かなければならないのだが、残り時間も少ないので、思わず確認してしまったのだ。

「有効」

審判の声に、俺達の明暗が別れた。 本来なら後は、このポイントを守りきれば勝ちだ。だが、俺達の顧問というのが、俺に輪をかけた熱血漢。 完全無欠の九州男児

「一本取れ!」

野太い声がかかる。(ふん、言われなくたってわかってらぁ。 どっちにしろ受けに回って勝てる相手じゃないんだ) 俺はそんな思いを込めて、顧問を睨みつけながらでかい声で答える。

「押ぅ忍!」

顧問がどんな表情をしていたかは知らない。

俺は目が悪いのだ。

それからの時間は、地獄のようでもあり、最高の時間でもあった。

自分の身体に叩き込んだワザを、かける、かける、かける。俺たちのやった練習の中に 一分稽古と言う練習があった。 一分間、受けに徹する受けに、ひたすらワザをかけまくるという練習だ。 格闘技をやってた人間ならわかるだろうが、これは死ぬほどしんどい。

が、その稽古が、今、生きる。

俺は、心臓が悲鳴を上げても、ひたすらかけ続けた。

やがて、運命のときが来る。

じりじりじりじり……

タイムアップのベルが鳴る。

「それまで」

勝った。

服装を直し、礼をしてもどる。 そのまま顧問の前に正座して、言葉を待った。 顧問は何も言わずただ、「うん」とうなずく。 俺は深く礼をして、仲間の元へ。 そのまま次峰戦の応援に入る。 と、後ろからもうひとりの顧問(コーチ的な位置の人だ)がやってきて言った。

「○○先生(顧問)、引き分けられればいいと思ってたみたいで、勝ちが決まった瞬間、『よしっ!』って大声出してたぞ」

「そ……そうスか」

「うん、よかったな?」

普段めったにほめる事のない顧問が、俺の勝った瞬間、大声を出したと言うのだ。 ここで初めて、全身に喜びが沸きあがってきて、俺はぶるっと震えた。

そうだ、俺は、あの強敵に勝ったんだ!

やはり、勝つってのは、気持ちがいい。

 

結果から言えば、団体戦は負けた。

しかし、前回の負けとはまるっきり違う。

何が違うか、それは試合が終わったあとに気付かされた。

「お~、かみじゃねえか。なんだおめー、いまどき開襟シャツかよ」

試合後、川越駅でふらふらと遊んでいた俺に、そう声をかけてきた男がいた。 振り返り、俺は愕然とする。 それは、例の三強の中でも一番重い、軽重量級-86㌔クラスの男だったのだ。つまり三強の中の、最強の男。兄弟揃って地区どころか県でも名の通っている、猛者中の猛者。

俺はせいぜい強がって

「いいんだよ、俺は開襟が好きなんだ」

などといって笑ったのだが、内心は結構どきどきだった。

いや、恐怖じゃない。 有名人を間近で見たときの、どきどきだ。

「にしても、おめー強くなったなぁ。中学のころとは、えらい違いじゃん?」

「さんきゅ。いつか団体戦で当たったら、投げて見せるよ」

「お、言いやがったな? んじゃあ、次は大将で出てこいよ?」

「顧問がいいって言えばね」

「はっはっは。そだな。じゃあな」

「ああ」

強い男に認められる。 男として、これほどうれしいことはない。 俺は天にも昇る心地だった。

同時に。

「もっと強くなりたい」

と言う思いが、腹の底からわきあがってくる。

 

そして、個人戦の日がくる。

昨日の勝ちで気分の乗った俺は、最初からいい動きが出来た。俺は三強のひとりである、同階級のあいつに勝った。そして有名な三強の中でも最強の男に「強くなった」と認められたのだ。 怖いものなど、あるわけがない。

あるとすればそれは、どこかで取りこぼして決勝にいけず、あの男との再戦を果たせないことくらいか。しかし、俺に自信はあっても慢心はない。 自分がまだまだ弱いことも知っている。そして、強いやつらと戦いたいと言う思いもある。戦って勝って、『俺は強い』と確認したい。

何度でも。

ここで決勝まで残れれば、県大会にいける。県大会なら、またもっと強いやつが出てくるだろう。そいつらに勝って、俺は強いんだと思いたい。 そんな気持ちで俺は、青畳を踏んだ。

相手は俺よりずいぶんと大きいので、手足が長くフトコロが深い。その上、団体戦の決勝であの男に勝ったところを見られているので、なかなか警戒していいところを持たせてくれない。 試合が長引けば、それだけ疲れが残り、不利だ。

ここで俺は得意の『人の意表を突く』動きで勝負を決めにかかった。

本気でやりあいたいと思うほど、強い相手じゃなかったと言うのも、まあ、あるにはあったんだろう。 相手が場外に逃れ(このころは『場外注意』の規定が甘かった)、仕切りなおしとなり、はじめの声がかかった瞬間。 俺は一気に距離を詰めると、身体をかがめた。

柔道をやっている人間ならわかるだろうが、駆けて来てからか体制を低くしたら、これはもう十中八九『両手(もろて)刈り』だと普通は思う。簡単に言えば、ラグビーのタックルみたいに相手の足 の両足を刈る技だ。 時間がないとき、苦し紛れに使われることがある技だが、普通、試合の前半でいきなり出すことはまれである。

相手は一瞬、驚いた。

しかし、仮にも柔道をやっていて、試合の序盤、疲れもないときに、両手刈りに対して反応が出来ないと言うことはほとんどない。反射的に、身体をかがめて防御しようとした。

引っかかりやがった。

俺は次の瞬間、思いっきり飛び上がる。上がった目の前には、かがんだ相手。らくらくと後ろ帯を取ると、そのまま脚からフトコロに飛び込んで『帯取返し』をきれいに決める。 ぱっと見、失敗した巴投げみたいに見えるこの技は、どれだけきれいに決まっても規定により「一本」はもらえない。最初から寝技に引き込む技だからだ。

しかし、決まった次の瞬間、横四方か縦四方固がほとんど極まっているのだ。多少失敗しても、こっちはハナから寝技に行こうと思っているわけで、相手より一歩も二歩も先を取れる。 両手刈りのフェイントが効いて、教科書みたいにきれいに決まった『帯取返し』はもちろん「技あり」。すぐに「押さえ込み」宣言がなされ、25秒後(当時のルール。現在は20秒)。

「技あり、あわせて一本」

快勝だ。

もちろん顧問もうなずくだけ。『帯取返し』は寝技に引き込む一瞬、自分が下になって危険な状態になるため、もしかしたら叱咤されるかと思ったが、それもなかった。 今にして思えば、気合の乗っている俺の気をそぎたくなかったのだろう。

そんな風に順調に勝ち進み、決勝で俺はあの男と三たび対峙する。 相手に油断もなく、こっちも絶好調。舞台は整い、あとは開始の合図を待つだけだ。目が悪いので、顔がはっきり見えないのをいいことに、俺は相手の顔をにらみつける。

「はじめ」

俺は弾丸のごとく飛び出した。

俺の弟は俺の高校の後輩で、しかも柔道部の後輩でもあるのだが、後年、彼が俺の柔道を評して『弾丸柔道』と呼ぶ。とにかく体力に任せてスピード重視の柔道をするからだ。 もちろんこのときも、俺の弾丸はまっすぐに相手に飛んだ。

今度は、小ざかしい目くらましはなしだ。奇をてらって勝てる相手じゃない。俺の柔道のすべてをぶつけて、そして、勝つ。 俺のアタマの中は、真っ白になった。

結局、二度ほど得意の背負いで相手を浮かせ、三度ほど相手の内股で浮かされたが、ポイントでは引き分けになった。 個人戦は延長なしの僅差判定方式なので、赤白一本ずつの旗があがった後、主審は右手を相手側に傾けた。

俺の負けだ。

しかし、最初から最後まで俺は全力で戦い、満足していた。

胸を張って顧問のところへ戻ると、鬼の顧問が珍しく笑いながら

「右手の法則だな」

と言った。

僅差判定のとき、主審は右手を上げながら「判定」と叫ぶ。それから旗を見て、旗の多いほうの勝ちとするのだが、赤白に判定が分かれた場合、主審の判断で勝ちを決める。 そのとき、上げた右手を一度下ろして左手を上げるより、そのまま倒したほうが簡単だから、無意識に右手側を勝ちにすることもある。

高校の柔道大会のように試合数が多い場合、続けて審判をやることになるので、なおさらだ。僅差になり旗まで別れるほどの好試合なら、どっちが勝っても負けても、文句が出ることはほとんどないのだし。

これが右手の法則だ。

もっともこれは顧問が言った冗談で、本当に判定に文句を言ったわけではない。判定を怒るより、判定になるような試合をした俺を怒る人だから。 つまり、そんな冗談が出るほど機嫌がよかったのだ。負けたがいい試合をしたと言うことなんだろう。俺はほっとしてみなの元に行った。

みな「残念だったな」と声をかけてくれる。

そのいつもの連中の顔を見た瞬間。

俺は泣いていた。

極度の緊張も、あっただろう。そこから開放された安心、もちろんあっただろう。だが、そんなことより何より、悔しかったのだ。気持ちより先に身体が悔しがったのだ。 涙が流れ出してはじめて、俺は負けたことが悔しくなった。 ハラワタがぶっ千切れそうなほど、悔しくて仕方ない。

そんな時、やってきた顧問が俺が泣いてるのを見てにやりと笑う。

「かみぃ、決勝に残ったってコトは県大会にいけるんだよな?」

言われて俺も涙を拭き、強くうなずき返した。

「押忍。県大で借りを返します」

 

俺は結局、普通なら女の子と過ごしたり、仲間とだべっている時間のすべてを、柔道にささげた。県大会でも三位に入ることが出来た。もっとも、例の男とは組み合わせの関係で、戦うことは出来なかったが。 それでも、もっと強い男たちとも戦うことが出来た。

これは俺の誇りであり、人生でも短い瞬間、いわゆる「青春」と呼ばれる時間を柔道にささげたことは、今でも最高の選択だったと思っている。 まあ、当時は彼女連れの友達を見て「失敗したかなぁ」と思ったことも少しは、いや、多々あったのだが、それはさておき。

長々と書いてきたが、学生時代の話は、ここでいったん終わろう。

また機会があれば、ほかの話も書いていくつもりである。

 

柔道の神は、公平だ。

いや、不公平かもしれないが、少なくとも俺には、犠牲にしたものに見合うだけのものをくれた。

相手が素人なら、どれだけでかい人間にも負けない。

そのときの俺にとってはまさに人生のよりどころである、自負と自信をくれたのだ。もちろん今は、腕っ節の強いことが、本当の意味での『強さ』につながるなどとは思っていない。 だが俺は柔道のおかげで、下を向かずに生きてこれた。

でかいヤツにも、強そうなやつにも、俺の言いたいことをはっきり堂々と、胸をはって主張してこられたのだ。そしてこれからも、そうやって生きてゆくつもりだ。

「 本当にでかいヤツに勝てるのか?」

そんな風に思う人もいるだろう。しかし、これは結構本当だと言い切ってしまえる。相手が素人ならまず、間違いない。 一般的に寝技と言うものは、重い方が有利だと思われがちだが、実はこれ、とんでもないデマなのである。

もちろん、格闘家同士ならば、当てはまる部分も有る。 だが、たとえばボクシングのヘビー級チャンピオンでも、俺より寝技を練習してこない限り、寝技で俺を倒すことは出来ない。 もっともそれは、お互いに寝技だけで戦う、と言う前提があってのことだが。ヘビー級のチャンピオンなら、寝たまま殴られてもこっちが失神してしまうだろうし。

だが、それこそ一発で気絶させるパンチなり蹴りを、寝たまま使えるって相手でもない限り、実は相手を転がしてしまったほうが、ずっと戦いやすいのである。 立っていれば相手の攻撃に乗ってくるウエイトと言うものを、これ以上ない強固な味方、地面が支えてくれるのだ。後は必要な力を必要な分だけ、必要な方向に加えるだけ。

やれる人間には、簡単なことだ。

上に乗られたって、こっちが丸くなって支点になってやれば、相手の体重が150キロあっても、さほど苦もなく上下を入れ替えることが出来る。 つまり、街のケンカ自慢程度なら、どれだけ体重差があったって、腕力差があったって、一対一ならどうと言うこともないのだ。

少なくとも俺はそう感じる。

むしろ、練習を積んでいる軽い相手のほうが、こっちより動きが速い分、厄介なくらいだ。

 

格闘、ケンカ、戦いと言うものに対し、一部を除いて、ほとんどの女性はそう言うものを嫌う傾向にあるが(見るのではなく、やると言う話で)男の場合、形は違うにせよ戦いを好み強いものにあこがれる。 本能的なものなのだろう。 全ての男は戦いを好みあこがれる。

そこであこがれて終わるか、自分も戦うか。

違いはそれだけだ。

 

理不尽に対し、泣き寝入りする男と、立ち向かう男。

威圧するものに対して、媚びた笑いを浮かべる男と、食って掛かる男。

逃げてはいけないときに、逃げる男と、逃げない男。

 

ヒトは知らない。

 

ただ俺は、後者でありたい。

 

 

風車

男ってなぁ風車だ。

強い風をうけるほど、くるくる回ってイイ仕事をする。

でも、風が吹かなきゃ、何の役にもたたねえ。

 

女ってなぁ風だ。

気まぐれで、自由な、その強い力で風車を回す。

でも、風車がデカすぎたら、何の役にもたたねえ。

 

強い風車になろうじゃねえか、兄弟。

どんな風にも負けないで、そいつをでかい仕事に変えてゆく、強靭な風車に。

 

強い風になろうじゃねえか、姉妹。

ちいせえ風車なんかぶっ壊しちまうような、強い、強い風に。

 

 

立っていられないような強風を受け止めて、ニコニコ笑いながら。

でかい仕事に変えちまえるような男に。

 

みんなが無理だと言うような気が遠くなるほどバカでかい風車を。

ぐるぐる回してしまえるような女に。

 

いつかはそこへたどり着けるように。