気分は日記

あんまり調べずに書く、よくある感じの日記です。

簡単日記(20240323)

松江市内。ホテルでのんびり過ごし、11時の開店に合わせて『レストラン 西洋軒』でカツライス。デミグラスソースのコクでカツの脂と白米を食らう。常連らしきおとうさんはオムライスを食べていた。あれもおいしそうだったなー。

松江城。複数の木材を掛け合わせて大きな柱としたり、階層ごとに柱の立て方を変えて強度を得ていたりで普請上手だった。

明治6年の「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」a.k.a. 廃城令の際に城をバラして木材・鉄材として払い下げようとしていた行政に対し「入札価格と同額払うから城壊すのやめない?」とかけあった地元の名士のおかげで天守閣が残ったらしい。松江駅前から城下町だったであろう旧市街地エリアまではチェーン店が少ない印象で、個人店の元気を感じるのが地方都市としてかなり不思議だったのだが、もしかして地域側の政治が巧いのだろうか。

『冬營舎』へ。Google Mapに従って道に迷う。大通りから細い道を行くのが正解だった。袋小路に立つ一軒家で、中庭のある不思議な建物に靴を脱いで上がる。イノハラカズエ『松江日乗 古本屋差し入れ日記』、團伊玖磨『なおパイプのけむり』購入。

店主のイノハラカズエさんと少しだけ会話。出雲と松江に個性的な本屋さんが増えてきたのはこの5、6年のことらしい。10年前に冬營舎を開いてから、まず都会から帰ってきた若い人が町中に飲食店を開き始めて、それにつられて街歩きをする若者が増えた印象とのこと。

『ミートショップきたがき』でビーフコロッケを買い食い。がりっと揚がったころもの中に、ほくほくと控えてるお肉とイモがうまい。

出雲空港にたどり着くころにはさすがに疲労を感じ、でももう一食とチャレンジしたスサノオラーメンが思いのほかよかった。味噌がおいしいのかな、スープをぐいぐい飲んだ。溺れたサメみたいなやつは草薙の剣を模したカマボコだそうです。

簡単日記(20240322)

前日から島根県の松江に滞在し、この日は出雲を回った。松江駅でレンタカーを借りて、国道431号で宍道湖の北岸を走る。

朝食に『レストラン アラスカ』でうな重(並)。うなぎは近隣に建つ『お食事処 福吉』にて焼いているそう。

浜名湖が養殖を始めるまでは、宍道湖が養殖量が日本一だったらしい。はじめて食べた宍道湖産のうなぎは臭みがなく、もっちりした身がおいしい。

出雲大社島根県立古代出雲歴史博物館を歩く。見たことない量の青銅の剣。権力とはデカさと量だな。

日御碕神社を経て、出雲市内へ。『献上そば 羽根屋 本店』で昼食に出雲そばを食べる。てんぷらも付けちゃう。

食後、羽根屋本店からほど近い新本と古本を扱う『句読点』へ。仲西森奈『名付けたものどもを追う道筋を歩きながら、(ショートスパンコール)』(さりげなく)、渡辺武雄『薬用昆虫の文化誌』(東書選書)の二冊を購入。

出雲神立通り(カンダチ通り!)を走り、神立橋(カンダチ橋!)を渡り、宍道湖の南岸にある玉造温泉へ抜ける。

玉造温泉は『出雲国風土記』によるところの日本最古の湯で、清少納言枕草子』にも「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と記され「日本三名泉」の扱いらしい。立ち寄り温泉施設の『玉造温泉ゆ~ゆ』でだらだらと湯に浸かった。

夜は松江市内の『10Le BISTRO&BAR』へ。カウンター中心のお店で1人でも入りやすかったです。

食べかけの写真ですみません。どれも美味しかった!次回は前菜の盛り合わせや牛タンシチューを選んでみたいな。

簡単日記(20240317)

実家に猫が来ているらしい。父が『あかはな』と名付けたのら猫の定位置だった箱に、大きくてふくふくとしたキジ白が収まっている写真を眺める。話を聞くと、キジ白のほかにも白、白黒のぶち猫の目撃情報もあるみたい。「白だと思ったらおしりに黒い模様があったんだよね」と母は言う。父が亡くなってから『あかはな』は実家に寄り付かなくなってしまった。もう3年経っているから、新しい世代の猫たちなのかな。

簡単日記(20240314)

最寄駅に22時過ぎに着くと迷う。朝から「今日はジムに行こう」と決めていて、他の日は24時を回った頃に家に着いたりしてるのだから、今からだってジムに行けるし行くべきなのだ。そもそも昼は何を食べたのか味噌担々麺だっただろうその分を今日中にほらどうにかするとかなどとごちゃごちゃ考えたのち、その全てを忘れ、モチベーションに頼らず無の面持ちでオートマチックにジムのドアを開けた。

簡単日記(20240311)

ミア・カンキマキ 著、末延弘子 訳『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』を読む。フィンランドで広告代理店に勤めるアラフォーのミアが、1年間の休暇(申請すれば会社に所属しながら1年お休みが取れる仕組みがフィンランドにはあるらしい)を利用して、大学時代から共感と興味を持ち続けていた清少納言の研究を始めるノンフィクションのような、エッセイのような、自伝的小説のような話。

現地の大学といった研究機関に所属するでもなく、日本語も出来ないままに、ミアはまず京都に住んでみる。研究するにはなんだか遠回りなアプローチだな…と思いながら読み始めたけれど、その暮らしの中で出会った日本文化の切り口や、ミア自身の生活の手触りを苗床として「セイ」と対話しながら思考を育てていく様子に、「研究」ってこんな個人的なやり方もあるのかと気付かされていく。あるいは「何かを知る」のは、個人的なやり方のほうが楽しいのだから、好きにやったらいいんだよと言われているような自由さがある。

ヴァージニア・ウルフ1920年代にイギリスの『ヴォーグ』で紫式部を紹介したらしいことをミアが発見するエピソードもおもしろい。「ウルフがセイのことを知っていたら、きっとムラサキよりも好きになっていたはず!」と興奮気味に語りながら大英図書館で関連記事を探すミアの様子は、現実の友人を励ましているみたい。研究対象との親密な関係性に、幸せな営みだなといつのまにか羨ましくなっていた。

鏡を通して私たち二人を見ていたら、あなたは私で私はあなただと気がついた。そうよ、物を書いている独身の四十代の女性が感じるままに生きると、この世界では何が起こるのか、私は知りたい。仕事を辞めて、白い霧の中へ歩いたら、私に何が起こるのか知りたい。ハッピーエンドになるだろうか?それとも、貧乏で孤独な尼乞食になることは避けられず、その緩慢さを後世に伝える警告として語られるのだろうか?セイ、私たちに何が起こるの?

清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』(草思社 P.469)

簡単日記(20240304)

ローベルト・ゼーターラー 著 、浅井晶子 訳『ある一生』を読む。自分を誰かと一度として比べることなく、80年の人生を過ごした普通の男の話。農場での労働やロープウェイ工事、自然からの暴力、短かった結婚生活、戦争への従軍、近代化の中で見つけた新しい仕事、孤独。淡々と静かな描写が重なり、その一生はすべてエッガーのものだったと示される。

エッガーはうなずき、部長はため息をついた。そしてこう言った。その言葉を、エッガーはその瞬間には理解できなかったが、一生のあいだ忘れることはなかった。「人の時間は買える。人の日々を盗むこともできるし、一生を奪うことだってできる。でもな、それぞれの瞬間だけは、ひとつたりと奪うことはできない。そういうことだ。さあ、とっとと出て行ってくれ!」

『ある一生』(新潮クレスト・ブックス P.45)

簡単日記(20240303)

GUNDAM FACTORY YOKOHAMAでガンダムを観る。横浜で実物大(実物大?)の動くRX-78が見られるのは3月末までらしい。

デカいものが動いているところを近くで見るのは興奮がある。

大仏、観音、機動戦士ガンダム

参拝。

胎内めぐり。

家も遠くないし別にこれ以外に予定ないし、と言いながらのんびり眺めた。