今日をもって「偉人に学ぶ」を終了とした。

のべ10万人近い読者の方のご声援により、一年間継続することが出来た。
この大きな力に感謝。非公開では到底、成し得なかった。
あまりにも多くのことを教えていただいた偉人に感謝するとともに、
人に授けられた叡智を無駄にしてはいけないと痛感した。 

夢見て生きてきた       

隆慶一郎

きょうは時代脚本家であり小説家 隆慶一郎(りゅう けいいちろう、本名:池田一朗)の誕生日だ。1923(大正12)年生誕〜1989(昭和64)年逝去(66歳)。

東京都赤坂に生まれる。東京大学文学部仏文科卒。大学在学中に辰野隆小林秀雄に師事した。
学徒出陣するが、終戦後東大に復学、卒業した。

文芸評論家・小林秀雄を慕って「東京創元社」に入社し編集者となった。その後、立教大学仏語講師の後、中央大学仏語助教授になるが1957(昭和32)年34歳のとき退職し脚本家に転向、1959(昭和34)年36歳のとき、映画「にあんちゃん」でシナリオ作家協会賞を受賞した。

続きを読む

子どもの心の特殊性に即した

鈴木三重吉

きょうは児童の情操教育に貢献した児童文学者 鈴木三重吉(すずき みえきち)の誕生日だ。
1882(明治15)年生誕〜1936(昭和11)年逝去(53歳)。

広島市猿楽町(現 広島市中区大手町)に生まれる。9歳のとき母を亡くした。本川小学校、広島一中、京都の第三高等学校を経て東京帝国大学文学部英文学科に入学。
在学中の1905(明治38)年23歳の時、神経衰弱と胃病に苦しめられ休学、その病気療養のため瀬戸内の能美島を訪れ、そこでの体験をもとに短編小説『千鳥』を書き上げた。

滞在先の娘をモデルにしたという薄幸の影を秘めた女性、お藤さんへの淡い想いを、島のさまざまな風物を背景に描いた叙情的な作品。三重吉が滞在した旧下田屋敷は中町港の近くにあり、『千鳥』記念碑も置かれている。『千鳥』は夏目漱石から絶賛され、高浜虚子の「ホトトギス」に載り、三重吉は期待の新鋭として一躍脚光を浴びた。

続きを読む

なぜ中途半端な幸福など

大原富枝

きょうは耐え抜く女性を書いた小説家 大原富枝(おおはら とみえ)の誕生日だ。
1912(大正元)年生誕〜2000(平成12)年逝去(87歳)。

高知県長岡郡吉野村(現 長岡郡本山町)に尋常小学校校長の父 亀次郎・母 米の次女として生まれる。あまりにも病弱の子であった。その地では体の弱い子は「ふでご」といって、丈夫な子を育ててきた家に預ける習わしがあったらしく、大原も近くの農家に名前を「はな」と変えて「ふでご」として預けられた。
1923(大正12)年11歳のとき母が亡くなった。

成績のよかった大原は高知女子師範に進みたかったが、そのころは高知在住者しか師範には入れなかったので、まず高知市立の高等小学校に入るために親戚の浜田家に寄留入籍をし、またまた名前を「浜田富枝」と変えた。
そして1927(昭和2)年15歳のとき高知女子師範学校に入学した。

続きを読む

全力量を投入した

戸坂潤

きょうは日本の代表的な唯物論哲学者 戸坂潤(とさか じゅん)の誕生日だ。
1900(明治33)年生誕〜1945(昭和20)年逝去(45歳)。

東京神田に生まれる。父は潤が生まれた年の1月に病気で亡くなっていたので、彼は生まれながらにして父を知らない。また、母 久仁子も病身のため、潤は母方の実家 石川県羽咋郡の祖父母に預けられた。
潤は雪が多く季節風の強い 保守王国 能登に育った。

幼年期を母と別れて過ごした潤は、5歳の1905年(明治38)年9月、母に引き取られて上京した。開成中学卒業後、第一高等学校を経て、1921(大正10)年21歳のとき京都帝大文学部哲学科に入学。卒業後、1924(大正13)年同大学院へすすんだ。1925(大正14)年 三木清が帰国し、いわゆる"哲学一高会"がもたれるようになった。

続きを読む

時代を駆け抜けていった

ガーシュイン

きょうはアメリカの作曲家でピアニスト ジョージ・ガーシュインGeorge Gershwin、本名:Jacob Gershwits)の誕生日だ。1898(明治31)年生誕〜1937(昭和12)年逝去(38歳)。

アメリカ ニューヨークのブルックリンに貧しい仕立職人の息子として生まれた。ユダヤ系のロシア人で、父親のモイシェ・ガーシュヴィッツはロシアからユダヤ人への迫害を逃れて1890年にアメリカへ移民して来た。彼の父親は靴の装飾デザイナーが本職で、音楽との関わりはまったく無かった。

ガーシュインは毎日子供らしく走りまわって遊んでいたが、6歳の時に偶然耳にしたアントン・ルービンシュタインの「ヘ調のメロディー」に大変感銘をうけた。それからは、ピアノを持っている友達の家に行っては、独学でピアノを弾き、作曲さえもするようになった。

続きを読む

敢えてここに訴願する

石橋湛山

きょうは反骨の言論人で第55代首相 石橋湛山(いしばし たんざん)の誕生日だ。
1884(明治17)年生誕〜1973(昭和48)年逝去(88歳)。

東京都麻布(現 港区)に日蓮宗の僧侶 杉田湛誓・きん の長男として生まれる。父 湛誓は日蓮宗の僧籍にあり、宗教界の慣習により母の姓 石橋を名乗った。湛山は日蓮宗の僧侶として得度してからの名前であり、それ以前は省三と言った。

小学から中学にかけて、僧侶 望月日謙(のち立正大学学長)のもとに送られて、山梨県の寺で修行生活を送った。
父母と離れたこの時期の経験は彼に独立自尊、自力本願の精神を育むとともに、日蓮主義という湛山の精神的支柱の形成にも大きな影響を受けた。

続きを読む