ライトノベル「カフェ・エスプリ」

別のところで書いたやつ。



妻が比較的突然に、つまりは、いつもよりは穏やかに、段階を踏んだ言い回しでもって、わたしはカフェをオープンすると言い出したとき、これは覚悟を決めなければならないなとすぐに思ったのだが、それはいったい何の覚悟だったか――おそらくは妻の思いつきに付き合うという覚悟ではなかった。だいたいが、女の人は一度はカフェというものをやりたいと思うらしい――そういうのを、いわゆる「モノの本」ってやつで読んだ――正確にいえば書籍ではなく、雑誌だけれども。それに、たいがいが、僕の妻はいかにもカフェを開きたがるそんな種類の女なのではあった。プールに行くし、エステに通う。「カフェというものは、自分たちで開くものというよりは、お客さんとして行くものだと思う。僕にも何人か女性の知り合いはいるけれど、そのうちの全員はたぶんカフェに行ったことがあると思うし、かつ、みんなカフェを開いてはいない――カフェのバイト経験だってあるかどうか……だから、やっぱりカフェは経営するものではなくって、伺って、そうしてお喋りをする、そういう場所なんだと思うよ」「二流の人は、さすがに言うことが違う。まさに二流、それも大甘に見ての話だということを、どうか弁えてほしいものだと本当に願っている。考えよ。考えられないなら、思考せよ。思考できないなら、想像せよ。日本にどれだけカフェがあると思っているの? 1000とか2000とかそういうレベルじゃない」「はぁ」「とにかく、たくさんの人がカフェを開いていて、それなのにわたしだけカフェをやれないというのはどう考えてもおかしいでしょ? おかしいと思わないのなら、あなたがおかしい」。僕が神経衰弱になってからというもの、それが治ったいまであっても、妻は僕にとっての《神》なのであった――少なくともそう妻は考えているし、僕は僕で……要するに、僕はまだ神経衰弱の状態にあるのかもしれず、イマイチ自分の判断力に自信がもてずにいるというわけだ。実際、妻は正しいのかもしれないし、僕は間違っているのかもしれない――単純に可能性の問題として。僕が恐ろしいのは、少なくとも単純な可能性としては、妻が間違っていて、僕が正しいということもあるだろうに、その想定をまるで妻が抱いていないということで、この確信の強さがどれだけの悲劇を生んできたのか思い浮かべると、暗澹とした気分にならざるを得ない。
「ジャジャーン!」、突然、妻は陽気にそう叫んだ。発表の合図だ。
「もう、実は、カフェの名前も考えているの! それをいまから発表します!」と、妻はモゾモゾと抽斗のなかからA3サイズほどの大きさの和紙を取り出して、僕に見せつけた。達筆といってもよい、豪快な筆跡で、そこに「カフェ・エスプリ」とあった。
「どう?」
「どうって?」
「何かあるでしょう? 『いいね』だとか『ステキだね』とか『これが僕たちのカフェの名前かあ』などなど。何でもいいよ、正直に感想をいって頂戴!」
「よくもまあ、これだけエスプリの効いていない名前をつけたなあ、と」
妻は、一瞬惚けたような顔になり、それから僕の脇腹あたりにすばやく右手を伸ばして、それは肉を通過し、僕の中の何かを強く掴み、外部へと取り出したそれは一本のあばら骨であった。驚くべきことだったから、僕はもちろん驚いた。
「僕のあばら骨を返してくれ。何本かあるからいいという問題じゃないぞ!」
妻は陰険そうに笑って、無造作にあばら骨をこちらに向かってヒョイと投げたのだが、僕がそれをしっかりと掴む前に、それは小さな、ぶよぶよとした柔らかいものにかたちを変えた。小さな、男の子の、赤ん坊だった。僕は慌てて、それを落とさないようにしっかりと抱きかかえた。
「あなたの息子よ。私の子どもでもある。その男の子のためにも、どうか、わたしたちの、いい? わたし『たちの』カフェ・エスプリを開いて、繁盛させましょう!」
僕は何と言っていいか分からなかったから、本当は何も言わずにいるべきだったのだと思う。だけど、「元はあばら骨だったくせに、小さなこどもというのは、こんなにも柔らかいんだね」と呟くように僕は口にしたのだったし、それはたしかに本心でもあったのである。
妻はそれを聞くと、それこそ、今度こそ、とても柔らかい調子で微笑んだのだった。


……こうして僕の家庭に平和が訪れ、やがてカフェ・エスプリはオープンを迎える。

ところで、

小島信夫の「吃音学院」を読みたくなったんだけれども、新潮文庫の『アメリカン・スクール』には収録されていないようだから、講談社文芸文庫のほうも買わなければならないのだろうか……重複している短篇もけっこうあるから、何だかもったいないな……

だが、しかし

というわけで、鳥瞰的に見ればわたしはわたしの婚約者によって「教育」(そうして、あらゆる教育は暴力であることを忘れないようにしよう――もっとも「暴力」は必ずしも悪いものではないとか何とか……)を施され、ノーマライゼーションを達成した、ということになろうかと思う。わたしが不愉快を感じていないだけ、いっそう巧妙にその教育は行われたといってかまわないだろう。ところが、である。わたしは鬱病患者のように(「ように」というか、まんま鬱病患者な症状を呈してもいるのではあるが)「これまで興味があったことにいかなる興味をもてなくなった」「何も考えずに石原慎太郎に投票する白痴になりたい」「自己責任万歳」「スタンフォード大学の人に仕事をうまくやる方法について教えを請いたい」などと婚約相手を喜ばせるべく、自分の正直なところを述べたところ、彼女はどうもそれが気にくわないらしいのだ――まずは彼女の言い分を聞いてみよう。「なるほど、わたしはあなたの非現実的な態度に呆れてもいたし、むかついてもいた。だけれども、それを含めてあなたが好きだったのであり、たとえば本を読まないだとか、映画を観ないだとか、それ以上にあなたが世の中をなめてかかってすべてを馬鹿にしている態度をやめてしまったら、申し訳ないけれど、そんなのはあなたではないし、誰と付き合っているのかわからなくなるではないか」という発言が聞かれたのである(!)。これを聞いて、わたしが思い出したのは、かつて自分が言った言葉である。「わたしは、わたしのことを好きな人間が嫌いだ」。要するに「両想いの不可能性」について述べたのだが、そのような状態に彼女は陥っているようにわたしには思われたのだった。ふざけた人間(=かつてのわたし)は嫌いである、だが、ふざけなくなった人間(=現在のわたし)には魅力を感じない――と、書いて気づいたのだが、彼女はわたしのことが端的に嫌いなのではないだろうか……

これまでさんざ、君は現実的でない、空想的に過ぎる、地に足をつけていないなどと云われてきだが、どうにもこうにも、とうとうわたしは随分と生活を重んじるようになったと感じられる――というよりは、そうならざるを得なくなったというのがほんとうで、つまり、わたしは、年内には結婚をする予定の者である。ここに至るまでには諸々あったが、現在わたしはけっこう生きよう、質はともあれ量(?)、50くらいまではがんばって生きようと考えており、そのためには栄養が必要で、そのためには、わたしは酪農をやっているわけではないのだから、キャベツ、蓮根、たまねぎ、豚肉、トマト缶などを買わなければならず、そのためには金銭が必要で、だから、お金と栄養・寿命との最適な兼ね合いを探さなければならないというわけである。お金を賢く使わないことが、生存を一歩延ばすことになる。ということで、淡々と、あるいは坦々と葱を刻み、冷凍しているとどうしたって所帯じみてきて、それはそれで楽しくもあるのだが、ベッタリとした生活を送っていると、贅沢はできなくなる、というか興味すらなくなってくる。たとえば、政治。たとえば、哲学。たとえば、映画。まるで、そういうもの関心がもてなくなって、それよりも小麦粉であり、片栗粉であり、乾燥ワカメなんである。半径3メートルの世界がすべてで、それ以外はもはや贅沢、わたしには無縁の世界だ。1年前のわたしがみたら、あまりに寒々しい世界でいまのわたしは生きているのだが、いまのわたしはそんなに不愉快を感じてはいない。もっとも、それを成長と呼ぶことだけは絶対にしない。