磯野真穂『医療者が語る答えなき世界』を読む

 磯野真穂『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』筑摩書房ちくま新書)2017年

 ISBN978-4-480-06966-5

  

 若手の人類学者の一般向けの本を読むシリーズの第二弾は、磯野真穂さんの2017年刊の本です。磯野さんはこの後も、がんで亡くなった哲学者の宮野真生子さんとの往復書簡『急に具合が悪くなる』(2019年、晶文社)、『ダイエット幻想』(2019年、ちくまプリマー新書)と、話題となった一般向けの本を出しています。そして、5月28日の読書ノートで紹介したように、コロナ禍についても新聞その他で多く発言しています。

 

 本書は「医療人類学」という学問が何をするのかということが分かりやすく書かれています。生物学的医療とも呼ばれる近代医療についての社会科学的研究、たとえば医療社会学では、しばしば患者を「ひと」として見ない(数字などのデータしか見ない)医療のありかたが批判されています。しかし、本書の「プロローグ」で、「私たちは具合が悪くなると、自分のことに夢中になって、医療者も私たちと同じ人であるという事実を忘れてしまいがちである。そして医療者自身も患者からそのような人として見られることを必ずしも望んでいないだろう。/しかしやはり医療者も人なのである。/ここでは診察室ではなかなか超えられない医療者と患者という境界を取り払い、医療者をひととして見てみよう。/医療者という役割の後ろ側にはいったいどんなひとがいるのだろうか」[13頁]と書かれています。

 この「医療者という役割の後ろ側にはいったいどんなひとがいるのだろうか」というときの「ひと」は、役割には還元できない単独的な存在としての「ひと」でしょう。すなわち、本書の目的は、医療システムのなかで医療者と患者とが役割に押し込められているときには見えてこない、交換不可能な単独者としての医療者を描くことにあると宣言されているわけです。それはとても人類学的だと言えるでしょう。

 とはいっても、そのことは本書が現代の医療体制に対して無批判だということではありません。むしろ、十分に批判的です。ただ、そのような批判すべき体制に同化しながら働いているようにみえる医療者も、フィールドワークにおいて顔のある存在として付き合うことで、顔のない存在ではなく、単独的な「ひと」として現れてきます。そして、医療者一人ひとりが顔のある単独的な存在でもあるという視点が、そのような体制を外から批判するよりも、医療体制がどうしてそのようになったのか、またそれを良くしていくにはどうしたらいいのかを考えるうえで重要だということを、本書は示しているように思います。

 たとえば、第1章「気付き」に登場する、療養型病院でケアワーカーとして働く前田さんは、デイケアセンターから転職してきた当初、衝撃を受けたといいます。ひとつは、150人の老人のうち7割近くが経管栄養を受けていて、決まった時間になると栄養ボトルがずらずらとベッド上にぶら下げられ、その下に管につながれた無表情の老人が横たわる光景であり、もうひとつは、週2回の入浴で、自分で歩ける人もストレッチャーで部屋に運ばれ、ドーム型の装置に入れられ、介助者がドームの穴に手を入れて洗う機械浴をなすがままにされるもので、「入浴」というよりマグロの解体場さながらの光景に唖然としたと言います。

 しかし、「デイケアで働いていた時と大きく異なり、療養型病院の一日は比べ物にならないくらい忙しく、そのような日々を送る中、前田を絶句させた栄養ボトルがずらずらとぶら下がる光景も、機械浴のそれも、いつしか前田のふつうに」[26頁]なっていきます。機械浴の度に「嫌だ、嫌だ」と泣く100歳のおばあちゃんに、前田さんは「泣いている場合じゃないよ!」と叱りつけるようになりました。

 けれども、「スケジュール通りに業務を動かすための駒」として、前田さんがいつしか慣れてしまった病院の日常への疑問を感じ始めるきっかけとなったのも、この「スタッフから『わがまま』のレッテルを張られていた100歳のおばあちゃんでした。まず、いつもスカートを穿いているおばあちゃんは、そのゴムが緩んでしまったので「買いに行きたい」と前田さんに言います。でも、外に買いに行きたいというおばあちゃんの願いは、看護師長にそのような個別対応はできない、「一緒に行くことも、代わりに買いに行くこともしないでほしい」と断られます。前田さんは、「スカートのゴムも換えられない病院ってなんだろう」と、病院の「ふつう」に疑問がわき始めます。

 

 さらにゴム事件からしばらく経ったある日、前田はおばあちゃんから「あんた一人暮らしなの?」とたずねられる。「そうだ」と答えると、なんとおばあちゃんは「一緒に住んでもいい?」とたずねてきた。/いっけん多くの人をどん引きさせそうな質問であるが、その時の前田の脳裏に浮かんだ考えはかなり実践的なものであった。記憶力もよく、もたつきながらではあるが、ある程度のことは自分でできるおばあちゃんなら、「火の元さえ気を付けてもらえればいけるかも!」。そう彼女は答えたのである。[31頁]

 

 そして、前田さんはおばあちゃんについて、インタビューで次のようにも言います。

 

ある時、泣きながら「外の空気を吸いたい」っていわれたんですよ。あれ食べたい、これ食べたい、とかじゃなくて、「空気を吸いたい」って言われた時に、本当に悲しくなって。[32頁]

 

 前田さんが、病院の体制に疑問をもつようになったきっかけは少しも劇的なことではなく、おばあちゃんとの些細なやりとりのように見えます。けれども、そのやのとりのなかで、前田さんにとって、おばあちゃんを交換可能な「利用者」としてではなく、顔のある「ひと」になっていったのでしょう。「一緒に住める?」という質問への答えはそのことを端的に表しているように思います。そして、このことは、一度相手を単独性のある(「顔」のある)「ひと」として見てしまったら、その人を交換可能で比較可能な存在として、つまりモノとして扱うことが困難になるということを示しています。それを麻痺させるのが、効率性を重視したシステムなのだというわけです。

そうして、前田さんは、「利用者よりも、職員の確保と都合が最優先され、ときに利用者を乱暴に扱うスタッフになんのお咎めもない病院の体制に大きな疑問を感じ、そして何よりも自分自身の心を守るため、この病院を去ることを決意した」のでした。この章の最後はつぎのように締められています。

 

現在在宅介護の現場で働く前田は病院時代を振り返り、経管栄養ではなく口から食べることのできる人は実際はもっといたのかもしれない、自力入浴が可能なお年寄りが10人に満たないという理由で浴場は閉鎖されたが、ほんとうはもっといたのかもしれないと思う。

 しかしそれは今だから思うことであり、その渦中にいた際にはそのような疑問をもつことすらできなかった。[34頁]

 

 第4章「新薬」では、脳梗塞を起こすリスクのある心房細動に対する抗血栓薬の新薬の処方に慎重な態度をとる医師が紹介されています。1962年に導入されて以来広く使われてきた抗血栓薬はワルファリンという薬で、脳梗塞の危険性が64%軽減されると実証されていました。しかし、この抗血栓薬は血をサラサラにする半面、脳出血のリスクを挙げてしまいます。そのため、この薬を処方する医師は、脳梗塞のリスクを最小限に抑えると同時に脳出血のリスクも最小限にするため、定期的な血液検査を行い、効き目の指標をみながら、薬の容量を微妙に調整し、また効き目のための食事制限も指導する必要がありました。まさに医師の「匙加減」が必要とされる薬でした。

 しかし、2011年に、定期的な血液検査も食事制限もいらず、ワルファリンより脳出血の可能性が低いという、DOAC(直接経口凝固薬)の一種であるダビガトランという夢のような新薬が日本でも発売解禁となります。この新薬の有効性は、権威ある医学雑誌に発表された、44か国951施設での1万8113人の心房細動患者を対象とした大規模臨床試験の結果を記した論文によって知れ渡っていました。大規模臨床試験の結果で医師たちを驚かせたのは、ワルファリンと比べた脳出血の発現率で、薬を飲んでいない心房細動患者とほぼ同じだったのです。それにより、大きな期待とともに発売解禁となったダビガトランでしたが、発売後5か月たって発売した製薬会社からブルーレターと呼ばれる緊急安全性速報が発行され、死亡例5つを含む81例の重篤な出血が報告されたのでした。

 なぜこのようなことが起こるかというと、臨床試験では、高い専門性を持った医師が、安全性が高いと考える患者を選び被験者の依頼をし、万が一の事態を防ぐための二重、三重の防御策が張られていますが、一般の臨床でここまでの防御策を張ることはできないからです。磯野さんは、「信頼性の高い結果を出すためには、研究のデザインを綿密に設計し、それと齟齬がでないように研究を進めなければならない。しかしそれゆえに、研究は現実の世界と乖離してしまう。なぜなら現実とは、設計図では想定していなかった事態が起こりうる不確実な世界だからだ」[95-96頁]と述べています。

 このように、薬の有効性のエビデンスが揺らいだ一方で、臨床の現場からもダビガトランなどのDOACに対する懸念が表明されています。ワルファリンから直ちにDOACに移行した医師も多いのですが、DOACの処方に慎重な医師もいるのです。その一人である、20年以上の臨床経験のある循環器の専門医である赤井さんは、ワルファリンでは存在していた効き目を見るための指標がDOACではなくなったことを指摘します。そして、赤井さんの懸念は、次のように述べられています。

 

 血液検査による微妙な用量の調整がいらないというのはDOACのセールスポイントであり、錠剤を一日二回といった一律の処方の仕方は、抗血栓薬が「ふつうの薬」に近づいた証拠ともいえる。

 しかしそのことは逆に、現場の医師が肌感覚で感じることができていた、目の前の患者の状態を知るための指標を奪いとってしまう結果となった。医師と患者が診察室で共有することのできていた数値が消えたことで、セールスポイントが逆に懸念材料となるというパラドックスが生まれているのである。[101頁]

 

 患者個々人の予測できない状態の変化を見ながら「匙加減」をするという、いわば臨床の「術」が、新薬からは排除されていっているわけです。しかし、赤井さんは、「だからといって臨床医の裁量でDOACを出さないと決めるのも難しいと言います。ワルファリンより出血のリスクは低い統計結果というエビデンスがある以上、患者の年齢や個々の生活状況、体力、ちゃんと指示通り服用しているかという薬剤管理などのすべてを考慮してデメリットの大きさを理由にDOACを控えるという判断は、勇気がいるし難しいというのです。赤井さんは、「単純に型どおりに薬[DOAC]を出す方が楽でもある」と言います。

 その困難さの背景にはエビデンスに基づく医療という考え方があります。この章の最後にはつぎのように書かれています。

 

 1990年代から世界に広がったEvidence Based Medicine(EBM)は、科学的根拠に基づいた医療という意味である。その領域の権威の言葉や感覚的な知見に頼って治療を行うのではなく、科学的根拠に基づいた医療を行おうという考えは理念としては素晴らしいだろう。しかしそれは、エビデンスという新たな権威を作り出す結果となった。

 血栓予防のためではあるがその一方で出血しやすくなる薬を、従来薬よりリスクが少し低いという根拠で積極的に処方することの意味は何か、処方の際に効き目の確認と微調整が不要になることはほんとうに利点なのか、10倍の価格をどうとらえるべきなのか――赤井が感じるこのような疑問は、患者個々人がエビデンスという均質化された数値では対応しきれない多様性を示すことを肌感覚で知っているからこそ現れる懸念であろう。しかし、そのような現場の質感は、RE-LY試験のような華々しい量的数値の前では、影が薄くなってしまう。

 新薬を手にし、医師が歓喜するとは限らない。新薬を前に、医師が立ち止まることだってあるのである[107-108頁]

 

 このように、EBMは、個々の患者のさまざまな状況を総合的に判断するという、臨床におけるコモンセンス(常識)や、それらの状況に合わせる〈わざ〉を無意味なものにしてしまう医学だと言ってもいいでしょう。それは(科学的根拠を重視する以上、当然ですが)、身体の単独性や、精神科医木村敏さんのいう「アクチュアリティ」を扱うことができないのです。

 最後に取り上げたいと思うのは、第6章「いのちの守りびと」です。最初のところで、この章のねらいが次のように書かれています。

 

 私は文化人類学者として、さまざまな医療現場にお邪魔させていただく機会を得た。そこで私は診察に同席させてもらい、現場で医療者は何を考えているのかを教えてもらっているのだが、私はその経験を通じ、次のことを感じるようになった。

 病気を「治す」ことが医療の仕事であるというしごく当たり前の考えは、かれらの仕事の本質をむしろ見えにくくするし、もっといえば、誤解すら招きかねないのではないか、と。身体の異常を元通りに治すとか、心身の不調をすっかり取り去るとか、字句通りの「治す」からはいっけん離れたところにある医療行為が現場にはたくさんあり、それらの行為こそがまさしく医療なのではないかと思わせる場面が存在するからである。[139-140頁]

 

 つまり、この章では病気を「治す」ことに還元できない医療行為を実践している医療者が何人か取り上げられています。そのうちの一人である加藤さんは、現在、高齢者病棟で働く理学療法士です。その病院にやってくるのは老化が原因で転倒したとか、寝たきりの患者がほとんどで、患者の家族も家での介護の負担を減らすため、患者に長く病院にいてもらいたいと思っているし、病院側も長期入院のほうが採算的に助かるという関係で成り立っている病院です。つまり、機能回復という明確な目的のあるリハビリはほとんど行われていないのです。そこで、病棟勤務も外来勤務も経験したことがあり専門知識もある加藤さんに、磯野さんが、経験や知識を活かせない環境でむなしさは感じないのかという質問をぶつけたところ、「むなしさを感じることがしばしばある一方、徒手的療法のような手技療法だけがリハビリではない」という答えが返ってきたといいます。すなわち、自分が「指示する運動だけでなく、同じ空間に人々が集まり、そこで他愛もない会話が生まれること、それによって楽しさが感じられること、それらを全部ひっくるめてリハビリなのでは」と加藤さんは考えているのです。

 けれども、加藤さんのそのような意見は、それを書いた磯野さんの記事を読んだ加藤さんの元同僚の理学療法士から、「これが理学療法士の仕事だと思われたら困る」という批判を受けたのでした。その同僚は、大きな病院でバリバリと理学療法を実践しているので、「そういう人たちからすると『話すだけでもリハビリ』っていうのは許せないし、『理学療法士のプライドは? やっぱり自分の手で何かを患者さんにやってあげられて初めてリハビリじゃないの?』と言われちゃうわけですね」[144頁]と加藤さんは言います。

 それに対して、磯野さんはつぎのように書いています。

 

 加藤の元同僚の言葉からは、理学療法士にとって「何かをやってあげる」ということは、患者さんの身体を「治る」に近づけることであるという信念が見え隠れする。その視点からみると、「治せていない」加藤のリハビリは、理学療法ではないという結論になるのだろう。

 しかしその一方で、リハビリの時間を通じて、高齢の入院患者が笑顔になったり、生き生きしたりする事実を私たちはどのようにとらえるべきなのだろう? それは、その辺の通行人もできる簡単なことと言えるのだろうか?[144-145頁]

 

 この章には、「治らない」難病のALS病棟で働く看護師が、他の病院の看護師から「それは看護ではなく介護だ」と揶揄される例も出てきます。それについても、磯野さんは、「『それは看護ではない』という言葉から読み取れるのは、『看護とは、あくまでも治ることのプロセスを後押しするもので、日常生活のお世話ではない』、『看護とは介護よりも崇高な何か』という含意であろう」[151頁]と書いています。

 磯野さんは書いていませんが、医療システムのなかの「治す」という役割に結びついた医療者のアイデンティティとプライドは、医療者を交換可能な存在としてシステムに縛り付けます。医療者が交換可能な存在として働くことは、かれらが相対する患者も交換可能な存在として扱われるということです。そのようなアイデンティティやプライドは、働くモチベーションになるのかもしれませんが、磯野さんが「治す」という役割からなかば降りた医療者(治さない理学療法士やALS看護師)の姿を描いているのを読むと、かれらのほうが活き活きと働いているようにみえます。

 たしかに、医療者も患者も交換可能な存在になっている近代の医療システムは、その交換可能性ゆえに一定の成果をあげてきました。磯野さんは、それを「標準化」と呼び、次のように言っています。

 

 標準化は現代医学が重要視するものの一つである。/研究で得られた結果が、どこに行っても再現されること。/誰が診察しても、誰が患者でも同じように再現されること。

 それがエビデンスであり、エビデンスこそが医学の根拠にされるべきと謳われる。現代医学においてRCT(無作為試験法)が重宝されるのは、研究デザインの中に人に依存しないやり方がビルトインされているからだ。そしてエビデンスに基づき、治療のためのガイドラインや病気のリスクを評価するための尺度、処置の手順を示したプロトコルが創られ、それらが標準化のツールとなる。

 私たちが日本中どこの病院に行ってもそれほど変わらない医療を受けることができる理由の一つは、標準化のための様々なツールが教育現場や病院内で機能しているからであり、標準化が重要視される理由の一つは、現代医学の哲学に人間の身体の同一性が措定されているからである。[161-162頁]

 

 けれども、患者も医療者も交換可能なものにする標準化は「治す」ということに関しては一定の利点がありますが、それだけでは医療にはなりません。というより、磯野さんは、それは医療の一部でしかないとしているようにみえます。そして、次のように言います。

 

 しかし当然のことながら私たちはモノの塊ではない。私たちは人生というそれぞれの歴史の中で、固有のものの見方、考え方を作り上げ、そしてそれを刷新しながら生きており、その生き方までも標準化することは不可能である。[162頁]

 

 そして、磯野さんは、医療者の仕事を「治す、治さない」という二項対立的な基準を超えて、つぎのようにとらえなおしています。

 

 医療者の仕事の根幹は、モノとしての人間を徹底的に標準化することで体系づけられた医学という知を、それぞれの患者の人生にもっとも望ましい形でつなぎ合わせ、オーダーメイドの新しい知を患者とともに作り出していくことにある。そこで作り上げられる知は、標準化されることもなければ、再現されることもないが、人間の営みかが本来そのような再現性のないものである以上、医療という知もまた再現性のなさをはらむ。

 医療者の仕事は医学を医療に変換すること、本章ではこう結びたい。[163-164頁]

 

 ここでの「医学」と「医療」という言葉を使った対比を用いれば、臨床における「医療」は、再現性や公共性のないものです。それに対して、標準化によって誰もが再現できるものとなっている科学的な「医学」は、人間の生き方・営みそのものを捉えることができない。この対比は、精神科医木村敏さんによる、現実を言い表す二つの言葉、「リアリティ」と「アクチュアリティ」の対比と重なります。木村さんは、そのラテン語の語源までたどって、リアリティのほうは「事物」を意味するresから来ており、アクチュアリティのほうは「行為」を意味するactioに由来していることを指摘し、リアリティが事物を認識し確認する立場からみた現実であるのに対して、アクチュアリティは現実に向かってはたらきかける行為のはたらきそのものに関わる現実だと言います。そして、「科学はこのアクチュアリティを扱うすべを知らない。アクチュアリティは一瞬も固定することができないからである」(『心の病理を考える』岩波新書、30頁)と述べています。

 臨床の場で「医療」として作り上げられる知は、標準化され公共的になったリアリティの知ではなく、アクチュアリティの知です。しかし、その「医療」の知は、科学としての「医学」の知を否定するのではありません。科学ではない「臨床精神医学」(現象学精神病理学)を展開してきた木村さんも、次のように言っています。

 

 私は、精神医学といえども全体としてはやはり、科学としての客観性を追求してゆくべきだろうと思っている。少なくとも、精神科医の全員が共有しうる公共的に開かれた知識を集積することは、科学としての精神医学に与えられた任務だろう。(中略)しかし本書でも随所に書かれているように、科学には人間的現実に対応できないという決定的な限界がある。科学がその限界を忘れるとき、科学は人類に禍をもたらすことになる。科学は自己自身に対する異議申立人をもたねばならぬ。現象学精神病理学が、たとえ少数派であろうとも消滅してはならない理由はそこにある。[『心の病理を考える』ⅵ-ⅶ頁]

 

 磯野さんは、「医療者の仕事は医学を医療に変換すること」だと簡潔にまとめていますが、それは、すべての「医学」が臨床の場で一人ひとりの生きた人間に向っている以上、同じく一人ひとりの生きた人間としての医療者が、患者の生活の状況や身体の状況や精神の状況というアクチュアリティに合わせた「医療」へと変換していかなくてはならないということを意味するのでしょう。

 そして、そのことは社会/文化人類学にとっても重要な指摘です。人類学もまたフィールドという「臨床」の場でのアクチュアリティの知を扱う学問だからです(私はそのことを「アクチュアル人類学」という語で表しています)。もちろん、それは公共化しうる人類学的知識を否定するものではありません。しかし、そのような公共的な知だけでは人類学にはならないのです。人類学者は、そのような知識の体系を、フィールドに生きる一人ひとりの生活者のアクチュアリティについての知に変換しなければならないのです。磯野さんの「医療人類学」は、そのことを明らかにしているように思います。

松村圭一郎『うしろめたさの人類学』を読む

 松村圭一郎『うしろめたさの人類学』ミシマ社、2017年
 ISBN978-4-903908-98-4

 ブログを休んでいる間に、1970年代後半生まれの若い人類学者で、学界向けだけでなく、一般向けに本を書いて出版賞を取ったり、一般雑誌や新聞などで発信したりする人たちが登場してきました。松村圭一郎さん(1975年生)や、磯野真穂さん(1976年生)、小川さやかさん(1978年生)、久保明教さん(1978年生)、猪瀬浩平さん(1978年生)といった人たちです。もちろん、学界向けの専門書や論文を出している若手の優秀な人類学者はこの人たち以外にもいますが、一般向けに出してしかもよく読まれる人類学者が出てきたことは人類学全体にとっても一般読者にとっても好ましいことです。そこで、このブログの読書ノートで、かれらの一般向けに書かれた本を順次(不定期で)取り上げることにしました。
 

 第一弾として取り上げるのは、松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』です。この本は、第72回毎日出版文化賞・特別賞を受賞しています。一般向けでしかも評判の本なので書評はいくつも出ていますが、人類学界に向けての本ではないこともあって、同じ専門の研究者による書評はあまりないようなので、屋上屋を架すことにも意味があるでしょう。
 本書は、10代後半から大学生まであたりの若い読者を想定していると思われます。過剰に理屈っぽくなく、皮肉などは使われず、ただ分かりやすく書かれているだけではなく、共感を喚起するように書かれています。わたしも出版社のウェブサイトに10代の若者向けに連載したことがありますが、悪く癖が出て、理屈っぽく皮肉も交えてしまうので、共感を呼ばず、マイナーな捻くれた若者にしか受けないものになってしまいます。たぶん松村さんは学生にも人気のある授業をしている気がします。
 さて、本書は、「構築人類学」というものを提唱しています。それについての理論や本の構成もよく考えられていて、大人や専門家にも読み応えのあるものになっていると思います。「はじめに」の冒頭で、松村さんはつぎのように述べています。

 世の中どこかおかしい。なんだか窮屈だ。そう感じる人は多いと思う。でもどうしたらなにかが変わるのか、どこから手をつけたらいいのか、さっぱりわからない。国家とか、市場とか、巨大なシステムを前に、ただ立ちつくすしかないのか。[8頁]

 そのように感じている若い人たちに向けて、構築人類学は、「いまここにある現象やモノがなにかに構築されている。だとしたら、ぼくらはそれをもう一度、いまとは違う別の姿につくりかえることができる」[17頁]という希望を差し出すというのです(この希望の示し方についてはまた後で議論します)。
そのために、構築人類学は、「ぼくたちは、どうやって社会を構築しているのか?」と「いったいどうしたら、その社会を構築しなおせるのか?」という二つの問いを考えるのだと言います[82頁]。では、この考察はどこから始めたらいいのか、松村さんは次のように言います。

 これまでの「構築されている(だからそんなものに正当性はない!)」という批判から、「どこをどうやったら構築しなおせるのか?」という問いへの転換。それがこの本の目指す「構築人類学」の地平だ(まだ賛同者はいないけれど……)。
 もちろん簡単には答えは出ない。だから最初に、ぼくら一人ひとりがいま生きている現実を構築する作業にどう関与しているのか、その関わり方を探ることからはじめよう。そこで手がかりになるのが、人と人とがモノや行為をやりとりする「コミュニケーション」だ。[17頁]

 この本においては、人と人とがモノや言葉や行為をやりとりする「コミュニケーション」は、国家(国民国家)や市場(資本主義)という「システム」と対比されています。本書の構成は、短い中間部の「『社会』と『世界』をつなぐもの」を挟んで、第一章~第三章の前半部と第四章~第六章の後半部に分かれています。前半部は、「どうやって社会を構築しているのか?」と「どうしたら、その社会を構築しなおせるのか?」という問いに答えを出す部分です。そのために、エチオピアの村でのフィールドワーク体験を紹介しながら、直接にモノや言葉や行為をやりとりする「コミュニケーション」が扱われています。つまり、本書でいう「社会」は、日本社会やフランス社会といった大きな社会のことではなく、直接にモノや言葉や行為をやりとりする二者関係とその連鎖からなるムラくらいの規模の社会を指していることが分かります(最初はこのことが少し分かりにくいのですが)。
 そして、前半部の最後の第三章では、「どうしたら、社会を構築しなおせるのか?」という問いの答えとして、

誰もが、さまざまな人やモノとともに「社会」をつくる作業にたずさわっている。そこでの自分や他人のあり方は、最初から「かたち」や「意味」が決まっているわけではない。他人の内面にあるように思える「こころ」も、自分のなかにわきあがるようにみえる「感情」も、ぼくらがモノや言葉、行為のやりとりを積み重ねるなかで、ひとつの現実としてつくりだしている。この、人や言葉やモノが行き来する場、それが「社会」なのだ。
 人との言葉やモノのやりとりを変えれば、感情の感じ方も、人との関係も変わる。[81-82頁]

と書かれています。つまり、直接的な二者関係とその連鎖からなる「社会」は、モノや言葉や行為のやりとりの仕方によって変えることができるというのがその答えです。それを受けて、中間部では、つぎのように述べられています。

 そうやって、いろんなモノを介したやりとりが交わされる間柄の集合体が「社会」だとしたら、「世界」は、その関係を越えた遙か向こう側に広がっていると感じられる領域だ。
   実際には、明確な境界線は引けないのだけれど、ぼくらの想像のなかでは、つねに「つながっている」と実感できる場所や間柄の外に、そこからは手の届かない「世界」が広がっているようにみえている。国家とか、市場とか、巨大なシステムによって動いているような「世界」が。[92頁]

 「社会」が二者関係において直接モノや言葉や行為をやりとりすることでつくられている社会であるのに対して、「世界」は国家や市場といった巨大なシステムにおいて法や貨幣といった媒体によって成り立つ社会とされています。これは、レヴィ=ストロースのいう「真正な社会(ほんものの社会)」と「非真正な社会(まがいものの社会)」にそれぞれ相当すると言っていいでしょう。そして、松村さんは、この中間部において、後半部(第四章~第六章)の課題をつぎのように述べています。

 その「社会」のなかでは、自分が向き合っている他者との関わり方をとおして、なにかを変えていくことができるかもしれない。でも、それが「世界」として想像されている領域を動かすことになるのだろうか。たとえば、身近な人との関係がどう構築されているかを理解して、それを心地よい関係にしていくことは、はたして「世界」を変えることにつながるのだろうか?
 「社会」と「世界」は、どんなつながり方をしているのか?
 いったい、ぼくらはどうしたら「社会→世界」の構築に参画できるのか?
 たぶん、それが次に考えるべき問いなのだと思う。[93-94頁]

 しかし、第四章「国家」と第五章「市場」では、国家や市場といった巨大なシステムからなる「世界」を構築しなおすのは容易ではないことが示唆されています。たしかに、「社会」と「世界」はつながっています。格差を生んでしまい、それを是正できない市場システムの改革や国家による是正は必要でしょう。しかし、消費者/有権者としての私たちがどのようなやりとりをしたら、巨大なシステムを変えられるかは自明ではありません。
 ではどうすればいいのか、それについて、本書の核心部ともいえる第六章「援助」では、システムに小さなスキマをつくるというやり方が示されます。アメリカ政府による食糧援助が贈与としてなされ、それをエチオピア政府が再分配のように配る、それらの援助物資はローカルな市場で商品としてやりとりされたり、それで酒を醸造して儀礼などでふるまわれる、そういったやりとりの連結について述べられた後、松村さんはつぎのように言います。

 もうひとつ重要なのは、個人の日常的な行為のレベルが、国家や市場といった大きな動きと「連結」しながらも、かならずしも「連動」していないという点。つながってはいるが、前もって意図された方向だけに動くわけではない。そこに世界を変えるためのスキマがある。アメリカの外交戦略も、エチオピア政府の政治的意図も、いろんな人とモノの連結の過程をへて薄められていく。国家や市場の「思惑」は、最後は個人のささやかな行為のなかで解消される。
 さまざまな人の思惑が絡んだ「援助食糧」を消費し、交換し、酒をつくり、そこに「社会」をつくりあげているのは、人びとの日々の営みだ。ぼくらが生きるスキマとしての社会は、こうして大きな制度のただなかに生まれる。[151頁]

 ここで言われている、真正な社会でのやりとりと非真正な社会のシステムとは「連結」しているけれども「連動」していないという視点は重要でしょう。アメリカの国内農産物の価格が豊作によって低下しないように政府が買い支えした食糧が(エチオピアの飢餓の状態と関係なく)、袋に英語で「売却や交換は禁止」と書かれて贈与され、それをエチオピア政府が人びとに再分配した食糧援助は、システムを維持する意図(思惑)で為されるものです。しかし、配られた援助食糧を、人びとはそれらの意図(思惑)とは別に自分たちの生活の便宜に応じて、ローカルな市場で売られたり、酒として贈与されたりして、そこに「社会」(真正な社会)をつくりあげるために流用されているわけです。それによってつくられるものを、松村さんは「スキマとしての社会」と呼んでいます。現代では、国家や市場(資本主義)システムが生活のなかに浸透していますが、そのただなかに小さな「社会」をつくり出すことを「スキマ」と呼んでいるのでしょう。そのことは、つぎのように、「世界」(非真正な社会)のなかに「社会」(真正な社会)をつくりだす力を、「自分たちでモノを与えあい、自由に息を吸うためのスキマをつくる力」と呼んでいることからも分かります。

 「経済」の章で書いたように、誰もが市場にモノを投入して商品化することもできるし、市場からモノをとりだし、「贈り物」として脱商品化することもできる。商品交換を行う市場に身をおけば、誰もが人間関係にわずらわされない無色透明な匿名の存在になる。でもその市場のとなりに「贈与」の領域をつくりだし、愛情を可視化し、「家族」という親密な関係をつくることもできる。現にぼくらは、そうやってささやかな顔の見える「社会」を構築している。
 「世界」のなかに「社会」をつくりだす力。強固な「制度」のただなかに、自分たちでモノを与えあい、自由に息を吸うためのスキマをつくる力。それがぼくらにはある。国家や市場による構築性を批判するだけではなく、自分たちの構築力に目を向ける。それが構築人類学の歩むべき道だ。[153-154頁]

 国民国家や資本主義といった巨大なシステムからなる「世界」をいきなり変えていくと言っても、どこからどうしたら変えていけるのか、実はだれにもわかっていない、しかし国家や市場のシステムを自分たちの外にある制度として批判するだけでは何も変わらない。そのような非真正な社会に包摂されたなかで、自分たちの身近な関係を変えていき、スキマをつくりだすことで、そこを共感しあうことのできる真正な社会にしていくことが大事だということでしょう。
 そして、そのスキマをつくるやり方は、資本主義システムを構成している商品交換という、「共感」を抑え込むモードに対して、そこに「共感」を増幅する贈与のモードを重ねたりつないだりするというものです。そのやり方について、終章でも、つぎのように書かれています。

 市場と国家のただなかに、自分たちの手で社会をつくるスキマを見つける。関係を解消させる市場での商品交換に関係をつくりだす贈与を割り込ませることで、感情あふれる人のつながりを生み出す。その人間関係が過剰になれば、国や市場のサービスを介して関係をリセットする。自分たちのあたりまえを支えてきた枠組みを、自分たちの手で揺さぶる。それがぼくらにはできる。[178頁]

 「働く」ことは、市場での労働力の交換だと説明される。この「あたりまえ」の理解が、労働が社会への贈与……にもなりうることを見えなくする。
 市場のなかにも、どこかで「わたし」の働きの成果を受けとめ、生きる糧としている人がいる。市場交換によって途絶され、隠蔽された労働の贈り手と受け手とのあいだをつなぎなおすことで、倫理性を帯びた共感を呼び覚ます回路が生まれる。[179頁]

 このように、システムに支配されている領域の「スキマ」に「社会」をつくるというやり方は、私が提唱している、非真正な社会のただなかに点在する真正な社会に単独性同士のつながりとしての〈コモン=共〉をつくり出すという実践と重なるものがあり、「わが意を得たり」と思いながら読みました。
 ただ、細かいところの理屈で気になる点がいくつかありました。ひとつは、「社会」(コミュニケーション)/「世界」(システム)と、「贈与」/「交換」という2つの対比の関係です。これらの対比は「社会=コミュニケーション=贈与」と「世界=システム=交換」というように重なっているように書かれています。たとえば、「構築人類学にできることがあるとすれば、商品交換(市場)/贈与(社会)/再分配(国家)の境界を揺るがし、越境を促すこと」[176頁]というように、あたかも「社会」が「贈与」の関係によってつくられているかのように表現されています。
 けれども、これは誤解を招いてしまう表現でしょう。「社会」(真正な社会)は贈与の関係だけからできているわけでなく、そこには交換(市場交換)も再分配もあります(非真正な社会にも、アメリカの食糧援助のように贈与はあります)。ただ、それらは、非真正な社会における贈与や交換や再分配とあり方が異なっているのです。それがレヴィ=ストロースのいう「真正性の水準」の重要さです。
 松村さんは、そのつど交換/贈与のモードを選択することで、共感のスイッチをONにしたりOFFにしたりして、「社会」(真正な社会)はつくられていくと言っています[64頁]。そして、社会を構築しなおすことも、「関係を解消させる市場での商品交換に関係をつくりだす贈与を割り込ませること」や「人間関係が過剰になれば、国や市場のサービスを介して関係をリセットする」ことで、「自分たちのあたりまえを支えてきた枠組みを、自分たちの手で揺さぶ」り、「市場と国家のただなかに、自分たちの手で社会をつくるスキマを見つける」ことによってできるのだと言います[178頁]。それが、「『わたし』の越境的な行為が、市場や国家を揺さぶり、スキマをつくりだす」[179頁]ということだとされています。
 これを文字通りに理解すると、松村さんのいう「越境的な行為」は、「社会」(真正な社会)と「世界」(国家や市場などの非真正な社会)との境界を越えて、「共感のスイッチをONにしたりOFFにしたり」することということになります。私も、真正な社会と非真正な社会とのあいだの往還運動は重要だと考えています。非真正な社会のシステムを活用しなければ解決できない問題があるからです。しかし、それは真正な社会と非真正な社会との境界を揺さぶったり解消したりするためではありません。むしろ、その往還運動によって、その水準の違いを明確にして(境界を維持して)、真正な社会を守るためです。
 逆に、「わたし」が真正な社会での人間関係が過剰だと感じたとき、国家や市場の提供するサービスを用いて共感のスイッチをOFFにしてその関係をリセットすることはときに必要であり救いにもなりますが、それによって、市場や国家が揺さぶられたりすることも、そのただなかにスキマがつくられたりすることもないでしょう。それは、国民国家や資本主義のシステムに従っているだけだからです。
 では、国家(国民国家)や市場(資本主義)を揺さぶり、そのただなかに「スキマ」をつくり出すとはどのようにことなのでしょうか。すでに述べたように(そして松村さんも述べているように)、それは、そのただなかに真正な社会としての「社会」をつくり出すということでした。そして、その「スキマ」としての真正な社会においてであれば、「関係を解消させる市場での商品交換に関係をつくりだす贈与を割り込ませること」が可能であり、商品交換である労働を贈与とすることができるということなのです。
 非真正な社会のシステムは、これも松村さんが示唆しているように、商品交換と贈与とを、あるいは国家による再分配と贈与とを明確に区分しそれぞれを純化します(それはその関係を貨幣や法といったメディアが媒介し間接的なものにしていくからです)。けれども、真正な社会においてはその純化はうまくいきません。バザールのようなローカルな市場(いちば)や、あるいは現代社会でも、商店街のような「小商い」では、商品交換も完全に「共感」のスイッチをOFFにすることはできず、店の人との間に、純化された商品交換だけではなく共感のモードが入り込んできて、商品交換の上に贈与の関係が重なってしまいます。また、商品交換であるはずの労働の場でも、デヴィッド・グレーバーがいうように、人は多くの時間、同じ職場の同僚を手助けするという仕事をしています。つまり、贈与(あるいは正確にはシェアリング=分配)をしながら労働しているのです(ですから、システムとしての商品交換は、交換のモードというより資本主義のモードと言ったほうが正確でしょう)。
 このように、真正な社会であれば、商品交換に関係(=コモン)をつくる贈与や分配を割り込ませることが容易にできるのです。現代社会、とりわけ新自由主義社会では、資本主義や国民国家のシステムの支配が社会を貫徹しているように見えます。けれども、そのように非真正な社会のシステムに支配されている空間においても、「わたし」は他の人とのあいだでの贈与や分配をつねに行っている(あるいはつねに他の人から受け取っている)ことだと気づき、それがシステムのなかにあってもそれとは異なる原理による「スキマ」なのだということを意識すれば、「社会」(真正な社会)はつくり出せるし維持できるというわけです。
 つまり、「社会」をどのように構築しているのかという問いを考察するうえでも、真正な社会と非真正な社会の違い、「社会」と「世界」の違いは重要になってきます(繰り返せば、それがレヴィ=ストロースのいう「真正性の水準」の重要さです)。
そう考えると、本書が提唱している「構築人類学」という名称が適切なりだろうかという疑問もわいてきます。というのも、その提唱が、「社会」は構築しなおせるという主張にはなっていても、「世界」は構築しなおせるという主張にはなっていないように思うからです。あるいは、「世界」やシステムのなかに「スキマ」をつぎつぎとつくることが、システムを揺さぶることはできても、直ちにシステムをつくり直すことにはつながらないからです。すでに述べたように、誰もシステムの全体を見通す立場にはいない以上、設計主義的にシステムを「がらっと」根本的につくり直そうとすることはかえって、システムの強化につながります。構築主義の問題点は、批判のみに終わってしまうことではなく、その設計主義的な姿勢にあったはずです。もちろん、構築人類学の趣旨はそれとは違って、「世界」が直ちに変えることができなくても、「世界」のなかに「スキマ」をつぎつぎとつくり出すことで、「社会」を構築し維持していくことのほうが重要だということでしょう。だとしたら、構築主義の欠陥を思わせるような名称ではないほうが良いような気がします。
 もうすでに長すぎる読書ノートになってしまいましたが、最後に、本書の題名にもなっている「うしろめたさ」について。松村さんのいう「うしろめたさ」は、フィールドのエチオピアで体感する「世界」の非対称性、圧倒的な格差に対して、「自分が彼らよりも不当に豊かだ」ということから生じています。そして、エチオピアでポケットに小銭があれば誰かに渡しているというのですが、「それは、『貧しい人のために』とか『助けたい』という気持ちからではない」と、松村さんは言います。それは、たとえば物乞いの老婆に手を出されたとき、圧倒的な格差への「うしろめたさ」からくる「渡さずにはいられなくなる」という感情に素直に従っているだけだと。そして、「この違いはとても大きい。善意の前者は相手を貶め、自責の後者は相手を畏れる」[40頁]と述べています。慈善のように「貧しい人のために」「惨めな人たちを助けたい」というのは、その人自体を見ていません。「悲惨な貧者」「無力な被災者」というカテゴリーに押し込めて、彼らを無力化してしまいます。それに対して、「うしろめたさ」の感情は、その人の顔を見ることでわき上がるものです。
 「交換のモード」(資本主義のモード)は、そのような共感/感情を抑え込んでしまいますが、「人との格差に対してわきあがる『うしろめたさ』という自責の感情は、公平さを取り戻す動きを活性化させる」と言い、「そこにある種の倫理性が宿る」[174頁]と、松村さんは言います。社会/文化人類学の目指すべきは、非対称的な世界に対称性を回復させることだと私も主張してきました。その意味で、松村さんのいう「うしろめたさ」の倫理性という提起には賛同するものです。
 ただ、ここで考えてみたいのは、「人類学のうしろめたさ」ということです。それは、「世界」の非対称性からくる圧倒的な格差をフィールドで感じながらも、フィールドワークという営みは、彼らと顔の見える関係をつくることで、そこに対称的な関係、すなわち二者関係をつくっていきます。松村さんも、「そうやって物乞いの人たちと顔見知りになると、笑顔であいさつを交わすだけで、なにも求められなくなる。彼らも『いつももらうのは申し訳ない』と思うのかもしれない」と述べています。世界の非対称性からくる圧倒的な格差はそのままに、そこに対称的な関係、いろいろ有形無形のモノをもらったり(そこで暮らしていくこと自体が、生活の仕方を教えてもらい、いろいろなモノを受け取ることではじめて可能となります)ささやかにあげたりといった関係がつくられます。
 フィールドでのそのような関係を対称的な関係というと、他の学問分野からすれば格差は依然としてあるわけですから、「そこに対称性などないのに、それを対称的だというのは欺瞞だ」と非難されるかもしれませんが、フィールドでの二者関係・対称性こそ、人類学の武器であるのも確かです。人類学者は、そのような対称的関係を「スキマ」としてつくっていくわけです。そこでは、対称的な関係と「うしろめたさ」は両立していますが、「うしろめたさ」に素直に従う行為はだんだん影を潜めていってしまいます。それは、フィールドの人たちが、圧倒的な格差のある外部からきた異質な者を、自分たちの「社会」(真正な社会)のなかに取り込んで飼いならしていく過程でもあります。つまり、そのフィールドの関係は、「スキマ」としての社会の構築のひとつだと言えます。
 「社会」の構築という課題に応えた本書において残された、「世界」の構築しなおしという課題をどのように考えるのか、それは、人類学者が、依然として厳に存在する圧倒的な格差からくる「うしろめたさ」を感じつつ、その格差を「贈与」や「分配」によって乗り越えて、フィールドで対称的な関係をつくり、そこにある種の基盤としての「コモン」をつくり出す営みをすることだけでいいのか、それとも、「うしろめたさ」という自責の感情をその対称性のなかに解消させることなく、世界の格差をどのように解消できるように構築しなおすのかを考えるのか、という問いは残ります。その答えは、「スキマ」としての社会をつくることは重要だけれども、それと同時にシステムの改革も必要であり、その二つは別のことだけれども二者択一ではなく、同時に(別々に)考えられるものだということになるのでしょう。そして、そのシステムの改革にどのように参画するのかは、一人ひとりの人類学者の課題なのかもしれません。

 

「新しい生活様式」と「生命崇拝」――アガンベンとイリイチから学ぶこと

 そろそろCOVID-19パンデミック以外の話題を、と思っていたのですが、結局、まだコロナ禍の話です。「新たな日常(ニュー・ノーマル)」ないしは「新しい生活様式」の問題点について、まだ十分に考えていないと思ったからです。「Yahoo! ニュース みんなの意見」でのアンケート、「『新しい生活様式』、実践している?」という質問に対して、75.8%の人が「実践している」と回答していました(2020/5/27〜6/6に実施、30,653人 が投票)。どの程度実践しているのかは分かりませんが、4分の3の人たちが「実践している」と意識していることはやはり驚くべきことでしょう。この「新しい生活様式」について、国や政治家が細かい規律まで口出しするなという批判もありましたが、これだけの割合の人たちが実践していると答えているのは、それが官僚や政治家が言っていることだからではなく、「専門家」たちが言っていることだからでしょう。つまり、コロナ禍の効果は、専門家支配を強化したことにあると言えそうです。では、この従わせる力はどこから来るのでしょうか。
 この専門家システムの支配の強化は、政治家による「ショック・ドクトリン」や「惨事便乗型独裁」とは少し異なっています。ハラリや内田樹さんなどが懸念していた惨事便乗型独裁は、ハンガリーや中国、イスラエルなどの一部の国で見られるものの、日本を含めてそれほど全体主義的な権力が強化される方向へは進んでいないようにみえます。ひとつには、全体主義的傾向のあるポピュリスト政治家たちが、どの国でも経済、すなわち惨事便乗型資本主義によってネオリベラリズムの体制を維持しようと必死で、非常事態にむしろ背を向けているからです。日本でも、改憲論議もしぼみ、結局、ネオリベラリズムを守ろうと迷走しただけの対策を事後的に「日本モデル」と自画自賛している始末です(ただし15日に安倍首相は罰則付きの外出制限・営業停止について言及しましたが)。都知事大阪府知事といった改革好きのポピュリスト政治家たちも、災害に便乗するような政策として唯一ぶち上げたのが9月入学への改革ぐらいで、それも単なる思い付きの域を出ずにつぶれてしまいました。では、全体主義的な危険はないのかと言えば、そうではなく、独裁というわかりやすいものではないけれども、より深刻な事態が進んでいると言ったほうがいいでしょう(それが「新たな日常」に現われている専門家支配=システムへの従属です)。そのことを、イタリアの哲学者のジョルジュ・アガンベンが今回のコロナ禍にあたって述べた論点を参照しながら考えたいと思います。
 アガンベンのコロナ禍についての論評は、雑誌『現代思想』2020年5月号「総特集:感染パンデミック」に、「エピデミックの発明」「感染」「説明」の3つが訳されています。2月26日に書かれた「エピデミックの発明」は、多くの批判が寄せられたと言います。アガンベンは、毎年のインフルエンザとそれほど変わらない感染症に対してイタリア政府が行なった移動制限や集会の中止などの緊急措置がまったく釣り合いの取れないものであって、例外状態を通常(常態=ノーマル)の統治パラダイムに用いて、人びとに恐怖を呼び起こして集団パニックを生じさせ、それを例外状態の常態化にまた利用するというやり方だと批判したのです。
 それに対する批判として出てきたのは、一つはCOVID-19の致死率を誤認してその脅威を過小評価したという批判です。ただ、アガンベンがこの論評を書いた時点ではイタリアの死者もまだ50人以下でそれほどひどい誤認ではないとも言えますが、アガンベンが致死率という数字を出したことで、では死者が多ければ緊急措置は是認されるのかという問題を自ら招いてしまったことは確かでしょう。そして、もう一つの批判は、政府の緊急措置は全体主義的なものとは言えないという批判です。例えば、アガンベンとともにイタリアにおける生政治の議論を牽引してきたロベルト・エスポジトは、アガンベンへの応答として書かれた「極端に配慮される者たち」(これも『現代思想』の「総特集:感染パンデミック」に訳出されています)の中で、「今日のあらゆる政治的軋轢の中心には政治と生命の関係づけがある」と、生政治のパラダイムを肯定しつつ、今回のコロナ禍で進行しているのは、市民をリスクから守る「ケア」に没頭するという「政治の医学化」と、医学が自分の管轄ではない社会管理という任務を与えられているという「医学の政治化」であり、それは「教義の全体主義的な演出法というよりも、公権力の解体という性格を示すもの」だと言っています。
 しかし、アガンベンの議論を国家権力の集中強化としての全体主義に対する左翼的な批判としてのみ捉える必要はないように思います。例外状態の常態化は、むしろ「新たな日常=常態(ニュー・ノーマル)」にこそよくあてはまるものです。
 アガンベンは、3月11日に書かれた「感染」の中で、次のように書いています。

私見では、この措置[緊急措置]のうちに暗に含まれている自由の制限よりも悲しいのは、この措置によって人間関係の零落が生み出されうるということである。それが誰だろうと、大切な人であろうとも、その人には近づいても触ってもならず、その人と私たちのあいだには距離を置かなければならない。(中略)私たちの隣人なるものは廃止された。統治者たちの倫理的な一貫性のなさを考えれば、統治者たちが、この措置によって引き起こされようとしている当の恐怖によって措置を強いられたということもありうる。だが、この措置によって作り出される状況がちょうど、私たちを統治している者が幾度も実現しようとしてきた当の状況だということを考えないでいるのは難しい。その状況とはすなわち、大学や学校がこれを限りと閉鎖され、授業がオンラインだけでおこなわれ、政治的もしくは文化的な話をする集会が中止され、デジタルなメッセージだけが交わされ、いたるところで機械が人々のあいだのあらゆる接触――あらゆる感染――の代わりとなりうる、という状況である。[『現代思想』2020年5月号]

 以前の5月25日の記事で、「新しい生活様式」の問題点は、その接触を忌避する規律化が〈コモン=共〉を分断と破壊するからだと書きましたが、例外状態の常態化としての「新たな日常」の帰結としてアガンベンが言っていることも、レヴィ=ストロースのいう真正な社会における〈コモン=共〉の停止(アガンベンのいう「隣人の廃止」)です。そして、それによる弊害は、相互扶助が困難になるというだけではなく、ハンナ・アーレントのいう大衆の「アトム化(原子化)」によって、ひとつの指示にみんなが従ってしまうことにあります。ひとは隣人や親しい人と切り離されてばらばらにアトム化された状態では自分の考えなど持てずに、容易に支配されやすい存在になるのです。それは、アガンベンがいうように、いままで統治者たちが実現しようと夢見てきたことというわけです。
 いいかえれば、異なる意見の複数性が現れ、対話することによってはじめて人間は自分で考えることができるのですが、そのような複数性の現れる空間をアーレントは公共と呼びました。それはひとが地位や役割に従うのではなく、それとは無関係の「誰」という個人としての意見を「勇気」をもって忌憚なく表明することによって成立する空間だとされます。これは誰もが参加できるとしながら、かなりハードルが高くなっています。しかし、アーレントの議論に反して、異なる意見の複数性が現れるのは、レヴィ=ストロースのいう真正な社会における〈コモン〉においてです。レヴィ=ストロースは、数百人からなるフランスのコミューン(村会や町会)の運営と、国会の運営との間には、程度の差だけではなく質的な差があるといい、「前者の場合、特に或るイデオロギー的内容に基づいて決議がなされるというわけではなく、ピエールとかポールとかジャックとかいう個人の考え、とりわけその具体的な人柄を知ることも、考えを決する基となります。その場合、人々は全体的に、大づかみに、人の行動を把握することができます。思想もたしかに問題にはなりますが、しかしそれらの思想は小さな共同体の一人一人の成員の身の上話や家庭事情や職業的活動によって解釈されうるものです。こんなことはみな、或る人数以上の人口の社会では不可能になります」と述べています[シャルボニエ『レヴィ=ストロースとの対話』]が、そのような全人格的な理解があって、勇気や決断なしに人は他人と異なる意見、自分の事情に従った異見を表明することができるのですし、親族関係や地縁関係のようなものを含む選択的ではない共同性だからこそ、人びとの意見の複数性・多様性が生じるのです(SNSのような選択することのできる共同性においては、同じ意見を持つ者同士の共同性に必然的になります)。

 話を戻せば、アガンベンは、ポスト・コロナ社会での「例外状態の常態化」としての「新たな常態(日常)」においては、そのような複数性の現れる〈コモン〉が破壊されると言っています。アガンベンのいう「例外状態の常態化」という議論の新奇性は、ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で対比させていたペストと一望監視施設(パノプティコン)の議論と比べると明確になるかもしれません。フーコーは、19世紀初頭にベンサムの考案したパノプティコンについての有名な議論に入る前に、17世紀末のある都市のペスト発生時の規則について触れています。ペストが発生すると都市は封鎖され、そこから外に出る者やうろつくすべての動物は殺されます。都市は地区に細分され(条理空間へと変えられ)、各地区には一人の代官が権力を掌握し、各街路に世話人が置かれ、世話人は各家の扉を自ら閉めて鍵をかけ、その鍵を地区の代官に渡し、代官は検疫の40日間鍵を預かります。巡視がたえず行われ、すべての住民は監視下に置かれ、死者と病人と生者とに区分されます。フーコーは、閉鎖され細分され各所で監視されるこの空間を、完璧に統治される理想的な規律・訓練の空間と述べています。しかし、統治者たちの夢であるこの統治空間の形態は、あくまでも例外的なものとしてのみ出現するのです。それに対して、その1世紀半後に登場したパノプティコンは、通常の法機構と規律・訓練の機構を併せ持ち、何よりもいつでもどこでも一般化可能で、しかも権力が行使される相手の人数を増やす一方で権力を行使する側の人数を減らすことができる装置であると言います。
 このようにフーコーが区別した「例外的」な閉鎖・区分・監視の統治の形式と、常態的で一般的な統治の形式を、アガンベンは、「例外状態の常態化」という視点によって統合しているわけです。
では、これまで統治者たちが実現させようとして実現できなかったそのような状況を人びとはたやすく受け容れてしまうのでしょうか。アガンベンは、3月17日に執筆した「説明」において、つぎのように言っています。

この国を麻痺させたパニックの波がはっきり示している第一のことは、私たちの社会はもはや剥き出しの生[アガンベンは、多様な社会的生(ビオス)と区別された生物的生(ゾーエー)を「剥き出しの生」という]以外の何も信じていないということである。病気になる危険を前にしたイタリア人に、ほとんどすべてのものを犠牲にする用意があるというのは明らかである。ほとんどすべてのものとは、通常の生活のありかたや社会的関係や労働、さらには友人関係や情愛や宗教的・政治的な信念のことである。剥き出しの生――剥き出しの生を失うことへの恐怖――は人間たちを結びつけるものではない。人間たちの目を見えなくさせ、彼らを互いに分離させるものである。

 そして、アガンベンは、「生き延び以外の価値をもたない社会とはとのようなものか?」と述べています。「剥き出しの生」以外の価値をもたない社会は、バラバラにアトム化された大衆からなる、支配されやすい社会となるでしょう。ただし、そのアトム化された大衆は、アーレントのいう「全体主義プロパガンダ」を受け入れて信じてしまうのではなく、剥き出しの生を防衛する専門家たちのイデオロギーを受け入れてしまう存在です。そして、それによって失うものは、人びと自身の単独性、かけがえのなさです。

 アガンベンのいう「生き延び以外の価値をもたない社会」は、イヴァン・イリイチの批判していた「生命」の偶像崇拝に基づく社会です。イリイチは、「生命」という概念は新しく社会的に構成された概念だと指摘し、誰もあえてケチをつけようとしない一つの実体としての「生命」というこの新しい言葉遣いにおいて、それは「つねになにか貴重なもの、危機に瀕しているもの、稀少もの」として語られ、「さらに言えば、それはなにか制度的な管理のもとに置かれるべきものとして語られ、そのためには、実験科学者や療法士から保護官に至るさまざまな新しい専門家を訓練することが必要であるということになる」と言っています(イリイチ『生きる思想』272頁)。
 つまり、稀少なものとしての「生命」の偶像崇拝は、自分たちの「日常」を自分たちで考えて自分たちで創り上げることを阻止する「専門家支配」を招くものだというわけです。例外状態の常態化としての「新たな常態=日常」を受け入れてしまう状況は、まさにこの支配を誰もが進んで受けるように仕向けられていると言えるでしょう。
 またイリイチは、別のところで、そのような「生命」の偶像崇拝は、すべての人には「生命の守り手としての責任がある」という言説に支えられていると言います。

こんにち、ある種のテマゴーグたちはもちろん、ハンス・ヨナスをはじめとする哲学者たちも、人びとはこれこれのことがらに対して責任を負うと説いているわけですが、そうしたすべてのことがらに対して、何か効果的な、意味のあることを誰もがなしうると考えるとすれば、それはまったくの幻想にほかなりません。それにもかかわらず、責任ということばが幅をきかせているのは、人びとが次のように感じるからです。すなわち「あの利口な人物がわたしに、責任を感じるべしと言っているのだし、いずれにせよ、わたしはなにがしかの力や影響力があるのだから、わたしがいかにふるまうかが決め手になるのだろう」と。しかし、ちょっと考えてみるだけで、こんな話はペテンにほかならないということがわかります。それは、わたしのいう新たな宗教心の基礎をなす考え方としてうってつけのものであり、この新たな宗教心によって、人びとはかつてないくらい支配されやすく、管理されやすい存在になっているのです。[イリイチ『生きる意味』426頁]。

 このことは、「新しい生活様式」を唱えた専門家たちが、他人の生命および自分の生命に対する責任が大事だと述べていることに現われています。専門家の一人は、そのような責任を他人への思いやりだと言っていましたが、「剥き出しの生」という価値以外の価値のない社会は、他人への思いやりを破壊してしまうでしょう。それが生み出すのはむしろ「自粛警察」のような分断です。「若者の他者への無責任な行動が感染を広げている」という言い方が蔓延したことに、それは示されています。
 自粛警察については、一部の社会学者は相変わらず思考停止的に、日本的なムラ社会の欠陥の現れだと述べています。それは、そもそも社会学という学問が、近代に広く出現した非真正な社会をその対象にするために成立した学問であり、自然村やフランスのコミューンのような真正な社会を対象にせずに、それらの「社会」(society やsocialという語がクラブなどの親睦会を指していて、社会学が対象とするような大きな全体社会を指す語ではありませんでした)をもともと知らないことからくるのでしょう。真正な社会としてのムラを知っているのは住み込みのフィールドワークをする人類学者たちです。人類学者たちは、自粛警察のような行為は真正な社会からは生まれないことを知っています。そもそも、「あいつが無責任な行動をしている」と通報するという行為には自治はありません。そこに見られるのは「アトム化」された大衆です。無責任とだと彼らが思う行為を行政に訴えたりネットにさらしたりすることは、システムに従属したり非真正な社会に包摂されて生じるものです。その基にあるのは、アガンベンのいう「剥き出しの生」を防衛することやイリイチのいう稀少化された抽象的な「生命」への偶像崇拝が生み出す恐怖や不安から来るシステム(専門家支配のシステム)への自発的従属です。「例外状態の常態化」は、フーコーにとっては、権力を行使する側の人数を増やさなければならない非効率的なもので、だから例外的にしかできないものでしたが、自粛警察は、権力が行使される対象であるはずの人びとが進んで権力を行使することを肩代わりすることで、容易に(しかも民主的に)成り立ってしまうわけです。
 そして、それこそが現在起こりつつある、独裁やファシズム以上に危険なことだと言うべきでしょう。それに対抗するためには、〈コモン〉や自治を取り戻すことが大事になりますが、もっと広く捉えれば、「若者たちの無責任な行為」(自分たちの身近にいる、私のような疾患もちの高齢者への配慮はしてほしいですが)のほうが「自粛警察」よりずっとましだという感覚が重要になると言ってもいいかもしれません。

 

ハキム・ベイの『T.A.Z.』を読む

ハキム・ベイ『T.A.Z.:一時的自律ゾーン、存在論アナーキー、詩的テロリズム[第2版]』箕輪裕訳、インパクト出版会、2019年11月
 ISBN978-4-7554-0278-4

 この本は、1997年に出た第1版の訳書に原著の第2版(2003年出版)の前書きを加えた改訂版というべきものです。この新版がもう少し早く出ていれば、アナーキズム関連の文献として大学院のゼミで講読できたのですが。1997年版の訳書を教えてくれたのは、当時、私のゼミにいた大学院生の村上隆則君でした。村上君は、「小田先生の言われていることはTAZに近いと思います」と言っていたことを覚えています。村上君がTAZという概念と私の書いていることとどこが似ていると思ったのか。今から思えば、アナール学派やミシェル・ド・セルトーの「戦略/戦術」といった用語を用いて、エリート文化に包摂されながらも、ブリコラージュ的戦術によって「自治」空間を創り出しているといった民衆文化論を書いていたので、その辺りが似ていると感じたのかもしれません。
 さて、この本は3部構成になっていて、最初の2つ、「カオス:存在論アナーキズムの宣伝ビラ」と「存在論アナーキー協会のコミュニケ集」は、文字通り宣伝ビラとコミュニケ(声明)を集めた小間切れのものなので(グラフィティ・アートについてなど興味深いものもありますが)、ここでは比較的まとまった論考になっており、また本書の中心でもある第3部の「TAZ/一時的自律ゾーン」を紹介することにします(この本の紹介はたいていそうなってしまうのですが)。
 TAZ(Temporary Autonomous Zone)とは、「自治・平等・自由な小領域」を指しています。ハキム・ベイが具体的に挙げている例は、18世紀の「海賊のユートピア」、17~18世紀のジャマイカやハイチなどにおける逃亡奴隷による「マルーン共同体」、アナーキストであるグスタフ・ランダウアーも参加した1919年のミュンヘン・ソヴィエト(評議会)といった歴史的な事例や、遊動する狩猟民のバンドといった人類学的事例などです。「海賊のユートピア」の事例が多く挙げられているのは、ハキム・ベイが、本名(たぶん)であるピーター・ランボーン・ウィルソン名義で『海賊ユートピア』(翻訳は以文社から2013年に出版されています)という本を出版している海賊の研究者でもあるからです。
 しかし、TAZという概念にとって重要なのは現代社会における事例のはずですが、奇妙なことに、現代社会におけるTAZの具体例にはほとんど触れていません。ハキム・ベイはつぎのように言います。

 わたしは、「ネットの中の島々」に関する過去と未来の諸所説から推論することによって、ある種の「自由な小領域」が我々の時代に、可能であるだけではなく存在してもいることを示唆する証拠を我々が集めることができるだろうと信じる。わたしの調査と思索のすべては、一時的自律ゾーン=TAZ……の概念の周辺に結晶している。だが、わたし自身の思考に向けて総合してきているその説得力にも関わらず、わたしはTAZが、いわゆる〈エッセイ〉(「試み」という意味でのそれ)や示唆、あるいは九分通りの詩的な幻想以上のものとして受け取られて欲しいとは思わない。……わたしは政治的ドグマを構築しようとしているわけではないのである。事実わたしは、TAZを定義づけることをわざと回避してきた――わたしは、探査ビームを照射しつつ対象の周辺を巡るのだ。結局のところ、このTAZとはほとんど自明のことなのである。もし、この言葉が流通したならば、それは難なく理解されるだろう……行動において理解されるだろう。[192頁]

 つまり、ハキム・ベイが現代社会の具体例も挙げず定義づけもしないのは、それが目ざすべきゴールでもドグマ(教義・固定した信念)でもないからというわけです。しかし、それは現代社会においてもつねに可能であるし、現に存在しているというのです。そして、このTAZは「ほとんど自明のもの」であり、難なく行動において理解されるものだと言います。
 このように定義づけもせず現代社会の具体例も挙げないのは、TAZがなぜ「Temporary(一時的・間に合わせの)」とされるのかということと深く結びついています。ハキム・ベイは、「革命」と「反乱」を対置させて、「革命」は永続性ないし少なくとも持続を達成しようとするのに対して、「反乱」は祝祭と同様に「一時的」だと言い[194頁]、革命を欲することを断念し、反乱を絶えず起こすことを求めています。
 そして、それに対する批判、すなわち反乱は窮余の一策だ、アナーキストの夢、「国家なき」国家、コミューン、持続する自律ゾーン、自由な社会はどうしたというのだという批判が来ることを予想しつつ、つぎのように言います。

 わたしはそれをもっともな批判だと認める。しかしわたしは、二つの点で返答したい。第一は、未だかつて〈革命〉はこの夢の達成に帰着したことがない、ということである。反乱の瞬間にはヴィジョンが生き返る――だが「その革命」が成就して「国家」が復帰する時には、〈既に〉その夢と理想は裏切られている。わたしは変革の望みを、その期待すらも捨ててはいない――しかし、〈革命〉という言葉を信じてはいないのだ。第二に、仮に我々が、革命のアプローチを〈アナーキスト文化に自然発生的に花開いた蜂起〉の概念と置き換えるとしても、我々自身の個別的な歴史的状況は、そのような途方もない仕事には都合が良いものではない。端末的(ターミナル)な「国家」、巨大企業的情報「国家」、「スペクタクル」と「シミュレーション」の帝国との正面衝突からは、無意味な殉教に終わる以外にしかたないだろう。[195頁]

 第一点めの「革命」への批判は、ジョン・ホロウェイの『権力を取らずに世界を変える』(同時代社、2009年)にも共通しているものです(ホロウェイは「蜂起」からというより「叫び」から、と言いますが)。もっと広く捉えれば、システムをこのように変えれば良くなりますよという、上からの方向付けによる設計主義的な革命や改革への批判です。そのようなシステムの改革は永続性を目指すことから、それに逆らうためにTAZは「一時的」にならざるをえないのでしょう。
第二点めは、あらゆる場所が国家というシステムに包摂されて、持続的な自律ゾーンを維持する余地がもはやなくなっているという認識から来ています。ハキム・ベイは、そのことを「地図の閉鎖」と言い換えて、つぎのように言っています。

 背景としてTAZを発生させた第二の力は、わたしが「地図の閉鎖」と呼ぶ歴史的な発展に源を持つ。どの民族国家からも要求されない地球の最後の一かけらさえ、1899年には貪り尽くされていた。我々の世紀は、〈未知の世界〉を、フロンティアを備えない最初の世紀である。ナショナリティが世界統治の最高原理なのである――南太平洋に突き出た岩礁の頂、人里離れた谷、そして月や惑星でさえ、〈開かれて〉残されている可能性はないのだ。これは「領土のギャング行為」の極致である。管理されておらず、課税されていない地球は、一吋たりともないのである……理論的には。[199頁]

 前回の読書ノートで取り上げた『ゾミア』の最後で、ジェームズ・C・スコットは、第二次世界大戦後には国家からの逃避場所としてのゾミアは消失してしまったと言っていました(ハキム・ベイとスコットのいう消失の年代は50年ほどずれていますが、理論的な把握と辺境の実際とのずれと言えるでしょう)。つまり、TAZが「一時的」なものとして生成されるのは、空間としてのゾミアが消失した後だから、ということになります。テクノロジーによって強化された国家というシステムの支配する場所だからこそ、国家との正面衝突を避けるゲリラ戦が必要とされます。ハキム・ベイはつぎのように述べています。

 我々はTAZのことを、それだけで一つの全面的な目的であると宣伝してはいないし、他の組織の形態、戦術、そして目標と置き換えようともしていない。我々がそれを推奨するのは、それが、暴力と殉教へ導かれる必要のない反乱と一体になった高揚、という特質を与えてくれるからである。TAZは、国家とは直接的に交戦しない反乱のようなものであり、(国土の、時間の、あるいはイマジネーションの)ある領域を解放するゲリラ作戦であり、それから、「国家」がそれを押しつぶすことができる〈前に〉、それはどこか他の場所で/他の時に再び立ち現れるため、自ら消滅するのである。[196頁]

そして、TAZの「最も偉大な強さは、[国家が認識できない]その不可視性にこそある」と言います。そして、次のように続けています。

 TAZが名付けられる(表現される、あるいは[メディアによって]媒介される)や否や、中空の外皮を残してそれは消滅しなければならないし、消滅する〈だろう〉が、それは単にどこか他の場で再び飛び上がるためであって、「スペクタクル」の用語では定義できないために、それはもう一度不可視となるのである。TAZはそれゆえ、「国家」が常に、どこにでも存在し、全能でありながら、しかし同時にひび割れと空虚だらけであるような時代にとっての完璧な戦術なのだ。そしてわたしは、TAZが自由な文化の「アナーキストの夢」の小宇宙であることから、ここで今、その恩恵のいくつかを同時に経験しながら目標に向かって進むそれ以上の戦術を思いつくことができない。[197頁]

 このように見ていくと、TAZが「一時的」であるのは、その小宇宙を持続的・恒久的なものとして維持するためだという逆説が浮かび上がってきます。それを維持するために、把握され介入される前に消滅させて不可視でいなければならない、しかし、それは自律的ゾーンを恒久的なものとして維持するためのものなのです。つまり、TAZは〈コモン〉のさまざまな現れであり、その(グレーバーの言い方を借りれば)「基盤的コミュニズム」を持続的なものにするために、姿を変え他の場へと移動する必要があるというわけです。いいかえれば、地理的・空間的な逃避場所が消失した後という状況のなかで、いわば「ノマド的な逃避を続ける術」が「一時的であること」なのでしょう。
 けれども、そうなると、TAZ(一時的自律ゾーン)とPAZ(恒久的自律ゾーン)の区別はあいまいになっていきますが、ハキム・ベイ自身、そのことに気が付いています。本文が書かれた10年後の1996年の「日本語訳(初版)への序文」ですでに、1994年に武装蜂起したメキシコ・チアパスのサパティスタ民族解放軍に触れながら、「『一時的自律ゾーン』の概念の概念のうち、その手続き上の主張を再コンテクスト化したい」と述べて、次のように言います。

 TAZのゲリラ的側面は、「目隠しされた資本の円形刑務所(パノプティコン)」への抵抗の手段としてはまったく適切なものである。だがTAZに今必要なのは、自らを反対者、否定者として肯定するその禁断症状(拒絶の身振り)を乗り越えることなのだ。それは戦略的には、他の革命的な差異との相互関係を連合するプロセス(リゾーム的な複雑性)を通じた組織的な形態――その自発性においても――として、一時的にそして恒久的に実現され得るだろう。[11頁]

 このように他の自律ゾーンとの連合を模索することによって「恒久的」な形で実現しうる可能性に触れています。そして、2003年の「第二版への前書き」では、TAZとPAZとの区別は連続的・相対的なものだという見解を述べています。

仮にあなたが、メディアというものを生活の中枢とするならば、あなたは、媒介された/メディア化された生を送ることになる――しかし「TAZ」は、メディアを介さない直接的なものであることを、さもなくば無であることを望むのである。
   TAZは、空間よりも、時間への流動的な関連の中に存在する。それは、真に一時的なものであるが、恐らくはまた、休日、バカンス、夏休みのキャンプといった繰り返す自律のように、周期的に訪れるものでもあるだろう。それは、首尾よく成功したコミューン、あるいは放浪者の小領域のように、「恒久的な」自律ゾーンである「PAZ」となれるかも知れない。「PAZ」には、大麻の栽培家によってひそかにコントロールされた、アメリカやカナダの田舎の地域のように不法で秘密裏のものもあれば、宗教的セクト、アート集団、トレーラーハウスの駐車場、スクオッターたち等々のように、もっとオープンに運営することができるものもある。あなたは、「TAZ」的であることの相対的な度合いについても語ることができる。つまり結局のところ、自律はないよりもあったほうがまし、と。わたしは、趣味のグループや、古風な友愛会組織も、こうした点に関心があるのだと思う。[ⅴ-ⅵ]

 ジェームズ・C・スコットは、『ゾミア』の最後で、空間的な避難場所がなくなった後では、「現代社会で私たちの享受できる自由に未来があるかどうかは、リバイアサン(強力な政府)を避けることよりも、それを飼いならすという途方もない仕事にかかっている」と述べていました。たしかに国家というシステム全体を「飼いならす」というのは途方もないことです。しかし、『実践 日々のアナキズム』では、ジェーン・ジェイコブズが都市計画という公式の知に対置させた、都市における近隣の高度に精緻化された柔靭な土着の知や、小商いをするプチ・ブルジョアジーたちのコモンへの貢献などを取り上げて、そこにシステムを飼いならすやり方の可能性を示唆しています。つまり、システム全体を飼いならす必要はなく、自分たちの近隣地区において、いいかえれば真正な社会において、〈コモン〉を基盤として飼いならせばよく、それはそんなに途方もないことではないということです。
 同じように、ハキム・ベイは、絶えず遊動するノマド的共同体(部族社会)によるTAZによるゲリラ戦に可能性を求めていましたが、絶えず逃げ続ける、あるいは絶えず祝祭的な行動をするというのも途方もないことです。しかし、逃避的様式による自律は持続的で恒久的なものにもあるということに気づけば、「趣味のグループや、古風な友愛会組織」にも(つまり日常的な生活のなかにも)自律ゾーンがありうるということにもなります。
 非真正な社会のシステムのなかに真正な社会が島々のように点在していること、そのような二重社会論という視点に立てば、システムのただなかで生活していても、システムに依存しない「メディアを介さない直接的なもの」としての自律ゾーンが維持できるということが明確になります。ジェームズ・C・スコットとハキム・ベイが別々のところからきて交差している到達点がそこにあるのだろうと思います。

 

ジェームズ・C・スコットの『ゾミア――脱国家の世界史』を読む

ジェームズ・C・スコット『ゾミア――脱国家の世界史』佐藤仁監訳、みすず書房、2013年9月
ISBN978-4-622-07783-1

 ブログを休んでいた10年のあいだに出版された人類学の文献の中で最も重要な本の一冊として、ジェームズ・C・スコットの『ゾミア』(原題は『統治されない技法――東南アジア山地のアナキズム的歴史』2009年)を紹介しておきたいと思います(スコットは政治学者で人類学者)。これを紹介するもう一つの理由は、この本の議論が、次回の読書ノートで取り上げる予定のハキム・ベイ『T.A.Z.』の議論とつながっているからです。

 「ゾミア」とは、東南アジア大陸部(ベトナムカンボジアラオス、タイ、ミャンマー)および中国南部の山岳地帯を指す名称です。歴史的に、そこには、国家にまだ統合されていない人々が存在し、焼き畑と狩猟採集を生業としてきました。従来、彼らは山岳民族ないし辺境に残った文明を知らない未開地域の人々と捉えられてきました。しかし、スコットは、彼らをもともと平地にいた農耕民であり、水稲農業による国家が登場してきたあと、その国家の支配から逃れるため山地に向かった人びとで、その山地は、国家からの避難地帯だったと捉えました。スコットは、「はじめに」でその概要を次のようにまとめています。

「ゾミア」とは、ベトナムの中央高原からインドの北東部にかけて広がり、東南アジア大陸部の5カ国(ベトナムカンボジアラオス、タイ、ビルマ)と中国の4省(雲南、貴州、広西、四川)を含む広大な丘陵地帯を指す新名称である。およそ標高300メートル以上にあるこの地域全体は、面積にして250万平方キロメートルにおよぶ。約1億の少数民族の人々が住み、言語的にも民族的にも目もくらむほど多様である。東南アジア大陸部の山塊(マシフ)とも呼ばれてきたこの地帯は、いかなる国家の中心になることもなく、9つの国家の辺境に位置し、東南アジア、東アジア、南アジアといった通例の地域区分にも当てはまらない。とくに興味深いのはこの地域の生態学的多様性であり、その多様性と国家形成との相互関係である。あたかも北米のアパラチア山脈の国際越境版であるかのようなこの地帯は、新鮮な研究対象であり、地域研究への新たな視点を提供している。
 私の主張は単純だが挑発的であり、賛否両論を引き起こすだろう。ゾミアは、国民国家に完全に統合されていない人々がいまだ残存する、世界で最も大きな地域である。このさきゾミアが非国家圏であり続けるのもそう長くはないだろう。しかし一昔前まで人類の大多数は、ゾミアの人々のように国家を持たず、政治的に独立して自治をしていた。今日ゾミアの人々について、平野国家の視点から「現存する我らの先祖」とか「稲作、仏教、文明が発見される以前、私たちはあのように暮らしていたのだ」などともっともらしく語られるが、これに対して私は本書で以下のような反論を展開する。山地民とは、これまで2000年のあいだ、奴隷、徴兵、徴税、強制労働、伝染病、戦争といった平地での国家建設事業に伴う抑圧から逃れてきた逃亡者、避難民、マルーン共同体の人々である、と。こうした人々が暮らす地域の多くは、破片地帯もしくは避難地域とみなすのが適切である。
 ゾミアの人々の生業、社会組織、イデオロギー、そして(この点については多くの反論が出るであろうが)口承文化さえも、国家から距離を置くために選ばれた戦略、と解釈できる。険しい山地での拡散した暮らし、頻繁な移動、作付けの仕方、親族構造、民族的アイデンティティの柔軟さ、千年王国預言者への傾倒、これらすべては、国家への編入を回避し、自分たちの社会の内部から国家が生まれてこないようにする機能を果たしてきた。とくに多くのゾミアの人々を逃避へと追い立てたのは、長大な歴史を持つ中国の王朝国家であった。山地民に伝わる数多くの伝説にその逃走の歴史をかいまみることができる。15世紀以前の状況についてはいくらか憶測に頼ることになるが、それ以降の時代の文書史料にはこうした事実がはっきり示されている。明朝と清朝期に頻繁に起こった山地民に対する軍事作戦、19世紀中葉に中国南西部に起こったかつてない大反乱と、数百万に上る反乱の避難民については文献に記されているし、ビルマとタイでの国家による奴隷狩りからの逃避についても十分史料が残っている。

 スコットは、ゾミアの山岳地帯を国家からの避難地域と捉え、平地の国家からの逃亡者である山地民がそこで作り上げていた、クラゲのように柔軟にかたちを変える生業形態と社会組織と文化を「逃避的生業」、「逃避的社会組織」、「逃避的文化」と捉えなおしました。それらは、国家から逃れた「自治」と「平等」と「相互扶助」からなる協同体を柔軟に維持するための特徴でした。つまり、それらの特徴は、山地民がもともと固有性として首尾一貫して持っていたものなのではなく、平地国家から山地に移動して作り上げた「自己野蛮化」の結果なのだというのです。

穀物の集中的生産を基盤とする国家は、典型的に広大な耕作地から誕生する。東南アジア大陸部ではそのような農耕生態環境は一般に低地で起こるので、「盆地国家」対「山地(部族)民」といった区別が意味をなす。……つまり、鍵となる変数は、標高そのものではなく穀物の集中的生産であった。これに対して「無国家空間」とは、主に地理的な障害が原因で、国家支配が確立されにくい空間を指す。……アクセスの困難な地形こそが国家支配の拡大に対する障壁であった。[13頁]

ゾミアは、たんに低地国家に対する抵抗の地であっただけではなく、国家からの避難先であった。……「避難」という言葉を使うのは、これまで一五〇〇年以上にわたり多くの人々が山地に移った主な原因は、低地での国家建設事業がもたらす多種多様の苦痛であったからである。低地における文明の進歩に「取り残された」どころか、彼らは長い時間をかけて国家の手がおよばないところに自らを位置づけてきた。[22-23頁]

 このゾミアの「自己野蛮化」による「逃避的生業」、「逃避的社会組織」、「逃避的文化」の意味は、この講義で述べてきたことに近づけていえば、小規模な集団で移動することで、国家という非真正なシステムに包摂されることを拒否して、臨機応変の戦術を駆使して「真正な社会」を作り上げたということと言えるでしょう。そのような小規模の共同体(〈コモン〉と言ってもいいでしょう)は、ゾミアだけに見られるのではありません。スコット自身も、似たような「逃避的」な様態をもつ共同体として、ブラジルや西インド諸島での逃亡奴隷による「マルーン」共同体やジプシーなどを挙げています。
 スコットの『ゾミア』の利点は、野蛮から文明へという移行を不可逆的な一方向の変化と捉える見かたを放棄して、山地と平地の対立を、それぞれが固有の同一性を有しているような対立ではなく、共生し連続し混り合った上での対立であり、その間を往復しているような可逆的な対立なのだとしている点にあるでしょう。スコットは、「低地民の多くはかつて山地民であり、また山地民の多くはかつて低地民であった。いずれの方向でも一回かぎりのものではなく、一方から他方へ移ると、もう元には戻れないという類の移動ではなかった」[スコット 2013:27]と言っています。その上で、次のように問います。

山地と平地のあいだではヒト、モノ、文化の交流が何世紀にもわたり活発に行われてきたにもかかわらず、両社会のあいだの文化的な差異は今日まで驚くほどはっきりとしている。平地社会と山地社会は相互に密接な関係を保ってきたという史実とは裏腹に、それぞれの当事者は平地民と山地民のあいだに不変で根源的な違いがあると考えている。
  このパラドックスをどう理解したらいいのだろうか。まず初めに、平地国家と山地社会の関係はたんに共生的であるだけでなく、対立的要素を含みつつも同時平行的に変化してきたという点を認識しなくてはならない。[28頁]

 そして、人類学者のゲルナーのアラブとベルベルの共生と対立についての議論を参照しながら、このパラドックスについて、次のように言います。

このベルベルの事例は二つの点で示唆に富んでいる。まずひとつは、ゲルナーが明らかにしているとおり、アラブとベルベルの境界線を規定しているのは、文明の差でもなければ、宗教の相違でもないという点である。それは、国家に支配されている者と支配圏の外にいる者を区別する真に政治的な境界であった。ところが、この境界を越える移動と交通は実のところ歴史上盛んであったというゲルナーの指摘に従えば、政治的な区別は興味深いことに民族的差異として符号化されるようになる。つまり、境界が区別する根本的な違いは政治的選択による違いとしてではなく、あたかも民族的差異として理解できるようになるのだ。この視点から見ると、国家から逃れる人々とは、自らを部族化する人々であったと理解できる。統治権と徴税が行使されなくなる最果ての地において、民族や部族が現れる。[30-31頁]

 トライブという民族集団の形成としての「部族化」は、国家から逃亡して山地民となった人々が国家と自分たちを区別するためだったというわけです。そうなると国家の中に住む平地民のほうでも、山地民を「部族」として捉える「部族化」が行われます。けれども、この辺境での「部族化」には非対称性があり、平地の水稲国家においては、他者としての山地民はまだ文明化されていない辺境の山岳民族であり、昔の自分たちの姿をとどめている遅れた人々として「部族化」されます――つまり、自分たちは進歩した、文明化したが、彼らは昔のままだという認識が作られ、可逆性が否定され、固定的な境界が作られていきます。そこでは、その文明化の差が民族の差異とされ、それぞれが純粋な形の民族的同一性を保っているとされるわけです。それに対して、山地民の側の「部族化」は、生業や社会組織や口承文化の柔軟性と可逆性を保持したままの「自己部族化」がなされ、その境界も柔軟で可変的なものとなっているのです。
 このようなスコットの議論は、現代においても、国家というシステムなしに共同体――〈コモン〉――を作り維持することが可能だという希望を示しているように思います。けれども、結論のところで、スコットは、「しかし、過去半世紀のあいだに生じた技術革新と独立国家の野心が互いに組み合わさり、ゾミアの人々にわずかに残されていた相対的な自治さえをも弱体化させた。そのため、本書の分析は第二次世界大戦後の状況にはほとんど当てはまらない」[330頁]と言っています。つまり、20世紀後半には、国家のシステムからの避難場所としてのゾミアはなくなってしまったというわけです。しかし、それではもう後戻りできない不可逆的な歴史の単線的な移行しか残っていないということなのでしょうか。スコットは、「現代社会で私たちの享受できる自由に未来があるかどうかは、リバイアサン(強力な政府)を避けることよりも、それを飼いならすという途方もない仕事にかかっている。ますます標準化された制度の構造は、私たちの生活の隅々まで占拠するに至った。なかでも支配的なのは、私的所有制度と国民国家という欧米で顕著にみられるモデルである。そのなかで私たちは私的所有制度の生みだす富と権力の著しい格差、そして相互依存を深める人々の生活に押し付けがましい規制をかけてくる国家との格闘を強いられている」[329頁]と、かなり悲観的なトーンで述べています。
 しかし、地理的な領域としての避難地域のゾミアが消えてしまった現代社会でも、システムや制度から「逃げ出す」というやり方は、人々の基本的な「もののやり方」であるはずです。それが不可能に思えるのは、自分たちをシステムや制度に合わせて作り上げてしまう、いわば「自己適応化」のせいです。そのためにシステムや制度のなかで居場所がないと感じても、他に行き場所・居場所がないと思ってしまいますが、たとえば学校という制度や会社勤めというシステムのなかで居場所がないと思ったら、「逃げ出す」というやり方は、無理な自己適応を辞めてしまえば、いまでもいつでも可能です。もちろん、一人で逃げ出すのは大変ですが、大事なことは、周りの人たちとともに、「コモン」というを創りだすかたちで逃げ出すことなのでしょう。
 希望はまだあるということです。そして、スコット自身、『実践 日々のアナキズム』(岩波書店、2017年)のなかで、国家に包摂された後の現代における「ゾミア」、すなわち不法占拠や逃散等の「底流政治」によってゲリラ的に作られたり、「小商い」によって維持される半ば相互扶助的な〈コモン〉を描き出しているのですから。

 

『新型コロナ19氏の意見』の2人の人類学者のエッセイを読む

 再開以前はこのブログの読書ノートに人類学の本は取り上げないという方針でした。それは、専門的になりがちだからという理由と、人類学の文献については大学のゼミで取り上げたり授業のなかでコメントをしたりしていたからでした。けれども、今後は人類学の本も取り上げていこうと思います。

 今回は、執筆者の一人である猪瀬浩平さんから贈っていただいた以下のブックレットを紹介します。猪瀬さんありがとうございました。

農文協編『新型コロナ19氏の意見:われわれはどこにいて、どこへ向かうのか』(農文協ブックレット21)農山漁村文化協会
ISBN978-4-540-20137-0

 このブックレットには、4月上旬に書かれたり聞き取りされたりした19人の論考やエッセイが収められています。新型コロナウイルスについての専門家とも言えるウイルス学者や感染症学者も寄稿しているとともに、農文協らしさとも言うべき新自由主義的グローバリゼーション批判や都市文明批判、そして現在の日本社会批判を展開する論考も多くみられます。
 しかし、ここで紹介したいのは、2人の人類学者、磯野真穂さんと猪瀬浩平さんのエッセイです。その二つの論考が、他の文明論的な視点やグローバル化論、国家レベルの議論とは際立って異なっており、そのことが人類学的視点のユニークさを示しているように思うからです。
 最初に磯野真穂さんの「不要不急とは何か」という論考から紹介しましょう。磯野さんはまず、「不要不急の外出を控えましょう」という一色に染められた声に対する違和感を述べています。そこには個々人の事情によってそれぞれ異なるはずの「不要不急」が感染から健康を守るという単一の目的に吸収されてしまっています。そして、私たちは、「これくらいなら大丈夫だろう」という自分の身体感覚に従って行動しているのではなく、専門家の言葉と疫学者の導く予測に従っています。そのことを磯野さんは、メディアに流れる数字や統計予測や映像といったデジタルを媒介にした情報に身体が負けたと表現し、次のように言います。

身体のあれこれが数値化され、そして統計によって未来の予測が立てられ、それに従うよう求められる。この兆候は20世紀後半からあった。そしてとうとうその眼差しが世界を席巻した。統計と映像が、健康を掲げて身体を駆逐したのである。感染拡大予防の名のもとに個人情報が収集され、安全な道順がスマホで逐一提示される日も近いかもしれない。[52頁]

 この「数値vs身体」という対比は、すこし読み替えれば、デジタルの数値の「一般性」と個々の事情を抱え他の身体と間身体的につながっている身体の「単独性」との対比であり、精神科医木村敏さんのいう自然科学が客観的に認識する公共的な観点からみた現実としての「リアリティ」と「それに関与している人が自分自身のアクティヴな行動によって対処する以外ないような現実」としての「アクチュアリティ」の対比(木村敏『心の病理を考える』岩波新書)と言えるでしょう。
 そして、磯野さんは、「不要不急の先で私たちが守ろうとしているものは、人命第一という薄っぺらなモラルに包まれた科学と人間のインテリジェンスへの狂信に私は見えてしまう」[53頁]と述べています。それに対して、磯野さんが対置しようとしている希望は、思考停止を強いるわかりやすく明確な疫学的な正しさによる指示などではなく、曖昧な言葉でしか語ることのできないそれぞれの生きかた中で、自分たちでなんとか社会を維持していく自治のあり方のように思います。磯野さんはつぎのような言葉で終えています。

私たちにとって必要火急なのは人工呼吸器でも、集中治療室でもない。ウイルスの恐怖の前に吸い取られつつある、自ら考える力と他者への信頼こそが必要火急である。ありきたりの言葉であるが、このありきたりがこれほどまでにあっさりと失われることを私たちは今、目にしているのではないだろうか。[54頁]

 ところで、磯野さんは、BuzzFeed Newsに4月5日に掲載された「問われているのは『命と経済』ではなく、『命と命』の問題」というインタビュー記事(これが本ブックレットの編集者の目に留まり、寄稿依頼が来たそうです)のなかで、つぎのように言っていました。

私が感染拡大の議論を聞いていて疑問に思うのは「命と経済」の対比です。でも私は、これは『命と経済』の話ではなく、『命と命』の問題だと思うのです。どういうことかというと、感染拡大を止めるという目的に添い、普段の生活を諦めている人たちの命も同じように危険に晒されているということです。
コロナにかかって亡くなりやすい人たちと、その人たちを守るためにこれまでの生活を諦めている人たちの命の両方が危うい状況になっている。その双方が「弱者」です。(中略)
そして、その生活が回らなくなれば当然かれらの命は真綿で首を絞められるように危険に晒されていくでしょう。

 この「命と経済」ではなく「命と命」の問題だという言い方は、このブログの「人類学的視点からみたポストCOVID-19社会(1)」で触れた「命を救うために経済を回せ」という経済至上主義者たちの言い方と重なるのが気になります。そこでも述べたように、「命vs命」の問題点は、COVID-19によって脅かされる命を守れという「命ファースト」の自粛の主張も、不況で脅かされる経済的弱者の命を守れという「経済を回せ」という主張も、命が一般化・数量化されており(公共空間やシステムにおいてはつねに命はそのように扱われます)、ただシステムの維持や強化のために利用されるものとなるということにあります。前者の命は「惨事便乗ファシズム」や「IT監視国家」へと利用され、後者の命は「惨事便乗資本主義」に利用されてしまいます。
 もちろん、磯野さんの言いたいことはそれらとは逆の主張のはずですが、「命と命」の問題だと置きかえるだけでは、そのようなシステムの強化に利用される恐れがあるということです。「命と命」をもう一回、「一般化・数量化された命vs単独性のある命」という対比までずらす必要があるでしょう。死者の単独性を守ること、その死者を弔うこと、それが大事になります。
 もうひとつの論考、猪瀬浩平さんの「『病気はまだ、継続中です』:分割/連帯を生み出すために」では、この「死者の単独性」や「生者の単独性」ということが明確に扱われています(単独性という語は使われていませんが)。
 猪瀬さんも、新型コロナウイルス感染について語ったり語られたりする言葉にたいして違和感を覚えていたと言います。そして、猪瀬さんはそれが固有名と結びついていない語りだからということに気づき、そこでは「私の身体も、私の経験も、今は私のものではないように感じている」[99頁]と述べ、「であるのだとしたら、今必要なのは、私の身体を、私の経験を如何に取り戻すのかということであり、他者の身体を、他者の経験を如何に生々しく感じることなのだ」[99頁]と言います。
猪瀬さんはここで意表を突く例をもってきます。愛知県で3月4日にPCR検査で陽性になった男性が県の自宅待機の指導を受けたにもかかわらず、その日の夜、近くの飲食店を訪れ、「ウイルスをばらまいてやる」と言い、従業員に感染させた出来事です。当然、メディアでは強い非難の声があがりました。男性は3月18日にもともと罹っていた重い持病で死亡します。猪瀬さんは、自宅待機の要請を受けても、飲食店に行ってしまう人の理由や事情を考えます。自分の周りの人たちのことを考えても、自宅待機を要請されて安全に自宅にいられる人ばかりではないのではないかと。そして、つぎのように言います。

自宅待機を守らずに外出した男性を批判し、断罪するのは容易だ。しかし、それだけでは、今、本当に何が失われているのかに目を背けることになる。匿名の「無責任な人間」ではなく、固有名を持った一人の存在として、彼を感知すること。それが、実はコロナウイルスが奪うことに対する抗いなのだと思う。[100頁]

 この「匿名の『無責任な人間』」と「固有名を持った一人の存在」の対比は、メディアにおいて固有性を剥奪され一般化された存在というリアリティの相と、真正なレベルにおいて単独性をもった存在というアクチュアリティの相の対比と言っていいでしょう。
 さらに、猪瀬さんは、死が「私だけの経験」という単独性をもつものであることを指摘したあと、「死が私だけの経験であるということは、しかし、『私だけの死』に向かっていくもの同士の連帯を生む」[101頁]と言います。そして、そのような「連帯」を、上野俊哉きだみのる論(『思想の不良たち』岩波書店)で使っている「分割partage」という用語(もともとはジャン=リュック・ナンシーが『無為の共同体』などで提唱した用語)で説明します。すなわち、死という経験は共有しようとしてもできないものであり、絶対に分かち合えないものです。しかし、他に何も共有するものがなくても、この分かち合えないものによってそれぞれが分割されつつ、そのような自分でしか受け取れない出来事を分かちもつことによって、かろうじて〈共同性〉は成り立っていると。
 この「分割=分かち合い」は、ネグリとハートが〈コモン=共〉は単独性同士のあいだにしか作られえないと述べたことに通じているでしょう。猪瀬さんは、4月にケアが必要となったお祖母さんの病院をお母さんと訪問する道すがら、車の中で「祖母がかつて私に話してくれた曽祖父の話」、すなわち曽祖父の妹さんがスペイン風邪で亡くなったという話をします。「それがパンデミックということを、私が身近に感じる唯一の話」だからです。また、お母さんはお祖母さんからその話は聞いていなかったといいます。継続中のパンデミックの中で、猪瀬さんはお母さんと半日一緒にいて様々な不安を語り合うことで、その存在をあらためて強く感じたと言います。つまり、親族という〈共同性〉もあらかじめ親族という共同体があるのではなく、「曽祖父と妹、祖母、母、私はそれぞれに分割されながら、しかし、自分でしかうけとれない出来事を分かちもつことによって、かろうじて親族という〈共同性〉は成り立つ」[102頁]というわけです。
 固有名によって示される単独性は、それを分かちもつというトランザクションによってそのつど、本源的な連帯としての〈コモン=共〉を生成していきます。それはメディアにおける匿名の存在が直ちに公共的なものになって(すなわち単独性を消去して)、個々人の事情を内包した〈コモン〉を阻害してしまうのと対照的です。
 猪瀬さんは、最後につぎのように述べています。

「感染者」や「コロナウイルスによる死者」という匿名の存在としてひとくくりにくくられるのではない、継続中の災厄に対峙するもの――そこには死者もいれば、これから生まれてくるものもいるだろう――が、それぞれの経験を分割するなかでうまれる、共同性であり、連帯である。[103頁]

 その作られ続ける共同性や連帯こそが、私の経験や私の身体を、私のものではないかのように奪ってしまう匿名の存在からなるリアリティの世界で、私の経験や私の身体を奪い返してアクチュアリティを取り戻すための基盤となるのだというわけです。

 さて、磯野真穂さんと猪瀬浩平さんの論考を紹介してきましたが、この二人の新進気鋭の人類学者の視点・眼差しは、手前味噌になりますが、私が近年主張しつづけている、人類学は客観的・公共的なリアリティではなく、単独的なアクチュアリティを扱うものだということを、見事に示してくれているようで、心強く感じています。そして、アクチュアリティや単独性が現れるのは、レヴィ=ストロースのいう「真正な社会」においてのみだということも示していると思いますが、それこそが人類学の独自の視点なのです。先に触れた「命vs命」という議論は、どちらの命も非真正な社会、すなわち科学や法律やマスメディアという一般化された媒体によって結ばれた社会におけるものだという意味で、非真正性(まがいものらしさ)を帯びています。それらに対して、真正な社会における「単独性のある命」を対置することが人類学に求められていることであり、「コロナ禍」を人類学的に考えるうえで欠かせない視点だろうと思います。

 

「新しい日常」と具体的な他者への配慮としての倫理

 また、COVID-19の話です。タイトルは別にしましたが。

 さて、東京都など首都圏4都県と北海道に出されていた緊急事態宣言も解除されることになりました。気持ちや行動をどのように変えればいいのか(しかも段階的に!)、よく分からないというのが正直なところではないでしょうか。そこには戸惑いとともに、気持ちのざわつきもあります。
 小説家の村田沙耶香さんが南ドイツ新聞に寄稿しているという「パンデミックな日々、日本にて」という連載コラム(文春オンライン)の6回目のコラムに、自粛解除・緩和にともなう戸惑いについて、次のように書いています。

 少し前まで、自分はウィルスを持っているかもしれないと考えて行動することが 「正しい」という感覚が東京では一般的だった、と思う。(中略)私自身も、「今、自分はウィルスをばらまいているかもしれない」と思いながら暮らしていた。大切な人には会わないことが愛情だと思い、家族の顔も当然見ていない。
そんな生活に、突然「緩和」という言葉が飛び込んできて、戸惑っている。私が一番怖いのは、両親や大切な人に自分が感染させて、失ってしまうことなので、「自分は今、ウィルスを持っていない」と急に信じるのは、なかなか難しい。

 たしかに、「自分が感染者である」かもしれないことを前提とした他者への配慮が求められていたように思いますし、メディアでもそのような行動が推奨されていました。村田さんが言っているような、両親や大切な人という具体的な他者への配慮は、正しい意味での「倫理」と呼びうるものです。マスクをするという行為は、そのような倫理に基づいています(それはうつされることの予防ではなくうつすことへの予防なのですから)。つまり、多くの人たちは指示されたから自粛していたのではなく、自分がウィルスに感染しているかもしれないと考えて、大切な人を守るには自分たちでどうすればいいのかを判断していたから、自粛できていたのでしょう。
 もちろん、すべての人がそのような倫理を身につけていたわけではありません。医療従事者や宅配をしてくれる人たちにコロナをもってくるなと暴言を吐いたり差別したりする人がいると報じられていました。また、盛り場などに集まっている若者たちの中には、メディアの取材に対して、「一人暮らしで、感染しても誰にも迷惑をかけないから」と答える人もいました。そのような人たちは、自分がウィルスを持っているかもしれないとは考えていないわけです。他県のナンバーの車を攻撃する人たちも、そういった倫理とは無縁なのでしょう。けれども、そのような人たちが間違っているとされるのは、多くの人たちが、自分が感染者であるかもしれないと考えて行動していたからだと言えます。
 もっとも、そのような「他者への配慮」としての倫理からくる行動規範だけではなく、他者から感染しないための実利的な行動規範も喧伝されていました。その典型が、手洗いや消毒の徹底です。とりわけ、医者などの医療従事者がメディアで、私たちはこのように感染を防いでいますという形で、広めていたように思います。医療従事者やスーパーの店員、宅配便の配達人など、他人との接触を削減できないエッセンシャル・ワーカーたちに必要な心構えが、「自分が感染しない」ということであり、ウィルスを持っているかもしれない他者から感染を防ぐためにこまめに手洗いをして、外出から帰ったときに玄関で服も脱ぎ捨てて洗濯機にという行為が必要となります。フェイスガード(あるいはN95などの医療マスク)や防護服が必要なのもこのようなエッセンシャル・ワーカーたちです。
 この二つの行動規範のあいだの齟齬や矛盾は、外出自粛ができている間は表立たないと言えるかもしれません。人に会わないことと自分が感染者であるかもしれないという考えとはすんなり適合するからです。しかし、買い物などに外出して少しでも人と接触すると、二つの行動規範の間に亀裂が生まれます。自分はウィルスを持っているかもしれないからマスクをしてなるべく他の人にうつさないように大声も出さないという行動をとる一方で、他人の持っているウィルスに自分が感染しないように手を消毒するというように。そして、外出自粛が解除されたときに、この二つの間の切り替えをどうすればよいのかという問題が生じます。最初に述べた気持ちの「ざわつき」はこのような亀裂・矛盾というか、どっちつかずの状態からくるように思います。
 村田さんはまだ40代前半ですから、自分が感染者であるかもしれないと考えて、両親など親しい人にうつさないようにという気持ちが先にくるのでしょう(メディアで「自分が感染者であるかもしれないことを前提にして行動しましょう」と呼びかけられたのも若者相手だったと思います)。しかし、特に65歳以上の高齢者で45年くらいの喫煙歴があり糖尿病の既往症もある私などは、重症化する典型的なパターンに当てはまりますから、うつさないようにという気持ち以上にうつされないようにと考えます(村田さんの親の世代になるわけですから)。その気持ちが、自分が感染者であるかもしれないということに基づく倫理(=他者への配慮)と相容れないので、気持ちが「ざわざわ」するのでしょう。
 自粛解除の先にある「新しい生活様式」や「新しい日常」(ニュー・ノーマル)という行動規範が問題を含んでいるのは、そこにあるのが疫学的なリスク計算だけであり、その行動規範をどのような倫理(他者への配慮)で支えるのかということがまったく考えられていないことにあります。「今、自分はウィルスをばらまいているかもしれない」と思うのか「自分は今、ウィルスを持っていない」と急に信じるのか、そういった倫理とは無関係な疫学的な真理であるかのように主張されているわけです。しかし、そのような行動規範は、基盤にある他者への配慮としての倫理によって支えられなければ、ウィルスをもつ他者への差別・排除へと容易に転化するのではないのかと思います。

 

 話は変わりますが、22日のCNNの配信のニュースで、スウェーデン公衆衛生局は首都ストックホルムの住民を対象におこなった抗体検査で、抗体保有率が7.3%にとどまるという結果が出たと発表しました。まず、この数字の意味を述べる前に、スウェーデン式と呼ばれている独自の対策について、これまでの経緯を見ておきましょう。
 スウェーデンは、ロックダウンも入国規制、外出規制もせず、飲食店やスポーツジムなどの休業要請もしないで、学校も休校しないなど、独自の対策を講じて、注目を集めていました。まったく対策を呼びかけないわけではなく、政府は、ソーシャル・ディスタンシングとして人と1.5m離れる、集会は50人まで、高齢者施設の面会禁止、発熱や咳などの症状がある人や70歳以上の高齢者は自宅待機、スポーツイベントや美術館などは中止、といったことを要請しています。しかし、日本と同様にこれらは要請であり法的拘束力も罰則もありません。人びとはマスクもしないで外出したり経済活動を続けたりしています。
 当局は、これらの緩い対策は「集団免疫」を目指すものではないと明言していますが、軽症者の入院措置もせず、重症化した患者に対するICUなどの医療設備を十分に確保しつつ、感染が広がることを容認していることも確かです。これらの対策を主導していて、スウェーデンのコロナ危機対策の顔になっている公衆衛生局の首席免疫学者であるアンデシュ・テグネル氏は、ソーシャル・ディスタンシングなどの要請は感染爆発による医療崩壊を避けるためのもので、できるだけ通常の経済活動、消費活動をしながらコントロールしていく政策と集団免疫を獲得することとは矛盾しないと述べていました。そして、テグネル氏は、5月初めには、ストックホルムの住民の最大25%が免疫を獲得しているという推計を提示し(市内のある病院の調査で職員の27%が抗体保有していたこと、その多くが院内感染ではなく市中感染によると推測したため)、5月中には集団免疫が達成できると予測もしていました。
 ただし、ロックダウン政策をしている近隣の北欧諸国(ノルウェーフィンランドデンマーク)に比べ、当初から死者数が多かったことから、国内でも批判はありました。ちなみに、22日現在のスウェーデンのCOVID-19の死者数は3925人で、人口1万人当たりの死者数は3.85人となっており、アメリカ合衆国の2.97人を上回っており、世界の中でもワースト10位に入っています。同じような条件と見られる近隣諸国では、ノルウェーの死者数235人で人口1万人当たりの死者数は0.44人、フィンランドは死者数306人で人口1万人当たりの死者数0.55人、デンマークでも死者数561人、人口1万人当たりの死者数0.97人と比べて、北欧諸国では突出しています。そのため、4月初頭には、政府の対策に批判的な著名な科学者22名が感染防止策の強化と、疫学の専門家ではなく政治家による政策決定を求める公開書簡を大手新聞に発表しました。また、3月までは同じく専門家の指導を受けて集団免疫を目指す政策をしていたイギリスのジョンソン政権が、集団免疫を獲得するまでには死者27万人と予測されるという発表や英国免疫学会からの批判などで政策を転換したことなどもあり、批判は広がっていきました。
 けれども、テグネル氏は記者会見などで失敗は失敗と率直に認めて、あくまでも科学的に、疫学的な根拠に基づいて政策を分かりやすく伝えているため、氏への市民の信頼や人気は高くなり、ロックスターのようにファンクラブまでできているそうで、実際、4月半ばの世論調査では、テグネル氏を信頼していると答えた人が約7割だったと言います。
 テグネル氏は、5月6日の「ザ・デイリー・ショー」というテレビ番組に出演し、6日の時点でCOVID-19の死者数が2700人を超えたことを受けて、「死者の増加は大きな驚き」で「大変憂慮している」と述べ、ロックダウンなしの戦略はより多くの死者を出すための決定ではなく、もちろんこのような大きな代償は予測していなかったと失敗を率直に認めました。死者の半数が他の国々同様に高齢者施設で発生していることを挙げ、「当局は、当初、高齢者施設にいる人々をこの病気から隔離しておくことは、他の国よりもずっと上手にできると思っていた」と言っています。しかし、「われわれがいくら最善を尽くしても、実際には高齢者をこの病気から遠ざけることはむつかしく、結果として明らかに十分でなかった」と述べ、施設への訪問の禁止などが十分に実現できなかったこと、すべての施設での衛生学的手順が常に標準に達していたわけではなかったことを認めたのでした。その上で「もちろん、誰かの命を他の誰かの命よりも優先させているわけではない」と述べていました。そして、個々の施設での対応に問題があっても、戦略全体の失敗ではないと強調しています。また、施設への訪問を禁止していたのに高齢者施設での死者数が多かったことから、ロックダウンしていれば死者数をもっと少なくできていたかどうかを知ることは非常に困難だとも述べ、ソーシャル・ディスタンシングだけで厳しい制限をせず、自由で開かれた社会を維持しながらというスウェーデン独自の戦略には良い点もあり、多くの点で成功していると総括しています。
 また、テグネル氏は、以前から、北欧近隣諸国の例からロックダウン政策が死者を減らすのに役に立つのではないかという質問に対して、「ロックダウンすると一時的には感染を抑えられるけれども、解除した後に感染が増える危険性があります。ソーシャル・ディスタンシングを守って生活していれば、ロックダウンしなくても感染は最低限に抑えられます」と答えていました。このように率直かつ科学的に説明することによって、テグネル氏がこれまで高い信頼を得ていたことは理解できます。
 しかし、ここで前に述べたストックホルムの抗体保有率が7.3%にとどまるという調査結果に戻ると、この数字はスウェーデン式が「多くの点で成功している」ということに疑問をもたせるものです。テグネル氏は、この数字について、「(予想より)低い」けれども「著しく低いわけではない」とコメントしています。しかし、少なくとも5月初めに述べていた抗体保有率25%という推計は間違っていたと言えるでしょう。これが再び逆風となって批判が強くなるかどうかはわかりませんが、批判的な公開書簡を出していた22名の科学者の一人であるウィルス学者のレナ・アインホーン氏は、この結果が出る以前にすでに、「高齢者のケアをする人にマスクなどの防護具着用を義務づけるなど、まだできることはたくさんある」と述べ、「多くの人が亡くなったのに、政策の誤りを認めず、現実にあわせた対応ができていない。当局の専門家の誤りをただせる人がいないのは問題だ」と批判しており、また政治思想史学者のヘレン・リンドベリ氏は、「当局者は科学に基づき理性的な自分たちが『腐敗した政治家の率いる欧州の他国より正しく優れている』と主張し、人々の愛国心や自尊心を利用している」と指摘しています(「デジタル朝日新聞」5月20日の記事)。さらに、この記事では、スウェーデン式の経済的メリットも明確ではなく、IMFによる今年のスウェーデンの経済成長率はマイナス6.8%で、欧州全体のマイナス6.6%という予測と変わらないと言います。グローバル化で部品は海外からということが普通になっている状況で自国だけが経済活動を続けようとしても打撃は同じように受けることを考えれば、当然だと言えます。
 

 長々とスウェーデン式対策についてみてきましたが、ここで何もスウェーデンの対策が成功しているのかどうかを検討したいわけではありません。集団免疫ということには疑問を表明していたWHOの緊急対応責任者のマイク・ライアン氏が4月末の会見で、スウェーデンは、私たちたちが『新しい日常(ニュー・ノーマル)』に行きつく場合のモデルを示している」と評価していたように、今後の一つのモデルになりますし、日本でもモデルとする人たちがいるから、取り上げたのでした。たとえば、三浦瑠麗さんや堀江貴文さんなど、自粛要請に最初から一貫して反対していた人たちはスウェーデン方式をモデルにしていると言えます(もっとも三浦さんは緊急事態宣言の解除を先延ばしにしているのではなく、「コロナ自体は脅威でなかったと宣言すべき」と発言し、堀江さんも賛同していることを見ると、スウェーデン方式というより、やはりボルソナロ・ブラジル大統領方式と言ったほうがいいのかもしれません)。
 専門家のなかにも京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸さんなど、「また炎上しそうだが…」とした上で、収束を早めるための一つの方向性として「お年寄りと免疫が下がっている人を隔離し、50歳以下で健康な人はなるべく外に出して、感染を早めてもらうということだ。だだ、そうすることで50歳以下の人の中で亡くなる人が出てくるので、批判をかなり浴びると思う。しかし、そこまでしなければ収束しないのであれば、結局トータルの死者数はほぼ同じだと思う。やはり、“ボタンのかけ違い”があると思う。ウイルスというものの本質を見誤り、人権の問題や検査技術の進歩もあって、“一人も死者を出さない”というバイアスが働いてしまった。そのため、“1万人の犠牲を出せば止められる”といったコンセンサスを取れず、世界が大混乱している。仮に1万人の死者を許容するのであれば、日本においてももっと簡単に収束させることができたのではないか」という「集団免疫」論者がいます(ABEMA TIMES 5月1日)。もっとも、スウェーデンの例を見れば、宮沢さんが前提とする「お年寄りと免疫が下がっている人を隔離」することがとても困難なことなのだということが分かります。スウェーデンの当局が当初、高齢者の隔離に自信を持っていたのは、スウェーデンではほとんどの高齢者が一人暮らしをしているか施設に入っているからでした。しかし、施設への訪問を禁止しても、高齢者のケアは接触なしにはできません。それで感染が施設の高齢者に拡がっていったわけです(当局者のなかには施設で働くケアする人に移民が多く意思疎通が困難であったことが感染拡大の背景にあると述べて、移民のせいにしていると批判されました)。日本では子世代と同居する高齢者も多く(イタリアと同じです)、また高齢者施設での感染も多くあり、スウェーデンよりもはるかに困難になります。結局、死者は50歳以下の若者ではなく、高齢者に偏ることは目に見えています。
 そして、自分が高齢者で免疫も下がっているだろうから言うわけなのですが、このスウェーデン方式の背景には、生産性の低い老人に死者が多く出ても「成功」の部類になるという優生思想があるように思います(唱える当人たちはもちろん否定するわけですが)。スウェーデンは(そして日本も)戦後まで優生思想による断種が継続した国です。それは科学を信じている度合いと並行しています。
 優生思想と言わないまでも、疫学的(科学的)に「正しい」とされる「新しい日常(ニュー・ノーマル)」は、死や病いを一般化・数量化し、(「トロッコ問題」のように)比較し、「ボタンのかけ違い」をしないように効率の計算もします。しかし、それは、「(具体的・特定的)他者への配慮」としての倫理を侵食し否定してしまいます。私としては、いつも同じことの繰り返しになってしまいますが、倫理なしの「新しい日常(ニュー・ノーマル)」になってしまったら、元も子もないということを改めて表明しておきたいと思います。