UA@日比谷野外音楽堂

やっぱりUAの転機は『SUN』だった。
内橋和久をはじめとするインプロ界の腕利きを揃え、彼らに自由気ままにプレイさせつつ制作されたこの作品には、彼女の並々ならぬ即興音楽への想いが伝わる。
事実、このアルバムのリリース前後に、即興イベントで歌声を披露する彼女や、客として小さなライブハウスを訪れる彼女の姿を目撃した。即興演奏というスタイルの自由かつ無限の可能性に、そして、それ故に垣間見える音楽の根源的な形である「音」のあり方に向きあうことができるという発見に、彼女は驚喜したに違いない。


しかし、それは彼女の音楽スタイルではなかった。


そうかもなあ、と思う瞬間はあった。例えば、内橋のイベントで即興演奏を披露した彼女は、さながら借りてきた猫状態で、とてもじゃないが即興演奏に長じたアーティストとは思えなかった。今にして思えば、という話ではあるが、おそらくこの時期、彼女は自分本来のスタイルと、仰ぎ見る即興音楽というスタイルとの間で、引き裂かれそうになっていたのだろう。

続く『BREATH』は、残念ながらそんな彼女の足掻きが聴こえるような、それでもなお作品として仕上げなければならないという義務感が先行したような、いかにも地に足つかぬ内容となってしまった。なぜにこれほど中途半端な作品を、こんなに焦ってリリースする必要があるのかわからなかった。そして、このたびリリースされた『GOLDEN GREEN』。

個人的には、ここまであからさまな歌詞は受け入れがたいし、演奏もさして目新しいもののない平板なものだと思う。でも、そこを差し引いても、彼女が今これを唄わなければならないとの切迫感に押されるように、この作品を発表したのだろうということは伝わってくる。そこまで正直な動機に基づいて制作されたのなら、もはや何も言えないのだけど。


少々前置きが長くなったが、そんな作品をひっさげての今回のライブ。歌詞がどうあれ、楽曲がどうあれ、やはり腕利き揃いのバンドが後ろを支えるのだし、やっぱり何たってUAだし、ということで、やはり期待せずにはいられない。そして、事実その期待どおりのパフォーマンスを彼女は見せてくれた。だが、どうも手放しに喜べないところもあったりして……。

まず、演奏に自由度がない。唄を真ん中に据えたのだから当然っちゃ当然だが、やっぱり面白くはない。それならそれで、朝本浩文とガチにやってた頃のようなサウンドにすればいいのに。なんかさ、バンドサウンドを甲子園で吹奏楽が再現したみたいな、電子音で精密に創られた音をのどじまんの会場でダン池田と何とかをバックに唄うみたいな、そんなスケールダウン感が満々。それでも、日比谷野音で聴くUAの唄はもうそれだけで充分に気持ちよいのだけど、それって「海はやっぱりいいねえ」とか「緑を見てると落ち着くよ〜」みたいな感覚にすぎないのであって、音楽でなくてもよさそうなもんだ。

UAはこれまでのように高みを目指して飛翔することをやめて、自分の背丈・身の丈に合った唄を唄うことにした。それが彼女にとってもっとも正直で、もっとも誠実だから。でも、ぶっちゃけた話、彼女の「本当」なんてこちらはどうでもいいのであって、嘘でもいいから飛翔しつづける彼女を見ていたかった。と、ここまでブーたれつつも、彼女の確信に満ちた表情を見ていると、やっぱり何も言えないのだけど。


ただ、ライブの最初と最後に、それぞれ1人ずつゲストを招き、いわゆる「地球のこと」とか「生命のこと」とかを話し合うという“おまけ”は、どう贔屓目に見てもまったくの蛇足だった。彼女の関心がそちら方面に向いていることなんて、唄を聴きゃ一発でわかることで、あらためて語る必要があったのだろうか? しかも、やはり彼女は唄う人だから、話がさほど上手いわけじゃない。唄うほうがよっぽど雄弁なのだ。このまま、わたしが最も嫌悪する「主張したいことを主張するがために唄うシンガー」にならなければいいけど。まあ、大丈夫だとは思うけど。

石渡明廣MMS@新宿ピットイン

石渡明廣MMS(マルハウス&マゼランIII&SAL)との触れ込みだったのだが、結論から言えば、マルハウス(石渡明廣+上村勝正+外山明)に、途中からかわいしのぶ湊雅史が加わった形。


マルハウスが、サックス&チューバを含む5人編成から、現在の3人(あるいは、ピアノを加えた4人編成)になって、すっかりフットワークの軽いユニットになったことは大歓迎。「ただのフュージョンじゃん」と揶揄する向きもあったが、ポップであるがゆえに自由度が高く、こまねずみのような回転の速さと、個々の演奏者の洒脱さが相乗効果を生むライブは、かなり面白い。


が、今回、2ベース、2ドラムとなったことで、本来の良さである軽妙さが失せ、重く騒がしくなってしまったのは非常に残念。かわいしのぶは、ファンキーな上村とは対照的なポップかつ攻撃的な音をさりげなく出していて好感度大だったが、問題は湊雅史。この人は常に4拍子の大きなビートを叩く人。しかも音がこれまたデカい。繊細にリズムの機微を捉えるべきところで、ハイハットでシャンシャン4拍ずつ刻むもんだから、うるせー!!!と言いたくなった。一方の外山は、とりあえず4拍子はとりたてて音にしなくともみんなわかるよね?的な了解のもと、ややこしいリズムを叩く(そして、それを全部2拍子だと言いきる)人。キメは外さないが、基本はメインのギターとはパラレルにして異次元な世界を生み出してしまう。そんな2人のドラマーのキャラの違いがうまく絡み合えばよかったのだが、今回は×。湊のドラムがひたすらくどく、その大雑把なリズムの波間から顔を出そうとする外山も、なんだか苦しそう。お互いに阿吽の呼吸でのびやかに演奏するのがマルハウスの身上なのに、今回はそれぞれが没交渉で、ただただ決められたことに従って演奏してます、みたいな感じに終わってしまった。

Zakir Hussain東京公演@渋谷duo

たまたま休みで暇を持て余していたところに、友人より「ザキール・フセインの予約が1人分余ってるんだけど……」との嬉しいお誘い。
実はどういう経緯で来日に至ったのかもよくわからなかったものの、とにかく一度ナマで観たい!と思い、ありがたく便乗。

果たしてそのイベントは、レナード衛藤なる和太鼓奏者の“Blendrums”なるイベントであった。
衛藤曰く、「和太鼓でいろんなジャンルの人と共演したりすると、伝統となんとかの融合だとか面倒くさいことを言われることが多いが、そういうジャンル区切りと関係なくブレンドしようよ!」という主旨のもとに、多彩なゲストを招いて継続しているのだとのことだったのだが。。

今回のゲストは、ザキール芳垣安洋

まずは、衛藤&芳垣のデュオ。さして目新しいこともなく、退屈なぐらい平板なセッション。
続いて、衛藤のソロ。これはちょっと面白かった。太鼓はその半径によって音の反響が違う。そこをうまく生かした演奏で、リズム云々ではなく音として楽しめるものであった。

そしていよいよザキールの登場。ソロ(というかデュオ)は非常に素晴らしい! 現地ではあれを延々5時間ぐらい演るらしいのだが、むしろ5時間でも聴いていたいと思えるぐらいのトランス感。そもそもタブラというのは、最初はリズムを口ずさむことから始まるらしいのだが、そのせいか、どんだけ複雑に入り組んだリズムにも、人間の営みが息づいている。呼吸したり、喋ったり、飲み食いしたり、そんな何げない行為の延長上にありつつ、でも、決して日常に埋もれるわけではなく。ホントにナマで観られてよかった。混雑ゆえ姿もあまり見えなかったけど、良い演奏って、まるでその演奏者にじかに触れ合ったかのようなじんわり温かい感慨を残してくれるものだと実感。

そんな感慨をできればずっと堪能していたかったのだが、今夜のイベントはあくまで衛藤が主宰。最後は3人のセッション。だが、これが驚くぐらいにクソつまらない。演奏を仕切っているのが衛藤なのだが、彼は意固地なぐらいにカッチリした4拍子を崩さず、均等なタイミングでキメのリズムを入れることを他の2人に強要(は言い過ぎだけど)する。ってことはつまり、人それぞれに違う時間やテンポの感覚を無視し、それぞれの楽器の持つリズム感もぶっちぎって、お行儀よく仕切られた枠の中に押し込めているわけで。。それこそブレンドじゃねえじゃん!と、激しく苛立ってしまった。

しかも、そんなセッションが何パータンも披露されるわけだが、どれもリズムに大差はなく、それぞれの個性を殺しているとしか思えない。まあ、こうも良し悪しがハッキリしていると、それはそれで考えさせられるわけで、結果的におもしろい体験ができたなとは思うわけだけど。


それにしても、入場の際にチケット代とは別に2ドリンク1000円を徴収されたにもかかわらず、途中に休憩が一度もなく、開演前もドリンクコーナーは異常なまでの混雑ぶり。ウチらは終演後もねばって2杯飲んだが、お金を払っておきながら諦めて帰った人も多かっただろう。ぼったくり???

ただし、音響は非常に良かったな。それだけは救いだった。

沖至+大友良英+外山明+半野田拓@新宿ピットイン

いやあ、凄いメンツだ!
フランスから一時帰国の沖至(Tr他)2daysのために大友良英がプロデュースしたらしいのだが、まさに納得の組み合わせ。

第一部は、沖と各メンバーとのデュオ。

半野田拓とのコンビでは、終始静かな展開。微妙に震える半野田の音が、沖の柔らかなトランペットを確実に捉えていて、半野田の音の波に漂う沖の音が深く澄み切っていて……。半野田の ギターが奏でるトレモロは、特別なテクニックなどは何もないのだが、不思議と沖の音空間を拡げていく。目新しい展開などなくとも、我知らず引き込まれる演奏だった。

続く、外山明とのコンビは、お互いの幸せそうな笑顔がすべてを象徴していた。沖の音は、彼自身の奥底から響いている。それに応える外山のドラムは、一般的に期待されるいわゆる変拍子のような摩訶不思議なリズムではなく、「歌」。外山が、ドラマーとしてではなく、音楽家として演りたいことがはっきり見えた気がした。そして、おそらくはそれを感じ取ったであろう沖も、「歌」で返す。こちらまで幸せになれる交感がここにはあった。

最後が、大友とのコンビ。前二人に比べ、攻めに転じる趣きのある大友の鋭いギターにも、沖は泰然と応じる。起伏のある展開でありながら、お互いの音を繊細に捉えている様子がよくわかる。演奏それ自体にのみならず、その結果放たれる音の行く末にまで神経を研ぎすませる二人。勢い自分の音に没入しがちな大友に対し、沖は一段うわ手な貫禄を見せてはいたが、それもこの二人だからこその真剣勝負であるといえよう。


第二部は、4人全員のセッション。
沖のトランペットはいつも寛容で柔らかく、でも妥協を許さない澄んだ音。それは、ギター2台にもかき消されることなく、悠然たる響きを放つ。その「歌」に自分の「歌」で応えようとしたのが、外山。これまで彼のドラムは幾度となく聴いてきたつもりだが、こんなに澄んだ音を聴いたのは久しぶりかもしれない。何より、彼のドラムがリズムとしてではなく、歌として聴こえてきたことに、驚きつつも心を揺さぶられた。ここのところ、いわゆる職業ドラマーとしての顔が立っていたことに内心不安を感じていたのだが(いや、それも確かに外山の魅力ではあるのだが)、この日の演奏で彼の素顔が見えた気がした。相変わらずトレモロ奏法を続ける半野田は、特に後半、どこにもカテゴライズされない「半野田語」とも言うべきボキャブラリーで反応していたのが印象的だった。彼の素晴らしさは、まさにコレ! 楽器からも、リズムからも、メロディーからも切り離された純然たる音、それでいてその空間を決して邪魔しない音……。彼の耳の良さ故であろうその音こそ、半野田拓の真骨頂である。それに対し、あくまで自分の演奏に徹したのが、大友。後半、少々ヒートアップする場面が見られ、そのスパークぶりに沖がいったん音を控えるなどという場面もあったが、今となってはそれも大友らしさが120%発揮された結果であろうと思う。ちょっと冗長な気もしたけどね……。

で、そんな各人の個性をおおらかに受け止め、さりげなく、でも確かに、真ん中に居たのが、沖。ブレがなく、でも包容力のあるその音は、彼自身が到達した境地を如実に表しているよう。ライブを観たのは2度目、それ以外にはまったく会ったこともない人だけれど、この一夜の演奏で、もう何十年も彼と親交を深めてきているような気がした。

たかが音楽、されど音楽。ここまで人間が表れてしまうものなのだなあと、あらためて感じさせられた……そんな演奏だった。

鬼怒無月+ナスノミツル+外山明@新宿ピットイン

久しぶりに再開します。
ほぼ一年ぶりなのか。我ながら愕然……。
が、がんばりますっ!

少し前の初顔合わせでの即興ライブ@国立NO TRUNKSがやたらおもしろかったこの組み合わせ。
今回は、鬼怒名義のライブに他二人が加わった形。前回のライブに刺激されてのメンツであろうことは容易に想像できるが、それにしては趣を異にする内容だった。

鬼怒の持ち曲にナスノが寄り添い、外山が色を加えるという構成。鬼怒&ナスノは、付き合いが長いだけあって息もぴったり。流麗で、構築的な美しさを湛えた鬼怒のメロディーに、やんちゃで愛嬌たっぷりなナスノのベースがブイブイ絡む。ここに例えば芳垣のドラムなんかが加わると、たぶんとってもスマートに聴こえるんだろう。

が、そう簡単には流れないのが、外山ドラム。リハをしていないというわけではないのだろうが、まるで借りてきた猫のように、一瞬一瞬を探りながら切り込んでくる。もっとも、決めどころは絶対にハズさないのだが、いわゆる「慣れた感」というか、「打ち合わせした感」がまったくもってないのだ。ゆえに、リズムはそこはかとなくいびつで、聴き手はおのずと、ギター&ベースが醸し出すリズムを頭に刻みつつ、パラレルにドラマーのリズムを聴くことになる。ちょっとややこしいが、これが面白い。

外山のプレイ自体は、これまでとさほど変わらない。むしろ、まっとうなお仕事モードと言っていい。しかし、そこにある音楽に馴染みきってしまわない異物感が外山らしい。外山ドラムというと、とかく「立って叩く」とか「変な拍子」ということがフィーチャーされがちだが、この異物感こそ外山ドラムの根幹だ。以前、「ドラムを叩くって、海を泳ぐようなものなんですよ。泳ぎ方は横泳ぎでも犬かきでもどうでもよくて、要は前に進めて息つぎができればいい」と言っていたことを、あらためて思い出した。

組み合わせとしては、必ずしもベストではないと思う。鬼怒の良さをもっと端的に引き出すことのできるドラマーなら他にいるだろう。
しかし、この溶け合えそうで溶け込まない音が、鬼怒にとって新鮮だったに違いない。

ファントマス@心斎橋クラブクアトロ

 東京2デイズに行けず、大阪遠征。東京ではメルトバナナのアガタが飛び入りとかで羨ましい限りだったのだけど、稼がにゃならんのだから仕方ない。


 前座はZu。イタリアのバンドで、前評判が高かったのだけど、なるほど確かにおもしろい。ちゃんと踊れる変拍子なのがいい。さすがルインズのフォロワー。サックスとドラムとギターのトリオで、リズムの屈折具合で引っ張っていくタイプの音楽なのだけど、目立っていたのはギター。時々ノーマークな方向から突っ込んでくるので一瞬あたふた。サックスはたぶんバリトンで、音出すだけでも大変ってのはあるんだけど、少々迫力不足というか。。PAがやたらドラムを強調していたせいもあるかもしれないけど、もっとメロディアスにいった方がかえって目立ったかもしれないのに、とも思う。いやもう何とかのひとつ憶えみたいに繰り返すが、2000年フジロックルインズ+小森慶子は、3人のベクトルの違いがバラバラで、でもバランスが取れていて、本当におもしろかった。筋違いとは知りつつも、どうしてもそれと比べてしまうのはいけない癖だが、やっぱり良いバンドだけにもっと凄いのを求めてしまう。

 で、そのZuの中盤で、ドラマーさんが「次の曲はサンバだぜ。踊るヤツいないかー!」とか声をかけたら、さすがは大阪。いましたよ、踊り子野郎が。舞台に上がってパフォーマンス(というか、タコ踊り・笑)。サンバとはほど遠いカクカクな変拍子とブレイクの嵐に、ちゃんとついていってました。演奏後、「冗談のつもりだったのに(笑)」とか言ってたけど、楽しかった。

 あと余談だが、このライブの途中に誰か引きずり出されてたんだけど、何だったんだろう? 喧嘩?


 気を取り直して。ファントマスの準備中、BGMはコンヴァージ『ユー・フェイル・ミー』。思わぬプレゼントをもらった気分で、じっとしていられなくなる。

 開演。5年前と同じく、右端前方にマイク・パットン、左端前方にドラムセット(でかいっ!)、中央奥にギターとベース。たぶんこの配置がもっともお互いを確認しやすいのだろう(と思ったけど、パズもトレヴァーも素知らぬ顔でマイペース。なんでアレであのややこしい曲にあわせられるんだろう?)。パットンの指揮と指示に従って演奏が進んでいくのだけど、5年前に感じたような神妙さは皆無。パットンはノリノリで、時折ニタッとデイヴに笑いかけている。身を屈めてタイミングを計り、伸び上がってキメ、反り返って気を吐き、身を乗り出して歌い上げる。その一挙一動から目の動き、口元のほころびに至るまで、すべてがパフォーマンス。計算されているとかそういうのじゃなくて、全身から音楽がほとばしっている。情報量のこれだけ多いライブなのに、全然疲れないとは素晴らしい。あっという間の1時間だった。ラフに構える客の雰囲気もよかったなあ。ホント、遠征してよかったです。幸せ。



 印象にすぎないのだけど、大阪の人って、良い意味で批評性がないというか、刹那的というか、そんなことを思いました。代わりにオモロイことに対する嗅覚が発達していて、ノリの良さにはノリで返す。肩の力が抜けていて、すごく気が楽。自分が大阪生まれなんだから当然といや当然かもしれないけど、居心地よかったですよー。ただ、夜にホテルで食べたたこ焼きが死ぬほどまずかったのには閉口したけど。あれならわたしが作った方が絶対ウマイって!

トリオ・トリオ・トリオ@曼荼羅2

 トリオバンドが3つでこのタイトル。楽しみに出かけたんだけど、まあ順当というか、ふうんという感じ。確かに何か+αとかサムシングスペシャルを求めるような催しではもともとなかったのだけど。



 最初はMighty John Henry(デニス・ガン+本田達也+多田牧男)。デニスの歌とギターがブルージーでとても良い。ギターはひねくれポップ風だけど、歌は渋め。トークはおちゃめ。今回の3バンドのなかではこれが一番好きかも。

 次は、トリコミ水谷紹+かわいしのぶ+WHACHO)。一番ぶっ壊れていたのはコレ。ちぐはぐさが売り、みたいなこういうところにいると、かわいしのぶって輝くなあ。ただ、特別惹かれる何かがあるとか、入り込んでしまうといった求心力はあまりなく、物足りないというか。。

 最後はウルトラスラッグ(山口順+中原信雄+外山明)。山口順のよたったキャラクターが笑える。ほんとに素面?みたいな。音楽のジャンルはちょっと違うけど、雰囲気としてはクレイジーケンバンドみたいなのを想像するといいかな(と思ったけどよく考えてみたらCKBの曲ってよく知らないんだった)。まったくストレスがない。楽しい。けど、一瞬で忘れてしまう。ファニーだけどインタレスティングじゃない。そんな印象。