1年という月日はあまりにも短くて

onisan-tarosan2008-04-29


1年。自分でも驚くほどに時間が過ぎていたんだということを時が止まってしまった日記帳を見て思い出す。それから、この過ぎていた時間のことを考えてくるけれど出てくる思いは片手で数えられるほど。ぽつ、ぽつと。
この過ぎてしまった時間はきっと、またひとつ年を取り、何度か部屋の模様替えをして、いくつかの映画を見て、少しだけ本を読んで、ごはんを食べてお風呂に入って働いて、そんな風に過ぎていたんだと思う。きっと。たぶん。あまり思い出せないけれど。


ここ何年かは本当に1年1年があっという間に過ぎてしまっていて、いつかやろうと思っていたことがひとつ、またひとつと減っていくばかり。思い出すことはというと、「ハタチをこえると時間が経つのがあっという間だよ」という10代の頃、憧れていた女性に何度も言われたこの言葉だけ。
あの時の自分はまさか、と思っていたのに振り返るとそのまさかが現実のものとなっていたことに驚いて、納得する。どちらかというと落胆に近い納得。


どこかでよく聞いたフレーズ、「焦る必要はまったくない、まだまだ人生4分の1」。
そんな余裕をどこでどうやってつかむことができるのか、自分にはまったく想像がつかない。
ただ、ひと区切り、自分のために言ってみる。


おかえりなさい。


まさに寂しいおひとり様?

ベランダの手すりに鴉が佇む

onisan-tarosan2007-05-17


風邪をひいた頭では何ひとつとして物事を進めてはいけない。
高熱が出てしまえばきっと、ものが考えられなくなるほど自分の意識が朦朧とするか、はたまた意識が高ぶって勢いで進めてしまうかどちらかになれるのだと思うけれど、微熱しか出ないのであればそれはもしかすると一旦停止の合図なのかもしれない。
中途半端で薄曇りのような気分で胃はむかつき、身体はだるい。そんな状態で考えられることといえば、自分には何ひとつ成し得ることなんてできないんだ、ということやなんで自分にはこうできないんだろう、ということや、自分の恥ずべき部分や悔やんでいることばかり。人間はどうしてどちらか片方だけは弱る、という効率の良い風邪のひき方ができないんだろう。なんて。


昔から内容がさっぱりない、そんな言葉の羅列に憧れ続けて、そんな羅列を求めて過ごしてきているけれど、そんな羅列は一向に上達せず、難しく考えることばかりに慣れてしまったような気がする。
はたと身近なところでそんな言葉やどこの誰だか知らない決意を目にすると、激しく動揺、ぐるぐると頭は回って冷静さを失い、洗濯機のように激しい音をたて、赤黒く嫉妬に燃える。ばかみたいだと鼻で笑えられれば楽だろうに。それとも、わたしは言葉ばかりに頼りすぎているんだろうか。
どんなに自分が迷っていても弱っていても、自分だけは自分の産んだものだけは信じていける、そんな強さをどこにおいてきたのか。それを早く取り戻さなくちゃ身体に毒ばかりが溜まっていく気がする。そう、青臭いことを胸の脂肪のすきまあたりで考え感じながら、一日一日をやり過ごす。
でも、一日でできることなんて実はすごく限られていて、一日で進む距離なんて微々たるものなのにその微々たる距離を進める進めないでは大きく違っていて、だからこそ焦るし自信もなくなる。そのうちに自問自答をしてみる余裕すらなくなる。だからやり過ごすだけじゃなくて何かを残して生きたいと思う、のに。
自分を真四角な箱にぎゅうぎゅう押し詰めてがっちりと蓋をして「これ以上大きくなりませんように」と祈ってしまえば楽になるのかといえばそうではなく、きっとそのうちあふれ出したあれこれで箱自体も被われてしまってけっきょく息が詰まって窒息する。ただ、それをわかっているから良いんじゃない、わかってるんだからできるよ、という問題でもない。わかっているからこそ性質が悪い瞬間だってきっとたくさんある。
その瞬間、瞬間を刻み込みながら過ごしていきたい、のに。


なんて、風邪をひいた少し遠いところにある意識のただの戯言。
雨は嫌いではないけれど、鈍い頭をさらに鈍くするところだけは苦手だと思う。
人間なんて、太陽に当たっていないだけで弱気になっちゃう生き物なのに。

密やかに願い続ける

onisan-tarosan2007-05-10


はたと気づいた。
いくら思い悩んでもどんなに忙しい毎日でもとにかく、心穏やかに生きていたいだけなんじゃないかと。ふたりで生きていけるだけのお金を得て、毎日きちんと話してごはんを食べて、眠って起きれる生活がしたい。
でも、たぶん、そういう普通のことが一番難しいんだと思う。

engagement(約束/婚約) 5/26

「ねえ、私と約束をして?」
うん、何を?
「もう、私と会わない、っていうこと」
え?
「私と会わない、連絡もしない、干渉しない、共通の友達から私のことを聞きださない、そういう、私にかかわること全部を断つ、って約束してほしいの」
それって、どういう・・・。
「私を愛してくれているのはよくわかるわ。でも、私がここから出て行って、どこに住もうがどこの誰と手をつなごうがキスしようがセックスしようが干渉しない、でもそれは私を愛しているから、って。そう、約束してくれたら良いな、と思って。私だって、もう会わないって約束するしあなたがどこの誰と何をしようがなんとも思わないわ。もしそれを知ったとしても、暖かい気持ちであなたを見守るって約束するわ。だから、ね?約束」


彼女はそう一気にまくし立て、僕の小指を無理やり掴んで、指きりげんまんをして見せた。
それから「さて、と」といつもの調子で立ち上がり、自分の荷物をダンボール3箱分はまとめて玄関に積み上げて、「後は捨ててもらってかまわないから」とさらりと髪をなびかせて出て行ってしまった。荷物をまとめながら、ふたりの結婚資金としてこつこつ貯金していた200万円が入った通帳をしっかりと鞄にしまい、「これは私の約束手形としてもらっていくから」と笑顔で言った。
外は雨が降っている。土砂降りの雨。
彼女は、その雨の中を歩いていく。お気に入りの水玉の傘をさして。
僕はただ、呆然と雨を眺めながら、いつものように彼女がジーパンの裾を濡らしてやいないか、そればかりが気になった。

decoration(装飾) 4/26

もし、わたしの肌がすべて毛皮になりかわったらどうなるんだろう。


猫のように、触ると静電気が起きるのだろうか、ふんわりとした毛並みになるんだろうか、髪の毛と毛の境目はちゃんとあるんだろうか、服を着る必要もなくなるんだろうか、ボディソープは必要なくなるんだろうか、水に濡れると寒いのだろうか、夏はずっと暑いのだろうか、紫外線も気にならなくなるのだろうか、掃除は面倒になるのだろうか。
もしそうなったら、できれば柄は薄茶のとらが良い。風にも少しなびくほどの長さで、春の日はお日様の光を全身で浴びて、香水なんかにたよらないでお日様のにおいをふんだんにためこんで、雨の日は風邪をひいてしまわないように注意深く道を歩いて、そういう日だけ、くるぶしまであるレインコートを着たって良い。
きっとこんな姿じゃどんな仕事だってできやしないし、本物の猫のように一日中、丸まったりのびたり気ままに過ごしたい。気が向いた時に好きなものだけを食べて走りたければ走ってたまには外に出て散歩して、することがなければ心地良いベッドの上で好きなだけ眠るんだろう。
きっとこんな姿ならいろんなことにも諦めがついて、誰にも相手にされなくなってもひとりで何もかもしなくてはいけなくなっても、寂しくないかもしれない。もしできることならば、本物の猫のように振る舞って、誰かの家に住み着くというのも悪くない。猫に見えるわたしは、どんなに気ままに振る舞っても、誰もが許してくれるんだろう。


なんて。あり得ない。
やっぱりわたしは綺麗にならなくては。磨かなくては、磨かなくては、磨かなくては。誰かに、誰でも良い誰かに認めてもらえるそのためには。
そう、呪文のように繰り返す。

朝、日が照る家が羨ましい

onisan-tarosan2007-04-30


夜、きちんと眠くなり、本を片手にうとうとして、朝、決まった時間にきちんと目が覚める。この1ヶ月ほど、そんな生活をくりかえすことができている。そうしてはじめて、もう長い間、こんな風にきちんと生活をすることなんてなかったな、と思い返す。


以前ももちろん、夜は息絶えるように眠ってはいた。けれど、朝よ来るな、朝は来ないでとありもしないことを思い巡らし強く願って、1分1秒引き延ばすことばかりをしていた気がする。それを異常だとも思わないし、今やるべきことがある代償だからと納得もしていたけれど、どこか貧しく、危ういことだとも思っていた。
自分が自分らしく生きていない気がする、とこんな小さなことを大きく考え、危機感ばかりを募らせて、そうして最後に恐怖だけを残してしまった。


だからこそ、今こんな生活を送っていることを幸せに思う自分がいるのだと思う。
朝、窓に差し込む日を見るとうれしくなる。緑が元気に生きていることを確認できる。朝ごはんは何にしようか、コーヒーをいれながらふわふわと考える。
たとえ少し時間が足りなかったとしても、最低限、そんなことを思える生活が、きっとわたしの性に合ってる。
そうできなくなることを恐れるのではなくて、ただそういうものなのだと受け入れ、そうして生きていければ良いのに、とただ、思う。

ゆるやかな思考停止

onisan-tarosan2007-04-28


いまだ、考えなければいけないだろうと思っていることがまともに考えられない。頭の芯がぼんやりとしていて、考えなくちゃなあどうしようかなあ、というところで停止してしまっている。
けれど、それは以前のような焦燥感はないし、これはたぶん、考えなくても良いことなんだろう、と妙に納得できていて、何も考えなくとも、わたしは、ゆるやかにその方向へ向かっていた。
だからたぶん、わたしの中の正解はそういうことなんだろうと思う。自信を持ってそう言ってしまえるところに、自分でも少し笑ってしまいそうになるけれど。


土曜日。同居人はまだ眠っていて、一週間がんばったんだなあと寝顔を見ながらぼんやり思う。
同居人は、昨日は先輩に勝手なことを言われたとガミガミ怒っていた。わたしは、昨日はひとりが寂しくてテレビを消すことができず、その一日を悔やんだ。そんな昨日の土曜日。
窓をすべて開け放ち、春の柔らかい空気が家中を舞う。静かで、穏やかで。そんな週末がずっと続いてほしいと安易に願ってしまうほどに、この週末が気に入っている。
たぶん、同居人も同じように思っていてくれているだろうと信じられることがが何よりもありがたい。


この一週間を抜けて、動き出さなくてはいけなくなった時からが本当のふんばり時なんだろうということは少し自覚できていて、だからこそ穏やかでいながらも薄皮一枚の下で胸がざわつく。
そんなこと言って、勿体ないなあと笑い飛ばしてしまえるくらい、怖がりが治せたら良いのに。