タイトル考え中。

久々に再開。昔のことは、置いといて(笑)いつまでも人生模索中!

久しぶりに、過去の色々なweb pageをめぐっている。

mixiはちょっとまえから時々upするようになってた。自分は5年以上ぶりだったけど、仲よかった人が1人か2人コメントをくれる。みんな時々開いているんだということが驚きだけどうれしかった。自分と同じような気分でいるのかな?

hatena。アンテナ、ブックマークなんてすっかり忘れていた。リンク先がすでに無くなってるものも多数。だって10年以上も前だもの。続いているブログは1/3ぐらいあるのも驚いた。ほぼ毎日更新している人もあれば、私のように10年前ぐらいで途絶えている人、まれに更新している人、ぷつりと途絶えている人、、みなさん今はどんな日々を過ごしているんだろう。こんなふうに、埋もれているけど消えていないwebページが、ネットの世界にはたくさんあるんだろうな。

リンクを辿ったら、そういえばdiary noteをしていたことを思い出す。確か完全に個人の日記として、誰にもみられないことを前提にひっそり書いていた。hatena blogと時期は同じで、福島の産婦人科医事件のことをわざわざこっちにも書いていた。当時の自分にとって大きなことだったのかなぁ、、、記憶がない。もともとどんどん忘れて上書きしていく私ではあるが、記憶がなくなるくらいに、色々なことがあり、色々環境が変わった。

 

しかし、それなのに変わっていないことがあった!

それは、10年以上前も今も、やりたいことを模索中だということ、、、!

10年経っても見つかっていないことに愕然。それが良いのか悪いのかは置いといて。

 

その理由はなんとなくわかる。

多分、この道が、もともと自分が本当にやりたかったことではないからだ。

きっと、この道を選んだ理由が後付けだったからだ。

かと言って、じゃあ自分が何がやりたかったのか、小さい頃からの自分を振り返ってみても、よくわからない。

月並みにケーキ屋さんとか言っていたのはなんとなく覚えているけど、小学生より後は、とりあえず勉強を頑張っていればよかった。

好きなことややりたいようなことはあったし夢中になることもあったが、深く追求することはなかった。人目を気にしてやめてしまったこともあった。

だから、自分の子には、勉強ばかりするのではなく、本当に自分がやりたいことを見つけ、それを頑張って欲しいと思うのだ。

でもね、それもどうかなと思う。自分ができなかったことをこどもに押し付ける、自分の夢をこどもに叶えてもらうということだとしたら、それはどうなんだろうと思う。

そうではなくて、わたしの反省を生かして、人生を送ってもらいたいと思うんだ。

 

勉強はできないよりできてくれた方がいいけれど、本人がやる気がないのに、やれやれ言っても仕方がないと思う。

自分は、動機や好き嫌いはともかく、自分から勉強することはイヤイヤではなかったから。

 

それにつけても、昔は、匿名でブログや日記やホームページを作ることが当たり前で、本名を明かさないことの方が普通だったのに、いまはfacebookにしろLINEにしろtwitterにしろどれもこれもリアルで、ただでさえリアル生活で疲れてるのに、、、ネットも息が詰まるなぁ。

だからこそこうやって、誰もみていないし身元が見えない、昔のブログにいろいろ書いてみたりしているのだ。

 

いま何が自分で1番やりたかったり、気になることはなにか、というと、こどもの行く末だ。

それは間違いではないのだが、自分自身のことではないよな。

こどもはいつか親元を離れ、親とは関係のない世界に行く。今の自分もそうだ。

だから、そんな頃になっても、じぶんはこれだ、これが好きなんだ、これがやりたいんだ、ということがしたくて、探してみたくて、いまここにいる。

けれど、いまここにいると、こどもの行く末が心配になるような状況や事件が収まらない。

なので、悩んでいるんだな。

こどものことと、じぶんのことの両立って、難しいね。

休みたくても。

休めない職種のため、今日もお仕事中(ー ー;)

コロナ疲れリスト(随時更新):

連日のこどもの学童お弁当作り。

お弁当ネタでお金がかかる。

ピンチの時の外食ができない。

三食作るの大変。

こどもの勉強を見てやれず、再開後の遅れが心配ストレス。

超愛用していたマスクが買えなくて耳が痛い。

市民プールが閉まってる。

職場がブラックなことに改めて気づいた。

 

ひとりごと。

正直、いまの世の中の状況の中で、小児医療に携われていないことが悔しく感じる。

かといって勤務自粛はないので、自宅で自分の子供と接する時間は以前とあまり変わらず。

何のためにいまのこの仕事をしているのか?と思ってしまうことがある。

なんだかねぇ。

 

昔は子供が多くて家族も多くてご近所付き合いもあったから、こどもだけで留守番したり出かけることなんかは普通のことだった。平和な日本。

でも、いまは少子化核家族は当たり前、共働きでご近所付き合いも希薄。一人で長時間留守番させても、孤独。海外ではこれをabuseやneglectに当てはまるという国もある。文化や背景は異なるとしても、今の日本ではこども一人の留守番はabuseだと言うのは言い過ぎとは言えないだろう。実際に上の記事のような危ないことも起きている。

 

一人の留守番を当たり前のことのように強制する仕組みに反対。

学童保育の自粛は、保育支援員の過重労働や感染リスクを考えると理解はできるが、子供を長時間自宅で留守番させることを求めるのはどうかなと思う。

ひさぶしり。

訪ねてみた。

たくさんのことがあり、すっかり忘れていたあのころの自分の気持ちを知る。

ふむふむ、がんばってたな。

いまの自分はどうか。

がんばっていなくはないが、あのころの自分はシンプルだった。

いまは雑多なことにうもれて本当の夢や希望がわからなくなっている。

なにがしたいんだろう、どうなりたいんだろう。

答え

[rakuten:book:11994929:image]

『カオ上げて 少し聞いて この広い世界には
哀しいことが あふれているんだ

どんな出会いにも きっと 別れが待っている
ゆるぎない 愛にも 生きてゆくことも

誰も 決して 君の かわりになれない
その笑顔が 誰かを 幸せにしてる

心の窓を開け放って 風は冷たいけど
明日 きっと晴れる 青い空が 戻ってくる この街に

その涙を 懐かしく 思い出す日が来る
かなわぬ 想いは 永遠の タカラモノ

流れる時の中 君は 答え見つけるだろう
長い夜が 明けていくように

今は 急がないで いつの日か また 誰かを
せいいっぱい愛して その日は来るから

人生は 思っているより ずっと 短くて
君のその人生は 君しか 今しか 戦えないんだ

そのままでいいんだよ 新しい日がくれば
きっと 輝き始める それを 君が信じて

どこかで 誰かがいつでも 君のことを見ている
この広い世界には ステキなことも あるんだ

心の窓を開け放って 風は冷たいけど
明日 きっと晴れる 青い空が 戻ってくる』


いまだに?って思うけれど、
私への答えはこの詩が全て言い当てている。
好きだのなんだのは、まだいいやって思うけれど、私の人生は私しかつくれないんだ。
しあわせはいつも、自分のこころが決めるんだ。