ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日記

 原彬久(はらよしひさ)編、中公文庫版で、なにかの参考になるかも知れないと持っている。底本は2003年刊行。妖怪のあの声がそのまま出てくる気がする。あの嫌な声だ。中で「弟は日記をつけているらしいが、まだ刊行するべきじゃない、あまりにも生々しすぎる」といっているのを見た。ホォ、あいつの日記があるのか、きっとそれを読んだら、あいつの声で読めるかもしれないと思った。
 編者の原彬久は、予備校の机に「このさいしょうがない」とふりがなを振って掘られていた国際商科大(現:東京国際大)の教授だった人で、政治家といわれる人のインタビューで知られたらしい。名前は見たことがあるけれど、著作に触れたことはあまりなかった。


 隣の区の図書館で調べると、朝日新聞社刊行で全6巻で1998年に刊行されている。一巻を借りてきてみたが、結構プライベートにも触れていて、ニューヨークへいった時に、息子の佐藤信二のためにゴルフクラブを買って船便で送ったなんぞと書いてある。佐藤信二は某鉄鋼メーカーに20年ほど勤めていたが、結局1974年に全国区から参議院議員に当選。工場のある県での得票数が少ないといって話題になったことがある。親父にそっくりで、鼻持ちならないことおびただしい。

リチウムバッテリー

珍しくAmazonから真面目なメールが来た。
リチウムイオンバッテリーは外部からの衝撃で内部ショートが発生する場合があります。リチウムイオンバッテリーを搭載した製品を落としたり、ぶつけたりしないよう、十分ご注意ください。」というもので、NITE(製品評価技術基盤機構)が注意喚起をしているという。
 そういえば、モバイルバッテリーを買ったことがあるけれど、多分あれは安かろうで買ったから危ないかも知れない。以前にカメラ用のバッテリーを互換性のある安物にしておいたら、中で膨らんで出なくなったことがある。本当にやばいことがあるんだなと、気がついた。あれからは純正しか使っていないが、高く付く。カメラメーカーはなんで一つずつ違うバッテリーを使うのかと、気に入らない。設計上いろいろあるんだろうけれど、あまりにも違いすぎる。プリンターのインクもしかりだ。万年筆のカートリッジも、欧州のものは共通なのに、日本のものはバラバラだった。

 カメラといえば、どうしてNikonCoolpix P-1000がバカバカしく値が上がっているのかと思ったら、Nikonが製造を終了してしまったのだそうだ。そんなに値が上がるほど需要があるのに、なんでやめたのだろうか。後継機の発表もない。ズーム付きデジカメはとても便利なのに。写真の腕が上等で技術的に最高を求めるようなプロはまだしも、私のような、バシャバシャ写真で満足する者にとっては最高なのになぁ。

ラジオ関東



 現在の「ラジオ日本」はかつて「ラジオ関東」といっていた。関東から突然日本になっちゃうってのもどうかと思うけれど、当時私達は「ラジ関」と略称していた。東京の人たちはどのへんまで聴こえていたのか知らないけれど、わたしたち横浜の人間は普通に聴いていたんだろうと思う。
 このサイトで何度も「昨日の続き」のことは書いた。それくらい、毎晩聴いていた。永六輔大橋巨泉前田武彦はかま満緒保富康午くらいまでは覚えているけれど、青島や小林信彦が出ていたのは記憶にないなぁ。女性は草笛光子の妹の富田恵子、提供は参天製薬


 洒落てんなぁと思ったのはケン田島と森すみこの「ポート・ジョッキー」だった。なんでもケン田島はロンドン生まれで戦前に日本に帰ってきたんだという。ということは彼の英語は米国英語ではなかった、ということか。ついこの前まで生きていたらしいことがウィキペディアに書かれている。彼は何も残していないんだろうか。
 この番組ははじまりがビリー・ボーン楽団の「波路遥かに(Sail Along Silvery Moon)」で、クロージングがビリー・ボーン楽団の「Among My Souvenirs(邦題:思い出の中に)」だった。今、聴くと突然あの頃に戻ってしまう。音楽には思い出が染み付く。The Beatlesの「Yesterday」を聴くと学生時代の学校祭に戻ってしまうように。

 ラジ関の番組はもっぱら夜の番組しか記憶にないけれど、モンティ本多(本多俊夫)の「ミッドナイト・ジャズ」というジャズの番組があった。聴き始めのジャズの勉強はここだった。生まれて初めて入ったジャズ・喫茶は神保町にあったといわれている「響」だった。曖昧なことを書いているけれど、どこにあったのか、今となっては判然としないのだよ。

 もうひとつは、あの一世を風靡したVAN Jac.が提供した「IVY CLUB」という番組。被れていたから必ず聴いていたし、革製のキーホルダーまで手に入れていた記憶がある。

 これだけ並べると、いかに学生時代に勉強なんぞしていなかったことがわかる。もったいない時間を費やしてきたもんだね。


www.youtube.com




www.youtube.com

日本国憲法

日本維新の会とかいう政党の代表だという馬場伸幸憲法記念日の談話として発表した文章の冒頭はこうだった。

日本国憲法が施行77年を迎えた。4分の3世紀を超え、時代と国際情勢の変化に取り残されたまま、我が国の手足を縛ってきた現憲法の課題は明確になっている。」

 誠に正しく日本国憲法を把握・理解しておられることである。そう、憲法というものは為政者がいかに国を理解し、いかに政治を司ってこなくてはならないかの指針であり、基本的ルールを明らかにするものである。「国の手足を縛り」国を誤った方向へいかないように制御するためにある。安倍晋三を始めとする詐欺や脱税に奔走するような政党にとって邪魔でしょうがない、それこそが日本国憲法の真骨頂である。
 軍備費をどんどん増やし、国民の日々の生活なんておざなりにしたまま、自らの手に札束を握りしめることばかりに腐心している連中を政治から排除するためにも日本国憲法は本来の役割を果たすことができるように、私達国民は見守っていかなくてはならない。
 少子、高齢化を語りだしてからこの国は一体何十年経ったというのか。それが起因する状況をどうやって乗り越えるべきかを真剣に語ろうともせず、なんで日本国憲法に手を付けようとするのか。日本維新の会という団体は、政党たる条件を満たしていない。

 高利貸しが議員を務めているという点でも自民党と同じ穴の狢であり、ありていにいえば、自民党という胡散臭い金魚の糞!

MLB

 大谷翔平はベンチスタートだとあったけれど、どうやらそのまま出てこなかったらしい。ドジャーズはひとりも三振しなかったんじゃないか?三振するのは大谷翔平だけかな。

 カブスの今永は最初から負け無しの5勝だそうだ。どういうことかね!!マエケンも山本由伸も勝った。すごいね。ますます藤浪晋太郎が目立つ。多分阪神に帰ってくるんだろう。居場所があるかな?上沢がメジャーに上がったらしい。

 これだけドジャースの試合を見せられたので、ドジャースのメンバーを熟知してきたね。ウィル・スミスが素晴らしい。名前も良い。マクセル・マンシーっていう名前もいいなぁ、まるで芸名だ。

パン

 パスコがやっているPaul'sでカンパーニュを買った。山崎の子会社がやっている店のカンパーニュとは比べようもないほど重くて、すっぱい。食べ出がある。でも、山崎の子会社のほうが好みだな。次はあそこで買おう。

井上ひさし

 井上ひさしが死んだのは2010年のことで、先月の9日でまる14年が経った。つきなみだけれど、あっという間だ。東日本震災の前だなんて。彼の書いたものに初めて触れたのは多分「話の特集」での連載で、なんとも変わった人だとは思っていたけれど、こんなにも遅筆で、こんなにも多作になるとは思いもよらなかった。なんとなく立花隆に通じるものがあるような気がする。天才は似通ったところがあるってことなんだろうか。



 雑誌「東京人」には「没後10年 井上ひさしの想像世界」という特集をした号がある(#431 2020 September)。とことんやる人なので、これ一冊読んだだけでも、井上ひさしの世界の広がりには目を瞠るものがある、というか、とんでもないので手が広がらない。数限りなくあるような気がする戯曲は舞台を見ないとわからない。東京裁判3部作とか、マンザナとか、見てみたいんだが、こまつ座はもうこれをやらないんだろうか。自分では観に行ったこともないのに無責任に云うがいつまでも公演してほしい。見てみたい。




 どこかで雑誌「東京人」#231 - 2006 September 特集「占領下の東京」の中で、井上ひさし半藤一利五百旗頭真と鼎談をしていると読んだ。隣の区の図書館で探したが、この近辺の「東京人」はなぜかさすがの隣の区の図書館でも蔵書にない。さればと、「日本の古本屋」で検索すると550円で売っていたので、ポチッと釦を押した。押したあとでなんとなく表紙に見覚えがあって、あれ?っと書棚や積み上げたものを点検する。やっぱりあった。気がついたらこの三人はもう皆さん鬼籍に入っている。
 もっと井上ひさしを所望。


なぜわが区立図書館では「東京人」がOPACで出てこないのか。

 わが区の図書館のOPACで雑誌「東京人」を検索するとなぜか過去2年分しか出てこない。それなら借り出せるんだけれど、それ以前のバックナンバーは蔵書としてはないように見える。おかしいなぁと思って雨の中行ってみた。二階に「郷土・資料調査室」というセクションがあり、その部屋の書棚に創刊号からズラッとならんでいる。なんだ、あるじゃないか、と思ったら、それが全部貸出禁止である。所々に背中に「貸出用」と貼られたものが挟まっている。手に取ってみると、貸出用の貼られた号は「館内用」がもう一部存在する。つまり複数存在する号は借りることができるのである。
 では、複数のコピーがある号とは一体なんだろうか。それは「この区に関連のあるもの」なのである。つまり、一部だけしかないものは「この区」には直接関係のない号である。じゃ、なんで「郷土・資料調査室」にあるのか。普通に考えれば、「この区に関係がある号」は「郷土・資料調査室」において貸出禁止にすればよいが、他の号は自由に貸出しすればよいのではないか。
このルールを設定した人の考えはそうではないらしい。

 雑誌「東京人」は「東京に関する雑誌だから」という理由で全冊抱え込んで保存するべきは東京都立図書館で良いのではないのか。大宅文庫でよいのではないのか。
 私が借り出してきた隣の区の図書館では、この雑誌はすべての号が揃っているわけではない。ある時期から急に蔵書するようになったようで、それはすべて貸し出ししている。

 「郷土・資料調査室」で、貸し出す、貸し出さない号の基準はなんですか?とお伺いしたら、とってもか細い声でボソボソとおしゃべりになるやんごとなさそうな女性が「ここではそれは答えられないので、あとから電話する」とおっしゃった。良く聞こえないので「はぁ?」「はあぁ?」と繰り返しながらようやくここまで来た。あとから家に電話がかかってきたがおんなじ調子だったから、もうそれ以上質問しなかった。年寄にははっきり喋って欲しいなぁ。これ以上、雑誌「東京人」を郷土資料として永久に保存するのはわが区でなくてよいのではないか、と言い争いをしたら、さぞかし「カスハラだ!」なんぞという扱いを受けることになるんだろう。
 それにしても「東京人」が郷土の資料になっちゃうなんて、ちょっと情けない。もっと重要な資料はたくさんありそうだ。

偶然に遭遇

4年前にNYCの美術館のカフェで食べたスープ。水と小さなクロワッサンとで15ドルだった。今だったら日本円に換算すると2,400円になる。


 いつものように図書館へ本の返却と、借り出しにいった。近頃はいっぺんにどっと借り、しかも一冊が大著だったりするので、丈夫な袋に入れてまるで担ぐようにしていく。ここのところ「東京人」のバックナンバーを借り出している。うちの区の図書館は前にも書いたように貸し出さない。そんな事をいってはなんだけれど、このたぐいの雑誌を後生大事に禁帯出にする意味がわからない。どんな理屈がついているのか聞いてみたい。



 いつものようにバスでふたつ停留所分を乗っていこうと、停留所にやってくると、バスは出た直後なのに、一人おじさんが立っている。すんでのところで乗り逃がしたのかなぁ、と思いつつ見ると、それが10数年来の友人だった。驚いた。彼は目が悪いのでこちらから声をかけないと気が付かない。どうしたの!と尋ねると、かかりつけの泌尿科医のところへ来たという。コロナ前、4年前の正月以降活動を停止して、昨年とうとう解散してしまったバンドで一緒だったドラムを担当していた。彼はアマチュアにしておくにはもったいないほどのしっかりしたドラムで、74歳の今でもいくつかのバンドで叩いている。一昨日に彼が加わっている二つのバンドのライブがあったと聞いていた。
 昔の仲間はどうしているのかと聞いて驚いた。ひとり還暦前にして亡くなったのは聞いていたが、数年脳腫瘍でこの先はないと聞いていたギタリストがとうとう他界。かつてはオリジナル曲を歌って某放送局の番組では人気沸騰していたデュオの人が脳梗塞で車椅子生活になってしまっているという。彼のデュオのパートナーだった医者は何年も前に脳腫瘍で他界している。こうしてみると、だれもかれもが循環器系の疾病で命を落とし、自由を失っている。それにしても、全員が私よりも若いのだ。

池の畔のベンチに憩う人たちが全員外国人の観光客、そんな日々