Moodymann / Moodymann

MOODYMANN

MOODYMANN

2013年の大きなトピックの一つとしてハウス・リヴァイヴァルがあった。オーヴァーグラウンド・レベルでのその象徴がDisclosure『Settle』だったのだろう。彼らが最先端のものとして披露したビートは、軽妙なキックとその裏で鳴り響くハットの気持ちよさからなるものであり、つまりは紛れもなくハウスのそれであった。
しかし、地上での名声や金と離れた場所でハウスを展開している連中の活躍もまた、2013年を紛れも無く象徴していた。The Trilogy Tapes(所属アーティストの一人、Anthony Naplesはジャングル・リヴァイヴァリストのSpecial Requestのリミックスも手掛けており、ディープハウス・リヴァイヴァルといったムーブメントよりはより広義の90sリヴァイヴァルという視点から語られるべきなのかもしれない……という話は省略)の活躍はもっともエクスペリメンタルなトピックであったし、L.I.E.S.の標榜するロウ・ハウス(このサウンドがシカゴではなくブルックリンから出てきている、というのも面白い)では初期衝動に満ちたサウンドが次々と繰り出された。VakulaやLinkwood でのリリースで知られるFirecrackerからは商業的なそれとは一線を画する温もりを持ち合わせるディープハウスが詰まったコンピレーションがリリースされたし、素晴らしいリミックス集とDJミックスをドロップしたDJ Sprinklesの内省的なサウンドはなるほど、確かにDisclosureがコインの表だとすればその裏面、という指摘がまさにしっくりくる。
彼らは時にレフトフィールドで音を鳴り響かせ、時に沈鬱でスローモーな音を好む。派手でもなければ洒脱であるわけでもない。しかし、その代わりにハウス・ミュージックがどこでどのように鳴らされるべきかに自覚的な、慎み深いモダニストたちだ。彼らがやっていることとは、表面的なリズムや上モノを使うことで流行に乗っていることをアピールするのでなく、むしろハウスのスピリチュアルでダーティーな部分(それは、だからこそ誰にでも開かれたものであり、真に共同体のためのものとなりうる部分だ。)を強調していることのように思える。わかりやすいフックがなくても、フロアで流れれば拳を握りしめ、その場にいる人たちと顔を見合わせたくなる音楽というものは確かに存在する。セールスがどうか、というよりもその場にいる人々にどのように響くか、を重視するのがダンスフロアにおけるやり方なのだろう。
デトロイトでアナログという媒体に拘りながら音楽を作り続ける偏狭な気難し屋、Moodymannはそうした面々たちにとってのあるいは北極星のような存在となっているのかもしれない。昨年のミニアルバム『ABCD』に続いてリリースされた『Moodymann』において彼は、ようやく時代が追いついたか……とも言わずにただ変わらぬことをやっている。つまり薄暗い地下室で響き渡る、猥雑でセクシーな輝きを持つ漆黒のディープハウス/フュージョン=ブラック・ミュージックがこのアルバムには詰まっている。

面白いのは彼がビートというものを必ずしも強調しているわけではないということだ。
CD盤では他愛もない会話によるスキットが随所に織り交ぜられ、曲はぶった切られて唐突な展開を見せたりする。だからダンス・ミュージックとしての機能性よりもAndres『Andres II』にも似たヒップ・ソウルの美学……あるいは、ラジオをザッピングするかのような感覚だ。より広い共同体の為の音楽であろうとする精神が注がれているように聞こえる。”Lyk U Use 2”はそうした美学の象徴のような曲で、軽快なスキャット調の歌唱を暖かいベースラインとシンプルなリズムで包み込んでいく。ハウスの流儀でアンチ・クライマックスだが、素朴な響きで共に歌い出したくなるようなR&Bでもある。Lana Del Reyの同名曲リミックスの再録である”Born 2 Die”は、つまるところ恵まれた者の鼻持ちならない歌であっても、彼の手腕にかかれば美しいソウルへと昇華させられるということを証明するものであり、その音楽が閉じたものでは決してないことをささやかに主張する。これらはクラブや地下室で、というよりラジオや町中のスピーカーから流れてきそうな音楽だ。
Moodymann』においてはこうしたフュージョンやソウルに括られるであろうサウンドとビートの効いた『ABCD』にも収録されたメロウな”Watchin U”やBPM高めの“Sunday Hotel””Come 2 Me”といったダンス・ミュージックが、デトロイト流のブラック・ミュージックとして違和感なく同時に抱擁され、見事に融合されている。というか、ムーディーマンはリロイ・ジョーンズ言うところのブラック・ミュージックの本質である「変わりゆく、変わらないもの」を熟知しているのだろう。それをある時はダンス・ミュージックとして、ある時は流行歌として切り取っているというわけである。

現在活躍する、レフトフィールドなハウス作家たちとMoodymannが違うのはこのように彼が目指している場所というのがダンスフロアに限られない、広いフィールドにあるということなのだろう。デトロイトという都市がいかにタフでなければいられない場所かを熟知しているわけでは当然ないが、その片鱗を聞くだけでそこに住んでいる人々の心境に思いを馳せることは出来る。そのような場所で生まれ育ったKyle Hallがゲットーの怒りのような生々しいリズムを鳴らしたのはなるほどいかにも若者らしい納得できる表現だ。しかし、他の何にも頼れない状況だからこそ、そこで怒りをぶつけるのでなく、音楽をもって彼の地における愛と共同体を肯定するのがMoodymannのやり方なのだろう。ラジオから暖かいソウルを流すということは、ダンスフロアに集まった人々を至福で満たすことと同じくらいに尊いことのように思える。ダンスが出来ないものがいてもブラック・ソウルの響きに温もりを感じることは出来るからだ。フロアで見知らぬ人々と一体感を味わうのと同じように隣にいる友人や家族を大切に思うことも重要だ。
Moodymann』を聞いているとブラック・ミュージックの豊穣さに触れている感覚と共に、優しく暖かいおおらかさが伝わってくる。ブラック・ミュージックが祈りのための宗教歌を一つのルーツとして世俗化していった歴史や、自分のルーツがアメリカとアフリカに引き裂かれ放浪を余儀なくされたブルースマンたちの苦境から生み出された数々の歌を振り返るまでもなく、これは現実というものにしたたかに抗い、家族や仲間と共にあるためのものであり、だからこそ脈々と受け継がれてきた「変わりゆく、変わらないもの」なのだ。そして人々の記憶にあるブラック・ミュージックとムーディーマンの作る音楽が「変わらないもの」であるからこそ、彼の作る音楽は決して気取ったものになることなく、あくまで大衆に寄り添うものとして結実しているのである。

年間ベストアルバム2013

昔の音楽は確かに素晴らしい。とはいえやはり、同じ時代に生きる人間が同じ時代にリリースした音楽こそ、今生きている自分の言葉にならない思いを最も反映しているのではないか。それを聞いて、感じて、時代の空気を味わわなければ生きている意味が無いのでは……。そこまでは言わなくとも、とにかく今ここで生活していることを実感させてくれる音楽を愛したい。そんなことを思う一年でした。
……とまあそんなことを考えていたら、最近周りの人たちが結婚してしまったり結婚を前提としたお付き合いなどをしているのを次々と目の当たりにしてしまい、もはや直面するしか無い現実が襲い掛かってきた構図なわけでして、結局のところ今ここで生活をしていくとは、(音楽にうつつを抜かすのではなく)社会とうまくやっていくことなのではないか、と思わざるを得なくもあるわけでして……。ま、当分の間はやりたいようにやっていきます。
そういうわけで結局年が明けてしまったので今更感も漂わせつつの2013年間ベストです。あけましておめでとうございます!今年もよろしく!!



20. Factory Floor / Factory Floor
Factory Floor
エレグラでのライブも良かった。EPの実験性は鳴りを潜めたがヒプノティックな陶酔と冷たさが同居しているところが面白い。


19. K. Locke / The Abstract View
The Abstract View
今年は優れたジュークをたくさん聞けたけれど、一番個人的な嗜好に合ってたのがこれ。"Mystic Brew"や"I Wanna Be Where You Are"ネタ感丸出しでソウルフル。とにかく耳馴染みが良かった。


18. Danny Brown / Old
Old [輸入盤CD] (5372872)
前作の分裂気質がまとまってしまった感じもあるが、アルバムとしての完成度は高いと思う。


17. Fla$hBackS / FL$KS
FL$8KS
過去記事参照


16. Disclosure / Settle
Settle
これもライブが良かった。UKガラージのアプローチはどこへやら、四つ打ちキックと裏打ちハイハットの響きは完全にハウスミュージックだがぬるっとしたテクスチャーとメロディアスなドライブ感が特徴。


15. (((さらうんど))) / New Age
New Age
キラキラ感がたまらない。


14. Maria / Detox
Detox
デカいケツをセクシーに振り回し、愛を強調しながら欺瞞を攻撃する。


13. Knxwledge / kauliflowr.LP
Kauliflower [12 inch Analog]
Jディラ〜LAビートの流れの上でもまだやれることはあるんだということを再認識させられた。


12. Joey Bada$$ / Summer Knights

http://www.livemixtapes.com/mixtapes/22392/joey-bada-summer-knights.html
The UnderachieversやFlatbush Zombiesも良かったが、中でも今作は自分の好きな90年代感を一番うまく切り取ってくれていたように思えた。


11. Chance The Rapper / Acid Rap

過去記事参照


10. Le'jit / New Beginning
ニュー・ビギニング (帯ライナー付直輸入盤)
インディーソウル兄弟トリオのなんと14年振りの新作。クラシカルなR&Bの響きは極上だし、メロディも奇を衒ったものではなく耳馴染みの良い穏やかなものばかり。もちろん伝統的な技法に則っているとはいえ、ただ単純に再演を行うのではなく、スクリューを持ち込んだりと今日的な視点への目配せを取り入れているから古臭さはない。それどころか、その堂に入りぶりはインディーR&Bムーブメントという今の時流がようやく彼らのやっていた事に追いついたような感じすらある。アルバム全体通した完成度の高さが気に入ってよく聞いた。


9. Oneohtrix Point Never / R Plus Seven
R Plus Seven [輸入盤CD / 豪華デジパック仕様] (WARPCD240)
ドローンやUSアンダーグラウンドの雄が名門WARPに移籍し、グッと現代音楽的に……なったんだろうか?ここで『Replica』の冷笑的なトーンは色を変え、冷たいながらも美しいメロディが調和を見せている。実験的なのに馴染みやすく、ベタでありながら高潔な美しさもあるという分裂した魅力が統制されることで奇妙な心地よさをもたらす。


8. Pusha T / My Name is My Name
My Name Is My Name
傑作『Lord Willin’』から10年以上経っていても言ってることとライム巧者ぶりは変わらず。カニエも全面参加し、ミニマルで削ぎ落とされたサウンドは言ってみれば裏『Yeezus』的という指摘も的を射ていると思う。そんな2013年的なお膳立てにも関わらず結局のところは、ネプチューンズの独創的なビートでもカニエやハドソン・モホークの先鋭的なビートでもうまく乗りこなしながらドラッグ話に花を咲かすという、ベテランの変わらぬスタイリッシュさが印象に残る。


7. Hair Stylistics / Dynamic Hate
Dynamic Hate
コロコロと音が変わっていくし、ビート・ミュージックをもてあそぶような展開もある。そこに諧謔精神を見ることも出来るだろうが、むしろ赤裸々な試行錯誤そのものをビート・ミュージックの揺れ動きへ、アナログな機材から作られたローファイな質感へと落としこんでいるから、結果として予測不可能でファンキーな面白さを感じさせるアルバムになっている。


6. Inc. / No World
No World
ハウ・トゥ・ドレス・ウェルからベタついた悲痛さを減じて代わりに軽妙さと洒脱さを注入したようないかにも2013年らしい『R&B』アルバム。ただしソウルの伝統的な技法が用いられているわけでなく、むしろコクトー・ツインズのように過剰なまでに敏感な美意識によって全体が貫かれている。個人的にはシルキーな手触りと洗練されたチャラさが好きで愛聴した。


5. Janelle Monae / The Electric Lady
ジ・エレクトリック・レイディ(初回限定バリュー・プライス盤)
労働者階級のコスチュームだというタキシードを着込んで、ポンパドールで少年のように飾り立てるジャネル・モネイの1stはその気が狂いそうなほどファンキーなサウンドスケープでもって自らがジョージ・クリントンジミ・ヘンドリックススティービー・ワンダー、プリンス、アウトキャストといった人々。すなわち黒人音楽の歴史を継ぎながら、過激に、豪放に、世界を拡張してゆく先進主義者たちの末裔であることを高らかに宣言していた。
このアルバムはそうした過激さやファンキーな爆発力は少し鳴りを潜めたが、その分モネイのインテレクチュアルなコンセプトとパワフルな歌唱そのものが強調され、若干アート・ロック寄りな匂いすら感じさせるうまくまとめられた作品だ。ブラック・ミュージックのみならずインディー・ロックなどの異なる文脈からのアプローチも取り入れられている本作は、あらゆるトライブを自由気ままに横断し、その衝突を楽しみながら一つのグルーヴへと巻き込んでいく。


4. Drake / Nothing Was the Same
Nothing Was the Same
流麗なアンビエンス漂うディープでメランコリックなトラックと繊細でメロディアスな歌心でビートへ寄り添うフロウが、ヒップホップ・ゲームにはびこるマチズモに釘を刺しながら、自らの成功体験と決して晴れることのない憂鬱の両方を分裂させることなく同居させる。とにかくどうにもならない2013年には、俗世の何が手に入っても結局は満たされることのない、渇いた男の魂が歌う虚無がとても感傷的に聞こえた。


3. Run The Jewels / Run The Jewels
Run the Jewels - Deluxe Edition [帯解説・歌詞対訳 / ボーナストラック収録 / 国内盤] (BRC404)
エルPとキラー・マイクというコワモテ2人によるラップ・デュオのミックステープは、『Cancer 4 Cure』と『R.A.P. Music』に熱中したヘッズたちの期待をまったく裏切らない逸品だ。タイトでソリッドな音像は確かにエッジーだが、図太いベースとビシバシと絶え間なく吐き出されるラインの数々が、ここではむしろオールドスクール・ヒップホップの享楽的なノリを生み出している。


2. KMFH / The Boat Party
BOAT PARTY (直輸入盤・帯ライナー付)
今年の3月、恥ずかしながら初めてセオ・パリッシュのDJを聞く機会に恵まれた(11月にも聞けた)。割れんばかりにキックとハイハットを強調して、シャカシャカとしたファンキーな音を作り上げていくそのスタイルにおけるダイナミズムにはまったく興奮させられた。暴力的なまでにイーブンキックがブチ鳴らされる中でディスコやソウルのメロウな響きが挿し込まれる時の恍惚と言ったら……。デトロイトの21歳、カイル"マザー・ファッキン"ホール(=KMFH)のデビュー・アルバムを聞いてまず思い起こされたのはこの体験だ。つまりここには剥き出しのファンクネスと、時にもたらされる叙情性がある。
このアルバムには先人たちが編み出してきたデトロイト・ディープハウスの素晴らしさが偏執的なまでに詰まっているが、それだけではない。本作を基礎付けるのは茫洋とした街で鳴り続けるマシン・ファンクと亡霊たちの享楽的なダンスだ。40分というアナログ盤のためにあつらえられた短めのプレイタイムの中、ホールはメロディを響かせることより、無骨な手触りのキックとハイハットを過剰なまでに打ち鳴らすことを優先していく。野蛮で向こう見ずなリズムの強調はジューク・フットワークにも通底するものだが、BPMがビートダウン・マナーに則って抑制されている結果として爆発力だけでなくゴツゴツとした色気を持ち合わせているし、エレクトロよりもソウルであろうとする荒々しくも鈍い光を放つサウンドスケープは雄弁に彼の地における歴史を物語っている。そしてリズムの過剰さに圧倒されていると、スモーキーなフィルターを通した美しくも酩酊したソウル・サンプリングが現れては消えていく。ここで現れるボーカル・サンプルの美しさはジャケットに象徴されるように、荒廃した都市の退廃的な美学に裏打ちされているという点でブリアル的でもあるのかもしれないが、より官能的だ。まるでディスコ・ディーヴァの幽霊のようにかつて存在していたフロアにおける夜の妖しい美しさを導き出す。
才気、音楽的探究心、何より満ち溢れるエネルギーからのみ生まれるダーティーな美学は彼に、シングルで垣間見ることの出来たデトロイト・テクノのメランコリックな感覚やフュージョニックでスペーシーなアート志向にあえて距離を置くことを選択させたようだ。しかし、それによってノスタルジックでありながら後ろを見ない、何よりもパワフルなダンス・ミュージックの素晴らしさをたたえている。
12月に出たCD盤のボーナス・トラック4曲も本編に劣らずとても良かった。


1. Kanye West / Yeezus
Yeezus
『MBDTF』はある種の精神分裂的な優雅さを有した内省的なインナートリップによる豪華絢爛な絵巻物のような作品だった。打って変わって本作でカニエは社会の不条理を攻撃し、自尊心で敷き詰められたラップを外罰的に表現する。
圧縮されたトラップ+インダストリアルなアシッド・ハウスと表現すればいいのか……徹頭徹尾凄まじい音圧が響き渡る音像はヒップホップの衝動あるいは暴力性を過剰なまでに強調していながら、ミニマルに削ぎ落とされた音数の少なさが歪んだシンプルさを感じさせる。ダフト・パンクやハドソン・モホーク、フランク・オーシャンにチーフ・キーフといったゲストを大量に招きつつ、背反し混在する要素を一つにまとめ上げる手腕をこうも見せつけられては『Yeezus』と自称されても(そしてクロワッサンがどうの、みたいなどんなにしょうもないリリックであっても……)まあ、しぶしぶと納得せずにはいられない。というか、純粋にめちゃくちゃ格好良いもんで。今年の一番。

年間ベストトラック2013

後ほどやる予定の年間ベストアルバムに収録された曲は除いてとりあえず20曲。今年はいい曲が多かったのでその中でどれだけ今の自分の感覚にしっくり来るかって感じで選びました。

20. 住所不定無職 / IN DA GOLD,
http://www.youtube.com/watch?v=kLAqIv1F1uY

19. Joey Anderson / Come Behind The Tree
http://www.youtube.com/watch?v=tM_xQpRo0Mg

18. RIP SLYME / SLY
http://www.youtube.com/watch?v=JoAmZ41Z-f4

17. A$AP Ferg / Shabba
http://www.youtube.com/watch?v=iXZxipry6kE

16. Sky Ferreira / I Blame Myself
http://www.youtube.com/watch?v=yleXykJyXbo

15. 岡村靖幸 / ビバナミダ
http://www.youtube.com/watch?v=hR5Pa6jxOSY

14. Tyler, The Creator / Treehome95
http://www.youtube.com/watch?v=1L0rgIYnkjU

13. lyrical school / わらって.net
(動画なかったです)

12. Burial / Rival Dealer
http://www.youtube.com/watch?v=xd3Ch53PxBs

11. PUNPEE / Bad habit

10. 大森靖子 / ミッドナイト清純異性交遊

プロデューサーの直枝政広大森靖子のポップな歌メロを作る才能が調和した素晴らしくポップなキラーチューンである。同時に、ひねくれた精神で自意識に囚われながら歌を吐き出す彼女のありかたにはとても心を動かされた。今の彼女に対してサブカル/こじらせというレッテル貼りをして終わらせるのはあまりに耳と心が閉じていると思うし、もはやそうした目線は跳ね除ける、先回りした強度がここには詰められている。

9. Osamu Ansai / Woman
https://soundcloud.com/maltine-record/osamu-ansai-woman
Natalie Cole”I Wanna Be That Woman”を綺羅びやかで突き抜けた気持ちの良いディスコへと鮮やかに変換。控えめに言っても今年の夏一番聞いた。


8. FKA twigs / Water Me

クラウドラップを経由しつつ、ノイズ・ドローンに通底する仄暗さに包まれたR&B。MVが怖すぎ。


7. Oneohtrix Point Never / Still Life

ヒプノティックで美しい。これもMVが怖すぎ。


6. Tessela / Nancy's Pantry

ジャングルのエッセンスをまるで『EP7』期のオウテカのように分解/再構築することで、素晴らしく今日的なレイヴ・サウンドを披露。


5. DJ Koze / Magical Boy

まろやかなキックとメロウなシンセ、琴線を刺激するソウルフルなボーカルは清潔で晴れやかな感覚をもたらすが、決して抗菌されているわけではなく、むしろ猥雑な夜を飲み込むおおらかさがある。夜明けとともにクラブで聞きたい。


4. 豊田道倫 / 少年はパンを買いに行く

ポップなアレンジなんだけど、呆れるほどひねくれててすすけた感じがいい。

3. Justin Timberlake / Suit & Tie

『The 20/20 Experience』でティンバーレイクは時代錯誤なほど綺羅びやかなポップを展開することでゴージャスなオールド・スクール・スターの意匠を身に付けているが、その一方で彼は、ブラック・ポップの伝統と現代的なサウンドを同居させることをもって批評家からの信頼も勝ち取ろうとする野心家だ。スクリュー・ヒップホップを70年代ソウルの雛形に染み込ませたヴィンテージながらも先鋭的なトラックの上で帝王と渡り合う”Suit & Tie”ではドレイクやウィーケンドの内省をするりと飛び越え、いともたやすく確固たるスターのカリスマを見せつける。


2. 曽我部恵一 / 汚染水

速射砲のように吐き捨てられて意味を失った言葉が『Eclectic』期の小沢健二のような豊穣なファンク・ビートと合わさることでフックのスウィートなメロディとリリックを際立たせる。この批評精神がスマートに成功しているかどうかはともかく、ラブソングとして珠玉の出来だと思う。


1. 乃木坂46 / 君の名は希望

君の名は希望』をはじめて聞いた時、山下敦弘によるその見事なMVをはじめて観た時、ライブにおいてパフォーマンスを観た時、僕は過剰な情報で息苦しい世の中において、あたかもささやかな理由のためだけに捧げられたかのような、端正で洗練された手触りを持ったこの曲だけが、唯一自分のセンチメンタリズムの置所となるかのように思えたものだった。不思議なことにこの感覚は、こうした曲を乃木坂46が作れなくなってしまった今の方が強く感じられる。ポップ・ミュージックとしての寿命が過ぎ、誰もこの曲を省みなくなったとしても、僕はかつて素晴らしかったグループの、美しかった姿を忘れないように聞き続けようと思う。

electraglide 2013に行ってきた

チケットをタダで頂いたのでエレクトラグライドに行ってきました。ありがとうございます……。懸念していた音の方は幕張メッセの2エリアぶち抜きステージなだけあってとにかく反響音がものすごい。とはいえ、いい音がする場所を歩いて自分で探せばそこそこの音響で楽しめるくらいのものでまあ悪くなかったのではないか。あと(インターネットで友達が増えたおかげで)久しぶりにこういった大規模フェスに一人で行ったのだけれど、これがなかなかおもしろかった。音楽そっちのけで話したりするのももちろん楽しいけれど、到着から日が出るまでひたすらストイックに踊り続けるのもやっぱりいいですね。

  • Factory Floor

基本となるのはミニマルで無機質、ながらもアシッド風味でどこかユーモアを感じさせるシーケンサーと人力ドラムスによるリズムの反復。このドカンドカンと進行していきながらジワジワとグルーヴを作り上げていくリズムはなるほど、インダストリアルからの影響が強く感じられる。クリス・カーターがリミックスを買って出た理由がわかるというものだ。同じようなことは冷徹でささくれだったギターにも言えて、あたかもノコギリで木を削るかのようなモノクロのサウンドにはポスト・パンクからの影響を強く感じた。
3者は最初は好き勝手にやっているようだが、淡々としたリズムと鋭利なギターがジワジワと緊張を練り上げていくと同時に少しずつ調和を見せていく。緊張がピークに達したところで再び激しいドラミングが解放を促す。ノイズとビートが調和するその瞬間の気持ち良さは、意外なほど身体的でセクシーだ。ゾクゾクするし、シンプルに興奮させられる(もっと踊れないのかと思っていただけに……)。この冷たさの中にある色気のようなものがバンドの一番の魅力なのかもしれない。そしてそれは紅一点のNik Colk嬢の凛とした佇まいから自然とにじみ出る……ものではなく、彼らが冷たい質感の下にディスコ・パンクにも通じるトランシーなダンス・ミュージックの享楽性を隠し持っているからこそ得られたものに違いない。

  • Machindrum

BPM3兆かと思った。フットワークやジュークにも共鳴するであろう言わばドラムンベース現代版、というか高速ジャングル(低音の鳴りが素晴らしい)。そこに降ってくる意外なエレクトロニカ系叙情メロディーが在りし日のRephlexを思い出させたり、というか本来の芸風はこっちなんだろうなあ。華麗なシンセと暴力的なビートが見事に噛み合っててひたすら気持ちよく踊れました。

  • Sherwood & Pinch

ピンチが繰り出すブリストル直系ダブステップのヘヴィーなビートの上で、シャーウッドがダブ処理しつつエフェクトをコラージュする。ピンチはベース・ミュージック世代でジャングルを聞いて育った世代だからぶっといレゲエベースをズブズブとしたサウンドスケープで鳴らすだけに留まらず、ダブステップのエッジーなリズムを自由に操る気ままさがある。迎え撃つシャーウッドはピョンピョンとエフェクトを飛ばしたり、深くダビーな音響を作り出していく。ニュー・エイジ・ステッパーズの頃からやっていることが変わっていないとも言えるが、むしろ彼の考えるレゲエ・ダブの魅力を変わらず提示しているように思える。親子ほど歳が離れた(実際2人並ぶと親子のように見えた)2人のディープながら自由な実験精神も感じさせるサウンドにフラフラになりながらも踊った。
いやあ幕張メッセという期待できない場だったけれど、見事な低音だった。思うに、凄まじい低音を鳴らすということはそれだけで何らかの反抗となる。”Bring Me Weed”なんて言ってたら尚更だ。ニューウェーブポスト・パンクが白人とジャマイカ移民との交友から生まれた音楽であるように、信念や歴史に裏打ちされた音楽というのは表面上どんなに暗くても絶望を跳ね返すタフでふてぶてしい強度がある……気がする。こんなご時世だからこそ、マリファナを吸うおじさんが延々と映っているVJと、町中では決して聞くことのできない響き渡る低音に身を委ねていたらとても勇気が出た。文句を言うとしたらもっと深い時間にもっと長く見たかった。そういう音だった。

  • James Blake

6月に既に見たのと、なんかこう、アイドル的にキャーキャー歓声が飛んじゃう雰囲気に辟易してしまって適当に見てしまいました。”CMYK”や” Air & Lack Thereof”もほどほどに1st、2ndからの歌モノ中心で、まあここまで来るとオールナイトイベントで見るという感じではない。そもそも(曲作りのアプローチはかなりR&Bやソウルに影響を受けているのに)ソウルシンガーとして技巧的に上手いかって言われるとそれほどでもないと思うんですよね……などと文句を言いつつ、ラストの” Measurements”弾き語りには少し感動してしまった。

今更2manyも無いよな……と馬鹿にしてましたが、ここまでセルアウトというかチャラい選曲だと文句を付ける気にもなれない。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドからディスクロージャー、TNGNTにMGMTダフト・パンクジョルジオ・モロダー、ラストにYMOライディーンで時間きっちりで締め。職人芸。
あと音と完全に同期してるオーディオセットがすごかった。レコードのジャケが出てきて回してる曲を教えてくれるというDJプレイでは新鮮な面白さ。

  • !!!

フリーキーで叩きつけるような演奏を見せるディスコ・パンクのイメージが強かったのですが、そこからすれば出音は意外なほどに丸みを帯びて洗練されているというのが第一印象。整然としていながら熱が絶やされることのない、ぬるっとした都会的な質感というか。ディスコやハウスのごとく煮詰めたグルーヴと『Myth Takes』期のパンキッシュなノリとを織り交ぜつつ、ズブズブと濃密に盛り上げていく。短パンでスピーカーによじ登ったりマイク・スタンドを振り回したりゲストボーカルを呼んだり……とサービス精神も満載で楽しかったです。短パン!ディスコ!オンナ!酒!

  • Modeselektor

50 Weaponsの主宰だけあって?正統派の四つ打ちテクノを中心にスピン。今までがゴリゴリだったりズブズブだったりした中、タイトでソリッドな音像が逆に新鮮。シンプルなんだけれど「ここで来て欲しい」というところでブレイクが来たり、テクノ・クラシックをガッツリかけたりと快楽欲求にひたすら忠実なプレイで絶え間なく踊らせる。中盤からはベース・ミュージック風味を織り交ぜつつ、シャンパンをフロアに撒き散らしながら「トーキョー!」「ダンケシェーン!」とバキバキに煽っていくところが頭カラッポで楽しめる感じで非常に好感が持てました。

Modeselektorが最後の一曲をかけようとする直前でいきなり音を流し始めるという辺りが大物っぽかった。彼のプレイを聞くのは今年に入って2回目なのだけれどもちろん芸風は変わらず、ディスコやソウルにR&B、ファンクにレゲエやジャズなど広義のブラック・ミュージックを荒々しくミキシングしながら強引に繋げることで、新たなグルーヴを練り上げていく。アナログ・レコードとミキサーを楽器のように扱うそのプレイは大胆でゴツゴツとした手触りなのだけれど、黒人音楽の歴史を辿るかのようなスピリチュアルな美しさがある。ファンク・ビートのズブズブとした音に足と精神を取られている時に唐突に美しいソウルが流れてきたその瞬間の官能といったら比類の無いものがある。
そして明るくなり始めて人が少なくなっていくフロアで、この恍惚とした黒い塊のような音像をぶつけられるのは、深い時間帯に無我夢中で踊るのとは別の快感があった。最高。ベストアクト。

2013よく聞くアイドル・ポップス雑感②

また最近よく聞いているアイドル・ポップスについて感じたことを書きたいと思います。


AKB48 / 恋するフォーチュンクッキー
恋するフォーチュンクッキーType A(初回限定盤)
この曲を語る際に今更フィリーだとかオールディーズとかを参照に出して気の利いたことを言うのはもはや野暮というものだし、ダフト・パンクを引き合いに出すのも、はあそうなんですか……くらいしか言えないんでとりあえずそういうのを無しとして聞いてみる。すると、ここにあるのは驚くほどメロディアスなベースラインを軸に組み立てられた骨太なリズムと、それを彩るコーラス、雄大で懐の深いホーン・ストリングスであり、その流麗さと華麗さは秋元康の使い古されたリリックをあたかも賑々しく新鮮なもののように思わせるのに十分な響きを兼ね備えている。AKB48は確かに秋元康の存在を抜きにしては語れないグループであるわけで、そんな中この曲は手垢にまみれた歌詞を豊潤なダンス・ビートに乗せることを選択し、結果としてその響きが、あたかも彼女らが選びとった言葉であるかのような錯覚をもたらすことに成功している。それこそがこの曲の素晴らしい点ではないだろうか。これはアイドルソングとしてとても正しく、またあるべき姿のように思える。
まあ、AKB48がAKB商法だとか世間に後ろ指を指されていた頃に僕は後ろ指を指していた人間なのですが、それはさて置いてもこれこそはそうした雌伏の時期を乗り越えて、社会現象となった後、国民的アイドルとして鎮座するために必要な、老若男女の誰もがついつい口ずさみ、踊り出してしまいたくなるような微笑ましく愛らしい『Baby! Baby! Baby!』以来のファンキー・ポップと言いたい。


乃木坂46 / ガールズルール
ガールズルール (DVD付 / Type-A)
これまで乃木坂46は優等生的で清涼感のあるプロダクションに音楽的リファレンスを裏から忍び込ませることによって、驚くほどみずみずしく一貫性のあるシングルをリリースし続けてきた。33人という大規模のアイドル・グループでは声を匿名的な響きと化すまで重ねあわせなければならない商業的要請があるため、ボーカルによって固有のペルソナや意味を獲得することが難しい。そこで代わりにサウンド・プロダクションによって固有性を突き詰めていたわけだ。ここで乃木坂46が面白いのは、そうした試みが頭でっかちでコンセプト先行のもったいぶったものとして大袈裟に披露されるのではなく、あくまでJポップ的に抗菌されたテクスチャーの下でさりげなく目にすることができるところにある。自称音楽ファンだけが元ネタ探しと称して特権主義的に楽しめるような閉鎖的なものではなく、誰にでも良さがわかるキャッチーなポップスとして成立させる気概があるというべきか。
ただ、AKB48の夏ソングの没案をそのまま流用したかのような『ガールズルール』はデビュー以来貫き通してきたその美点を横にやり、見返りとしてアイドルバブルの昨今ではありふれすぎてしまったシンプルでエモーショナルな高揚を今更獲得しようとしている。若干生っぽいドラムスやギター、サックスという点に”らしさ”を感じられなくもないが、やはり高中音域に詰め込んだグシャっとした音像が完全にAKB的だしもっと言えばホイッスルとかそういう盛り上がりの要素をバカバカに詰め込んでるところがスパガっぽくもある。
狙い自体は成功していて出来自体は悪くないのだが、個人的にはやはり前述の美点を素直に引き継いだカップリング曲を擁護してしまいたくなるわけで……。完全に重たいキックと浮遊感あるクールなシンセによる不思議ちゃん系テクノポップ『他の星から』(MVが最高!!!!!)ギター処理の凄まじいダサさから90年代の意匠を匂わせつつそれにEDMのエッセンスを振りかけた『世界で一番孤独なLover』は新境地。泥臭さを完全に去勢しながらふくよかなキーボードのメロディラインとワン・ドロップ・リズムまで用いて半歩後れた心地良さを演出することで、『ガールズルール』とは違う夏の過ごし方を物語る『扇風機』とブラジリアンなリズムにさりげないストリングスを絡ませるアレンジもさることながらJ-POPには珍しいほど各楽器がちゃんと聞こえる音処理に好感を持たずにはいられない『人間という楽器』の2つはまさにこれ!と言いたくなる乃木坂流のポップスだし、メロディック・スピード・メタルの過剰さをアイドルソングの駆動力として強引に変換するという試みにしれっと成功している『コウモリよ』も……まあ、BABYMETALなんですけど悪くない。


Especia / AMARGA
AMARGA-Tarde-AMARGA-Noche-
これは素晴らしいのではないでしょうか。Especiaの2ndは1stに比べてずっと自信に満ち溢れて、確固としたヴィジョンがアルバム全体を支配している。すなわち80年代のシティ・ポップをコスプレのようにそのまま再現するという。ま、それだけなのだけれど、Especiaのずば抜けているところはソングライティングの圧倒的な良さと80年代へのフランクなノスタルジアにある。アイドルにシティ・ポップをやらせるということがどのような意味を持っているか、などという高尚なお題目、シティ・ポップの「批評的解釈」などではないわけだ。そしてそれはこのグループの持つディスコティックで享楽的な魅力に繋がっている。昨今のシティ・ポップ再評を背景にしながらの”Midas Touch”カバーなど聞き所は満載。ただしこのプロダクションのあまりの隙の無さはアイドルポップというよりは、レア・グルーヴにおけるカルト・クラシックあるいはブックオフ250円コーナーからの思わぬ掘り出し物という趣の方が強くもある。


BiS / DiE
DiE (SG+DVD)(LIVE盤)
6人編成となってもMVやプロモーションの過激さは健在。とはいえ、ドラマティックな表題曲もスカコアの『Mura-Mura』も「アイドルにやらせた」というフォーマットの面白さ(が未だ有効なのか?っていうのはともかく……)を抜きにするといかにもバンドマンが自分の得意分野を活かしてプロデュースしたって具合のオーセンティックなもので、ポップに振りきれたメロディの良さが耳に馴染む手堅いポップ・ロックといったところ。巷によくあるオマージュという美名を借りたB級ジャンル・ムービーの再演のような印象はあるけれど、そういうのに限って案外楽しめたりするものだと思います。


Lyrical school / PARADE
PARADE(初回限定盤)
ライムベリーとリリカルスクールは、アイドルとラップの掛け合わせという表面的な図式に限っては共通だがその性質は完全に異なる。ライムベリーがわかりやすくサンプルを活用したりラインを借用したりと90年代ヒップホップを大きな源泉の一つとする(それに留まるものではなく、もっと遡っていたり多種多様なジャンルを引き合いに出してはいるのですが)結果としてある種のノスタルジックな過去を想起させる側面があるとすると、リリカルスクールはアイドル・ラップシーン(そんなもんがあるのか、、)におけるジュラシック5のような存在だ。つまり、彼女らは過去の音楽的遺産の数々をモチーフとしようとする復古主義者ではなく、オールドスクール・ヒップホップの新鮮な溌剌さをアイドルというフォーマットに持ち込み、まったく気負いの無い姿勢でかき回す存在であり、それは「どう料理するか?」というサンプリング美学が立ち上がるよりもっと以前の話であり、ラップをパーティーの手法として無垢なまでに楽しもうとするオールドスクーラーたちのアティチュードを実演するかのようでもある。
最新作のPARADEはポップ・メロディを大胆にフックへと呼びこみながら、同時に今時では普通のヒップホップですら聞くことが難しい驚くほど太いブレイクビーツで楽曲にギアを踏み入れる。まるでガールズ・ポップのような賑々しいリリックを、技法やクリシェにとらわれる以前の言葉遊びの楽しさに満ちたラップと彼女ら自信のキュートさでコーティングすることで、彼女らはパーティーと恋愛が同じくらいにフレッシュで楽しむべきものであることをほのめかしている。


Dorothy Little Happy / colorful life
colorful life (SG+DVD) (Type-A)
ドロシーは曲が良いとはよく言われることだが、それは例えば東京女子流のようにドス黒いアレンジが凄いだとあるいは特定のジャンルを取り入れるセンスが面白いだとかそういう話ではなく、純粋にポップスとしてソングライティングと歌詞、歌唱をそれぞれ練り上げ、配慮しながら一つの曲としてまとめあげることで獲得されたまさしく「曲の良さ」であるように感じられる。そして、そうしたひたむきさとは楽曲としての質が高みに昇りつめるという形で結実するものである。実際この『colorful life』はギターポップ風のアレンジだが、かのジャンルにありがちな後ろ向きな側面を取り去り清涼感だけを抜き出してアイドルソングのフォーマットに組み込ませることで見事に少女たちの瑞々しく弾けるような魅力を引き出している。こと曲の良さといえば複雑な進行やマニアックなセンスなどに走りがちな昨今のアイドルバブルで、このような形の優れたポップソングが存在していることはとても頼もしい。


Bellring少女ハート / Bedhead
BedHead
マニアックなセンスと複雑な進行、それに乗っかるアイドルたちのボーカルはヤク中患者のようにヘロヘロであり、その分業は狙い澄ましたギャップの面白さを机上のものとして終わらせるに留まらない成功をもたらしている。またヴィンテージでアナログ・ライクな音色を添えてゴシカルな世界観を形成することでアイドル・ポップスというシングル偏重になりがちな分野におけるもっともありがちな失敗であるところのアルバムとしての統一感の無さも軽々と克服し全15曲だがまったく飽きさせることのない面白さを最後に至るまで維持し続けているわけで、確かにいわゆる「音楽性」は非常に高いようにも思えるが……でもこういう破綻したサウンドを目指した破綻のなさってなんか少し物足りないというか小賢しく感じられる。非の打ち所がないところが一番の非の打ち所っていうのはちょっと穿った見方すぎるか。

2013上半期統括

まー今のところの雑感ということで。


よかったアルバム

  1. Run The Jewels / Run The Jewels
  2. Kanye West / Yeezus
  3. Justin Timberlake / The 20/20 Experience
  4. Chance The Rapper / Acid Rap
  5. Disclosure / Settle
  6. Talib Kweli / Prisoner of Conscious
  7. KMFH / The Boat Party
  8. Rhymester / ダーティーサイエンス
  9. 豊田道倫 / mtv
  10. J.Cole / Born Sinner
  11. Grouper / The Man Who Died in His Boat


よかったミックス・コンピ

  1. Eglo Records Vol.1
  2. Sandwell District / Fabric 69
  3. Petre Inspirescu / Fabric 68
  4. Grime 2.0
  5. DJ Sprinkles / Where Dancefloors Stand

よかったシングル

  1. 乃木坂46 / 君の名は希望
  2. 坂本慎太郎 / まともがわからない
  3. lyrical School / PARADE
  4. Pete Swanson / Punk Authority
  5. アップアップガールズ(仮) / リスペクトーキョー/ストレラ!〜Straight Up〜

よかったイベント

  1. 16人のプリンシパルdeux
  2. アップアップガールズ(仮)対バン行脚(仮)〜東京決戦 VS BiS
  3. BiS4
  4. 前野健太ワンマン
  5. Starfes

よかった映画

  1. ホーリー・モーターズ
  2. ムーンライズ・キングダム
  3. ジャンゴ 繋がれざる者
  4. 世界にひとつのプレイブック
  5. LOOPER


よかったアルバムについてはちょっと感想をいずれ書ければいいかなー、と思います。バイッッ

2013年上半期よく聞いたヒップホップ・アルバム

ということで2013年の上半期、現在進行形でよく聞くヒップホップを取り上げ、その魅力に迫りたいと思います。



Chance The Rapper / Acid Rap (FREE DL)
シカゴ出身若干20歳のラッパー、チャンスは2作目のミックステープにおいてブルース、ジャズ、ソウル、ハウス……すなわち彼の地における黒人音楽の歴史を包含しようと目論んでいるようだ。だが彼は教義に忠実な古典主義者では決して無く、思う存分外の空気を吸い込んでいく。ゆるゆるとした上モノを陶酔的に用いてヘヴィーなボトムと共に進行していくトラックはドリーミーでありながらも、多彩なサンプルがメロディックで重たすぎることはない。またライムも一見着実に固めていくと思ったら即座にその表情を変えていく。時に喚き散らし、混乱しながらだがその混乱こそが人間の姿であるとでも言わんばかりに気にもせず情感豊かに突き進んでいく。この空想的な過剰さはプリンスやアンドレ3000のようなヒップスターに……はさすがに遠いが、その素質の片鱗すら感じさせると言っていい。諧謔的なラップはまるでドクター・ドレーに見出された直前/後の頃のエミネムのようでもあるし、ホーンやストリングスをベタつかない程度にビートに従わせていくポップセンスはジョン・ブライオンを率いていた頃のカニエ・ウェストのようでもある。とはいえ、全体のサウンドスケープは『チョコレート・ファクトリー』の頃のR・ケリーを彷彿とさせる。逆に言えば既聴感あるネタ使いも合わせてそうした過去の再生産に過ぎないようにも思えるが、しかし” Good Ass Intro”でのジューク使いやスクリューといった技法をわかりやすく用いて同時代性への目配せにも自覚的であるところがそうはさせないポイントとなっている。それにしてもタイラーの新譜といいこのジャケは……。


LONG LIVE ASAP
A$AP Rocky / LONG.LIVE.A$AP
ハーレム出身の俊英ロッキーを一気にスターダムへ押し上げたミックステープ、『LiveLoveA$AP』にはチルウェイヴやクラウド・ラップのベッドルームにおけるスクリュー感覚があった。それはベッドルーム的感覚のもう一つの展開先でもある80sエレ・ポップの軽快さやディスコの享楽性と結ばれることなく、むせ返るほどの紫煙のヒプノゴティックな重厚さに満ちていた。あたかも、インターネットの過情報を全て飲みこむかのように……。
しかし、およそ1年半の時を経て届けられた今作『LongLiveA$AP』においてはあのデジタルに込み入った密度は、むしろ洗練された風通しの良さに取って代わられてもいる。メランコリアの中に存在する美しさがダーク・アンビエントの幽玄なソウルとも共鳴するであろう、ロマンティックな”Long Live A$AP”で幕を開けるこのアルバムにおける洗練はやはりロッキーの同時代性をすくい取るトラック選びの嗅覚とラップスタイルの多様性に負うところが大きい。例えば”Long Live A$AP”や”Fashion Killa”といった曲のトラックだけを取ってみれば流麗なアンビエンスが特徴的で非常に今日的なスタンダードを作り出していく意欲に満ちている。そこにはエレガンスな態度すら感じさせるのだが、当然一筋縄ではいかない。ここではロッキーのラップこそがだらけて締まりのない流麗さに傾倒したクラウド・ラップの紋切り型から距離を置き、ヒップホップ・アクトとしての誠実性を貫く最大の強みとなっている。彼の披露するラップは驚くほど若々しく、南部の自由な都市描写からの影響を孕んだ豊穣なものであるから、ライミングには歌心もあり、なだらかにトラックと渡り合う。
だから、本作における洗練は耳障りの良さだけをもたらすものではない。切り刻まれたベースラインは一貫性を欠きつつもそれが故に姿を自由自在に変えていく”Goldie”やオールド・スクール・ポッセ・カットを思い起こさせる生々しさに満ちた”Fuckin’ Problems”におけるヒット・ボーイのプロダクションはヒップホップの伝統芸能である荒々しいビートの持つ肉感性を現代のハイファイなサウンドへ落としこむことに見事に成功させていて、スタイリッシュでありながら同時にビートとライムという基本形を疎かにしようとはしない美学がある。つまり、ロッキーは決してヒップホップの泥臭さを忘れようとはしていないのだ。
それは多分に全方位的、八方美人的ではあるけれどクラウド・ラップやスクリュー・ビートのメインストリームにおける一つの発露としては文句の無い出来ではなかろうか。前作がストリートの感性をベッドルームに持ち込んだものだとすれば、こちらはベッドルーム感覚をストリートに持ちだしたかのようである。


12 REASONS TO DIE (DELUXE)
Ghostface Killah & Adrian Younge / Twelve Reasons to Die
独創的で色褪せることのないライムの饒舌なコーディネイターゴーストフェイス・キラーをレトロ・ソウルの復古主義者エイドリアン・ヤングがバックアップした本作は総帥RZAの監修があるせいだろうか、驚くほどウータン・マナーに忠実だ。すなわち、煤けた70年代ソウルを謎めいた高揚で煮詰めた仕上げに一匙のアヴァンギャルドを足すことで、怪しげに断片的な語り口として甦らせようとしている。しかし、単なる模倣に終わるわけではない。同時に「68年に撮られたイタリアン・ホラーのサウンド・トラック」が本作におけるサウンドのインスピレーションであるとするヤングはウータンのブラック・スプロイテーションとカンフーという要素を、チープでコミカルなおどろおどろしさに変換している。B級ホラーとレトロ・ソウルの意匠が巧みに交わることで、あたかも埃を被ったヴィンテージでモノクロな三文小説の亡霊を呼び寄せているかのようだ。
また、ウータン随一のソウル愛好家でもある主役は20年前から完成しているラップスタイルを職人のような慣れた手つきで情熱的に披露する。今回のリリックは彼にしては意外なほど平易で簡易な語り口だが、それがラップの魅力を損なうことはない。時にサンプルと競い合い、時にゆったりとくつろぎながら、気まぐれなライムを吐き出していくことで豊かな才能を持つ新人の向こう見ずさと枯れることを知らないベテランの円熟を見事に両立させている。
不満がないわけではない。ヤングのプロデュースは後半やや焦点を欠いていくし、何より40分に満たないプレイタイムは短すぎる。詰め込みすぎて冗長になるラップ・アルバムというのが枚挙にいとまがないのも確かだが、少なくとも彼のラップがあるならそれだけで退屈で長すぎるということはない。


The Bridge-明日に架ける橋
ECD / The Bridge〜明日へ架ける橋
ECDは二人の娘を抱える警備員であり、反原発を訴えかける反骨精神に満ちた闘士である。同時に日本におけるヒップホップの黎明期の目撃者であり、ビートと競い合う優れたラッパーでもある。またユーモアに裏打ちされた、シーンに対する批評精神はパンクスのそれを踏襲しているとも言える。つまり、何が言いたいかというと……このアルバムはそうした彼の要素がすべて注入された極めてパーソナルでオリジナルな作品でありながら、そのリリックにおいて隠すことなどまるで無いように振る舞う「リアルさ」がヒップホップにおける美学として昇華されており、それゆえにどれほど生々しく逸脱していようとヒップホップ的な文脈から見て優れたものであるということ。
だから「こんなラップは世界に一つだけ」というのは過言ではなく、若さと向こう見ずであることが賞賛されるヒップホップの定形からはかけ離れているが、それがゆえに逆説的に、自らのハスリングをそれらしく語る若手ラッパーより「リアル」であり、教義に忠実なヒップホップ信徒よりも「ヒップホップ」足り得ているわけだ。
もちろん、リリックに力を入れる余り退屈でエゴイスティックな作品に堕すというありがちな失敗にECDが陥るはずもない。『ダーティーサイエンス』の裏の側面とも言えるようなイリシット・ツボイが統制と混乱をもたらしたビートは前作を踏襲したものであるが、より攻撃的だ。ポコポコしたスネアとキック、ひたすら鳴りまくるハイハットの連打は真っ先にジュークを思い起こさせるが、更に遡って発狂したエレクトロ(言うまでもなくフレンチではない)のようでもある。そんなビートの乱れ打ちを相手にして主役のラップは時に寸詰まり、ライムを切りながら巧みに言葉を吐き出していくがまるでミッキー・ウォードのように一歩も引くことがない。


DECORATION
KLOOZ / DECORATION
トリッキーなライム・マニアのフィジカル・リリース一作目はAKLOSALUのそれとは異なり多くのプロデューサーを迎えたカラフルな出来だが、あくまでそのパレットを操るのはトラックメイカーたちではなく最終的には彼自身のフロウであるという所がポイントだ。トリッキーにビートの隙間を探しながら、ここしかないというタイミングでカウンターをかましていくそのラップは偏執的なまでにライムへと飛びつき、表情豊かに言葉を撃ち込んでいく。その姿は華麗というほかない。
また、ありふれたトピックを鮮やかに蘇生させる切り口も秀逸だ。いかにも太古の昔から受け継がれているヒップホップ・ゲームにおけるセルフ・ボースティングがアルバムでは散見されるが、しかし”Supa Dupa”や“整備工場”においては逆転した視点で飽きさせないし、KREVAのストリングスの重々しさをビートの切れ味に変換させる見事な”It’s My Turn”でもまったく怖気づくことなく対等に渡り合う。その一方で”007”や”I’m Gone”など振れ幅を見せることも忘れない。思うに優れたラッパーとはヒップホップ・ゲームにおけるスキル誇示に浸ることはなく、ユーモアと知性で観客を楽しませることの重要性を見落としはしないものだ。


FL$8KS
Fla$hBackS / FL$8KS
キエるマキュウの『Hakoniwa』は素晴らしかった。サンプリングやアナログへの信頼と激烈なミキシングによってこそなる、優れて逸脱したトラックにひたすらナンセンスなリリックだけが充満していくその姿は90年代的であることが現代においても洗練させた表現を生み出す支障とはならないことを証明していたのである。このFla$hBackSも同様に、90年代的であることが時代遅れだというのは懐古主義者のセンスが悪いだけ、と言わんばかりにひたすら「ドープ」で「イル」なサンプリング感に満ちたトラックと言葉を切り詰めビートにハメていく若干のイナたさを感じさせるラップを披露する。それでいてクールで洗練されているのはS.L.A.C.K.やSimi Labなどとも共通する、身体化した優れたタイム感に寄るものだろう。実は極めて同時代的でもあるのだ。
すなわち、彼らは90年代から今に至るまで同じ事をしているわけでは決してなく、あくまで今に生きる若者としてこのスタイルを披露しているわけである。それはむしろリヴァイヴァル的な発想に近いだろう。だから錆びついたところなく、切れ味が鋭いのだ。それとラップが幼少期から身近にある世代特有のそれを日常のものとして楽しみ、遊んでいる感覚は率直に頼もしい。