とある、50歳近い女性作家のエッセイに「こんな歳になるまで、自分のベクトル(生きてゆく方向)が定まらないなんて、自分でも驚いた」とあり、ああやっぱりそうなのね、と思う。

わたしも「このくらいの歳になれば、生きていく軸みたいなものが定まっている」と、昔のわたしが思っていた年齢になったけれど、おかしいほどに、全然なのだった。むしろ、生きれば生きるほど、何が大切で何を守るべきなのか、良く分からなくなっていく。

生き続けるのに何が必要か――家族、お金、仕事、それと。それと、それと。

でも、まあ、いいや、と思う。生きていく軸がなくても、たぶん、生きていける。それは、わたしが望んだ生き方ではないにしても。それに、どれだけの人が「自分の望む生き方を実践しています」というだろうか。

わたしは、自分が望んでいないようにも、生きられる。「人生の困難に次々と打ち勝ってより高い自分」にならなくても、高度なスキルを身につけなくても、わたしはそういうわたしを許せるだろう。人からみれば小さなことかもしれない出来事を乗り越えられなくて、それをずっと抱きしめていくしかない弱いわたしも、人との競争に負け続けるわたしも、幼い頃の夢をかなえられない不甲斐ないわたしも、生き続けられる。弱さも、負け続けることも、不甲斐ないのも、誰に責められようと構わない。強さだけが、勝ち続けることだけが、器用さだけが、生きていくうえで大事だとは、もう、思えない。

高架を走る特急に乗り、帰り道。ipodからはちょうど斉藤和義の「歩いて帰ろう」が流れてきて、良いタイミング。まぁ、歩いて帰るわけではないが。しかも、この歌、軽快なメロディーとは裏腹に、実はちょっと追い詰められてる話だ。

最近、死んだ人のことを思い出すことが多い。それは、わたしがまた、迷ったり、迷ってうんざりしたり、くよくよしたり、投げやりになることが増えたからかもしれない。

特に、彼は、わたしにとっては、かみさまみたいな人だ。どう生きていけばよいのか全く分からなくなるとき、彼を思い出すと、少なくともわたしは「どうしたくないか」だけは知ることができる。そういう意味で、かみさまみたいな人。

わたしは、誰かを哀しませたり、誰かに迷惑かけたりしない限り、正しくなくても良い、と思っている。わたしに関するわたしが感じたことは、それが世間からみて、どんなに歪んでいて間違っていたとしても、それがわたしにとってはすべてだ。だからもし、他人から、わたしの彼に対する考え方や感じ方、執着の仕方が異常だと言われても、わたしは全然気にしない。何とでもどうぞ、と心から思う。わたしは彼の死に関して、正しさなんて求めていない。

わたしのかみさまは、本当に何も教えてはくれないし、実際助けてもくれない。それどころか、解決できない悩みや問いを投げかけては知らんふりさえ、している。加えて、わたしのかみさまは、ちょっとひねくれている。かみさまになる前もそうだったから、たとえかみさまになってもそれが抜けないんだろう。そして、正しくなくても良い!と一生懸命言ってるわたしを余裕で見下ろして、相変わらず馬鹿だなぁとか、力入りすぎとか、たぶん、思っているのだろう。

永遠に会えない、わたしのかみさま、は。

今年も9月14日がきて、9年目に突入した。

わたし自身に限定すると、9年前に彼が亡くなってから、一体何が変わっただろうか、と思う。ぐちゃぐちゃだった最初の数年の後、確かにわたしは「新しいわたしになった」と感じた。しかし、今は、実はたいして何も変わっていないのではないか、という気もする。

変わることが果たして善なのか悪なのか、正義なのか不正義なのか。良く分からない。ただ、あのころ切実に抱いていた「彼の死を「何かのため」にしたくない」という願望からすれば、やはり変わることは悪で不正義なのかもしれない。彼の死をとおしてわたしが所謂「大人」になれたといえるのなら、わたしは「大人」になどなりたくなかったし、彼の死と引き換えに、そんなものを手にしたくはなかった。それなら、幼稚で傲慢で高飛車で世間知らずで自信満々のわたしのままのほうが、よっぽどましだった。

思うに、わたしは、純粋に悲しみたかったのだろう。彼の死から、わたし自身のためにも世の中すべてのためにも、1ミリの利益や教訓も導き出したくなかったのだ。そして、それは、今でもそう思っている。

変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。自分の意思では、どうにもならないことなのかもしれない。変わり続けることが人生よ、という人もいるだろう。

わたしには、分からない。全然、わからない。変わりたい気もするし、変わりたくない気もする。変わったような気もするし、変わっていないような気もする。

最近そればかり考えている。きっと答えはいつまでもでないだろう。わたしはきっと、いつまでもわからないままだ。

随分久しぶりに、高校の同級生の夢を見た。目が覚めて、ぼんやり数えてみると亡くなって9年目で、明日は月命日なのだった。

彼の夢はたまに見るけれど、今朝の夢は本当に久しぶりで、「ああ懐かしい」と思えないほどリアルだった。表情とか、言葉づかいとか、とか。

そして、今朝の今朝まで、そんなこと考えたことは一度たりともなかったけれど、もし彼が今生きていたとして、わたしはきっと今の婚約者より彼を選ぶだろうと思う。婚約者に悪い、とは、微塵も思わない。

少し大人になった今なら、あのとき鼻についた、彼の自信過剰な感じや格好つけたがりのところを、笑って愛せるような気がする。でも、わたしは、あのとき許せなかった「わたし」自身もまた、容易に許せるのだ。だから、後悔はしない。ただ、時の流れと年齢という、如何ともしがたい残酷な何かに、ただ圧倒される。わたしの人生の主体はわたしでなく、時の流れに思われてくる。わたしが何かを知ったときには、すでにその「何か」はどこかへ遠くへ流れ去っている。

またまた、「こんな現実いやだわいやだわ」という事態が襲ってきて、「どこかに逃げたい」と思った瞬間、世界の果てまで行っても現実であることに愕然とする日々。どこまで逃げても、わたしはわたし以外にはなれないし、あなたの人生とわたしの人生、取り替えることもできない。分かっては、いる。

午後から授業、カントの話。カントについてはあっちでもこっちでも、もう何度も何度も聞かされてきて、「またカントかー。カント専攻の人って良い人なんだけど、つまんない人が多いよねぇ。やっぱり、専攻に人柄がでるよねー」なんてヘラヘラしていたけど、今日のカントの話は抜群に分かりやすくて感動する。家にある『カント入門』読み返したくなったほど。

その後、お世話になっている教授とお茶。「自分の本当にやりたいことを研究しなさいよ」と言われるが、先生、わたしは今それが分からぬのです、だから困っているのです。だいたい、わたし、自分に追いつけなくて困っている。わたしのなかの、わたしが知覚できない部分で「やりたいこと」があるのだろうけど、それがなかなか、わたしには知覚できない。追いつけない「わたし自身」を求めて、わたしは結構、必死です。

通い続けている病院のエントランスへと続く道には大きな桜があって、その下にはベンチが数個並んでいる。桜散るなか、そこで外来患者やサラリーマン、医療従事者がコーヒーを飲んでいた。文庫本片手のひと、話し込むひと、ぼんやり処方箋を待つひと。近くのコーヒーショップの緑のロゴ。

場所は病院なのだから、大概の人は、どこかに欠陥や不具合を抱えているのだろう。もちろん、わたしも例にもれない。それでも、コーヒーを手にした彼らは、まるでこの世の理不尽や不幸なんて一度も経験したことのないような顔で、満ち足りていた。少なくとも、そのように見えた。桜の花びらが舞うなか、で。

病院にいると、生きているのか死んでいるのか、ときどき、分からなくなる。欠陥ゆえにか、臓器をとりだしたゆえにか、周囲のひとがただただ優しく、それが日常生活とはあまりにかけ離れていて「あら?わたし死んでしまって、すでにここは天国かしら」と思ってしまうのだ。だから、というべきか、わたしには、死んだ後も楽しく暮らせるだろう、という変な確信と自信がある。特に、今日のような、桜の下の楽園をみた日には、確信と自信は一層確固としたものになる。

そして、春が来る。

春が美しいのは、歌のなかだけ。わたしの春はいつも辛かったり、切なかったりする。努力すれば必ず報われるとか、夢は叶えるためにあるとか、そういった類のことは信じられなくなって、「はて、それじゃあどうすればいい?」というところで、いつも立ち止まっている。一体何を目指して、どこまで、どれくらい、がんばればいいのだろう。一体、何が、生き続けるために必要なのか。何も、分からない。

それでも毎日のタスクは色々やってきて、今日も今日とて、トマス・アクィナス『君主の統治について』を読む。何かを、盲目的に強く信じたいと思う。キリストでも、イスラムの神でも、親鸞でも日蓮でも何でもいいから、何かを信じたい。この世で利益を得るためではなく、この切なさや苦しみを抱きしめて生きていけるように。わたしという主体を捨てて、全身で、信じたい。