25 山川惣治とピンカデリックとプリングルスの筒

2014年3月マ日

 荒井由実の名曲に『海をみていた午後』がある。この歌詞の中に「山手のドルフィン」という店が出てくるが、これは架空の場所ではなく、神奈川県の山手と根岸の間に実在するレストランだ。中川右介の『角川映画』を読んでいたら、そのドルフィンのオーナーが山川惣治だという記述があって飲んでいたお茶を吹きそうになった。そう、あの『少年ケニア』の山川惣治である。

 紙芝居作家だった山川は『少年タイガー』を大ヒットさせたあと、同じく紙芝居だった『少年王者』を集英社から単行本として刊行した。その大ヒットが集英社の漫画出版事業の基礎を築いたとされている。一時は長者番付で画家部門の1位になったこともある山川だが、漫画ブームの波に押されて時代遅れの絵物語は衰退。山川は絵描きとしての第一線から身を引き、山手に「ドルフィン」を開業したという。

 ぼくは山川の代表作『ノックアウトQ』や『少年ケニヤ』に親しんだ世代ではないが、80年代にはいくつかのカルチャー誌で山川惣治特集が組まれるなどして再評価の動きがあり、それらの記事で存在を知った。いや、それにしても『少年ケニヤ』の世界とユーミンのハイソな世界が繋がっているとは、まったく思い寄らなかったな。

 

2014年3月ニ日

 両国のRRRにて開催中の根本敬さんのレコジャケ展。会期終わりのギリギリに滑り込みで見に行ったら、まだこんな素晴らしい絵が残っていたので、すかさずお買い上げさせてもらった。ファンカデリック meet's ぴんからトリオで、ピンカデリック。

 これまでにアーティストの絵(原画)を買ったのは4人だけ。とりいかずよししりあがり寿横山裕一、そして根本敬。我ながらいい趣味してるなあと思う。

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2014年3月タ日

 うちの店の壁面本棚は、上の空間が空いている。まあ、そこにも本を並べるとか、在庫を置くとかすればいいのだけど、なんだかそれではありきたりすぎておもしろくない。そこで、仕事しながらちょこちょこ食べているプリングルス(舶来の成形ポテトチップス)の空き缶を並べておいたら、カラフルで、バカみたいで、いいのではないかと思った。空っぽの筒でしかないけれど、ひとつ10円とか値段を付けておいたら物好きが買ってくれるかもしれない。

 マニタ書房の近所にはヴィレッジヴァンガード(通称ビレバン)があり、あそこは日本のOEM生産ではない、本家の製品を海外から取り寄せた珍奇なフレーバーのプリングルスがたくさん取り揃えてある。それらの筒が本棚の上にガチャガチャと並んでいたら楽しいじゃないか!

 ……と思ったのだが、自分はスナック菓子はプレーンな塩味しか好きじゃないし、そもそも空のプリングルスの筒を売るって意味わかんなすぎる……と、我に返った。

 日々、狂気と正気のスレスレを彷徨いながら商売をしています。

 

2014年3月シ日

 しかし、極力現実を直視しないようにして営業を続けてきたけれど、確定申告のために領収書と売上げ台帳を付き合わせてみると、笑ってしまうほど赤字だなあ。もうちょい真面目に商売しないとこりゃあかん。

 

2014年3月ヨ日

 自分はかれこれ30年ほどレコードコレクターをやってきて、かなりの数の珍盤を集めているが、実は所有しているレコードのうち半分も針を落としたことがない。アーティストの風貌やジャケットやタイトルや歌詞に惹かれて買うわけだけど、買った時点で満足してしまうから、針を落とさずにそのままレコード箱に入れてしまうということが案外と多いのだ。古本マニアにとっての積ん読と同じようなもんですね。

 でも、これからは積極的にコレクションに針を落とし、どんどん聴いていかなければ、と思った。なぜそんなことを思ったかというと、いま食事している店の有線で安岡力也の『ホタテのロックンロール』がかかっていて、これが予想外にいい曲だったから。持ってるんだから、もっと早く聴いておけばよかったー!

 

2014年3月ボ日

 さて、明日からまたいろんな仕事が交錯するので、それに備えて今日はとっとと寝ることにする。ライター稼業を30年やってきて、こんなに仕事が楽しい&嬉しいのは、この3年くらいが初めてのこと。

 いまはマニタ書房という古本屋稼業を筆頭に好きな仕事しかやっていないし、依頼される原稿も好きなことしか書いていないから、とても幸福。これで収入が3倍くらいになれば言うことないんだけど、世の中そうはうまくいかないもんだなー。

24 BRUTUSと煙突写真と釣り人の群衆

2014年2月マ日

 今月1日発売のBRUTUS』は「手放す時代のコレクター特集」。企画段階から協力していて、ぼく自身もエッセイも寄稿しています。どのようなコレクション遍歴を経て「エアコレクター」の境地に辿り着いたのか? そんな感じの話を書きました。

 どういう台割で掲載されるのかと思ったら、世界的アートコレクターのドロシーさんと、膨大な蔵書を持つことで知られる立花隆さんの記事の間に挟まっていて、たいへん恐縮です。

 ドロシーさんのコレクションは映画にもなっているので、興味のある人は『ハーブ&ドロシー』を見てほしい。

 

2014年2月ニ日

 レギュラー執筆陣に入れてもらっている雑誌『フリースタイル』。ぼくが書き始めたのは19号からなので、以後は毎号送ってもらっているが、そうなると18号以前も揃えたくなるのが性分だ。以来、古本屋巡りでの仕入れ業務ついでに、見つけた号をコツコツ集めている。今日は神保町三省堂裏にある古書モールで「5号」を見つけた。この「ときどき見つかる感じ」のゲームバランスがとてもいい。これで残すは4、6、7号となった。

 同様に『本の雑誌』も集めたいところだが、こちらは現時点で340冊以上あるし、もう初期の号をバラでコツコツ集めるのは不可能だろうなあ。

 

2014年2月タ日

 夕方。ピアノ教室に行く娘と歩きながら「才能」について話す。

 才能の有る無しとは、技術的な「上手さ」「下手さ」のことではない。娘は暇さえあれば絵を描いている。上手いかどうかじゃない。なんのノルマもないのに能動的に絵を描きたくなる衝動こそを才能という。

 一方、ピアノはどうだ? お教室がある日は弾くし、発表会が近づいてくれば弾く。でも、それ以外の日に弾いているところをお父さんは見たことがない。だから、残酷なことを言うようだけれど、お前にピアノの才能はないのだ。

「じゃあ、お父さんにギターの才能はある?」

 まったくございません! 酔っぱらいの才能ならあるんだけどなあ。

 

2014年2月シ日

 一日の仕事を終えて、四谷三丁目にあるスナックアーバンへ。一人カウンターで飲むつもりで行ったら、背後のテーブル席にデザイナーの井上則人シャチョーが先客でいた。同席していた人物を紹介され、いただいた名刺を見て仰天。 かつて超芸術トマソンで麻布の煙突のてっぺんに立って自画撮りをした命知らずの写真家、飯村昭彦さんだったのだ。20代にあの写真を見たときの戦慄はいまでも忘れられない。

 

2014年2月ヨ日

 規格化された商品はこの世のどこかで誰かが必ず集めている。

 

2014年2月ボ日

 2月の下旬に3日間かけて鹿児島から宮崎のブックオフ仕入れツアーに行ってきた。今回、入手した本の中でもっとも笑ったのは『川づり』。単に魚釣りのハウツー本だから古書的な価値はないに等しいのだが、なにしろ表紙がいい。

 川での釣りって、静か~にやるものじゃないですか。水面に釣り人の影が写っただけでも魚は逃げてしまうと言うよね。……それがこれですよ。

 釣り人、なんでこんなにたくさんいるのよ!



 

23 山田風太郎と廃盤ビデオと万引きコーナー

2014年1月マ日

 新年早々、早朝から公園にシケモクを拾いに行こうとする老いた父を引き止める。ヨボヨボのくせに握力だけはあって、つかまれた手の皮膚が裂けて出血した。

 いまのところトイレも風呂も一人で済ませられるので、肉体的にはそれほど家族の手を煩わせているわけではないが、脳の方が少々弱ってきていて、感情のコントロールがおぼつかない。

 十数年前に脳梗塞で倒れてから、大好きだったタバコをやめさせた。血管を守るためでもあるが、何より寝タバコが怖い。枕元は焼け焦げだらけだった。小遣いを持たせていないのでタバコを買うことはできず、表面的にはタバコをやめたことになっているが、近所の公園でシケモクを拾ってきては、家族に隠れてこっそり吸っているのだ。誰が吸ったのかもわからない吸い殻など、不衛生で仕方がない。

 タバコと同様に酒もやめて欲しいのだが、ぼくにそれを言う権利はない。母と姉が何度も言ったがやめられず、夕食のときにコップ一杯だけの焼酎を飲むことを許可した。父はそれを大事に大事に飲んでいるが、実はその焼酎は母が水で半分に薄めたやつだ。

 現在83歳。あと何年生きてくれるだろうか。ぼくが妻子を連れて松戸の実家に戻ったとき、父、母、姉、自分、妻、娘で6人家族になった。これ以上増える可能性は低く、むしろ3年前に妻が亡くなったことで5人に減った。これから先は減っていく一方なのだろう。出版界も先細り、古本業界も先細り、スクスク育つ娘以外は、先の見えない毎日である。

 

2014年1月ニ日

 昔から正月らしい行事に対する関心が薄く、家にいても退屈なので神保町へ出勤する。といっても店を開けるわけではなく、看板を出さず事務所に籠ってひたすら原稿を書く。

 昨年はとくに目標を立てなかったせいか、けっこうグダグダに過ごしてしまった。念願の古本屋を開業できた安心感というか、自分の居場所のようなものができたことで気が緩んだのかもしれない。

 現在、ぼくの仕事には「原稿執筆」「イベント出演」「古本屋」という3本の柱があるが、イベントは8本しか出られなかったし、古本屋にいたっては年間100日も営業できていないのではないか。これではイカンと、さすがに反省している。

 ただ、店を休みがちになった背景には、昨年の夏頃から原稿依頼が増えてきて、思いのほか忙しくなってしまったことが影響している。これはとてもありがたいことだ。いまはまだ自分一人の仕事場(古書店)にいきなり他人(お客様)が入ってくることに慣れておらず、原稿の締めきりに追われているときはそれだけに集中したくて店を閉めてしまう。今年は、なんとかお客様を受け入れつつ、原稿にも集中できるような胆力を身につけたいものだ。目標は営業日数200日!

 

2014年1月タ日

 ちょっと変わった仕事が入ってきた。パチンコ関連のある会社が、山田風太郎の名作群の中でもとくに有名な作品の使用権を取得したので、それを原作としたアニメを作ることになった。そこで、その脚本のベースとなるプロットを作ってくれないか? という依頼。

 ゲームじゃなくて、アニメのプロット? それをぼくが?

 アニメの脚本なんて書いたこともないし、そもそもアニメを見る習慣がない。とはいえ、漫画の原作ならやったことがあるし、ゲームのシナリオはいくつも書いてきた。そのためのプロット作りも知っている。まったく無理な仕事ではないだろう。それに先方はとりあえず「プロットを」と言っているから、まずは原作小説を読み返して物語の要点を抜き出すことから始めてみようか。

 それでプロットを立て、正式にプロジェクトにGOサインが出たら、脚本はぼくが書くのではなく、専門の脚本家に振ってもいい。たとえば佐藤大くんなら、この仕事をおもしろがってくれるかもしれない。

 ※というようなことを考え、以後、数回打ち合わせを重ねて、ぼくの出したプロットもいい感触を得ていたのだけど、結局、クライアントの都合でこのプロジェクトはバラシになったのだった。

 

2014年1月シ日

 HIGH BARN VIDEOの方が委託販売を申し込みにご来店。HIGH BARN VIDEOというのは、廃盤となったカルト映画をDVDで復刻し、いかにもレンタル落ちしたような古びたパッケージデザインを施してリリースする、ちょっと変わったビデオレーベルだ。廃盤ビデオでHIGH BARN VIDEO。なかなかうまいネーミングだと思う。

 第一期のリリースが『アタック・オブ・ビーストクリーチャー』と『グラインドハウス予告編集 vol.1』というグッとくるラインナップで、それぞれ数本ずつ引き受けることにする。ただし、委託にすると精算が面倒なので、7掛けで買い取ってしまうことにした。売れ残ったら自己責任。

 本当はマニタ書房も中野の「タコシェ」や大阪の「シカク」のように、マニタ的なミニコミや自主制作物を委託で並べたら店のイメージアップにつながると思うのだが、なにしろ店主(ぼく)が大の数字嫌いなので、それは無理な相談。あくまでも「仕入れたもの」の原価に「店の経費」と「多少の利益」を乗せて売る、そういうシンプルなやり方しかできないし、するつもりもないのだ。

 

2014年1月ヨ日

 古本屋に万引きはつきものだが、幸いなことにマニタ書房ではいまのところ万引きは発生していない(ぼくが気づいていないだけかもしれないけどね)。どこの古本屋の店主も万引きには苦慮していることと思うが、ちょっといいことを思いついた。万引きに関することを扱った本ばかりを集めて、店の取り扱いジャンルのひとつに「万引き」というコーナーを作るのだ。

 すでに「犯罪・事件」というコーナーはあるが、それとは別に「万引き」だけの仕切り版を作る。すると、万引き目的で店に来た奴が、墨痕鮮やかに書かれた「万引き」の仕切り版を見て怯むのではないか。この店の店主は万引きに目を光らせている! というサイン。そんなのものを目にしてなお万引きできる奴は余程の大物だ。

 いや、万引き本をまとめてコーナーにしてしまうと、効果が薄れるかもしれない。それよりも、あえてまとめることをせず、全然別のコーナーにさりげなく万引きの本を混ぜておいた方が、下心のある人間へのショックドクトリンとなるかもしれない。これは今日からさっそく実践してみよう。

 

2014年1月ボ日

 このところずっと幕末史を勉強している(※この時点ではまだ例の山田風太郎のアニメ化の仕事をしていたので)。幕末なんてまったく興味がなくて無知同然だったのだが、少しずつ理解が深まるにつれてどんどんおもしろくなってきた。

 かつて、野球にまったく興味のなかったぼくが、野球カード蒐集のために野球というものを勉強したら、目の前に「野球マンガ」という娯楽の大海が現れた。これまでスルーしていた『ドカベン』『あぶさん』『野球狂の詩』が一気に輝き始めた。

 そのときと同じように、仕事の必要に駆られて幕末史を勉強したら、同じく「幕末」という鉱脈が現れた。日々、セドリのために通う古書店巡りや古本市の探訪に、幕末本を探す喜びも加味されて2倍楽しくなったのである。人生いつまでも勉強だ。

22 古本ライターとやくざ者と浅田真央

2013年12月マ日

 いまから4年前。復職して10年ほど勤めたゲームフリーク社との契約を解除して、またぼくはフリーランスに戻った。自ら進んでやったことではあるけれど、50歳を目前にしての再出発は難しい。ましてやおりからの出版不況で雑誌は激減し、ぼくに声をかけてくれる媒体はゼロに近かった。

 いい歳した大人が毎日な~んにもやることがないのって、マジできついね。朝起きて、ハローワークに行く時間まで、ジグソーパズルくらいしかやることがない。脳内空っぽ。虚無。

 そんなとき、唯一の心の支えになってくれたのがブログでやっていた『人喰い映画祭』だった。1日1本、人が喰われる映画を見ては、ブログにそのショートレビューを書く。各作品には「アリ」「クマ」「サメ」「ワニ」などのカテゴリーをつけて分類する。

 世の中、怪獣映画に詳しい人はたくさんいるけれど、モンスターパニック映画──なかでも人が喰われることだけに特化した映画評論家はいないので、この分野なら日本一になれるだろう。そう思って始めたブログである。

 企画には自信があったので、ブログを始めたらすぐに書籍化の声がかかるだろうと思っていたが、2年間続けていもどこの出版社からも声はかからなかった。だから、暇にあかせて自費出版で本にすることにした。

『人喰い映画祭』自費出版バージョン

 ちょうどこの『人喰い映画祭』の執筆・編集作業を進めているときに、友達の侍功夫くんが映画同人誌『Bootleg』を始めると言い出した。その執筆メンバーとしてぼくにも声をかけてくれたので、一も二もなく参加した。商業誌も同人誌も関係ない。映画について書かせてもらえる場があることが嬉しかった。

 やがて『人喰い映画祭』と『Bootleg』は完成し、当時、話題を集め始めていた文学フリマに合同でブース出店した。自費出版物でありながら、深町秋生さん、真魚八重子さん、速水健朗さんと言った著名な書き手がメンバーにいることもあって、『Bootleg』のブースには文フリ史上最高の行列ができて、飛ぶように売れた。その余波で『人喰い映画祭』も完売した。文フリ後も注文が殺到し、増刷を繰り返してトータルでは600部を売り切った。

 それでも、出版社から「これを書籍化しましょう!」という声はかからなかった。

 やっぱり企画として弱いのかな。ぼくが書籍化を諦めかけた頃に、ようやく声をかけてくれたのが辰巳出版だ。その陰で尽力してくれたのは、『Bootleg』でイラストを描いている永岡ひとみさんだった。彼女が取引のある辰巳出版に企画を持ち込んでくれたのだ。

 当時のぼくにとって、『人喰い映画祭』は唯一のアイデンティティだった。そのアイデンティティさえも消えかけていたときに、それをつないでくれた。

 自費出版では174本の人喰い映画を掲載していたが、商業出版での書籍化にあたっては大量に増補するべきだと考え、キリ良い数字で300本を掲載してタイトルも『人喰い映画祭【満腹版】』と改めた。そのおかげか、出版以降は各所から映画に関する原稿依頼が来るようになった。雑誌「映画秘宝」の執筆陣にも混ぜてもらえたし、人喰いワニ映画『マンイーター』の公開時には、映画パンフに寄稿させてもらうこともできた。

 仕事が全然なくて「自分は世の中から必要とされていないんじゃないか?」と絶望していたときに声を変えてくれた侍功夫氏は親友であり、それを仕事につなげてくれた永岡さんは命の恩人と言ってもいい。

 こうして4年前もの話をなぜ長々と振り返っているかというと、いまは「古本」というジャンルについて考えているからだ。すぐには仕事につながらなくても、日々そのことについて考え、こだわり、思いついたことを文章として残す。やがてそれが自分の得意分野として仕事の幅を広げてくれるだろう。商売として古書店を営んでいることは、エッセイの題材に「古本」を取り上げる際に大きなアドバンテージをぼくに与えてくれるはずだ。

 打倒、岡崎武志! 荻原魚雷! 南陀楼綾繁! ……いや別に倒す必要はないんだけど、ぼくも彼らのように活躍したいなと、殊勝な気持ちでおるわけです。

 

2013年12月ニ日

 地元とか都内ターミナル駅ブックオフは何度も来ているし、いつでも来れるので、あらたまって外観写真を撮るようなことはしていなかったのだが、そろそろ自分はそういう店もきちんと写真に収めておくべきステージに来たのではないかと感じている。ステージて。

 

2013年12月タ日

 一度でもマニタ書房に来たことがある方なら、様々に分類された本のジャンルのひとつに「やくざ」というコーナーがあるのをご存知だろう。お客様のニーズに応えるという理由があるのははもちろんのことながら、それよりも、まず店主であるぼく自身が極道者に対してひとかたならぬ興味をもっているからあんなコーナーを設けているわけだ。自分の好きな本だけを売る。それがマニタ書房の基本姿勢でございます。

 先日、こんな本を仕入れてきた。ブックオフではない。場所は忘れたけれど、都内のどこかで開催された古書市での収穫の1冊だった。

『関東やくざ者/藤田五郎』(1971年/徳間書店

 仕入れてきた本をすべて読むなんてことは不可能なので、この本もしばらくは適当に積んでおいた。そしてあるとき、気まぐれで中をパラパラめくっていて、本文のある箇所が極太マッキーで黒々と塗りつぶされているのに気がついた。分量にして3行。ここはなぜ塗りつぶされているのか? 何が書かれているのか? それを知ろうとして裏側を見ても、マジックのインキが染み込んでいて読むことはできない。

▲これ、気になるでしょー? なにしろやくざの本だしね。


 塗りつぶしの前後の文章を読むと、舞台は刑務所だということがわかる。収監されている石川という男が看守を呼び止め、寝冷えがするので布団を干したいと懇願する場面だ。そして3行がまるまる塗りつぶされ、その直後の文章を目で追うと……衝撃的なことが書いてあった。

〈石川は地恵子の命日に、まるで地恵子を追うように自殺したのである。〉

 こ、これはひょっとして……!

 あわてて最終ページをめくってみると、何やら紙を剥がしたような跡があった。

▲図書館の蔵書に貼ってある管理ラベルの跡?

 図書館で役目を終えた本が大量に破棄されて、古書市場に流れてくるというのはよくある話。だから、この本もそういうルートで流れてきたのではないだろうか。でも、普通の図書館の蔵書が検閲でスミ塗りされているなんて話は聞いたことがない。

 ならば……これは一般の図書館ではなく、刑務所内にある図書室の蔵書だったというのはどうか? 

 刑務所だからといって、健全な本ばかりが置かれているわけじゃない。やくざ者の本だって希望すれば読むことができると聞いたことがある。ただし、具体的な犯罪の方法が書かれているようなものは許可されないらしい。そりゃそうだ。

 と、ここで閃いた。「同じ本をもう1冊探せば、塗りつぶした箇所が読めるじゃん!」と。幸いなことに、この徳間書店のドキュメントシリーズはベストセラーなので、あちこちの古書市で見かける。

 ぼくはさほど苦労することもなく、同じ本を入手することに成功した。

 早速、該当の箇所を読んでみる。

 

〈石川は、その日の朝、看守を呼んだ。担当の看守は、かねて懲役人仲間でも評判の悪い冷酷な男であった。

「なんだ、石川」

「担当。寝冷えで、蒲団を屋上に干すから出してくれ。それにおまえの手柄になるようないいものをついでに見せてやる」

 不覚にも、看守はその言葉につられた。石川は屋上で蒲団を干すとみせかけ、毛布を自分の顔にぐるぐる巻きつけたかと思うと、アッというまに十五メートル下の地上へ身をおどらせていた。石川の体は、マンホールの鋼鉄の蓋の上に叩きつけられた。即死であった。

 石川は地恵子の命日に、まるで地恵子を追うように自殺したのである。〉

 

 ある程度予想はしていたが、塗りつぶされた箇所には、具体的な自殺の方法が書かれていたのだった──。

 これが本当にどこかの刑務所に所蔵されていたものだったのか、そうではないのか、その真偽については、実のところどうでもいいと思っている。古本の痕跡からそういうストーリーを勝手に読み解いて、あり得るかもしれないドラマを楽しむ。それが、古本という世界の奥深さだ。

 

2013年12月シ日

 コヨーテは猫を食うのかー。しかも、その猫はスカンクを食うらしい。

 ※生物の捕食に関する本を読んでいる。

 

2013年12月ヨ日

 埼玉県は所沢駅の正面、くすのきホールというところで「彩の国古本まつり」という古書市が年に4回ほど開催されている。ギリギリで年末進行を脱出したので、明日が最終日のところを滑り込みで見に行ってきた。

 なんだかんだで収穫はあり、それなりに満足はしたのだが、一冊、心に引っかかる本があった。

 浅田真央の本である。

 著者はノンフィクション作家の宇都宮直子さん。表紙の真央ちゃん、可愛らしいねえ。まだ15歳だよ。こんな若い子が銀盤の上で大人顔負けの演技を見せるのだから、たいしたもんだよトリプルアクセル

 でも、ぼくはとくに浅田真央ファンというわけではないし、フィギュアスケートにもことさら興味はない。さらに珍本でもないからマニタ書房の仕入れにも必要ない。だからそのまま本をワゴンに戻した。

 彩の国古本まつりはとにかく広い。本を見ながら会場内をしばらく歩いていたら、また浅田真央の本があった。

 あれ? さっきも同じようなタイトルじゃなかった? でも表紙の写真はぜんぜん違うね。よく見たら『16歳』だ。版元はさっきと同じく文藝春秋社で、著者も宇都宮直子さん。

 ……ということは?

 ……ひょっとして?

 ……ありました。

 育ってる! 着実に育ってるー!

 これはまさか、ぼくに集めろと言ってるのではないだろうか。

 勘弁してくれ! そりゃ人間生きていれば18歳にもなるよ。そして翌年は19歳になるだろうし、その次は20歳になるんだよ! その都度、本を出そうっていうのか宇都宮さんよ!

 出なかった。『浅田真央、19歳』は出なかった。

 でも、『20歳』が出た。ほれ。

 ちょっと変化球で来た。「20歳への階段」ということは、実質はまだ19歳ってことだな。

 じゃあ、このあとに正式な意味での『浅田真央、20歳』が出たのかというと、それはなかった。そして、真央ちゃん本人は2013年の時点で23歳になるわけだけど、結局、シリーズの出版はこれっきりだった。さすがに版元&著者さんもマンネリだと感じたのだろうか。

 これ、まったく違う版元、まったく違う著者が競合して『浅田真央、○○歳』シリーズになっちゃっていたら、間違いなくぼくは集めてただろう。でも、そうじゃなかった。そうじゃなくてよかったね、というお話でした。

 

2013年12月ボ日

 年末の押し詰まったときに衝撃的なニュースが入ってきた。大瀧詠一さん急死の報である。

 ぼくはハードロックとパンクロックに夢中な青春時代を過ごした人間なので、はっぴいえんど的なる音楽に興味を持ったことはないが、歌謡曲に名曲をたくさん残した人として大滝さんは好きだった。傑作アルバム『ロングバケイション』も当然買った。

 大瀧さんからは音楽的な影響というよりも、趣味人というか、物事を面白がる視点的な意味では確実に影響を受けているだろうと思う。

 ぼくがいま52歳ということは、青春時代に影響を受けた作家、ミュージシャン、アーティストたちは自分より少し歳上か、ひと回りくらい上の世代が多い。つまり彼ら彼女らもすでに60代から70代になっているはずだ。そりゃいつ死んでもおかしくない。これから先、こういう訃報を聞く機会が増えていくのだろう。歳をとるというのはそういうことだ。

21 赤尾敏とリアル鬼ごっこと人喰い人種

2013年11月マ日

 今日の閉店間際、やけに貫禄のある初老の紳士が店に来た。見るからにヤクザ、という風体ではないのだけど、あの貫禄は堅気ではなさそう。で、発した第一声が「ヤクザの本ある?」なのだ。

 また都合がいいのか悪いのか、マニタ書房には「ヤクザ」なんてコーナーがあるわけで、恐る恐るその場所を案内して差し上げると、しばらく吟味なさったあと、山口組六代目の写真集など数冊を買っていかれた。ビビるぜ。

 

2013年11月ニ日

 午後に店へ出勤し、まだ路面へ看板を出さずに4階のドアを開け放って作業していたところ、お客様が階段を上がってきた(そういうことはたまにある)。まだ開店前ですよ、と追い返してもいいのだが、せっかく来てくださったのだから「どうぞ」と招き入れる。

 お客様は店内をひと回りしたあと、「底抜け!大リーグカードの世界」(新品)だけピンポイントで買っていかれた。ということは、ぼくの読者なのだろうか? でも、とくに話しかけられるわけでもなかった。なんてことないが、ちょっと不思議な気分である。

 

2013年11月タ日

 マニタ書房は、オープン時の在庫の半数はぼくの個人的な蔵書を並べたものだが、今日はその中の一冊である『赤尾敏写真集 人間の貌』が売れた。値付けは5,000円。蔵書の処分だから安くしておいたのだが、レジを打ったあと買ってくれたお客様がこう言い放った。

「これ、ネットなんかでは一万円以上しますよ!」

 カチンときたね。このように、買い物したあとでその値打ちをひけらかす(ときには店主の無知を笑う)輩がいるのは古本業界あるあるのひとつで、ぼくもよく知っていたが、まさか自分がその目に遭うとは思わなかった。

「だったら12,000円に値付けを書き換えますので返してください」とでも言ってやりたかったが、もちろんそんなことはしない。

 マニタ書房は、おもしろい本を、そのおもしろさをわかってくれる人に、少しでも手頃な値段で届けたくてやっている店だ。多少でも利益が出さえすれば、ギリギリまで値付けを下げる。でも、こんなことを言われると、値段を吊り上げたくなってしまうよ。

 Twitterに思わず「うちの娘には、すごい掘り出し物の本を見つけても、無表情を装ってレジに差し出して清算が済んだあと店主に『これネットでは倍の値段が付いてたんですよねー』とか言う人間にだけは、決してならないで欲しいと願う」とつぶやいてしまった。

 

2013年11月シ日

 今日は朝から横浜方面へ「リアル鬼ごっこ探しの旅」に行ってきた。それはいったい何か? リアル鬼ごっこ』とは、小説家・山田悠介氏のデビュー作である。本文中には、

〈二人が向かった先は地元で有名なスーパーに足を踏み入れた〉

 という有名な一説があり、唖然とする設定とこうした破壊力満点の文章が話題を呼び、自費出版でのスタートながらトータルで30万部を超えるベストセラーとなった。

 ぼくが最初に手に入れたのは第6刷で、これでもかなりの衝撃だったのだから、編集者の手が入っていない初版はさぞかし凄かろうと、ブックオフへ行くたび探していた。

 2008年の9月から探し始め、同年の11月に第3刷を入手。それから今年、つまり2013年の7月には第2刷を発見した。

 そして本日、神奈川方面のブックオフを巡ってきたところ、とうとう初版と出会うことができたのだ。

 見つけた瞬間のことを記録しておく。

 この日は「新百合ケ丘オーパ店」「大和西鶴間店」「大和つきみ野店」「横浜あざみ野店」「246三軒茶屋店」と5軒のブックオフを回った。そのうち「大和西鶴間店」の105円棚には『リアル鬼ごっこ』が2冊あった。それをまとめて掴み取り、奥付を確認する。1冊目は8刷。このとき、心の中で「お、ひと桁……」とつぶやく。これ、刷りの数がひと桁の『リアル鬼ごっこ』を見つけるたびに毎回つぶやいているのだ。9刷のものを見ては「へえ、ひと桁……」とつぶやき、2刷のものなら「ナイスひと桁……」とつぶやき、6刷なら「このへんのひと桁はいちばん見かけるな……」などとつぶやく。続けてもう1冊の奥付を開いた瞬間、そこに「初版第1刷発行」の文字を見たのだ。初版! 初版! 初版! 探そうと決意してから4年かかったが、いざ出会ってみれば呆気ないものだった。

 思えば、ぼくのリアル鬼ごっこ初版探しの旅は、この「ひと桁」の大小を行ったり来たりする旅だったのだとも言える。

 ようやく手に入れた初版だが、では2刷と初版ではどこか違うのだろうか? 結論はノーだ。2刷と初版を総ページ数で比較しても、どちらも325ページと同じ。各章の目次もページにズレはない。問題の「二人が向かった先は地元で有名なスーパーに足を踏み入れた。」という文章も同様だ。したがって、編集者によって磨かれる前の原石のような文章は、何も初版を求めなくとも2刷で味わうことが可能だったのだ。でも、それでいいのだ。この旅も今日で終わり。いつの間にかリアルな鬼ごっこに巻き込まれていたぼくは、ようやく鬼の背中をタッチした──。

 

2013年11月ヨ日

 近頃、とても忙しくなってきた。マニタ書房の業務があるのは当然として、他にもフリーライターとしての原稿依頼は着実に増えている。レギュラーで「エキサイトレビュー」「ナビブラ神保町」「ビッグコミックオリジナル」「フリースタイル」に書かせてもらっているうえ、イレギュラーでも各種の雑誌や単行本の仕事が来るようになった。とあるゲーム開発の仕事にも関わっているし、ロフトグループを中心としたライブハウスでのトークイベントも定期的に声がかかるようになった。とてもありがたいことである。

 いまでも、仕事がゼロになった4年前を思い出す。失業給付金をもらいに行くため、女房に運転してもらってハローワークへ急いでいる途中、うっかり一時停止無視をやった女房が隠れていた警官にキップ切られ、そのせいでハロワの営業時間に間に合わなくなったときは、いろいろと情けなくて死にたくなった。あるいは、気晴らしで深夜に女房とドライブに行った際、ふいに自分が誰からも必要とされていない気がして涙が止まらなくなり、女房にしがみついて泣いたこともある。いまのこの忙しい状況を、あいつと喜び合いたかった。

 

2013年11月ボ日

 ブックオフはいろいろ批判されがちだ。曰く「一律の値付けが本の価値を貶めている」、「本を文化ではなく物としてしか見ていない」、「出版不況を加速させる原因のひとつである」などなど。

 でも、ブックオフ──新古書店といっても結局はただの古本屋なんだから、なぜブックオフだけが悪者にされるのか、ぼくにはわからない(もちろん、そこにはぼく自身が古本屋であるという贔屓目があるのは認める)。

 ブックオフを散々回っていて感じるのは、あそこに並んでいるのは基本、売れた本ばかりだということだ。ベストセラーになればなるほど、中古市場にも大量に出回り、ブックオフの店頭に並ぶ。逆に、売れてない本(ぼくの本とか)は、ブックオフでは滅多に見かけない。

 だから、ブックオフのせいで本(新刊)が売れなくなるとか、著作権者に支払われるべき対価が失われているというような話を聞いても、どうもピンとこない。そもそも売れなきゃブックオフには並ばないのだ。

 本や雑誌の販売部数が減っているのは、ブックオフやその他の古本屋のせいじゃない(影響がゼロとは言わないが)。読書より他に時間を奪うもの(ゲームとかスマホとか)が登場しているからではないのかな。出版点数が少なかった時代(古本屋が少なかった時代)と、出版点数が多い時代(新古書店が乱立する時代)で、古書流通による著作者利益の損失にどれくらい差があるのか、数字で比較してみたいな。おそらくそれほど違わないのではないか。

 誰とは言わないが、ブックオフを目の敵にしている作家の言い分は「たくさん売れてるおれの本がもっとたくさん売れるチャンスをブックオフが阻害している!」という風にしか聞こえない。少なくとも「文化を守ろう」と言っているようには聞こえない。

 ぼくは「あなたの本をブックオフで買いました」って言われたら、ふたつの意味で感激してしまう。ひとつは「ぼくの著書もとうとうブックオフに並ぶほど売れたか!」と。もうひとつは「そんなレアな本をよくぞブックオフで見つけてくださいました!」と。

 そんな感じでブックオフが好きすぎて擁護するわたくしですが、少しだけ苦言を呈すると、客が本を探してるのにその前に入ってきてドカドカ在庫を補充するのはやめていただきたい。お客様の快適さより、店の作業効率を優先させるのは、なんだかなあと思う。

 あと、105円コーナーで立ち読みしてるお客さんにもひと言。キミら105円の本くらい立ち読みしてないで買いなさいよ。たった105円のお金すら出すのを惜しんでいたら、出版文化じゃなくて、キミらの心の中の文化が死ぬぞ。

 ※ブックオフに対する風当たりも、この日記を書いた当時と現在ではずいぶん変わってきているし、ブックオフの業態そのものも変化してきているようだ。まさか、このときから約10年後に自分がブックオフ公式の仕事をすることになるとは思わなかった。

 

2013年11月ウ日

 姉妹社から刊行されている『サザエさん』は、蒐集のゲームバランスが良いのではないかと、昔から想像している。

サザエさん』の単行本はカバーの用紙がビニールコートされておらず、古本屋に並んでいるのはあまり状態のいいものが少ない。ただ、ロングセラーなので数だけは出回っているから、「状態のいいものをコツコツ探して全巻揃えるゲーム」だと考えると、蒐集の遊びとして非常にゲームバランスがいいように感じられるのだ。全68巻という数もいい。自分で集める気にはならないが、店に置くために全巻セットを組んでみるのはいいかもしれない。

 そうそう、マニタ書房には一冊だけ常備している『サザエさん』があるのだった。それが最終巻である68巻だ。これのラストには「ひょうりゅう記」と題するエピソードが収録されていて、サザエさん御一行を乗せた船が沈没して漂流し、たどり着いた島の人喰い人種に食われそうになるというものだ。この人喰い人種が褐色、腰ミノ、分厚い唇、でかい鼻という現在は完全にアウトな描写で、現行の単行本には収録されていない。

 古書市で見つけるたびに仕入れて、マニタ書房名物「人喰い」コーナーに並べている。

20 本の雑誌と安達祐実と蒐集100万年

2013年10月マ日

 先月、かつて「週刊プレイボーイ」誌で編集長を務めていた島地勝彦さんの取材を受けた。氏が「月刊リベラルタイム」で連載している「ロマンティックな愚か者」という記事に、マニタ書房の店主であるぼくが取り上げられたのだ。自分で言うのもなんだけど、赤字覚悟で半分道楽みたいな古本屋をやっておやじを「ロマンティックな愚か者」とは言い得て妙である。

 ライターとしてのぼくは「週刊プレイボーイ」とは縁がなく、これまで(そしておそらくこれからも)原稿を書くことはなかったが、島地さんは「週刊プレイボーイを100万部雑誌に育て上げた男」として、業界で名を知られる人物だ。そんな方がマニタ書房に注目してくださるというのは、実に光栄の極みである。

 掲載誌「月刊リベラルタイム 11月号」は2013年10月03日発売

 

2013年10月ニ日

 数年前から温めているアイデアがある。オリジナルのスカジャンのデザインで、どこか作ってくれるところはないものだろうか? こちらで用意したデザイン画をそのまま刺繍してくれるところはあるが、できれば生地から選択できるところがよい。セミオーダーってことになるのだろうか?

 ※と、以前からぼんやりと考えていたアイデアが次第に明確な形として見えてきたので、この日に上記のようなことをTwitterでつぶやいた。ここから半年後に、ハードコアチョコレート代表のMUNEさんに相談したところ、その場で制作が決まったのだった。これが後のナスカジャンになるのである。

 

2013年10月タ日

 ただいま発売中(※2013年の話です)の「本の雑誌 11月号」に、「マニタ書房の作り方」というエッセイを寄稿している。ぼくがなぜ古本屋を始めようと思ったのか、そして実際に開業するうえでのノウハウなどを語っているのだ。

 ぼくは椎名誠さん直撃世代で、『さらば国分寺書店のオババ』とか『気分はだぼだぼソース』とか『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』とか、すべて貪るように読んだ。なかでも『哀愁の町に霧が降るのだ』は、まだ何者でもなかった若者たちの群像劇として自分を重ね合わせながら繰り返し読んだものだ。

 それから数年後、「よい子の歌謡曲」への投稿から編集スタッフを経て、フリーライターになった。「よい子」編集部では、発行人の加藤秀樹くんから「よい子が地方へ販路を拡大できたのは、目黒孝二さんに地方・小出版流通センターを紹介してもらったからなんだよ」と聞かされて感動したものだ。

 そんなぼくなので、「本の雑誌」に原稿を書かせてもらえるようになったのは、なんというか非常に感慨深いものがある。

 椎名誠さんといえば、あるとき丸ノ内線に乗り込んで、ふとドア上を見あげたら、椎名誠さんが出ているサントリービールの広告が貼ってあった。「椎名さんすげえなあ、本も売れまくってるし広告にも出てらぁ」なんてぼんやり考えていたのだが、次の駅に着いたらそのドアから椎名さん本人が乗ってきて、ぼくの真正面に立ったことがあった。思わず広告と本人とを交互に見ちゃったよ。

 

2013年10月シ日

 皆さんご存知のように、ぼくは一般の古書コレクターが求めるような貴重本には興味がない。そういう本は古書市では特別な存在として、棚挿しではなく、面出し(表紙をお客様のほうへ向けて展示)されていることが多い。でも、そういうのには目もくれず、ぼくはあくまでも棚やワゴンの中だけを漁る。そういうところには、古書マニアがクズ本と切って捨てるような本ばかりが埋もれている。でも、そんなクズ本の背表紙を必死に目で追っていると、ときどきキラリと光るタイトルと出会うことがある。

 どうでもいいビジネス書に紛れた『安達祐実になれる本』というタイトル。おやおや? と思ったね。

 でも、安心するのはまだ早い。いくらタイトルがおもしろそうでも、棚から引き抜いて表紙を見たらまるで魅力的じゃなかったり、あるいは表紙がそこそこ魅力的でも、中身はすごくつまらない切り口の本だった、ということはよくある。その善し悪しの基準はひと言では語れないけれど、毎日ものすごい数の古本を見ていると、そういうのがだんだんわかるようになってくる。

 で、この本を棚から引き抜いたら、こんな表紙だったわけだ。

針すなお風の似顔絵がいい味。

 これを目にした瞬間、この本がどういう素性のものかわかった。だって芸能人のことを書いた本なのに、その人物の写真が使われていないのだ。つまり、これは「安達祐実の人気に便乗して勝手に出しちゃった系の本」ということなわけで、そういう本は大好物である。

 気になる内容は、人気子役である安達祐実の魅力を紹介しつつ、「子役とはどうあるべきか」を語り、「子役の仕事のいろいろ」を解説し、「オーディションの必勝法」を伝授し、最後には「子役のための養成機関」や「事務所の一覧」まで掲載している。なーるほど、これはまさしく「安達祐実になれる本」だ。というか「うちの子を安達祐実にする本」ですね。

 

2013年10月ヨ日

 念願だった古本屋を始めて、一年が経過した。この日は「マニタ書房 開業1周年記念パーティー」である。まあパーティーといっても昨年のオープニングと同じく、狭い店内でお酒を飲みながら営業するだけのことだが。

 11:00~20:00くらいまで店を開放し、店内ではBGMにシーパンクを流しながらビールなど飲んでいるので、誰でもウェルカムである。

 ※この当時、ぼくは夢中になってシーパンクばかり聴いていた。

 

2013年10月ボ日

 ぼくがフリーライターとしてデビューした日を、いつと認定するか? 同人誌(よい子の歌謡曲)はさておき、初の商業誌デビューが1984年1月10日刊行の『ザ・シングル盤』(群雄社)なので、来年の1月でちょうどデビュー30周年ということになる。

 そこで、新宿ロフトプラスワンにて、とみさわ昭仁デビュー30周年記念イベント「蒐集100万年」を自分で企画して自分で主催することにした。ゲストにせんべろ古本トリオの安田理央柳下毅一郎、コレクター友達の石川浩司、『人喰い映画祭』の装画でお世話になった寺田克也(以上敬称略)を招いて、愉快なトークを繰り広げる予定。皆さんお誘い合わせのうえ遊びに来ていただきたい。

▲わざと寝癖のある写真を選んだのだが、うまく伝わらなかった。

 ※当然ですが、イベントはもう終わっています。

19 古本ゲリラの可能性とフリースタイルと神戸ツアー

2013年9月マ日

 古本ゲリラは、みんなで古本を売ったり買ったりする行為がしたくて始めたイベントだけど、ぼくは自分でリアルな古本屋を始めて、実店舗まで持ってしまったものだから、もう古本ゲリラをやることはないだろうと思っていた。

 けれど「またやってほしい!」という声はたくさん耳に届くし、古本ゲリラがきっかけで渋谷直角くんの『カフェボサ』のような作品が生まれたりしたことも考えると、今後も続ける意味はあるのだろう。

 ただ、第2回の古本ゲリラは、ラッキーなことに第1回のときの倍以上のスペースを無料で借りられたからあの規模でやれたわけだけど、あれと同等のスペースを無料(もしくは限りなく低価格)で借りるのは常識的には無理。だから、もしも第3回をやるとして、前回と同等かそれ以上の出店者を募るのはできそうにない。

 第1回の会場として使わせてもらったnakanof(ナカノエフ)はJR中野駅からも近いし、オーナーがいろいろと融通を利かせてくれて、とてもいい会場だった。でも、あそこでやるならまた出店者を第1回のときの数(つまり第2回の半分)に減らさないとならない。それはやっぱり寂しいものだ。

 出店者は第1回が24組で、第2回が53組。これで第3回がまた25組くらいに減ったら、お客さんから見てもショボくなった感じがするし、出店者の何人かは「えー、次はおれ出れないのー?」ってなって悲しい思いをするだろう。

 どうせ誰かを減らさなきゃいけないのなら、いっそ全員減らして、古本トリオ(安田、柳下、とみさわ)の3人だけでやってはどうか? それなら出店者のみんなは許してくれるんじゃないか、なんてことも考えた。でも、それだとたぶんお客さんが許してくれない。

 古本ゲリラの会場は、単なる箱モノ施設でいい。ただ、「飲みながら古本が買える」のが古本ゲリラの基本コンセプトなので、冷蔵設備だけは必要。音響とかはあってもなくてもいい。出展者の誰かがノートPCから勝手に音楽をかけたりするだろう。

 そして、ここが大事なところなのだけど、所詮は古本市だから出店者が大きな利益を得ることはまずあり得ない。となれば、出店料は無料か、可能な限り安くしておきたい。そのためにも会場のレンタル料は激安が望ましいわけだ。どこかそんな会場はありませんか?(※いまは募集していません)

 

2013年9月ニ日

 夕方から打ち合わせが入ったため、本日は店の営業を取りやめる。いや、家を早く出て、11時くらいから店を開け、夕方まで営業すればいいだけのことなのだが、そんなことができたら古本屋などやっていない(いま、全国の古本屋さんを敵に回した)。

 仕事は1日ひとつまで。打ち合わせがある日は、仕事はそれだけ。我ながら怠惰だなー。

 

2013年9月タ日

 雑誌『フリースタイル』の執筆陣には友人知人がたくさんいるので、そのうち自分もそこへ加わりたいと思っていた。そうしたら、タイミングよく編集部から声がかかり、執筆陣に混ざてもらうことができた。とてもありがたいことである。

 マニタ書房を始めてから、小さな夢が次々と叶っていて嬉しい。まあ、ぼくにとっていちばんの夢は「古本屋をやりたい」ということだったから、その夢はすでに叶っているわけだ。そんなマニタ書房という場が、いろいろな人との出会いの場にもなっていて、それが連鎖的に小さな夢をも叶えてくれる。本当に店を始めてよかった。

 最近はありがたいことにライターとしての仕事も順調に増えてきて、その分、店を開けられる時間が減っている。かといって、店番のバイトを雇えるほど稼げているわけでもない。実に悩ましいところである。いまいただいている原稿料がすべて倍額になれば、マニタ書房はアルバイトを雇って年中無休の店になることだろう(なんねーよ)。

 

2013年9月シ日

 ライター仲間の安田理央柳下毅一郎と組んでいるユニット「せんべろ」古本トリオで、神戸遠征をすることにした。神戸の古本屋巡りとうまい酒、それだけでも楽しそうなのだが、せっかく神戸まで行くのだから、地元の友人との交流も深めたい。そこで声をかけたのが神戸在住のロック漫筆家の安田謙一氏だ。

 まあ、ぼくらみたいな商売をやっていて古本屋や中古盤屋を嫌いな人間なんていないと思うのだが、安田(謙)さんも例に漏れずそういう店が大好きで、当然のように地元神戸の古品屋にはメチャ詳しい。これはいいナビゲーターになってくれそうだ。

 で、ここはぼくの意地汚いところなんだけれど、どうせこれだけのメンツが集まるのなら、その日の夜に古本トリオ+安田謙一トークショーをやれば、そこそこお客さん入るんじゃね? そうすると往復の交通費は無理でも、宿泊費くらいにはなるんじゃね? と算段した。

 世間的には売れっ子に見えるかもしれない我々だけど、出版不況のこの時代、フリーライターがそう稼げる職業でないのは誰もが知るところ。だから、投資をすると同時になんとかして回収することも考えなければならないのだ。世知辛いねえ!

 てなわけで、当日まわる古書店のルートは安田(理)&柳下さんにお任せして、あとはアドリブ的に安田(謙)さんお勧めの古本屋を回れば良いだろう。ぼくは、トークの会場として元町映画館さんに交渉して時間と場所を確保してもらった。

 ※当日の楽しげな様子は、togetterにまとめてあります。

togetter.com

 

2013年9月ヨ日

 2013年2月ヨ日にカラーブックス『豆盆栽』のことを書いた。ツイッターで見かけた「長年『豆盆栽』を探している人」のために、たまたま見つけたその本をセドリして店頭に出しておいたら、当の本人が来店して買ってくれたという話。

 その後、もっと状態の良い本を見つけたのでふたたびセドリし、今度はそのお客さんのツイッターアカウントがわかるので、交換を呼びかけてみた。

「マニタ書房のとみさわです。以前お買い上げいただいた『豆盆栽』、カバーが反っていてあまり状態がよくありませんでしたよね? 今日、もう少し状態のいいものを手に入れました。もし、以前のやつを持って来てくだされば、無償で交換いたしますよ」

 後日、店に本を持ってきてくださったので、より綺麗なものと交換して差し上げた。古本屋としてはそこまでする必要なんてないのはわかってる。でも、ぼくは古本屋である前に一人の古本マニアだから、機会あればついこういうことをやってしまう。どうりで儲からないわけだが、後悔はしていない。