奴隷根性について もしくは“やりがいのある仕事”

三食、ちゃんとしたものを座って食べる

12時前には寝る

読みたい本を読む

…これらはどれも僕の生活にとって最低限のことだから、

これ(この程度のこと!)が出来なくなるような職業なんて、論外だ。

職業に拘束されて人間として文化的に生きることが出来ないなら、そんなの奴隷だと思うし、

その事に疑問も感じないとか変えようとしないとか、奴隷根性と言われてもしょうがないと思う。

医療者について言えば、
自分の社会生活を犠牲にして病院に張り付くことが果たして“誇りある働きかた”なんだろうか。


僕はそう思わない。(それでこそ真の医師だ、って言う人もいるかもしれないけれど)

自転車と病気

さっき、修理に出してた(愛しの)自転車を引き取りに行ってきた。

“申し訳ないのですが、うちじゃ直せないんで、お代はいいです。”

との事だった。

まぁ残念だけどそんなもんかな、と。


ところがこれが病院だったらどうだろう。

病気が治っても治んなくても同じ値段ですよね。



患者さんの立場からしたら、不満を感じる人も当然いるだろうなー、とは思いました。

案外にソコが自転車と人体の本質的な差異なのかも。

セックスとニューロ・サーキット

最初に言っておくけれど、僕はLGBTが“異常”だとか“治療を要する”だなんてこれっぽちも思ってない。

その上で、


マサチューセッツの女性「同性愛者が不快なので家から出られない」 - みやきち日記 を読んで思ったのだが、

ヒト集団の中で恐らく95%以上はヘテロだと思うんだけれど、(主観です)


ヒトの大多数は何故、異性に恋愛するのだろう。


つまり、

男女認識に関わる神経回路 と 恋愛感情形成に関わる神経回路 は、


どうなってるんでしょうね。



生理学的になかなか興味深い所だと思うね。


目の悪い僕でも、向こうから歩いてくる人が男か女はすぐ分かる。

その人の服装や体型が見えるよりも先に、男か女かは分かる。

多分、他の人もそうだと思うけれど。


不思議ですよね。

僕らが知覚してる視覚情報がいかに部分的か、が分かるね。




あと、恋愛感情の形成性交渉がどう関係してるのか、も興味あるけど、


その話はまた今度…

質問してみた

蒲原聖可さんが書いた“代替医療 効果と利用法”

代替医療―効果と利用法 (中公新書)

代替医療―効果と利用法 (中公新書)

 にいくらなんでもこれはと思う記述があったので、ブログで本人に質問してみました。以下。



初めまして。
大学の医学図書館で見つけて、中公新書の“代替医療 効果と利用法”を読ませていただきました。興味深い記述が多く、参考にさせていただきました。
医学生として、2つ質問をさせていただいてよろしいでしょうか。

1.

基礎医学の分野では、1988年、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」が白血球の活性に対するホメオパシー治療薬の効果を報告して話題になった。このとき、この現象に科学的根拠はないとするコメントも同時に発表された。この問題は未解決のまま残されている。

との記述(P.54)がありますが、この報告の再試験をネイチャー編集長を含めた調査チームが行ったところ、元論文のような結果は得られなかったとの記事( http://www.criticandokardec.com.br/benveniste02.pdf )が掲載されたことは有名ですが、“未解決”とは具体的に何を指してのことでしょうか。

2.

臨床医学では、ホメオパシーの効果を示した臨床報告や臨床試験は数多く報告されている。しかし、ヒトの場合はプラセボ(偽薬)効果も確実に存在するため、ホメオパシー自体について検証するには、更なる臨床試験が必要である。

との記述(P.55)がありますが、プラセボ効果も考慮に入れた、充分な数の臨床試験のメタ解析を行った論文は既に複数あります(一例 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16125589 )。ホメオパシーの効果が“検証”されるには現時点で具体的に何が不十分だとお考えになりますか。


さてどんなお返事がいただけるか、楽しみである。
ぜひMOCHIMASAさんにやっていただきたい仕事であったW

http://d.hatena.ne.jp/Mochimasa/20110109/p1

僕がお医者さんになったら

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070306

労働契約はきちんと確認しよう。




というか、赤の他人の為に自分のQOL差し出すのはデフォなの?


嫌だよ、そんなの。それが正しいことだとも思えない。


僕は、生活に必要なお金を得るために、働く。
報酬に見合う責任は取るけどね。


名医になろうとも思わない。

医師免許持ってれば他の職業より少しは楽にお金が手に入るし、豊かな人生送れそうだと思っている。
検診のバイトと献血のバイトで一生やっていけるのかなぁ



人の病気を治すより、他にやりたいことは、すごく沢山ある。

今年の生化学の試験、

141人が受けて74人が不合格だった。

例年のままいくと、生化学の単位が取れなくて留年する人が今年は20人強、発生することになる。

1,生化学の教授の口癖

“入学人数が増えた分、学力下位層が増えた。
日本の医療のために、学力のない人を上の学年に上げるわけにはいかない”

入学定員の増加は教授会でも認めたことだろうに。

それなのに授業の度に今の学生は馬鹿が増えたみたいな言い方されて、まぁ、控えめに言ってもいい気分はしないよね。
大人が若者を叩くのは若さへの無意識の羨望だと井上ひさしが言ってたので、まぁそういう事にしておきましょう。

それが“日本の医療のため”なのかはひとまず置いておきましょう。

2,教授の役割

勉強にヤル気がなくて、学校に来ない・来ても後ろで寝てる・喋ってる、みたいな人は

そりゃぁ、単位落としても仕方ないと思う。

けれども予習復習キチンとやって試験前も徹夜で頑張って、みたいな人も74人の中には多くいる(去年の自分もそうだった。再試験で辛うじて通ったけど)。

そういう人たちを“学力下位層”と呼ぶだけで彼らは何も感じていない(ように見える)。

授業に毎回マジメに出席して、もちろん自学に励む。これが学生のあるべき姿なら

決められた講義期間の中で学生がその教科内容を理解できるよう勤める。ってのが教授のあるべき姿だと思うんだけどな。

基礎の先生は研究で忙しいというけれど、“教授”の給料の中には学生の指導も入ってるんだよね?

教科書コピーのプリント配って上から順番に読み上げていくのをまさか“授業”だと思ってないよね?




他人を馬鹿にする人ほど…ということでしょう。