思想の「転向」の罠

今日、大学2年生のときの「国際政治」のゼミを担当してくださった方の論文をはじめて読んだ。


誰かの思想を分析するのって、非常に難しいことだとおもう。ひとひとりーそのひとはその時代が擁していた問題と真摯に向き合った人物ーの一生をたった数カ月で振り返らなくてはいけないのだから。
しかし、よくそういう論文を読んでいて、その人が思想の「転向」をする部分を山場とするものだ多いようにおもうけれども、本当に正しいのだろうか。



自分の人生だって、まわりから、「どうして突然そんな決断したの?」と言われることって普通に生きていれば出くわすことだと思うけれども、
それって他人から見ればそう映るかもしれないけれども、その個人にとってはある種の一貫性が流れているのではないだろうか。


ジョブズのスピーチでいうところの、「後ろを振り返れば線となって見えるけれども、前を向いて生きているうえでは点でしかない」ということだとおもう。


例えば、ゴーギャンだって、2度のタヒチ滞在の絵画を順番に追っていくと、
確かに、ゴーギャン自身の立ち位置の、「外部性」から「一体化」への転換を非常に感じることはできる。
現地人に対する野蛮性への嫌悪から、自らの野蛮性への悟りへの昇華であるという解釈で、確かに一定の理解は得られるけれども。


「西洋は文明国だという。しかし自分(西郷隆盛ー引用者)は野蛮国だと思っている。かれらは弱小の国をいじめ、侵略している。本当の文明とは、未開の国に対して慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきである」 (司馬遼太郎 「翔ぶが如く 第2巻」)


しかし、そのレベルでの理解では、その後の大作「Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?」の誕生にはたどり着けないのではないか。

彼の証券マンで荒んだ心からくる、その内奥から深く制約していた呪縛のようなものから解き放たれたいという衝動からはじまる、内省的な哲学観の形成という彼の根底に流れていたであろう一貫性を抜きにしては。


田中耕太郎を介して国際関係認識史の研究をしたSさんの論文に、

「田中を進歩派から保守反動へ転向したととらえるよりもむしろ、そのような表面的な変化の根底に一貫して存在している彼の認識論の機制を明らかにすることの方に、より意味があろう」

とあって、勝手に今までの事象が頭のなかでストーリーになって流れたので、書いておこう。


まあ、まわりから見える「転向」そのものが、後世にとって役に立つものであるならばそれは構わないのだろうが。


それにしても、3年前は、単にうちのゼミだけスパルタ教育で、なにくそってもがいてただけだったけど(笑)いま彼との「射程距離」を知って
やっぱり彼についてもらえて運がよかったな、とおもった。

たはぁ=>

せっかくアメリカにいる友人もみてくれるようになったことだし、久々に自分の大先生にお会いできて、すごく刺激されるところがあって、まじめな記事で更新しようと思っていたのに、すごくショックなことがあったので書かせてください。


ぼくの住んでる町屋は正直いって治安もよくなく、数か月前にはベランダに干していたYシャツが2着もべつべつに盗難されるという被害にあってきたわけですが、今日もなにげなく服をチェックしてたら、新たにパーカーが2着、盗まれていることに気付きました。

1着は、カリフォルニアでsunnyといっしょに買ったパーカー。西海岸っぽかったのに。。
そしてもう1着は、自分がニュージーランドに留学してたときの、大学パーカー。。。
これはショック。ほんとに戦利品だったのに。。。。

しかも警察にいってもおっさんに酒はいってるからうざがれられ、若手のひとにてきとーにまわされたわけですが、、、、
しかし、なんとYシャツ盗まれたときに被害届出したときに対応してくださった別の方が途中で交番に戻ってくると、自分のことを覚えてくれてすごく親切に対応してくれて助かりました。只今、川路が日本に警察をつくろうとしていたころの本を読んでいて、日本の警察に対する思いに触れていた時期だっただけに、さすが日本の警察と思われるところがあってよかったです笑

にしても、ニュージーランドのパーカーは、ほんとに大事にしてたやつだから戻ってきてほしい。。
後輩にいわれて、今度大学にきていこうと洗たくしたのはいいけど、まさかほしがるやつがいると思わなかったので、気をぬいてしまいましたw

次回はちゃんと更新しよう。

自分に足りてないもの


さて、アメリカにきて1か月たつわけですが、いまの自分に圧倒的に足りないのは、
「世界をコントロールするための力」だと感じています。そのための野心、貪欲さ。そして希望。そのための足がかりを得るのが今回の目的になっています。


現在ほど、世界において日本がどういう位置づけを模索していく必要があるのか、求められている時期はないと認識していますが、
これからの時代は面白いことになるな、と楽観的にみています。

個人的には、日本は東西の架け橋、アジアの特攻隊長、というイメージが近い。

どういうことかというと、

これからは、中国をはじめアジアがアメリカ、さらにはヨーロッパをownする時代だと信じています。
けれども、東西において文化的、習慣的な溝は大きく、それに一石を投じれるのが日本だということです。

そういう意味で、The Economistとかで野村のリーマン買収に伴う組織管理のトピックを読むのがおもしろい。
10年後はこの案件がアジアのM&Aによる海外進出する際のお手本になってるかもしれません。
今後ますますinternational managementに関するナレッジが蓄積されていくことでしょう。
外資系といえば、あたかもすべてアメリカに本社があって会社は世界でひとつになるようにマネージされているというようななぜか外資系に憧れる学生に多いイメージがありますし、
またアメリカに対する経営観は否定できても、ドイツではどんなふうになってるかとか、ナショナリスティックにならず客観的に世界の情勢を語れるひともそう多くはないでしょう。将来、自分もちゃんと語れるだけの見識はもちたいです。


さらに、海外に出たときの日本人の脆弱さを憂えるひとも多いですが、ぼくは楽観的です。
確かに、経済大国である日本は、アメリカなどの先進国に移民しなくとも非常に裕福な環境を手に入れることができ、国内で仕事をする分にも非常に複雑なビジネス環境をもつ日本では学ぶべきことが多く、外をみる必要すらない時代ができあがって「いました。」
だから世界からみると最もユニークな環境を、当たり前のものとして認識している日本人にとって、「ハンディ」は大きい。

けれども、インドネシアで90%以上もの富を創出しているのは、差別政策がしかれ一番悪条件のなかで生きなければならないわずか5%の華人ですし、
そういうケースはほかにもたくさんあります。

むしろその場を席巻していくには、そういうある程度のプレッシャーは必要なのです。
そうじゃないと甘やかされて、それ以上努力しませんから。そうしたら、まったくもって世間知らずな大半のアメリカ人みたいになってしまいます。
だから、そういうプレッシャーの中で生きれることはむしろいいことなのだ。



・・・と自分にいい聞かせています。おおざっぱにいえば、ヨーロッパ系よりもアジア系の学生のほうが勉強しているけれど、あいつらはある程度のレベルで終えていいから遊べるのだ。けれども、おれはもっと上にいく必要があるから、まだまだこれじゃだめなのだ。



2年前、PEファンドのディレクターの方とお話をさせていただく機会があったときに
論理的にむちゃくちゃだったにせよ、「もうすぐウォールストリートの時代が終わると思っているんですが、どう思いますか?」と自分でも度胸あるなとおもう質問をしたわけですが、


いまとなっては意外に的をはずしてはいない。

案外、自分のもっている筋は悪くないかもしれない。


あと2週間でどれくらい吸収できるだろうか。

一生涯は、つまるところ先代から受け継いだバトンを後世に渡すために

最近書きたいと思っていた2つのことをまとめてつらつらかくと、こんな感じか。

最近は去年とは心をいれかえてまっとうな気持ちで就職活動をしていることもあって、ぜひ見てみたかったNHKドラマの監査法人

監査法人 DVD-BOX

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はっきりいって、しびれた。監査法人に関する知識は少ししかないので、実際の業務に対する忠実性等を述べるつもりはないけれど、
ひとつのドラマとしての完成度が高く、吸い込まれてあっという間にみてしまった。さすがNHK。役者の演技力の高さといい、脚本の展開といい(少なくとも第1話〜第3話までは)、村松崇継さんのBGMといい、
これがプロの作品か、と思わせる仕上がり具合で、もろもろの事情があってちょっと言いにくいけど笑、ぶっちゃけ「ハゲタカ」より面白かった。



留学してたときに感じていたこととつながったからかもしれない。
粉飾決算を容認する馴れ合い監査か、市場の健全性によって会社を育てる理念のはずが実際は単に会社をつぶしてしまうことになる厳格監査か、どちらが適しているというテーマだったけれども、自分が興味があったのは、なぜこれまでの日本にまかり通っていた馴れ合い監査から厳格監査に方向転換しなければならなかったという点だ。



松下奈緒の美しさを除いて笑、印象に残っているシーンをあげるならば、
厳格監査の理念を信じる塚本高史が演じる主人公がその狭間で葛藤しているときに、
馴れ合い監査を実践しつづけた結果、下剋上にあい、ムショにとどまることになった、橋爪功演じるジャパン監査法人元代表に会いにいったシーンだ。




「あなたは、いったいなにと闘っているんですか。」




「しいていうならば、時代かな。」




まさしく、これこそが原因だとおもった。
極端にいえば、厳格監査がすばらしいのではなく、実践しなければ生き残れない時代だったからなのだろう。



世の中は知らないほうが幸せに暮らせる真実で埋め尽くされていて、その部分部分に気づいてしまったひとが、
それと対峙していくことが時代の進化であろうというのが持論だけれども、
果たして自分は、いまの時代の「なに」と対峙していくべきなのだろうか。






閑話休題




最近読みたい本がたまりすぎていて、なかなか消化できていないが、やっと読み終えた本がこれ。

モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)

モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)

モーセ一神教」。
フロイトの第三論文に関する書籍だけれども、ぼくが感銘を受けたのは論文の中身というより、フロイトの論文執筆の動機と訳者の渡辺さんの研究に対する誠実なおもいにだ。

まず内容を述べておくと、ユダヤ教の原点である、エジプト脱出を率いたモーセが、実はユダヤ人ではなく、エジプト人ではないか、というこれまでの宗教の常識を覆そうというスケールの大きすぎるものとなっている。


これまでの多神教のエジプトの宗教が招いた腐敗に対抗すべく、一神教であるアートン教を人民に崇拝させようとした、イクナートン。
高校の世界史の授業では、単純にこのファラオの時代に首都が、テーベから、テル・エル・アマルナにうつっただけだよな、くらいにしか記憶していなかったが、

このファラオの宗教感に陶酔していた、その土地の総督のような地位にいたひとがモーセであり、ファラオの死により再び動乱期となった時期に、
ユダヤ人が、エジプト人でこの宗教を生き永らえさせたいと願うモーセによって「選ばれ」たのだという説だ。

発祥の地では、勢いを失って途絶え、末流としてほかの地に持ち込んだものが、結果的に栄えるというのは、鑑真の南山律宗みたいだけれども、時代なんてそういうもんだろう、と納得させられてしまう。





第一のフロイトの論文執筆の動機について。
フロイト自身の論文は、精神分析のES論者として論じているフロイトと、ドイツから迫害を受けることとなってしまったユダヤの原点である「選民思想」の由来を突き止めたいというひとりのユダヤ人であるフロイトが互いに見え隠れしているような気がして、自身も述べているように、大変わかりにくい。というか、自分の浅い博識を戒めて、数年後、再読せねばなるまい。


ただし、フロイトが、自分の身の危険がありうるなかで、それでも抑えきれず、論文を作成する姿勢に敬意を表せずにはいられない。



【以下引用】

この三番目の論文は、いつの日にか危険を感じることなく公表できる時代がくるまで、あるいは、いつの日にか同じ結論と同じ見解を公言する人が、かつて暗い時代にも君と同じように考えた人物がいたのだよ、と言い聞かされる時代がくるまで、秘密のうちに保管されることになるだろう。

【引用終了】



ただの自分への慰めといってしまえばそれまでなのかもしれない。しかし、後世のひとに希望を託す思いでその時代を精一杯生きたひとりの人間を尊敬せずにはいられない。
自分にも後世のひとに「あとはたのむ」と託せるような思いで人生をまっとうすることができるだろうか。


訳者の渡辺さんの研究に対する誠実なおもいについて。
宗教のためにどれほどの血が流され、どれほどの歴史を担ってきたか、それを考えれば、簡単に実は根底から間違っていましたなんて軽はずみにはいえない。
先人への敬意が、自説を紹介する前に、詳細に断わりをいれている姿勢にあらわれていて、研究者の研究に対する敬意に、重みを感じたのである。
同時に、キリスト教が生まれ、栄える地域から、物理的にも文化的にも一定の距離がある日本人だからこそ、得られる客観的視点を生かしているところに
世界に呼び掛けをおこなっていきたいひとりの日本人として、学ぶべきところがあるのではないか、と感じた。



長くなってしまったけれど、今日は、「白魚のホイル焼き」をつくってみて確実につくる料理のレベルがあがってきたことに自己満足していて、上機嫌だったから、という理由で許してください笑

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

帰国してから、自炊をはじめ、年末年始は実家でのんびりと過ごしていたので、なんと上京してから下がり続けてきた体重が無事に増え、元通りにすることができました。
まじよかった!!あのまま減り続けていたと思うと、社会にでたら体がすぐだめになるのではという恐怖感からだったので、非常に意義はでかいです。

ということで昨日の男の手料理。麻婆茄子。この料理は大学1年の4月という希望と不安に満ちた新生活に心躍り、唯一自炊していた時期によくつくっていたやつ。

昔より、ちょびっとうまくなってた気がするので、満足。



この1か月ちょっとの間に本15冊読んで、自分としては、昔より読書の楽しさを体で感じるようになってきました。
政治系、物理系、芸術系・・・とこれからもこの濫読を続けていきたいです。


今日は、衝動的に靖国神社いきたくなったのですが、お茶の水から歩いていこうとしたら、古本のメッカ神保町の魔力に吸い込まれてしまいました。
財布のひもを引き締めているところだったのに、万札が一瞬で消えて行きました・・・。

でも、まじあそこは面白い場所であることが発覚!!

はじめは初心者だからとおもって、文庫本に手を出しただけだったけど、奥にはいってしまったら、これはこれはすごい世界だった。
ページめくったら、そのページがはがれてしまうんじゃないかとおもえるほど年期のはいった本がたくさん並べられてあり、その内容も主要な歴史文学の古典から独自な観点から切り開かれたものまであり、興味がそそられました。破礼句といって、江戸期の性をテーマにした俳句集の解説つきの本とか、あそこにいかなきゃお目にかかれないだろうなと思うような本ばかりでした。

そして、本来の目的であった靖国神社の資料館は入り口にいったときには、もうほとんど時間がなかったので、あきらめて、初詣客にまじって参拝し、おみくじひいて帰ってきました笑

今年もよろしくお願いいたします。

まさかもらえるはずないだろうと思っていた年賀状が届いていて、うれしかったので、ちゃんとしたもの返そうとおもって年賀状をさがしていたら、絵にこだわっているうちに販売が終了して、困っていたところに、なんとか今日九段下周辺で発見できたので、だいぶ遅れて申し訳ないですけど、書かせていただきます!

あと、ぼくの携帯に、「愛」と書かれたストラップがついているので、さすが新潟人!っていってもらえると、ぼくはちょっと喜びます。以上豆情報でした笑

世の中の変革は片隅から。

留学地をあの地にしてよかったなと心からおもうことは、すべての構造がシンプルだったことだ。

これまで世界がどういう原理で動いていて、どういう意識をもった人々が、どんなふうに建前をつくろい、世界を混沌へと導いているかを、容易なモデルで頭の中に構築することができた。

記事では、国内最大手の金融機関が国内人員を縮小して、インドにアウトソースする方針を打ち出していることが伝えられている。

http://www.stuff.co.nz/4797597a11.html

そもそも、この国は、イギリスから低流階級の人々が移りすんできたうえに、insularなので、一昔前の価値観をもってるような人々ばかりなので、
こういうニュースに対する反応の仕方をみるのもおもしろい。自分とは異なった文化をもった人々が、彼らがもつ世界観と現実との乖離のまえに、佇む姿は、
自分を返りみるきっかけにもなるからだ。

にしても、ITバブル時と同様、今回の金融危機で、新たな求心力の転換というものが起こっているんですかね。

と、ごくたまーにこんなニュースも追ってみたので、ほかにやってるひといなそうだから、アピールしてみました笑

経験値、経験知。

今日参加してきたアメリカのトップ大学のビジネススクールの学生とうちの理系修士・博士課程の学生との交流会は、久々にいい意味で刺激された。

正直、いちばん楽しみだったのは、総長のプレゼンが聴けるということだったが、
期待どおり面白かった。特にQ&A。

どの質問も面白かったけれど、向こうの学生から、てっぱんの質問である、「教育の多様化を掲げておきながらなぜビジネススクールをつくらないのか。」に対する総長の答えがやっぱりぞくぞくきた。

帰国してから、自分が相当マイペースな性格になっていたりだとか、刺すように論理的に相手を攻める思考力と語学力が低下していたりだとか、昔と比べると、これでなんだかんだでいろいろと鈍化してしまってるなーと思っていたけれど、

文系でしかも学部生のおれが、どさくさに紛れてなにくわぬ顔で、理系修士・博士学生に交じり、Q&Aで総長に最初に質問するあたり、やっぱりどこかかわってる雰囲気は変わっていないことを実感して安心した笑。

あと、向こうの学生と名刺の渡し方についてちょっと議論できたの、けっこー新鮮でおもしろかった。


けれども、ひとつ気になったのは、典型的な日本人はなぜ英語がうまく話せないことを、彼らに対して、ごめん、とすぐ謝ってしまうのか。ということ。
かくいう私も、留学にいったばかりはこれつかっていたけど笑
しかし、いまもcrapだけれども、こういう形式だけはつかわなくなった。
すぐにその奥にひそんでいる深遠な要因に気がついたからだ。

閑話休題

それにしても、外国にいって、外国人に自分たちの母国語を話すのを暗黙の了解のごとく要求し、その外国人がその言語を話せないことで謝ってしまう状況をつくりあげた、英語ネイティブの世界の「支配」の仕方をつくりあげたことは、すさまじいことだとおもう。

なぜ、気になったかといえば、今読んでる本のうちのこの本が思い起こされたから。

大東亜共栄圏と日本語

大東亜共栄圏と日本語

この本では、日本軍が大東亜共栄圏をつくりあげる際の皇民化教育の柱となった日本語教育の広め方が、詳細なデータをもとに分析されている。
台湾、フィリピン、マラヤ、シンガポール等でそれぞれの国の事情にあわせて教育方法を考えたり、普及させるべき国の優先順位が明確化されていたり、日本語教育の評価が国によって意外に違いがあったりするなど、
これまで知らないことが多くあって、驚きがたくさんあった。

また、侵略をすすめる方法として、
日本が、皇民化教育の柱として日本語の普及を中核に置き、同等の教育制度を敷いたのに対し、

インドネシアを植民地化していたオランダは、自ら現地語を覚え、学校を3階級にわけて、貧しい現地人が自分たちと同等の言語を話すことを嫌ったあたり、それぞれ戦略が異なっていて興味深い。


日本は問題が起こるたびに、その都度修正を加えていっているが、それでいうなら、これまで歴史の中で英語圏の民族が一番侵略を繰り返してきたわけだから、
「善意で舗装する」のもうまくて当然か、とおもってしまった。


それで、本第の、本日の男の手料理笑。

これは、失敗だ。


英語も、まだまだ。振舞い方も、まだまだ。思考もまだまだ。料理もまだまだ。
けれども、すべては挑戦によって得られる経験によって磨かれるのである。

この2文だけみると、我ながらうまくまとまってるではないか笑。