思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

ミッシング•デイ

☆☆★

ニコラス•ケイジが助演、というかトリプル主演? という存在感だが、そもそも彼が出ている時点でB級感がプンプンなのよね(^^;)
テレビでのあらすじから、見ようと思ったのだが、これ、完全にネタバレ(´Д`) 6割くらい進んでから明かされるネタを書いたらダメでしょ。
テレビ大阪の深夜放送だけあってか、吹き替えがイマイチ。特に実質的な主役であるニコラス役とか。前の観た深夜テレビのやつほどじゃなかったけど。
冒頭の、ハイチ地震後の映像は本物? 死に顔とかは見せないけど、死体とかが映ってるのに、よくテレビ放送したよなぁ……。逆に、これが映画用にセットされたものだとしたら、素晴らしいリアリティだけど。
原題は「RECALM」だか何だかという、知らない単語。
あ、ネタバレじゃない作品紹介をすると、そのハイチ地震で震災孤児になった少女が、アメリカの夫婦に養子になるところから始まる。

以下ネタバレ

テレビの番組紹介の何がネタバレかって、この養子縁組が詐欺であることが書かれているから。しかも、それ以上のツイストはほぼないのだ。
養子役の娘自身もグルで(冒頭の地震のシークエンスでは映っているので、震災孤児というのは本当らしい)、娘が夫婦の前から消えたら終わりではなく、犯人グループによるある種の狂言誘拐で、さらに金をむしり取ろうとする。その方法とは、さらに妻を監禁して、夫に銀行から金を下ろさせたところで逃げられて、ドンパチが始まる。途中で警官を撃ち殺したりと、やりたい放題。最後には、断崖絶壁に車ごと落ちかけるところを、ギリギリで全員脱出、なんて取ってつけたようなサスペンス展開もある。それが結構長い(^^;)
こんだけB級感満載なのに、最後には「世界には孤児が何百万人いる」なんて、大仰なクレジットが入ったりする。冒頭の地震の記録映像(風?)もそうだが、リベラル/左翼っぽい体裁が鼻につくんだよなぁ。
せめて酒を飲んだ失敗が元凶と言えなくもない夫が死ぬか、ニコラスの仲間割れでボス的なおばざだけでなく、娘も殺されていれば良かったのに、余計な欲(震災孤児問題をひろめたい、という善人ぶった感じ)をかいた為にビジュアル級にしかならなかった。

鍵のある風景 Eカップ豊熟


☆★

ピンク映画。「大人の複雑な男女問題を描いた」とあったので、観てみた。
まず驚いたのが、古い!(^^;) 制作年とか見てないけど、団地と、女性の髪型的に、80年代か?
自称「色気違い」(自虐含みの)の女と結婚した、真面目なサラリーマン。現在はセックスレスなので、妻は若い男と不倫していて、それを夫は目撃してしまう。
一方で、昔住んでいた家の鍵を発見し、郷愁からそこを訪れる。
恋愛時代を思い出したり、浮気現場の目撃とかで悶々とし、久しぶりに性欲が出て、嫌がる妻を抱いたりする。
ピンク映画らしく、濡れ場は多く、しかもその最中に重要な会話があるわけでもないので、そこを早送りすれば、正味40分くらいで見られた(^^;)
あと、このての女優の演技の下手さが、昭和だなぁ、という感じも。

以下ネタバレ

最後は、現実と妄想の区別がつかなくなって、墜落死したっぽい。墜落を、解放の情緒である模型飛行機に重ね合わせるとか、確かに、エロ描写を除けば、ある種のサイコ・サスペンスっぽい感じでもなくもないかも。

ビリギャル


☆☆☆★

タイトルが出る直前に「偏差値30のギャルが、慶応大学に受かった話」と出るが、良くも悪くもそれだけの話。というか、サブタイトルで盛大にネタバレしていいんかい!? 本作のターゲットが勉強しないギャルたちだとすれば、これくらいしないと見たいと思わせられないのかも知れない。
照明が平板で、コントみたいな照明。全く映画化的な空気感がなかった。製作がテレビ東京だか何かのテレビ局だったので、元はテレビドラマの総集編だってりするのかも知れないという感じだった。
主人公は有村架純で、彼女のメンターたる塾講師がチビノリダー。ちょっと幼すぎる気はするが、大人というより、近い目線で共に頑張る感じは、アリだと思った。
この手のドラマや映画となれば、十中八九こうなる、という、人情もの演出。私的には、ハウツーというか、どうやって、一念発起した時の学力が小学四年生レベルだったのに、高校三年生レベルまで駆け上がれたのか。そこを詳しく知りたかったかな。もちろん、『まんが日本史シリーズ』を読んだり、『現代用語の基礎知識』なんかを読む、というのは映されているのだが、もっと細かい経緯とか、具体的なエピソードとかを。
父親の破れた夢を、息子(主人公の弟)に押しつけるというのも、事実に基づくのならいいけど、脚色だとしたは、ベタベタすぎるかなぁ。
弟が野球をやめて、不良たちの溜まり場に行っているのを連れ戻しに行く主人公が切る啖呵は、ドラマ的脚色として、唯一純粋に感心したシーン。主人公が元ギャルであることを反映して、なおかつドラマ的なエモーションも高まるし。
あと、有村架純が可愛いので、それだけでも見ていられる、というのは大きい。『太陽の子』とは大違いだ。時代的に可愛すぎたらダメだからしょうがないけど。
慶応への滑り止め、というより腕試しもして受けるのが「近畿学院」ということだが、近畿大学の名前替えなのか、関西在住の私でも知らないだけで、実在するのかどっちだろうか?

以下ネタバレ

慶応でも2つの学部を受けるのだが、最初に受けたほうは、塾講師からもらったコーヒーに当たって、試験中にお腹を下したりして落ちた。で、本命には合格というのは、事実にないとしたら、これまたベタベタすぎる山場づくりのんだけどー(ギャル風に)。
脚色らしくても良かったのが、主人公のギャル友が、睡眠時間を犠牲にしてまで付き合ってくれている主人公のために、一時遊ぶのをやめる、と宣言するシーン。
逆に、主人公の母親が泣きながら父親を説得するシーンは、迫真の演技は認めるけど、ちと臭すぎたかな。

デューン 砂の惑星2


☆☆★

王道と言うか、ベタベタなプロット。ハンス・ジマーの劇伴で無理矢理、高尚そうに見せてるだけやん?(´Д`)
前半はひたすら眠かった。ハルコネン(ハルコンネンよりこちらが馴染みある)の次男が前面に出てくるあたりから、ようやく眠くなくなったけど。
SF映画のキモの1つであるデザイン面は、やっぱり好みじゃないので、「SFは絵」であるのに、見た目的なフックがあまりないのも眠い要因。普通に格好いいデザインは、前作にも出てきたスパイス採掘用のサンドクローラーくらい。
あとは、何かで似たようなやつを見たけど、顔全面に文字を書いている(たぶん呪文?)のは良かったかな。
たぶん宣伝的にはヒロインにあたる黒人女性は、本作において前作以上に不要な存在に。原作にはいない、映画独自の主人公格の恋愛対象という、『ロード・オブ・ザ・リング』のアルウェンと同じ客寄せパンダ的な改変だしね。こよ人物が男でも完全に成り立つお話だし。
サンドワームが、本作では水筒くらいの大きさのガジェットで簡単に誘き出されるので、神聖さがなくなって、ほとんど馬とまでは言わないが、象くらいの存在になっているの日本人としては残念。これじゃ『ナウシカ』の王蟲以下やん。
あと、これは演出やキャスティングのミスではなく、そういう意図だったのかもしれないけど、皇帝に威厳が全然なく、耄碌したじいさんにしか見えなったのもどうかと思った。
ストーリーが、命の水の採集方法から、飲んだらどうなるかに至るまで、ベッタベタな展開なので、終盤の盛り上がるべきところで、冷めていく自分がいた。
ハルコネンの次男が、白塗りでまゆげまでなきスキンヘッドで、やたら格好いい。どこかで観たビジュアルだと思ったら、『マッドマックス 怒りのデスロード』のウォー・ボーイズと一緒やん。
彼が闘技場で戦うシークエンスでは、何の説明も理由もなく、ほぼ完全なモノクロになるのだが、これがやたら格好いいから始末に困る。ここで3人出てくる剣闘士の一人が、いまのところ本シリーズ唯一のアジア人。
砂漠の民が使うレーザー銃が、やたら威力が強くて、ヘリとかを一撃で落とせるという、兵器のパワーのアンバランスさも気になった。人間サイズのバリアはあるのに、そういうメカのバリアはないし、『スターウォーズ』的な銃撃戦はない。なのに、無重力装置はある、という、テクノロジーのバランスが良く分からん。
それよりも何よりも、主役のシャラメが前作から成長してしまって、中性的な魅力が薄れたのが個人的には、画面へのフックが薄れた要因。作品のタイプ的には、アグレッシブになっているので、マッチしているんだけど。

以下ネタバレ

意外な展開と言えば、最後、皇帝の代理人との決闘に勝った後、黒人女性に「死ぬまで離れない」とか言ったすぐ後に、皇帝の娘と結婚する、と言い放ったこと。吉本新喜劇なら、全員でずっこけるギャグやん!(´Д`)
いや、真面目な話では、これは単なる政略結婚で、後で彼女を迎えに行くための伏線だろうな、とも思うけど。
ポールが砂漠の民すなわちレジスタンスたちをまとめて行くのも、ありきたりな救世主もので、それこそそのへんの異世界転生ものと大差ないんじゃないの? とくに本作ならではのがんばりやアイデアがあったわけではない。原作にはあったのかもしれないけど。

ハンニバル(下)

トマス・ハリス著/高見浩訳
☆☆☆★
新潮文庫

個人的事情で、老眼鏡をかけたら、やたら読みやすくなって、上巻の倍のスピードで読めた(^^;)
本格を読む動機であった、「クラリススターリング捜査官の描写がキモい」というのは、ラストの展開を読むと、確かに納得。
てっきり『羊たちの沈黙』が一作めで、本作が続編だと思っていたが、3部作のラストみたいな展開。実際に『レッド・ドラゴン』という作品が『羊たちの沈黙』の前後にある。
この下巻では、レクター博士が狩られる側に回るという、予想外の展開となり、実際に大ピンチに。同時に、レクターがクラリスを狙うというスリラー(サスペンスというほどハラハラしない)。
大ピンチを、口先八丁で乗り切るの、恐ろしいというより、そんな上手くいくわけないやろ、という感じだし。

以下ネタバレ

終盤に至って、クラリスがレクターに惹かれるというか、同類意識を抱くようになるのに違和感を覚えていたら、なんと最後にはくっついてちゃった(@_@) それにいたる描写は、確かにキモい。
映画のほうで聞いて(ネタバレ食らっていた)、生きている人間の脳みそを食べるシーンは、終盤の山場かと思ったら、クライマックスだった。しかも、単に食べてみたいとかのレベルではなく、食材として調理する、というあたりが、本作の真骨頂。それまで積み上げてきた本作のテーマの終着点と言えるだろう。

太陽の子


☆☆★

日本での原爆開発計画に携わる人々を描いた映画。『大地の子』とごっちゃになっていたが、「炎のディスクコマンドー」で紹介されていたので、見てみた。
先に書いたように、「計画を描いた」ではなく「計画に携わる人々を描いた」作品であるという違いが全て。
私的には、どんなふうに実験や計画を進めていたのか、サイクロトロンはいつ出てくるのか、期待して見ていたのだが、案の定、科学よりも人情、というお話だったのが残念。あ、ちなみに東大ではなく京大、というのがポイントかも。
主役の柳楽優弥は、やっぱり上手くて、眼鏡をかけて丸坊主であることも含めて、しばらく、誰か分からなかったくらい。
似たようなテーマでは、やっぱりアルキメデスの大戦に軍配が上がるなぁ。
もちろん、核爆弾の原理くらいは説明してくれるが、そんなの、理系男子なら全員知ってるし。いやら、そうでない人に向けて、というのは大前提として、その先を描いて欲しかった。それこそこの映画を観た九割の人がわからなくても。
あちこちの邦画に出ている國村隼は、本作ではプロジェクトリーダーの京大教授役。腹に一物ある人物かと思いきや、実はいい人訳であった。

以下ネタバレ

当然、広島に原爆が落とされた時には、調査に赴くのだが、その廃墟がチャチなCG丸出しなのが残念。本作は、このシーン、このカットて観客を圧倒させることが全てなんじゃないの!?(´Д`)
長崎のあと、次は京都だという噂が立って、主人公は家族を逃し、自分は山の上から、爆発を観測する、というのが面白い。そこで、母親からつくってもらった握り飯を黙々と食べるうちに、次第に家族への感情が高まってくるのを1カットで見せる柳楽優弥の演技力は圧巻。次第に目が充血してくるのだ。
冒頭からちょくちょく出てくる「天の声」は、最初はアインシュタインかと思ったが、最後まで明らかにされない。「科学の神」みたいなことだろうか。

カジノ


☆☆☆★

スコセッシ監督で、デニーロ主演とくれば、観といたほうがいいでしょ? おまけに実話を元にした話となれば、なおさら。
冒頭、店から出たデニーロが、駐車場の車に乗り込んでキーを回したとたん、爆発してデニーロが吹っ飛ぶのをコラージュしたオープニングという、強烈すぎる始まり。いや、映画史上でも、これ以上のツカミはないでしょ!
そこからはラスベガスの、五十年代のカジノの裏側が、モノローグを多用して描かれる。ほとんど、テレビドキュメンタリーかと思う量のナレーションだ。
面白くはあったが、シャロン・ストーンが、峰不二子みたいなキャラで、デニーロを引っ掻き回すようになってからは、さすがに地味すきて、「副音声でムービー・トーク」を発動。
そのトークを聞きながら改めて、本作はシュールなブラック・コメディであると再確認した。そういえは、オープニングも、デニーロがマンガみたいなポーズで、爆発映像の手前をスライド的に横切ってたし(^^;)
登場人物たちも、マフィアかヤクザ映画の、シノギのあがりの分捕り合戦だと思えばすんなり理解できる。シャロン・ストーンも、細木数子的な悪女だと思えば、その二枚舌三昧舌にも合点がゆく。ギャグに、副音声でのツッコミがなく、真面目にデニーロに感情移入していたら、彼女の自己中&金目の物に目がないのには終始ムカついて、心穏やかに観られなかったかもしれない。
ただ、『孤狼の血』の鈴木亮平的な凶暴なキャラのはずのジョー・ペッシが、あまり怖そうに見えなかったのは個人的にはちと問題かだったかなぁ。
面白かったのが照明で、まんまスポットライトが登場人物の上に置かれているような場面が、室内外を問わず散見されるのだ。

以下ネタバレ

いちばんの驚きは、冒頭に吹っ飛んでいたデニーロが、生きていたこと(^^;) アニメのような、デニーロの写真をスライドさせただけのオープニングは、映像的なコラージュに過ぎなかったのだった。
クライマックスには、カジノの関係者が次々と、過剰に弾丸を撃ち込まれて殺されていくハイテンポにも呆気に取られた。