柴の引き出しから出てきた、脇の短編「桃太郎と金太郎」」

山があるけど登らない川があるけど渡らずに集中しなきゃ


桃太郎は金太郎と会うといつもこける、発熱、雨が降り出す、財布をなくす、など、会う度に嫌な気持ちになって帰路。


それで場の雰囲気がいい訳がなく、金太郎はなんだか申しわけない気持ちになりました。


だってこんな不運を金太郎は知らない。


趣味趣向はひどく合うものだから会いたいんです金太郎側は。


一時はこれは恋なのかもしれないなあと、思うこともありました。


ウィンドウショッピングをしていてかわいい小物を見つけると
桃太郎のことを思い出すことも。


約束の前日には眠れないことも、その日の占いをチェックすることもありました。


でも必ず災難は桃太郎にやってきました。


桃太郎には独特の人付き合いの方法があって、ある日それに疑問を抱いた金太郎は


桃太郎にまさかりを振りかざしました。お酒を飲んだ時のことでした。


鬼をも退治したことのある桃太郎は動じることなく、


桃太郎の友達の一寸法師と、その友達と去ってゆきました。


間違って思ってもみなかったことをしてしまった金太郎には、


もう全てが手遅れでした。


ぼくほんとはいろんなこといつも考えてたのに。




とゆう話が聞こえる。


わたしは横断歩道を渡っていましたが、気になって振り返ると


小学5年生くらいの男子生徒が2人、


ランドセルを背負って同じ方向に歩いていました。






それから桃太郎と金太郎は二度と会うことはありませんでした。


それぞれにやらなければいけないことがあるので。


生活をしていかなければならない事実は、2人に同じようにある現実でした。


金太郎は自分を責め続けました。


あの日のことを思い出すと冷や汗が出てお腹が痛くなりました。


どうにか楽な気持ちになりたいので、逃げ道を探すべくいろんなことを考えました。


でも、一方的に感情をぶつけてしまったことや、


調子にのって桃太郎の友達の一寸法師をちゃかしたこと、


たまに発言を失敗して人様に迷惑をかけたことなど、


あの日の反省点と風景だけがドヤサドヤサと鮮明に思い出され、


自己嫌悪を推進してゆくいっぽうでした。


金太郎には慎重さが足りませんでした。それはたしかだ。


もともと2人が会うと災難が起こることになっていたんだから、


そこは気を引き締めて行かねば。


金太郎はそれをしっかり自覚して桃太郎に会うべきだったのです。


金太郎には災難の起こることになっているその日こそが、


いちばんに楽しみで大切な日でした。


しかしそんな日であることも災難のことも金太郎側の話でしたので、


桃太郎は金太郎の興奮や心配について知るはずがない。


だからこそ金太郎が慎重でなければいけなかった。


それは、今なら金太郎自身も理解できるが、もう、とにかく、手遅れでした。


なにしろ、全てが。


金ちゃんは空いてしまった心の穴ぼこについて考えてみました。


穴ぼこをきれいなまるにしているのは、あの日の金ちゃん自身でした。


金ちゃんは、桃太郎が楽しいことを求めて、その末に犬やキジなどの仲間を増やし、


ただそこに住んでいる、とゆう、自由で、純粋で、自由な感じが


うらやましくてしょうがありませんでした。


とゆうことに金太郎は気づきました。


でももう、とにかく手遅れでした。


なにしろ、全てがでした。


桃太郎と金太郎の運命はそんなでした。


生き違うことがこんなにこんな気持ちになるものだとは知らなかったので


金太郎は動揺してまたお腹が痛くなりました。


もうかわいい小物を見つけても、桃太郎のことを思い出さないようにしようと決めましたが、


金太郎が自分を責め続ける以上は、桃太郎が浮かんでくるようなシステムになっていました。


だって、手遅れなので。


だから、金太郎には逃げ場はありませんでした。


だって、金ちゃん自身が自分の間違いを認めているので。


そうこうしていると、金ちゃんは自分に人としての問題があることにも気づいてしまったので、


もう全てのことに自信が持てなくなりました。


お酒を飲むことも買い物をすることも、大好きだったご飯を食べることさえも、


馬鹿馬鹿しく思えてきました。


友達も自信も、なくなりました。


気づいたら、


しゅー


と魂が抜けるように息をもらしていました。


そしてまあとにかく、仕事にでかけました。


それはゴールであり、スタートでしたが


正直言うとスタートとゆう響きに金太郎は違和感を感じました。






と言って男子生徒は得意げな顔で話し終えた。


近頃の昔話はリアルで、胸が苦しくなる結末なんですね。




おわり

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理解のふたりの近況

脇も柴も相変わらず死んでいないというか生きているんですが、
このブログの更新をほったらかしています、
すみません。


柴についてですが、
柴は今年に入って、
「九州で自分の美術作品を展示して
なかなか会えない脇に会ったりする機会にしたい」
と考えるようになり、
※脇は長崎、柴は岩手


大分県別府市の BEPP ART AWARD 2011 という公募に応募しました。


これが一次審査を通過し、
http://www.beppuproject.com/newslist/2011/07/625.html


柴は8月20日(土)に、別府市で公開プレゼンテーションをしてきます。


そのとき脇とも会ってきます。


そのへんのことが私たちの近況かと思い、報告いたします。
(柴)

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もやぴスイッチでお話

ピンキーと唐岸と言います、ペンペン草のペンの方がピンキー、ペンの方が唐岸です。
ピンキーと唐岸の二人は世間体、ぴんから兄弟と呼ばれることがあるのを我慢していました。
それに実際、ピンキーと唐岸でした。
また二人はペンペン草のペンとペンでしたから、兄弟と言われてもそりゃ言われるのでした。


そのように二人は文句をいだきがちな日々でしたが、
さすがに自分らでも何か前向きな積極性を持たなくてはいけないんじゃないかと思うときがあって、


二人で町の体育館にやってくる「ざんぎりプロレス」を見に行くことにしました。


お弁当にはパンキッシュを作ることにしました。
浅いうつわ状のパイ生地にパン生地を流し混んでオーブンで焼きます。
パイ生地がうまく焼けた頃、パン生地の真ん中らへんの中の方がまだ生で、ぽちょんぽちょんしている。


お弁当は、コンビニのおにぎりにしました。


ピンキーと唐岸が町の体育館に着くと、会場ではざんぎりアタMAXの試合が始まっていました。
相手は覆面レスラー・攘夷ジャキー。ジャキーの反則技に華があります。
そう皆が思っていました。しかし唐岸は反則の意味が分からない、
なんで? これって相撲とかとは違うの? と混乱して、
アタMAXを助けなくちゃ助けなくちゃ、
実は持ってきていたパンキッシュを、場外で悪のパフォーマンスをしているジャキーのとこまで駆けていって
思い切りぶつけました。


ジャキーは大袈裟に熱がり苦しがり、客席は大いに沸きました。
ピンキーは唐岸の手を引いて急いで会場を去ります。


帰り道、川沿いでふたりはおにぎりを食べました。
唐岸はごめんと言いましたが、ピンキーは唐岸の、
失敗を活用しようとしてしまうようなところ、僕はよく知ってると思いました。


翌号のプロレス新聞には、「MAX謎のキッシュに救われる」の記事が踊り、


町の皆は、おらほのぴんから兄弟は歌うんでねくプロレスすんだぞ、としばらく騒いでやめました。
(柴)




ハンバーガーが食べたくなったのでナラは外出しました。
フライングポテトが食べたい。
飛んでいるポテトじゃなくて揚げるの現在進行形ポテト。
フライングポテト。ああ。しっくり。
じゃがいもいい。じゃがちゃんとゆう名の名物が九州は長崎に存在することをわたしは知っている。


ナラがいま食べたいのはマクドナルドとかじゃなくてアボガドとかが挟まったぶっ厚いやつ。
野菜の酢漬けも大きくて、濃い味のいろんなソースが垂れ流れているハンバーガー。
お隣にナラ命名憧れのフライングポテトが、お前を許すといった感じでおかれていて、
そういえばナラはポテトにはいつも許してもらった。
お皿の隅に、ケチャップソースとマスタードソースがぽちょんぽちょんとプロレスラーの着衣しているやつみたいに刺激的な色をしてアピールしている。
それを見たときナラは、オーケー。と思う。
そうゆうの目指して歩きだすと決めたんだ。
パンキッシュな雪駄に柄シャツ、この季節ちょっと暑苦しいオーバーオールを装備し、
同居している亀に達者でねと心で言って出た。

最短距離の2.5倍くらいを歩き、着きました。そうそう。こうゆうの。
木造、整いすぎていない店内、外国のビールの銘柄のネオンがあったりして、
アメリカの70年代くらいの音楽が流れて。 日本では70年代くらいにぴんから兄弟が活躍しました。
昼食夕食どっちつかずな時間帯だったので他にお客もそうおらず、
全従業員の視線を浴びながらナラは禁煙席に案内された。見るな。
わーいメニューくれ、とゆう心中をお察しされないように冷静を装い着席。
メニューの説明を軽く受けて店員が去ったあと、ナラはあまり考えずに想像していたのに近いハンバーガーとベルギーのビールに決め、
こんな昼間っから飲酒をするわたしですが大丈夫、村一番の常識人です、
といった演出で店員を呼び、注文をしました。
ベルギーのビールは瓶じゃなくて樽からグラスに注いでいただくタイプで、これだとこの時間少し安いのよ。安かったのよ。
ビールのあとハンバーガーが運ばれてきた。そのころになると少しずつお客さんが入りだしたが、
ナラの近隣のテーブルには寄ってこなかった。
こうやって食べるがよい、との説明が入社してまだ1年は経ってなさそうな店員からあって、はーいとナラは思いました。
ケチャップソースとマスタードソースは添えられていなかった。
かわりに各テーブルに子袋に入ったそれらが常備されていた。
ナラはマスタードだけを子袋から出し、まずは憧れのフライドポテトをフォークで刺しマスタードを付けて食べた。
10秒後、使い捨て抗菌紙ナプキンで拭いた手で食べた。
ハンバーガーは難関でした。トマト、玉ねぎ、しし唐の酢漬け、パテ、アボガドそれぞれが厚く、
その間にチーズやソースがかかっています。
最終的にバンズをはずし、上から順番にフォークを持って食し、ほどよい厚さになったところで
取り外したバンズをかぶせてそのまま口に運ぶことができた。
その間、ビールは2杯目まで許可し、ポテトにも手は伸ばしたが
ポテトに関しましては最後にハンバーガーからはみ出たソースにつけて食べたいとゆう
汚らわしい欲望を抑えることができず、ナラは実行した。


ああ罪悪感。完食。こんな高カロリーなものを食べてしまった。無心で。
ナラはビール2杯も飲んで陽気なくせに、具合が悪い人のようなぐったり感で雑草をむしりながら
ペンペン草をペンペンできないまま、最短距離で帰路でした。
おなかが、いっぱいすぎる。


達者であった亀にただいま、と心の中で言うとナラはそのまま座り込んで亀に規定量のエサをあげました。
(脇)

文章:ハ・ガマ・ルイ・ト・ ラ・ノコ

販促ボードに「奥さんにはこれでしょう ^^/」と書かれるまま促されるまま、
女性用高級(っぽい)がま口を買います。
劇画エロ本コーナーにすっとんでいって何はさておき読んだことへのいくばくかのやましさからです。
ほかにたまっているものと言えば、涙。涙腺をゆるめたい。
店でかかってる曲で適当に、適当に、曲など選ばず、泣きます。


罪 tsumi〜 咎 toga〜 のこぎり持って来てくれていいよ
 僕は 僕は ラナウェイ run a way〜 食料は持つよ 


家までのバスの中で姉に怒られる夢を見た。
あんたなんで食パン食べたの?なんで運動しないの?
賞味期限切れてたから
あんたチーズケーキまで食べたの?
相当な日数、賞味期限切れてたから
あんたなんでわざわざ小豆味の生ドラ食べたちゃったの?でなんで運動しないの?
賞味期限今日までだったから


ただいま、今帰ったよ、お土産たいしたものじゃないけど
(柴)




こんにちは、職人です。しかしがま口財布製作活動に煮詰まりましたので、
そんなんじゃいかん、わたしはなにかに触発されるため、
わたしの触発を目的として、おにぎりを拵えてお湯を沸かしコーヒーをいれ水筒に投入、
おやつにカントリーマームを2つ用意しました。
おにぎりの中には、きのうの唐揚げを入れました。
そしてそれらをリュックに詰めて、すごく防寒して、自ら足を運びました。
そうやって出向いた彫刻家のアトリエでわたしは触発され、
大ヒット間違いなしの歴史的ながま口財布を生み出すのです。


アトリエにはすでに見物客が数名いらしていました。
物好きそうな人達に感じた。
わたしは見物料金を支払い観客席に座り触発の用意をしました。目を凝らしたとゆうこと。
しかしそこにはなにもなかった。
ただ、その人は彫刻刀やのこぎりを持ってはいたし、動いてはいました。
ひどく動いていた。
ははーんエアー彫刻ですか。
たっ、やられた。でもでもお金払ったし見ますとも。おにぎり食べますとも。
おにぎりや水筒の片手間でエアー彫刻家の様子をチラチラ見ましたが
わたしには理解できなかった。
彫刻家が手に持っているものが筆になればそれはエアー絵画とも取れるし、
ラケットならテニスかバドミントンでしょうよ。
そんなのとどのつまりが持っている道具で決まるんじゃん、
目に見えるものがすべてじゃん。
わたしは泣きたかった。ぼったくられた。
あと、そのくせエアー彫刻している人の顔には迷いがなかったから。
見えてんのですか、ご本人にはその作品というかなんかそうゆうのが、
見えてんのですか。
なんでなんでそんな平気で金儲けすんの。理解できない。できません。
個人的すぎやしませんか。あなただけが満足でありすぎていやしませんか。
だからほら観客だってこんなに少ない。
ですがね、派生しては消えてゆく、大衆文化、流行りの波に乗る気にはならない。
世にはびこる販売促進には惑わされたくない。
ああどの考えにも賛同できませんよ。
少なくともわたしは世のため人のためになるべくがま口財布を作り続けているからね。
好きでしょ、幼児が首からぶら下げてたりしてごらんないよ、ね。
かわいいでしょ和むでしょ。中には消しゴムとかが入ってんです。ね。
やさしい気持ち、なっちゃうんです。笑顔。
だからそれは、世界平和へとつながるんです。世界。
それにがま口を開けた時のあの音とか感触がなんたって好きだからね。
一億総がま口。いい景色だ。


といったことを考えながらおにぎりを噛みしめていると
見物に来ていた子供が大事そうにウエストポーチから財布を取り出した。
それはブランド物の偽物のお札を曲げずに入れることのできるやたらずっしり感のある
子供らしからぬ財布でした。
わたしはわたしの涙腺に刺激を与えないように深呼吸をしましたが、
やはり泣けてきました。
がーんわたしのやっていることこそが自己満足じゃないですか。
ですよね財布はジッパーに限りますよね。今時の子供ががま口はないよね。
なにかのために誰かのためにとか言うてますがね、ちがう。
満足してるのは自分だけ。ああこれを子供が首から下げますから。とか思い浮かべて。
挙げ句、そうやってやたらがま口作るもんだから技術面で優れてくるね。
いいがま口ができてしまうよね。
想像力をかき立てるすごく手触りのいい、それでいて丈夫ながま口が作れてしまう。
それって誰かのためじゃなくて自分のためになっちゃってんじゃん。
わたしそんな人間になりたくないんですよ。
自分のことしか考えていないような、自分本位の人間。いやなんです。
なのに、誰かのためにと思えば思うほどにそれは自分のためになっている。
とんだ勘違いでした一億総がま口。天罰を罰を咎を受けます。
エアー彫刻家より、世にはびこる販促チームより、わたしはわたしが嫌いです。
いつかこの悪循環をあきらめて認めることができるのですか。
みんなどうやってあきらめたのですか。
わたしはがま口を作ることしかできないのに。



職人は悪循環を消化できないまま、その後もがま口を作り続けました。
ひたすらやりました。ラナウェー突っ走った。
誰かのためにやるのをやめたり、やめるのを忘れたりしながら。
それに目を付けた会社の販促チームは手作りがま口財布を子供たちの他に
ブランド志向の高所得者にもターゲットを広げ、売っていきたいと職人に提案。
がま口には「咎」と書かれたタグが付いていて、その自虐的な感じが
なんかいいよねーてことで、販促チームや身内、ブランド志向の高所得者
子供たちはそこそこ笑顔になりました。
(脇)