あー腑に落ちた
夢では、いつも17歳からずっと一緒にいてくれたあの人が変わらず私のそばにいてくれて、目が覚めるたびに、わたしのなかではまだ終わってないのだと思い、妙にホッとしていた。
けど、今日の夢は、その人といたはずなのに、気づいたらその人が、今の彼氏になっていた。
目が覚めて、なんて象徴的な夢だ、と思った。
うすうす気づいてたけど、腑に落ちてしまったのかもしれない。
あの人は、私の人生の途中までの人でしかないのかもしれない、と思えるようになってしまったのかもしれない。
途中で終わっちゃったけど、17歳から25歳までの貴重な時期を一緒に居られて良かったと思う、なんて、いい感じに自分の中でまとめられるようになっちゃったかもしれない。
そう思うことが一番嫌だったのに。
だから、どうにか、って思ってたのに。
結局「どうにか」の方法みつかんなかった。みつけられなかった。ないのかもしれない。
私、もう別の人のこと普通に好きになれちゃったし、別の人との未来考えること楽しいなって思うようになっちゃった。
まだやっぱり、あの人が、私じゃない誰かを、私のこと好きになってくれたみたいに好きになって、私のこと大切にしてくたみたいに大切にして、幸せになるのかなぁと思うと、何故か涙がでる。
でも、きっとそのうち、涙も出なくなるんだろうなって思う。
ダメなひと
最近きづいたこと。
ダメなひとは、概して、
すごーくスケールの大きい次元こと、か
すごーくスケールの狭い次元のこと、に興奮する。
たぶん、私は8割後者。で、ときどき前者。
全く、バランス良く適度な適応はできない。
ので、後者の人だけで成り立つ世界を探してます。
ちょっと見つかりそう。
忘れてた
このブログの存在をすっかり忘れてましたが、
何故かふと思い出しました。
私はすっかり今の生活のぬるま湯に慣れてしまって
なまけてしまうことが多くなったなぁと思う毎日を過ごしています。
もう少し頑張れるんじゃないかと思っています。
今年の夏、私は新しい経験をして新しい気持ちを味わって、
4キロ痩せました。
久し振りにたくさん泣きました。
秋になって、いくぶん整理がついてしまい、
体重も2キロ元に戻ってしまいました。
ともあれ、
私はより投げやりになってしまっています。
他人に対しても、自分に対しても。
なんかな。
なんか、7月まであっと言う間で、すごく忙しくて、すごく眠くて、すごく楽しい毎日だったな。
疲れちゃって、もういいやーとか思いそうになったけど、もうそういう風になげやりにするのはやめなさい、あなたはもう自分で選んで自分で生きているんだからさって声が聞こえてきて、あぁ、そうだそうだ、がんばろうって思って。
10代のころは無理だったかもしれないけど、20になったぐらいからこういう風に考えられるような生き方を選んでくればよかったなぁと思うときがあって、もうそれは過ぎちゃったことだから仕方ないんだけど、少しだけ後悔してる。私って幼いなぁって。ばかだなぁって。
がんばろうって気持ちが、負けたくないとか見透かされたくないという負のパワーからじゃなくて、自分のためだとか、好きなひとのためだとか、好きだからだとかいう正のパワーから湧き上がるとこんなにも気持ちいいものだとここ1年くらいで知ったのでした。情けない・・・。
■
今年に入ってから彼氏と仲が悪い感じになり、会ったり、話したりすると不快な気持ちになるので、なんとなくお互い無関心の疎遠になった。私はなにも考えず、こんなもんだっけ?と思っていたんだけど、その裏側では、かる〜く浮気されていたのだった。
でも、仲直りした。
仲が悪かったから、浮気されたのだと解釈した。
本当は、浮気されてたから仲が疎遠になったのでは?とも思うけれど。
まぁ、なんでもいい。
ただ、今回はたぶんターニングポイントだったと思う。
二十歳のころから決めていたことだが、
今年は、私にとって答えを出す年だったから。
このタイミングで、こういうことが起きて、この結果になるとは。
人の気持ちは契約できないから
これから先も、不安定さは変わらないと思う。
どんなに約束したって、仲良しになっても、
終わりはいつだってやってきて、それを受け入れない方法はない。
だけど、信じて頑張ることを私は選択したいと思う。
と、いうことで、ここ最近は、彼との未来について具体的に考えて、考えすぎて眠れなくなった。
ある人に、とりあえず行動して、その結果で決めた方がいいよ、と言われて
その通りだと思った。
どうにかなる。どうにかなる。
そのときかんがえればいい。
翻って、
私、個人的には最近いい感じだと思う。
1年半前の辛い日々が、本当に夢だったのではないかと思う。
なんでこんなにいろんなことがいい方向に転がってしまうの?怖いって思う。
なんでこんなにいい人達に囲まれて、よくしてもらえているのだろうか、と思う。
その中に居る私が、その中で笑っている私は、本当の私なのだろうか?これが私なのか?
私は、ダメで、弱虫で、うそつきで、馬鹿だったはずではないだろうか。
それを隠して取り繕って、虚勢を張って、いつかこのままじゃダメになるだろうなって
思いながらだましだまし生きていくのかとずーっとずーっと思っていた。
そう考えると、1年半前の辛い想いのことで、ふっきれて、ずーっとずーっとこのまんま
なんだろーなっていうのが消えくれたのかもしれない。
そのおかげで、何事にも明るく、シンプルに考えられるようになったのかもしれない。
そうだとしたらうれしい。