ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

赴任

就職した年の4月は2つの工場での実習という名目の様子見だった。
5月連休直前にそれぞれの赴任配置先が発表になって、最後にみんなで横浜駅傍の居酒屋で宴会をした。
ん?あれは一体誰が設定をしたんだろう。
新工場配置になったものは嬉しそうで、希望が叶わなかったやつに奢っていた。
私は九州からやってきた男と二人、地方の工場に配属になった。
東大卒の連中は例の騒ぎの関係で7月になって配属されてきた。

連休最終日に、なぜか東京駅から東海道線に乗って初赴任地へ赴く。
なんだか寂しい出発だった。
 いわれたとおりに駅からバスに乗って独身寮に着くと、先に送ってあった布団袋が入口に放り出されてあった。部屋を聞いて運び込んだ。同室の同僚は群馬から来た高専卒業生で、彼はやる気満々だった。
 なんだかうら寂しかったことだけは覚えている。

風邪なのか

 昨日の夜に、ふと気がつくと、喉の左奥が痛い。扁桃腺にしても片方だけで、右側はなんともない。そう思っているうちにどんどん左側の奥歯の歯茎が痛くなってきて、ご飯を食べたあとに、歯を磨くのが辛い。なんだろうなと思っているうちに顔の左半分がチリチリしてきて、頭も左半分がおかしい。ひょっとして軽い脳梗塞にでもなっているのかと不安がよぎるが、それにしては右手にはなんの影響もない。

 貼る喉薬を上顎に貼って、風邪薬を飲んで寝た。朝浅いうちにお腹が減って目が覚めた。こんな状態なのに、食欲は全然なくならない。これが不思議だ。パンを焼いて食べる。また風邪薬を飲んで寝る。昼前に目が覚めて、饂飩を茹でて食べる。また薬を飲んで寝る。夕方に目が覚めてみると、多少頭の芯に違和感は残るが、喉の痛みは和らぐ。

 せっかく友人が宝にしているビンテージカーで銀座を走るというので写真を撮るつもりだったの、オジャンになった。

日記

 原彬久(はらよしひさ)編、中公文庫版で、なにかの参考になるかも知れないと持っている。底本は2003年刊行。妖怪のあの声がそのまま出てくる気がする。あの嫌な声だ。中で「弟は日記をつけているらしいが、まだ刊行するべきじゃない、あまりにも生々しすぎる」といっているのを見た。ホォ、あいつの日記があるのか、きっとそれを読んだら、あいつの声で読めるかもしれないと思った。
 編者の原彬久は、予備校の机に「このさいしょうがない」とふりがなを振って掘られていた国際商科大(現:東京国際大)の教授だった人で、政治家といわれる人のインタビューで知られたらしい。名前は見たことがあるけれど、著作に触れたことはあまりなかった。


 隣の区の図書館で調べると、朝日新聞社刊行で全6巻で1998年に刊行されている。一巻を借りてきてみたが、結構プライベートにも触れていて、ニューヨークへいった時に、息子の佐藤信二のためにゴルフクラブを買って船便で送ったなんぞと書いてある。佐藤信二は某鉄鋼メーカーに20年ほど勤めていたが、結局1974年に全国区から参議院議員に当選。工場のある県での得票数が少ないといって話題になったことがある。親父にそっくりで、鼻持ちならないことおびただしい。

リチウムバッテリー

珍しくAmazonから真面目なメールが来た。
リチウムイオンバッテリーは外部からの衝撃で内部ショートが発生する場合があります。リチウムイオンバッテリーを搭載した製品を落としたり、ぶつけたりしないよう、十分ご注意ください。」というもので、NITE(製品評価技術基盤機構)が注意喚起をしているという。
 そういえば、モバイルバッテリーを買ったことがあるけれど、多分あれは安かろうで買ったから危ないかも知れない。以前にカメラ用のバッテリーを互換性のある安物にしておいたら、中で膨らんで出なくなったことがある。本当にやばいことがあるんだなと、気がついた。あれからは純正しか使っていないが、高く付く。カメラメーカーはなんで一つずつ違うバッテリーを使うのかと、気に入らない。設計上いろいろあるんだろうけれど、あまりにも違いすぎる。プリンターのインクもしかりだ。万年筆のカートリッジも、欧州のものは共通なのに、日本のものはバラバラだった。

 カメラといえば、どうしてNikonCoolpix P-1000がバカバカしく値が上がっているのかと思ったら、Nikonが製造を終了してしまったのだそうだ。そんなに値が上がるほど需要があるのに、なんでやめたのだろうか。後継機の発表もない。ズーム付きデジカメはとても便利なのに。写真の腕が上等で技術的に最高を求めるようなプロはまだしも、私のような、バシャバシャ写真で満足する者にとっては最高なのになぁ。

ラジオ関東



 現在の「ラジオ日本」はかつて「ラジオ関東」といっていた。関東から突然日本になっちゃうってのもどうかと思うけれど、当時私達は「ラジ関」と略称していた。東京の人たちはどのへんまで聴こえていたのか知らないけれど、わたしたち横浜の人間は普通に聴いていたんだろうと思う。
 このサイトで何度も「昨日の続き」のことは書いた。それくらい、毎晩聴いていた。永六輔大橋巨泉前田武彦はかま満緒保富康午くらいまでは覚えているけれど、青島や小林信彦が出ていたのは記憶にないなぁ。女性は草笛光子の妹の富田恵子、提供は参天製薬


 洒落てんなぁと思ったのはケン田島と森すみこの「ポート・ジョッキー」だった。なんでもケン田島はロンドン生まれで戦前に日本に帰ってきたんだという。ということは彼の英語は米国英語ではなかった、ということか。ついこの前まで生きていたらしいことがウィキペディアに書かれている。彼は何も残していないんだろうか。
 この番組ははじまりがビリー・ボーン楽団の「波路遥かに(Sail Along Silvery Moon)」で、クロージングがビリー・ボーン楽団の「Among My Souvenirs(邦題:思い出の中に)」だった。今、聴くと突然あの頃に戻ってしまう。音楽には思い出が染み付く。The Beatlesの「Yesterday」を聴くと学生時代の学校祭に戻ってしまうように。

 ラジ関の番組はもっぱら夜の番組しか記憶にないけれど、モンティ本多(本多俊夫)の「ミッドナイト・ジャズ」というジャズの番組があった。聴き始めのジャズの勉強はここだった。生まれて初めて入ったジャズ・喫茶は神保町にあったといわれている「響」だった。曖昧なことを書いているけれど、どこにあったのか、今となっては判然としないのだよ。

 もうひとつは、あの一世を風靡したVAN Jac.が提供した「IVY CLUB」という番組。被れていたから必ず聴いていたし、革製のキーホルダーまで手に入れていた記憶がある。

 これだけ並べると、いかに学生時代に勉強なんぞしていなかったことがわかる。もったいない時間を費やしてきたもんだね。


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日本国憲法

日本維新の会とかいう政党の代表だという馬場伸幸憲法記念日の談話として発表した文章の冒頭はこうだった。

日本国憲法が施行77年を迎えた。4分の3世紀を超え、時代と国際情勢の変化に取り残されたまま、我が国の手足を縛ってきた現憲法の課題は明確になっている。」

 誠に正しく日本国憲法を把握・理解しておられることである。そう、憲法というものは為政者がいかに国を理解し、いかに政治を司ってこなくてはならないかの指針であり、基本的ルールを明らかにするものである。「国の手足を縛り」国を誤った方向へいかないように制御するためにある。安倍晋三を始めとする詐欺や脱税に奔走するような政党にとって邪魔でしょうがない、それこそが日本国憲法の真骨頂である。
 軍備費をどんどん増やし、国民の日々の生活なんておざなりにしたまま、自らの手に札束を握りしめることばかりに腐心している連中を政治から排除するためにも日本国憲法は本来の役割を果たすことができるように、私達国民は見守っていかなくてはならない。
 少子、高齢化を語りだしてからこの国は一体何十年経ったというのか。それが起因する状況をどうやって乗り越えるべきかを真剣に語ろうともせず、なんで日本国憲法に手を付けようとするのか。日本維新の会という団体は、政党たる条件を満たしていない。

 高利貸しが議員を務めているという点でも自民党と同じ穴の狢であり、ありていにいえば、自民党という胡散臭い金魚の糞!

MLB

 大谷翔平はベンチスタートだとあったけれど、どうやらそのまま出てこなかったらしい。ドジャーズはひとりも三振しなかったんじゃないか?三振するのは大谷翔平だけかな。

 カブスの今永は最初から負け無しの5勝だそうだ。どういうことかね!!マエケンも山本由伸も勝った。すごいね。ますます藤浪晋太郎が目立つ。多分阪神に帰ってくるんだろう。居場所があるかな?上沢がメジャーに上がったらしい。

 これだけドジャースの試合を見せられたので、ドジャースのメンバーを熟知してきたね。ウィル・スミスが素晴らしい。名前も良い。マクセル・マンシーっていう名前もいいなぁ、まるで芸名だ。

パン

 パスコがやっているPaul'sでカンパーニュを買った。山崎の子会社がやっている店のカンパーニュとは比べようもないほど重くて、すっぱい。食べ出がある。でも、山崎の子会社のほうが好みだな。次はあそこで買おう。