星からの嫌がらせ

ホントなにやってんだろうなと自分でも思い始めたタイミングで試験が終わってくれたので助かった。何か始めると仕事でもトラブルが起きて二重苦三重苦になりがちなのは何故なのか。私事と同時に仕事のトラブルの方も目途が付きそうなのはなんなのか。そういう星回りなのか。星からの嫌がらせか。壮大だな。なんとなく暗雲を抜けたような爽やかな気分になっているが、トラブル対応のお陰で本来の仕事はまったく進んでいない。
ダイエット食と勉強は両立しない。勉強しているうちに糖が足りなくなって頭がシンシンしてくる。実際に足りないのとストレスを受けて脳が食欲という形で信号を出し、ドカ食いに繋がる。しかし年齢的にそんなに消化できないので食べても食べなくても地獄というにっちもさっちもいかないことになる。そもそも信号が出てからでは遅いんだよな。鎮痛剤は痛みが出る前に飲むとよく効くのと一緒で、一度信号が出てしまってから解消しようとするといったんストレスの原因自体を取り除かないと宥めるのが難しくなる。脳が認識する前に糖を補充してやればストレスを継続しながらコントロールできる。ただそれをやるとダイエットにはならんわな。
そんなこんなで試験が終わった後にはだいたい重たい胃が残される。駄目押しとばかりに試験会場からの帰り足で昼間から中華屋で刀削麺と一緒にビールを流し込んだ。少しぶらぶらして帰宅し、台風前の少し風が強くなった夕方に窓を開けたまま昼寝した。風に吹かれながら寝るのが気持ちのよい季節はわずかである。

ボディバッグ2024

例によってまた鞄を作った。前回が2022年だったので、約2年もったことになるな。前のはざっくりした麻の生地だったせいか、荷重のかかる箇所のカシメがあちこち抜けてきている。

黒っぽい鞄に飽き、季節的にも暑くなる時期で白かグレーかシルバーあたりのボディバッグが欲しいなと思ったんである。荷物を持つのが年々辛くなっているのもあり、歩くたびにぶらぶら揺れるより身体に沿う形のほうが重さを感じにくくて楽なのだ。その時々で変わる荷物はどうせサブバッグで持たねばならんし、毎日持って歩く基本の貴重品類は両手が自由になったほうがいい。

ユザワヤに行ったら白でグレーでシルバーな端切れを見つけてしまった。カーテン生地かな。なんか光ってるしエレガントじゃない? 古いカーテンを解いてドレスを作ったのは風と共に去りぬだっけ。

iPadのメモ帳アプリでごちゃごちゃと手計算しながらパーツを切り出したら1日かかった。

かなりざっくりした織りで端からどんどんほつれてくるので、裏に接着芯をがっちり貼った。

これをこうしてこう縫い合わせたら正三角形のテトラパック形になる。妙なぬいぐるみのような佇まいである。

皮レースベルトをつけてこうなる。三角の頭頂部に革ひもを固定し、左右両方にDカンをつけて、斜め掛けのボディバッグなのでどちら向きでもつなげるようにしてある。

余った側に別の三角の頂点をベルトでつないでいる。説明するとややこしいが、実際はそんなに難しい話ではない。

裏側にスマホ用のポケットを配置。なんか魚のエイの裏側みたいになった。片方は装備すると口が真下を向いてしまうので、実質は一度に片側しか使えない。ベルトを付け替えて左右を入れ替えると反対側を使うことになる。

ぶら下げるとこうなる。ベルト固定の頂点から短いベルトがついた頂点への辺にジッパーがついて開くようになっている。

物を入れてみると意外と容量があって長財布と小物類の他に500mlのペットボトルがざっくり収容できる。ただ不定形というかほぼ頭陀袋なので中身の整理はしにくい。内側にもポケットを3つ付けたが、身体の前にしたり後ろに回したりの装着状況によって中身の向きがあっちこっち変わって難しい。

なんか変わった袋が出来たなぁ。今回は生地もよくある帆布や黒一色ではないし、はたから見たら変な鞄を持ってる人になってるんだろうな。もともとブランド物には興味が薄いけど、それにしても「ちょっと変わってるよねw」「どこで売ってんのw」とか言われてそうである。ま、いっか。楽しかったし今さらだな。

活動量と運動量は比例しない

街道散歩記事を2回連続してあげてしまったが、今年のGWはカレンダー以上に休んだけど他に何してたっけ。なんかだらだらしてたような気がしてよく思い出してみたら、宅内引越ししてバッグをひとつ作って街道を8km歩いてジャケット類を洗ってた。充分、活動的だった。家から一歩も出てない日が複数あった気がするが、インドアで活動していた。よしよし。放っておくと4~5日くらい本当に何もしないで垂れ込めていたりするので危ないのである。でも今回は大丈夫。下駄箱作製には手が届かなかったが。

仕事はいろいろと監査の絡みで二転三転し、なかなかに思い出に残りそうな気配である。また暑い夏がやってくるんだな。

その前に資格試験をまた受ける予定なのだが、全然勉強をしていない。GWこそ勉強すべきではなかったかと思い至るもののあとの祭りである。しかし私はいつまで試験を受け続けるつもりなんだろうな。ライフワーク? 職業柄あったらいいなという資格が多いだけで資格マニアなわけではない。重ねていうが好きで受けているわけではない。確かに若干楽しんでいる節はあるが、どうせやるならいやいややるより積極的になったほうがマシな部類の事柄だからだ。もちろん給料に資格手当もつく。

あとねー、ものによっては会社に何名の資格保持者がいるかで入札資格が変わってくるんで、資格取得に積極的だと社内評価に繋がりやすいんですよ。社内政治とか繊細なことやれないんで、出来ることを増やし外から評価を引っ張ってくることで強引に壁をぶち壊すスタイル。ここで生きることを承認せよ。

 

東海道を歩いた(品川~日本橋)

去年のGWから始めた東海道を歩くシリーズ、連休なんてどこ行っても混んでるし高いし、なんて理由で始めたのだった。今年も同じ理由が浮上するわけだが、しかしこないだの続きだと今度は江の島あたりなのでむしろ混んでる観光地である。ふむ、そういや最初に歩いた時は途中から途中までだったので品川までしか歩いてないんだよね。東京側を補完しておくか。去年の終着地点は品川本陣の聖蹟公園だったので、京急本線の新馬場駅に降り立った。

駅を出たらすぐにこんな看板があった。北馬場町

そして品川神社

正徳寺。

始点に辿り着く前にチェックポイントが次々と現れる。

はい、ここが品川本陣跡、聖蹟公園。去年の終着点である。

そこから旧東海道ルートへ抜けると、あ、こっちが入り口だったのね。1年越しで知ったわ。

虚空地蔵。厨二心がくすぐられるネーミングである。

この辺は街灯デザインが旧東海道推しの商店街となっている。

東海道品川宿の石垣の石。

袋井宿の街道松 三。

台場横町の看板。

問答河岸跡。問答河岸とは

問答河岸は、かつて北品川の海岸にあった波止場の名前。三代将軍徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵和尚がこの辺りまで出迎えて禅問答をしたという話が『徳川実記』に記載されています。家光の「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」という問いに、沢庵和尚は「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」と答えたと伝わります。

問答河岸の碑 | しながわ観光協会

八ツ山橋のあたりに品川宿の案内看板があった。歴史を意識したデザインですな。

八ツ山橋は鉄道線路の上に渡された陸橋で、初代ゴジラに壊されたらしい。

陸橋を超えるとこんな幹線道路、国道15号線になる。

品川駅の前を通り過ぎる。

今度は高輪海岸の石垣石。

チェックポイント高輪神社。

道すがら、こんなのがあったので階段を上ってみると

立派なお稲荷さんが鎮座していた。

四十七士で有名な泉岳寺

天保7年築造の中門には素敵な階段があった。立派なお寺さんでトイレとベンチがあり観光客がまったりしていた。

チェックポイント高輪大木戸跡。ここが江戸と外の境目で、旅人を送迎する宴が張られた茶屋が多くあったらしい。

御田八幡神社。昔は農作物の出来を占った釜鳴り神事は近年は景気の行方を予想するそうな。

札の辻交差点の歩道橋から臨む東京タワー。地名から高札場だったんでしょうなぁ。

田町駅前で待望のお昼。てんぷらの油とめんつゆが疲れた体にしみわたる。出るのが遅れた上に寄り道しまくったので昼食の時点で14時である。今日中に日本橋まで歩けるのか。

田町駅からしばらく北上すると「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 會見之地」の石碑。このへんはオフィス街で両側にビルが立ち並んでいて、もとから江戸市中で都会であったためか格別な東海道の痕跡があまりない。

芝大門

芝大神宮。

道路の反対側から適当ショットの日比谷神社。

新橋駅を横目にとにかく道なりに歩く。

銀座の柳二世。明治時代に銀座通りの街路樹だった柳の木を接ぎ木して保存したものらしい。東京はなんかこういう訳の分からない歴史物があるよね。

新橋の親柱。いまは埋め立てられているけど、ここは昔は二級河川の汐留川が流れていた名残りである。

旧東海道は銀座のホコ天だった。

京橋の親柱。京橋川は江戸時代に開削された人工の河川だったらしい。そういや時代劇では柳が植わった掘割があるイメージがあるね。よく考えたら銀座は銀貨鋳造所だったから銀座なわけで、明治以降の銀座の柳とイメージが混濁しているな。

ずんずん歩いて、あれが、日本橋である。

着いたー! 日本橋ー!

麒麟像。

あれの真下が道路元標か。実物は車がビュンビュン走っている道路の真ん中に埋まっているらしい。

橋のたもとには元標広場があっていろいろ重要文化財になっている。

はー、今回も疲れた。8kmちょっと、脇目も振らずに歩けば2時間程度だが寄り道しつつお昼も食べて4時間くらいかかった。股関節が痛くなりかかっている気配がする。

ビールと焼肉でお疲れさまでした。

東海道の続きを歩いた(戸塚~藤沢)

いままではわりと線路沿いだったので途中リタイヤできる安心感があったのだけど、今回の戸塚-藤沢間は線路が大船を経由しているので東海道ルートから少し離れている。7.7km、googleマップだと徒歩で2時間ちょっとだが、1時間も歩けば疲労が蓄積してペースダウンするものである。それにこういうのは寄り道してなんぼ、楽しくなければ意味がないだろう。というわけで、今回はちゃんと午前中から始めることにして10時半開始である。そんな事情で長いのでお暇なときにどうぞ。

はい、前回の続きから、内田本陣跡。昼飯を楽しみにして歩くよ。

チェックポイント脇本陣跡。

澤辺本陣跡。ここが戸塚宿の中心ですな。

八坂神社。

戸塚宿見附跡。上方のほうだな。

庚申塔があった。

大坂という坂道をずんずん登る。

石の道標が埋もれていた。この大阪を登ると天下の幹線道路、国道1号線沿いになる。

原宿一里塚。原宿交差点の近くである。

浅間神社入口。

これが浅間神社

ここで目星をつけていたとんかつ屋さんでお昼にした。

おろしひれかつ定食。つゆだくなのは意外だったが、これが出汁に油が溶けてとても美味しかった。この日も暑くてこってりソースはちょっとキツい気がしていたのでいい感じに完食。日焼け止めを塗り直して、再び歩き出す。

道路っぱたに唐突な龍長院の看板と石像群。お寺さんはここからちょっと下ったところにあるらしい。

大磯宿まで五里の看板は大磯にあるかまぼこ屋さんのものらしい。

道路の反対側から適当ショットの諏訪神社。太い道路は渡るのも大変なのだ。

それにしてもこんな殺伐とした幹線道路をずっと歩いていると辛くなってくる。心が。

辛くなったので癒しを求めてそこにあった俣野別邸に寄り道した。

なんかもう別天地である。色んな植物が取り揃えてあって庭木の植物園みたいだ。たぶん1時間くらいいた。

藤沢市だよ!

復刻版松並木だそうな。

一里塚(遊行寺坂)跡。いまは軽く切通になっているが、往時の道は高台を通っていたらしい。

またも道路の反対側から適当ショット。このへんの看板はああいう感じか。

軽い気持ちで入ってみた遊行寺清浄光寺)がえらいでっかく立派なお寺さんでびっくりした。私がもの知らずなだけで有名どころだったんだな。

すんごいな。

同敷地内の奥にあった宇賀神社。

なんでしょうかこの極楽浄土感。

あっこれは弁天様のアレですね! じゃあ失礼します! とクレカを洗っておいた。

八重桜と藤棚が満開だった。ここにもたぶん小1時間いた。

道路の反対側からまた別の諏訪神社

チェックポイント藤沢宿江戸見附。

橋を渡ったら江の島弁財天道標。ここで曲がります。

ほぼ同じ場所にチェックポイント遊行寺橋(旧大鋸橋)・高札場。

このへんは旧街道推しの商店街になっていて、人通りも多くちょっと観光地っぽい雰囲気がある。

チェックポイント蒔田本陣跡。

常光寺。

妙善寺。

正宗稲荷大明神

義経公の首洗い井戸があるというのでちょっと路地に入る。

住宅に囲まれた一角だった。

白幡神社。そろそろ疲れて動きが鈍くなってきた。

今日のゴール、チェックポイント藤沢宿京見附。藤沢本町駅のすぐ近く、16:30到着である。この日の歩数は3万歩近かった。

やりきった。頑張った。ビールがうまい。

最近買って良かった調理器具

最近、じゃがいもの千切りに嵌っている。千切りにして炒めてシャキシャキのものを食べたり、小麦粉と粉チーズを混ぜてフライパンで焼いたり、さっと湯がいてシンプルにそのままいただく。味付けは好きにしろ。ザーサイや高菜漬けと炒めるといろいろ捗るぞ。千切りにすることで新たな食感が得られてじゃがいもの美味しさが広がる。

というのも、ちょっといい千切りスライサーを買ったのだ。

人参や大根を千切りにするために、以前は千切りピーラーを導入してみたりしたのだが、使い方が難しくて最後の方が切れずに折れてビラビラが繋がったフリンジのようになったり滑って手を切ったりしていた。かといってスライサーは薄切り用はいいけど、千切り用は力が必要でつるっと滑ったら怪我しそうだよなぁと躊躇していたのだが、思い切って使ってみたら最近の切れ味のいいやつは凄いね。いうほど抵抗なく切れてピーラーより力が入りやすいので作業が楽だ。手を切りそうなのはそのままなので、樹脂のトゲトゲがついた指カバーを併用している。

大根人参の千切りサラダは言うに及ばず、じゃがいもだけでなく牛蒡をこれで千切りにして金平を作ると口当たりがふわっとした不思議な食感になる。切り方で口当たりが変われば味の感じ方も変わるのだ。

買ってよかった調理器具といえば、最近の出色は千切りスライサーと柑橘類剥き器だな。

1年位前からなるべく果物を食べるようにしている。生野菜サラダのような感覚で果物にシフトしており、大型の柑橘類も当然食べたいわけだ。しかし中の薄皮を剥くのに爪を立てたり端っこを歯で食い破ったりしていると潰れるし手も顔もべたべたになるしで買うのを躊躇するくらい面倒くさかったのだが、これでピッと切ってしまえばあら簡単。剥く手間を軽減したことでしょっちゅう食べられるようになった。いろいろ食べ比べた結果、甘みが強いものより爽やかなほうが好みで八朔や河内晩柑あたりが好きだ。普通にバレンシアオレンジもいいね。

東海道の続きを歩いた(東戸塚~戸塚)

保土ヶ谷~戸塚の途中でへばって東戸塚で帰った前回の続きからである。

壱八家のラーメン

東戸塚の駅前で、まずは腹ごしらえ。

川沿いの道

ここら辺から前回通った道に合流。

東海道の標識

このへんはこういう看板が出ているのだな。東海道の表示関係は地区によってスタイルが変わる。

川に桜っていいよね

ここは桜並木だったんだねぇ。前回と違って今回は満開だ。

海道橋標識

チェックポイント海道橋。

謎の機械

生コン工場の向かいにあったこれは何だろう。

ルート案内看板で道を踏み外していないことを確認する。

神社の看板

なんか神社があるみたいだから寄るかーという軽い気持ちで脇道に入ったらどこにあるのか右往左往してしまった。

あっ、こっち?

人様の家なのであんまり言えないが、掻き分けたら矢印があった。

鳥居…?

辿り着いた瑞穂神社。鳥居ではなく木の間にしめ縄が渡してあった。

瑞穂神社本殿

こざっぱりしていい雰囲気の神社だった。境内にベンチがあったので小休止。

チェックポイント不動坂。

壁の厚さが1mあるらしい

日本初の国産ハム発祥の地、鎌倉ハムの倉庫。今は使われていないらしい。

この橋は渡らない

元舞橋。ここで右に折れる。

渡るのはこっち、五太夫橋。

江戸方見附跡。イオンの駐車場の端っこにあった。

見落としそうな標識

吉田一里塚跡は戸塚一里塚ともいう。ゴミ置き場の目印のようになっていた。

現地

吉田大橋を描いた浮世絵がこちら。

同じ構図?

浮世絵の現状がこちら。

花見日和

吉田大橋がかかる柏尾川も桜が満開だった。

こっちだよ!

戸塚駅前は大踏切デッキが東海道である。

このデッキを降りて向こうのデッキにまた登る。現代の東海道は複雑化していた。

カラフルマンホール

東海道を駅伝が走るマンホール。あ、合流地域なんすね。

今日のゴール

内田本陣跡で今日はゴールする。

トツカーナの中で水分と糖分補給して電車に乗って帰る。

次の戸塚~藤沢は7.7kmあるんだが、線路から離れた区域になるので途中リタイヤがし難い。我々のように散歩がてらで気まぐれに寄り道しながらの軽いノリでやっていると痛い目を見るかもしれないので、次はちゃんと計画的に朝から適宜休憩を挟んで進行せねば。

疲れた身体に寿司が沁みる

デパ地下の寿司で反省会をしたのだった。