ゆとりですがなにか インタナショナル

ゆとりですがなにか インターナショナル

宮藤官九郎のテレビドラマのスピンオフ作品。

いかにもテレビのスピンオフって感じの軽いタッチ。だけど変わってきている日本の状況が背景に描かれポイントに。宮藤官九郎ってその時代を描く脚本家だなと実感。

前作でも女性と関係を持ちたいのにからまわりだった小学校教諭役の松坂桃李。今回も。あの男前が!いや彼だからこそ笑ってられる。宮藤官九郎は一見コンプレックスを背負った人物をうまく輝かせるのがうまい。

安藤サクラが子育て母のつらさをからっと。二人の幼児を育てる娘の日常をみている自分にはリアルに感じる。

どぎつい会話の向こうに温かいものが流れるクドカン脚本。水田伸生演出は「舞子Haaaan!!!」なんかでも感じたがテンポや作品全体が軽い。クドカン作品は演出によってはもっと暗部に踏み込み、最後その落ちてるところからの高いカタルシスまで持っていける要素があると思うのだがあくまで口当たり良く仕上げるイメージ。名作という部類の作品ではないと思うが楽しい時間を過ごせる。

私がやりました

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フランソワ・オゾンの作品を観るのは久しぶり。しょうもないとか、オゾンも落ちたみたいな声もみかけたが私はオゾンの円熟がすごく嬉しく愉しめる作品だった。円熟と書いたけど初期のエッジが効きすぎて後味の悪い作品を思い起こしての話であり、「8人の女たち」はもうこの風味だったなと思い返す。描かれているお話の流れはそんなんでいいんかい?というようなくだらないものだけど大真面目に贅沢に描くことによって世の中にまかり通っている馬鹿馬鹿しさや微笑ましさをうまく表現。「8人の女たち」同様映画史へのリスペクトも盛り込まれ。何かとても上質な素材で作った凝った味のお菓子のような風合いの作品になっていた。

コンビニ人間

www.audible.co.jp

オーディブルで。

この作品が芥川賞を獲った時、想像してしまうようなコミカルなものではなくビターで驚いたというような感想をきいていたものでそのつもりで聴き始めた。確かにしょっぱな主人公の奇行ともいえる幼き日のエピソードが紹介されかまされる。扇情的なお話みたいにその姿を呆れながら外側から描いているのでなく、内側から描いており、その描写は至って冷静でつまるところ他者にあわせていくってどういうことか、その難しさ、そこから逃れたかったらいっそコンビニと一体化してしまうような完全なマニュアルの中に没入する生き延び方しかないよなとどんどん共感していく。冷めた筆致にとてもひきこまれ、最終的には安部公房的な跳躍も。理知的で入り込みやすい秀作。

 

祭りばやしが聞こえる

youtu.be

 

力の抜けすぎた寅次郎のシリーズをみてしまった直後九州のテキ屋さんたちに密着したこの番組を観て、なんたる差となってしまった。終始退屈させないし、その上詩情。木村栄文さんの名前は聞いたことがあったが、はじめての体験。

もちろん口調は渥美清のあの調子と似ていて、渥美清の勉強っぷりに感心もしたのだが。また、途上のテキ屋さんの口上への兄貴分のダメだし、「間が悪いからお客の心をつかまない」というのをきいて、確かに客が冷静になってしまう何か変な間があったな、あそこにうまいサクラでもおれば・・と思った瞬間、寅次郎のシリーズで彼の精神的支えになっている妹の名前がサクラであることにはっとなった。そういうことか・・

やくざ稼業との境界線がなんとなくあいまいで素人にはわかりにくい業種っていくつかあると思うんだけど、テキ屋もそのひとつであり、それについても触れられていた。

そして、どうも怪しい商売だぞ、みたいなのも怪しさがわかる感じでの紹介。普段みているNHKの「よみがえる新日本紀行」ではここまでの踏み込みはないな・・なかなかみさせる番組。

公式チャンネルによる公開がありがたい。

寅次郎と殿様

 

 

大好きなアラカンが殿様役で出演、その執事に三木のり平。ここまでは嬉しかった。ちょっと出て来る青戸の商店街もいい。しかし脚本が荒っぽい。いくらなんでもあんなんだとお話にのれない。もうちょっとこういうことあるだろうなあくらいの展開にしてほしい。ヒロインとのいつもの展開でさくらが感極まるくだりもなんでここまで?という感じで定型の上にあぐらをかいているような流れ。アラカンの長男平田昭彦(目を引く風貌)からの横槍でとらやに持ち込まれるお金の行方も中途半端。演技陣や撮影はちゃんとしてる。前半はまあまあ面白かったのに後半は定型をこなしてるだけみたいに。脚本と監督の責任だろうな。

その昔*1内子に行った時旅館にこの映画の撮影のためにメンバーが泊まった写真をみた。帰ってすぐ観ようと思っていたが、同行した家族と一緒に観たほうがいいなと思い途中で止めた。そこからずいぶん時間がかかった。泊まった旅館 松之屋もその間に閉業したらしい。今回家族と一緒に観たら、最後の方まで既視感。最後の方まで観ていたのか?それともそういうものなのか・・

無法松の一生(1958)

 

バンツマ版(1943)*1ははるか昔にみたことがあったが三船版ははじめて。

バンツマ版の時の宮川一夫カメラマンの仕事が素晴らしかったもので、ちょっとそれが頭の中でがっちり伝説状態にもなって、少し懐かしんでしまうようなモードにもなったが、三船敏郎高峰秀子の魅力は十分。

三船敏郎、大きな体の躍動感、そしてかわいらしさ、愛嬌というものがあると思う。

戦前版は松五郎の、吉岡未亡人へのほのかな想いの部分が、軍人の妻への想いなんて不謹慎なとカットされたときいていたもので、今回観る前からそこの部分はどんな感じになってるのか、あんまりそこがはっきり描かれていない方かいいなと警戒したが、そこはほんとに仄かで済んでいてよかった。

戦後版はキャストも知った顔が多く豪華。芝居小屋の受付多々良純、芝居小屋の胴元笠智衆、飲み屋の親父左卜全、松五郎の住む木賃宿的なところの管理人飯田蝶子

戦後版は戦前版でカットのエピソードが前述の想い以外も増えていたと思う。監督としては得心がいったのでは。悪くはないのだけど、自分は今のところは戦前版の方を推すかな。

かづゑ的

www.beingkazue.com

長島のハンセン病療養所で老境を迎えるかづゑさん夫妻

読書と書くことに支えられた知的でユーモアのあるかづゑさんの言葉で映画が支えられ、全く構えずに鑑賞できる。

なくなってしまった指先をことごとしく取り上げるのでなく、そこまでどんなにこの指が働いてくれたかを語るかづゑさん、そこからどう暮らしをしていくのか誠実に追っていくカメラ。

「小島の春」*1の物語のあと着いた先ではこんなことがあったのかと思うような話も出てくる。

障害や社会問題が背景にある作品、観ている人たちと対象がどう違ってどう偉いか、観客も敬してる風で遠ざける、そんな古くて重い悪いイメージで構えてしまうこともあるかもだが、そんな心配とは対極にある作品。自分や周りのものの老いてからの時間とすっかり重ね、笑いそしてぐっときながら鑑賞。良い時間を過ごせた。

構えなしで観られ自分に向けられた作品と感じた。