豪雪の中、ガンダムを撮影してきた

雪というなかなか無い条件で、しかも先週に続いて二度目という、戦訓を活かせる状況だったのでてっきり撮影している人がいっぱいいるだろうと思っていたら、コンデジを持って通勤途中で撮っている人はいたけれども、三脚持って本格的に撮っている人はいなかった。あー、ガンダムビルドファイターズもあって大人気かと想ったんだけど、そんなことはなかったか。

 

久々に更新したらやり方忘れてた。

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かつては大学のサークルが、オタクのノードだった

2013-11-14 - シロクマの屑籠

ちょっと野暮用があって、来年のSF大会どうなるかなどを知人に聞きに行ったのだけれども、その時に話題に出たので面白いなぁと思ったのは、「彼はどこそこの大学のSF研出身で〜」「彼は元々は●●大学の漫画研究会の部長で」みたいな話が人間関係が説明される点だった。

80年代の前半までは、そういった感じでオタクネットワークが形成されていったのが、未だにSFファンダムの中においてはアイデンティティの説明として機能しているのが面白いなぁと想った。

id:p_shirokumaさんの話ではよく田舎のオタクライフが取り上げられるのだけれども、今では大学のサークルは、ノードとしては機能していないのだろうか? まぁ活動的な人間は自分でサイトを立ち上げて語るほうが早いだろうからなぁ。

ただそういったネット依存だけで立ち上がった交友関係だと、ある種、ライフモデルとして他人の生き方を参考にしにくいという点が、大学サークルとは違うのかもしれない。

これが経済的に右肩上がりだと、そういったネット的な繋がりから、誰かが会社やら企画を立ち上げて、そこにネット人脈から人が集まっていくというのがあるけれども、すでにそういった余裕はなくなっているし、プロ化しない人たちにとっては、同窓会的な年1回の集まりもなかなか設定しにくいのかもしれない。

少年と伯父さん

"ダメな大人"の授業がもっと増えても良いと思う

この論議についてはちょっと違うなぁという気がする。このエントリ主が求めているものは、実父が提示するのとは違う生き方と価値観(それが駄目かどうかは別にして)というだけにすぎない気がする。

 

なのでそういった別の価値観が必ずしも駄目である必要はないと思うし、それを学校で教えるとなると、ちょっと変質してくると思う。「ようこそ先輩」のようには行かないと思う。学校に中間コミュニティを求めすぎているような……。エントリ主が求めているのは、むしろ下記の内田樹が言っているようなことだと思う。

親族の基本構造 (内田樹の研究室)

これを分かりやすく喩えるならば、映画「男はつらいよ」における寅次郎と満男の関係に近い。「男はつらいよ」では、初期の頃こそ、寅次郎とさくらとの絡みが多かったものの、満男が成長するに連れて、むしろ寅次郎は満男との関係が深くなってくる。満男の恋愛と寅次郎の恋愛がパラレルに描かれるようになり、満男の就職問題に寅次郎が相談にのったりする。

 

タイトルである「男はつらいよ」とは、シリーズ当初は失恋を繰り返す寅次郎の生き方であったのだが、それが「男(として成長するのは)つらいよ」という、満男の成長譚に直結してくることとなる。

 

こういう「親戚の変な伯父さん」というのは、映画ネタとしてもたびたび扱われていて、ジョン・ヒューズが監督した「おじさんに気をつけろ!」などがある。

 

成熟のロールモデルというのは単独者によっては担われることができない。タイプの違う二人のロールモデルがいないと人間は成熟できない。

学園映画において一時代を作り、青春の挫折と成長を描き続けてきたジョン・ヒューズが、その過程において、「おかしな伯父さん」映画を撮っていたというのは、とても意味にあることのように思う。

個人的にもそういう体験が多かったので一応記しておく。 

 

 

 

 

 

SFとホラーの違いから考える「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」

我欲と暁美ほむら - シロクマの屑籠を読んでちょっと思ったことなどを書いてみる。

TV版の魔法少女まどか☆マギカが話題になった理由というのは幾つもあると思うけれども、SF愛読者及び評論家が興味を覚えた一つの理由としては、「滅亡へと向かう閉塞世界を如何に救うのか?」という点を、真正面から解決しようとしていた点が大きかったような気がする。

 

勿論、アニメが当たる理由などは数多くあるわけで、キャラクターデザインからOP・EDのアニメソング、面白いストーリーなど多くあるだろうから、一つに絞るのは危ないのだが、理由の一つとしてあげるのは良かろう。

 

そうしたまどか☆マギカ推しの中で、特に興味をひかれたのが、SF作家である山本弘氏の言説だ。

山本弘のSF秘密基地BLOG:『魔法少女まどか☆マギカ』最終話感想(ちょいネタバレ?)

 

この感想が象徴的だなぁと思うのは、ある種の優等生的なSF少年の典型的な反応を描いているような気がするからだ。つまりそれは、「自分に力があれば、世界を良い方向に導けるのになぁ」とでも書けばいいだろうか。まぁSF少年でそういう願望みたいなのを持っていない人のほうがオカシイだろう。

 

ただまどか☆マギカに関して言うと、美術設定を含めて、極めてホラー的な色彩で彩られていた。これは非常に効果的に働いていたし、個人的にホラーが好きでないことも合わせてとても新鮮だった。

 

……いやホラー小説はいくつも編集してますし、ホラー映画にも関わったけど、基本、ホラーってあんまり好きじゃないんすよ。なんで自分がホラーが苦手かというと、理不尽で解決できないってのが、不得手なのだと思う。

 

そう考えていくとちょっと面白いのが、某ホラー作家がSFとホラーの違いについて話してくれた違いというのがとても興味深いのだ。

 

「SFもホラーも、共に誰も見たことの世界を描こうという点では共通点が多い」

「SFってのは、世界が滅亡に瀕した時に、主人公がSF的な転換を経て、世界と彼女を救う話。その過程で主人公は死んじゃうかもしれないけど」

「俺はホラー作家だから、世界が滅亡の瞬間を迎えても、それを救おうとは思わないい。まず愛する女と一緒に逃げ延びようとする」

 

この指摘は非常にSFとホラーの境界ラインを絞り込んでいるので、とても面白いと感じた。勿論、両方の要素を持った作品というのはいくらでもあるわけだが、その両者の違いが、ストーリーのラストに現れてくるというのは面白い。

 

そう考えていくと、TV版が、曲がりなりにも、「世界のより良い方向への改変」というSF的雰囲気を残して終わったのに対して、映画のほうが「愛」を理由とする、極めて情緒的なホラーとして、続編を匂わせつつ終わったのは興味深い。

 

SFの続編とホラーの続編、どっちが作りにくいかというと、まぁ差はあれどどっちも作りにくいのだが、ジャンル的に両者を行き来し始めると、結構、面倒臭いことになるような気もする(リングシリーズを見るにつけて)。

 

最終的には「長髪で顔を隠した貞子」で推す形でリングがホラー・アイコンとして着地したように、劇団イヌカレーのテイストで美術が纒められた「魔法少女・魔女・悪魔」みたいな、アイコン的な着地を迎えるのかなという気もする。それはちょっと残念な気もするけれど。

 

「次世代のスタジオジブリ」という言葉に弱い、広告代理店・TV局・出版社などエトセトラ

仕事があるのだけれども、資料調べや頭使う仕事であるため、なかなか進まない(ホント申し訳ない)。
アイディアが降りてくるまでの筆休めに、昨日かいたエントリの補足として、タイトルみたいなことをボチボチと書いてみる。
日本映画興行成績の中で、ナンバー1を誇っているのが、2001年に公開された「千と千尋の神隠し」(東宝:304億円)だ。
言うまでもなく、これは天才・宮崎駿監督だからこそ成し得たわけであると同時に、すでにとても良い意味で産業化していて多くの利益を日本のアニメ業界のみならず、TV局・広告代理店etc.にもたらしてくれている。
夏休みの定番になっているけれども、ジブリ作品を放映すれば、現在でも高視聴率を取れるというのは、TV局にとっては非常にありがたいコンテンツだ。

ジブリ作品の日テレでの視聴率記録(誰か続きを更新してくれ!)
宮崎駿&スタジオジブリ作品テレビ放映リスト・視聴率付き

だからこそ、これを有していたスタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーは、まさに名実ともに日本一のプロデューサーだったし(いや、今もそうなのかな?)、ドワンゴ会長である川上さんが弟子入りしちゃうのもむべなるかなという感じである。
【ここで鈴木敏夫さんと押井守さんと日テレの話を書こうと思ったけれど、誰も幸せにならないし、これは単なる筆休め話なので割愛】
質の良いアニメを作れば、それがビジネスとなるというのが分かっている以上、ディズニー&ピクサーに対抗してドリームワークスがアニメに進出したのを例に引っ張り出したりなんかして、
「では次にスタジオジブリになるところはどこか」
という話が出てくる。
でも、そういう話をするのは、業界の外の人間やウオッチャーであって、新聞やテレビ局、出版社、広告代理店、様々なプロデューサーが絡むと、むしろもっと話はややこしく、
「次世代のスタジオジブリを作ろう」
という話になってくるわけだ。
豆柴、豆柴……。
ゼロ年代の前半にそうした動きがもっとも活性化していて、その時に候補としてあがってきたのが、プロダクションIGGONZOだった(その後もマッドハウスとか、色々なスタジオが遡上に上がっていくのだけれどもまぁそれは置いておく)
その頃、日経から色々と相談受けていた状況があったんだけど、まさにGONZOを上場しようとしていた時期だったので、あちこちが観測気球を上げまくっていたのがとても印象深い。日経周辺の様々なメディアで、プロダクションIGやらGONZOの特集号が組まれているという、ちょっと異常な時期だった。
私が日経に顔出していたのは、「これからのオタクコンテンツの中軸は、ライトノベルになるよ」という案件で、実際、その通りになった(むしろなり過ぎた)んだけど、実は当時はラノベはまったく重視されていなくて、とにかくこの二社を上場させて、アニメビジネスで回していくぜ!みたいな雰囲気がゼロ年代の初頭にはあった。
特にそれに大きくコミットしていったのがフジテレビのプロデューサー・亀山千広だった。
簡単に背景事情を書くならば、「踊る大捜査線」がない年に、大型のアニメ映画をブロックバスターとして公開できればというのが大きい理由だったように思える。
要するに「踊る大捜査線2」→「次世代ジブリ映画」→「踊る大捜査線3orスピンオフ」→「次世代ジブリ映画」……みたいな感じで続けられればというモデルだったようだ(まぁそれに中規模作品的に三谷幸喜を絡めたりとかね)。織田裕二関連で毎年、踊る大捜査線作れるわけじゃなかったし。
で、その中で原作としてフィーチャーされたのが、宮部みゆきブレイブストーリー」だったわけだ。
ただ結果からすると「ブレイブストーリー」は周囲の思惑ほどの大ヒットにはならず、以降、海外翻訳ものの「ペギー・スー」のアニメ映画化などが浮かんでは消えていって、結局、GONZO自体も「ブレイブストーリー」がダメージになって消えていった。
「いや……世の中には、いい作品云々ではなくて、金だけ欲しいという人がいるんですよ」
みたいなことをGONZOの社長が仰っていたのがとても印象的だったなぁ。
こういう周囲の思惑通りにいかなかったビジネスモデルというのは、大御所が関わっていればいるほど、呪いのように延々と残っていくものであって(特に電通だと)、以来、いろんな形で「次世代のスタジオジブリを作ろう」みたいなのとか、そのフォロアーが耳に入ってくるようになったりする。
勿論、それには「次世代のジブリ」ではなくって、「ジブリの次世代をどうする?」という問題が絡んできていたのが、一層、自体をややこしくしている。
【この話は何年も前にいっぱい書いたし、『コクリコ坂から』の話題を色々書いても誰も幸せにならないような気がするので割愛】
で結局、明らかになってきたのは、日本のあらゆるアニメ監督の中で、クオリティ優先な作品作りを視野に含めながら、自力でアニメ映画資金を集められる監督っていうのは、3、4人しかいないって事実だった。
個人的には5、6人と言いたいのだけれども、でもやっぱり厳密に絞ると3人だよなぁ。
で、さらにこの3人の監督の作品で、
「女子小学生〜女子中学生が見に行きたい認知のある作品」
という風にデータを拾っていくと、やっぱり残るのは、現時点では宮崎駿監督だけになってしまう。
ところが「劇場版けいおん!」に関しては、なんか突然、そういうデータが市場調査で出てきてしまったので、みんな困惑しているのだ。
【ここで昨日のエントリに繋がる】
はっきり言って、女子中学生の好感度だけなら「コクリコ坂から」のデータを越えてます。
超びっくり。
まぁ確かにいくら少女漫画を原作としていても、舞台は学生運動時代だし、前作が「ゲド戦記」だからねぇ。
女子中学生が見に行こうとは思わないわな。
で、そんなデータが出てきちゃったものだから、またゼロ年代初頭の「次世代のジブリを作ろう」みたいなのとくっついたり、「金曜ロードショーのスタジオジブリよ、永遠なれ」みたいなのとかが出てきたりとか錯綜しはじめているのが現状みたい。
なんか個人的には、みずほ銀行やらのコンテンツファンドを覚えている人が頭を抱えて、
「延焼は嫌でござる」
っていっていたりするのも……げふん、けふん。いやはや。
さすがに「京都アニメーションが次世代のスタジオジブリだ」なんてことは、私の口から言えないし、個人的にそうとは思わないけれど、市場調査のデータだけ見ると、そういう相似形を描いているのが、とても興味深いし、それに踊らされちゃう人もいるだろうなーって感じでしょうか。。
やー、どうなってしまうんでしょう。
とココまで書いた所で、招集がかかりそうな雰囲気になってきたので、文章の装飾もせずにアップしておく。

「劇場版けいおん!」は、ジブリの対抗馬になるかもしれない

広告代理店系の友人から入ってきた話題なのだけれども、「劇場版けいおん!」の事前の市場調査が、非常に好調らしい。
とりわけ、
女子中学生~小学生への認知度が非常に良い
そうだ。その情報が結構回っていて、各所(スタジオジブリ含めて)、戦々恐々としているという話をちょっと耳にした。
女子小学生~中学生が見に行くとなると、母親が連れていくことになるし、そうすると結局カテゴライズとして、単なるアニメ映画ではなくて、
家族映画になる可能性
があるんだよね。
かつて「天空の城ラピュタ」は非常に出来が良かったものの、興行成績が今ひとつで、そのため、併映となった「となりのトトロ」あたりを契機に、ジブリが一気に家族映画へとステージが変ったみたいなことが起きるのだろうか?
そうなるかどうかはまぁ内容次第だけれども、近年、そういうステージアップを起こしたアニメ映画として、「時をかける少女」「サマーウォーズ」もあった。
でも細田守作品も、デートムービーにはなったけれど、家族映画になったかというとそこまでは到達できていないような気がする。けれど「劇場版けいおん!」は、ひょっとするとそうなるかもしれないという調査結果が出ているのは、ちょっと驚異的だ。
実際、女子中学生が劇場に動くと、映画って動員の予想が付かなくなって、ヒットという例もあるからなぁ……。
まぁ映画は実際のところ蓋を開けてみないとわからないことが多々ある――そうじゃなければ、映画業界、こんなに死屍累々にならない――のでどうなるかは分からないのだけれども、例えば「よつばと!」のフォロー的に「侵略イカ娘」が、ある種の一般視聴作品的に変容してしまったことを考えると、そういう可能性もなきにしもあらずで、ちょっと楽しみだ。