主な登場人物

・ヒモロギ小十郎
中野の開化アパートに事務所を構える映画探偵。明晰な頭脳を駆使して「シネラマ島」の謎を探りつつ、たいしたことのない鑑識眼を駆使して映画感想を書きなぐる。感想中では内容のネタバレも辞さない(探偵だけに)。好きな映画は『激殺!邪道拳』。

・大林少年
名探偵ヒモロギに憧れ、故郷尾道から上京してきた少年。有能な助手ではあるが、探偵をあまりに崇拝しすぎるきらいがある。十二歳にしてカフェーに入り浸るという早熟さにも問題あり。好きな映画は『青春デンデケデケデケ』。

・鉄仮面
鉄製の仮面をかぶせられ、某家の土蔵に幽閉されている男。その素性は一切不明。過酷な境遇にあるが、週に一本だけ観たいDVDのレンタルが許されている。暗くて寒くて不衛生な檻の中には最新のBlu-ray/DVDプレーヤーと50インチプラズマテレビが完備。好きな映画は『パピヨン』。

・平良警部
警視庁捜査一課係長。職務に忠実な敏腕鬼警部であると同時に政府転覆を夢想する革命主義者。文明の思い上がりの象徴である物質文明主義はタイタニックと共に沈むべきと考えている。でもIKEAの家具は好き。好きな映画は『ファイト・クラブ』。

・修羅子と雪子
鉄仮面の隣房に幽閉されているシャム双生児の美女姉妹。姉の雪子は恋愛映画が好きで、妹の修羅子はホラー映画狂。好きな映画は『アニー・ホール』と『バスケットケース』。

・ナミ
カフェー「けもの部屋」につとめる寡黙な女給。復讐相手を求めていくつものカフェーを渡り歩く。好きな映画は『女囚さそり 第41雑居房』。

・怪人二十世紀FOX面相
二十世紀FOX社製以外の映画を殲滅せんと闇を駆ける稀代の大怪賊。好敵手のヒモロギとは幾度も対決している。悪事の天才であるが血を見るのがきらいで、子どもには一切危害を加えない。好きな映画は『ホーム・アローン』。

(10)カフェー「けもの部屋」

 帝都をうごめく好き者、のけ者、猟奇者が夜な夜なつどう新宿のカフェー「けもの部屋」の奥まった一卓に、赤いほっぺたをへこませながら、ストローでミルキセーキをのむ、かわいらしい少年の姿がありました。女給の過剰なサービスが売りである大人のお店で、まったくものおじすることがない怪少年といえば、われらが少年映画探偵団の大林団長をおいて、他にはそうありますまい。
 大林君は、なじみの女給が通りかかるたび、二言、三言、笑顔で言葉を交わしながらも、カフェーの入り口をずっと気にしているようすでした。

「アラ、宣雄くんじゃない! ひさしぶりね」
 そう言って、きゅうに脇から大林くんに抱きついてきたのは、なじみの女給のひとり、マチコさんです。
「あっ、こんばんは、マチコさん。でも、前に来たのはおとついですよ」
「あら。いやねえ。だから久しぶりって言ったのよ」
 郷里にのこした弟のおもかげがあるのだといって、大林君をたいそうかわいがっているこの少女女給は、ショートボブの黒髪をさらさらとゆらしながら快活に笑いました。なんでも、『レオン』でナタリー・ポートマンが演じた少女マチルダにあこがれて、このような髪型にしているのだそうで、お酒がはいると「いつかジャン・レノみたいにすてきな殺し屋のおじさまがやって来て、私をここから連れ出してくれるのよ」と、「Shape of My Heart」の鼻歌まじりに、そううそぶくのが彼女のくせなのでした。
 そのマチコさんが、ジョッキいっぱいになみなみとつがれたビールを持って、大林くんの隣にすとんと座ると、さっそくかぱかぱと杯をあおり始めました。
「ぷはーっ、ウイーッ、フォーッ、ヴェンデッター」
「ははあ、あいかわらずの飲みっぷりですね」
「まあね、ウイーッ、ヴェンデッター。……アラッ? そういや、きみのお師匠はどこにいらっしゃるの?」
「ヒモロギ先生は、今夜はこちらにいらっしゃいません。今夜は僕一人きりで、ここで人と会う約束をしているのです」
「なあんだ。このビール代はあいつにつけてやろうと思ったのに。まったく、ジェフリー・リボウスキなみに役に立たないへぼ探偵ねえ」
「先生はへぼ探偵なんかじゃありません!」
 マチコさんは、弟みたいな大林君をこうやってわざと怒らせてからかうのが大好きなのです。ヒモロギ先生のわるくちにほっぺたをふくらませる大林くんがいとしくてしかたがないマチコさんは、調子にのってさらに探偵の悪口を続けます。
「だいたいあいつ、映画探偵とかいってるけどさあ。一番好きな邦画は『XX エクスクロス 魔境伝説』とか言ってるし。ぶっちゃけ、ありえないよね。実はあの人、映画を見る目がまるでないよね」
「そ、そんなことありません! 『XX エクスクロス 魔境伝説』はチェーンソー装備の鈴木亜美と巨大ハサミ使いのゴスロリ小澤真珠がそうぜつなキャットファイトをくりひろげるという、本当にすばらしいB級映画です。それに、さいきん先生は『東京物語』を初めてごらんになって、『この小津とかいうおっさんの作る映画はとびきりZENKAIおもしろいね!』と大変感心しておられましたので、いま一番好きな邦画をきけばきっと『東京物語』と答えられるはずです」
「なんで今ごろ小津を初見なのよ。映画探偵って、そんなんでいいの?」
「小津は深作健太氏と並び立つ名監督だと褒めておられました」
「だから、なんで名監督の指標が深作健太なのよ。映画探偵って、まじで、まじでそんなんでいいわけ?」

 などと、少女女給と少年探偵が他愛のないおしゃべりを楽しんでいたその時、カフェーのドアがらんぼうに開けはなたれる音がしました。店内のお客さんの何人かは、そばの女給に対するなんらかのハラスメントの手を止めて、入り口のほうへと目をむけました。

 ドアの内側にかけられた紐のれんを、ゲイリー・オールドマンばりに大げさな仕草でかきわけて、ずかずかと入店してきたその男は、はでな柄シャツの襟を立たせ、牛革の真っ赤なレザージャケットをはおり、いかにもチンピラ風のいでたちです。その男は、オレンジ色の色眼鏡からのぞく眼光をギラつかせながら、しばらく店内を見回していましたが、大林君の姿をみつけると、そちらに向かって大股で近よってきました。
 ああ、いったいこの男は何ものでしょう? もしかして、店のふんいきに似つかわしくない大林少年を排除するためにやってきたお店の番人でしょうか。もしくは、今夜のけんかの相手を探している街のあらくれ、無頼もののたぐいでしょうか。あるいはもっと恐ろしい、たとえば、かの怪人「二十世紀FOX面相」の手下のような、犯罪一味の一人かもしれません。なんにせよ、かたぎの人間でないことだけはその風ぼうから明らかです。このような絶体絶命を、大林少年たった一人できりぬけることが、はたして出来るのでしょうか。

(9)裏窓の怪老人

 あやしげな紙芝居男のもとをあとにした舞木君は、その後はみちくさをすることなく、まっすぐ帰宅しました。そして、いつものように夕飯のキムチを食べ、あかすりで体をきよめ、朝鮮半島の方角へ向かってふかぶかと土下座をすると、自分の部屋にこもって、買ったばかりの韓流映画『女体渦巻独島』のDVDをプレーヤーにセットしました。
「まったく、あの山出しじいさんのせいで、とてもバッドイナフな気分だよ。こうなったら、夜どおし『女体渦巻独島』をくり返し再生してフィーバーしちゃうもんね。わっ、やばい、テンションあがってきた! 木曜の夜だけどテンションあがってきた! いえーい! もくよう・ナイト・フィーバー!」
 舞木君は、うれしさのあまり、パジャマのえりをトラボルタのようにピンと立てると、ベッドのうえに立ち上がり、両手を糸まきぐるまのようにくるくる回転させたり、テンポよく前後に腰を振ったり、両ひざを内側に折って床につけ、それをまた元にもどす、といった動作を繰り返すことによって前方へ移動したりと、たいへんじょうずにビー・ジーズの「You Should Be Dancing」を踊りたおしました。今でこそ韓流ひとすじの舞木君ですが、ディスコ世代のお父さんの影響で、赤ん坊のころから『サタデー・ナイト・フィーバー』を何百回となく観ていて、映画のなかのダンス・シーンはほぼ完ぺきに再現することができたのです。そして今でも、何かうれしいことがあると、体がかってにフィーバーしてしまうのでした。
「ワハハハハ、うまいうまい」
 とつぜん、じぶんしかいないはずの部屋に人の声がひびいたので、舞木少年は、ボスの若妻がヤクの吸いすぎで心肺停止してしまったときのトラボルタのように、あわをくってしまいました。
「な、な、なにものだーっ!?」
「ウフフ……お父さまのお仕込みがいいのね。腰づかいがいいわ」
「まきのオーブンでにしんのパイを焼くキキを見まもる老婦人のモノマネで、ぼくをおちょくっているのは、だれだっ、だれなんだっ!?」
「ここさ。ここにいるよ。ワハハハハ……」
「アッ、あなたは……」
 カーテンのかげからヌッと現れたのは、なんと、れいの紙芝居師ではありませんか。この男は、カーテンのかげにかくれ、舞木君のワンマンライブショーをずっとぬすみ見ていたのです。
「こんばんは、舞木君。いや、じつによいものを見せてもらったよ。気分は『裏窓』のジェームズ・ステュアートじゃわい」
「さては、ただの紙芝居屋ではないな。おじいさんは一体なにものです!?」
「何をかくそう、わしの正体は怪盗なのさ。どうだね。わしの侵入にぜんぜん気づかなかっただろう? わしにインポッシブルなミッションはないというぐあいさ……おっと、さわいでもむだじゃぞ。家族は全員ねむりぐすりで眠らせてあるからね」
「そんな……お願いです! 見逃してください!」
 舞木少年は、立てていたパジャマのえりをただすと、怪老人のあしもとにバッタリとひれ伏して、土下座をしました。
「お願いです、見のがして下さい! 僕がいままで必死にあつめたお宝を盗むだなんて、そんなひどいことは、どうかかんべんしてください!」
「ふん。きみの部屋のいったいどこにお宝なんてあるというんだね」
「エッ……?」
「どれもこれも、くだらない韓流アイドルのグッズばかりじゃないか。まるでそびえたつクソだ。みんな等しく価値がない」
 老人は身なりに似つかわしいらんぼうな言葉づかいになり、舞木君のお宝の山をののしりながら、チョッキのふところからギラギラと光る大きなマチェーテ(山刀)を取り出し、舞木君にじりじりとせまりました。
「ワハハハハ……おとなしく言うことを聞けば、いのちだけは助けてやろう」
 本性をあらわした怪老人は、舞木君にとびかかり、ほそびきで手足をしばりあげました。そして、何をするかと思えば、部屋のざぶとんにあぐらをかいて座り、むかいに舞木君を正座させて、彼の韓流ぐるいについて、こんこんとお説教を始めたのです。ああ、なんということでしょう。こんなことをする泥棒なんて、いったいぜんたい、はたしてあるものでしょうか。盗っ人たけだけしいとは、まさにこのようなことを言うのではないでしょうか。
「よいかね。わしはなにも、きみの好きな韓国や韓流アイドルをしんから否定しておるわけではない。君のような感性の新しい若ものがそこまで入れこむのだから、コンテンツとしての魅力もほんの少し……まあ21グラム相当くらいはあるのかもしれん。しかし、君たち前途ある少年少女には、おしきせのはやりものばかりではなく、もっと上流の作品や文化にふれてほしい、そして、本当に良いものを、自分のちからで探し出すよろこびを知る……そんな大人になってほしいんじゃ。仮想現実に取りこまれ、与えられたものばかりで満足する『マトリックス』の人類のようにあわれな大人になってしまうことを、わしは心から惜しむのじゃ」
「お、おじいさん……そこまで他人の僕のことを考えてくれるなんて……」
 怪盗老人の不敵なお説教は、少しだけ舞木少年の心を動かしましたが、しかしあまりに話がくどく、お説教は八時間の長きにわたって、インターミッションなしで行われたため、からだの弱い舞木君は、やがてぜんそくの発作を起こしてしまいました。
「きゅ……吸引器を……」
「コラッ、人がお説教しているのに、なにをゼイゼイしたりキョロキョロしたりしておるのじゃ。紙芝居のときもそうだったが、ひとの話を最後まで聞かないのは君の悪いくせじゃな。礼儀知らずの韓国人が作ったコンテンツにばかり接しておると、こんな不作法な子どもになってしまうのじゃな、かわいそうに」
「ゼイゼイ、お願いだから……僕を吸引器のところまで連れてって……」
「いかんいかん。そんなホイチョイなことではいかん。もう少しで終わるのだから、ちゃんと正座して話を聞きなさい」
 舞木少年は手足をしばられているので、机の上の吸引器を取りに行くこともできません。いよいよおだぶつだ……とかんねんした時、外でにわとりの鳴き声がきこえ、怪老人の顔色がサッと変わりました。
「いかんいかん、夜が明けてしもうたわい。わし、熱中すると時間のたつのを忘れるタイプなのよね。……というわけで、きみもこれからは、もっとわしが盗みたくなるような価値あるDVD、ブルーレイ、映画のパンフや限定グッズなどをそろえておくように。今回はわしからのせんべつとして、これをくれてやろう。このDVDを観て、もっとまっとうなコンテンツについて勉強しておくんじゃよ」
 山男の老人は、けもの皮のチョッキのふところから一枚のDVDを取り出し、それを舞木君に無理やり押しつけました。そのDVDとは、名にしおうジブリ映画の佳作『借りぐらしのアリエッティ』でした。
「……ど、どうしてアリエッティ……?」
「フフフ……それはね……」
 だがしかし、舞木少年は怪老人の答えを聞くことはありませんでした。なぜなら、発作と寝不足ですいじゃくしきっていった舞木君は、そのままスーッと意識をうしなってしまったからです。

 その後、ねむりぐすりの効きめが切れたお家の人が舞木君の部屋にかけこむと、モニタには『借りぐらしのアリエッティ』が映っていて、ベッドには、ほそびきで縛られた舞木君がぜんそくの吸引器をくわえたまま倒れていたのです。

 これが、やがて帝都を恐怖のどん底にたたきおとすことになる連続映画事件「映画説教強盗」第一報のてんまつでした。
 はたして、山男のようなかっこうをした怪老人の正体とその目的は、いったいなんだったのでしょうか。また、老人はなぜ舞木少年にアリエッティのDVDを渡したのでしょうか。これにはいったい、どんな意味があったのでしょうか。読者諸君も、ひとつ、明晩の金曜ロードショーで放映される『借りぐらしのアリエッティ』をすみずみまで観て、このなぞを解いてみてはいかがですか。

 ああ、それにしても、我らがヒモロギ小十郎と映画少年探偵団の面々は、あの二十世紀FOX面相だけでなく、このような奇怪きわまる怪人とも対決しなければならぬさだめなのでしょうか。

(8)韓流レプリカント

 怪紙芝居師のおじいさんは、とつじょパンパンパパンとかしわ手を打ちならしたかと思うと、お尻をなやましげにくねくねさせながら「ラララ、ラララー」とKARAの「ミスター」を高らかに歌いはじめました。
「わっ、おじいさんがきちがいになった」
「ちがうって! もう紙芝居がはじまっとるの! 歌と踊りから、にぎにぎしくストーリーが始まるという、そういう演出なの!」
「そうか。なあんだ」
「ミスター」の歌詞をじつはよく知らないおじいさんは、コーラスのラララ、ラララーのところばかりをえんえんとリフレインしながら、一枚目の紙芝居をめくりました。めくった先には、9人の韓国人女性がはげしくお尻を振っている絵が現れました。
「ラララ、ラララー、わたしたちはKARAよ〜。日本での出かせぎは『市民ケーン』なみに銭がもうかってもうかって、笑いが止まらないKARA〜」
「ちょっとおじいさん! その絵はたぶん少女時代だよ。ごちゃごちゃだよ! それに、心のきれいな韓流アイドルのみなさんは、ぜったいにそんなことを言ったりしないよ!」
「うるさい客だなあ。こちとら気持ちよく演じているんだから、いちいちツッコミ入れんでほしいな。ここは『ニュー・シネマ・パラダイス』のパラダイス座ですかっつー話じゃよ。いいから、だまって観てなさい……エー、そこに現れたるは、日本のゆく末をうれう国士・北一輝せんせいです。ドジャーン!」
 次の紙に描かれていたのは、支那服をまとった中年紳士で、その両脇には、赤地のマントをはおった軍服すがたの青年将校をおおぜい従えています。
「やんややんや。みなさんお待ちかねの和製マーベル・ヒーロー、北一輝先生のご登場とあいなりました。サアみなさん、拍手、拍手! 万雷の拍手を! ……さてさて、みんなのヒーロー、北先生は韓流アイドルどもを見てこうおっしゃいました。
『ややっ、向こうからやって来る連中、あれは一体なんだらう。どの娘もみな整った顔をしておるが、その美は果たして本当に、天然の産物やいなや。おい青年将校君。あれはもしや、ちまたでうわさのレプリカント(人造にんげん)“ネクサス6型”ではないかね。私は電気羊の夢でも見ているのではないかね』
『あれに見えるは、韓流アイドルでございます。ああやって公衆のめんぜんで尻をふることによって、わが国から外貨をまきあげておるのです』
『そ、そんな無法がこの帝都でまかりとおっていたとは……グ、グムーッ』
『先生! どうされました! 先生ーっ!』
『ウム……あまりの衝撃で持病のしゃくが……しかし大丈夫だ。強力わかもとを4粒飲めばすぐおさまるさ』
『先生、2粒で十分ですよ』」
「えー、なにそれどういう意味? 強力わかもとってなに? なんで2粒で十分なの? 4粒のめばいいのに」
「うるさいのう! これは『ブレードランナー』ネタなの! あとで『ブレードランナー』観とけよ! まったく……黙って観てろっつってんのに、なんでお前はそうなの!? お前の脳はMr.ビーンの脳か!?」
 おじいさんは舞木くんを再度しかりつけ、そしてまたおしばいを再開しました。
「『しょくん、あのレプリカントどもをやっておしまいなさい!』
『おおせとあらば、ぜひもありません。ゆくぞ、突撃ーっ!』」
 その後は二十五枚もの紙を使って、青年将校と片目の魔王が、スプラッター映画に登場するティーンエイジャーもかくやとばかりに、韓流アイドルたちをむごたらしい目にあわせる様子がこと細やかに描写されるのですが、それはあまりに陰惨きわまるため、この本ではくわしい説明を控えたいと思います。
「く、くるっている……このおじいさんはくるっている……マッドネス、マッドネース!」
 舞木くんは目をおおいながら、『戦場にかける橋』のラストシーンにおけるクリプトン軍医のようなせりふをさけび、そして紙しばいにクルリと背を向けました。
「……おい君、どこへ行くんだ。芝居はまだ終わっていないぞ」
「僕、帰ります! ああ! ああ! こんなもの、観なければよかった!」
「オヤオヤ、もうおかえりかい? きみの好きなチョン・チョンチョンちゃんがこれから登場するというのに? チャン・グンソクも出るし、韓流四天王も出るぞ。みんな出てきて、そしてみんなバラバラにされるんだぞ? ハハハ……」
「そんなきちがい紙しばい、だれが見てなんかやるもんか! おじいさんはバッドイナフ!」
「ワハハハハ……観ないのか。そうかね。ワハハハハ……」
 その場を立ち去ろうとする舞木くんの背後で、怪老人のくるったような笑い声がいつまでも聞こえていました。

バットマン・リターンズ』を観るまでもなく、読者諸君は「好奇心は猫を殺す」ということわざをご存じでしょう。舞木くんは、ひょいとかま首をもたげてしまった他愛のない好奇心のせいで、きちがい紙芝居師と関わってしまい、こんなにひどい目にあってしまいました。
 しかし、実はこれは悲劇の序章にすぎなかったのです。この日の夜、舞木くんはさらなる怪奇にみまわれ、みずからのかるがるしい好奇心に対する、大きな代償をしはらうことになってしまったのです。

(7)奇怪な紙しばい

 ところかわって、荻窪あたりのしずかな屋敷町での出来事です。
 その日の夕焼けは、かの怪監督タランティーノをも大いに魅了した『吸血鬼ゴケミドロ』のまがまがしい夕陽の色にそっくりでした。いまにして思えば、この夕焼けは、これから帝都に起こる世にも恐ろしい大事件を、一千万都民にあまねく警告していたのかもしれません。

 不吉なゴケミドロ・レッドの夕焼けを背にして、人気のない住宅街を、口笛ふきつつ意気ようようと歩く少年の姿がありました。かれは小学五年生の舞木大輔くんといって、駅前の商店街で買い物をおえてお家に帰るとちゅうなのです。小わきには、外国映画のDVDのはいった包み紙を、さも大事そうにかかえています。
「ああ、うれしいな。うれしいな。なんたって、チョンチョンの初主演作だもんね。しかも初回限定版が手に入るなんて、僕は本当に運がよい少年だぞ。ウフフフフ……」
 舞木くんはひとりごとを言ってにやにや笑ったり、包みを両手でぎゅっと抱きしめたりほおずりをしたり、そうかと思えば『雨に唄えば』みたいに通りの街灯に飛びついて歌いだしたりと、まるで気がふれたようなうかれぶりです。
 といいますのも、このごろ舞木少年はお姉ちゃんの影響で韓流に熱中するようになったのですが、なかでも一番大すきな韓流少女アイドルのチョン・チョンチョンちゃんの初主演映画DVD『女体渦巻独島』初回限定版を発売日に首尾よく手に入れることができたため、すっかり有頂天になっているというわけなのでした。
「ゼイ、ゼイ……早く帰って、キムチを食べて腹ごしらえをして、あかすりをして体をきよめて、半島の方向に向かって日課の土下座をして、それからDVDを観るんだ。ウフフ、たのしみだなあ。ゼイゼイ……」
 韓流に熱中するようになってから、舞木君の食事はキムチとチヂミだけになり、そのせいですっかり体がよわり、小児ぜんそくにかかってしまいました。ご両親やお姉さんは舞木少年のいきすぎた韓流ぐるいをたいへん心配されていましたが、とうの舞木君はむしろ、いのちを削って韓流にわが身をささげる行為をほこらしくさえ思っていたのです。

「チョーン、チョーン」
 ふとどこからか、さびしげな拍子木の音が聴こえてきました。舞木君がキョトキョトあたりを見回すと、人通りのない通りから、さらにわきに入ったせまい小道のその奥で、客寄せの拍子木をうつ陰気な紙芝居屋のすがたが目に止まりました。
「オヤ、ふつうの子どもはとっくにお家に帰っているこんな時間に、しかもあんなに奥まったところで客寄せをしているだなんて、なんてへんてこな紙芝居師だろう」
 ふしぎに思った舞木くんが近づいて見てみると、紙芝居師のおじいさんは格好までもがとてもへんてこなのでした。うす汚れたかすりの着物のうえに、けものの皮をなめしたチョッキをはおり、足にはゲートルを巻き、荒縄を腰帯がわりに巻いて、まるで山奥の猟師かきこりか、そうでなければこじきのような、なんとも奇怪でワイルドでみすぼらしいかっこうです。
 紙芝居のおじいさんは、誘蛾灯にかどわかされた羽虫のようにフラフラ近寄ってきた舞木少年に気づくと、おいで、おいで、とゆっくり手まねきをして、「お代はタダじゃよ、観ていかんかね」と、いかにもやさしい口調で言いました。
「うーん……でもぼく、これからお家で韓国映画のDVDを観なきゃなんないんです。だからおじいさん、また今度ね」
 そう言って、元きた道に戻ろうとした舞木君の腕を、紙芝居師はぐいとつかんで、紙芝居の舞台が設置された自転車のところまでなかば強引に引きずっていきました。とても老人とは思えないきびんな動きと力の強さです。舞木君はその乱暴なふるまいにすっかりびっくりしてしまって、おもわず『REC』の女主人公みたいなやかましい悲鳴をあげてしまうところでした。
「ワッ、はなしてください! はなしてください! ぼくは急いでいるんです」
「まあまあ、そう言わずに。フム、君はどうやら韓流が好きみたいじゃね。そうじゃのう……たとえばチョン・チョンチョンなんかは好きかね?」
「えっ……チョンチョンですって? 大好きです! 三度のチゲより大好きです! もしかして、チョンチョン主演の紙芝居なの?」
「うむ、そんなところじゃよ。わしが考えたオリジナルストーリーじゃ」
「うわあ、そいつはすごいや! おじいさんはグッドイナフ! みせて! みせてください!」
 舞木君はぜんそく発作の苦しみも忘れるほどにこうふんし、目をかがやかせながらおじいさんに紙芝居をせがみました。
「ハハハ……そうあわてなさんな。あわてるこじきは……エート、なんじゃっけ、あわてるこじき……ああ、そうそう、あわてるこじき異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか、というではないか」
「いわないよ。最初の何文字かしか合ってないよ。こじきはいくらあわてたとしても水爆を愛したりしないよ」
「細けえことはいいんじゃよ……うむ、お客はきみ一人しかおらんが、まあよかろう。それでは始めるとするかな」
 なぞの怪紙芝居師はエヘンとひとつせき払いをしてから、さもぎょうぎょうしい手つきで芝居舞台の木枠の観音びらきの扉を開きました。するとそこには、

「片目の魔王 北一輝 対 空飛ぶ出稼ぎ韓流アイドル」

という世にもふしぎな怪タイトルが、血のように赤くしたたる文字で、荒々しくなぐり書きされていたのです。

(6)探偵団結成

 ヒモロギ小十郎にかわり事件を解決する「少年映画探偵団」を結成する……なんてすてきな思いつきでしょう。大林君は自分のアイデアにすっかり夢中になり、生活能力のないヒモロギ先生に昼ごはんを食べさせるのも忘れて熱心に探偵団結成の準備をすすめました。そうして、なんとその日のうちに団員のスカウト活動まで始めたのです。
「攻めに四人、守りに三人。合計七人は団員がほしいので、団長のぼくのほか、あと六人は団員がほしいところです」
「なーる。『七人の侍』ならぬ、七人の少年映画探偵ということだね。しかし、きみは義務教育期間だというのに学校に籍をおかぬちんぴらな身の上。同世代の友だちなど一人もいないだろうに、団員のあてなんてあるのかい?」
「先生、いまはなにごともネットの時代です。ぼくはネットまわりの交友関係を活かし、FacebookmixiTwitter2ちゃんねるでそれぞれ一人ずつ団員をつのり、ひとまず四人の団員スカウトに成功しました」
「ほう、さすが大林君。ネット世代の申し子だね。やんや、やんや」
「その四人はすでにここに呼んであるので、これから先生にご紹介します。さあみんな、部屋に入ってきて、あこがれのヒモロギ先生にごあいさつしたまえ」
 大林君がドアのむこう側にむかって声をかけると、コンコンというノックの音がして、それから緊張のおももちの少年が四人、ぞろぞろと入ってきました。四人の子どもたちは、大林団長にうながされ、じゅんばんに自己紹介を始めました。

「はじめまして。ぼく、淀川壮二っていいます!」
「彼はぼくより年上の中学一年生ですが、団長のぼくには敬語を使い絶対ふくじゅうするという条件で入団をみとめました。先生やぼくにおとらず映画の知識が豊富で、英語もぺらぺらです。外人への聞き込みや、字幕のない外国映画を観るときなどに重宝するでしょう」
「なるほど。それはすばらしくグローバルな人材だ。さてはFacebookで見つけてきたな。淀川君、これからよろしく頼むよ」
 そう言って、名探偵は淀川君と固い握手を交わしました。

「こんにちは、ぼくは水野正一です!」
「彼は背の小さい小柄な少年ですが、これでも小学六年生です。『シベ超』とあだ名されるくらいかけっこが速くて、おまけにちゃめで、あいきょうもので友だちも多いのです。その顔の広さはきっと捜査の役に立つでしょう」
「なるほど、しょうらい立派なリア充になりそうな好男子だね。さてはmixiで見つけてきたな。水野君、これからよろしく頼むよ」
 そう言って、名探偵は水野君のいがぐり頭をくりくりとなでました。

「あっちはジョン・ウェイン? こっちは僕? なんちゃって、ぼくは馬場一郎です」
「この冗談ずきな彼氏は小学五年生で、自前のカメラや盗聴機を駆使してあやしい人間の身辺調査などにかつやくしてくれることでしょう。おふざけ二等兵なので、ジョーカーというあだ名で呼ぼうと思います」
「なるほど。情報収集はお手のものというわけか。さてはTwitterで見つけてきたな。気に入った、家にきて妹を《検閲不許可》していいぞ」
 そう言って、名探偵とジョーカー君は互いにかかとをそろえ敬礼をしました。

「あ……どうも。えへへ」
「いつもしまりのない顔でにやにや笑っているこのでかぶつは、六年生のほほえみデブくんです。なんの役にも立たなそうですが、そのうち天才的なピストルの才能に開眼するような気がしたので、ダメもとで確変の可能性に賭けてみました」
「なるほど。とりあえずその、人をイラっとさせるほほえみを消すよう早く顔面に伝えてくれたまえ。どうせあれだろ、おまえ2ちゃんねらーだろ。くれぐれも僕の障害物にはさわるなよ」
 そう言って、名探偵はほほえみデブくんがかくし持っていたジェリードーナツをとりあげ、むりやり彼の口に押し込みました。

「いやあ、しかし、よかった。よかった。まじでよかった。君たちゆうかんな少年映画探偵団しょくんが、僕の代わりに映画事件を解決してくれれば、僕にとってこんなに楽ちんなことはないよ。さすがは大林君だ。少年映画探偵団、イエスだね!」
「いやあ、先生にそんなにほめてもらえるなんて、ぼく光栄です」
「そうだ、諸君。探偵団の初仕事として、みなで大林君のばんざいをとなえようじゃないか」
 なるたけ仕事をひとにまかせ、自分は映画とゲームに囲まれてあそび暮らしたいとつねづね考えているヒモロギ先生は、まったくもって超ごきげんでした。
「大林君、ばんざあーい」
「大林団長、ばんざあーい」
 開化アパートをゆるがすばかりの快活なばんざいの声は、いつまでも、いつまでも中野の晴れた青空にこだまするのでした。

(5)血まみれ農夫

「オヤッ、なんだかおかしいぞ。いつも見なれているはずの探偵ランキングが、今日にかぎって、こんなにへんてこに感じるのはいったいなぜだろう?」
 大林君は首をかしげながら、くりくりとした大きな瞳を皿のようにして、何度も何度もランキングをみつめなおして、そしてようやく異変に気づきました。
「ウワーッ、せ、先生の名前がどこにも載ってないや! ディヴァイ〜ン!」
「どうした大林君! なにやら奇怪なS.E.(サウンド・エフェクト)がきこえたぞ! いったいなんの音だ!?」
 卓上に置かれっぱなしの受話器から、大林君が新聞を取りに行ったきり、長いことほったらかしにされながらも辛抱づよく待っていた平良警部の声が聞こえてきました。
「あっ、すみません。今のはぼくが『ピンク・フラミンゴ』初見時に匹敵するレベルの大衝撃を受けて、尻もちをついてしまった時に流れるS.E.です」
「へえー。なんとも珍妙で面白いS.E.だね。こんど俺にも使わせてよ」
「警部には、ご自宅が全焼してしまったときの専用S.E.『イケア〜!』があるじゃないですか」
「あれは使い勝手が悪いんだよ。家なんてそうそう全焼しないじゃん」
「いや、そんなS.E.談議をしている場合じゃありません。それより警部、いったいこのランキングはなんなんです? 公開されている20位までの名前のなかに、ヒモロギ先生のお名前が入っていないじゃありませんか。さては誤植ですね?」
「誤植なものか。それが君の尊敬するヒモロギ大先生の実力というやつさ。やつの黄金時代も終わりも終わりを告げたということだね。いや、ついに化けの皮がはがれた、と言ったほうがよいのかもしれんが」
「な、なんてことを! と、と、取り消してください! 先生は、二十世紀FOX面相の牢破りによって獲得ポイントが撤回された不条理に対してスネてみせているだけです。だって、悪人をつかまえるまでが探偵のお仕事で、捕まえたあとの刑務所のふてぎわは先生に責任ありませんもの。だからけっして、ヒモロギ先生の探偵術の腕まえがおとろえたわけではありません!」
 敬愛するヒモロギ先生の悪口を言われると、ふだんは冷静ちんちゃくな大林少年助手も、チキン呼ばわりされたマーティ・マクフライのようにカーッと頭に血がのぼってしまうのでした。
「いやいや、ヒモロギ小十郎の探偵力はいよいよ底をついてしまったのだと、俺は思うね。やつに残っているのはもはや、ささやかな過去の栄光ばかりさ。これからは『レイジング・ブル』の終盤みたいにちっぽけな余生を送るのだろうね。ハハハ……」
「い、言うにことかいて、先生をジェイク・ラモッタ呼ばわりとは、いくら先生のご友人でいらっしゃる平良警部でも許せません! 先生はジェイク・ラモッタじゃない、ロッキー・バルボアです。中野の種馬です。ビル・コンティの勇壮なしらべを背に、何度だって立ち上がるのです。僕はいつだってそう信じているのです!」
「ふん、そんなものは弟子のひいき目というものさ。あーあ、俺もとんだ時間をむだにしちまったぜ。ファック」
 そう言い捨てると、警部は一方的に電話を切ってしまいました。

 大林君は腹が立ってしかたありませんでした。なぜって、彼が神さまのようにあおぐ神探偵ヒモロギ小十郎が、探偵ランキングの圏外に追放されてしまったうえに、先生の友人であるはずの平良捜査係長が、まるで手のひらを返したように先生を悪しざまにののしり始めたのです。これは、名探偵を崇拝する少年助手にはまったく耐えられないしうちでした。まるで、たいせつな仏像やゾウを悪漢にうばわれたトニー・ジャーみたいに、少年の小さな胸は怒りと悲しみで爆発すんぜんなのでした。
 怒りのやり場のない大林君が床に寝ころがり、気がふれたように手足をじたばたさせてくやしがっておりますと、奥の書斎でゲームに興じていたヒモロギ先生からうるさいときつく叱られましたので、開化アパートの階段の踊り場に場所をうつし、そこでまたきちがいじみたじたばた踊りを再開しました。そして、じたばたに熱中しすぎるあまりに我をわすれ、うっかり階段から転げ落ちてしまいました。はたから見ると、大林少年助手の一連の行動はまるで本物のきちがいのようですが、大林君はそれほどにくやしかったのです。読者諸君も、きっと大林君と同じような気持ちではありませんか。
「いたた……これがぼくの故郷尾道の階段だったら、たましいが抜け出してしまい、一緒に転落した女の子と人格が入れ替わってしまうところだったよ……おや? 入れ替わるだって……? ぼくがあいつで、あいつがぼくで……?」
 全身きずだらけの大林君は、自分でつぶやいた独りごとを何度もはんすうして、そのうちにハッと気づきました。
「入れ替わる……そうか。つまり、先生の代わりに僕が難事件を解決して、獲得したポイントはすべて先生名義にしてしまおう。そうやって、先生をランキング上位に返り咲かせれば、先生のやる気も復活するんじゃないだろうか……そうだ、きっとそうにちがいないぞ!」
 大林君は血まみれの顔をふくのももどかしく、事務所の書斎に駆け込んだので、さすがのヒモロギ先生もギョッとしてしまいました。
「わーっ、血まみれ農夫の侵略だーっ」
「先生、おちついてください。血まみれ農夫じゃありません、ぼくです。大林です」
「ああ、大林君か。びっくりした。いやまあ、わかってたけどね。まじでまじで。……ときに、そのありさまはなんだい。まるで『血まみれ農夫の侵略』のようじゃないか。観たことないけど」
 大林君は事務所のパソコンをいじってなにやらカチカチと作業を行っていましたが、やがて顔をあげると、血まみれの顔でニッコリと笑いながら高らかに宣言するのでした。
「先生、ぼくは決めました。ぼくは、先生の忠実なしもべとして、先生の代わりに探偵ポイントを荒かせぎするちびっこピラニア軍団、『少年映画探偵団』をけっせいします!」