言語ゲーム

とあるエンジニアが嘘ばかり書く日記

Twitter: @propella

『こどものスモールトラウマのためにできること』スッダ・クドゥバ著/穂積由利子訳

こどものスモールトラウマのためにできること: 内面で何が起きているのか

長女に続いて不登校になってしまった次女の心を理解するために大変良い内容に思えたのでメモします。

天真爛漫で聞き分けの良い子供でも、いつの間にかコミュニケーションが難しくなってしまう事があります。大人の言うことを聞かなくなり、思っている事を表現できずじっと黙ってしまい、ちょっとした失敗に挫けて泣いてしまいます。この本によると、その大きな原因は子供の「リスペクト・敬意」が奪われているからだそうです。「リスペクト」とは、こどもたちの声に耳を傾けること、理解することです(p12)。大人が子供の声を聞かずに行う善意の躾が、時に「スモールトラウマ」となって子供のリスペクトを失い傷つける事がある、それを避けるための方法が本書の主題です。

もしも大人が子供にリスペクトを示す事ができれば、子供は広い視野を持ち、間違いの責任を自ら取る事ができ、過ちの後も自己弁護せず自信を回復する事ができます(p13)。逆にリスペクトを示されないまま大人になってしまうと、いくら能力があっても自信を持てないまま、くよくよして他人の評価に過度に過敏になります(p27)。

例えば弟をぶった兄に対して親が「あなたは悪い子だ」と親が注意したとします。それが子供に善悪を教えるためだったとしても、兄が「自分は悪い子なんだ」という信念を築いてしまうと子供の内面が脅かされてしまいます。ここでもしも「あなたが弟をぶったのは悪い事だ」のように声をかけていたとしたらどうでしょう?「私」と「私の行動」を区別すると、その結果、私たちの行動が、とても受け入れられないものである場合でも、自分が十分に良い人間だと信じることができるようになります(p75)。

とまあこんな感じで、ちょっとした不用意な躾の結果起こる「スモールトラウマ」をキーワードに子供の心理のメカニズムが語られるのですが、親として知りたいのは「どこまで厳しく、どこまでやさしく(甘く)したらいいか」(p377)でしょう。残念ながらそのままズバリの回答は無いのですが、いくつかの指針を提供してくれます。

私たち大人の仕事は彼らが自分の行動の責任をとるように導くことです。彼らの「行動を直す」ことではありません(p88)。たとえばお弁当をしょっちゅう無くす子供に対しては、無くすたびに叱るのではなく、にっこり笑って新しいお弁当箱を与えるのでもなく、自分のお弁当箱に責任を持たせ、自分で問題を解決し、自分でお弁当箱を見つけるようになることです(p155)。

子供に敬意を持って接するといのは理屈では分かっても実際かなり難しいものです。本書ではこのような子供に敬意を与えられる環境を作るには、他人にこの貴重なものを与えることを考える前に、自分自身に敬意を払う(p294)ことを推奨しています。具体的には深呼吸を薦めていますが、そこまで簡単では無いだろうという気がします。

本書では多くの実例を挙げてスモールトラウマからの脱出を教えています。自分の娘にぴったりな事は書いていないのですが、今までの完全に途方に暮れた状況から、原因と対策を検討するための道筋が少し見えた気がしました。

Among Us の Windows 版を子供用 Microsoft アカウントでプレイする方法

Among Us を Windows の子供用アカウントでプレイするのがめちゃくちゃ難しいのでメモする。

こんなの絶対分かるわけない。。。

フリースクールのオフ会

不登校の双子はオンラインのフリースクールを利用している。フリースクールと言っても勉強するのではなくて、一日中オンラインゲームなどをして過ごす。それでも学校に行かない双子にとっては、お友達とやりとりする貴重な機会だ。そのオンラインフリースクールの初めてのオフ会が大阪であった。

最初オフ会の話を聞いた時、うちの子には絶対無理だと思った。特に長女は頻尿聴覚過敏対人恐怖という複雑な症状があるので、他の子供が集まる場所に行ける気がしない。次女も明確な症状こそ無いが朝から晩まで原因不明な理由でずっと泣いて過ごしているので、お友達と遊ぶ状況が想像できなかった。

しかも、新幹線で行くという!

双子は幼い頃から何度も大阪のおばあちゃんの所に遊びに行ってるが、いつも車で鉄道を使った事はない。特に長女の不安症は酷いので列車に乗せるなど虐待だと思ったが、妻がどう話したのか長女が新幹線でオフ会に行きたいと言ったらしく仕方なく新幹線の切符を買った。新幹線の前で一時間ほど余裕を持たせれば各駅でトイレに行っても間に合うだろうと乗り換えの計画を立てた。

当日は6時前に家を出た。双子は楽しみにしていたらしく起きるのも家を出るのもスムーズだった。問題は中央線だ。事前に入手た情報を元に、トイレが設置してある中央線の四号車に乗り込んだ。幸いにも日曜日の早朝は乗客が少なく余裕で座る事ができた。しかししばらく乗っていると乗客が増え始め長女の不安も高まる。結局社内で三度トイレに行き、なんとか東京駅にたどり着いた。

新幹線にさえ乗れたらあとは大丈夫だろうと思っていたが、今度は長女が頭が痛いと訴え出した。iPad の見過ぎなのか電車酔いなのか分からない。なだめすかせつつ、何度も駅でトイレに行きつつ、予定通り30分遅れで会場のお寺に到着した。

うちを含めて会場では十人ほどの小学生が参加していた。普段 Discord で会話しているからか、初対面なのにすぐに打ち解けて遊び始めた。この子供達が一人残らず不登校なのが信じがたい。至って普通の子供達だ。みんなこんなに元気いっぱいで社交的なのに、小学校に行けずに教育から取りこぼされているとは理不尽だ。一緒に参加されているご両親と会話すると、学校に行けないストーリーは子どもそれぞれだった。みんなでたこ焼きを焼いたり、焚き火をしたり、餅つきをしたり、バーベキューをしたり、鬼ごっこをしたり、盛りだくさんの一日だった。

そんな中で、うちの長女は孤独を貫いていた。折角来たのに端っこで一人ロブロックスで遊んでいた。オンラインフリースクールのオフ会なので特に心配もされず暖かく見守ってもらってありがたい。オフ会には二日目もあったのだが、こんな感じなので二日目は参加せず私の実家でのんびり過ごそうと思っていた。そしたら家に帰ったら二日目も参加したいという!

昨日全然みんなと遊んでなかったのに一体どういう風の吹き回しだ。理解できないがせっかく行きたいというので二日目も連れて行った。実は二日目は元気な子たちはみんな枚方パークに行っていて、うちの双子ともう一人おとなしいH君だけがお寺に残った。この組み合わせが相性良かったらしく、二日目はかなり交流できた。H君のお母さんも、普段話さない息子がこんなに仲良く遊ぶなんて奇跡だとおっしゃっていた。親同士もゆっくり情報交換できて良かった。

そんなわけで、二日目に帰る頃には長女も帰りたくないと泣き出す程だった。普段人が怖くて近所の公園にも行けないくらいなのに、こんなに旅行が楽しい思い出になるなんて奇跡だと思った。主催して下さったオンラインフリースクールの先生には本当に感謝している。

ここまで次女の事は書かなかった。次女は次女で長女以上にややこしい問題があるのだが長くなるので別に書く。 帰りはやっぱり地獄のように大変だった。長女の心理状態が悪い中なんとか新幹線に乗せて、新幹線は新幹線で80分遅延し、なんとか東京駅までたどり着いた頃には疲労が限界だったのでそこからタクシーで帰った。よく都心で車に乗るとコンビニに駐車場が無くてトイレに苦労するのだが、タクシーの場合路上に堂々と停めてもお咎めなしらしく、めっちゃリッチマンになった気分でコンビニのトイレに何度も寄りながら帰った。

風邪

記録によれば、昨年5月10日以来288日ぶりに風邪を引いたので記録する。

  • 2月21日(水曜日): 割と下痢気味。入社以来初デモだったので緊張したかなと軽く考えていた。
  • 2月22日(木曜日): 会議中に普段マスクしていない人がマスクをしていたので、もしかしてやばいのではと嫌な気がした。案の定帰る頃には熱っぽい雰囲気になったが最後の気力を振り絞ってお土産のパンを買って帰った。
  • 2月23日(金曜日): なんとかゴミ捨ては出来たが一日中寝ていた。幸か不幸か祝日だった。
  • 2月24日(土曜日): 丸一日寝ていた。
  • 2月25日(日曜日): 丸一日寝ていた。週末だけで治るか不安になる。
  • 2月26日(月曜日): 会社を休んだ。昼間に楽になってきたので会社にパソコンを取りに行った。移すと悪いのでしばらく在宅で仕事をする事にする。
  • 2月27日(火曜日): 鼻と喉が辛いが熱が下がったので元気に仕事を始めたが、今度は妻と双子に移してしまった。やばい事になった。それまで妻が双子と寝ていたが、妻と次女、長女と私の組み合わせで寝る事にした。この後に及んで妻から離れない次女。。。
  • 2月28日(水曜日): 長女だけちょっと良くなった。義母が食糧を持って助けに来てくれた。長女が頻尿でいつまでも寝られず泣き叫び地獄のようだった。
  • 2月29日(木曜日): 双子はまあまあ良くなったが妻の熱が上がった。機嫌がめちゃくちゃ悪いし何も食べてくれないし看病が大変だった。一応在宅勤務だけどここだけの話仕事にならなかった。投薬を少し増やすとラッキーな事に長女は安眠した(いまここ)

また人生の四日間を無駄にした。風邪を引くたびに次は注意せねばと思うが、今回は特に体を酷使したわけでもなく単に会社で移されたようだ。確認すると隣の席の M 氏も高熱で休んでいた。これは気をつけようが無い。Twitter でつきおかゆみこさんに寝る時にマスクをすれば良いとアドバイスを受けたので通販で寝る用の布マスクを注文した。効果を確認するのが楽しみだ。

2023 年における僕の人生の幸運と不運

前に願いは叶うか? という日記で願いは思いもよらない長い時間をかけて意図せぬ形で叶うという事を書いたが、その続きのような話を書く。たまたま自分の人生は10年おきくらいに大きな幸運と不運が同時にやってくるので過去を振り返り今後の対策とする。

1990年代はだいたい僕の20代に重なる。20代の僕は自分は現代美術で成功するために結構頑張っていた。彫刻制作は楽しいし、発表すれば評判が良いし、あの小難しい京都芸大の先生には十年に一度の逸材だと太鼓判を押されていたので結構やる気があった。ここでの幸運は1997年のキリンコンテンポラリアワード大賞受賞で、不運は貧乏な事だった。貧乏すぎて美術を諦めたが、制作への渇望は未だ癒えず今でも頻繁に夢に出る。

2000年代はだいたい僕の30代に重なる。30代の僕は生活を維持する事で必死だった。早くお金を稼いで再び彫刻を作りたいと願っていた。時給700円のホームページデザイン募集で面接を受けてなぜかプログラムの担当になり、案外自分はプログラマに向いていたと発見した。ここでの幸運は2003年の未到事業の採択と2007年の渡米と Viewpoints Research Institute への就職、不運は特にないけど、アメリカで大活躍する程の能力が無かった事かな。

2010年代はだいたい僕の40代に重なる。40代の僕は自分のアトリエを作る事に頭がいっぱいだった。長期戦になると分かっていたので中年の危機を乗り越えるためにまず結婚をして、毎日同じ時間に起きて寝る事にした。仕事は心底嫌だったが、案外生き延びた。守秘義務的にここで書けない面白い酷い目に一杯遭った。ここでの幸運は2019年の企業買収だった。ストックオプションでアトリエ付きの家が買えた(ただし金額は全然足らず30年ローン)。不運は双子の不登校と、会社をクビになった事だ。

2020年代は結構過ぎてしまったが、だいたい僕の50代に重なる。なんとか再就職して生きている。今のところ、会社と不登校の子供の世話で忙しく折角のアトリエも宝の持ち腐れだ。そろそろ運不運に振り回されるのは疲れた。僕に作品を作らせないのは社会的損失だ。不運とかもういいので運だけください。

という事で良いお年を。

次女の不登校

11月に入ってから、今度は次女も不登校になってしまった。長女にはマイクラ友達を探したり色々ケアしてきたつもりだが、次女の事はノーマークだったのでショックだ。経緯を思い出して書く。

いつの頃からか次女は髪の毛を自分で抜くようになった。一時はカーペットが髪の毛だらけになるほどひどく、8月の末には次女も精神科で検査をしてもらった。ただこれと言って何の治療の提案もなく、ただ日が過ぎるだけだった。

10月には誕生日が近いお友達を呼んで家で合同誕生日を行ったり、ハロウィーン大会を行ったり、それなりに楽しく過ごしていたが、だんだん通学を嫌がるようになった。そこで妻と交代で教室まで送るようになった。当時私は無職だったので、朝の散歩としてちょうど良いし次女の交友関係も分かるので次女との通学は楽しいなと思っていたのだが、あまりにも次女が友達とベタベタするのが気掛かりだった。担任の先生とお話しする機会があり、その際に次女が最近教室で無反応な事が多いと伝えられた。

11月の中旬から、仕事の関係で僕は朝早く家を出る毎日になった。初めの数日は家を出る前にお茶を沸かしたり朝ご飯の準備をして次女が確実に起きれるように頑張ったが、そのうちだんだん次女は教室に入れなくなり、妻が付き添って教室の外から授業を受けていたがそのうち学校に行けなくなった。そして今に至る。

その時々で小さな不登校の原因らしき物はいくつかあったのだが、足の怪我というわかりやすいきっかけがあった長女とは違い、次女の場合本当のところはよく分からない。多分学校という所は案外沢山の細かい条件をクリアした子供が行ける所であって、たまたま次女にその条件が当てはまらないのだろうなと思う。学校に行かない以外は放課後にお友達が来て遊んでいるし、特に普段と変わりない。お勉強は妻が見ている。あと、いつの間にか抜髪は無くなった。

一方で頻尿のために勉強もできなくなった長女にはマイクラ関連でいくつか環境の変化があった。10月頃から知らない人とネットワークを使ったマイクラを始め、急に世界が広がったのだが、ネットリテラシーが皆無なので大人の管理下でマイクラができるオンラインフリースクールに入った。色々あって少人数で完全に先生が面倒を見てくれる F 社と、大人数の子供達が勝手に遊ぶ B 社という対照的な二つの会に同時に入る事になった。

当初長女のレベルでは自分で遊び相手を探さなくては行けない大人数の B 社は無理だろうと思っていたが、ネット上では物おじせずグイグイ行くタイプである事が分かった。最初は上級生のワールドにお邪魔するだけだったがすぐに自分のワールドに招待するようになり、どこかで拾って来た人狼(?)とかアスレチックを提供して喜んでいる。そのうち B 社の Discord サーバとそっくりなサーバを自前で建てて勝手にメンバを招待し、B 社のサーバに行かなくなってしまった。自分で技術的な事を学んでゆき微笑ましい反面、感情的にはまだまだ小学校低学年なので危うく、喧嘩や荒らしを確認するため毎日長女の Discord をチェックするのがなかなか疲れる。

今日の長女は他の小学生が Discord に設置したひろゆき Bot と延々何時間も話をしていた。危ない。危ない。

子供が全員不登校になり落ち込んでいるが、マイクラの深淵な世界に触れられたのは有難い。マイクラの世界で繰り広げられる小学生達の栄枯盛衰には時に胸が熱くなる事がある。多分詳しく書かない方がよいと思うが、とあるオープンチャットで生まれ、Discord で広がり、美しい街並み、巧妙な自動機械、親切な地下通路、仲間と協力して作り出す巨大建築、そう言った素晴らしい物語が、仲違いや勘違いによって争いを生み、荒らしの応報が始まり、文字通り世界が炎上し、電子の藻屑となり、元のチャットルームごと消えてゆく。もうどこからもアクセスできず、参加者の記憶にしか存在しない素晴らしい世界が日々沢山作られて消えてゆくのだろうと想像するとなかなかグッと来る物がある。

学校に行けないうちの子供達にも、せめてそういう世界に沢山触れられますように、あとできたら現実世界でできるだけ傷つきませんように。

痒い

あとで悪くなった時に症状の開始日が分かるよう記録を残す。痒い。ここ一週間ほど、謎の全身の痒みに襲われている。月曜日にハローワークに行った時に最初に体調の異変を感じた。その時は目がなんとなく疲れていてドラッグストアで目薬を買ってつけた。花粉症のようなアレルギーかなと思っていた。それから目の疲れは無くなったが代わりに手足が痒くなった。特に発疹などの眼に見える症状があるわけでもなく、なんだか皮より奥の方がじわじわと痒い。場所は手足の指の付け根、背中、腰、腕など全体に渡っている。ユビーで調べると「慢性腎臓病・慢性腎不全」と関連があると出た。よくわからんがとりあえず禁酒してみる。