どん底は強い

 

夫のちんぽが入らない (講談社文庫)

夫のちんぽが入らない (講談社文庫)

 

  劣等感は度を越すと笑える。本人はもちろん、他人も笑い飛ばせる。

 表題通りの女性が主人公の、この陰々滅々とした作品も、時おり混じるユーモラスな比喩であっさりと笑いへとひっくり返る。どーしよーもなく暗い話のはずが、気がつくと読みながらニヤニヤしている。

 

 「どうしてだろうね」と言っては手や口で出す日が続いた。私にできることはそれくらいしかない。農作業のようであった。あと何年こうして耕せば、ちんぽが入るようになるのだろう。このまま凶作が続くのだろうか。自分の不能さに打ちひしがれた。

 

 この「農作業」が素晴らしい。

 比喩は、悲惨な事実から距離を置くことで生まれる。「農作業」で笑いに転じることで、「入らないちんぽを入れようとし続ける」夫婦の営みが、その愚直さゆえに、今度は妙に愛しくなる。

 一度その味をしめれば、健康だった夫がいつの間にか精神を病み、主人公である妻が免疫異常で骨が曲がっても、二人と読者の関係はもうビクともしない。

 

 むしろ「どん底」を持つと、とても強い気持ちになれた。

 根暗で劣等感まみれのはずの主人公は、いつの間にかそこまで書く。恋愛さえ「コスパが悪い」と切り捨てられる世の中では、彼女の強い気持ちに勝てる人はそういない。その一点で、この暗鬱とした作品は頑丈な輝きを放ちだす。

 

 実は、その前に夫が妻の実家に結婚の申し込みに出向いた際、自分の娘をなぜかけなす父親へ、夫が口にした言葉でその輝きはすでに頂点に達していた。

「僕はこんな純粋な人、見たことがないんですよ」

 ちんぽが全然入らない妻をこう言い切れる恋愛小説を、僕は生まれて初めて読んだ。

『粋な夜電波』ロスの夜

 マンションの玄関周りを年末に掃除しながら、菊地成孔『粋な夜電波』の最後の放送を、ipadボイスメモに録音して聴いていた。放送終了間近、菊地さんの「みなさん、どうか音楽を聴いていてください」という言葉が気管支にチクっとする痛みとともに刺さった。以前、彼が「最高のグルーブさえあればなんとか生きていける」といったニュアンスの話を、放送で口にしていたことも思い出されたせいだ。

 
 ところでオマエにはそんな嗜好の、いや至高のものや時間はあるのか?


 そう問われた気がした。もちろん気のせいだ。
 だけどロジカルに重きを置きすぐて、つまらなくなっている拙文や、オマエ自身をかる〜く揶揄された気がした。そう、もっとダイナミックでありたいという根源的な衝動を抑えるあまりに、つまんなくなっている18年の自分を、端的に言い当てられている気がしたからだ。宮本と椎名のデュエット曲「飼い慣らしているようで、飼い殺してんじゃないか〜♫」って。


 年始は彼の放送を書籍化したものをめくりながら、本で紹介されていた音楽をアップルミュージックで次々に検索して聴き続けた。ヒップホップめいた菊地さんの言葉の放射と、選ばれた音楽の相乗効果が気持ちよかった。dave brubeckやチャーリーパーカー、仏のヒップホップHocusPocus『Place54」とか。だけど、一番はジョージ・ラッセルの『Ezz-ethics』。とりわけ表題作の『Ezz-ethics』のエリック・ドルフィーの雄叫びサックスに痺れた。

 
 何かに誑(たぶら)かされたい。そんな心の奥底で眠っていた気持ちが久しぶりに噴き出した気がする。jazzのアドリブの、くんずほぐれつの展開に身を委ねて、心と体ごと揉みしだかれる感覚がたまんない。

紅白に2人で出てほしいねん! 椎名林檎&宮本浩次「獣ゆく細道」

 しびれにシビれた。テレ朝「ミュージックステーション」の椎名林檎宮本浩次のコラボ。昭和モダン風な椎名の楽曲の手のひらで、変テコとシュールの境界線を突っ切るような宮本のダンスが見事。草食の時代に「獣」という言葉を歌で投げ込む椎名の感性と、宮本をパートナーに選ぶタイミングもカッチョいい。今年6月に雨の日比谷野音で、20数年ぶりに観たエレカシとは、また違った味わいだった。この2人で紅白に出てほしいねん!

ちいさな虹めいて


 この夕暮れにふさわしいBGMは何? そう尋ねると友人Oがスマホで聴かせてくれたのが、きのこ帝国の「金木犀の夜」。数日前にFMで流れてきて耳に留まったらしい。20代の長女にLINEで知らせたら、約2日後に「スピッツみたいね」と返信が来たらしい。ええ話や。京浜急行三崎口」駅からバスと徒歩でたどり着いた、相模灘に突き出た城ヶ島公園の南端へつづく道すがらだ。

 電話番号を思い出そうとしてみる
 かける  かけない
 逢いたい 逢いたくない
 いつのまにか ずいぶん遠くまで来てしまったね  


 黒々とした岩場に寄せては返す波頭と、揺れる心情をすくい取った歌詞がぴたりと呼応していた。50代半ばのオジサンにはミスマッチな曲だが、少女っぽい抑制されたボーカルと失恋の歌詞、夕暮れと人生の黄昏、そして反復する波頭の調和がちいさな虹めいていた。


 沖縄から研修で上京したOと、都内在住のTを誘っていた。雨が続いていた谷間でようやく晴れた28日のこと。その歌を流しながら3人で、夕陽をまんじりともせずに見つめた。まぐろ料理とこの夕陽だけが目当ての小旅行。だらだらで、スカスカで、ぐだぐだの時間。

 どうでもいいフリしても
 君が好きなアイス見つけて
 深夜のコンビニで急に引き戻される
 消える  消えない
 泣きたい 泣きたくない
 いつかきっと笑って話せる日が来るって本当かな   


 翌朝、午前5時頃からOと天井を見ながら約2時間うだうだ話をして、朝食をとりに出た。JR大崎駅前の下りエレベーターに乗った瞬間に昨夕と同じ歌が流れて、二人で息をのんだ。曇天からぱらつく雨が静かなドラムめいていた。


共感できないからこそ、理解しようと思考する〜「今、何かを表そうとしている10人の日本と韓国の若手対談」(クオン)


 

 日本で韓国文学を出版するクオンによる、日韓文化人対談集がとても読み応えがある。本質的な部分で共鳴と共感があり、同じ時代に何かを表現する人たちの吐息と熱が行間の隅々に息づいている。韓国の映画や文学、建築や写真などを日本人との対談を通して発信しようという姿勢もシンプルでいい。


 とりわけハッとさせられたのは、浅井リョウの「私がいただいて最も悲しい感想は『共感できなくて、つまらなかったです」という着眼点。浅井は「私は共感できない本に出会うと、自分の輪郭が少し変わった気がしてうれしいんです」と続けた。


「自分の知らない考え、まだ辿りついていない何かがある気がして、もっと読んだり、知りたくなったりしますから。『共感できない』と思ってそこで本を読むのをやめてしまうと、自分の形が一切変わらないまま年齢を重ねてしまうんじゃないかと思っています」


 浅井の指摘に裏の首筋あたりに嫌な汗をかいている人は、けっして私だけではないはずだ。「共感できるか、できないか」の不毛な二項対立を超えていくために必要なことは、「共感できないからこそ、理解しよと思考すること」だと朝井は指摘している。


 一見正しそうな意見など、ちょっとググれば小学生にも検索できてしまう今だからこそ、そこで自力で考えようとしないと死ぬまで他人の考えをつまみ食いしながら老ぼれていくしかない、と。

今、何かを表そうとしている10人の日本と韓国の若手対談 (日韓同時代人の対話シリーズ)

今、何かを表そうとしている10人の日本と韓国の若手対談 (日韓同時代人の対話シリーズ)

「夜のメロディ」〜曽我部恵一詩集


 この詩集の中で一番のお気に入り。「ねぇ」「もう」「そう」や、「からっぽ」や「ひらひら」と言ったひらがなのリズムが、艶っぽさと切なさをそこはかとなく漂わせて、二人の揺れうごく心象風景を切り取っている。


ゆく夏を見とどける歌

サニーデイサービス「アビーロードごっこ(スローライブ 池上本願寺1日目・8月31日)

 初めてのくせに、もう病みつき寸前のジェットコースターみたいだ。スローライブ池上本門寺初日。3番目のトリで登場した、お目当てのサニーデイサービスの1曲目から、いきなり胸ぐらをつかまれ、筋金入りのアル中患者みたいにニヤニヤしながら引き摺り回された。

きみのシャツの色を見つめているオレは
この青に独りで浮かんでいるような気分
このまま酸っぱいリンゴをかじって
宇宙の横断歩道渡る
裸足の足 震える腰 ペットボトルの愛
生き残ったふたりだね
さみしくはないのさ かなしくはないのさ
ただ海の青さにおぼれてしまいたい


アビーロードごっこ」より

 
 曽我部恵一のことばの跳躍力と、バンド演奏の疾走感が絡み合う、切なくてスリリングな旋律がたまらない。Apple Musicよりも、実際のステージの方が断然いい。繊細で、暴力的で、ファンキーなライブバンドだと体感できた。


 かわいくて少しエッチで気まぐれな女の子でも、鼻腔と心臓を同時にチクッと刺す恋愛小説でもいい。できれば死ぬまで誑(たぶら)かしてくれるものを、みんなが心のどっかでいつも探している。