odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

杉原達「中国人強制連行」(岩波新書) 大日本帝国は占領地の中国人を拉致して日本その他で危険な労働を強制し多数を殺した。

 1946年に外務省が調査したら、約4万人の中国人が戦争末期の1944~45年に強制連行された。連行先では強制労働が行われ、24時間の監視、生存ラインぎりぎりの食糧、悪質な労働環境と住環境、医療なし、監視員他による暴行や拷問の頻発などにより、多数の中国人が殺された。連行先は本書で判明している限りで列島の135箇所に及ぶ。とくに有名なのは秋田県の花岡の鉱業所。ここには586人の中国人が連行され418人が死亡した。悪質な状態に中国人は抵抗のために蜂起したが、企業と警察、軍隊によって鎮圧された。この事件は長らく秘匿されたが、1980年以降に生存者は戦後補償を求めたことにより、民間で調査が行われた。2000年には加害企業である西松建設と被害者の間で補償金を支払うことなどの内容で和解が成立した。また強制連行された中国人や朝鮮人は広島や長崎で被爆している。日本政府は被爆したアジア系外国人に補償していない。


 同じ時期に朝鮮人が強制連行されている。本書によると75万人に及ぶという。これまでは植民地や占領地での強制連行は日本国内の労働力不足に対する補填と考えられてきた。しかし強制連行を労働政策とするのは1930年代後半に企画され法令がつくられていたので、「大東亜共栄圏」の労働力分配であるとみるべきという。実際に、中国や朝鮮で拉致された人々は内地だけでなく、「満州国」にも送られていた。
 仕組みはこう。労働力不足の企業は厚生省に徴用工の申請を行う。厚生省が認可すると、占領地や植民地の機関に指示して徴用を命じた。建前は労働契約を結んでいるのであるが、実際に行ったのは戦闘の俘虜を収容所にいれ、彼らを労工と偽って内地や満州に送った。国際法では俘虜に労働させることは違反であるが、それを逃れるために身分を偽ったのだ。もうひとつは占領地や植民地で行った拉致。白昼、深夜、時と所を構わず労働可能な男性を拉致して労工としたのだった(ここでも収容所が使われたが、その待遇はナチス絶滅収容所と同じ)。

2023/01/10 莫言「赤い高粱」(岩波現代文庫)-1 1987年
2023/01/09 莫言「赤い高粱」(岩波現代文庫)-2 1987年
(女性を拉致したときは、慰安婦=性奴隷とした。占領地や植民地での拉致はこの二つの様相があり、同時に食糧徴発や家財資産の破壊であり、農地の焦土化だった。三光作戦である。)
2017/05/23 吉見義明「従軍慰安婦」(岩波新書) 1995年
2012/09/13 平岡正明「日本人は中国でなにをしたか」(潮文庫)

 本書では中国人強制連行した企業の名前がでてくる。備忘のためにメモ。西松建設、鹿島組。731部隊と同様に、加害企業は戦後も国内で事業を継続したが、被害者の救済要求に一切答えてこなかった(花岡事件を起こした西松建設は補償を含む和解を受け入れた。珍しい例。朝鮮人の徴用工に対して韓国の裁判所が日本企業に補償を命じる判決を出しても、外務省と当該企業はいっさい補償していない。この国の政府が戦後補償を拒否する政策をとっているため)。
 さて、1946年に厚生省は中国人強制連行の実態を調査したが、そのデータが戦後補償に使われることはなかった。調査内容も不十分なもので、当時ですら被害者の行方を調べた様子はない。たんに占領軍への配慮であった。中国で共産党政権ができて冷戦構造になると、占領軍は占領地の実態調査を止めた。その後、中国との国交はなく、韓国の右翼政権は日本の保守政権の支援をあてにしたので、ながらくこの問題は放置された。むしろ積極的に無視された(たとえば朝鮮人や台湾人が軍属になったが、彼らが日本の国籍を剥奪されるといっさいの社会保障の対象外になった)。
 これが変わるのは1980年代以降。老境に入った中国の強制連行被害者が救済を訴えた。双方の政府や裁判所は門前払いであったが、日本と中国の市民が動いた。証言を集め、現地調査をして、すこしずつ実態を明らかにしていった。本書(2002年刊行)の記述のほとんどは声を上げた被害者の聞き取りと市民の活動のレポ。著者は長年これらの活動を支援してきた。そこから国を超えた市民のつながりを広げることと、被害者の思いに心情を馳せることを重要だと主張する。
 21世紀になると、被害者も市民の支援者も高齢になった。この問題もメディアに出てくることがほとんどない。21世紀の10年代に反中嫌韓ヘイトスピーチが蔓延したので、ますますこの問題が目に見えなくなっている。自分がこの活動にコミットしているわけではないので、表層的な感想をいうと、忘れてはならない、二度と起こしてはならない。

 

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安田浩一「「右翼」の戦後史」(講談社現代新書) 右翼の歴史は保守政党による支援の歴史。大日本帝国憲法・軍人勅諭・教育勅語が右翼の聖典。

 ヘイト団体や差別団体の活動を監視していると、どうしても右翼団体が視野に入ってくる。ときに差別団体(在特会とか日本第一党とか)よりも悪質なヘイトスピーチを,ヘイトスピーチ解消法施行後にも行っている。なぜ右翼は外国人排斥を主張するのか、なぜ右翼は日本人による外国人虐殺を否定するのか、こういう問いに答えようと、右翼や神道を調べている。そこで2018年にでた本書を読む。著者は、日本の外国人問題を長年調査しているノンフィクションライターで、これまでにもヘイトスピーチ問題の本を読んできた。


 著者は取材の結果を書いていくスタイル。なので、過去に右翼が起こした騒擾事件の関係者にインタビューした内容を書いていく。そこにあるトリビアは面白いのだが、俺のような理屈っぽいものには歴史と思想が書かれていないのが不満。そこで、俺の独自研究を加えて、右翼の近代史を箇条書きにしてみる。

・著者によると、右翼の起源は維新前の水戸学にあるとする。水戸学に影響された下級武士や地方の名士などが地元で組織を作った。これは1880年代の自由民権運動につながる。封建制神道にもとづく宗教政治ではなく、明治政府の官僚制が人権無視だったので、反体制・反権力の運動として右翼活動があった。

独自研究を加えると、この流れとは別に、民間神道復古神道による農村改革運動があった。勤勉・質素な生活と農本主義と民間神道による共同生活。この組織も自由民権運動に加わっていく。この民間右翼では、農耕に従事する共同生活によって修養することが多く行われている。農や食を通した右翼活動になり、最近(21世紀)のオーガニック右翼につながる。

・本書にないトピックは1890年の大日本帝国憲法発布と軍人勅諭教育勅語の制定。それ以前から靖国神社建立などによる国家神道を普及させていた。そこに皇国イデオロギー憲法と、法を超越する道徳規範ができた。右翼の思想は国家の後押しを受けて完成する。天皇崇拝と天皇のために死ぬ臣民、軍事大国、外国人排斥、他国侵略が右翼の思想の核心。
(右翼にはろくなテキストも思想書もないことが疑問だったが、これで氷解。右翼の教義はこの3つに書かれているので、そこに加えることはない。加えると異端として査問され追放される。だから右翼が書くものはこの3つの注解でしかないのだ。21世紀でも右翼がこの3つのテキストに固執するのはこれが理由。)

・本書に漏れているトピック。1904年の日露戦争で国民の右翼化が進む。戦争継続を望む国民が組織化して政府に圧力をかける。講和条約に不満で日比谷焼き討ちをするような集団が継続的な組織を作る。
(国民統合ができて近隣諸国との競争に勝つという外交上の成果が、国家の支持と排外主義になっていったのだ。)

・20世紀になって社会主義運動と労働組合運動が日本で起こるようになると、皇国イデオロギーに反共産主義が加わる。1910年代に現在の右翼につながる集団が結成される。この集団には神道系や仏教系の宗教団体も参加。イデオロギー天皇賛美と反米反共。1930年代には右翼が政党政治を攻撃対象にしてテロ事件を起こす。これによって民主主義や自由主義が弾圧されるが、次には右翼団体が弾圧される。(ファシズムは国家主導の国民運動だけを許し、自発的な運動は左翼・リベラル・右翼を問わずすべて弾圧する)。

・1945年敗戦と翌年の天皇人間宣言で右翼の立場がなくなる。多くの団体が解散。しかし米ソ冷戦がはじまると、アメリカの反共政策によって尊皇から反共に鞍替えした右翼を日本の保守政党が利用する。戦犯で拘束されていた戦前右翼の大物が釈放されて、右翼団体が作られる。また敗戦後には復員軍人を中心に愚連隊ややくざなどの犯罪集団が組織化され暴力団になる。これも神道系の皮をかぶっていた。暴力団と右翼が結びついていく(黒塗り街宣車が軍歌を大音量で流す街宣スタイルはこのころのやくざ系右翼に始まるとのこと)。この時代に、右翼が反米から親米反共に鞍替えした理由は本書を読んでもよくわからない。金を出すパトロンの意向に忠実だったというくらいしか思いつかない。

・1950年代に日本のリベラルや左翼の運動が非常に盛んになると、右翼団体は危機を感じる。自民党が裏で右翼・やくざ・暴力団を結びつけ、警察の人員が不足しているところで彼らに警備を担当させた。

・1960年代に神道系仏教系の宗教団体が右翼活動に参加。既存右翼と協力して、日本会議ほかの全国組織をつくる。大学生の右翼・民族活動組織ができる。(雑多な宗教を結びつけているのは、反共イデオロギー。だから右翼は嫌韓であっても、反共を掲げる韓国の右翼とは通じている。)

・1970年代に日本のリベラルや左翼の運動が低調になると、右翼活動も低調化。日本の右翼は反共・反左翼・反リベラルの逆張りなので、敵対勢力の大きさで組織の大きさが決まる。この低調な時期に日本会議などの右翼が草の根の泥臭い運動をして、建国記念日制定・元号法制化・国歌国旗法制定などの成果を上げる。歴史否認の運動もこのころ。歴史教科書の改訂も彼らの目標のひとつ。21世紀には改憲を運動目標にした(安倍晋三も首相在任時にやろうとしたが、今2023年のところ実現していない)。21世紀には自民党がこれらの右翼団体の支援を受けていて、彼らの行動に参加している。

・右翼や右派宗教が取り組んでいるのはほかに、「歴史戦」と称した歴史捏造(修正主義)。道徳・武道教育の復活。「親学」「江戸しぐさ」などのトンデモ活動と共同した家族主義の復活。反フェミニズムなど。

・21世紀から新しい潮流としてネット右翼ネトウヨ)が登場。既存の右翼団体には参加しない。主張はネットの書き込みで行い、SNSでつながる。2010年前後からヘイトスピーチヘイトクライムを多発させる(この動きは別のエントリーを参照)。

・既存右翼もネトウヨと同じヘイトスピーチヘイトクライムを行っている。街宣右翼民族派右翼とネトウヨはみかけは異なるが(隊服をきているか私服かどうかくらい)、彼らのやっていることは同じ。アジア主義を持っていて民族友好を掲げる「本当の右翼」がいるように思っているが、それは幻想。街宣右翼ネトウヨも、同じ「本当の右翼」だ。

・一時期ネトウヨの活動は目立ったが、10年代の半ば以降急速に凋落した。市民による抗議によって路上にでてこれなくなり、自治体のヘイトスピーチ禁止条例で実名が公表されたりしたことがあるが、それよりもネトウヨが大騒ぎしなくても反響がほとんどなくなるくらいに、日本人に差別意識が蔓延しているから。安倍晋三のような極右政治家が外国人排斥他の右翼言動をするようになったからだし、公務員が差別行為をしたりヘイトスピーチをはいたりしするようになかったからだし、ネットに現れないふつうの人々が突然ヘイトクライムをするようになった(障碍者を標的にした大量殺人、外国人施設への脅迫や放火など)。

 右翼の主張はつねにアンチ。左翼のリベラルがやることに対するアンチ・反対しかいわない(画像参考)。本書にあるように右翼にはあるべき政治体制のアイデアはないし、経済や外交への提言もない。思想や精神に関しては空虚(その理由は上記)。右翼は大衆から生まれているが、体制や権力の支援がなければやっていけない。国家が主導する全体主義運動が強くなると、存在も意義もなくなる。20年代になって日、官製の国民運動がなくても日本人は自発的に右翼化した。そのために既存の右翼、街宣右翼ネトウヨは用無しになりつつある。なので「『右翼』の戦後史」は2020年で終わってしまった。

 

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渡辺延志「関東大震災「虐殺否定」の真相 ハーバード大学教授の論拠を検証する」(ちくま新書) ラムザイヤー論文を検証。執筆者も、当時の政府も軍も警察もフェイクニュースを流していた。

 2019年にハーバード大学ラムザイヤー教授(専門は法学らしい)が関東大震災朝鮮人虐殺を否定する論文を発表した。第1章に論文のサマリーが載っているが、内容は日本のネトウヨがいっている否定論と同じだ。関東大震災朝鮮人虐殺のことを「朝鮮人の犯罪に対する日本人の正当防衛だった」とする内容。すでに虐殺があり、軍や警察が関与したことまでわかっている。しかし非日本人が大学教授の肩書で英語で発表したので、日本のネトウヨがこの論文を振りかざして否定論をあおっている。そこで、この論文を検証・批判する。
 このような作業は専門家からすると業績にならず、「論争」をすると消耗するのでやりたがらない。面倒なことに巻き込まれるのを承知して本書ができた。労多謝。なので、この後は本書を読んだ素人が朝鮮人虐殺否定論をつぶしていけばよい。

 

第1章 ラムザイヤー教授の論文を読む ・・・ 論文は「警察の民営化:日本の警察、朝鮮人虐殺、そして民間警備会社」のタイトルで15ページ弱。うち9ページで関東大震災の虐殺を否定している。要約を要約すると、震災前から朝鮮人は日本に移住していて、そのうち若者はテロリストの訓練を受けていた。移住すると反日活動に関与していた。震災当日、警察は機能を喪失したので日本人は自警団を組織した。朝鮮人が犯罪を働いている・襲撃するといううわさが入ってきたので、自衛のために殺害を行った。警察はその噂をのちに否定しているが、当時の新聞をみると犯罪は事実であった。虐殺された朝鮮人は2000人から14000人と推定されているが、当時の人口調査を見ると疑わしい。調査したのも反日組織で根拠に乏しい。虐殺はあったが二人から5000人の間と教授は推定する。
(とくに論文のミスとされたのは、若者は犯罪を犯しやすい→朝鮮人の若者が関東大震災で犯罪を行ったという記述。)

第2章 論拠の資料を確認する ・・・ 警察庁や司法省、朝鮮総督府の資料を読み込んでみたが、朝鮮人がテロリストである根拠や、震災後の犯罪(放火、殺人、井戸に毒など)を起こした事例は見つからなかった。当時すでに警察や内務省がうわさは流言であると言明している。震災後の混乱と家事の多発などで、警察は十分な捜査ができなかった。

第3章 論拠の新聞記事を読む ・・・ 論拠にしている震災直後の記事をみる。大阪朝日新聞、読売新聞、河北新報、名古屋新聞など。大地震によって関東の電信電話と鉄道はほぼ壊滅。道路は渋滞。なので現地の情報はほぼでなかった。関東外の新聞社は記者を派遣して、情報収集したが、その中に流言が混じり、そのまま報道されたとみられる。一部には軍や警察の情報が混じっている。また論拠のもとにはネトウヨや極右の本屋ブログが混じっている。
(その記事のなかには、自警団が朝鮮人を探して殺気立っていて、怪しまれた人が重傷を負った事例がある。当時の日本人がヘイトデマを信じて、パニック状態になっていたのがわかる。)

第4章 一〇月二〇日前後の新聞記事 ・・・ 時系列をみると、9/1震災→当日または翌日から朝鮮人虐殺開始→直ぐに報道規制→9/8にはデマであることを司法や警察は察知→10/20に解禁(しかし記事によって規制はあった)。そのために10/20から虐殺の記事がでてくる。すでに朝鮮人虐殺は公然と行われたので、記事を止めようはないが、対抗のフェイクニュース朝鮮人による殺人)も流された。虐殺には軍と警察が関与したが、警察は認め、軍はしらを切って隠し続けた。報道規制解禁から自警団の摘発が始まる。
ラムザイヤーは記事の内容を検討しないで、フェイクニュースを採用した。また他の資料には日本のネトウヨや歴史捏造団体の本やブログが使われている。これらの資料は検証されていないことを事実とし、フェイクを書いている。ラムザイヤー論文の信ぴょう性を失わせている理由のひとつ。)

 第5章では2021年3月頃にラムザイヤー論文は改訂され(学術誌の編集長がミスがあると表明しサイトから論文を削除したため)、関東大震災朝鮮人虐殺はほとんどが削除された。内容も常識的になった。ネトウヨはこのことを指摘しないか、無視している。

第5章 東京大学新聞研究所の研究 ・・・ 1986年にでた三上俊治・大畑裕嗣共著「関東大震災下の朝鮮人報道と論調」に注目。1923年9月1日から年末までの新聞記事2000本以上を集めて統計的に分類したもの。それによると当時の新聞は、報道規制が解け「朝鮮人による虐殺」がデマであることが表明されても、流言を撤回せず、フェイクニュースを流し、「不逞鮮人」キャンペーンを張り続けた。新聞が朝鮮人虐殺に関与した責任は重いという内容。特に記事が多く、デマと取り上げ続けたのは河北新報ネトウヨの虐殺否定によく使われる。)

第6章 虐殺はなぜ起きたのか ・・・ ここは分析が甘いと思ったので、サマリーは作らない。

 

 1910年に韓国を併合すると、すぐに民衆による抵抗運動が全土で起きた。日本軍は武力で制圧しようとしたが、抵抗は極めて強かった。日本軍の被害も大きく、報復のために朝鮮人に拷問や虐殺が行われた。それが朝鮮人の抵抗をさらに強め、併合=植民地化後10年たっても制圧できない。日本軍と兵士は恐怖するようになり、「不逞鮮人」キャンペーンを行う。除隊になった兵士は帰還したのち、1910年以降在郷軍人会に組織化される。
 1920年ごろから日本に来る朝鮮人が増える(土地を奪われ職をなくしたものが出稼ぎにいき、定職を持つと家族を呼び寄せた)。各地に集住地区を作ったが、日本人の差別にあい、暴行されたり殺されたりする事件が頻繁に起きていた。韓国の「不逞鮮人」キャンペーンが本土でも行われていて、反朝鮮人主義が日本人に定着していたのだった。
 そこに関東大震災が起こる。自警団には在郷軍人会メンバーが参加し、そのなかには朝鮮帰りの元兵士がいたので、韓国で行ったことを日本でも行った。ある町では、震災直後から軍隊が出動し橋を封鎖して通行人を検問し、朝鮮人を殺害した。警察でも同様に朝鮮人を検挙し署内に留置していたが、自警団に彼らを引き渡し虐殺するのを放置した(むしろ奨励した)。虐殺は数日間続く。あるところでは軍隊が虐殺した朝鮮人を河川岸に重機を使って埋めた(1980年代に発掘し多数の虐殺死体を発見した)。
 このように虐殺には軍と警察が関与(ときに先行して実行)し、在郷軍人会を含む自警団が虐殺を行った。ときに民族や国籍を誤って中国人や日本人、聾唖者などの障害者が虐殺された。中国人は誤認ではなく、もともと狙って殺したケースもありそう。これらの事例は伏せられ、新聞も報道しなかった。
 史実を検証するのは戦後になってから。今のところ犠牲者は6000人強と推定されているが、それは発見され確認された犠牲者の数というべき。21世紀になってから虐殺はほとんどなかったとされていた神奈川県内での虐殺を示す資料が見つかったので、犠牲者数はさらに増えるだろう。
 日本国内の朝鮮人差別は関東大震災を契機にして起きたと思われている。実のところは、明治政府ができ征韓論を打ち出すくらいのころから朝鮮人や中国人を蔑視する感情は生まれていたとみるべき(黒岩涙港「無惨」1889年に中国人差別が現れているように)。そこに皇国イデオロギーの教育があり、日清と日露の戦争で朝鮮人を実際に蔑視・差別することが半島や大陸で行われ(夏目漱石「満漢ところどころ」)、韓国併合を機に本土に蔓延していった。併合後の抵抗運動は本土でも報じられ、朝鮮人への恐怖と蔑視は強くなっていった。そこに関東大震災が起きて、パニックと限界状況で虐殺が起きた(きっかけと具体例を示したのは軍と警察)。そういう流れでみるべき。ドイツが中世からの反ユダヤ主義の伝統をもっていて20世紀のナチス時代にジェノサイドを行った。それと同じことが日本でもあったのだと認識しよう。
 そうすると、虐殺を起こさないために何をするのかが次の問題。いろいろやりかたはあるが、かんたんなのは本書を使って「関東大震災虐殺否定」を否定していくこと。ネトウヨは勉強していないので、本書を使えば否定論に対抗できます。「ラムザイヤー教授の論文で虐殺はなかったことが明らかに」というものには、批判を浴びて改定した論文で虐殺否定は削除されたぞと言い返そう。

 

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 下記の番組が参考になります。ラムザイヤー論文を含めた否定論をつぶしています。また大虐殺資料を発掘している人たちの活動を紹介し、軍や警察が虐殺に深く関与していた史実をあきらかにします。
#NoHateTV Vol.238 - 関東大震災虐殺否定デマを潰す
https://www.youtube.com/watch?v=qMtrWy8oVkI
#NoHateTV Vol.235 - [関東大震災4時間スペシャル 前編] 百年前、虐殺があった
https://www.youtube.com/watch?v=KKodN6bdVWk
#NoHateTV Vol.236 - [関東大震災4時間スペシャル 後編] 百年前、虐殺があった
https://www.youtube.com/watch?v=Ny9EeBpjQbM
#NoHateTV Vol.237 - 関東大震災虐殺関連資料
https://www.youtube.com/watch?v=qdc6nx2DMwI
金性済 - 「不逞鮮人」とは誰か(FULL VERSION)
https://www.youtube.com/watch?v=-mpOvNPk9yw