2024-05-03

 まだ暗いうちに目が覚める。まだ寝ていられるので目をつぶると寝落ちたようだ。気が付いたら5時半になっている。外が明るくなった。
 昨日は何もせずに寝落ちたので、シャワーを浴びたり、歯を磨いたり、何だかんだと身支度。

 窓を開ける。今日の部屋は2階。何時になく低いがチェックイン時にはアップグレードと言われた部屋だ。確かに普段より広かったような気はするけど。
 窓外から見える通りにはクルマやスクーターの姿がまだ見えない。高雄の朝、まだ明けたばかり。
 今日は7時に母と合流。朝食を食べに行く。ホテルに朝食は付いているのだけど、台湾は朝食店が美味しい。母の口に合うか不安はあるが、やはり外に食べに行きたい。
 7時を過ぎてほてるからちょっと歩いた所にある人気の朝食店まで赴く。この時間、通勤が始まっていて、1時間前と打って変わってクルマ、それ以上にスクーターが数多く行き交う。
 市議会の駅からちょっと入ったところにある朝食激戦区。興隆居と果貿来来豆漿。妻と二人であれば両方を梯子するところだが、今日は高齢の母が一緒。さすがに1店に絞り込む。結局、よりあっさり目な果貿来来豆漿の方が良かろうとそちらに足を運ぶ。
 


 湯包を一人一つずつ。鹹豆漿や豆乳を。ちょっと心配した口に合うか問題も大丈夫。むしろ日本の物より美味しいと好評を得る。そして母が食べたいと指名した大葱餅。葱パンと言えば良いのだろうか。これも美味しいそうだ。全部は食べきれず持ち帰りになったけど、台湾のパン、というか小麦製品全般、日本のものより美味しいとの事。
 食事の後は少し歩く。愛河ぐらいまで行くのが手頃かと思い、少々。
 その愛河の河岸。遠目にも目立つ樹があって、近寄ってみる。

 真っ赤な大振りな花が鮮やかに咲いている。後で調べてみるとホウオウボクというらしい。
 先にこの花を撮っていた台湾人と思しき男性に声を掛けられる。片言の英語と日本語でやり取り。こっちの方が綺麗に撮れるよ、なんて教えて貰ったり。

 愛河の河岸を少し歩いてからホテルに戻る。朝食と合わせて小一時間の散歩道。朝食は食べてきたが今日のホテルは朝食付き。コーヒーと果物だけ頂く。
 落ち着いた所でもう少し出掛ける。自分としては今日のメインイベント。ホテルから美麗島の駅まで歩く。

 いつ見ても見事なステンドグラスを見て今日は橙線に乗る。台湾で使える交通系ICカード台北の悠遊卡と高雄の一卡通を両方持っているので、母に貸与。小銭を扱わなくて良いのは台湾ドルに慣れない外国人にこそ、利点が多いと思う。
 橙線で1駅、信義国小駅で降りる。向かった先は、観光客には縁遠そうな場所。

 高雄市新興区行政中心。日本語で言うと区役所だろうか。この2階にある

 高雄市新興区戸政事務所が今日の訪問先。先日来、取得を目論んで来た、祖父母というか、母というか、その戸籍に関する資料を取得するためにやってきた。日本統治下の台湾での戸籍謄本は今も台湾で管理されていて、本人や直系血族であれば申請すれば取得できる。
 母の産まれは高雄では無く、台湾東部、今でいう花蓮県玉里鎮という所。しあkし台湾の戸籍情報はオンライン化されていて、全国どこの戸政事務所でも申請が出来るそうだ。そんな訳で順路にあり、かつ、戸政事務所のWebサイトに問い合わせ用のメールアドレスが記載されていた、高雄市新興区の戸政事務所に連絡を取っていた次第。メールのやり取りで本人、つまり母親が申請するのであれば
・本人的護照 (本人のパスポート)
・日本戶籍謄本,需經我國駐外館處驗證 (日本の戸籍謄本 台湾の在外公館による文書認証をうけたもの)
 があれば良いと確認している。ちなみに直系血族である自分で申請する場合は、
・您的護照影本(經我國駐外單位驗證並加註與正本相符)
 と返事が来ていて、パスポートのコピーを在外公館で文書認証受けないといけないらしい。

 戸政事務所は空いていた。受付に歳の行った案内係がいて、用事を聞かれる。「申請日據時期戶口調查簿謄本」と書いたスマートフォンの画面を見せると分かったような分からないような反応で受付カードをくれる。
 順番が来て要件を伝える。何度かメールのやり取りをしていて、5月3日に伺うと言う事も伝えていたけど、最初は意図が通じない。台湾の身分証明書はあるか?と言う事を聞かれる。勿論台湾人ではないから、そんなものは有していない。妻の片言中国語と自分の片言英語で応戦。次に日本戶籍謄本の中国語訳があるかと聞かれる。これも困ったが、メールのやり取りの最初に必要な所を翻訳サイトを通して訳していたことを思い出す。

戶籍記載的人
名     
出生日期  
父親    
母親    
關係    
狀態資訊  出生
出生日期  
出生地   玉里鎮 花蓮港庁 花蓮縣 台灣(台湾花蓮花蓮港庁玉里郡)
通知日期   

 日本の戸籍謄本には出生地として台湾花蓮花蓮港庁玉里郡としか書かれていない。日本で言ったら「秋田県秋田市」で済まされているようなものである。
 一人で対応していた係員が3人がかりになり、メールのやり取りに思い至った人がいたのか、意図が通じたようで、パソコンの画面で何やら調べ物を始める。そして、3人が笑顔になる。こちらも手応えを感じる。そして何やらプリントアウトされて、A3用紙1枚を渡される。祖父が世帯主として記載されている。どうやら住民票のようだ。交付代金はメールに記されていた通り15NTD。湯包1個が17NTDだから、それよりも安価。
 住民票によると「寄留」とある。本籍を秋田に残したまま、台湾に赴任していたと分かる。祖父が一人、台湾に赴任したのが昭和11年。その後、住所は玉里の中で2度変わっていて、昭和14年に祖母が寄留とあり、この時が結婚した時と思われる。この辺は本籍の謄本を見れば分かるのだろう。その後は住所が変わっておらず、母の口から聴いたことがある玉里の生家はこの書類の中に記載されている住所で間違いないと思われる。
 一仕事を終えて胸をなでおろす。一時はどうなるかと思ったけど、何とかやり切れた。初めて生まれた地の住所をしっかり字面で見た母は感無量という感じ。
 戸政事務所をお暇すると10時半だった。随分と時間が掛かった気がしたが、まだ10時半だった。案外と時間が経っていない。戸政事務所の近くに気になる観光施設があり、見てみる。

 逍遙園とある施設。近付いてみると

 そこには日本家屋がある。1940年に建てられた、というので母と同い年である。見学したいところだが、開園は11時。まだ時間があり、11時までは待てなかった。
 ホテルに戻るべく、地下鉄に乗る。

 最寄駅の信義国小駅にこんな広告。大阪・京都・滋賀とあり、滋賀の景色は京津線浜大津のカーブ。この写真、高雄の人に訴えるものがあるんかしら。
 地下鉄。橙線に乗り一駅、美麗島に戻る。先程の戸政事務所のやり取りですっかり喉が渇いてしまった。


 老江紅茶牛奶でミルクティーを頂く。普段は飲まない甘ったるいミルクティーが何だか嬉しい。
 ホテルに戻ると荷物を括る。高雄のホテル、今日でチェックアウト。移動する。前回の台湾訪問で慌ただしい移動の繰り返しを反省した記憶があるが、今度は高齢の母親を連れて、似たようなことをやる。反省が足りないようだ。
 ホテルをチェックアウトして美麗島の駅から地下鉄、紅線で1駅。

 高雄車站まで来る。ここで母のリクエストが一つ。古い駅舎を見たいという。高雄車站の旧駅舎、記念館になっている。以前、見学をした際に案内係の台湾人に「ありがとう」と言われた覚えがある。
 台鐵の地下化工事は一段落ついているが、高雄車站の再開発はまだまだ続いている様子。

 母が見たいと言ってた高雄車站の旧駅舎も工事中のエリアに入っていた。囲いの外から外観だけを見る事になる。改めて現在の車站に戻ると移動。駅構内へ進む。

 前回の高雄滞在時は確か12:45の自強に乗って台中に向かった。今日乗るのは12:53の431次。南廻線 樹林ゆきとある自強。ホームに降りて大人しく列車を待つ。

 先発の区間車がやって来る。区間車も10年の間に代替わりが進んで、高雄あたりでも真新しい列車が来るようになった。

2024-05-02

 朝の気配に気が付く。時計を見るとまだ5時前。もう少し寝ていても全く問題ないのだが、寝付けなくなる。人の気配もしていて、どうやら母は既に起きているようだ。
 結局、起き出す。昨日の雨は上がったが、外は冷え込んでいるようだ。6時を過ぎて朝食を頂く。出されて食べてばかりで申し訳なく、多少は手伝いたいのだが、手出しするのはどうやら母のお好みではないらしい。気が咎めないよう少しだけ家事手伝い。
 今日からまた予定があるのだが、今朝は時間に余裕がある。少し歩数を稼いでおこうと近所の散歩をしておくべく、妻と出掛ける。この時間、小学生やら中学生の登校時間であった。今日まで平日であったことを思い出す。

 高台からあたりの住宅地を見る。ちょっと歩くとアップダウンの激しい辺りで、尾根道を選んで歩いて行くと、生田かどこかまで行ってしまいそうになる。

 地図をよく見て、実家からあまり遠ざからないよう1時間弱で一周。実家に戻る頃には通学の小学生中学生の姿は見えなくなっている。
 実家に戻って身支度少々。出掛けるのは11時で良いのだけど、ちょっと時間を持て余した。少し早く出る事にする。妻と共に母と3人で出発。最寄駅のバス乗り場で行列に並んで少々。やって来たのは

 羽田空港へ向かうリムジンバス。
 中途半端な時間のバスだが、案外と乗客は多い。下道を延々走り、東名高速に乗ると今度は渋滞。ようやく流れ始めるのは横浜青葉で首都高速に乗ってから。

 横浜を遠くに見て湾岸線へ。この辺りの流れは順調。

 70分程で羽田空港第1ターミナルへと到着する。まだ2時間以上出発まで時間があり、少々間延びするが、やむを得ない。
 時間があるので久しぶりに展望デッキなんて所に行ってみる。

 ちょうどJTAがやって来る。JA348Jって、あんた移籍したの?
 滞在少々。出発階へ戻る。適度に時間はつぶれて

 それでも出発まではあと2時間。搭乗手続きを済ませて保安検査を受ける。少々イレギュラーな扱いの航空券だが、一区間目は特に大きな問題は無く、手続き完了。乗継便の手続きはこの後、となる。
 ラウンジに進む。

 ひとまず昼食としてラウンジの軽食を頂く。
 時間があるし、ラウンジは空いている。飛行機を見つつ1時間少々の滞在。熱心に撮った訳じゃないけど、

 スターフライヤースペシャルマーキング、JA24MCがやって来る。

 手前にJA07XJ。滑走路上にB-KPO。

 JA849Jがやって来る。折り返し121便となる機材。

JL121 JA849J B787-8 HND→ITM

 今日は先程見かけた121便に搭乗し、伊丹に向かう。出発は14:30。20分前を目安に搭乗口へと向かう。

 その搭乗口。まだ準備中との事でしばらく間がある。14:10を過ぎて事前改札。連休後半を控えているためか、お子様連れのお客様が目立つ。その後から優先搭乗。今日は一般会員の母が一緒なのだが、荷物は先に仕舞いたく、自分が全荷物を持って先に搭乗。妻には母に付き添ってもらう。
 B787の普通席、3人掛けに3人並んで座る。前後の座席もほぼめい一杯埋まると14:32、Doorclose。伊丹までの所要時間、45分と告げられる。今日は母に窓側を譲り、通路側は妻に譲り、真ん中席に座る。14:37、Pushbuck。14:42、Taixng。

 飛行機は誘導路を南側へと進んでゆく。滑走路手前で少々緩々となり、先行機の離陸を見送ったようだ。14:57、Takeoff RWy05。飛行機は東京湾上を旋回して南西に機首を向けるとさらに上昇してゆく。冴えない雲が広がる景色の中を東京湾を南西に機首を向けて進む。揺れは無く15:02、ベルト着用サイン消灯。
 母の頭越しに見える空は雲が目立つ。富士山でも見えればと思って右側の窓側席を指定したけど。

 時折消えてくれる雲に期待を込めつつ西へと向かうが、間もなく雲が出て来てどこを飛んでいるか良く分からなくなる。
 飲み物の順番が廻って来る。今日は特に断りは無く。揺れも無いので温かいものを含めた全ての飲み物を提供中。 

 アイスコーヒーを頂くともうフライトも後半に差し掛かっている。15:25、降下を開始し、5分後にベルト着用サインが点灯する旨の案内がある。飛行機は三河湾から知多半島を抜け、降下しつつ西へと向かう。
 15:30、ベルト着用サイン点灯。軽く揺れながらも飛行機は伊賀の山上を越えてゆく。

 窓外の景色が、地上がしっかりと見えるようになる。母が古墳が良く見えると喜んでくれる。窓側を譲った意味がようやく得られる。
 生駒を越えて大阪上空、伊丹空港への最終コース。定刻より遅れ気味。この後の予定が少々気になる所だが、今は気に病んでも仕方ない。大阪上空では遠くに小さく見える太陽の塔にも気付いてもらえた。

 15:43、Landing、RWy32L。減速して誘導路へ。今の時点で定刻から9分遅れている事、お詫びされる。15:46、Spot in SP17。
 降機する。今日はここからがまた、移動。関西空港へ行かなくてはならない。行先はおいおい記すが、伊丹から関空の地上移動を伴う乗継なのである。以前、関空から伊丹の地上移動はやった事が有って、その時の印象で両空港を結ぶバスが1時間に1本ぐらいの割合で走っているつもりだった。だが、航空券を予約し決済してから改めて調べると、伊丹と関空を結ぶリムジンバス、1日4本に減っていた。その貴重なバスは15:35に伊丹を出たばっかり。これは121便が定刻に伊丹に着いても、とてもともても間に合うものでは無く、最初から諦めている。
 そんな訳で、今日は関空まで乗り継ぎを駆使してゆかねばならない。その行程、いくつか調べてみた。
 第一案 伊丹15:50-16:15OCAT/なんば16:30-17:08関空
 第二案 伊丹15:55-16:25阿部野橋天王寺16:47-17:23関空
 第三案 伊丹16:00-16:25ハービス/うめきた16:33-17:23関空
 第一案はラピート。第二、第三ははるかを利用する案。第三案にはハービスのバス降り場からうめきた地下駅の乗換に不安があり、それでわざわざ8分乗換が成立するか、確認した次第。
 飛行機を降りた時点で15:50になっており、既に第一案は潰えている。先日の確認結果から第三案でも問題なさそうとは思うものの、第二案に間に合うならそれが確実。幸い、自分と妻は今の所、二人でスーツケース1つ。母のスーツケースは妻に持ってもらい、未だ健脚の母の脚を信じて気持ち早い目に歩く。勿論、写真を撮る暇はない。まだ阿部野橋行きのバスが動いていないので、自分が先に駆け寄って確保する。乗車券は必要なんだけど、そこはJAL Maasを初めて使って用意しておいた。ギリギリ、バスに間に合う。既に席は殆ど空いておらず、適当に分かれて座る事になるけど。
 バスは阪神高速大阪市内へと進む。その間にはるかの予約も済ませておく。阿部野橋はすぐ近くまで高速道路で引っ張れるからか、距離の割にバスは早い。先程渡って来た淀川を渡ると、中之島へ。先日訪れた台北駐大阪経済文化弁事処を通ると、今度は南へ。阪神高速を降りるともうすぐに天王寺の駅が見える。まだ20分ぐらいしか経っていない。

 天王寺駅前の交差点でモタモタしたが、バス停に着くとまだ16:17だった。1本前のはるかには間に合わないだろうが、新今宮まで急げば、なんば16:30のラピートに間に合いそうな時間だ。さすがに慌ただしすぎ、ここからはギアを下げて臨む。
 20分ちょっとのショートトリップ。今まで大阪に縁がなかった母には良い機会だったようだ。すっかり大阪観光をした気分になっている。名所旧跡など全く見ていないけど、上空から太陽の塔を見たり、バス車内の客層が羽田へのバスと違って柄が悪かったり、そんな所も含めて大阪を見た気分になったそうだ。
 天王寺のはるか乗り場で少々待ち時間がある。

 関西線の普通電車、残り僅かとなった201系を見て

 関空へと向かう快速電車を見送り、

 奈良方面に向かう快速電車を見てから

 予約した特急はるかを迎える。281系HA633編成。気合を入れて指定券を用意したが、車内は空いている。座席を向かい合わせにして、話をしながら特急電車に揺られると、昔々の家族旅行をしているような、そんな気分になる。大阪観光の続きで、仁徳天皇陵が見える、なんて話をしたが、上空からならとにかく、阪和線の線路からだと、住宅の向こうに森が続く感じにしか見えない。
 目の前にいるのは年老いた母と結婚して15年になる妻。この組み合わせの旅行は初めてだが、どこか懐かしさを覚える時間が流れて電車は大阪湾に掛かる橋を渡る。空港に定時到着。
   
 夕方の関西空港。インバウンド客が大勢行き来している。既に外国に迷い込んだような、そんな印象を持つが、まだ日本国内。

 4階、国際線出発階まで来ると更に海外のアウェー感が強まる。そんな中でまずやる事は妻の荷物のピックアップ。先日、空港宅配を依頼していて、自宅からキャリーバックが関西空港に届いている。ここまで2つで来た荷物が3つに増えて、次は搭乗手続き。関西空港からのJAL。自社便は深夜のホノルル行き、バンコク行きのみであり、そのどちらも今日の行先ではない。コードシェア便で予約しているのだが、地上業務はJALが請けていて、鶴丸が制服を着た係員に手続きをして貰える。エコノミーでの搭乗だが、コードシェア便でも上級会員はその通りに扱って貰える。マイレージの会員ではない母の分も含めて、荷物は最優先、ラウンジの招待状と、ファストレーンの利用券も貰える。ありがたい、ありがたい。
 関西空港の出国手続き、物凄い行列と聞いていたが、保安検査がファストレーンのおかげで最小時間で済み、出国審査は外国人向けは大行列だったものの、日本人向けの窓口には列が無い。そう、全く列が無かった。2018年の4月末、夕方の便にのるために関西空港を使った際には、出国審査待ちに並んだ記憶があるが、6年経って、連休に出掛ける人の減った事、減った事。自分たちも出国頻度も出掛ける距離も、コロナ前には戻っていないし、戻れないが、国力の低下を嫌でも感じる2024年の国際空港となる。
 出国信施が終わると制限エリアの中へ。関西国際空港の国際線エリアも改装されている。国内線の敷地を国際線に明け渡し、一番の一等地に出来上がったのは

 免税品売場。国力の衰えた今、せめて海外からの訪日客にお金を落として貰って、と言う事か。
 思いがけず早く出国出来た。まだ出発まで2時間半ある。

 次の搭乗便。20:35の出発。行先は高雄。チャイナエアライン177便。日本航空とのコードシェア便となる。
 なんだけど、まだだいぶ時間がある。

 隣のスポットには19:05に出発する台北行きの姿が見える。高雄行きは19:35に高雄から到着するようで、まだ姿が見えない。
 妻は免税店を見て来るそうで、母と二人、先程招待状を頂いたラウンジに進む。チャイナエアラインが使うKIXアサイドラウンジという所へ。

 文字通り、駐機場が良く見えるラウンジ。比較的小規模なラウンジだが、チャイナエアラインのお客さんぐらいしかいないようで、そこまで混雑していない。

 軽く食事とビールを頂く。ビールサーバのビールが母にとっては何時になく美味しかったようだ。普段の乾杯ではビアタンブラー1杯か、飲んでも2杯目を持て余すぐらいの母が、グラス2杯目を欲する。
 妻が戻ってきて3人でしばらく滞在、台北行きが出発して、残るは高雄ゆきだけらしい。隣のテーブルに座っていた台湾人の2人組に声を掛けられ、記念写真を撮ってあげたりしている間に外がすっかり暗くなる。

CI177/JL5143 B-18106 A321-271NX KIX→KHH

 搭乗時刻は出発30分前の20:05。それに合わせて搭乗口へと向かう。既に搭乗が始まっている。機内へ。先程、ラウンジからちらっと見えた機体。

 機体番号は見えないが、調べてみるとB-18106と分かる。A321はあちこちの航空会社が使うメジャーな機体だが、自分としては初めての利用となる。

 隣には知らない航空会社。香港の新規会社らしいけど、が姿を見せている。

 滅多に乗る機会がないスカイチームメンバーの機体へ。チャイナエアラインへの搭乗は産まれて初めての経験。自分の世代だと、中華航空は定期的に大事故を起こしていて華航四年大限なんて言葉が未だに頭をよぎるのだが、2002年以来、そこまでの事故は起こしていない。2007年に那覇空港B737-800が焼け落ちた時は、死傷者は出ていない。
 今日はエコノミークラスの中程を指定している。事前指定はできなかったが、48時間前から開始されるウェブチェックインで指定しておいた。自分は窓側。1個空けて母を通路側。通路を挟んで妻という変則的な指定。間が来れば残念だが、「確約は致しかねますが、今のところは空いております」との事。搭乗が進み、6割ぐらい席が埋まっただろうか。妻の隣は2席来て、自分と母の間はあいたまま、Doorcloseとなったようだ。搭乗率、60%ぐらいだろうか。日本人の姿はあまり見えず、台湾の方が多くを占めているように見える。中国語と英語で案内。日本語の案内は最低限、自動放送で行われる程度。入国用の書類が配られ、受け取ったりしていると20:23、Pushbuck。20:28、Taixing。

 飛行機は誘導路を北へ向かうと滑走路端に。20:35、Takeoff RWyXX。飛行機は南側から一度北側へと旋回して大阪湾上、高度を稼ぐ。さらに左へ旋回。機首を南西に向けると淡路島に沿って飛んで行く。落ち着いたフライトだが、ベルト着用サインが消えないままに時間が流れる。どこだろうと位置情報を出してみると

 既に高知上空まで来ている。
 ベルト着用サインは点灯したままだが、機内サービスが始まる。ビジネスクラスとの間、カーテンが閉じられるとワゴンが動き出し、前の方から順々に機内食が配られる。順番が廻って来ると「チキンライスorポークパスタ」という二択。ポークパスタなるものが何かさっぱり想像が付かないので無難なチキンライスに逃げる。周りのお客さんも圧倒的にチキンライスの方が人気だった。
 そのチキンライス。

 こんな感じ。

 メインのチキンライスは唐揚げ弁当という雰囲気。

 サラダとして生春巻き。

 フルーツと

 デザート。

 飲み物として台湾ビールを頂く。
 ちなみに妻はポークパスタに挑戦したそうだ。ポークの正体はベーコン。炭水化物過多ではあるが、そんなにゲテモノではない。
 21:28になってベルト着用サインが消灯する。飛行機は九州上空まで来ている。位置情報を見ながら南西へ。台湾へと続く島の羅列よりも西を飛んで行く。

 食事の最後にコーヒーを頂く。コップのデザインはポケットモンスターであった。今日はスペシャルマーキング機ではないが、ポケモンアライアンスメンバーらしい対応となる。
 機内、減光。暗くなる。時刻は22時を過ぎている。22:02。ベルト着用サイン点灯。まだまだ高雄は遠い筈だが、大人しく寝ていなさい、と言う事かも知れない。モニタに映る位置情報を見てうすぼんやり過ごす間に、飛行機は沖縄本島の遥か沖合から先島諸島へ。そして台湾上空へと差し掛かる。

 23:05、機内の灯りが戻り始めて明るくなる。23:17には着陸態勢に入る旨の案内。これは日本語でも注意喚起があったのでさすがに分かる。 

 窓外に街明かりが見える。台南のあたりらしい。一旦洋上に出てから左に旋回。高雄への最終コースとなる。23:24、Geardown、窓外に高雄85のシルエットが見えて、23:27、Landing RWy09。
 飛行機は減速して誘導路へ入る。沖留めのスポットにFAT、遠東航空のMD-83らしい機体が見える。運航停止から5年が経った筈だが、まだ機体が残っていたいのか。
 23:34、台湾の時間で22:34、Spot in SP23。準備が整い降機する。むわっとする空気感はないが、大阪の空気とは違う空気に襲われる。

 乗って来たCIの機体を撮っといたが、その向こう、遠東航空の尾翼がちらっと見えている。
 乗って来たCIの機体を撮っといたが、その向こう、遠東航空の尾翼がちらっと見えている。
 東京羽田を発って10時間近く。ようやく今日の目的地、高雄に着く。今日の航空券、羽田-大阪-高雄と言うもの、何故か、東京発にするとチケットが安く、関西発で調べると東京発より1万円程割高になるという不思議航空券であった。時間が掛かり、かつ到着も遅くなった事は気がひけるが、ひとまず母には大阪を楽しんで貰えたのは幸い。
若干早着したが、とはいえ、台湾時間でも23時に近づく所。幸か不幸か、客層は台湾人が多く、日本人は少なかったようで、入国審査の外国人窓口は空いている。速攻で入国できる。荷物もすぐに出て来る。チャイナエアラインでの搭乗だが、JALの上級会員資格が効いて、最優先で荷物を預かって貰っている。

 23時前には制限エリアの外へと出る事が出来た。想定よりもだいぶ早い。
 数日台湾で過ごすための準備としてまずは両替。昨年に来た時よりも日本円が弱くなっていて、1万円札は2000台湾ドルにしかならない。1NTD=5JPYはとうとう大台を割り込んだ感がある。
 ついで前回11月に美味しい思いをした

 個人の訪台客を対象としたくじ引きに参加しておく。今回は3人とも外れ。早々幸運は訪れない、と言う事か。
 時刻は23時。日本時間なら日付が変わる所であり、いつもなら寝ている時間。まだ地下鉄は走っているだろうが、ホテルまでタクシーで急ぐ。高雄の街は空港と市の中心が近くタクシーを使ってもさほど懐は痛まない。待たずに乗れて15分程でホテルに到着。美麗島の駅、六合夜市の近く。高雄で時折泊る我が家の定宿のような所である。
 ホテルにチェックイン。部屋に落ち着くと23時半近い。実家を出てから12時間以上。長々とした移動もようやく終わる。近くのコンビニで寝酒にビールを買って部屋で頂くと早々に就寝。

サイトアップ アクセスカウンタ

 サイトアップはお休み
 アクセスカウンタは機能せず
 万歩計は17,417

2024-05-01

 遠くで目覚ましが鳴り出す。普段よりも少々遅めの5時過ぎ。連休の谷間に3日ある平日だが、今日から弊社はまた休み。今日から改めての6連休となる。
 妻も起きだしてきて支度を始める。自分の支度は簡単なので、時間を持て余す。ちょっと歩数を稼ごうと近所を歩いておく。時間に限りがあるので琵琶湖岸を小さく廻る。

 この時間、雨が降りそうで降らない。微妙な天気。琵琶湖は灰色。空も灰色。叡山も雲に見え隠れ。不穏な雰囲気が漂う。
 和田浜に出て湖岸道路の西詰から膳所城址公園へ。自宅に戻ると20分ちょっとのコース。自宅に戻ると7時前。間もなく出掛ける時間となる。スーツケースは2人で1個。降らなそうで微妙に降り出した膳所の街を駅まで歩く。
 膳所の駅に7時半。案外と通勤客がいる中、12両つないだ東海道線の普通電車に揺られる。先週、大阪まで行った時と同じ時間だ。先週よりは空いているか。先週は大津で外側列車線を行く新快速と相互接続だったが、今日は新快速が停車するよりちょっと前にこちらのドアが閉まる。これが本来のダイヤか。
 逢坂を越えて京都まで。今日は八条口まで出て、 

 リムジンバスに乗る。普段よりも遅い時間のバスは半分ちょっとの乗り具合。平日8時の京都市内、道は流れていて10分ちょっとで名神高速に乗る。高速も流れていて休日と同じく45分で伊丹空港到着となる。

 伊丹空港も想像以上に空いている。連休の谷間で観光客は少ないし、連休の谷間で出張客も少ないのであろう。土産物を買うために早めに出てきたのだが、人気店にも行列が無く、拍子抜けしてしまう。
 荷物を預けてラウンジに進む。時間に余裕が出来て、まだ1時間以上ある。

 空港同様、いやそれ以上にラウンジは空いていた。9:30の羽田行きが搭乗開始となったからかも知れないけど。
 ひとまずここまで朝食を頂いていないので

 朝食を。まだ小一時間ある。ここまでの京王線恥辱を進めておいて、あとは窓外を行き交う飛行機を眺める。先日滞在した福岡空港の多士済々な様子を見た後での伊丹空港。ちょっと物足りない感は否めない。 

 JA214Jが降りて来てスポットへ向かう。

 JA247Jが離陸してゆく。

 JA847Aも離陸。
 そんなところへ着陸機が来て、目の前のスポットへやって来る。

 羽田からのJL107、17番にSpot in。ほぼ定刻。機体番号を確認すると

 JA603J。入れ替わりに18番スポットからは

 JA602Jが出発してゆく。一頃少なくなった東阪線のB767-300ER。1月にJA13XJを喪ってから、機材繰りがタイトになったように見える。

JL112 JA603J  B767-300ER ITM→HND

 今日はこの後、羽田に飛ぶ。先程到着を迎えたJA603Jの折り返し、JL112便に乗る。出発は10:30。20分前を目安に搭乗口へと赴く。

 搭乗開始まで少々間がある。普段の平日ならば、優先搭乗の行列が長くなる所だろうが、今日の行列はごくごく短い。その代わりに待合室の椅子はあらかた埋まっていて、結局、優先搭乗を待ちきれずに並ぶ体裁になる。
 搭乗。機内へ進む。空港に着いた時点でクラスJにも余裕がある程度の予約状況。搭乗が進んでも、機内、中央席は埋まらない程度の乗り具合である。
 10:29、Door close。羽田までの所要時間は45分との事。途中、前線と雨雲の影響で揺れが予想される旨、情報が添えられる。
 10:34、Pushbuck。10:40、Taixing。雨が降る中を飛行機は南へ向かう。滑走路端で少々待たされた後、10:48、Takeoff RWy32L。

 水しぶきを上げて滑走すると途中でふわりと浮き上がる。上空、左に旋回しつつ上昇。

 すぐに窓外の景色がはっきりとしなくなり、雲に隠される。幸い揺れは大したことなく、穏やかな上昇。10:54、ベルト着用サイン消灯。

 地図上では伊賀の山中から伊勢へと抜けるコースを辿っている事は分かるのだが、今日の日本列島、何処まで行っても分厚い雲に覆われた景色が広がるだけ。
 飲み物のサービスが始まる。ワゴンが廻って来る。断りは無かったが温かい飲み物は提供を見合わせたようだ。その代わりではないだろうが、アイスコーヒーがワゴンに見える。5月1日から提供だっけ?ちょっと早い気がするが、頂く。
 
 夏の味わい、夏も近づく八十八夜のその日から頂く事になる。冷たさと香りに体も心も引き締まる。
 11:06には降下を開始する旨の案内がある。まだ浜松上空。羽田まではだいぶ距離がある、筈。

 一瞬、上空に青空が広がったが、11:10、ベルト着用サイン点灯。すぐに青い空は消える。灰色の世界が広がる中を行く。スポイラーが立ち減速すると少々揺れ。スポイラーが引っ込むと揺れも大人しくなる。その繰り返し。

 雲の中にはいったようで外の景色が全く分からないまま、房総半島を北上してゆく。そのまま東京湾上へ。ようやく地上が見えると川崎の工業地帯が見えるような所まで来ている。
 11:30、Landng、RWy34L。

 雨に濡れる滑走路、一気に速度を落として誘導路へ。途中、少々止められた後、改めて移動する。11:42、Spot in SP16。
 準備が整い降機する。

 東に来ればまだ降り出していないかと思ったが、結局、この時間の東京も悪天の始まりであった。この先の行程に少々影響が出るかも知れない。
 預けた荷物を受け取ると12時を過ぎる。今日は新宿に行くべくバスに乗るのだが、次のリムジンバス、12:05。かなりギリギリに飛び乗る事になる。7割程度埋まったリムジンバスで首都高速を北上。中央環状線を経由するなら20分少々で新宿だが、今日は何があったか都心環状線経由だった。新宿まで30分少々。

 京王百貨店前に降ろされる。この時間の新宿も雨が降り出している。
 今日の午後は約束が少々。最初に新宿で妻の義母に会う。食事を兼ねて少々お話。本来なら御実家に伺う方が良いのだろうが、この後の時間にも少々都合があり、来て頂いた次第。

 京王のレストラン街、見事に年寄りだらけだった。平日のランチ時、と言う事を思い出す。
 痴呆症で要介護認定を受けた義父は週2回、デイサービスに通っているそうだ。そのため、平日の昼間は出掛ける事も出来るようになったとの事。母娘の会話に混ぜて貰って1時間少々。
 新宿で落ち合うのが都合が良かったのだが、食事が終わるとなかなかゆっくりと話をできる所も無く、そのまま解散となる。もう少しゆっくり話をするには、やはりご実家まで伺うべきだっただろうかと少々反省。
 次いで移動。


 小田急に揺られる、平日の昼間、中途半端な時間だからか、電車は空いている。父の月命日でもあり、父の眠る霊園に脚を運び、手を合わせるつもりだったが、この時間、かなり激しい雨になっている。普段は最寄り駅から歩くところだが、ちょっと大儀だ。結局タクシーを発動して霊園を往復。この先の旅の安全をお願いしておく。
 駅に戻る。

 電車で実家の最寄り駅へ。実家に着くと15時半になっている。15時半だから昼食は関係ない時間なのだが、着いてみるとビールを出され、摘まむものもある。この時間から乾杯となり。続きで夕食まで。
 今日は妻共々、実家に泊めて貰う。朝早かったせいか、割と早く眠くなり22時過ぎには布団に潜る。京王線恥辱を綴るでもなく、早々に寝落ちた。

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2024-04-30

 三連休明け。ゴールデンウイークにはまだ序盤なんだろうけど。世の中は一応、平日。そして弊社は出勤日となっている。あまり必要性は無さそうだけど、5時前に起き出す。何時もの時間に出勤すべく身支度をしておく。外から雨音。窓を開けると少々降っているようだ。
 普段より少し遅れて出勤する。雨は降るとも降らぬともつかない天気。傘は迷って折り畳みを持参。膳所の駅まで向かう途中、 

 京阪電車を見てから東海道線の駅構内へ。連休中、夜を徹して走る貨物列車は無い。上り電車が来て東に。今日は空いている。輪を掛けてバスは空いている。会社に7時。仕事に掛かるが、そんなに忙しくはない。出勤している人も少なく、開店休業みたいな仕事になる。月末の処理とか何とかが無ければ自分も休みかった。
 昼休み、普段埋まる食堂も閑古鳥。時間をずらして空いている時間に食事をとるのが常だが、今日は同じ感じで時間をずらしたら、最後、食堂はほぼほぼ無人になっている。
 午後もまとまった時間を使って月初にやる仕事を済ませておく。今日は定時上がりにする。普段は混むバスも比較的すいている。バスで駅に出ると接続が悪く新快速が無い時間。15分近く待っての普通電車で東に向かう。膳所に19時前。同じく今日、出勤だった妻と合流。

 帰り道、近所の神社に灯りが灯る。膳所の5社祭りがそろそろ近付いている。 
 帰宅すると19時半。夕食と洗濯。その後で荷造り少々。今日は早い目に寝ておく。

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 万歩計は19,035

2024-04-29

 朝の気配に意識が戻る。時計を見ると5時半過ぎ。まだ寝ていても構わない3連休の最終日。何となく寝付けず、結局、そのまま。
 昨日の飛行機雲が物語っていた通り、今朝は曇り空が広がっている。午後からは天気が崩れるらしい。雨が降る前に歩いておこうと思う。炊飯器をセットした後、妻を誘って出掛ける。
 今日も琵琶湖岸へ。コロナ禍でもその前後でも、琵琶湖岸は手頃な散歩コースなのである。

 相変らずの水位がプラスの琵琶湖岸。湖岸の石を水が洗う。
 一昨日、びわ湖ホールまで歩いて戻ったら結構な時間が掛かったので今日は少し手前で引き換える。自宅に戻るとご飯が炊けている。朝食の準備をして朝ごはんを済ませると9時前。
 昨日の京王線恥辱を公開すると滞貨が完全に無くなる。Radikoで深夜放送を聞きつつ過去記事の編集を。

 15年前の過去記事に写真を復活させるついでに、写真を色々と追加する。15年前なんてそんな時間が経っている印象はないのだが、過ぎてみた後で振り返ると、ずいぶんと昔の事に思える。
 午後には雨になるので早い目に歩数を追加するべく出掛ける。連休中で貨物列車が運休続出なので、京阪電車が中心となる。ひとまず

 中ノ庄の近くで1枚。住宅街なんだけど望遠で切り取ると、背景には膳所神社の木立が写り込む。

 今度は中ノ庄の駅に停まる下り電車を。

 ついで粟津2号の踏切で迎える。最近何気に気にしている場所。


 粟津の駅でも少々撮ってから東海道線の踏切際に立つ。時刻は11:40過ぎ。

 普通電車が来る。223系W19編成。

 新快速が来る。225系I6編成。

 1050列車がやって来る。長尺コンテナを満載して東京へと向かう。

 直後に普通電車。225系L10編成。ヘッドマーク付き。
 5087列車は今日から運休らしいし、そろそろ切り上げを考える。石山まで行くと

 京阪電車を。
 そろそろ自宅に戻って昼食なんだろうが、沿線に仰々しい構えの人が目立つようになる。何かあるなと一目分かる状況。調べてみると、今日も9970レが来るらしい。ちょっと考えて膳所で迎える事にする。少々急ぎ足で歩いて膳所駅の手前で待ち構える。少々の間、13時頃、膳所の上り待避線に 

 9970レ、いわゆる米原訓練がやって来る。牽引機は昨日と同じEF65-1128号機。若干本来の停止位置より手前で停車した後、少々間をおいて


 出発してゆく。後から普通電車が内側を追いかけて行き、9970列車を追い抜いてゆく。膳所駅構内で写真を撮った人は、石山へ先回りできるに違いない。
 今日はこのまま帰宅する。昼食を頂き、午後は自宅で。いつの間にか雨が降り始めた様子。夕方まで。
 明日の昼食用のお弁当に使う常備総菜、今週に限って言うと常備総菜である必要はないのだが、適当に仕込んでから夕方、もう一度動く。膳所の駅まで出る。

 この時間、雨が降ってやんだ感じ。その雨が止んだ膳所駅前に京阪電車がやって来る。
 東海道線の構内へ。下りホームで待つ事、しばし。

 9971列車がやって来る。EF65-1128号機牽引。待避線に入るとしばし停車。


 出発までは見送らないけど、待避線に留まる9971列車はを眺めてから帰宅する。自宅に戻ると18時を過ぎた所。昨日よりは早い。夕食を頂いて、今日の京王線恥辱を進める。久しぶりに定時運航を維持する。

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 万歩計は24,366

2024-04-28

 朝の気配で自然と目が覚める。3連休の中日というのか、ゴールデンウイークの2日目というのか、良く分からない日曜日の朝。
 朝のうちに少し歩いておく。7時を過ぎて洗濯機だけ動かしてから妻共々琵琶湖岸へ。

 昨日と違い良く晴れた空。昼間はこの時期らしくない暑さになるらしいが、この時間は涼しいというか日陰だと少々肌寒さを覚える。
 昨日はびわ湖ホールの方まで歩いたので今日は真逆に向かう。

 膳所城址公園の中に入ると木陰で日が遮られ、少々寒い。
 昨日の散歩が妙に遅くなったので今日は心がけて早く切り上げたが、帰宅すると8時。洗濯は終わっており、洗濯物を干すのと朝食の準備に手分けして取り組む事になる。落ち着くと9時。
 今日は午前中、妻が美容室に行くとの事で出掛ける。一人で暫くRadikoのエリアフリーを聞きつつ京王線恥辱の回復運転。落ち着いたところで12時になり、ちょっと写真撮影を兼ねて歩いておく。

 貨物列車は連休期間の運休が目立つようになったので京阪電車がメイン。とは言え5087列車は動いているらしいから、その時間に合わせて


 少しずつ石山の方へと向かう。今日は踏切では無く

 何となく石山駅まで来る。妻とはこの後、膳所で待ち合わせ。なので移動を兼ねて駅構内へ。下りホーム端に立つ。5087列車が通過する時間、何人か撮影者が集まる。そんなところへ

 5087列車がやって来る。EF65-2084号機牽引。連休期間だからか、コンテナの搭載は少な目。空きがだいぶ目立つ。
 一緒に写真を撮っていた人がこの後、訓練が来る事を教えてくれる。今日はいつものDD51ではなくてEF65が先頭に立っているそうだ。お礼を伝えて、さてと考える。妻と待ち合わせが、あるんだよな。
 結局、後の電車で一駅、膳所へ。こちらの下りホーム神戸側端。撮影者が10人ほど。上りホームにも同じぐらいの人がいる。先程、石山で見かけた5087列車が待避線に停まる所に

 上り外側、列車線にPFが姿を現す。 

 9970列車。EF65-1128号機牽引。JR西のPFなんてムーンライト九州に乗った時以来かも知れない。今日は膳所の待避線に入る。多分、そのまますぐに出発なのだろう。
 一緒に写真を撮っていた人達はさらに東にEF65を追っかけるのだろうが、自分は妻との待ち合わせがある。そのまま膳所の改札を出て商店街へ。妻と合流、お昼ご飯を外で頂く。今日は時々訪れるいわゆるインネパ店。ランチ帯に訪問するのは久しぶりかも知れない。
 サッポロ生ビール黒ラベルの大瓶が¥600と膳所界隈で最安値と思われる店だが、昼間なのでビールは無し。セットメニューだけ頂く。

 夜は何を頼んでもサラダが先に出て来るが、昼間はサラダの他にスープも付く。そして

 ナンとカレーのセットメニュー。タンドリーチキンも付く。
 下院のをして帰宅すると14時を過ぎた所。予報通りに暑くなった。湿気がないので過ごしやすい。
 このまま引き籠ると歩数が足りない。貨物列車はあまり動かないけど、少し歩いておく。16時前に家を出る。京阪電車を見つつ少々。

 607-608編成。

 605-606編成。

 703-704編成。

 611-612編成。

 601-602編成。
 時刻は17時になる。ちょっと瀬田川に出てみる。この後、昼間見かけた米原訓練の復路が来る筈だが、まだPF狙いの撮影者は姿を見せない。
 外側の列車線、進行現示になって

 5073列車がやって来る。EF210-148号機の後に続くのは見事なまでのフレームライナー。1個もコンテナの搭載が無かった。
 日の廻り具合を考えて石山駅に戻る。混むかなと思ったけど先客1名。その後もそんなに増えない。
 9971列車が来るまで少々。

 普通電車が来る。223系V60編成。

 新快速が来る。223系W33編成。
 どうでもいいけど

 上空に飛行機雲が目立つ。上空に水分が多い証拠。明日は天気が崩れるようだ。

 夕方になり草津線からの京都直通列車が走るようになる。221系K16編成。そして

 そして外側列車線から石山の待避線へ、9971列車がやって来る。EF65-1128号機牽引。
 待避線に入ってすぐに出発してゆく様子を見送ってから帰宅する。既に18時近い。普段なら月曜日からお弁当の支度が気になる所だが、今日は心配無用。

 京阪電車を見つつ気も楽に家まで。さすがに薄暗くなる。夕食を頂き、一緒に軽く飲み。京王線恥辱の巻き返しはひとまず成功。前日、27日分まで完了する。

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2024-04-27

 目覚ましは掛けていないが目が覚める。時計を見るとまだ5時前。いくら何でも早すぎる。今日は週末土曜日、というか三連休の初日というか。
 二度寝しても良かったのだが、結局眠れないので起きてしまう。昨日綴った京王線恥辱

 追加しておく間に7時近くになる。妻が起きて来る。
 朝食前、少し歩くことにして身支度。7時を過ぎて家を出る。連休初日の朝は曇り空。今月はずっと冴えない天気が続いているが、その流れを断ち切れない週末だ。

 琵琶湖の色合いも空の色合いも灰色っぽい。4月の雨が多いからか湖面は明らかに水位が高い。後で記録を確認したらプラス12㎝で安定していて、しっかり京都に流してやっている様子。
 ちょっと歩く。たねやが出来ると言うあたりの工事現場へ。

 「LAGO大津」という名称が出ている。いつの間にか正式名称決まったのか。

たねやのサイトでも紹介されていた。開業まではあと1年程、らしい。
 もう少し歩く。桜が散った後、咲き始めたのは

 芝桜。4月のこの時期に琵琶湖岸のこの辺りに来ると4年前の事を思い出す。

 外出自粛なのに琵琶湖岸は密、なんてニュースで取り上げられていた辺り。単に望遠レンズで圧縮しただけじゃん。印象操作、と思った記憶が未だに強い。
 びわ湖ホールのあたりまで歩いて引き返し。買い物をして自宅に戻ると8時半過ぎ。結構な時間になる。朝食の後、Radikoで深夜放送を聞きつつ、京王線恥辱を進める。午前中一杯少々費やしてそれなりに進めると、もうちょっと歩くべく出掛ける。
 この時間、曇り空。気持ち雨が落ちて来たような気がするが歩く。


 京阪電車を見つつ石山の踏切の方へ。少し降って来たなぁと思いつつも東海道線を行き交う電車と列車にカメラを向ける。

 普通電車が来る。223系W31編成。

 新快速は223系W12編成で。

 59列車がやって来る。EF210-306号機牽引。
 雨がちょっと強くなってきた。こんな予報だっけと思いつつ待つ。

 普通電車が来る。225系L1編成。

 10分ちょっと遅れて5087列車がやって来る。EF65-2089号機牽引。
 雨が降り続くようなら京阪電車で帰ろうと思ったものの、この期に及んで雨が上がる。ならば歩いて自宅まで。途中

 京阪電車を見て自宅に13時半。この時間から昼食となる。食事の後は少々ゆっくり。15時ぐらいを目安にもう一度出かける。今日は連休初日と言えども普通に土曜日。まだ貨物列車、多少は動いている。


 京阪電車を少々見てから膳所の駅。もう少し遠くまで行くつもりだったけど、案外と時間が押していて膳所で5061列車を迎える。

 EF210-325号機牽引。
 次の列車まで15分。ちょっと歩いて松本の踏切まで。今度は

 8865列車がやって来る。EF66-121号機牽引。後ろに続くのはEF210-140号機。
 ここから自宅に戻ると16時過ぎ。今日はここまで。遅れている京王線恥辱

 先週の土曜日分、ある程度山を越す所まで手掛けてから夕食。一緒に飲み、夕食の後、片付けの後に飲み続行。何となく出来上がり、代わりに京王線恥辱は出来上がらず。持ち越しになる。

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 万歩計は26,323