気分は日記

あんまり調べずに書く、よくある感じの日記です。

簡単日記(20240518)

最近、また少し本が読めるようになってきた。最近読んだもの2冊。

荒木優太 編著『在野研究ビギナーズ  勝手にはじめる研究生活』(明石書店)。在野研究者15人の体験と実践がそれぞれの言葉で紹介されていて、インディーレーベルのコンピレーションアルバムのようなクールさと刺激のある本。在野研究者とは、大学などの研究機関に所属せず好きなことを研究し続けている人のこと。やはり生活の糧を得ながら研究を続ける点はそれぞれ苦労が読み取れるが、やはり自発的に研究を続けている様子は楽しそうに見える。人文系は在野でもかなりやれることがあるのかな。個人的にはかなり元気をもらってしまった。

佐藤直子『女性公務員のリアル なぜ彼女は「昇進」できないのか』(学陽書房)。首都圏政令指定都市の公務員として自身のキャリアがどうして「このようなキャリアパス」になったのかに興味を持ち、公務員のまま埼玉大学の博士後期課程で学んでいる著者による「昇進」の仕組みへのまなざし。女性公務員には周辺業務が割り当てられ、昇進後に必要なスキルが身に着けられる基幹業務の経験が不足している事実を明文化していて、強い。公務員に限らずJTC的風土を持つ組織では多かれ少なかれ同様の状況があるだろうし、男性についても同様の選別が行われていることは実感としてわかる。登用制度についてもう少し考えたくなる。

簡単日記(20240517)

アーティゾン美術館でルーマニアの彫刻家、コンスタンティンブランクーシ(1876-1957)の回顧展『ブランクーシ 本質を象る』。家具職人を経てから美術の専門教育を受け、ロダンの工房で下彫り工として働き短期間で辞めた経歴がおもしろい。イサム・ノグチが一時期ブランクーシの助手だったことを初めて知った。

ブランクーシ本人が自らの撮影した写真作品が思いのほか良くて、彫刻作品のフォルムがどのような観念を表現したいがための形なのかを追体験できるようだった。だから、できれば写真作品をポストカード化して売って欲しかった。《雄鶏》は豊田市美術館収蔵作品らしい。ブランクーシ、もっと大きな作品も見てみたいな。

常設展も見どころがたくさんあって、ブランクーシ展のと関連性も意識されており、とても良かった。清水多嘉示におけるマティスからの影響を、へーと思いながら眺める。

簡単日記(20240508)

何か違いが欲しくて少し歩き、関内のインドネシア料理店『チンタ ジャワ カフェ』へ。ナシゴレンビーフンゴレンなど知った料理の中に「チキンのお粥」なるものがある。お粥だがターメリック風味らしい。なにやら焼き鳥のようで焼き鳥では無さそうな串焼きが付いている。これは確かな違いがある。違いがあるが、いまぼくが欲しい違いはこの距離のものなのだろうか。日本語が聞こえてこない店内でメニューを眺め、頼んだのはビーフンゴレンだった。海老の香りや良く焼かれた卵の食感が、細いビーフンに織り込まれており期待通りうまい。

簡単日記(20240505)

笠間の陶炎祭へ。益子は何度か行っているけれど、笠間は今回が初めて。(9時の開場に先立って、7時半頃に南駐車場に到着したところ余裕で駐車できた)

李志杰さんの、手になじむ曲線が気持ちいい初めて見る形のうつわ。この形自体はかなりシャープな印象で、その中でも比較的釉垂れが強く出ているものを選んだ。磁器のような清潔感のある白地に対し釉薬の青とピンクの色が表情になっていて、少し隙を見せてくれているような気がしてかわいい。

DOBE RECORDSの陶器の指輪も買った。つるつるとゴツゴツの両方の手触りがある。つけている指が楽しい。

土浦に移動し、『バディーズリブカンパニー』にてプルドポークコンボで夕食。スペアリブがめちゃくちゃしっとりとして柔らかく、プルドポークも旨味がじゅわっと感じられる。美味い。

簡単日記(20240504)

連休なので、と言いつつ、そう遠くないつくばへ。『グルービー』つくば研究学園都市店で《アスパラとチーズのオーブン焼きボロネーゼ》を食べる。ミートソースにホワイトソースとチーズがまったりと絡まってうまい。

簡単日記(20240416)

原田裕規『とるにたらない美術 ラッセン、心霊写真、レンダリング・ポルノ』、おもしろく読んだ。多くの人に受容されているがアート界隈からは嫌悪されているクリスチャン・ラッセンの“マリンアート”を丹念に論じ直す導入が力強い。

「とるにたらない」とされ、本気で批評されてこなかったものたちの死角を覗いていくと何が見えるのか。心霊写真を心霊写真であると評価しているのは誰であったか。VARを導入し判断主体を人間が手放した先に、フットボールは誰の手の中にあるのか。人を殺す戦争でドローンのパイロットが直面する精神状態とその原因は。佐村河内守はなにを生み出し、なにを成し得なかったのか。