芸術

芸術家の行く末 - ohnosakiko’s blog
個人的には爆笑問題×坂本龍一は面白かった。こんなにかみ合わないやりとりもあるのか、という意味で。教授が持ってくる音楽を太田と田中は困った顔をして聞いていたし、太田や田中の持ってきた音楽に対して教授は「解らない」「聞いてて辛い」などのコメントをしていた。個人的には、一般的なポップスが「聞いてて辛い」はわからないけど、まぁ私も重金属とか現代音楽(ストラビンスキーは含みたい)は「わからないなー、他の聞きたいなー」って思ってしまうからなぁ。この辺は責められない。
*
私は音楽を演奏する人間だが、端っこも端っこなので、ポストモダンとか芸術とかよくわからない。モーツァルトに近い感覚で、面白い、きれい、素敵、そういうのを楽しんでいるだけだ。ただ、「どうして音楽を演奏するんだろう。私は何を創っているんだろう」ということを考えたことはあって、結局楽しいことを共有しようよ、という結論に落ち着いてしまった。教授も難しいこと考えてないで純粋に楽しめばいいのに、とか思ってしまう。までも、教授みたいな人(挑戦者?)がいないと原始的な音楽からバッハによる整然とした音楽ってのはなかったんだろうな。
*
番組の最後に印象深いシーンがあった。
太田と田中の二人が教授に「戦メリ」を弾いてくれ、と頼む。それを受けて教授は戦メリを弾くのだけど、この人(教授)は、この二人は何が楽しいのか/嬉しいのかわからない、という感じだったこと。ちなみに教授はかなり原曲に忠実に戦メリを弾いていたと思う。それは意外だった。アレンジしすぎると爆笑問題の二人の喜びが減っちゃうかも、って思ったのかどうか。
戦メリは何気にぶつかる音が多くて、わざとぶつけたのは音に意味を持たせてるのかしら、と思った。それは余談。

髪を染めるの件

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1294494.html
あぁ、にちゃんねらって馬鹿というか自分目線でしかものを見てないんだな、がよく実感できたのでメモ。DQNとくっつくかキモヲタにやられてしまうかの二択だったら正直前者一択だと思う。その理由は、より傷つかないように。
女子にとってはかわいく見える/見えないもすごく大事な要素ではあるけど、それって自分の心をちゃんと守れた上での話なわけで、どこで何してようと犯罪に遭う確率が同じなら守るほうにいくと思うのだ。正直、髪の色だけで中身まで判断する人はこちらから願い下げである。

印象操作の話

ノリピーがvelfarreでガン踊りしながらDJしてて何が悪いんじゃ:FLYING COW - DJ Q'HEY blog:So-netブログ
私ものりぴーのクラブでの映像を流しながら、「あの清純派アイドルの裏の顔!」みたいに報じるバラエティ番組に激しく違和感を持っていました。非常に喝采。応援。
私自身はクラブに行ったことがないので何も偉そうにはいえないけれど、ある場所(特に、ちょっと勇気を持たないと行けない感じのする場所だったり、若者が集まる=若くない人が反感を持つような場所)に行く人はすべてそうだ、と決め付ける論調は非常にいかがなものかと思いました。のりぴーに関しては、最初子供を預けたのは「知人」→「愛人」と報じられていた時期があったそうで(母に聞いた)、いつの間にか「同級生の親御さん」になっていて、以前のニュースを訂正も詫びもしなかったのだそうです。その時点でのニュースソースを淡々と伝えればいいのに、そしてその時点で精一杯調べてわかった範囲で伝えればいいのに、カテゴライズというか、色眼鏡で見て決め付けて、というマスコミの一連の流れがとても嫌。

「どんなストレスがあったのだろうか」って、「清純派アイドルはこうなんだ!」って決め付けたあなた方がプレッシャーだったのではないかしら、と思ってしまうのでした。

プロとアマオケ

幻想の3楽章の冒頭の木管ソロ、何か特殊なエフェクトをかけているのではないかと思うほどにベルリンフィルの音は遠くで響き、柔らかい。
比べてアマオケの練習で聞く冒頭のソロの音はあまりに生々しく、幻想というには現実すぎるなぁと思う。うちのオーボエ、けして下手じゃないし、むしろ安定感のある人たちなのにこんなに違いが如実に出るものだろうかと思ってしまう。

全体としての統合:つまり、たてのまとまりとか、ちょっとしたずれを正確に再現する能力とか、逆に弦全体のユニゾンになっても一つの音として聞こえてくるほどの統一感とか、そういうものが秀でていることが一つ。
個の能力の高さ:全体の統合を裏打ちするものでもあるけれど、ソロになったときに正確さと音楽性をもって歌い上げる能力がやっぱり違う。
マチュアとプロはそういうところがまったく違う。

しかしあれだ、ウィーンフィル?ってちょっと思ってしまうくらいにベルリンフィルの幻想は柔らかくてロマンティックでした。

言葉が独り歩きする

「婚活」もそうだけど、「草食男子」も言葉が独り歩きしてしまっている例だと思う。以下の文章を読んでその思いを強くした。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090708/199493/
分かりにくい概念(というか、伝えたいのはその言葉のもう一つ奥にある)のに、そこまで思いがいたらず、もしくは理解できないために自分にとって分かりやすい概念に置き換えて面白おかしく紹介する。もしくは批判する。草食男子もその一つなのだろうなと思う。
また、この文章の中でモノが売れないとか少子化は草食男子のせいとされているが、実態はその上の世代の責任であろうというのも非常に納得のいく話だった。結局多様性が表立っただけなのである。画一性の中で売れていたものは多様性が受け入れられたときには同じように売れなくなる。車が売れないのはそれだけの理由で、その中でどうやってニーズに応えるかを考えればいいだけなのに誰か他の人を犯人にしたいだけなんじゃないかと思ってしまう。少子化については今別の本を読んでいるのでそれを読み終わってから考えたいと思う。
"コメント欄"にある、

深澤さんの、男女の世相に対する見識にはほぼ全面的に同意です。ただ草食男子に限らず、ネーミングという作業自体が恣意的な操作で、現実は常に多様かつ多面的なものです。深澤さんが当初どのような意味で「草食男子」という名称を使ったにせよ、深澤さん自身が、現代の若者の一部をステレオタイプ視する悪弊をメディアに与えた共犯者の一人であることに変わりはないと思います。これはマーケティングに関わる仕事をする人の宿命かも知れませんね。

に全面的に同意。

ネット雑誌拾い読み

http://diamond.jp/series/yoshida/10030/?page=3

 自分よりも職位が上の者には話を合わせるが、下にはめっぽう強い。ときに暴力団口調になるほどの演出ぶりだった。必要以上に自分を大きく見せるという点で、まさに「団塊世代の象徴」だったのである。

団塊世代の象徴、をこう表現してしまって良いものか。
そしてこの怖い連載は今回で終わりであるらしい。全体として、脇を甘くしすぎるな、という警鐘を常に鳴らしている連載だった。この状況は逃げられないな、と感じる人もあれば(その場合、最後にある「このケースから学ぶこと」は自分には難しく思えた)、これは確かに負けるべき人だな、と思わせるケースもあった。要は、本当に「紙一重」なのだろう。常に周りを冷静に見つつ、きちんと自分を守って生きていくのだということなのだろう。大人の社会は怖い。

http://diamond.jp/series/tsuiseki/10008/
したくないのにしてしまう。自分を止めることができない。それはとてもとても苦しいのだろうと想像する。育児放棄をしていたが今はその息子を引き取りたいとしている母親の言葉が怖い。

「不安は息子からの暴力だけ。そうさせないよう、いつまでたっても私の方が上だってことを教えこんでおかないといけない」

親は無条件に上の存在であり、それぞれに個である。当たり前のようにそう考えていたけれど世の中そうではないんだと思わされた。私は幸せなんだなとつくづく思う。

http://diamond.jp/series/marriage/10017/
女性は顔だという。顔なんて生まれ持ってのもので、今から目を大きくしたり鼻を高くすることはできない(いや、整形すればできるけど、整形したらしたであれやこれや言うじゃないか)。けれど女の価値は顔だぐらいの勢いだったりする。理不尽だ。
そこへいくとコミュニケーション能力を付けることはできる。コミュニケーション能力によって(顔を直接見たことは無くとも)相手を魅了してしまえばいいじゃないか、何が悪い、と正直開き直ってしまう。顔で人を選ぶような人間やコピペでメールを送るような人間は大安売りに陥ってしまえ。

一言言わなければ気がすまない

先日目が痛くなったので眼科へ行った。他に患者さんはおらず、眼科医の先生と看護士さんと私と三人でしばし雑談をした。というか、雑談ばかりしていたので、肝心の診断をちゃんと聞くのを忘れた。
お金を払う段になって受付の人に聞く。
「私は結膜炎なのでしょうか」
「先生は」そう仰ってますけど。正確な言葉は忘れてしまったが、何か含みのある表現をされた。別にあなたがそういったよね!なんて言う気はないのに、どうして自分をそんなに過剰に守ろうとするのだろう。

ジェンダーに関するはてな界隈の論議を読んだ。女性側が男性側の論点を一つ一つ論破していくと、男性側はその回答に対してまた一つ一つ反論をした。内容の正否は私には分からないのでURLを貼ることもしないが、その男性側の回答が、なんというか、ちょっとしつこいというか、言われたことにいちいち自分の思ったこと(だったり、正当性だったり)を言わずにはおれないんだな、という感じがしたのだ。
そんな簡単な問題じゃないからジェンダー論があるのだろうというのは分かる。それでも、その中で「私はこう思うから女性は優遇されすぎだ」とか言ってもしょうがないでしょう、と思ったのでありました。おわり。