転職した。

転職しますた。
まあ余りブログに書く事でもないけど。


そんな訳で、ここんとこ、ブログの事を私はすっかり忘れてました。
今後もしばらく更新する余裕は無いかもしれません。



覚えなきゃいけない目先の事は幾らでも有って、
でもそんな時に限って哲学とか心理学の本とか私は読みたくなる。



こんな本読んじまった。



青年 (新潮文庫)

青年 (新潮文庫)



いやー、もう青年でもないよなー。
……ということを確認してどうする。



鴎外らしいというか、とてもクールで頭が切れそうな
人物を主人公にしているのはおもしろかったけど、
ラストでもう少し主人公の虚脱感が伝わってくればなーと
思いました。
医学生の友人との友情と同性愛が入り混じったような
関係は結構萌えました。



萌えると言えば、夏目漱石をモデルにした人物が講演する場面は
なんか妙に迫力があって何度か読み直しました。
ユーモアがあって自分をギャグのネタにしつつも、
人生とか文学とかについて余りにも真剣に考えているので
異常な緊張感が人々に感染していく感じ。
講演が終わった後、客達があっけにとられつつも、
会場全体が静まり、それぞれ自分の思索に沈んでいって、
海の底でうごめいているような雰囲気が妙に印象に残りました。
私も今沈みたい気分なのかも。

おもしろ経済学史

ブログから離れていると読書がはかどるなー。



新版・おもしろ経済学史―歴史を通した現代経済学入門

新版・おもしろ経済学史―歴史を通した現代経済学入門



未だ読み途中だけど、おもしろかった所。



●「重農主義」と訳される、フランソワ・ケネーが創始した
18世紀フランスのフィジオクラシー(physiocracy)は、
もともと「自然による支配」という意味。
その背景には、人間社会にも神が与えた眼に見えない秩序が
存在しているのだと言う考えが有った。
経済にもそうした自然の秩序が有り、
その秩序に従って無理無く運営されるべき、という考え。
自然法とも関係が有るなど、興味深い指摘。
ちなみに「フィジオクラシー」は後代に付けられた呼称で、
当時は「エコノミスト」と呼ばれていた。
エコノミストと言えば彼らしか居なかった)



●耕作地が広がるほど、生産性の低い劣った土地を
使わなくてはいけなくなってくる。
そして最後に耕作に着手される最も劣った土地の生産性が
小麦の価値を決定する、という限界生産力説と同様の
論理を、19世紀前半のリカードが既に使っていた。
でも1870年代の限界革命の経済学者たちは、
別に自覚にリカードの論理を一般化させたわけでは
なさそう。
科学史で言うところのパラダイム・チェンジか。




限界革命を代表する経済学者の一人、
イギリスのジェボンズは、当時の唯一のエネルギー源で、
無尽蔵と思われていた石炭が、
やがて枯渇する恐れがあることを統計的に示した本『石炭問題』
で評判をとった。
ついでに太陽の黒点の数と景気の循環との間に相関関係が有ると
統計データで示した。
ちなみに20世紀になってもピグーが結構まじめに取り上げている。
今では笑い話的なエピソードだが、経済統計の考え方や方法の発展という
意味では、重要な業績だと言える。





●同じく限界革命を代表する経済学者の一人、
オーストリアメンガーは、優れた教育者でもあり、
ウィーン大学の先生としてオーストリア学派と呼ばれる後進を育てた。
さらに、サラエボ事件で暗殺された皇太子の家庭教師も努めていた。
しかし、メンガーの研究者としての後半生は決して恵まれていたとはいえず、
「経済学とはどのようなものであるべきか」という、あまり
生産的とは言えない論争に、後半生のほとんどを割かれてしまった。
そのため、他の専門領域の膨大な量の本を読破し、書き込みをした。
そしてその膨大な量の書き込みをされた蔵書はと言うと……


メンガーの蔵書は第1次世界大戦のの混乱の中で日本に渡り、現在、一橋大学図書館に保管されているが、私はそれを見る度に痛々しい感じを否めない。


(26ページ)

過去の偉大な経済学者へ、時折、こんな著者のコメントが
顔を出しますが、手短でありながらそれだけに
ぐっと来るものがあります。

地裁の合議係

NIKKEI.NET より

中国残留日本人の請求棄却・国の「政治的怠慢」は認定
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060215AT1G1502M15022006.html


野山宏裁判長は「国は早期帰国などの政治的責務を怠った」と認定したが、「違法と評価するにはいま一歩足りない」として請求を棄却した。

また、「YOMIURI ONLINE」によると

野山宏裁判長は「政策立案は行政の裁量に委ねられており、国家賠償を認めるほどの違法はない」と述べ、請求を棄却した。原告側は控訴する方針。

政府が政治的責務を怠ってても、法律に違反してないし、
「裁量」の範囲だということかな。
厚生労働省の官僚(行政機構)を、国会(立法)の議員達は
法律でコントロール出来てなかったという事でしょうか。
まあでも、日本の国会に提出される法律は、
省庁の作る物が多かった気がしますが……。



でも、中国残留孤児は約2,500人、残留婦人は約3,800人いるそうですが、
この件の御三方以外にも約2,100人が16地高裁で係争中、
ってこんな規模の問題に数十年気づかなかったのかな。



東京地方裁判所 主要判決速報

http://courtdomino2.courts.go.jp/kshanrei.nsf/CoverView/HP_C_Tokyo?OpenDocument



まだ2月の判決文は出てないみたい。
まあ出てても判決文は、私には読みこなせませんけど。



「東京地方裁判所 法廷担当一覧」のページを拝見したところによると、
15日は今月の第3水曜日なので、「611法廷」で行われた
「民事13部合議係」で裁判が行われたんだろうと私は思いました。



東京地方裁判所 法廷担当一覧
http://courtdomino2.courts.go.jp/K_hotei.nsf/CoverView/HP_C_Tokyo?OpenDocument&Start=1&Count=1000&Expand=1




ちなみに通常の地方裁判は「民事13部」の「い係」「ろ係」「は係」
などの名称で、一人の裁判官だけで判決を出しているようですが、
「合議係」ってなんだろう?



東京地裁の紹介  2 組織について
http://courtdomino2.courts.go.jp/K_intro.nsf/678119cba3b9dfd649256b13000c54bc/b47ad315a311aefc49256b5e0013a331?OpenDocument

裁判部は,支部を含め54の民事部と,20の刑事部から構成されており,各部には3人以上の裁判官が配置されています。通常の事件においては,単独の裁判官によって処理されていますが,複雑な民事事件や重大な犯罪に係わる刑事事件については,3人の裁判官からなる合議体によって処理されています。


なるほど、今回の裁判は複雑な件と判断されたので、
「合議係」で3人の裁判官で処理されたんですね。

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教科書・3級商業簿記―日商簿記検定3級

教科書・3級商業簿記―日商簿記検定3級


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やっと貸借平均の原理が出てきた。
おっせ。


試験まで後10日〜。

ケニアの勇敢な密告者 (BBC)

イギリスの放送局BBCのサイトより
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/africa/4697612.stm

A fearless Kenyan whistle-blower

The BBC has learned of a major corruption scandal in Kenya, through evidence provided by the country's former anti-corruption chief John Githongo.


以下拙訳↓

ケニアの勇敢な密告者


ケニアの前・反腐敗諮問委員会の長である John Githongo 氏によって提供された証拠を通して、BBCケニアでの巨大な政治腐敗スキャンダルを突きとめました。

http://newsforums.bbc.co.uk/nol/thread.jspa?sortBy=2&threadID=1052&edition=2&ttl=20060214165212&#paginator


視聴者の意見コーナーでは今一盛り上がっていない様子です。
http://newsforums.bbc.co.uk/nol/thread.jspa?sortBy=2&threadID=1052&edition=2&ttl=20060214165212&#paginator

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教科書・3級商業簿記―日商簿記検定3級

教科書・3級商業簿記―日商簿記検定3級


34/236 ページまで終了。


まだだ、まだ終らんよ!


って未だ7分の1しか終っていないではないか。
これは終ってなさ過ぎ。


この章は総論なので、他の章の3倍のボリュームが有るとは言え、
未だ2章から抜け出せないというのはどうでしょうか。


試験まで後12日……。

ハートで感じる英文法*会話編

NHKテレビでやっている
「3ヶ月トピック英会話ハートで感じる英文法*会話編」の
テキスト(2006年2月号)を私は買ってみました。
http://www.englishatheart.info/



時制の一致の感覚的な説明として、昔話が材料に使われています。
(32ページ)
昔話では例えば、


「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました
 ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました
 ……」


のように語られますが、文が全て過去形でも誰も不思議に思いません。
話全体が過去の事だという大枠に入ってしまうので、
中身の部分も過去形で語られる、というような説明。
(私の理解が間違ってるかも)
テキストでは「箱が過去なら中身も過去」という言葉で表されています。
英語の時間の表現は、物理的な時間に対応しているのではなくて、
話し手の「ながめ方」に有るんだとの事。
言われてみると私もなんとなく分かった気に成りました。



でも一時的な行為を表す動詞の場合は分かる気もするんですど、
be動詞が「was」とか「were」に成るのは
私は未だ感覚としては体得出来ないでいます。
たとえば、「おや、ジムはアメリカ出身だと私は思っていました。」が
「Oh,I thought that Jim was from the USA.」(31ページの例文より)
となるのが。



混乱してきたので、以前買っただけで読んでなかった



マーク・ピーターセン英語塾

マーク・ピーターセン英語塾



を引っ張り出してきて読んだら、こんな例が紹介されていました。



例えばコンビニで2,001円の買い物をして、3,000円を渡した時に、
レジの人に「1円ありませんか?」と訊かれたとします。
そして、無いだろうと思ってたけど、財布を覗いてみたら有った、とします。
その時、日本語では、「有った!」とよく言います。
でもこれは英語では出てこない言葉で、今目の前に1円玉が有るんだから
「有ります!」と言ってしまう、とのことでした。
英語では、「昔は無かったけど、今は有る」という感覚だそうです。



先の例だと、語り手にとっては、
過去の時点では Jim さんはアメリカ出身の人であって、
現時点ではアメリカ出身の人ではない、
ということなんだろうか。
なんか見えてきたような、まだ見えてないような……。
考えてると、言葉と意識がどういう風に繋がってるのか
不思議な感じがして、クラクラしてきました。