静脈瘤の治療をしてみました

久々のエントリーですが、これは特に宣伝もシェアもするつもりが無く、ひっそりと備忘録的に。

実は同じ悩みを持っていて、なんと無くどうしようかなぁって考えている人が、もし検索した時の参考になればと思います。

私は三人の子の母親なのですが、最初の妊娠時に、足の静脈の弁が壊れてしまったらしく、静脈瘤が出来てしまいました。静脈瘤ってのは女性がよくなる病気、、というか症状で、静脈の所々にある「弁」が壊れてしまって、古い血液が上手く心臓に戻ら無くて、足がボコボコと醜くなってしまう症状です。

最初は、小さいボコボコだったのですが、これって一度なってしまうと自然に治る事は無く、最初は気にしてなかったけれど、何回か出産を重ねるうちに、かなり「目立って」来てしまいました。

もう「生足」を出す年齢でも無いんで、ずっとパンツスタイルで誤魔化して来たのですが、徐々に「熱」を持つようになって、少しでも「圧」のかかるストッキングを履いたりすると、物凄く痒くなって、夏場はかなり大変でした。

最初に気づいた時に、ネットで色々検索したのですが、「血管を取り除く手術しか完治の方法は無い。」って書かれていて、かなり二の足を踏みました。

まぁ、足を出さなきゃ良い話しでもあるので。そのままなし崩し。。

でも、毎夏痒くなるのやら、本当に「醜い足」を見るのも悲しくなるのと、医療関係の友人が

「瘤って名がつくのは放置しない方がいいよ。」

って言ってくれたのをキッカケに、今年の初めに診察の予約をとりました。
私がお世話になったクリニックはこちら。

湘南メディカルクリニック


日帰り手術も可能だし、保険適用も可でした。

大きな流れとしては

「診察」→「手術前検査」→「日帰り手術」→「翌日検診」→一ヶ月の圧迫ストッキング着用→「術後一ヶ月検査」

という感じ。実際は三回の通院だけで済んでしまいました。

私の場合、両足に静脈瘤が出ていたので、両方を「血管をレーザーで焼き塞ぐ」手技でした。新しく入ったレーザーが保険適用だったのがラッキーでそれまでは自費治療機械と同じスペックで、保険適用の手術が出来ました。(費用は8万程度を自己負担)

全身麻酔では無いのですが、半分意識が残った状態の「局所麻酔的」でもぼーっとする感じの麻酔で、カテーテルを二ヶ所から入れて、徐々にそれを後退させて血管から抜きながら「道を閉鎖」していくというイメージと思って頂ければ。

面白いのが、血管は塞いでしまったら、そのうち体の中で「別のバイパス」を作るそうですね。そのままにしていいもんかと思ったのですが

「ろくに排水しない排水管に、汚水が溜まった状態を放置してるのが、この症状だから、埋めて使え無くしてしまう方がよっぽどいい。」

のだそうです。この先生の説明に酷く納得してしまいました。

一ヶ月の圧迫ストッキング着用が、夏場だと辛いかもしれないので、治療は冬場がオススメです。
最後に、術前術後の写真を。(恥ずかしいですが)

足の前面にまだ静脈瘤が残っていますが、これも一年程度で無くなるそうです。後ろのふくらはぎは、だいぶ綺麗になりました。
もし、悩んでいて治療を考えている方にはおすすめです。
前半二枚が術前/後半二枚が術後



「崖の上のポニョ」鑑賞(追記)

[ポニョ][映画感想][ジブリ]
崖の上のポニョ
 昨日「よく判らない」と書いた部分で、ちょっと思いついた所を覚え書きで。。ちなみに、上の子達二人は「もう一度ポニョ観たい!」と騒いでいます。たった一度観ただけなのに、家族全員が覚えている所がいろいろで、それだけにいろんな視点から観る事の出来る映画です。5歳の息子はポニョが無邪気に「手出たぁ〜、足出たぁ〜。」と喜んだ所の台詞をしっかり覚えていて、私は言われるまで覚えていませんでした。


■来し方の家族像と行き方の家族像
 昨日「存在の意味がよく判らない。」と書いた手漕ぎ船の若い家族。あれからつらつらこんな事を考えた。リサと耕一は間違い無く、宮崎監督を含めたあの世代の典型的な家族像だろう。(昨日書いた通り)父は船の船長という重要な仕事の為に不在がち、妻は賢く活動的で立派に子どもの面倒をみながら夫の帰りを待ち、時にヒステリーを起こし、その全てを息子(こども達)は敏感に感じ取って、健気に「父親代わり」を務めようとする。「ぼくが守ってあげるからね。」宗介がポニョに言った言葉は、耕一がリサに言ったであろう約束でもあり、宮崎監督世代の父親達全てが妻に言った言葉なのだろう。(宮崎監督は朝日新聞のインタビューで「果たしたかったのに果たせなかった約束」と言っている。)確かに、耕一はハード面でリサの事を守っている。あの崖の上の家だ。水道タンク、プロパンガス、発電機まである!(使っていない所を見ると非常用だ)玄関を入って都合良く非常灯が何個もあるのが「普通」では無いし、防災無線やら信号を送れるライトまで持っているとは!海で暮らす船長だから、非常時の備えに敏感なのだろう、高台という、最も良い立地を選んで立てている事からしても、「俺が守る。」という並々ならぬ決意を感じる。
 だが、、、一大事に耕一は居ないのだ。そして、宮崎世代の父達は殆どが「一大事に居ない父」だった。そして、妻達は何よりもそれが不満だった。(私もきっと不満に思うだろう。)
 そして、手漕ぎ船の若い父親だ。彼は、何とか家財道具を船一艘に運び入れるのがやっと、モーターも無い小さな小舟に妻子を乗せて漕いでいる。恐らく、家は浸水の憂き目にあったのだろう。低地の家を選ぶという愚を犯したのかも知れないし、非常持ち出しなんて用意もして居なかったのだろう。男目線で見たら「後手後手の頼りない奴」かも知れないが、何しろ、彼は一大事に「家族と共に居た」のだ。この違いは大きい。それが証拠に妻である乳児を連れた婦人は、日傘をさす余裕がある。そして、危機的状況なのに、その表情は本当に穏やかで幸福そうだ。「夫が共に居てくれる。」ただそれだけが。ここまで妻子を幸せにする。
 映画の中では、嵐の異変やグランママールが登場する時、いち早く気が付くのは、耕一達の乗った小金井丸だ。つまり、日常の瑣末な事から「仕事」という名目で沖に出る事が出来る「父親達」は俯瞰で陸地を眺める事が出来るが、陸の一大事に巻き込まれてはいない。手漕ぎ船の若い父親は、ずぶ濡れになりながら、こけつまろびつして、「家」へ飛んで帰ったのだろう。そんな違いを、監督は自身の経験からやや皮肉を込めて描いているのかも知れない。
 実は、こう解釈したのは鈴木プロデューサーの裏話を聞いたからなのだが、(ジブリの若手社員が最近次々とお父さん、お母さんになっている事。)あのシーンは、「頑張れよ〜」と大漁旗まで出して小舟にエールを送る所で終わるが、監督が若い父母達に送りたかったエールなのかも知れないと思っている。

今日の所はこの辺で。

「崖の上のポニョ」鑑賞!

[ジブリ][映画感想][崖の上のポニョ]
崖の上のポニョ サウンドトラック
 本日、公開初日初回を家族で観てきました。開館前から長蛇の列で「さすがジブリ!」と思ったら、大半が同日ロードショーの「ポケモン」目当ての家族連れでした(やはり、恐るべしポケモン!)「ポケモンもやってるねぇ。」何て言おうものなら、5歳の長男が「ポニョよりポケモン!」と言い出すのは目に見えていたので、黙って劇場へ直行!でも、100分以上の間、食い入る様にポニョに見入っていました。(9歳の長女も同様)いやぁ〜、さすがジブリ宮崎監督。気持ちの良い映画を見せて頂きました。(でも、ハウルの時も感じたんだけど「これまでの集大成」という空気が感じられて、何だか寂しくなっちゃいました。)さて以降、ネタバレですので未鑑賞の方はご注意下さい。簡単に感想を。。。


■手描き恐るべし!
 ジブリ美術館を何度か訪れた方は判るかも知れないが、ここ数年宮崎監督が実験的に作って来た短編で実証されたいい部分が全て凝縮された映画だった。手描きの迫力、波に人格があるかのような動きは、一度見たら忘れられない「やどさがし」から生まれた技法だし、「みずぐももんもん」で培った水泡や、「コロの大さんぽ」で試みられた手描きのテクスチャが残る背景美術はとっても美しかった。ただ、それを観ているだけでも幸せな気分になれる。大好きな絵本作家「林明子」さんの絵本が、動いているかのようだ。


■走る走る!
 本当に宮崎監督は「疾走」させたらだれも叶わない。実際には、作画監督さんが上手なんだろうが、「コナン」の頃から持っている「思いっきり嘘だと判っているのに『ああ、きっと走れるんだな』と思わせる技量」はたいしたもんだ。「水の上を走る」と言えば、ピクサー社の「Mr.インクレディブル」の息子(ダッシュ)で有名だが、彼の「モーターボート走り」とはまた違う、いかにも日本らしい「くのいち水練の術」とでも言いたくなるような、裸足で水面をバタバタ走る姿は本当に可笑しかった。(子ども達は大爆笑)


■シンプルなストーリーだが謎も多い
 今回は登場人物を少なく、5歳の子でも判るストーリーにしたかった、、と監督はインタビューで答えていたが、確かに話しはとっても簡単だった。。。が。。。やはり、いくつか疑問が残る。最大の謎は「手漕ぎ船に乗った若夫婦と赤ちゃん」の存在。鈴木プロデューサーの裏話から、この船に乗った家族は宮崎監督にとって重要な位置づけらしいのだが、今ひとつ、彼らとポニョの絡みが判らなかった。何故、ポニョは赤ちゃんをしげしてと眺めたんだろう?何を考えていたんだろう?ずっと赤ちゃんはしかめっ面で、ポニョが別れを告げた後、身をよじらせてグズリ始める。ポニョが飛んで戻って赤ちゃんにキスすると、初めて赤ちゃんは笑顔を見せた。
 きっと、重要な意味合いがあるのだろうが、私には「若い家族でとっても頼りなさそうなお父さんが手漕ぎの櫓(ろ)一つでこれから人生という航海に旅出る姿を描きたかったのかなぁ。」とか「外から見ると、とっても心もとない様子の船だけど、中には小さな小さな幸せが詰まってる。」って表現したかったのかなぁ、、程度しか判らなかった。(本当にポニョは何を考えていたんだろう)


■誰もが宗介を息子にしたい!
 主人公の宗介は本当に可愛かった!そして、男の子を持つ母親ならば誰でも思い当たるであろう「男の子特有の健気さ」があって、冒頭私は涙してしまった。隣で座って観ている5歳の息子にあまりに重なる所が多かったからだ(もちろん、あんなにいい子じゃないけど)。でも、実は実際の男の子を知ってるが故に「かなり理想を押し付けてるなぁ。」という親の事情(この場合は船長の耕一と母のリサ)も透けて見えたりして、(パパママでは無く、ファーストネームで自分達を呼ばせている所も意味深)なかなかに感慨深かった。誰もが「この家族は宮崎監督そのままだ。」と思うだろうが(船の名前が「小金井丸」とまで言い切る所が凄い、ジブリの所在地は東小金井)宗介は息子である吾郎さんかも知れないし、或は幼き日の駿監督自身なのかも知れないと思う。「男は約束を守る。」監督は格好よく言い切りたかったのに、結局は、ごめん、ごめんと謝りながら何時帰るとも知れない航海に出っぱなしだった過去を思っているのだろう。


■母が元気な映画だった
 とにかく、「父親」と名のつく者たちは、映画の隅っこの方でこちょこちょいじいじと立ち回るばかりで(フジモト然り、耕一然り)大切な部分は、母親達が取り仕切る物語だった。(監督も「母と子へ」とはっきり名打っている)エンディング近く、ポニョと宗介の将来を決める大事な会談は、リサとグランマンマーレが取り決めてしまうのが何とも「母系社会」だなぁと思うし、そうみると「ポニョは嫁なんだなぁ。」と思えて可笑しかった。「半分お魚なのですがそれでも構いませんか?」と宗介に確認する下りは、「ああ、そうか嫁ってそれ位に『異質』に思うものなのかなぁ。」と深読みしたくなってしまった。となると、前段で述べた「ポニョは出会った赤ちゃんに何を思っていたのか?」という謎が、何となく判った気がする。


■素敵な保育園の描写
 ストーリーの中ではほんの少ししか出ないが、宗介の通う保育園の描写が本当に良かった。我が家も子ども達は3人全て保育園へ通わせているが、きちんと「保育園」として描けていた。しかも「保育園の玄関先」という舞台設定はなかなか素人では出来ない。、昔はあった「心強い保育園」としての演出が見事で「あんな保育園今もあったらどんなにいいにな。」と涙しそうだった。どこがと言うと、、冒頭の朝のシーン。宗介が玄関先でもじもじしているバックに「少しお熱があるみたいだけど、元気そうだし大丈夫でしょう。」と0歳児とおぼしき赤ちゃんを預かってくれるベテラン保育士さんの会話が流れる!この一言、今、赤ちゃんを預けて働いているお母さんなら垂涎もの、「羨ましい、いいなぁ。」の連発だ。イマドキ、こんな風に事情と状況を察してサポートしてくれる保育園は皆無だ。正しくは、ちょっとのお熱でも「集団生活ですし、万一の事があってはいけませんのでお預かり出来ません。保育園は基本的に元気なお子さんの来る所です。」と答えるのが、今日ただいまの模範解答だ。みんな、責任はとりたくないし、万一いや、億に一つの事態にビビって、親も園も過敏で神経質になっている。「神経症の世の中へ」と監督はメッセージを寄せているが、このちょっとした保育園の描写でも「昔はこれくらいに、いい意味でのいい加減さがあったんだなぁ。」と感じた。(瀬戸内の海辺の保育園も素敵だしね)

 今日の所の感想はこの辺で。

新にっかん飛切落語会

[落語]
 昨日は久しぶりに、信濃町明治記念館まで「新にっかん飛切落語会」を聴きに行ってしまった。昨年の9月に末娘を出産してから、一人で外出はしていない。毎日、家事と育児に追われ、外に出ると言っても真ん中の息子の保育園への送り迎え程度。買い物も生協の宅配を利用しているから、正に「引き蘢った暮らし」である。この7月からは、また仕事復帰するので、少しその練習を兼ねて、夫に無理を言って会社を半日休んでもらって子守りをお願いした。
 電車に乗るのは半年ぶり、人中に出るのも7ヶ月ぶりである。最後の記憶が、臨月の大きなお腹を抱えて乗った記憶だから、その時の癖できょろきょろと空席を探してしまう。。
「あ、私もう妊婦じゃないんだ。何処に立ってもいいんだ。」
と思うと、何とも言えない開放感。。。妊娠中、何が嫌だって通勤や外出の度に乗らなければならない電車がと〜〜っても嫌だった。3人産んで3度妊婦を経験しているが、ご親切に席を譲って頂いた経験は数える程。産休前は一番重くて辛い時期だが、揺れる電車の中でじっと立っていなければならないのは、何度経験してもしんどかった。(歩いている方がまだ気が紛れる)出来るだけ空いている時間帯、空いてる場所を選んで移動していたのだが、ど〜しても乗らなきゃならない時もある。そんな時、つり革を持って満席の通路に立つと、何とな〜く「ああ、嫌な奴が来ちゃったなぁ。」というのけ者にされる空気が何とも辛い。出来るだけ「優先席」の前に立つようにしているけど、混雑時に平気で優先席に座って、妊婦やお年寄りがその前に立っていようがおかまい無しで居眠りする「ならず者」の輩を見ているのも腹が立って来る。
「日本ってこんな国なんだなぁ。」
と悲しくなるのだが、落語を聞くと
「日本も捨てたもんじゃない!」
と明るい気持ちになれる。そうそう、妊婦に冷たい電車の話しをしたかった訳でなく、夕べの「新にっかん飛切落語会」である。
 不勉強で、「にっかん飛切落語会」が歴史ある会という事を、つい先日まで知らなかった。「初蔵出し」のCDが発売されて初めてその存在を知ったのだが、キーワード検索で「新にっかん飛切落語会」が装いを新たに第一回開催する事をたまたま見つけた。普段なら「子どもが居るから無理だな。」と諦める所だが、出演者を見てどうにもたまらず行きたくなった。だって、今注目の「三遊亭好二郎」若手成長株「柳家三三」大御所「桂歌丸」「柳家小三治」、、、何て、全く外れ無し、満足度100%のお約束落語会はそう滅多にあるもんじゃない。この機会を見逃したら、次は無いかも、、、とまで思い詰めて、考えに考えて「ええいままよ!」と発売日にチケット購入してしまった。
 買ったはいいものの、本当に行けるかどうか、当日子どもの誰かが熱を出さないか、生後6ヶ月の末娘を5時間もお父さんに預けて大丈夫か、、やっぱりチケットは同じ落語好きの実父に譲った方がいいんじゃないか。。前日までもんもんと悩んでしまった。が、、ありがたい事に、全てが順調に運んで何とか出掛けられた。当日の模様を簡単に。

三遊亭好二郎 「壷算」
 好二郎さんの高座を生で見るのは初めて。ニフ亭の「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」では一番人気の常連さん。この秋に真打ち昇進が決まって、芸名も「兼好」と改めるとか。真打ち昇進すると自動的に「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」から卒業になってしまうのが何とも悲しく寂しいが、これだけの実力があるんだもの、仕方無い。
 好二郎さんの高座はとにかく明るい。出囃子に乗って登場した時の笑顔が本当に明るくてやっぱり生でないと、細かい雰囲気が判らないもんだなと思う。「ようこそお運び頂きましてまことにありがとうございます。」と独特の調子でお決まりのフレーズが入るとそこからは、いつも聞き慣れた「好二郎節」。今回はお後の事を考えてか、枕が短めに感じたが(好二郎さんの枕は面白いのに)「水瓶を割ってしまった。」のフレーズから「あ、壷算」と判った。
 「壷算」は菊可さん、たい平さんのを聞いた事があるが、好二郎バージョンもまた楽しかった!オチも工夫してあって、高座の口火を切るには相応しい一席でした。(あ〜〜、有料でいいから録音をネット配信して欲しい)

桂歌丸師匠 「藁人形」
 小さい頃から「笑点」で親しんで来た歌丸師匠。もう結構なお年だろうと思うのに、お声の張りが全く落ちないのは何故なのか。本当に不思議である。落語家に定年は無いそうだが、年齢と共に声が衰えてしまう芸人さんは多い。しかし、歌丸師匠は違う。花魁、年老いた托鉢僧、托鉢僧の壮年の甥、、と声の調子一つで演じ分けられるのだから、怪物である。
 師匠は「語り部」の域に入られたなぁと高座を聴いて思った。(前の席のお婆さんは、会場の暑さに負けてこっくりこっくり居眠りをしていたが。)

柳家三三 「雛鍔
 三三さんの落語はとにかく凄い。まだ33歳というのが驚きで、あの声は「天性の落語家」だと思う。(落語に選ばれたんでしょうね)「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」には僅かに3席しか残って居なくて、もっといろいろな高座を聴きたいと願っていたのが今回叶って非常に嬉しかった。
 「雛鍔」は有名な演目で、いろいろな落語家さんのを聴いたが、三三さんの完成度も高かった〜。あまり、独自の変更は加えず基本に忠実だったのは、後に小三治師匠が控えていたからなのか。でも、師匠の高座の香りが程よく受け継がれていて本当にこれからが楽しみな落語家さんだ。なかなかネットに三三さんの音源が無いので、これから、出来るだけ高座を聴きに行こうかと思う。(でも、時間を作るのは大変だなぁ。)

柳家小三治 「付き馬」
 さすが、大師匠〜!私が中学高校の頃は、小三治師匠は時代の寵児ともてはやされていた。独特のおとぼけ口調と、抑揚のある声の幅で「時そば」なんて何度も聴いた。それこそ沢山の人が高座にかける話しであるが、あの話しを「ダレ」無いで最後まで聴かせる力があるのだから、当時から「違う」と思っていた。
 年齢を重ねられて、お若い頃とは違う味で落語会のトリに正に相応しい笑い一杯の高座だった。(だのに、例の前の席のおばあさんは、一番の佳境でゴゾゴゾガサガサハンドバックの中の整理を始めたから、尚、可笑しい。)
 「付き馬」は人物描写が面白いし、最後、早桶屋の主人と仲の若い衆との噛み合ない掛け合いが一番の見所だが、やっぱり笑ってしまった。(志ん生志ん朝バージョンが大好き)早桶屋の主人を「高倉健風」に演じられるのは小三治師匠だけだろうなぁ。師匠、また高座を聴きに伺います。

 とにかく充実の2時間半だったが、惜しいのは会場。。。広さは充分にある披露宴会場だったのだが、客席に高低差が無いのでどうしても後ろの方は高座が見えにくくなる。かなり高く高座をしつらえてあったが、私の席から(全体で言えば半分より後ろ)では、真っ直ぐ座ると、前の人の頭にすっぽり演者が隠れてしまって、始終首を左右に傾け無ければ声しか聞こえない。すっかり、首が痛くなってしまった。映画はスクリーンが大きいので、多少前の人の頭が大きくてもそのうち気にならなくなるが、落語は噺家さんだけなので、前が見えないと、何だか体育館でCDを聴かされてる気分になってしまう。劇場の高低差ってこんなに大事な物なんだと、改めて認識出来た。

 とはいえ、とにかく久しぶりの落語会は楽しいひとときだった。

キッチンバージョンアップ

[住まいづくり]

 リビングに引き続き、キッチンでも少し気になっている事にこの際着手する事にした。キッチンに隣接するユーティリティには洗濯機やスロップシンクがあり、いろいろなストック品を置いてあってなかなか便利に使っているのだが、この出入り口には何も戸を付けなかった。キッチンとユーティリティは頻繁に出入りするし、ここに袋戸を付けても、きっと開けっ放しであまり意味を成さないだろうと思ったからだ。何より、袋戸の施工1カ所に付き10万もかかったので、予算の都合で、設計当初真っ先に削ってしまったという事情もある。

 住み始めて4年であるが、実利上は何ら不便を感じないものの、「あ〜失敗した。」と思ったのは、ダイニングに座ると、位置によってはユーティリティの雑然とした感じが丸見えになってしまう。特に、来客時、お客様に座って頂く位置から、本当に丸見えで、前からこの事が気になっていた。

 今回、ソファーの張り替え用の布地でお世話になった「ルネ・デュー」さんに、この部分の目隠し用のロールカーテンもお願いする事にした。目隠し程度だから、ロールカーテンで充分。普段は巻き上げておいて、必要な時だけ下ろせば立派に目的は達せられる。

 折角なので、ここもボラス社の別の柄にして、「ピクチャー・パネル」的な楽しみ方をしてみようと思った。仕上がりは写真の通り。このロールカーテンを下ろすだけでぱっと、キッチンが華やいだ。不思議に、周りの壁紙とも色のトーンがマッチして、来客が無くてもロールカーテンを下ろして柄を楽しんでいる。

 室内に彩りが増えるというのは、本当に心躍るものだ。

リビングバージョンアップ―その1―

[住まいづくり]

 1ヶ月前からソファーの張り替えをしていたのが、今日届いた!新婚当初に買ったソファーとオットーマンなので、かれこれ10年近く使っているのだが、クッションはぶかぶか(息子がトランポリン替わりに飛び跳ねるから!)生地は擦れてあちこちがほころんでいるし、いろんなシミが洗濯しても、もう落ちない所まで汚れてしまって、どうにも誤摩化しようが無い。

 育児休業中だから、日中家に居る時間が長く、授乳のたびに座るソファーが何ともみすぼらしくて「これはどうにかしないと!」と思った。働いているとなかなかじっくり考える時間が作れないのだが、新生児を抱えて外出もままならなかったから、ネットでいろいろ検索して、じっくりと「ソファー新調計画」を練った。

 「新しく買うか?!」とも思ったけれど、クッションと生地がヘタっているだけで、フレームそのものはまだまだ堅牢である。ただ、総布張りなのでクッション部分だけを新しく作ると柄が違ってしまって、ちょっとバランスが悪い。

 10年前、当時オープンしたばかりだったIDC大塚家具で買った物で、アメリカのトーマスビルというメーカーなのだが、IDCは売りっぱなしで補修等のメンテナンスは一切してくれない。
 「トーマスビル ソファー張り替え」というキーワードで検索したら「東加工所」という椅子・ソファー張り替え専門の会社がヒットした。

 WEB もしっかり作られているし、手掛けた事例を細かく公開しているのにとても好感が持てた。何よりトーマスビルのソファーを手掛けてた実績がかなりあるようで、こちらに見積もりをお願いする事にした。総布張だから、どんな布地にするかでかなり雰囲気が変わると思ったので、ここは今までとかなり違う柄にしたいと考えた。

 家を新築した時に、北欧のボラス社の布地を多く使ってカーテンを仕立てたので、今回も北欧テイストのテキスタイルにしたいなと考え、布地の調達をしてくれる所を、またまたネットで検索をしてみた。
 姫路にある「ルネ・デュー」さんが北欧テキスタイルを多くを輸入している事が判り、いろいろ問い合わせて、ソファーの張り地に使える物を取り寄せてもらった。

 「東加工所」さんも「ルネ・デュー」さんもメールでの問い合わせに迅速に答えてくれて本当に全てが順調に進んで大変感謝している。家に居ながらにして、ここまで出来てしまうのだから、インターネット社会の便利な一面である。

 さて、新しく届いたソファーの座り心地は、、、もう、それはそれは、す〜ばらしい!ウレタンの交換と、その下のスプリングの調整も恐らくして下さったのだろうが、「今までスポンジに座ってたんだね。」と夫と感嘆しあった。程よい堅さは非常に座り易く、これであと10年以上は使えそうである。殆ど、新品になったと言って良い。

 今回は、折角なので、布地を少し余分に購入して、将来、布の柄が廃盤になってしまっても、クッション部分だけで作り替えられるように、手元にストックしておく事にした。

 ソファーが無かった1ヶ月間、「無くてもいいや。」と思うかなぁと予想していたのだが、どうしてどうして、ソファーのある生活スタイルに馴染んでしまったら、なかなか堅い床に直接座る気持ちにはなれず、「早く届かないかなぁ。」と心待ちにしていた。5歳の息子まで「今日、ソファーが届くんだよね。」と楽しみにしていた。

 ちなみに、下の写真が張り替え前の状態。張り替える時、無地にするとまた同じ事の繰り返しだと思ったので、今回は汚れても大きな柄で誤摩化せるものにしてみた。とにかく、部屋がぱっと明るくなって大満足である。

IKEAのクリスマスツリー

[住まいづくり]

 港北にIKEAがオープンしてそろそろ2年くらいになるのだろうか。オープン当初の激混み(港北インター出口は「IKEA渋滞」ラジオでお詫びが流れてました。)を敬遠して落ち着くまで行かなかったが、今年の7月に初めて行ってみた。(後半の写真はその時のもの)近くに「ららぽーと横浜」も出来たりして、客足が分散されたのか、それほどの「激混み」では無かったけれど、既に行った人が口々に「何を買ったらいいのか判らなくて、結局たいした物を買わないで帰って来た。」と言った理由が良くわかった。とにかく、買い物するのに「流儀」を心得ておく必要があるようで、何の予備知識も無しにふらりと出かけてしまうと、人と物に圧倒されて飽和状態になるような気がした。

 7月に行った時は、仕事の参考にするため「デザイン調査」で買い物は二の次だったが、今回は、じっくり下調べをして綿密に「買い物リスト」を事前に仕上げてからIKEAに向かった。一番の目的は、リビングに置くCD収納家具を買う事なのだが、それ以外に今年の冬から始まった「もみの木(生木で根は無し)」もお目当てだった。

 自宅を建築した3年前の最初に冬に、もみの木の小さな苗木を買って大事に育てて来た(このブログにも何度か登場)、ところが、昨シーズンが終わった直後、あれ程元気だったのに本当に突然枯れてしまった。原因はカナブンの幼虫が根っこの一番太い所に入り込んで大事な根の基幹部分を食べてしまったかららしい。
 という訳で、今年はクリスマスツリーにする「もみの木」が無かった。また苗木を買って来ても良かったのだが、IKEAが販売すると知って、買い物に行くついでに一緒に買う事にした。苗木では無いから、ワンシーズン限りだが年明けに購入した代金と同じ額のギフト券と交換で、用済みのもみの木を引き取ってくれるらしい。

 よく、ヨーロッパではクリスマス市が立って、「もみの木」が売られるそうだが、根を切っているケースが多いらしい(人に聞いた話だが)日本で松飾りや門松を飾る感覚で、毎年新しい木を買うのだろうか??ここまで大きくなってる木を途中で切ってしまうのはちょっと可哀想な気もするが、非常に成長の早い木なのかも知れない。

 最初の写真は、そのIKEAで買って来た「もみの木」。給水も出来るスタンドが一緒に売っていて、鉢植えをしていた時に比べるとツリーの足下がコンパクトになって、その点は良かった。
 そして、意外だったのが鉢植えの苗木ではあまり香りがしなかったのだが、切り株になった切り口から何とも言えない、良い香りが部屋中に漂っている。帰りの車の中はこの芳香が一杯で、こんなにいい香りなら、来年もまた買ってしまいたくなった。

 しかし、この「もみの木」目当ての人はとても多く、今日は昼前には入場制限になってしまう程。。朝一番に駐車場に入ってIKEAの「モーニングプレート」を食べてから回ろうかと思ったが、ちょっと予定が押し気味だったのと、子ども連れではどうしても食事に時間がかかってしまうので、コンビニ弁当で妥協する事にした。(でもこれで正解だったと思う。)

 設置予定の場所をしっかり計測して、お目当ての商品の下調べもばっちり、その他買いたい物の名称やサイズ/個数も細かくメモして「さぁ、さっさと回って必要な物を買ったらサクッと帰ろう!」と思っていたのに、結局午後の2時にならないとIKEAを出られなかった。。やっぱり、あの会計システムに問題があるんだと思う。

 有名な「セルフエリア」の巨大倉庫から、お目当ての家具をえっちら、おっちら、運び出して自分でキャッシャーまで運ぶのだが、コップ1個買いたい人も、壁一面に組み上げるシステム家具一式を買う人も、十把一絡げに同じレーンへ並ぶ。キャッシャーは30台近くあるのだが、これがなかなか、はけない。自分でベルコトンベアーに商品を並べる欧米スタイルだけど、慣れていない日本人は、まずここで手間取っているし、「小物」+「大物」と一気にいろんな物の会計をしようと思うと、さらに「モタモタ度」が上がってしまう。
 「これが欧米スタイル、のんびりじっくり待つのがマナー」なんだろうと思うけど、やはり国民性も考慮した方がいいなぁと思う。「少しでも空いてるレーンへ」と長くつながった行列を横断しようとする人が絶えないのだが、「あ!あの列のあそこに隙間が!」と思うと、実は梱包された長い家具の先端が足元ににょきっと出ていたりして、通行する時非常に危険なのである。しかも、キャッシャーレーン前ギリギリまでいろいろな商品を山と積んでいるから、見通しのきかない交差点状態。特に、人は商品の方ばかり見て足元何て見ていないから、カートに載せた家具をピリピリした気持ちでコントロールしなければならない。

 よくある「10アイテム以下レーン」じゃないけど、大物家具は全く別のキャッシャーと別の出口を用意すれば、随分解決するのになぁ、とつくづく思う。(日本人の考えそうな事だけど)「あ!あれ買えば良かったかな。」と駐車場で気が付いても、またあのキャッシャーに並ぶのかと思うと、うんざりして止めてしまった。

 でも、持ち帰った戦利品を家で紐解いてみると、値段の割にデザインや使い勝手がいい物が多い。今回は思い切って子どものおもちゃ/私物を収納出来るボックスをとりどり沢山購入したのだが、色や形が統一されてなかなか満足。一番のお目当てのCDタワーも「安物感」があまり無くて、なかなか気に入っている。
 IKEAは行くのに気合いが必要だけど、目的意識と下調べさえ入念にしておけば、家作りの強い味方だなぁと思った。