大塚まさじ

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以前から、とても気になっていた大塚まさじのCDを購入して、今、聞いている。
これがもう、素晴らしいというか、何で今まで聞かなかったのだろうと後悔するほどの
良さなのだ。テレビでは何度も見かけているし、大昔の「ザ・ディランセカンド」の時
代にも少しは聞いていたのだが、きちんとこの人のCDを聞くのは、これが初めてで、
自分でも不思議で仕方がない。本気で聞いてみようと思い立ったのは、先日「高田渡
本」というのを読んでいて、この人が渡氏との思い出を書いてあったのを見て「あっ、
そうか高田渡はこの人を好きだったんだ」と勝手に気がついて、これは聞かなきゃとい
うわけである。

で、何がいいかというと、この「変な声」がとてもいい。
アニメの声優にいそうな特異な声で、なんとも言えない独特の世界を創り出している。
本人が選曲したというベスト盤を聞いているのだが、どの曲も古さや時代を感じさせる
曲がひとつもない。2007年の6月15日の夜に聞いて「ちょうどいい」曲ばかりな
のだ。よく「若年寄」という言い方をされる人がいるが、この人は若い頃の写真を見る
とそれなりの「若者」なのだが(当たり前か)、その頃の曲が今の彼の年令、皺の増え
た中年男、、、いや「初老」に近い男の憂愁の色さえ漂わす彼にぴったり来るのだ。

この人は「月」を永遠のテーマにしているとライナーで田川律(お懐かしや)が書いて
いるが、彼には田舎の月ではなく都会の月が似合う気がする。


大阪ミナミの小便臭い横丁を 小柄な男がポケットに手を突っ込んで歩いていく
月がその横顔を浮かび上がらせて 彼は月をチラッと見上げてはにかむ
遠い日の少年の面影は 月にかかった雲が隠してしまっている
彼は思い出したようにひとつふたつ鼻歌を歌う 
そのしゃれた鼻歌を聞いていたのは ボクと月だけ

坂の上の雲ミュージアム

四国松山に新しくオープンした「坂の上の雲ミュージアム」に行ってきた。
「坊ちゃん列車」で有名な市電の走る、県庁の並びの一番町の通りから少し入った場所にあるのだが、松山城の南嶺に位置しているここは、代々松山藩家老屋敷のあった所で、小説「坊っちゃん」の舞台、愛松亭のあったところでもある。

少し山手には、松山松平家(久松家)の第15代当主が大正時代に建てた「萬翠荘」という洋館がある、大通りから少し入ったとは思えないほどの閑静な場所だ。 

4月28日オープンと言うことで、相当な混雑を覚悟していたのだが、想像していたほどの来館者はおらず、ゆっくり鑑賞できた。 

司馬ファンはまだまだ多いし、最近の「明治」懐古ブームからするとやや意外ではあったが、四国という地では仕方がないかとも思う。

昨今のこういう類の博物館・記念館は大体、内容は想像がつくが、ここも想像を大きく超えた見ものはなかった。

司馬遼太郎」より、むしろ「松山」や「明治」を中心にした陳列物が大半で、子規についても、それほど場所を割いてはいないようだ。これは、松山にはすでに「子規記念館」や「子規堂」などがあるためだろう。

松山では、今月「伊丹十三記念館」もオープンするそうで、文芸の街らしいラインアップになりそうだ。

すぐ近くには秋山兄弟の生家もあり、散策するには絶好の場所ではある。

薫り来る 遥か明治の 皐月風

加川良、丸山圭子、岩井宏


最近アマゾンで購入したCDを三枚並べてみた。
上は、加川良「親愛なるQに捧ぐ」、下は、左が、丸山圭子「そっと私は」、右が、岩井宏「30才」。
いずれも1972年頃の作品である。(もちろん復刻版CD)
こんな懐かしい、レアなものがネットで買えるようになって、うれしくて仕方がない。(しかしこんなマニアックなものが商売になるのだろうか!?)

「フォーク」などという音楽ジャンルは、とうに消滅してしまったのは承知しているが、20代の若者が、そんな時代なんて何も知らずに「ゆず」だとか「コブクロ」を喜んで聞いているのを見ると内心ほくそ笑んでしまう。
しかし、30代から40代前半くらいの世代になると、時々「フォークはよかったよね!拓郎!こうせつ!陽水!アリス!さだまさし!いいですよねぇ」などと、無理にこちらの世代に合わそうとする人がいる。

70年前後のフォークシーンを中学生として、ギリギリ原体験した私から言うと、拓郎やこうせつなどは、「フォーク」が商業ベースに乗り、全国津々浦々にまで「流行」しだしてからの人たちであって、断じて70年前後の全共闘学生や、新宿フォークゲリラに集まったノンポリ学生達が歌った「フォーク」とは「似て非なるもの」と言わざるを得ない。実際の分岐点は、72〜73年頃だと思うが、そのきっかけというか象徴的な場面が70年の「中津川フォークジャンボリー」だった。高田渡加川良・岩井宏のいわゆる「三バカトリオ」(命名山本コータロー)がメインステージで「自転車に乗って」を歌おうとするとき、広島弁の大声でヤジを飛ばして邪魔をした男こそ、誰あろうサブステージで「人間なんて」を絶叫して大反響を呼んだ吉田拓郎だった。渡は拓郎の野次に対して「拓郎いつか殺してやる」とつぶやいた(ライブ盤にちゃんとこの言葉が残っている)が、拓郎が肺がんから復帰した陰でひっそりと先に死んでしまった。

拓郎は、それまでの「反体制」「四畳半」というキーワードに代表されるフォークのイメージを根本から変えてしまった。それでもこの70年頃は、まだ他のフォークシンガーと似通った激しいアジテーゼの歌(人間なんて、イメージの詩など)が多かったのだが、72年に「結婚しようよ」が大ヒットし「旅の宿」と続くと、すっかり恋や愛を中心にすえたものに変わっていった。その後のさだまさしやアリスなどに代表される「軟弱フォーク歌謡」の元祖が拓郎だとまでは言わないが、拓郎が時代を変えたことは事実である。日本のフォーク史を二期に分けるなら「拓郎前」と「拓郎後」だろうと思う。

さて、写真の3枚はいずれもそんな「過渡期」と言える微妙な時代に発表された作品である。
私の言う「拓郎前」の岡林信康小室等六文銭五つの赤い風船(西岡たかし)、フォーククルセイダーズや、「拓郎後」の、南こうせつかぐや姫さだまさし、チューリップ、RCサクセション、海援隊ユーミン、アリスなどはいまだに根強いファンが多いが、この「過渡期」に登場した、写真の3人らは、いずれも未だに中途半端にしか認知されていない。メッセージフォークの激しさと商業フォークや後のニューミュージック(なるもの)の都会的センスを併せ持つ幅のある音楽性は、もっと評価されてもいいと思う。

加川良は一時は「東の拓郎、西の加川良」とまで言われた人だが、特にこのアルバムに収録されている「下宿屋」は今も語り継がれる名曲である。当時京都にいた高田渡の安アパートを題材にした語りの中に渡の素顔や岩井宏も登場する。「たぶん僕は死ぬまで彼になりきれないでしょうから」と酔いどれ詩人高田渡を慕う加川の情が素直に出ていて、いまだに聞いているだけでせつなくなってくる。

丸山圭子というと、後に「どうぞこのまま」を大ヒットさせて、そのまま消えていったシンガーという一般的な印象しかないが、この人は、エレックレコード創立時代からの「フォークシンガー」であり、名盤「黄昏メモリー」(これも最近復刻版が出た。もちろん買いました。)を今聞くと、都会的な洗練された歌い方と情感のこもった歌い方を使い分ける実力は、ちょうど、ユーミン中島みゆきを足して二で割ったような感じと言えばわかりやすいと思う。私は、「黄昏メモリー」(76年発売)を大学時代に下宿で毎晩聞いていた思い出があり、あの頃が鮮やかに蘇ってくる。写真のCDは、佐藤公彦(ケメ)とコンビを組んだりしていた時代の大変レアなもの。

岩井宏は、前述の70年中津川のあとは、レコード会社のスタッフとして、あるいはバックミュージシャンとして音楽活動に係わっていたが、写真の「30才」は、岩井が30才になった記念にほぼ自主制作ともいえる形で製作したアルバムである。後にも先にも、この人のソロアルバムはこれ一枚きりである。数年前に交通事故で急死した岩井宏を知る人はもう少ないだろう。

面白いのは、当時の彼らのバックミュージシャン達だ。
加川の盤のバックには、はっぴぃえんどの細野晴臣大瀧詠一松本隆木綿のハンカチーフの作詞者)などが加わっているし、丸山圭子の「黄昏めもりぃ」(写真のものではない)には、バックに山下達郎大貫妙子が参加している。まだ、「ニューミュージック」というジャンルはなく、「フォークソング」が表にいた時代だったのだろう。

幻想の春?

S&Pが日本の長期ソブリン格付けなどを「AA-」から「AA」に引き上げたらしい。悪いニュースではないが、「日本は経済大国に再び戻った」なんて騒ぐ人が出るかと思うと興ざめする。

むしろ、この一〜二年の景気上昇が、そろそろ頭打ちになってきた兆候なんじゃないかなどと本気で心配している。どうも、この十数年経済ニュースの「良い兆候」なんてのは狼少年的に聞き流す癖がついてしまっているようだ。
まぁ、マクロで見れば、明らかな好況期なのだろうが、どうも後に来る不幸に怯えながらの幸せなのじゃないかと、素直に喜べない気分だ。

夕暮れ時に、職場を出ると「春宵」の暖かさどころか、まだ桜は咲いてないんじゃないかと思うほどの肌寒さだった。

本当に「春」は来たのだろうか?

龍馬の顔

昨夜、最終の出張帰りで心も体もボーっとしている身には、投票日と言われてもピンと来ない。
日本経済やら日本国の政策遂行の、末端の末端のさらに最末端あたりで仕事をしている私のような人間であっても、「ビジネスモード」のときには、刻々と変化する世界情勢やら経済情勢を常に意識しながら、所属する会社の発展や利益のため、自身や愛する家族の利益のために、必死で、少ない脳みそを回転させ、老いぼれた肉体を酷使しているわけだが、休日を得てモードが一旦切り替わると、途端に「市民」になってしまい、自然や環境の悪化に心を痛め、社会の歪みに憤りを感じたりもする。

そんな「市民モード」のときに、地元市会議員選挙の投票に行ってきた。

国政選挙ならまだしも、このレベルの選挙には興味も関心も全くわかない。
しかしまぁ、とりあえず嘘でも何でも「市民」になっている今日くらいは「市民の権利」を行使しようじゃないかと自分を叱咤して投票に行った。で、とりあえず、投票所近くの選挙看板に貼られたポスターから決めることにした。

各候補ともスローガンやら何やらを仰々しく掲げて、作り笑いがミエミエの満面の笑みを公衆にさらしている。主張の内容は「大統領選にでも立候補したつもりかい!」とツッコミを入れたくなる大仰なものから、落書き以前の稚拙なもの、誰にでも書ける通り一遍なもの、所属する政党の主張を丸写ししたもの、などなど。。で、アホらしくなってきて、自分なりの審査基準で決めることにした。

【顔で決める】
これである。もちろん、美女美男コンテストに投票するつもりはないから、顔の造作や美醜は関係ない。
私の基準では、卑しさや品性の下劣さがにじみ出ている顔はダメ。これを選別するのは簡単なことで、日頃の「ビジネスモード」のときの、自身や周りの卑しい・脂ぎった顔つきを思い浮かべればいい。

ところが、ほとんどの候補者がこの選出方法で消え去ってしまった。
とりあえず、残った3人ほどの候補者の顔つきを再度眺めてみる。うち二人は女性。一人は「市民派」とやら、一人は「○○党公認」、一人は「若い力を市政に!」と書いてある。中年以上の男性候補者は「市民モード」の私の中ではすべて落選である。ざまあみろ。

結局、私の投票行動は、自身の日頃の行動への批判というか懺悔になってしまった。

若い頃の純粋無垢な正義感や情熱はとうに捨て去り、ブクブク肥え太り・醜悪な卑相にもかかわらず、精一杯の作り笑顔で「日本経済」を牽引してきた中年・熟年親父たちよ、どこへ行く?

この国が、市民モード中心の社会に成り果てたなら、龍馬が脱藩したように、国を捨てて放浪の旅にでも出ようじゃないか。

それにしても、龍馬は良い顔をしている。

公正

先日、「デジャヴ」という映画を見た。その中で、デンゼル・ワシントン扮する敏腕捜査官が、確信犯のテロリストへの取調べにおいて「考えてみると独立戦争愛国者も、敵から見れば、ただのテロリストだものな」と巧みに誘うと、テロリストはわが意を得たりと身を乗り出して「そうだ!そのとおり!」と叫ぶシーンがあった。

この社会は、原則として誰に対しても自由が認められている。
しかし、他者の自由を力ずくですべて奪い取る(つまり「殺す」ということ)という蛮行を「自由」と呼んではならないことは誰にでもわかる。そして、その行為の理由が、私怨であろうが、公憤であろうが、同じことのはずである。

では、社会正義に基づく(と本人達は信じきっている)思想としての「革命」はどうなのか?
はたまた、多くの国家において正当な行為とされる、国家間の紛争を武力で解決する行為、つまり「戦争」はどうなのか?

六十数年間、平和を唱え続けてきた都市の市長が殺されたことに対する、市民・国民の怒りや悲しみ、そして「恐れ」を見ていると、つくづく思う。

法は何のためにあるのか、倫理は何のためにあるのか、社会とは何のためにあるのか。

いや、公正であることとは何なのか?

こういうことを考え出すと眠れなくなる。
明日は朝早いので、これくらいにしておこう。

桜雨

少し残っていた桜が、今日の雨で散っている。

この春、鉄道で各地を旅して、つくづく実感したのは、ここは「桜の国」だということ。
都会であろうが、田舎であろうが、大げさではなく十秒ごとに新しい桜と巡りあえるのは快感だ。
多いのは、学校や官公庁の敷地と川の土手。
特に周りに何もない場所に桜がたくさんあったので、後で調べると旧陸軍歩兵連隊の跡などということもあった。

鉄道の車窓から風景を眺め疲れて、小さな田舎の駅に着き、その風情が気に入って、途中下車してみる。
コンビニも何もない駅の周りを少し歩くと、例外なく桜の大木に出会える。
車窓から眺める桜の艶っぽさとは違って、下から見上げるとむしろ威風堂々の感がある。

桜の花びらが舞う下を、地元の高校生がチラッと横目で見上げて自転車ですり抜けて行く。
手押し車の老婆が、一旦止まり見上げて納得したかのような笑顔を浮かべて、また手押し車を押して行く。
そんな風景を、ぼんやりと眺めていると、日本人にとって桜は戦前も戦後も特別な存在であったのだなと感ずる。
『平時の桜』も、またいいものだなと想う。

桜雨が止んで、陽光が葉桜を照らし始めれば、もう初夏は近い。