ダノンビオは特別らしい

しばらくガス腹が悩みだったところに、ダノンビオは特別らしいと聞いてチャレンジしてみた。ヨーグルトはプレーン派で、気が向いたら果物を混ぜたりするほうである。なんなら塩味できゅうりを和えるのも好きだ。トルコのほうの食べ方らしいね。いまぐぐったらヨーグルトとキュウリの冷製スープなんてものが出てきた。今度やる。

www.tkjts.jp

それはそれとして、ダノンビオである。胃酸に負けない強い菌が入っているのだそうな。ビオじゃないダノンは普通のヨーグルトなので違う。

上手くリンクカードが出ませんな。ダノンビオサイトは以下。

https://www.danone.co.jp/bio/

例によって気軽に人体実験である。

1日目

夜に食べたら気絶するように寝た。関係あるのかどうかはわからない。翌日なんとなく下腹が平らになった気がする。

2~3日目

食べると胃がきゅっとして重苦しくなる。残念だが身体に合わないのだろうか。

4~5日目

4個パックなので最後まで食べたら平気になってきた。悪足掻きにもう1パック買って5日目の今日はなんか胃が軽くて調子いい…? なんなんだ、腸の調子以前に胃で胃酸に強い悪玉菌vs.胃酸に強いBE80菌のミクロの戦いが繰り広げられてたのか?

6~7日目

お通じは若干詰まり気味なような。一方で効いてる感じがするのは生きる意欲が湧いてくるとこかも。なんかアレコレやりたくなるし、出掛けられるし、SNS見てても好意的に面白がれる。全体的に機嫌が良い。仕事が忙しいのは相変わらずだけど合間に楽しみを見つける気力がある。これがいわゆる体調がいいという状態なのかもしれない。

9~11日目

腹調子がここにきて大開放。ついに腸まで届いたか。腸の蠕動運動がちゃんとしてる感じがする。ガスが溜まってるとふかふかして上手いこと力が伝わらなかったのかもしれない。

12~14日目

またなんか詰まり気味でガスっぽくなってきた。大丈夫かビオ、負けるなビオ。しかしなんか知らんがやたら頭が回る。ハムスターの車輪のようにカラッカラ回る。

15日目

そしてまた大解放。4個×2パック、6個×1パックの実験が終わったのでちょっと止めてみる。1日多いのは途中で1日食べ損なったからである。

休止1~4日目

急に調子が落ちたりはしないが、なんか食べてたほうが調子が良いんだよな~という気持ちにはなる。そこはかとなく。

 

ブルスカでも書いたが、ダノンピオはそのへんのスーパーで売ってるし、おうちコープでも取り扱いがあるし、4個パックで200円程度と別に高くはない。骨粗鬆症予防に積極的なカルシウム摂取を推奨される年齢ではあるので、毎日乳製品を取り入れるのに苦慮するくらいならダノンビオを習慣化するのもアリだな。なにより頭の調子よくなるのが、効果がありすぎて若干怖いけど代えがたいものがある。自分を取り戻せた気分になって人生が楽しくなるから。なんだか危ない薬のようだが危なくない発酵食品である。‥‥だよね? ちょっと自信がなくなってきた。最近、ここの更新頻度が週1から週2になっているのも、その効果なのだ。

そんなわけで、最近は夕食に果物とダノンビオが追加されるようになった。ますます食事の量を減らさないと計算が合わなくなるなぁ。

他人の趣味は他人の宗教

そういや「女の趣味は男の影響」ってな与太話を真顔でのたまうおっちょこちょいもいるねぇ。どうでもよすぎて鼻で笑っちまうけども、でもまあ確かに近くにいる人の影響は受けないわけもないよね。

映画を映画館でちょいちょい観るようになったのは熊の影響だな。それまではレンタルビデオ派だった。VHSテープを借りてきてひとりで夜に観るのは割と好きだった。田舎にいた頃、近所の大きめな本屋の一角でビデオレンタルもやっていて、場所柄か品揃えがそちらに偏っていたせいで往年の名画に凝ったことがあった。1990年代に20代だった私は1940~70年代の映画をそれなりに観た。感銘を受けたのはカサブランカと第三の男で、ストーリーが陳腐でも見せ方が上手いとこんな情感豊かに面白くなるんだなぁ、などと非常に不遜なことを考えていた。同時期にひとりで映画館に行くことを覚えて何本か観たっけな。理由は何であれあのときに履修しておいたお陰で今は映画オタクである熊の話にもそこそこついていけるので、怪我の功名というものである。あ、インド映画は完全に熊の影響です。

クラフトビールを飲むようになったのは熊が凝り始めたのが発端だが、自分も酒呑みだし一緒に楽しんでいるというのが実態だな。それに付随してザワークラウトやらソーセージやらレバパテやらヨーロッパ的な食のバリエーションから、燻製に凝り始めたのは確かだ。ピクルスも普通に作るようになったし、塊肉を塩漬けにして熟成させるのも当たり前になった。

本を読むのは家庭環境のお陰かなぁ。父はあまり本好きという感じではなかったが、母が読むのが好きだった。きょうだいも本読みでそれぞれが微妙にジャンルがずれているので長じてからは各自が買った本が家中に溢れてひと部屋をまるまる本部屋にした上で各自の部屋にも本棚があるというありさまだった。それを普通にして育ちストレス解消は好きな本を読むことというくらいの勢いだったので、本棚がほぼない家があると知った時はなにをして日々の時間を過ごしているのか単純に不思議だった。熊は元はSF読みで私はオールジャンルの古典寄り。SFに関しては熊のほうが断然詳しい。ラテン文学は私が好きだったのを熊も嵌って今では私より読んでるんじゃないかな。日本文学も読みますよ。お互いの好きなジャンルがずれているお陰で本の貸し借りが行われた結果、お互いに影響を及ぼし合っている。

車の運転は田舎なので必要だった。30歳過ぎまで地元にいて当たり前に車通勤していた。強いていえば苦ではなかったので適正はあったんだろう。免許を取って四半世紀、いまでも仕事で使いつつ連続ゴールド免許は伊達ではない。特別に上手くはないしスピードを出すことにも興味ないけど、最低ランクの軽バン*1からハイエースくらいなら気負いなく運転できる。トラックは微妙。あとMTは教習所以来乗ってない。

日曜大工のルーツは父だな。職業は気がついたら父の仕事と近いことをやっていたし。手芸や料理関係は母。料理上手だったし特に編み物は人に教える腕前だった。しかしなんでもかんでも作るようになったのは、なんでだろうなぁ。母によると子どものころから図工には異常な執着を見せていたらしい。自分では覚えてないんだけどね。三つ子の魂か。誰かの影響だけでこの狂気を続けられるもんではない気がしている。

仲間が楽しそうだと影響されることはあるな。もちろん興味の持てることだけだし、手を出すだけで続かないこともしばしばある。それは生きていれば普通のことだ。あと自分は興味なくとも人が楽しそうにしているのは基本的にいいものだよ。基本から外れるとアレなのは趣味の世界だけではないやね。なんにしても他人の趣味や生活を腐したり茶化したりする奴って、マジでうざったいよなー。そんな性悪なんか放っときゃいいんだよ、楽しんだもん勝ちだよ。

*1:出力もブレーキも弱い、ゆえに周りから舐められて危ない目に遭いやすい、安定性に欠ける、AT車の独特なギア切替のタイミングを読みつつ路面状況を鑑みてスピードを一定に保たなければならない等々、むしろ運転テクニックが必要。

崩壊した裁縫箱を新調した

元の裁縫箱は100円ショップの四角い竹籠に段ボールで中トレイを作って道具を詰め込んでいた。たぶん15年以上そのまま使っていたと思う。経年劣化で竹籠が崩壊してしまったので、いい加減にまともな裁縫箱にしようかといろいろ物色していたのだけど、なんだかんだ手軽なのが良いんだということがわかったのでまた100円ショップでカゴとトレイを買ってきて入れ替えたのだった。

カゴとトレイを買った

木製や金属製だと嵩張るし重い。片手でひょいと持つにはちゃちなくらいがちょうどいいのだな。中身は裁縫と編み物の道具類である。細々と買い集めたといってもこんなもんである。くまちゃんの缶は、使い始めたのは中学生くらいからかなぁ。ファンシー具合に時代を感じるよな。

くまちゃんの中身

中身はフェルトで作った針山と小物類。何故かどんぐりがずっと入っている。つやつやだったので。紙で包まれているのはチャコの塊、小さいソーイングセットに入っていた糸巻き付き針入れ、リッパー、小さいメジャー、指ぬき、紐通し、糸通し、ボビン。特に小さいものはこの缶にまとめている。糸通しは麻糸みたいな太い糸を無理やり縫い針に通すときに便利。普通の縫い糸なら目が見えなくなってきてても勘で通せる。ミシン針に通す時なんか、もうぜんぜん見えてないっす。

トレイ in カゴ

カゴにトレイがすっぽり入ってシンデレラフィットである。ミシン糸の上に直接トレイをのっけちゃえばいいんですよ。

蓋はちりめんの端切れ

そして適当な端切れで蓋をすればOK。これをすっぽり入れる布の袋を作って取っ手を付ければもっといいかもしれない。ガバっと開くやつ。

どうも道具類をしまい込んでしまうと出すのが億劫になるので、ちょいちょい使いたいものはなるべく大げさにせず軽くしておきたい。

ただね、裁縫道具はこんなもんだからいいんだよ。物も小さいしね。問題は大工道具なんだが、これも適当なお菓子の紙箱に突っ込んでいるので、そろそろ限界というか、整理してちゃんと道具入れを買わねばな。道具と資材と捨てる物を分けてちゃんとしよ‥‥うぅ‥‥。

 

たまには音楽の話でもします?

まったく音楽の話をしないが、ひとえに私の聴覚の癖が強くて説明が面倒くさいせいだ。まず中2で止めるまで4歳から10年間エレクトーンを習っていた。確か止めたのはグレードが上がってこれ以上続けようとするとそれ相応のお金と時間が掛かるからという、世知辛いというか世俗的な理由もひとつあったような覚えがある。そんなに本格的にやりたいほど才能も熱意もなかった。他に小・中学校でトランペットとトロンボーンも齧っていた。これは齧っただけだが。こういうと「続ければいいのに」とよく言われるがやるほうは興味ないので、あしからず。

お陰で耳だけは肥えている。コードとか拍子とか調とか、音楽の基礎知識はある。聴いていて微妙に音を外されると黒板を爪で引っ搔いたときのような不快感を感じる。それでいて本人は音感もリズム感も十人並みなのである。演奏する側として才能がなく、聴く側としてもあまり才能がない。なんというか、音程以外にも苦手な音があるのだ。特に人間の声でオクターブ高めだと不快感があって厳しいことが多いが、声楽寄りの声質だと大丈夫だったりする。あれは人の声というより人体が楽器だからな。映画フィフスエレメントに出てきた歌姫の声は好き。でもマリア・カラスは苦手。なんでだ。

短い時間で耳を傾ければ好きなものでも長時間に亘って聴き続けるのは耳がキンキンしてきて無理だったり、外で流れている分にはそんなもんだと諦めがついているせいか音量がデカくなければそれほど気にしなかったり、ライブ会場やクラブのような場所だとそのつもりで行っているしそう長時間ではないので楽しめる。疲れるけど。なにがOKでなにがダメなのか自分でも試してみないとわからないのが厄介で、余計に音楽を聴くという行為が億劫になっている。

楽器を触っていたことがあるからかインストを好む傾向がある。クラシック、ジャズ、ワールドミュージック。どれもつまみ食いで詳しいわけではない。あとこれが一番大きいのだが、そもそも疲れていたり調子が悪いとずっと音が鳴っているのに耐えられないので、本当に調子が良いときしか音楽自体が聴けないのだ。自分で鳴らすのと他人の音楽を聴くのは違うんだよね。そんな器質的な限界があるので詳しくなるつもりもなく、人から薦められてもまず聴かない。

そんな私のいまのフェイバリットアルバムはこれ。

チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトである。この曲が特に好きというより、ベタベタな盛り上がり方をする旋律にやんちゃでピーキーなヴァイオリンがバッチリ嵌って拳を握るスリリングさが好いのだ。

そして最近買ったアルバムはこれ。

Rumble Of Thunder

Rumble Of Thunder

  • アーティスト:The HU
  • Better Noise Music
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モンゴルの伝統音楽×ロックでフンヌ(匈奴)ロックというらしいがジャンルはヘビメタ、いわゆるフォークメタルというやつである。デスボイスではなくホーミーを用い、胡弓・馬頭琴(モリンホール)、3弦のリュート族楽器・火不思(ホーブスー)をロックにのせるのが最高にクールだ。最近のイチオシである。高音のシャウトがないので私でも聴けるヘビメタなのだ。これのひとつ前に買ったアルバムに入ってる曲だが、PVがまたちょうかっこいい。


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あととりあえずブガチャカしたやつは大体好き。

Queens and Kings [Explicit]

Queens and Kings [Explicit]

  • Asphalt Tango Records
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ボーカル曲にあまり食指が動かない特性のせいでワールドミュージックに流れた結果、わりと好むのはこのへんになった。声が入っていてもだいたいおっさんが適当に歌ってる感じなので神経に障らない。ある程度ノリが良くて聴いていて楽しくて楽器の音がする。映画音楽のカバーも面白いよね。

そうかと思うとほぼアカペラなやつも聴く。

チベット仏教の僧侶として初めてグラミー賞にノミネートされたラマ・タシ師の読経アルバムである。たぶん物凄く偉い高僧なんだと思うが、詳しいことはよく知らない。しかし濁声の深い音色は私のささくれた神経に沁み込んでくる。熊は嫌がるが、読経のCDは何枚か持っている。高野山のやつとか。平安時代あたりでは美声の僧侶が人気で法会となると聴きたい人が集まって大変だったなんて話もあり、それは有難い+人気アイドルのライブで大盛況だったのではと疑っている。それくらいのノリで聴いている。

他にジャズも聴く。

Tuesday Wonderland

Tuesday Wonderland

  • アーティスト:Est
  • Emarcy
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手持ちの中では今のところこれが一番楽に聴ける。静かなのからノリの良いのまで聴くが、好むのはどちらかというと古めのほうでフュージョンはよくわからない。私のジャズの入り口は新ルパンⅢ世のテーマだな。あれ単純にかっこいいよねぇ。テーマ曲集の2枚組CDも持っている。A列車も好きですよ。昔、トロンボーンでやったことあるし。

クラシックなら最近はピアノの音もいいなと思うようになってきた。バッハも好きで何枚か持ってる。しかしジャズもクラシックも数が多すぎて深掘りする気にならないんだよね。考えただけで壁の高さにうんざりする。これからも表面的に目についたものをポチポチと摘まみ食いするだけだろう。現代クラシック(語義矛盾)の脱構築はわからん。詳しい人たち同士で思う存分きゃっきゃしていて欲しい。

電子音楽は嫌いではないが聴いて面白いとも思わない。このへんは好みだろうね。

歌詞のテーマ性なんかにはあんまり興味がない。そもそも詩というものを深く理解できない。若い頃は提示された世界観にどっぷり嵌ったりしたもんだが、今は音を聴いて勝手にイメージを幻視するほうが良くなっている。

熊は音楽フリークかつコレクション気質であれがこれがといえばだいたい音源を大量に持っているんだが、聴き比べてみると私は同じジャンルの中でも聴けるものとそうでないものがあり、好むのは更にピンポイントなのだということがよくわかった。ストライクゾーンが猫の額よりも狭小かつ気難しい。もうそういう耳なんだからしょうがない。

トートバッグ2024

ずいぶん前に作ったトートバッグがヘタってきたので新しく作ることにした。

paseyo.hatenadiary.jpブログによると作ったのが2009年だから、えっ、15年も使ってたの?! そりゃ革紐も伸びて千切れそうになるわ。

取っ手が切れそう

くたくた

よく使ったなぁ。この大きさとカジュアル具合が使いやすかったんだな。当時と変わらず作業服+αを持って歩く生活をしているので、代わりのものが必要である。

新旧トートバッグ

ダダダッとミシンで縫って出来たものがこちら。また青い縞々である。狙ったわけではなく、たまたま買い置きの布地がこれだっただけである。本当にテキトーに縫ったので縫い目がよれている。ちと大きすぎたが、まあいいか。ヘルメットも入りそうだな。持ち手は片手で提げて地面に触らず肩に掛けることもできる絶妙な長さに調整してある。

クマー

ちなみに裏地はこれまた買い置きの生地で熊模様である。

死ぬまでにやりたい100のこと

黙祷。

 

さて、よくあるライフハックに「死ぬまでにやりたい100のこと」をリストアップするというのがある。欲望を具体的かつ明確にすることでやりたいと思いつつ日常生活のぬるま湯に浸ってずるずると先延ばしにしてしまうのを止めて1歩踏み出しましょうという前向きな指南なのだろう。

若い頃はまだ時間があると思っていたし将来を見据えて生活を維持するのに必死だったのでそれどころではなかったのだが、そろそろ中年を越して先が見えてきた身として、終活としての100のことを考えてみたらどうだろう。たぶん動けるのは70代まで。とするとあと20年である。それまでに100のことを実行するとしたら年に5個、2か月半にひとつは達成しないと間に合わない。この先何年生きるか、こればっかりは誰にもわからないけども、思い返してみると若い頃はそれなりに大変だったわけで、ここらへんでやりたい放題してもいいんじゃないか。ハタからみるとかなり自由に生きているように見えるらしいので「今よりもっとか!」と突っ込まれそうだが、本人視点では人生の荒波に翻弄されてその時々で溺れないように必死に犬掻きしていたらこうなっただけである。これでも多少は我慢してるんだよ。

そんでやりたいことリストを作ってみたのだが、いざ考えると10個も思いつかない。いやなんかこれは今さら実現不能だろとか、やるとしたら物凄く大変だよねとか、なんとなく明文化するのを避けたい心理が働くのである。小市民が後先考えてしまう。しかし100も案を出すとなるとどんな細かいつまんないことでも逆に実現が無理に思えることでも出していかないと埋まらない。なるほどな、こういうことか。

家をリノベしてみたいなんていう考えただけで尻込みするようなハードルが高い願望に、犬を飼いたいという実現するには考えなきゃならないことが多い欲望、具体的にどうすればいいのかわからん願い事、リスト化するのもバカバカしい細かい希望。腹筋を割ってみたいとすれば地道な筋トレを継続するしかないし、宝くじに当たりたいといったら神頼みするしかなくないか。あ、買うところから始めなきゃならんか。

まあなんでもいいのである。100個となるとこうなる。10個だったら厳選した上にたまに入れ替えも必要になるだろうし、20個だとわりと大きめな目標が揃うことになる。30個なら細かいものが入ってきてと、数が増えるに従って雑多な割合が増える。同時にすべての願い事を叶えなければならないという圧が下がる。一度それらをフラットに並べてみるのがいいんだろう。100のことというのは八百万と一緒で考え付くあらゆること、くらいの意味だな。

自分の願い事を叶えるのって実際のところけっこう大変なんだよね。ものによっては楽しむために特定のスキルが必要になったりするしさ。やりたいことというのはつまりトライアルなので、それなりにハードルが高い。心の準備に時間をかけないと泥縄で始めるにはちと怖い事だってある。気分が乗らない・準備ができてないときにこれを見ちゃうと億劫さが先に立って過去の自分に追い立てられるような厭な気分になる。こう、普段のテンションからシームレスになんとなーくクリアしたいんだよね。我ながら面倒くさい。しかし忘れっぽいんだから気分が乗った時のためにネタを準備しておく備忘録として活用すれば、その場の勢いだけで刹那的に動くよりは後から納得がいくのか。こうしてみると私は「やりたきゃやればいいじゃん!」という段階は破壊突破してるんだな。うん、確かにわりと自由に生きてるわ。それでも先延ばしにしてきたことはあるし、ここらでやり残したことを総浚いして「あとは何?」と確認しておくのもいいだろう。

映画:ARGYLLE アーガイル(監督:マシュー・ヴォーン)


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マシュー・ボーンと書くとバレエの振り付けの人と間違えそうなので、こっちのボーンさんは頭文字Vなのでヴォーン表記にしてみた。キングスマンの人ですな。
ヒロインが細っこくないのがよかったなぁ。前半はいかにもぽやんとしたのんきな人気作家らしい雰囲気があったし、過去を思い出した後のキレのいいアクションにも説得力が出て一挙両得であった。過去作をみると普通に痩せているのであれは役作りだったのかね。アクションは実に様になっていたし運動神経の良い人なんだな。
ストーリーは最初は人気作家のスパイ小説が予言書になっているという荒唐無稽な、しかしどこか馴染みのある不思議設定から始まり、意外にもその理由が無理なく説明されていく。そう、荒唐無稽そうに見えて、意外にも。いやスパイアクションという時点で充分荒唐無稽なんだけども。今までにもありそうな話と別のありそうな話を繋げて、それで事象の理由はシンプルにすんなり説明できるのだ。いっそ構成の美しさすら感じた。アクションはくどいけど。
アクションをただアクションと描くことに退屈さを感じるのか、何かしら捻りを入れてくる監督である。かっこいいだけのアクションは野蛮だと思ってるのかもしれない。今回はスモークグレネードを駆使しての見せ場であった。体術が「舞うように」と表現されることはあるが、ソシアルダンスとアイススケートをそのまんま使うというのはありそうでなかったようで逆に新鮮だった。オリエンタルな踊りならアクションと融合してるのをどこかで見た気がするので、英国やヨーロッパの踊りだからダメってわけではないな、うん。