大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」おわりに

 大木あまり全著作再録のおわりに


 最後に掲載した「シリーズ自句自解1 ベスト100」(2012年3月・ふらんす堂刊)は、大木あまり先生が第一句集「山の夢」(1980年6月・一日書房)から読売文学賞を受賞された第五句集「星涼」(2010年9月・ふらんす堂刊)までの作品のなかから、百句選んで解説を付けた自選句集です。これを読めば、俳人の作句の裏側や方法論がちょっぴり垣間見られるかもしれません。


 なお、句集「星涼」のあとに、第六句集「遊星」(2016年10月・ふらんす堂刊)が上梓されました。しかし、出版されてまだ日が浅いことを考慮して、ここでご紹介するのは控えることにいたします。書店で一冊でも余計に購入していただけるほうが、書肆も作家もよろこばしいにちがいありません。
 そのため、全著作再録とうたいながら、1冊欠けています。すべて揃わないほうがむしろよろしい、といにしえの賢人がいっておりますので、小人にいささかも不満はありません。よしとします。 以上

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P202

 冬草や夢みるために世を去らむ


 昭和五十二年、子宮筋腫の手術のときに受けた輸血が原因でC型肝炎になった。肝炎ってエイズの一種でしょ。感染しないかしら? と聞かれたり、色々な差別も受けた。他人を傷つけずにすむには自分の世界に閉じ籠るしかなかった。しだいに、夢を見ることが生きる支えとなっていった。
 あれから三十数年が過ぎた。慢性肝炎になり死を意識しながらの日々ではあるが、〈夢うつつ野分の蝶を追ひもして〉のように相も変らず、俳句という蝶を追いかけている。死生観というほどではないが、夢の続きを見るために死ぬのだと、私は思っている。 (『清涼』)

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P200

 終戦の日は四歳で泣き虫で


 終戦の日から、小学生の長姉は一家の柱のような存在だった。長じてからも、もの静かだが理論家。しかし思ったことは即、実行する彼女は、ロマンチストで夢追い人? ばかりの家族をまとめ、あらゆる面で支えてきた。
 長姉は、私が四歳の時から保護者的存在で事あるごとに守ってくれた。美大生のとき、私が愛のカンパを! と言って両手を差し出すと、「私は動くお財布ではありません。お金が必要なら働きなさい」と姉に叱られたことがあった。大姉の叱咤激励もなんのその、いまだにお年玉を頂いている。 (『清涼』)

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」p198

 木の枝に白き茸や七五三


 近くの白山神社は、七五三の親子で賑わっていた。袴姿の男の子も大人びて素敵だし、千歳飴をさげた女の子が氏神さまに参詣する姿も可愛らしい。さそく句に詠んだが何となく満足できない。句材を探し神社を歩いていると木の枝に白い茸が! 枝にびっしり生えた白い茸の家族はつかのまの冬の日を浴びて団欒を楽しんでいるように見えた。いや、茸一家のちびっ子の七五三の祝をしているようにも見えた。詠みたいものに出会えた瞬間だった。 (『清涼』)

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P196

 春風や人形焼のへんな顔


 街の雑踏の中で孤独になりたいときは浅草に行く。そして、かならず立ち寄るのが人形焼の店。甘い匂いと共に焼き型から人形焼ができあがる。人形町の人形焼は七福神だが、浅草のは、観音様や雷神? 儒学者文人石の顔にも似ているのだ。どの人形焼も微笑を浮かべたへんな顔。見るほどに心が和む。同時作〈鳩と遊ぶだけの浅草あたたかし〉のように浅草を歩きながら心ゆくまで孤独感を味わった。人形焼のようにへんな顔で。 (『清涼』)

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P194

 青き菜に光のうごく二月かな


 一人で吟行するとき、飯田蛇笏の〈おりとりてはらりとおもきすすきかな〉を頭にインプットさせて家を出る。今日こそ、この芒の句のように季語そのものを詠んだ句を作るぞ! 苦手な一句一章を克服すべく、日夜、いや、吟行のときだけでも努力しているのだ。「はらりとおもきすすきかな」、さらりと詠んで芒の本質に肉薄している。どうしたらこう詠めるのだろう。目指せ蛇笏! 目指せ一句一章! そう心に念じながら水菜畑に迷い込んでしまった。光あふれる青き菜に幻惑され、またもやこんな句が……。蛇笏への道は遠い! (『清涼』)

大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P192

 頬杖や土のなかより春はくる


 地中から芽を出した蕗の薹を籠に摘む。花茎の淡い緑黄色はいかにも早春の色だ。それが済むとこんどは、小松菜の収穫の手伝いだ。小松菜を畝から引き抜く。すると、土の匂いとともに春の息吹がした。
 昼食のあと、頬杖をついていると、小松菜の種を蒔いた日、土の中の種たちに芽吹きをうながすおまじないをしたことを思い出した。効果覿面、そればかりか、種たちは春まで連れて来てくれた。土に触れる生活を送っていると、あと五十年生きられそう。 (『清涼』)