My Summer 2011

話は少し戻って2011年4月の写真。

被災地に物資を持って来ていた10FEETのメンバーと遭遇。
「次は夏の京都で会いましょう」
と短い談笑。

実際夏の京都で会う。(京都大作戦

ゴッチとも横浜で会う。(NANO-MUGEN FES)

鰤にも会う。(居酒屋)

被災地スライドショーもしてみる。(大阪FANDANGO)

夏してみる。(広島SET STOCK)

歌手してみる。(渋谷)

フジしてみる。(FUJIROCK FESTIVAL

参拝してみる。(神社)

被災地スライドショーしてみる。(阿佐ヶ谷LOFT

水を届けてみる。(tactics records)

夏は忙しい。

一つの方法

被災地に入ってる時間でも我々の住む街は通常通りなワケで
当然仕事のシワも寄ってきます。

小規模な冊子を作っています。
ご存知の方も多いと思いますが、あるライブ会場でチャリティ販売した冊子です。
元々あったイベントですが、
その趣旨と内容が豪快過ぎ、情報は瞬く間にバンド界に広がり、
次期開催が危ぶまれていた伝説の夜。
「やる意味」すら迷宮入りしてお蔵に眠ろうとしていたコンセプト。
しかし漢達は再び集まる。
復興の旗の下、急遽開催に踏み切った下北沢の事件の再来。
2011年6月20日

「黒木屋」復活

前回の黒木屋と大きく違う点は
お客様に食べて戴く料理の大半が被災地の市場等で直接仕入れた食材。
利益を被災地に還元する事。

そして被災地に入った我々が伝える事。

黒木屋はいつだって本気だぜ!

Action For The Future 9 (陸前高田 高田一中避難所)

2011年6月14日 岩手県陸前高田市

一日で消えた街。

重機と遠くで走るトラックの音だけが響いています。

高台にある学校の校庭に仮設住宅ができてました。

ラコスバーガーは高田一中の敷地を借りて炊き出し開始です。

みんなもう慣れた手つきで大量のバーガーを作ります。(頼)

今回は避難所内の各世帯を廻って手渡しです。

間仕切り一枚の街。

炊き出しを楽しみにしてくれていたみたいで嬉しかったです。

そして避難所内でゴッチが唄ってくれました。

もちろんアジカンの名前を知らない人達の前で

ライブハウスでもホールでも無く求めてくる客の前でも無く、

「歌にしかできない事がある」と痛感しました。

通じ合う事、繋がり合う事。

ちなみに我々はというと
「いやーゴッチすげーわ。天才!」
みたいな感じでキャイキャイ観てただけだけです。(笑)

そしてここでもtacticsから預かった米を厨房に分配します。
みんなトコトコよく働きます。

もう校舎の中では通常授業が行われており、
元気な笑い声も溢れています。

そして近隣の避難所の一つやどかり学童クラブにデリバリー。

同様に校舎の中では楽しそうな声。

児童達は勉強中だったので

先生方にバーガーとスケボーを預けてフィニッシュ!

ここで各々別方向に解散します。
ちなみに中央の男性、パイちゃんは「東北ライブハウス大作戦」のリーダーです。
http://www.livehouse-daisakusen.com/index2.html
皆当然今(2012年2月17日現在)でも各々の方法で復興に従事しています。

空だけ見ると抜ける様な夏空が広がっていて
何事も無かったかのような気になります。
決して忘れない。

Action For The Future 8 (大船渡市街、保育園)

2011年6月の模様です。

震災から3ヶ月経過

避難所の人達の明るさとは対照的に

街は事実を刻んでいます。

我々はそれを胸に刻みます。

まだ復興は始まったばかり。

そしていつものように近隣の避難所にデリバリーをします。

保育園にも持って行きます。

ここの保育園の運動場からは壊滅した街が一望できます。

ドレミの唄を歌いましょう。

オジサン達は音楽の友達だから

友達を大切にしましょう。

オジサン達も昔、
遠い場所でドレミの唄を歌ってました。

Action For The Future 7 (宮古から大船渡へ)

話は少しだけ遡って5月某日。

震災以降精力的な復興支援活動に取り組むtactics records(http://www.tc-tc.com/)に米を持って行きました。

岩手県宮古で行われたPOWER STOCK終了後、

tactics recordsで集めた米の1部を我々の大船渡、陸前高田に炊き出しに行く車にも分配しています。

避難所で使用できるLPガス炊飯器も分けてもらい、物資は人から人へ。確実に。
イベント終了後、そのまま大船渡に走ります。

2011年6月13日 岩手県大船渡市リアスホール避難所

今回はbloodthirsty butchersの吉村さん、アジカンのゴッチ、THE BACKHORNの光舟、写真家の菊池さんも同行してくれました。

炊き出しと同時に物資の配布(コーヒー、麦茶、下着、殺虫剤等)も行います。

tacticsから受け取った米は避難所の厨房に直接手渡します。

岡山のスケーター達に持ち寄ってもらったスケボーを

避難所の少年達に!

そして配食と同時に弾き語りをやってもらいました。

みんな楽しんでくれていました。

正しいとか間違ってるとかの問題ではなく
自分の方法を模索し続ける。

何もしない時間も何かしている時間も同じなので。

そしてtacticsから預かった米を女川在宅被災者サポートセンターの方に分配!

改めて感じる事は

バンドマンのネットワークは凄いね!(なんか他人事)

POWER STOCK宮古 2011年6月

「写真撮る時メガネがズレれてますよね」とたまに言われます。

そんな事は無い。

6月にも差し掛かってくると

気持ちがダレてきます。

福島が頑張ってる!

我々も頑張れるぜ!(福島県いわき市clubSONIC:BACK GENKOTSU PANCH)

ライブとか行くと被災地の人に逆に勇気付けられる事が多いような気がします。

なので岡山〜岩手の運転などへっちゃらです。
(俺の好きなリンゴのバス停:盛岡〜宮古106号沿いにあるよ)

約束の場所に行くと仲間がいます。(岩手県宮古市)

あれやこれやと話たい事は色々ありますが
とりあえずドカーンと呑んじゃいます。

その辺にいたオッサンもトゥギャザーしてとにかくガチョーンと呑んじゃいます。

POWER STOCK 宮古です。

昨夜居酒屋にいらしてたのは岩手県宮古市長 山本正徳さんでした!(照)
どうりで品格というか風格があったと申しますか、え〜と(恥)

小さい事は気にしない。(アホ)

被災地の皆にワケのわからんエネルギーをぶつけます!

POWER STOCKの意向で地元のお子様やご家族さんがたくさん来ていました。

ラコスバーガーも無料で配布しました。

初めての音楽のイベントで活気は溢れんばかりでした。

MCで適当な事(「俺達は有名人だ」とか)言うから中学生にサインを求められて
逆に胸が痛いです。(どうかバンド名とか忘れてますように)

POWER STOCK主催者のSLANGのKO氏。
震災以降精力的に支援復興活動を続ける
NBC作戦
http://www.nbc-sakusen.com/
の代表です。

原宿RACCOS TOKYO 2011 5/10〜

「どうやって被災地に行ってるんですか?」と良く聞かれます。

車に決まっとる!(炎)
片道だいたい17時間〜23時間位かかります。
(渋滞が多いと23時間かかっちゃうね)

一人で運転する事が多いので岡山に着いたら酒を沢山呑みます。
いつもたくさん呑んでますが。

溜まってる仕事を消化しつつ

ライブなども通常通りやります。(当たり前だけど)

以前から打ち合わせしていた「松田CHABE岳二」こと
チャベくんのギャラリースペース「kit gallery」
http://kit-gallery.com/ で

「RACCOS TOKYO」を10日間開催しました。

被災地の状況の写真を壁一面に貼り出して
実際に炊き出しに使っているラコスバーガーを試食してもらいながら
物資の募集等させて戴きました。
原宿の説明し難い立地で、
RACCOS TOKYO自体の宣伝もツイッターのみでしかしなかったので
来客の期待はさほどしていなかったのですが、

会場に入りきらない程

たくさんの来場者で驚きました。

たくさんのバンド友達も遊びにきてくれました。

共感し賛同してくれました。

無謀と言われる事を繰り返して

先の見えない生き方を選択して

売れない音楽にこだわって

自己満足のような行動も

不義理を承知で付き合ってくれる人達。

バンドマンの繋がり。

音楽の繋がり。

原宿「RACCOS TOKYO」凄く有意義なイベントでした。
来場してくれた皆様、本当にありがとうございました!
って言っても2011年5月の事なんだけどね!(遅)(照)(恥)