ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

長髪


 ビートルズが世界的にデビューしたのは私が高校一年か、二年の頃だ。ちょうど多感な時期だ。マッシュルーム・カットとかいって、今から考えれば、とても長髪とはいえないようなもっこりした髪型が画期的だった。LOVE LOVE ME DO !なんて歌っていたわけだから当然感化されちゃって格好はVAN Jac.にかぶれていながら心情はビートルズに惹かれていったわけよ。だから、大学に入るやいなや髪の毛も長めになるね。すると、当然明治生まれの親父は気に入らないわけだ。「髪を切れ!」と怒鳴っていた。ある日、長姉が「あんた、髪の毛くらい、お父さんのいうことを聞きなさいよ」といった。「ばかやろう、髪の毛ぐらい親のいうことに逆らったっていいじゃないか、”ぐらい”というんだったら!」と言い返したもんだ。大学4年のクラブの定期演奏会の前夜にはそれほど長いわけじゃない髪の毛を、その姉が使っているホット・カーラーで巻いていった。仲間もほとんどは長い(といってもそれほどじゃない)髪をしていた。就職試験が始まったら、全員が七三に分けて学生服を来て面接に行った。
 くだらない抵抗だったわけだ。気がついたら、そんな髪の毛だって「なくなってみて初めて知る長い友」になっちまったよ。バリカンで刈り上げちまえば、洗髪も楽なもんさ。負け惜しみ。あ、髪の毛を失うってのは「負け」なのか。

 Evernote Japanが解散するっていっている。じゃ、なんでバージョンアップしてんだって話だよな。こっちゃ有料利用者だぞ!

ツツジ


 今やツツジが満開で、こうして見ると近所の道路の植え込みという植え込みはほとんどツツジで占められているというのがわかる。全部がツツジなのか、サツキなのか、カメリアなのか、私にはわからないけれど、とにかく、その種類の赤や白の花が咲いている。


 一時間に一本しか来ないバスが、平日にもかかわらずやけに混んでいて、ほとんどがどうやらこの路線に乗り慣れていない人のようで、一体なにごとならんと思っていた。隣の区の図書館の前の通りを歩く人達の数もいつもとは比べようもないくらいに多い。そこまで来てようやくわかったのは、大きな神社の境内にあるツツジの場所だ。多分あの一体が満開で年に一度の人でなんだろう。かつては出かけていって写真にしたものだったけれど、今はもう人混みが面倒くさくて、足を向ける気にならない。


 平日にこういうところへ足を向ける人たちの殆どは爺婆で、帰りのバスも沢山の人が停留所にならんでいた。

雨 病院

木香薔薇が満開です

月に一回の病院通い。家を出た時は霧雨だったが、やっぱり傘をさす。西洋人だったらささないだろう。今使っている真っ黒い傘は確か近所の傘屋が店を閉めるんだという新聞記事を見て、買いに行った。ところがその傘屋はひとしきり閉店セールをやったら、向かいに店を移してそのままやっている。ま、確かに閉店だったが、これは普通は移転という。で、その傘なんだけれど、柄の根元にリングが付いていない。これがついていないと何が不便といってわざわざ濡れた傘をぐるぐるっと回して、ついているスナップ付きの布切れで留めなくては成らない。リングがあれば、あれで骨の先端をぱちんと留められる。

 そんな雨模様だったからカメラを持たずに家を出た。なぁに、撮りたくなったらスマホで撮ればいいんだと。ところが気がついたのは私はスマホを顔認証にしている。マスクをしていると、私のスマホは認証しない。いちいちタップしてパスワードを入れなくてはならない。小さいのでいいからカメラを持ち出せばよかった。

 病院では、45日ぶりだったから、あれ目的、これ目的で血液検査をするといって4本分も採血された。未だにあの針が入る瞬間が嫌で嫌でたまらなくて、顔をしかめるから、マスクをしているとそれがバレなくて助かる。頻尿に悩み始めたといったら、医者がそれではまず前立腺のための投薬をしてみようという。いずれにしろ、面倒なことだ。

 一日二食、12時間おきという食習慣が、ここのところ乱れて、3日ほど三食食べてしまったら、あっという間に体重が1kg増えた。普通は三食食べないと、一度にどっと食べてしまって太るというんだといわれるが、私はそうはならない。それは多分食が細くなっているからではないか。それでも食欲はなくならない。食べられるものなら食べたい。

 帰り際には雨は本降りになってきた。

散歩


 新調したトレッキング・ブーツが固くて、足が痛くなるので、どんどん履かなくちゃと慣らし運転をするけれど、なかなかなじまない。強硬手段に出始めて、両手で持って台の上でギュンギュンと曲げ、靴の中にどんどん型を押し込んで内側を広げようとするんだけれど、それでも敵は強硬である。



 大著である。一体本当に読み切れるものだろうか。

授業

最初から赤い


 滔々と先生が喋り続ける授業というのが日本の大学では一般的じゃないかなぁ。
生徒は楽だよぉ〜!配られたレジメにメモって聞いているだけ。何を読まなきゃダメだとか、なにを課題として考えなくてはいけないとかもなくて、試験が気たら受ければいいだけ。こんなの授業じゃないというか、教える側としては私は非常に怠慢だと考えている。生徒としては面倒くさくて、出るのが嫌になるかも知れないけれど、常に先生が言っていることを「本当かよ、だったらこういう時はどう考えるんだよ」と考えながら聞いていないといつそれを求められるかわからないという状況で授業をしなくちゃいけない。そうでなかったとしても、常に、チャンスがあったら質問する、反論するという意識を持って聞いていると、それに近い状況に自分を置ける。
 ところが質問されると迷惑そうにする先生だっているってのが、どうにも許せない。
 出ている学生の殆どがそう考えている授業は面白いよぉ。そういう環境は受験が簡単な大学にはそうそうは生まれないんだよな。残念なことに。

百花園に行く

ここに居着いた鴨の番がいる


 久しぶりに百花園に足を向ける。梅や桜の時期にやってこないで、なんで今頃行くのかというと、全く理由がない。ただ足の向くまま歩いていたらそっち方面に行ったので、ままよってんで行った。年間パスは7月まである。年間パスといったって、なぁに爺婆はたったの280円である。そんな値段で、偉そうに受付でパスを見せて入る。ほとんど見るべきものはなさそうな時期だけれど、丹念に狭い園内を見て歩くと結構いろいろある。


 モチノキの仲間でタラヨウ(多羅葉)という常緑樹の、なんとこれが花。八手の花のようにツンツンが出ている。この時期じゃなきゃわからない。別名:葉書の木。どういうことかというと、この木の大きな葉っぱの裏に尖ったもので字を書いてみるとあとから黒くなって、文字が読めるんだという。葉っぱに字を書いて、それを送ればそれが「はがき」だってんです。知らなかった!


 たった一輪だけですが、きれいな芍薬の白い花が咲いていた。「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」と褒められる芍薬は実に優美というか、派手な花で、ちょっといけ好かないような気がしないでもない。周りにはいくつも花芽が出ていて、もうちょっと経つときれいに咲くんじゃないか、という気がする。


 ここの池には何年か前から居着いているつがいのカモがいて、片割れが何回も池の中に潜ってなにかしているなぁと思ったら、なんか咥えて出てきて、ひとりでガツガツと食べている。シェアすることはなさそうだ。
 後で写真を拡大してみたら、なんとこの鴨が食べていたのはザリガニだった!

放送

二十腹霊神

私、小4の夏休み明けに隣の県に転校した。
最初の日に半ズボンで革靴はいていったのが失敗。標的になった。待ち伏せされたりね。

でも漢字の書き取りで抜群だった。
昼休みに小テストが毎日あった。
突出している状態に困った先生がわたしを昼休みの放送委員に出した。
自分もそういうの大好きだったからね。昼休み中放送室に詰めることになった。
その間に漢字の書き取り小テストが行われたわけ。

でも、こまっしゃくれていたので、イニシアティブをすぐに取り返した。
そういうところはおとなになってもあんまり変わらなかったけれど、何をやっても早いけれど、中途半端。
クラスのソフトボールチームに入れてといったら、ラインアップには並べてもらえず、一塁コーチだった。
プレイは下手だけれど、なんせ語らせるとなんだかんだというから、なんかやらせておかないとウルサイからね。

高校で放送部にいた。
三年の時に落研に担ぎ出された。
大学では放送研にも落研にも入らなかった。
一からやり直させられるのが嫌だったから。
本当は放送局に就職したかった。
でも、今になって考えてみると、才能があるわけでもないから、やめといて正解だった。
しかし、「正解」だったことなんて、何一つない。
何もかも不正解だったなぁ。