映画を見るペースがめっきり減った。鑑賞メーターが終わってしまったことが影響しているような気がする。いろいろなものが終わっていく。鑑賞メータが終わり、ジオシティーズも終わり、このはてなダイアリーももうすぐ終わるとかなんとか。このページこはどうなるんだろうな。僕が好きで、読みまわっていた皆さんは全然更新されていないので、きっと移行なんてしてくれないだろうし、読めなくなってしまうのだろうな。僕は更新するだろうか?しそうな気がする。でも、これまでの日記は読めなくなっていいのかも。僕はとにかく、いろいろなものを手物に残しておきたいと思ってしまう。いつか、その何かを手に取って、夢中になっていた時代を思い出す日が来るような気がして。
でも、こういう区切りで強制的になくされてしまえばいいような気もする。
映画を見る頻度が減ったからか、音楽を聴く時間が増えた。新しいものもたまに買ったりするけれど、思い出の曲を聴こうと思うことが多くて音楽ライブラリを眺めてみるのだけど、この時期に聞いていた思い出の曲というものが思いつかない。冬にだって音楽は聴いていたはずなのに、思い出の曲はいつも夏であることに気が付いた。そもそも、あまり音楽と思い出が結びつくことが多い人生ではなかったのかもしれない。あまり短期間でドはまりして、その後聴かなくなるという曲がないから季節と結びつかないのかもしれない。それとも、冬に聞いていたのに、夏の思い出にされてしまったのかも。
レナードの朝を見たよ。給料の小切手なのかな?あのシーンはボロボロ泣けた。今そのシーンだけ見返してみたらまた泣けた。このシーンでいつまで泣けるだろうか。
最近レコードを買う時に、いつか子供に、父さんはこんな音楽が好きだったんだと思われるのだなぁなんて考えるようになった。自分の音楽の趣味を理解してくれる子供に育つだろうか。今のところなぜか愛しのロージーを好きになってしまった。クリス松村のラジオで流れてすぐに7inchをヤフオクで落としたので、好みは受け継がれているのかもしれない。でも、MEN I TRUSTは好きになってくれないみたいだ。

Love QWERTY

いろいろなことがあって、何か書き残しておきたいなということがいくつもあったのだけれど、いざパソコンの前に座れるタイミングになると全然思い出せない。
僕はやっぱりキーボードが大好きだ。キーボードでないとこういうことは書けないし、書く気にならない。現代っ子スマホのフリックでこういうことをスムーズに出力できるようになるんだろうか。僕はペンよりも、思いを文章化するのならキーボードが適しているような気がしている。もちろんペンで書く字も愛しているし、人とのやり取りでの字の力は唯一無二だとも思うけど。
キーボードの前に落ち着いて座ることができない生活で、頭の中の思いを文章化する機会がなく、なんだか頭にもやがかかったような気分で過ごす日々。こうして指を動かすというか、思いに合わせて勝手に指が動く感覚が気持ちいい。
今回のワールドカップは時間帯が良かったということもあるのか、いつになくいろいろな試合を楽しく見れた。一番見てよかったのはフランスvsアルゼンチン。ムバッペがメッシの時代を終わらせた試合。きっと忘れられない試合の一つになるだろうな。今年はエスパルスの調子がよく、良いサッカーライフが遅れそう。シティの黄金期でもあるし、楽しみだ。ぜひシルバにビッグイヤーを掲げてもらいたい。そしてあわよくば、晩年Jに来てくれないだろうか。来てくれないだろうな。地元のクラブで引退するのが希望だって言ってたし。
最近、人生で最も映画を見ている気がする。僕は自分のことを映画好きだと思っているのだけれど、ここ数年は、映画好きだなんて言いつつ年に数本しか見れていないし、映画好きという看板を下ろせないだけの口だけ野郎だと思っていた。映画好きだという自信も失っていて、映画についての話題に入ることもためらっていた。でも、今こうして見始めてからは、自分が映画好きだということにすごく自信が持てるようになってきたし、実施際に映画を見ている間とても楽しく、幸せだ。自分には本当は映画を与える必要があったのだ。欠けていた自分が、映画を見ることで満たされ、完成していく感覚を覚えている。今年見た映画は7月末時点で57本。このペースなら今年は100本見れるかな。ぜひランキングをつけてみたいけど、誰に求められているわけでもないのに、全くジャンルの異なる映画にどう順位付けようか悩んだりしている。それも楽しい。
まさか、関わりあうことは一生ないだろうと思っていた人種、風俗の商売をしている人と酒を飲んだ。といか、ほとんど初めて一人で飲みに行った時に、知り合いに教えてもらったバーで、一人で来ていた客同士として、マスターを介して話をした。言われなければそんな商売をしているなんてとても思えないような容姿の良い人で、衝撃を受ける。本当に世の中は広い。自分が生活しているエリアから一歩出ると、本当にとんでもない世界が広がっている。とても残酷だったり、暴力的だったり、大きな力が渦巻いている世界が本当にこんなに近くに存在するんだなと、恐ろしくなることもしばしば。それは大阪という街の特徴でもあるのかもしれないが。あの子とは、金を出せばできる。というか、とても不思議な感覚なのだが、女の子の側では、金を払ってくれさえするなら、やりたいとさえ思っているわけだ。こういう理解であってるのか直接聞いてみたところ「まぁそうだね」とのことだった。知り合ってから金を払ってしてもらうというのは、いまいちどうも、と感じるのだが、それは経験がないからだろうか。先に客として相手をしてもらった後、偶然飲み屋で出くわすほうが嬉しいだろうか?どっちでもいいな。何を書いているのだ。
今年はとても暑い。「暑い夏」と聞いて思い出す夏がある。思い出はこれから色々と増えていくだろう。そうあってほしい。でも、増えたとき、自分で過去を色褪せさせてしまわないようにありたいと思う。過去を否定せずとも今を肯定できるのだということを忘れないように戒めたい。
またSpringCourtを買った。白4代目。白が4足で、違う色が2つあるから、6足同じ靴を買っていることになる。もう10年以上の付き合いだ。ただ、僕が愛したSpringCourtはもう存在しておらず、僕の中での品質は下がり続けている。形も質も変わったし、ミントの匂いさえなくなってしまった。形が変わているのだから、G3としてほしい。僕が愛した本当のG2はもうどこにもない。色が違う、僕の靴箱に入っている2足が僕にとっての最後の本当のG2だ。安物を探して買ったので、パチ物をつかまされてしまったのだろうか。とても残念だ。人生で一番はいている靴で間違いない。小学校の上履きをも超えた。ちょうど倍くらいだ。思い入れのあるものがあるというのは、とても良いことだと思うし、気に入っている。
名言だなという言葉を聞いて、何かに書き留めておいたりしてさ、いつか大切な誰かにそれを伝え、感動してもらえたとする。
そのあとで、その言葉をもらった側が元ネタを発見してしまったとして、その時少なからず幻滅してしまうだろうか。言葉を送った時、その言葉が本心なのであれば、それはそのまま相手に伝わり、残り続けてほしいなぁと。そんなことを思った。
70年代、80年代の曲をかけるクリス松村のラジオをよく聞いている。AKBの女の子とクリスが話している中で、「この間カラオケに行ったんです。そこで赤いスイートピーをいれたんですけど、その瞬間に『あぁクリスさんだ!』ってクリスさんのことを思いだしました」って話をしていて、とてもグッと来た。曲を聴いて誰かを思い出すという経験は誰にでもあるだろうけど、思い出されたということを伝えてもらうのって、とても幸せなことだと思う。
それを聞いたクリスはもちろん喜んだ上に、「それを言うなら思い出した」と言って、こんな話を始めた。「この間講演を見に行ったんだけど、そこで突然赤いスイートピーがかかったの。それで突然踊りだした子がいたんだけど、それが少し前にアイススケートで有名になった町田君だったの。それで終わった後に、素敵だった、すごくよかったと伝えると、『そうですよね、クリスさんわかってくれましたよね。クリスさんを想像して、僕はこの曲を踊ったんです』って言われたのよ」と話していた。この話を聞いたAKBが、「えー」といった後「好きになっちゃいました?」と返すのだけれど、その返しがとても良いトーンで、「わかりますよ」「そんなこと言われたら当然ですよね」というニュアンスを含んだとても良い声と間で、最高の返しだった。クリスはこの問いかけに応えないのだけれど、それについて追いかけることもなく、最高だった。顔も知らない女の子とのことをちょっと好きになる。僕はラジオに恋をする癖があるのかもしれないな。
うちの会社の調子が悪く、ここの所送別会続き。週末もまぁまぁ近しい先輩の送別会だ。僕は運よく変わらない日々を過ごしているのだけれど、いろいろと考えなければという気だけはしている。実際のところ何も考えていないし、状況に必要だと突きつけられるまでは何もしないのだろうとわかってもいるのだけれど。望まなくとも時間は進んでいるのだなぁと気づかされる日々。
今年はたぶんサマソニに行かない。ノエルは少し後ろ髪を引かれるけれど、見たいと思うバンドの時間帯が駄々かぶりだし、ほとんど室内でフェスに行く意味が半減だ。それでも行ってビールを飲めば幸福感に包まれるだろうということは想像にたやすいけれど。一度行かない夏を挟むことも、人生にとってプラスなのだと言い聞かせて。

数年前から地元の友達と旅行に行くようになった。
地元を出てからというもの、地元に帰るタイミングは長期休みの時だけで、そこの予定を毎回奪うわけにもいかず、また、自分自身もなかなか自由に出歩けるわけではなくなってきたし、それは友達のほうでも同じような事情を持っていたり。
それらすべての解決案が、通常の週末の弾丸旅行。行くたびに、俺たちは大人になって、大人の遊びをしているなぁなんて話をしている。うまい料理に少しのお酒と、若かったあの頃夢中になっていたゲームやトランプをして死ぬほど笑える幸せ。そこに温泉や、この年だからこその楽しみなど。生きててよかったなぁと、しみじみ思わせてくれる友達がいて、本当に幸せだと思う。
人生がエモすぎる。子供の何気ない言葉にハッとさせられることもあるし、保育園の卒園式なんてエモ以外の何物でもなかった。
若くてかわいい先生に抱きしめられる我が子を見て、涙ぐまされたりなんかしている。もう、いろんな感情が渦巻いて訳が分からなかったり。
数年前まで想像もしなかった感情を持っている自分を不思議に思ったり、なんというか、納得してもいるのだけれど、それでもふと、大学の頃に住んでいた、あの今里のアパートに夕日が映し出した物干しピンチの影を思い出す。何度も、何度も。
あのとき、壁に立てかけた座椅子の背もたれにほとんど首だけ預けるほどにずり落ちて座りながら、回る物干しピンチの影を見て僕は「あぁ、俺はきっとこの情景を、何年たっても思い出し続けるのだろうな。今こうして感じている感情を、一生忘れられないだろうな」と思ったことが本当に起きている。あの時の想像は全く正しかった。
大学生活が終わろうとしていて、とても重要な4年間が過ぎてしまい、もう戻らないことを悲しんで、人生が進んでいくんだということに打ちひしがれていたあの時の気持ちが、今でも終わっていない。
今こそが人生なんじゃないだろうか?と、なんだかそう思っている。
もう少し経つとまた、今手にしている特別なものが、なくなってしまうんじゃないだろうか。

久しぶりにやった。衰えてないな。

手を広げたくなる海。友人撮影。

変わったのか変わられたのか

久しぶりに自宅のパソコンのキーボードをたたいている。
気づけば34歳になっている。ちょっと考えないと自分の年もよくわからなくなってきた。
ひとつ前の記事はちょうど2年前。楽しみにしていた皆さんの日記の更新も止まっているし、そもそも僕のチェック回数も激減している。たまに更新してくれている人がいて、嬉しいから、そう思ってくれる人がいたらいいなぁなんて想像して。
自分を取り巻く状況はいろいろと変わっている。でも、僕は自分が変わったとはあまり感じない。なんだか楽しい人間ではないな、という思いが少しだけ強くなった気もするけれど、それほど大きな変化は感じていない。
でもきっと、誰かにとってみれば僕はもう別人なのかもしれないなとも思う。
僕が変わったのか、相手が変わったのか、相乗効果なのか、ほんとは何にも変わってなんていないのか。
今年もサマソニに行きました。リアムが来るっていうし、ワンダーウォール歌うっていうし。Phoenixも出るっていうし。やっぱり夏の炎天下でビールを飲みたいし。まだまだ5年前のサマソニと何にも変わらず楽しめている。ただ、新しい何かを求めて行っているのではなく、知っているあの曲を聴きに行っている回顧野郎であることには抗いきれないと感じながらの参加。
隣で一人でタバコを吸っていた女の子に話しかけることもせず。

たまたまテレビでやっていた電気グルーヴの特集番組を見て、カーテンもないし〜って曲が良すぎたので行ってみた。すげー人気。人一杯だったし、楽しかった。

前回見たときのほうがよかったかな。回顧野郎なので。
いつもこのTシャツ物販に出してるけど、朝9時半の時点で残ってたこと一度もない。
MorningGrolyとWonderWallの大合唱は最高だった。滝のように汗をかいた。
想像より太ってたな。真夏にマウンテンパーカー。さすが。サマソニで位置を確保するために休憩を挟まなかったのは初めて。PhoenixからのLiamは素晴らしいタイムテーブルだった。

歩いてトボトボ歩いていると、歩道の真ん中に。全身を触らせてくれた。
サマソニ以降、汗をかき始めると滝のように汗がふきだしてくるようになってしまった。
そして一番頭に残っている曲はLANYのあの曲という体たらく。

HEYみんな元気かい

もしも自分が神だったのなら、青春を人生の最後に置いただろうと言ったのは誰だった?
僕だったら、やっぱり今のままそこに置いておくな。
だって、青春が終わった今こそが人生じゃないか。
夏が終わった秋こそが、人生だろう。
君は今何をしてる?
僕は、君を思い出し、月を見て、あの時を思い出しているよ。思い出の音楽を聴いてさ。
僕は君を何年も、何年も君を探していたんだ。それが青春でなくて何だろう。君が教えてくれたその曲は、今だって輝いて。
でもね、実のところを告白すると、もういくつかだけ、違う物も持っているんだ。
君だってそうだろう?
青春が真ん中にあるからさ、君にもいくつか、同じように、あればいいなって思うんだ。

Don't think, Feeeeeeeeeeel

昨日、毎日使っている最寄の駅のホームの柱や看板などが整備され綺麗になっている事に気が付いた。
その時は、朝は気づかなかったから1日でずいぶん綺麗にしたものだなぁと感心したが、今日は駅のホームを降りた後になって、綺麗になったはずなのに何も感じなかったな?と思い、ハッとした。
最寄駅はホームと改札をつなぐ階段が端にあるから、僕は毎日大阪駅であらかじめ先頭まで歩いてしまうのだ。だから最寄駅の変化に気が付かない。昨日感じた変化は1日で生じたものではなかったのかもしれないのだ。
毎日のルーチンを効率よくこなすため、自ら毎日をつまらなくしてしまっているのかもしれないなんて考えた。
小学生のころ、隠れた近道はないものか、新しい楽しい道はないものかと毎日考えながら登下校していたのに、今では簡単に答えを見つけ、そればかりを繰り返す。それを繰り返すことこそが勝利だとでも感じていたような気がする。
いろいろな習慣を、やめる努力をしてみようと思った。

サマソニ(色々食べた)

7時半に目覚ましがなり、風呂に入り戦闘体勢。9時前の市バスで舞洲へ。
今年は完全ソロ参戦で最高に自由。フェスだって普通のライブと同じく、一人がベストだなと思った。
一人なので少し会話に飢えていたが、あるドリンク販売所のスミノフラスト1本を引き当て、売店のお姉さんと少し喋る。松山ケンイチに似ていると言われ、こちらでも適当な軽口を連ねた。
フランスでは「誰々に似ているね」というナンパセリフはNGで「あなたは誰にも似ていないね」と言って相手を誉めるんだ、という話をしたばかりだったので、後から少し複雑な気持ちになったが。
日本人にはOne and Onlyなんて、知ってなきゃ言えないよな。
09で会えなかったPhoenixに14でやっと会うことが出来た。やっぱりあの時のPhoenixのライブが見たかったなという思いはあるものの、本当に楽しかった。
今日だけで今年の夏のすべてを手に入れられた気持ちになれた。
やっぱり僕には晴天のサマソニだ。