2006年1月21日(土)朝刊、産経新聞に「建築家10人展」のコラム
建築不信に答える。
2006年1月21日(土)朝刊、産経新聞に「建築家10人展」のコラムが掲載されました。
以下全文
「オープンシステム」と呼ばれる方式で住宅建築を進めている関西の十人の建築家が、このほど大阪市内で、同システムの特長をアピールする建築展示会を開催した。
一般的に個人が家を建てるさいには、ハウスメーカ―や工務店などの元請に設計と施工を依頼する。
元請は、基礎工事や木工事、屋根、外壁、内装など、それぞれ下請に出し、実際の工事は下請けの専門業者が行う。
これに対してオープンシステムでは、工務店などの元請を通さずに、施主が建築家のアドバイスを受けながら、各専門業者と直接契約を結んで建設を進める方式だ。
これにより、多重請負によるコストアップを防ぎ、施主の思いを細かい部分まで反映できるのがメリットという。
今回、オープンシステムの建築家が共同で展示会を開いたのは、耐震偽装問題で揺らいでいる住宅建築への信頼を取り戻そうという意図から。
会場には、基礎を鉄筋でなく鉄骨で作り、上部構造と一体化させて耐震性を向上させる取り組みや、家の素材となる樹木の伐採から監理する取り組みなど、意欲的な試みが紹介されていた。
もちろん、建築家に悪意や過失があれば、同システムによっても欠陥住宅は造られる。
しかし、施主から見てコストの透明性が高く、また任せきりでないこのシステムは、安全性が高いといえるだろう。
施主自ら決定し、契約を結ぶオープンシステムは、施主た“勉強”を要求する。その意味で“自己責任”時代にふさわしい方式なのかもしれない。
自己責任というのは面倒なものだが、一生に一度の住宅建設であれば、結構楽しめるのではないか、と思ったりする。(ふ)
「建築家10人展」住の安全を守る現場に建築家あり
昨年末におきました構造計算書偽造事件は「住」の安全に深い疑問をなげかけました。
建築業界で活躍する全ての人が、某建築士、某コンサル、某ゼネコン、某デベロッパーと同じ項目でくくられ、日々切磋琢磨し頑張っている大方の建築業界人が、不信の目で見られ大変残念な思いをいたしました。
そのような中で、社会の一辺をにない「住」の安全はもとより品質向上や建築業界の体質改善・よりユーザーにみじかな家造りを実践し、凛とした建築家倫理をもって、建築業界、現場にのぞんでいる人たちが大勢存在します。
今回は、そのような建築家グループの日々の働く姿を通して完成した住宅、住宅づくりを見てもらう展示会をご案内します。
■「建築家10人展」住の安全を守る現場に建築家あり
■ 2006年1月13日(金)〜1月17日(火) 場所(キャナル長堀)
■ 時間:11:00〜19:00
最終日は17:30まで
■ 会場:gallery キャナル長堀
■ 〒542-0083 大阪市中央区東心斎橋1-11-14
TEL&FAX:06-6251-6198
あけましておめでとうございます
今年も皆様にとって良い年でありますように
構造計算書偽造事件と建築家中村一幸の職業観
日本建築家協会(JIA)の登録建築家規定に、設計監理者と施工者の職業分離の規定があります。
「建築設計事務所をやりながら、工務店などの建設業をしてはいけない」
http://www.jia.or.jp/qualify/qualif_arch/index.html
すなわち、建物を設計する人(設計者)、それを設計図どおりできているか監理する人(監理者)、工事をする人(施工者)、の中で設計監理者と施工者を職業として兼用しはならないという規定です。
本来、職責職能として分かれていないといけない所が、職とし一諸にやるとチェック機能が働かないという主張からです。
この様な観点で今回の事件をみますと、シノケン、ヒューザー、木村建設などは、設計事務所でありながら施工業者でもあり、これらを企画開発した建築主でもあります。事件の背景を考えると社会的責任を問われても仕方がありません。
また問題の姉歯一級建築士は、この仕組みの中で下請構造設計事務所として関与していたと思われます。事件の解明が急がれます。
ここで倫理の問題として職業観の整理、すなわち何のために働くか?をもう一度職業人として考えてみましょう。
職業観は人によって、色々とありますが、自己保存的職業観(自分が生きる為に働く)や種族保存的職業観(女房子供を養う為だけに働く)、欲望満足的職業観(欲しい物、やりたい、遊びたい事があるから働く)の方がとても多いと思います。
これらは働く事を労働と考え、「ただお金がほしいから働く」という考えです。
そこで職業人として、お金は必要でしょうが、「それぞれが専問の分野で知識と技術と真心をもって、人の世の為、私はこの職業で、社会のこの部分をにないます」という個々の誇り・存在意義・価値のある職業観をしっかりと持つことも、必要ではないでしょうか。(社会的職業観)
なぜなら、我々一人一人は多くの人々の「力」をかりて生かされ、活きて、社会に存在していると思うからです。
最近は、この様な職業観をもった人は、私の様にシーラカンス的存在となっているのでしょうか。
私は建築家として恥かしくない、いい仕事をこれまでも、これからもやっていこうと思います。凛として!
建築家て、なに
最近、建築家とつくる〇〇〇〇とか自称、私は建築家ですと言う方がやたらと増えてきた。
建築業界のPRのためには結構な事であるが、何をもって建築家としてとらえればいいのだろう。調べてみた。
建築設計の法的な資格体形として建築士法がある。
(建築物の規模や構造によって設計できる法的設計管理者の資格が定められている。)
- 木造建築士: 主に木造建築物の設計を行う者
があるが無事に資格試験に合格し、早くて2級建築士で22歳ぐらいで、1級建築士で25歳で資格を得る事ができる。日本の建築士法試験は、4ツの科目(建築構造・建築施工・建築計画・建築法規)と設計製図の各科目を合格しないと、あたえられない技術試験となっている。
数ある資格試験の中でも、難しさと伝統の長さでは有名である。建築家とは最低このような専門性をもった技術の裏づけがある事が求められる。
では法的な資格さえあれば建築家と言えるのでしょうか?
建築士の職能団体である日本建築家協会(通称JIA)では建築家とは、建築士法に基づき、建築士の名称を用いて、設計、工事監理等の業務を行う資格を有し、長年にわたり専門家としての能力を研鑚し、公共性を持つ「建築」を通して社会に貢献している職能をいう、としている。
すなわち長年にわたり専門家としての能力を研鑚する事を最低の要件とし、建築工事の請負工事やリフォーム工事などの工事をしない事をもって建築家の条件としている。
JIAでは、自称、エセ、ニセ建築家の出現に対し、消費者保護の目的から登録建築家の認定を行っている。
※
登録建築家とは、建築家に関する国際的な基準に基づいて認定要件を設定し、外部からの有識者・法律家・関係団体代表等の第3者による評議員を交えて組織された、「建築家認定評議会」による審査を経て、認定要件を満たし合格した建築家を認定・登録する制度。
※
登録建築家の目的は建築にかかわる消費者保護です。この目的を実現するために「資格の付与」と「情報の公開」を行っている。
母と活きる都市の住まい
大阪市内超狭少敷地11.6坪 建築面積6.7坪 延床面積20坪 鉄骨3階建
前面の道路は4Mにみたないロケーションに建設。
年老いた母親と、その母を大切にいたわる娘さんが企画し建設した住まい。
1階は当然、車庫が必要と言う要望だが、若葉マークの娘さんは車庫入
れするのも難儀だ。玄関には、母のために腰掛けが用意されている。
隣は客間、仏壇を置いて後から光が差すよう窓を設置している。
階段は、段差の認識が容易なようにフットライトと兼ねて照明孔をあけ
ている。
階段を上がると、2階の腰掛和室と食卓テーブルが造り付けされている。
炊飯器やトースターの取出しが簡単なように引出し付の棚がある。
和室の上を見あげるとトップライトがサンサンと光を注ぎ込む。
お母さんいわく「ここから見あげる流れる雲や星空はとても素敵ですと」
都市で素敵に活きる娘さんから、老いた母にささげる最上のプレゼントだ。
内部の写真はFotolifeを見て下さい。
初めにつくられ、すりこまれた鼻歌まじりのCMの家イメージありませんか。
そして、マイホームを建てようとするとき、最初にどんな建物をイメージするでしょうか。
普通どこかそこいらの住宅展示場や、雑誌のカラーグラビアを飾っているような、美しい、けれど何んか、リアリティのない家をイメージしている方がとても多いと思います。
雑誌に出てくるようなきれいで完壁な家をつくったら、子供はこども室にひきこもってファミコンの勉強し、夫は書斎にそれぞれ引きこもってしまって、家族のふれあいや会話がなくなってしまったという実例は、よく聞く話です。
初めに、何んの為に家をつくるのかという基本約な思考がないと、家は商品(物)のいきを出ません。
私は、家族が癒され、活々(いきいき)し、わいわい、デレデレできる幸せになる住まい(家)づくりを設計の基本原則にしています。
「家は何をするところ?」 この基本的な問題を、いっしょに考えてみませんか?