仮定
夜が明けたときのことを考えると
さみしい、
前頭葉の後遺症
いつになったら晴らすことが出来るのだろう
もっと気が狂ってしまうことが怖くて正しく暮らせないなんて間違ってる
何で普通に出来ないの?
もういいでしょう?
生きたいのに死にたい
far away
時々思うのだ、
本を読んだり漫画を読んだり、誰かの人生を知ったりすると、時々思うのだ。
15とか16とか、そのくらいのあの頃に、もっと思い切り飛び出して
どこか違う世界へ行ってしまえばよかったのではないかと。
東京を出るでもなく、それどころか23区を出るわけでもなく結局のところずっと同じエリアで暮らしているわけで。
まるでハツカネズミなのだ。
人間のカタチや感覚や感情を持ったハツカネズミ。
悩んだり苦しんだりしても、それは結局意気地なしで勇気のなかった自分のせいであり、
それでもこうして誰かの力を借りて誰かにぶら下がり甘えて生きているのに
感謝や愛みたいなものは特になく、
辛かったことばかり他人のせいにしているような気がしてならない。
兎に角甘えた性格なのだ、
そんな風にどこかの誰かのせいにする自分がとても嫌いで、
もう「あの頃」と呼称するのに丁度いいあの頃にもっともっと、何もかも捨ててもいいと飛び出せたらよかったのだ。
日々は少しずつ変わっていくけれど、此処は「あの頃」の延長だからわたしはなんだかうしろめたくなってしまう。
もしもあのときに違う自分をスタートさせることができていたら、うしろめたさはきっと今あるものとは違っていたと思うのだ。
なんて考えているのも一種の甘えで、うしろめたさが無限ループしてしまうので言い訳はひとまずやめよう、
と同時に、
その後今まで出会えた人やものが愛しくて仕方が無いと思える。
とんでもなくいいとこ取りな自分にはついていけません。
果てしない不安と果てしない孤独のようなものと、
どことない安心感で僕は今日も幸せに生きています。
もう少し暗くない日記を書いていこうと思います。笑