『とんことり』筒井頼子 作・林明子 絵

『とんことり』筒井頼子 作・林明子 絵


林明子さんの絵の魅力って、もう本当にいろいろな点が素晴らしくて、しかもそれが、だれが見てもわかる素晴らしさだってとこもまたすごいんだけど。
現実の世界から本の中にふわりと降り立ったようなリアルなこどもの存在感も、生活が匂いたつような街並みもほんとに美しくて素晴らしくてため息がでるのだけど、でも一番の魅力は、どのページも、どんな暗いページにも陽の光を感じることかもしれない…と思う。
やわらかくて温かい日差しが、どんなページにも差し込んでいて、いや夜の場面ですら、昼間そこに陽があたっていたことを感じさせてくれるのだ。それを見ることが心をしあわせにしてくれる。


…て思ったんだけど、近代文学館でやっている角野栄子展で『魔女の宅急便』の1冊目の挿絵(1冊目だけ林明子さんが挿絵を描いているもよう)を見ていたら、モノクロの描線の躍動感と力強さと、そのうえでかもしだされる物語性に惹きつけられてしまった。陽のささないモノクロの世界でもこんなにもいきいきとしてすてき。個性が強いのにとにかくオーソドックスで、軽やかな重さがあって、硬くて柔らかくて。とにかくうまい人なんだなあ…

『なかないで くま』

『なかないで くま』フランク・アッシュ 作絵


わあ…この絵本は…好きだ…
心の一番やわらかくて弱いところをきゅっとつかまれる。


よく見ると気持ち悪いくらいの細密画なんだけど、この絵がなければ成り立たない…というか、こんなにも文章と絵が、同じ場所から同じように同じ体として生まれてきたであろうものに、どちらかがなければ成り立たないなんて、そんな言い回し自体がおかしい気がする。


うまいのか下手なのかよくわからないけど、とにかく繊細なくまくんの目の表情やポーズや、背景に書き込まれた文様に、それらが何故こんな表現をされているのか、何故こんな描写をなのか理屈ではよくわからないんだけど、でもそうしなければならない圧倒的な衝動があったのだろうと、これが正解なんだと、絵を眺めるごとに説得されて、胸がしめつけられる。月が欠けていくのを体を細らせてまで心配するくまくんに「ああ、そんなに心配しないで」と心が痛む。だけど、心配する必要はなかったのだと知ってしまったくまくんが、前よりもっとせつない。
誰かのことを純粋に想うこと、その根源的な核の部分だけを取り出してかたちにした絵本だと思う。

すごい一冊だな。

すてきな 三にんぐみ

『すてきな 三にんぐみ』トミー・アンゲラー いまえよしとも/やく


強いなあ…。

三にんぐみのシーンは、ほぼ黒・青・赤・黄の、印刷の基本色(…いや、実際には青というより紺だから、基本色って書くと嘘になるんだけど)のみで表現され、ページは、だいたいにおいて闇の中。

前半、どろぼうのシーン。ここがお話全体をもりあげ読者の気持ちをつかむスリリングなパートになるんだけど、色彩的にも、色の大胆な配置がリズミカルに繰り返されて、文を読まなくとも、絵を仔細に見つめなくとも、色を眺めるだけで気持ちが高揚してくる。

どろぼうじゃない、ふつうの人が登場すると色彩が豊かになる。三にんぐみの生活に指針と希望を与えてくれる少女ティファニーちゃんの登場でどろぼうたちのページも色づき、昼間のシーンも出てくるのだけれども、さいごのページ、三にんぐみがつくった村の描写はやっぱり闇の中。

さいごのページが闇であることによって善なるものだけでなく、弱い心、悪い心に対しても、深い肯定が示される気がするる。
このページの闇を想うことで、自分自身の心も、どこかがほろっと溶けるのだ。

見返しの色が黄色なのにもいいですよね。

こだぬき6ぴき

『こだぬき6ぴき』 なかがわりえこ/なかがわそうや
こだぬき6ぴきと、専業主婦のお母さん、音楽家のお父さん。
子育ての大変さと喜びが延々と描かれているお話。すきあらばとびはねはしゃぎ、いつでも自分がいちばんじゃないと気がすまないこだぬきたち。ふりまわされながらも、叱りったり、おもしろい提案をしてみたり、小鬼のごとく暴れまわるこどもたちをうまくいなす賢い母ダヌキ。素晴らしい音楽家の父ダヌキ。

家のまわりに生えている杉の木にドレミファソラシドと名前をわりふり、その杉の木が家の間取りと共に図で(挿絵で)最初に提示される。そのおかげで、読みながら「ソの木の下で〜した」などという描写が出てくると、それがどの場所なのか思い起こしやすいってところが、わあ、発明だなあ!と思う。
いっぱいに咲いた月見草と桃色の空の表紙が美しくて、とても好き。

ひみつのひきだしあけた? 

読んだ本のメモ。
(主に絵本)


『ひみつのひきだしあけた?』あまんきみこ/やまわきゆりこ

おばあさんの身体の線がリアルの実感がこもっていながら素朴に可愛くて、やまわきゆりこさんの絵のうまさについて改めて考えさせられる。何を描いてもシンプルに可愛らしく、実感がこもっていて、誠実な誠実な絵だ。

部屋の中、なんでもない描写が愛おしい。机の上のしゃしんたて、いちりんのばら、よこに下がったドライフラワー、手提げ袋。
机の横のベゴニア、カレンソウ(?)
こんな可愛い絵がどうやったら描けるんだろう。
家に穴をあけてまで引き出しが伸びていくというアイディアがとにかく秀逸。ひきだしのなかの宝物みたいなガラクタたち。
貝殻、まつぼっくり、民芸品、小さなビスクドール?金時計、クリップ、料理レシピ帳、ボタン、鉛筆。

ロベール・クートラス展 松濤美術館

見てよかった。面白かった。

麻布にある小さなギャラリー(オーナーが、このクートラスについて熱心に取り組んでおられる)で何度か見たことがあって、そのときは、ああ、このひとは自分の作った王国の中に密やかに暮らしているひとなんだなあと思って、とても素敵だけど、ちょっと近寄り難いような気持ちで鑑賞していたのだけれども。
でもこうして、たくさんの作品が一同に介しているのを見てみたら、いや、もっとゆるやかに世界と結びついて、それを楽しむ気持ちのあったひとなんだなあって気がした。小鳥が謳う姿や、酔っぱらいじみた老人の横顔や、窓辺にたたずむピエロのうちに小さな奇跡を見いだして、それをもういちど自分の手でつむいでいくような、そしてその楽しみを見るひとと分かち合い、できることならそれで生計をたてていきたいっていう欲もあったんだろうなっていうような、そういう、きっと本人としては、わりに開かれた喜びに彩られた制作をしておられたのじゃないかなと、なんだかちょっと、今までより楽な気持ちで見ることができた。
けっこう混んでて、そしてびっくりしたのだけれども、無料だった。

「問題のあるレストラン」

「問題のあるレストラン」を、「最高の離婚」が面白かったので見ようと思ってずっと見ていたんです。で、今しがた録画してあった最終回を見終わったのですが、わ、すごい、気持ちの悪い最終回!ちょっとびっくりした。

雨木社長がさいごまでどこからもどこまでも救われなかったの、このひとはこのループの中で生きていくんだってのが壮絶。しかも親からのループで、そのうえ息子にも続きそうだなんて(ちかちゃんが、眠れる森の美女に出てくる魔法使いのごとく、呪いをとくためのおまじないを教えていたけど)

たま子の見た夢が、映画「マルホランドドライブ」並の悪夢のようというか、いやいい夢なんだけど、あんまりにも幸せではかな過ぎてむなしくて、それがまた壮絶だと思った。たま子はこれを夢見て生きているのかと思うと怖いくらいに悲しい。
生きている限りなにかしら問題は起こり続けるし、いつだって本当にはなんにも解決しないし、誰かは誰かを傷つけるし、誰かは誰かに傷つけられるし、そんなのどこにでも転がっている単なる現実で、でも生きていることが奇跡なんだって胸に刻みながら、ふんばって肯定していくんだなあ…


最終的になんかこう…噛んだときにジャリッとなにか(砂とか、土とか、石とか)が口の中に残るようなドラマでした…