菅野美術館
昨年休館日で行けなかった菅野美術館に再チャレンジ。
白い展示空間ですが、この場所で展示する存在感がありました。
ディテールが荒々しく、展示空間=白のイメージとの明らかなズレが空間に生じているようで面白いです。
切り取られた写真的シーンと多方面から見るルーブル展示的シーンが一緒になっていたんじゃないかと思います。
ルーブル〜ってなんだというと、ごく個人的な体験に基づくことで
スケールは全く違うし施設の全体と断片とで違いはあるけれど、ルーブルで体験した作品との出会い方が見れました。
うまく表現できませんが、多分切り抜け方と階段の入り方、上下の角度。もっと観察しとけば良かった...。
構成がぎゅっと詰め込まれていて、スケール以上に作品を楽しめました。
年二回の企画展と常設展とで空間の使い方を変えているそうで、
そう言われると今度は企画展も見てみたいところです。
随所に見えがあり(キメ抜けみたいな)そこに作品が展示されていましたが
置かれていないところもあったので、この辺が企画展で異なった構成になってくるのではないかと。
ちなみに秋か冬にはナイトミュージアムも実施しているそうです。
受付横のファイルに施行過程の写真記録がまとめらえていて、この傾斜にどうやって美術館を建てたのかが分かります。
結構アクロバティックです。というか劇的なゴリ押しです。笑
お恥ずかしながら僕は後で知ったのですが、コレクションは近代彫刻のスーパースター揃いで
日本のあるジェネレーション的な嗜好が見えました。
きっと強い憧れとそれが与えてくれる力があったんだと思います。
入口に彫られた文にもそれが強く感じられます。
Iannis Xenakis
数学と建築を学びコルビュジエの元でも働いた現代音楽作家です。
なんでも窓の配置寸法を曲にしたとか。ドキドキしますね。
この前話題に上がったのですが、聴いたことなくて寂しい思いをしたので聴いてみました。
が、…よく分からない。というか楽しめない。
音楽は聴いて楽しむしか能がない僕にはシステムのようなことはわかりませんでした。
けどこの曲は楽しめました。
切り貼り感が現代的。現代音楽とかの現代ではなくて、もう少し最近の現代という意味で。
クセナキス…どこかで聞いたなと思ったら
グラン・シップで演奏者がバラバラになって観客と一緒に指揮者を囲んで円になりながら演奏、鑑賞をしたとかいう
噂の不思議なコンサートの曲を作曲した方だったんですね。
鑑賞方法も含めての作品だそうです。Nomos Gamma。
行ってみたいなー。きっと何も分からないけど。行かないと永遠に体験できない。
オーケストラとかちゃんとお金払っていったこともないくせに。笑
デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来 展シンポジウム2(議論編)
書くと豪語してしまったので、他のシンポジウムとごっちゃになりつつあるメモと記憶で続きを書きます。
議事録っぽく書いてるところがありますが、完全に書き手のフィルタがかかっているので注意してください。
シェアハウスをキーワードに議論を展開。
篠原聡子さんが軽い分析と感想。そしてシェアハウスの課題を挙げます。
パネリストのプレゼンはメディア、住み手を巻き込んだ形が示され、建築のパーツだけでは得られない共感を引き起こしていると。このような共感は場所性の結束と考えることもでき、似たモデルとして従来の家族という形があると指摘。
しかしこれは排他的且つ硬直化して形骸化してしまった。
それを踏まえての課題は
・いかに楽しくシェアし続ける仕組みを作れるか。硬直化させないか。
・用意された物語がない今、物語は自分たちで作らざるを得ないが、これが出来るのは強者のみではないか。はじかれた人を価値観、世界観のシェア空間に迎えられるのであろうか。
これらは前回記事のコメント欄で若干触れたと思います。
そこで南後由和さんから大島さんへ「価値観、世界観を共有できる適正な住戸数、住人のスケールはあるか、それはどのようなものか。」というような質問。
大島さん:スケール感は大事で感覚的には30世帯くらい。実際物語を作る価値を持つ人は30〜50世帯ぐらいを選択するというかんじだそう。タワーマンション程になると難しい。
篠原さん:200戸ぐらいだと集合住宅内にいくつかの趣味の集まりができる。これも世界観、価値観の共有(=物語)の一つの形なのではないか。30世帯の住宅とは性質が異なり、一つの物語では括れないがいくつかの物語を内包する200世帯の住宅。それらいくつか発生した物語より弱いつながりを持った、個々の物語を包括する物語はあるのか。
この辺少し僕の解釈が入ってますが
それは個々の物語の共通点をかすめ取る物語なのか、それとももっと多くの人が何となく共感しうる物語なのかという問いになっていったかと思います。
大島さん:集合住宅の敷地にある「森」を利用。多くの人が共感しうる緑への気持ちよさを住宅内の物語としたとのこと。つまり後者に当ります。
ただ僕は人が森を好む物語に胡散臭さを感じている所為かこのケースはうまく飲み込めませんでした。今までのタワーマンションにあった庭園との違いが分からないというのが正直な感想です。そのためこの森がなんなのかはうまく書くことが今出来ません。無念。
猪熊さん:規模と運営の仕方をセットにして考えることが物語を継続、更新する上で必要と指摘。
設計中の41戸の共同住宅ならどうするか具体例として提示します。
一つはこの共同住宅は9階建てで垂直性があるのでクラスター分けを行うこと。下階と上階では接点は少ないが共同部を設けることで交友関係を持つ機会を含ませていくこと。
クラスターが出来るまでは管理側主催でパーティを行う。清掃会社を共同出資で雇うなど管理の上での共有意識を持つことが重要であると。居住者全員を知らなくても共有できる仕組みをつくることが41戸を繋ぐ解として示されました。
そして規模と管理が大事なのではなくて規模と管理の組み合わせを考えることが重要なのではないかと結びます。
ここで大西麻貴さんから、今までの議論のアイデアはソフトでも出来ると指摘。では空間で物語を継続する可能性はあるのかという投げかけがされます。
大島さん:カスタマイズ性を如何に担保してデザインするという回答。そこで時間の重要性も上がります。
更新はリセットではなく、そこに住んでいた人の記憶=その人の作った空間が更新の価値になる。その記憶を残してそこから面白さを追加して物語を更新する積み木的な空間の在り方が考えられるのではないか。
篠原さん:カスタマイズの余地に加えて手間がかかる建築の必要性。
鈴木志麻さんから集住は調べていて面白かったが、住みたいかどうかは疑問というギャップがあったという話。ライフスタイルを自ら作る意識が強くない人。また一般的にそういった意志の強くない年齢層にはどう働きかけるのかという投げかけ。
加えて南後さんからデザイナーズ住宅という概念が流行り出した90年代からの住人と今の住人と属性は変わりつつあるかという質問が大島さんに、現在進行中のプロジェクトでは入居者層はイメージしているのかという質問がナルクマ事務所にされます。
大島さん:自社会員に属性(五択くらい用意)を聞いたところ昔はクリエイターが多かったそうですが今は7割は会社員と答えるそうです。特殊層から一般化した表れと捉えられる面白い結果です。
また、オーナー側も70〜80歳代から40〜50歳代へと引き継ぎの時期だそうですが、前者と後者では全く違う意識を持っているそうです。
成瀬さん:鈴木さんの感じたギャップには共感する部分があり、成瀬さん自身共同で住むことにハードルは感じるし共同住宅も初めピンとこなかったそうです。が、無縁死三万人という状況などを考えると開けた人が増えた方がいいなと。自分の想像の範囲だけでは作っていてはダメだと思うので可能性にかけている点があるそうです。
リアリティと予想できない他者を受け入れるための自己の排斥のバランス。
猪熊さん:ナルクマ事務所のプロジェクトはターゲット層は決めていないが、自然と対象を限定する要素はある。例えば安くはない土地柄。そこから付加していくターゲット層のマーケティングはあるのではないか。
条件、要素が共同体にフィルターを挟む。
南後さん:これからはデザイナーズ住宅も20〜30歳代から高齢者を考えることが重要になる。
大西さん:カンカンハウスやデイケアセンターのモデルが高齢者が集まって住むことへの発展性を持っている。
従来は元民家というケースが多くあるが、民宿のようなデイケアサービスのようなカフェのような意味を重ねることで様々な年齢層の人が訪れる空間にもできるのでは。そこに空間的な広がりの可能性があるのでは。
篠原さん:デイケアは民家がうまくいく例が多い。民家の経験値を読み替えて作ることに空間の可能性を感じる。新築の限界もどうしてもこの辺にあるが、読み替えた要素を組み込んで新築することはあり得る。
馬場さん:高齢者施設的に一カ所に住むだけではなく、エリアで住むという方法もある。馴染みのある地域、それぞれの高齢者が定着しているエリア。
大島さん:高齢者をサービス漬けにしてはいけない。自立する意志は必要。手間のかからない老人(笑)を育てるかんじ。デイケアサービスをシェアするのではなく趣味をシェアする関係から共同住宅を作る、コンセプティブマンションという在り方。初老の陶芸好きが集まって住んで、そこで晩年を迎えたらお互い気に掛け合うような関係。地域から見ると高齢者は重要なインフラ。地域のコミュニティリーダーとしての高齢者という可能性もある。
終盤の議論に関してはこれからの社会を考えると必然的に上がるテーマだと思います。
これからの高齢者人口率を考えると地域のコミュニティリーダー像は難しいと思いますが、共通の物語の延長線としての高齢者コミュニティに可能性があると思いました。蜜に集まって住みやすい導入もそこにあると思います。
老老介護の状況はかなり厳しいと聞きます。一対一の負担では破綻してしまうところをそれぞれの負担を数十人で分かち合いながら、それを信頼して託せる関係のある住環境をしかも物語を共有して楽しく暮らせるビジョンというのは明るいし、そういう状況を作れるようにアイデアを出し合い、実現していくのは建築家の扱う仕事として今回の展示のテーマにもフィットすると思いました。
東京R不動産やbluestudioのモデルに大西さんの空間が貢献する物語性という指摘と、猪熊さんの提示した規模と運営の在り方のデザイン性を織り交ぜて考えていくと明るい可能性がありそうです。
また物語の重要性とデザインの拡張性はこのシンポジウムの大きな提言だったと思います。
長くなりましたがこれにて終幕。
デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来 展シンポジウム2(提示編)
テーマは「集まって住むことの広がり」。
東京R不動産より馬場さん、成瀬・猪熊建築設計事務所のお二人、bluestudioより大島さんがパネリストとして登壇。
まずは馬場さん。
80's、90's、00'sと続く「デザイナーズ」住宅のブームを経て居住者の空間への感受性が向上した現在、新しい「デザイナーズ」の在り方があるのではないかという問いかけ。
例として提示された新しいデザインの在り方は以下の通り
・共有のデザイン
・所有形体のデザイン
・時間のデザイン
・働き方のデザイン
・エコノミクスのデザイン
・場所のデザイン
東京R不動産の実例を元にこれらの要素を当てはめながらプレゼン。デザインの変数、領域拡大という点に集約されています。
現在価値観が多様化する社会の中で共通の理想的ライフスタイルを提供することは不可能。
逆に言うと個々の価値観にライフスタイルをフィットさせる機会を提供できる住居が求められているというわけです。
実際個々の価値観にフィットしたライフスタイルで住居の変数を絞れば、駅チカ、広い間取りと言ったステレオグラムに縛られないそれぞれの居住者が(馬場さんの言葉を借りれば)クレバーにライフスタイルを選択している例が多く紹介されました。
個々の価値観に変数を当てていけば必ずしもステレオグラムな価値観は必要とされないわけです。そういった条件を捨てしまってもかまわない。
共通の価値観がないから逆に建築デザインの拡張性が潜在的にまだまだある、むしろ必要不可欠というかんじでしょうか。形体デザイン以外にもデザイン性が求められていると。
こういう話はデザインの話を聞きにいくとよく聞く話だなーと思いましたが、よくよく思い返すと建築デザインに関しては形態論、作家論、環境論以外のデザイン論が少ないことに気づかされました。
デザインの領域拡大はまだ軽視している部分があるのではないか。となると少数のしかも建築のみのエキスパートがいくら変数を統合しても限界があるようにも感じます。その限界がこれまでの建築デザインであり、これを扱いきる建築デザイン拡張の在り方、多数の変数を扱う持続的チーム像も問われるように思います。(そして東京R不動産とOpenAの関係が一つのモデルを示しつつあるというかんじでしょうか。)
次は成瀬・猪熊建築設計事務所より。
プログラム→設計→使用
という受注型のポジションを変える在り方の提示。奇しくも?それまでの論点を引き継いでいます。
目指すモデルは
プログラム←設計→使用
設計において空間に限らずシステムや使い方など同時提案を行うことを狙っていきます。
進行中プロジェクトのプロセスが非常に面白かったのですが、進行中は進行中ということで伏せで。簡単に言うと積極的に提案する領域を増やしていくという行動を取り、大きくプロジェクトを展開させています。
単純な住戸面積のみで収益をシミュレートするのではなく、それを超えた変数でシミュレートする。収益性をデザインしているというわけです。集合住宅ではなく共同住宅というのがミソ。
そして大島さん。
Narrative Design、物語をデザインする。という提示。
住居を「借りる」と「買う」の間の「中間層」が増えているという分析。これは先に馬場さんの話にあったクレバーにライフスタイルを選択している層と被ります。この層というのは端的に言うと年齢層に当ったかと思います。
この辺の年齢層やら所得やら家族構成やらの傾向は色んなテーマに絡みそうで、非常に複雑で分解、カテゴライズはさして意味を持たなくなっていくのではないかと思います。だからこそ簡単なカテゴライズとそこをスタートとしてフローチャート的に拡張したデザインの領域から提案を行うことに意味がありそうです。
話を戻すとその「中間層」は「あえて賃貸派」と「流動資産派」に分割されます。
いずれも自己の価値観とライフスタイルをフィットさせる合理的選択を行います。住環境は与えられる物ではなく、自ら作るものだという考え方であるようです。
とすると設計者はそのための下地を作ることが要求される。
そこから共同住宅の話に移ります。
共同住宅は個々の人ではない仮想誰某を相手に設計しないといけなくなります。そこで先ほどの層から支持を得るにはどうするのか。
端的には価値観と世界観のシェアをいかにデザインするかということになります。
それにより住宅の差別化と居住者のフィルタリングを同時に行えます。これは多様な事象から単純なシステムで特定者を引き上げるうえでかなり有効だと思いました。
世界観=物語が共有できる人達が集まる住居。一つの共同住宅が一つの物語を共有する。
ちなみに規模が拡大した場合どうなるのかということは後の議論で、複数の物語とさらにそれを緩くつなぐ物語の存在があげられました。
この場合でも、物語の共有ができなくなったら軽やかにそこから出て行けるというスタンスが前提なのは間違えありません。でないと某ニュータウンの南仏風なになにの抜け殻に成り果ててしまいますから。
と、この辺で長いし疲れたので一旦区切ります。今度はちゃんと続き書きます。
可能世界空間論ー空間の表象の探索、のいくつか より
今日某三大学卒計講評会に行けなかったため不貞腐れて会期ギリギリに滑り込んできました。
可能世界空間論ーー空間の表象の探索、のいくつか
久方ぶりのICCでしたが、いつ行っても展示が知的刺激に満ちていて楽しい。
今回の展覧会は4つの提案を空間化して、どれも楽しかったのですが、
舘知宏さんの建築折紙がめちゃくちゃ面白い。
駄文で説明してもさっぱりですし百聞は一見にしかずということで
How To Fold a Bunny
Real Rigid Origami
ウサギちゃんはポリゴンのモデルとして有名な形だそうで、「立体形状を折紙化」した物の一つです。
折紙の作成プロセスを逆転させて形から折り方へのフィードバックを行っています。この試みを「自由折紙」「剛体折紙」という切らない、貼らない、伸ばさないの折紙アーキテクチャを利用した人体スケールでの試みが
Real Rigid Origamiになるわけです。一面のみが固定されていてあの面を押すことであのように形が変わっていきます。実際やっても得体が知れない感がすごい。
これの工学的応用をも研究しているというのだから興奮。
この展示会意図してか4つの提案を組み合わせた応用が色々できそうで、中でもこの折紙建築と中心が移動し続ける都市を組み合わせたら面白そうと思いました。中心をずらすロジックを折紙化する、とか。
折紙は公開されているので一度折ってみようかと思います。