オーディブルで聴いた小説

オーデイブルでちょこちょこ色んなものを聴いている。メモが必要な内容のものには向いてないかもだが、雨の日の待ち合わせだとか、単調な家事をしながらにはとても向いている。

 

昨日ちょうど聴き終えたのは津村記久子さんの「うどん陣営の受難」

www.audible.co.jp

荒唐無稽に面白がらせるようなタイトルなんだけどさにあらず。津村記久子さんは会社や仕事が舞台の小説をよく書いているイメージだけどこれも多種多様な人と一緒に働く会社の味わい(いいことも悪いことも)が滲んでいる。会社の代表選にまつわる悲喜こもごものストーリーだが、人の弱みにつけ込んで自陣営に取り込もうとするやり方がえぐかったりしてほんものの国政や地方の選挙の話あるいは宗教の勧誘話を会社の話にしてある?という感じ。会社に置き換えてあるからこそのユーモラスさがある。会社で働く主人公の日常の描写はえらく細かくてリアリティがあって何かへのなぞらえとか関係なしに面白い。

自陣営に取り込むために人の不幸を利用する、わりと人間のやってるどこの集団でもあるかもしれないしな。

オーディブルでの朗読者もいくつもの声色を使い分け、基本的な空気的は伊藤沙莉風で愉快。

 

その前に聴いていた町田康の「令和の雑漠なマルスの歌」

www.audible.co.jp

人に優しくない人を厳しく糾弾するという集団。その集団の「人に優しくしましょう」って歌に何とはなしに心を持っていかれる人びと。なんだかクロード・シャブロルの映画「ドクトル・エム」みたいな空気も。みんなで一斉に何かの方向に行くって内容の如何を問わずこわい。

町田康氏の描く世界はわやわやで自分の表面的な理解は越えてしまうような泥沼がありそう。だが、とりあえず表面的に味わっていても楽しい。上に貼ったあらすじだけ読んでいても筒井康隆風の口調だ。

ディア・ピョンヤン

 

大阪で生まれ育った在日コリアン2世のヤン・ヨンヒ監督。父は朝鮮総連の幹部、三人の兄は北朝鮮帰国政策で北朝鮮へ。

そんな監督の家族を軸にしたドキュメンタリー。

日本から生活の支援をして、マンギョンボン号に乗って家族に会いにいく様子。そこで映される90年代と2000年代の北朝鮮の姿も貴重な映像と思われる。

兄たちが帰国した当初は、現地の生活にレベルを合わせるよう、仕送りなどしなかった母が、孫が凍傷になった話をきいてからカイロや文房具などをどっさりと送ることにしたそう。

監督自身は北朝鮮のありかたには疑問を持ち、イデオロギー的には賛同できないが、人間としての父母のことは敬愛しており、複雑な気持ちで続ける撮影。終盤、カメラに映る父の小さな変化に心を動かされる。

あくまでも家族の姿を描く、その向こうに北朝鮮の姿がみえるという形がすっきりしていて、撮影姿勢も基本はナチュラルでとても観やすい。

冒頭に説明があった戦後の在日の人びとの北朝鮮籍韓国籍の選択は出身地によるものでないこともはじめて知った。監督の家族も地縁的ルーツが北朝鮮なのではなく、済州島だということ。

監督の著書を読んでいる家族によると、朝鮮大学校時代の暮らしを描いた著作も面白かったらしい。

この監督の家族を撮るシリーズも以降何作かあるらしく、何より描き方が面白いので続きも見ていきたい。

にごりえ

 

樋口一葉の「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」の三作品をオムニバス風にまとめたもの。

最後に入っていた「にごりえ」が一番長く力がはいっていたが、「大つごもり」も「十三夜」もいい話。

にごりえ」の淡島千景の素晴らしさにはっとなる。今まで「自由学校」*1での元気すぎる姿、「夫婦善哉*2で苦労女房が過ぎる姿などを目にしてきたが、これは彼女の魅力がちょうどいい按配に発揮されている。客あしらい、店での振る舞いもちゃんと心得た頭のいい、店の看板酌婦お力。気前もよくてジェントルマンの山村聡と馴染みになるが、忘れられないのは。。という滋味ある作品。彼女の心のなかでいつまでも気になってる宮内精二の貧乏で先の見込みもなさそうなさま。まさによく文楽なんかでみる心中もののようなシチュエーションだが、彼らが笑いあっている短いシーンの見事さでその気持ちがすごくわかるようにできていた。

「大つごもり」のおはなしは並木鏡太郎監督の「樋口一葉*3という、作品と著者本人が混ざりあったような映画でみて好ましく思っていたところ。こちらの今井監督版では久我美子演じるお女中さんの健気さが目を引いたが、主家の娘役は岸田今日子だったらしい。wikipediaをみるとノンクレジットで錚々たるメンバーが並んでいて豪華。(「ガラの悪い酔客 神山繁」など。)それにつけても、この作品の結末や「十三夜」のいい味。樋口一葉の文章、何度かトライしかけて挫折しているが味わえたらいいだろうなあと思う。

 

男の顔は履歴書

 

これが噂の安藤昇か!

診療所の町医者として日々を送る彼のところに担ぎこまれた戦争中からの因縁浅からぬ朝鮮籍の男(中谷一郎)。彼との歴史は、戦争中、戦後すぐ、そして現在と自制が入り乱れるにもかかわらずとてもすっきりとわかりやすい。

一番中心に描かれるのは戦後すぐ安藤昇も地主であるマーケットの権利を巡る半島系との攻防、「この世界の片隅に*1終戦を迎えた時一瞬みえた半島の国旗を思い出す。半島系のボス、内田良平の迫力!「怪談昇り龍」*2で冒頭途方もなく陽気な極道者を演じていた人か!いつも何か不思議な魅力がある。

菅原文太もふっきれたヤクザ演技。町の元顔役アラカンさんの華。伊丹十三が頭でっかちでまっすぐで血気盛んという役を熱演。澄ましているだけじゃない姿が新鮮。そして、真理明美という女優さんが演じる物語を動かすことになる半島系の女性の凛として美しいこと。彼女の清冽さが原動力になっている。

物語はここで終わるのか!という絶妙な幕切れ。そこがとても良い。

シャイロックの子供たち

 

その昔横田濱夫さんという横浜銀行行員の「はみ出し銀行マン」という実録ものシリーズを好んで読んでいたことがある。内容は忘れたけどいつも取り澄ましている印象である銀行の生々しい裏側が面白く書かれていたことは確かだ。

ベニスの商人」のシャイロックについては、アル・パチーノの主演映画もみてますます同情したことも手伝い、一方的にこてんぱんにやっつける気に今のところなれないが、この映画は金貸し業である銀行の悪徳を面白く描いていて、「はみだし銀行マン」シリーズを楽しく読んでいた日々を思い出した。

中盤まで大げさな演技、滔々と決め台詞をまくしたてるようなシーンはほとんどなく、役者もそれぞれハマって、こんなことあるんだろうなあという空気がなかなか良い。中盤以降事件がさらけ出され登場人物たちがまとめみたいな聞かせる話をするところはちょっといただけなかったかな。気持ち良く収まりはするけれどちょっとそこで安っぽくなってしまうような。これ何なんだろうな、「マルサの女」なんかでは終盤の山﨑努のちょっと聞かせる話がなかなか良かったのに。どうすりゃいいんだ。。むしろ「仁義なき戦い」風に起きたことを淡々と見せナレーション使う方がシャープでかっこいいし上質にならないか?違うものになってしまうか。松竹系の映画だし動員狙う娯楽作としては現行の方が収まりがいいのだろうけど。いいセリフってほんと難しい。同じ阿部サダヲ主演のドラマ「不適切にもほどがある」ではそのくさくなるリスクをミュージカル仕立てにしてうまく消している。強い香味野菜でアクを消す感じ。

調べると映画版は原作やドラマ版には出てこないキャラクターが出てきたりしているらしい。原作は引き締まっているのかな?ちょっと興味がある。

監督の本木克英氏は「鴨川ホルモー*1なども担当とか。あちらも良い原作、愛すべきストーリー、ましてや京都のそれも身近な場所でロケもあっただけに否定しにくいけれど安易にまとめられ物足りない感じを持ってしまったな。

薔薇の名前

 

「100分de名著」で原作を取り上げていた時、自分には結構難しく映画もそうかと緊張していたら、映画は楽ときいて鑑賞。

映画鑑賞後「100分〜」サイトを読んだら映画を観る前よりすっきり入ってきた。

www.nhk.or.jp

 

今になってこの映画を観たのは少し前に「ロビンとマリアン」を観て、老いを含んだショーン・コネリーに魅力を感じ、もっと観たくなったから。彼に付き従う弟子のピュアな感じがまたいい。この弟子との関係が寛容であり、かといってタガが外れているとかいうのでなく、秩序と威厳はあり気持ちよい。

「寛容」や「笑い」はこの作品のテーマの根幹にもなっており、起源をアッシジのフランチェスコとするフランシスコ会の修道士と沈黙を旨とするベネディクト派の修道士との違いとしても描かれておりその辺もカトリック校に縁のあった自分には腑に落ちる。

ポール・ヴァーホーベンの女子修道会の物語「ベネデッタ」もえらく気持ちを惹きつけられたが、この作品の中の修道院もあそこまでわかりやすい表現ではないけれど、外からの調査から身を守ろうとする動きなど「人間の集団」という感じで面白い。

後悔も含む人間らしい、けれども尊敬に値する先導者としてのショーン・コネリーの姿は「小説家を見つけたら」にも通じるような。

ジャン=ピエール・ジュネ監督の「ロスト・チルドレン*1で異彩を放っていたロン・パールマンもぴったりの役で好演。

蜂の巣の子供たち

ja.wikipedia.org

清水宏のもとで育った戦災孤児たちを出演させ撮った映画。

戦争から帰ってきて身よりもない兵隊さんについていく駅の子どもたち。この兵隊さんにもとてもリアリティを感じた。お国のためにしゃんとした姿勢で戦争に行って帰ってきて心が空白になったようなこういう青年は日本中にたくさんおられただろうなと。

地域の子どもたちと野球しようとして相手に逃げ出された孤児たちが「いくじがないなあ」なんていいながら帰ってきたら「いくじがないんじゃないよ。気持ち悪かったんだよ。気持ちが悪くない子どもにならなきゃな」なんてズバリいうお兄さん。戦争が終わって三年。随分子どもたちの服装にも格差があった。

清水宏の映画って表面取り繕わない方向で話が進むように感じていてそこが気持ち良い。

お兄さんとこどもたちが向かうのは映画「みかへりの塔」*1になった施設。「みかへりの塔」での笠智衆などの努力がお兄さんの心を育んだのかなと嬉しくなる。