生きる意味

「優れた人間は、人生の意味と目的を見出すことに専心する」(ピタゴラス)

「人間は無意味に耐えられない」(ドストエフスキー)

「この答えを欠いては、生きていくことが不可能であった」(トルストイ)

「生きる意味を見出した人は、たいていのことに耐えられる」(ニーチェ)
  
「人間は意味を求める動物である」(フランクル)

「人生の意味の探究は、それだけで既に一生を意味あらしめるもの」(ベルジャーエフ)

人間のクセで人間は人によってはうんと若いうちから、遅くとも40代からでも自分の生きている意味を探す。

意味はもちろんあると言って良いだろう。
しかし若いうちに探しすぎれば病む事になる。
年を取りすぎてから探すと後悔がある。

意味はその時々によって変わるのだ。

探しすぎの人はそう思うと良い。

探していない人は探し出した方がいい。

曲がり角の向こう

「曲がり角の向こう側ばかり気にしてると、足下をすくわれる。」

生きてりゃ人生曲がり角だらけ。
その曲がり角のむこうに、何があるかばかり想像してると
人間は不安や落胆に陥ってしまう。

まずは今道を歩けている事に感謝し、そして今の道をしっかり歩む事だ。

曲がり角の概念は、人によって違う。
変身願望の強い人なんかは、毎日が曲がり角なのかもしれない。
仕事で商談ばかりしている人は、毎時間が曲がり角かもしれない。
今できる未来へのしかるべき備えをして、
今の道をしっかりと踏みしめて行けば、きっとどこかの曲がり角に光がある。

曲がり角の先がいつも見えていたら、それこそ人生たまったもんじゃないよ。

愛の発展

「愛とは相手の話に耳を傾けること。それが愛の第一歩であり、
 それ無くしてそれ以上の発展は無い」


 愛する人の話に、ちゃんと耳を傾けていますか?

「愛とは相手の話に耳を傾けること。それが愛の第一歩であり、
 それ無くしてそれ以上の発展は無い」


 愛する人の話に、ちゃんと耳を傾けていますか?

感謝の念

「元となってくれたものに感謝せよ」

人間は、今の自分の元となってくれた人間への恩恵を忘れがちだ。

例えば親…
自分を産んでくれた人間だ。
そしてその人間を結びつけてくれた環境もいわば元。
親の友人だったり親の親。

友人関係でも言える…
誰かを介して今のあなたの友達がいるのだとしたら、
介してくれた人への感謝の念は忘れてはならない。

また、過去に罵倒を浴びせられた人間であっても
今の自分に結びつく元になっているのであれば、
感謝してもいいのではないか。

戦い

「どうしても避けられない戦いがあるのならば、敵を恨むな。
 勝つための冷静さを欠くからだ。」


どうしても倒さないといけない相手、どうしても避けられない争い、
正義のためにもどうしても戦わなければならない時、
相手を憎んでしまっては、勝つための冷静さを曇らせてしまう。

よくボクサーや格闘家が試合前に相手の事をまるで憎んでいるかのような
大口を叩くが、あれは単なるパフォーマンスでリング上では違う。
いかにもリング上で本能のみで戦っているように見えても、実際は冷静なのだ。
自分がボクシングをやってた頃、よくケンカしてた頃、
頭に来て相手を恨んだり憎んだりした時、逆にやられた事がよくあった。

やはり冷静さを欠いてはならない。
だからこそ宮本武蔵はわざとに決闘に遅刻したりして相手をいらつかせ、
そして冷静さを奪ったのだ。

「運命に要求しすぎる事によって、自分の不満の種子が出来あがる」

ゆえに運命を信じてる人は、運命へ過度の要求をするべきじゃない。
それより何より運命は自分で開拓していくものなのだから。

要求する前に開拓すべき。

やろう、やろうはいつになったらできるの?

「やれば出来ると思っているからいつまでたってもやらない」

大体の人間が少しの自尊心と自信を持っている。
やればできると思っていると全て後回しにする。
そしていつの間にか、出来ない自分になってしまっている。

思っている事と、実際やってみる事とでは違うのだから

叱っている時

「他人を叱ってる人は時に自分に対して言える事を言ってることがある」

人を叱りつけている人を見る時、まるで自分に言っているんじゃなかと思うときがある。

「教うるは学ぶの半ばなり」ということわざがあるがこれもそれに近いものがあると思う。